とくと見よ。Astleyのスケジュールの遅れたるを
こんなものが、まともな人の為すことか
「これは……やっちまったか?」
目の前に広がる光景に、思わず621はそう呟く。蒸気の煙の中に揺らめく赤い天使の影。装甲越しにも関わらず、ビリビリと肌に感じられる圧倒的な殺意。
今アイビスは、嘗てないほどに怒り狂っていた。生まれて初めて手も足も出ないほどの敗北を味わい、そして今まさに命の危機に瀕している。その経験は、彼らに大きな変化を齎した。
「――――――――――!!!!!!」
初めて出会ってしまった天敵に、有らん限りの殺意を向ける。ただ、この場を生き残るために。そしてそんな生物として根源的な意志は、彼らに莫大な力を与えた。
「っ!? 熱っ!!」
「レイヴン!?」
「これは……! アイビスの出力が上がり続けている!」
装甲に守られているはずのコックピットが、一瞬で蒸し焼きにされる。急激な機体温度の変化に、思わず621はアイビスから距離を取る。
「クソッ! 一体何が……嘘だろ!?」
改めてアイビスに目を向けた621は、自分の視界を疑った。何せ、アイビスの足元――低空で浮遊するアイビスの真下の、その湖面。それが、球状に抉れていたのだから。
湖の水はおろか、その下の湖底すらもアイビスの熱で蒸発させられ、そこに流れ込むはずの水は片っ端から沸騰し、消えていく。一体どれほどの熱量があればこのような暴挙を引き起こせるというのか。
「621! アイビスが動く! まずは距離を取れ!」
「了解!」
アイビスが一度ふわりと浮き上がり、そしてLEAPER4に向けて突進してきた。対する621は、当然逃げ一択だ。あんなものに近づかれれば、ACでさえも蒸発させられかねない。だから全力で後方へブーストを吹かす。だが――
「レイヴン! 距離が縮められています!」
「! そりゃそうだ! ACは、
ACは飽くまでも近接指向の兵器。その速力は、主に相手に接近することに注がれている。故に、前進以外はそこまで速くない。総合的な機動力では、アイビスに負けているのだ。
「かといって、アサルトブーストで逃げるのは――!」
アサルトブーストの速力ならば、アイビスを振り切れる。だが、アサルトブーストは前にしか吹かせない。つまり、アサルトブーストでアイビスから逃れるためには、アイビスに背を向ける必要があるのだ。
今のアイビスはどう見ても暴走状態にある。恐らく、射撃の火力も大幅に上がっているに違いない。そんな相手に背を向けるのは――。
「っ! 迷ってる暇はないか!」
装甲表面が赤熱し始めた。このままでは、すぐにでもまた蒸し焼きにされてしまう。
「エア! 後ろを頼む!」
「了解です!」
621はクイックターンでアイビスに背を向けて、アサルトブーストを起動。
「――――――!!!!」
アイビスがその隙を見逃すはずもなく、全ビットを展開して一斉射撃。その上ダメ押しとばかりに、本体もエネルギーをチャージしてコーラルキャノンを連射。
絶対に逃がさないと言わんばかりの弾幕が、LEAPER4を追い立てる。
「レイヴン!」
「――ッ! ありがとう!」
その瞬間、621の頭に痛みが響く。神経を介さず、直接情報を叩き込まれる
エアがACのセンサーに接続し、621の脳深部コーラル管理デバイスを用いて直接情報を流す裏技。それを今は、後ろへ視覚を広げる手段として用いる。
「! いやいや、撃ち過ぎだろ!!」
そして背中に見える、凄まじ過ぎる密度の弾幕。殺意がそのまま形になったかのような赤い壁を目にしてしまい、621の気が滅入る。
だが、これを避けきらねば自分は死ぬ。その実感が、621に力を貸してくれる。何も生きる意志で強くなれるのは、コーラルに限った話ではない。
「だけど、俺なら避けられる!」
極限の集中力により、世界の時間が遅くなる。一見回避不能な壁に見えた赤い弾幕も、こうして見れば隙間だらけだ。所詮一機の兵器が作れる弾幕など、高が知れているのだ。
まずは敢えて少しだけ速度を緩め、一枚目の弾幕の穴を潜る。直後コーラルキャノンが飛んでくるが、機体を横にずらして回避。速度を緩めていなければ弾幕の穴を潜ると同時にキャノンが着弾していただろうが、621がそんなわかりやすい誘導にかかるわけがない。
続く第二、第三の弾幕も、同様の誘導がかけられていたので同じように回避。そして第四の弾幕は――
「――――!!! ――――!!!!」
「チッ! アイツ、やけっぱちになりやがった!」
――何の戦略も誘導もない、ただ怒りに任せた出鱈目な弾幕。渾身の策を全て躱されたアイビスは、遂に堪忍袋の緒が切れた。
621に言わせれば、正直こういう不規則な弾幕が一番回避しづらい。さっきまでのように明確な穴がないので、気合で避けるしかないからだ。
普段ならばそれも厭わないが、今はまずい。脳に直接情報を叩き込まれる負荷は決して軽くはなく、出来れば消耗は避けたかった。
「だったら、こうするまで!」
湖面に向けてミサイルを全弾発射。ミサイルは浅い湖を突き抜けて湖底を破壊し、土塊を巻き上げた。そして621はその下に潜り込む。
ビットによる細かい弾幕は全て土塊に遮られ、コーラルキャノンはそもそも出鱈目にばら撒かれているから当たらない。
「レイヴン! アイビスが止まりました!」
「よし! 反撃する!」
いくらアイビスが元々高出力なコーラルジェネレータを生きる意志によって更に強化していようとも、限界は必ず存在する。
621を捉えるために極厚の弾幕を何枚も張ったアイビスは、完全にオーバーヒートしていた。空中で止まったまま、何もできずにいる。
こんなチャンスは二度とない。だから621はチャージリニアとスタンニードルランチャーを同時撃ちした。
「――――――!!!!」
「!? 嘘だろ!?」
「弾が……
だが、放たれた二つの弾丸はアイビスに届く前に蒸発した。感情に任せて暴走を続けるコーラルたちにオーバーヒートなど関係なく、エネルギーの枯渇などものともせずに気温を上げ続けている。
「――――!!! ――――!!!!」
「アイビス再起動! こちらに向かってきます!」
「こんなのどうすりゃいいんだよ!」
再びエネルギーを充填したアイビスは、その熱で焼き殺さんと再びLEAPER4へと突撃してくる。
621はそれを防ぐべくリニアライフルを何発も撃ち込むが、全て届く前に蒸発させられてしまう。銃撃でダメージを与えることは不可能なようだ。
だからと言って、近接は論外。まさに打つ手無し。621とエアの心の中が絶望に染まりかける。
だがそんな中、ウォルターだけは光明を見出していた。
「見ろ、621。アイビスの罅が大きくなっている」
「! 本当だ!」
「あれだけの高出力だ。アイビスのフレームではまず耐えられまい。いずれ奴は自壊する。それまで逃げ続けろ」
「了解!」
方針は決まった。相手が自壊するその時まで、ただひたすら逃げ続ければいい。それは決して簡単なことではないが――否、むしろ四度の人生の中でも最高レベルに絶望的な難題だが、それでも一縷の希望が残されているだけで気分は大きく異なる。
いつか終わるとわかっていれば、逃げ甲斐もあるというものなのだ。
「次が来る。備えろ!」
「アイビスがエネルギーを収束させている……今度は範囲ではなく、射程で勝負する気のようです。レイヴン、十分に注意を!」
「了解!」
先の攻防で、アイビスは我武者羅に621を追い回したところで意味がないと学習したようだ。放熱は最低限自衛するのに必要なだけに留めて、残りのエネルギーは全て武装に回し始めた。
アイビスのブレードに、キャノンに、ビットに。その武装の全てに有らん限りのエネルギーが流し込まれ、禍々しく発光し始める。あれだけのエネルギー、解放されれば一体どれほどの破壊力となるのか。最早想像すらつかない。
否、想像する必要すらない。だって、
「来るぞ!」
「!」
12機のビットから一斉に放たれる真っ赤な光条。それは、先の弾幕のような生易しいものではない。圧倒的に太く、目を焼くように眩しい。ACなど一撃で蒸発させられてしまうのではないかと、そう思えてしまうほどに。
それが12本。LEAPER4を目掛けて、それぞれの軌道を描きながら迫り来る。
「っ!」
まず真っ直ぐこちらを狙った一本を、横に跳んで回避。そこを狙ったかのように横薙ぎに振るわれる一本を、跳んだ勢いそのままローリングで回避。
その間に二本が湖底を抉りながら進み、621を挟むように動く。それに対して621はアサルトブースト。挟まれる前に前方へ逃れる。
すると前方に現れるは、赤の壁。四本の光条が縦に並び、進路を塞ぐ格子となる。621は即座にアサルトブーストを止め、逆噴射で急ブレーキ――
「レイヴン!」
「っ! ああ!」
ただ一言。それだけで全てが伝わる。エアの意図を汲み取った621は、逆噴射をすぐにやめる。LEAPER4は慣性のまま格子へと突っ込んでいくが、それでいい。
「そこっ!」
「――――――!!!?」
赤の格子に焼かれる直前に、クイックターン。機体を90度回転させる。
ACは人型兵器。それ故、側面の投影面積は、正面のそれと比べて遥かに小さい。だから横を向くだけで、
そして、さっきまでLEAPER4がいたところに、上空から幾本もの光条が落ちてきた。アイビスは、621が格子を前にして立ち止まる瞬間を狙っていたのだ。格子を回避するために急ブレーキをかけた瞬間、上空に待機させていた残りのビットによって必殺の一撃を叩き込む算段だったのだ。
だがそれを、エアは見破った。
「―――!!! ―――!!! ―――――!!!!」
ビットによる怒涛の連撃を全て回避され、アイビスは慄く。闘争心で塗りつぶしたはずの恐怖心が、再び頭を擡げ始める。
だからアイビスは、突き動かされるように全ビットへ攻撃命令を下していた。再び12本の極光が空を裂き、LEAPER4へと追い縋る。
「そんな単調な攻撃! 今更当たるかよ!」
だが、621は背後から迫るそれらをいとも簡単に躱していく。
今度のビットの射撃は、先のように計算されたものではない。恐怖故にただ直線的に狙ったもの。ビットを再配置する一手間すら忘れた、単調な射撃であった。
今更この男が、そんなわかりやすい攻撃に当たるわけがない。わざわざ背後を見ずとも、殺気が感じられた瞬間に回避行動を取るだけで簡単に躱せる。
621は光条が迫るたびに右、左とバレルロールを繰り返し、LEAPER4が12本の極光の隙間を縫い進む。そして、その有様に恐怖を増大させられて、アイビスの攻撃はますます単調になっていく。
「いいぞ、621! そのまま避け続けろ! 俺の計算が正しければ、もう少しで――!」
その瞬間であった。空に12個の花火が上がる。それは、これまで散々621を苦しめてきたビットの最期の輝き。これだけ長い間、これだけ莫大な量のエネルギーを垂れ流し続けて、小さなビット程度が耐えられるはずもなく。
これで事態は一気に621側優勢に傾いた。
「レイヴン! この調子なら、きっと――!」
「いや、まだだ! 本体の出力はビットの比ではない! 621! エア! 気を張り続けろ!」
「っ! 「了解!」」
ウォルターの言う通り、まだ戦いは終わっていない。アイビスはビットが壊れたことに酷く動揺して空中で狼狽えているが、それも長くは続かないだろう。なぜなら――
「――――――――――!!!!!!」
――自己防衛本能こそ、生物が持つ最も強い本能であるのだから。加速度的に増大し続ける天敵への恐怖は、極大の殺意へと反転する。その強い感情がコーラルにまで伝播し、凄まじい量のエネルギーを作り出している。
「――――――――!!!!!」
「また来るぞ!」
さっきまでの狼狽はどこへやら、アイビスは既にLEAPER4へと突貫していた。度重なる死の恐怖に苛まれ、アイビスは完全に冷静さを失っていた。
こんな無謀な突撃など、通常なら単なるボーナス行動以外の何者でもなかっただろう。理性を無くして突撃したところで、所詮は破れかぶれ。そこに勝機などあるはずもないのだから。
だが、今のアイビスほどのエネルギーを持つ機体がそれを行えば――
「なんだあれは!」
「コーラルが、これほどまでに恐怖するなんて……!」
「……本当に、やり過ぎちまったか?」
まるでハリネズミの如く、全身の穴という穴から赤い針を生やしたアイビスが――否、それは針などという生易しいものではない。恐らく当たればACですら一瞬で真っ二つ。そんな悍ましい刃が、先すら見えない果ての果てまで伸びている。
長さ無限の即死ブレード。それがブースターから、コーラルキャノンから、ビット収容口から、排熱口から、そして両腕のコーラルブレード発振器から。あらゆる穴から伸びている。
そんな化け物が、こちらに突っ込んでくる。死の恐怖など疾うの昔に捨て去ったはずなのに。流れ落ちる冷や汗の冷たさは、錯覚か、あるいは現実か。
そして、赤いハリネズミは突っ込んできた。
「っ!」
回転しながら突っ込んでくるアイビスは、さながら赤い竜巻だ。真紅の暴風を撒き散らし、周囲一帯を粉微塵に切り裂いていく。湖底も岸壁も、その先にある技研都市も。等しく全て斬り刻まれていく。
「クソッ! あまりにも無茶苦茶過ぎる!」
おびただしい数の刃が、次から次へと息つく暇すらなく連続で迫り来る。こんな暴虐、クイックブーストだけで回避できるはずがない。
「だったら全ブースターをマニュアル制御して、機動力に賭ける!」
全ブースター、オートコントロールオフ。並びに、出力リミッター解除。姿勢制御用のブースターも反動制御用の逆噴射ブースターも、全ての制御を621の意思の下へと集結させる。あらゆるブースターを望むタイミングに望む出力で吹かせるように切り替える。
だが、それは諸刃の剣でもあった。これらのブースターに自動制御やリミッターが設けられているのは、何も伊達や酔狂からではない。そもそもACの姿勢制御なんてものは、本来人間が意識してできるようなものではないのだ。
ACは人型兵器だ。ただでさえ不安定な直立二足歩行に、多数の武装を積載した兵器だ。バランスは最悪とすら言っていい。そんなものの姿勢制御が、人間の演算能力の範疇に収まるだろうか。当然、収まらない。だからACの姿勢制御は人間を排して全自動で行われるし、無用な出力を与えたところでバランスを崩すだけだからリミッターもかけられている。
だが621は、その全ての軛を外した。全身の姿勢制御用ブースターが通常ブースト並みの出力で吹かせるようになれば、機動力は当然爆増する。今のアイビスから逃れるためには、それが必要だった。
「っ!!」
「レイヴン!?」
LEAPER4が体勢を崩しかける。いくら621と言えど、いきなり姿勢制御ブースターを全力で吹かして転ばぬ道理はない。横につんのめったLEAPER4に、絶死の刃が迫る。
「いや、これでいい!」
だが621は、敢えて姿勢制御ブースターをさらに強く吹かす。当然LEAPER4は勢いのまま横転。しかし横に転ぶその瞬間手を地面につき、側転に移行。転ぶ勢いを全てそのまま速度へ変換することに成功する。
そしてLEAPER4は、一本目の刃を既の所で躱す。だが、本番はこれから。無数の刃の束は、もう目の前まで迫っている。
「レイヴン!」
「621!」
「ああ!」
全身の姿勢制御ブースターにエネルギーをチャージし、次々に爆発させていく。それは、姿勢制御ブースターで行う疑似的なクイックブーストであった。本来一度吹かせばどれだけ早くとも0.3秒程度のクールダウンを必要とするはずのクイックブーストも、この方法ならば即座に何度でも吹かせる。
身体に圧し掛かるGなど完全に無視して、ほんの僅かな刹那の中に何度もクイックブーストを吹かす。その度にLEAPER4は右へ左へ、前へ後ろへと小刻みに舞い踊り、紅の暴風を次々躱していく。並みの傭兵はおろか、実力者でさえ一秒たりとも生きれない地獄の中で、621は一切掠りもせずただひたすら舞い踊り続ける。
ブーストを吹かすたびに体勢が崩れてしまうが、それがどうした。今の621は直立二足歩行に拘らない。四肢を全て足とすれば、どれだけ体勢が崩れようとも動き続けられる。地面を蹴り転がって、一切減速せずに嵐の合間を縫う。
側転やバク転を駆使してあらゆる角度から跳んでくる刃を躱し続けるLEAPER4の姿は、どこまでも人型兵器の域を逸脱していて、しかし同時にどこまでも人間的であった。
「凄い……これなら、きっと……!」
「いや、駄目だ! エネルギーの消費が激しすぎる! このままじゃ先に621が息切れする!」
今の回避をずっと続けられるなら、621はアイビスの自壊まで逃げ切れるだろう。だが、それは不可能なことであった。疑似的なものであろうとも、クイックブーストはクイックブースト。エネルギーの消耗は少なくない。繰り返せば当然、その分だけ消耗は増える。
「そんな……それじゃあ、このままだとレイヴンが……!」
アクロバティックな動きで全ての攻撃を回避し続けるLEAPER4は、傍から見れば余裕そうに見えるだろう。しかし、蓋を開けてみれば621は冷や汗垂らして苦悶の表情を浮かべていた。兎にも角にも、エネルギーが足りない。
僅かな隙を見つけては静止して回復に努めるも、焼け石に水。この暴風の中では、一息吐くことすらままならない。今もエネルギー残量低下の警告音がずっと鳴り続けている。
「ハァ……ハァ……」
621の口から荒い吐息が漏れる。モニター下部に表示されたエネルギーゲージは、低いところを右往左往している。これが一番左に着いた瞬間に、自分は死ぬ。なんともわかりやすい。
だが、解決策は思いつかない。愚直に回避する以外に、どうすることもできない。
「クソッ! あとちょっとだってのに!」
回転し続けるアイビスは既に全身ボロボロで、装甲も全面ひび割れだらけになっている。限界が近いのは誰が見ても明らかだろう。
だが、そのひび割れからもまた、赤い刃が伸びる。恐ろしいことに、アイビスの攻撃は傷の数だけ苛烈になっていた。消えかけの命の灯火の、その最期の輝き。それを、ただ己が天敵を殺すためだけに振るっているのだ。
「ッッ!! 避けきれない!」
刃の本数が増えれば、当然回避難易度は高まる。だが、エネルギーゲージはもはや限界すれすれで、これ以上の回避行動などできるはずもない。
なんとか少しでもエネルギーを節約できないか。621の頭にそんな考えが過った、その一瞬。
「っ――!!?」
「―――――!!!」
LEAPER4の右腕が宙を舞う。ほんの僅か、回避以外のことを考えただけなのに。そんな隙とも呼べぬ一拍ですら、この地獄の中では致命傷になる。
切り離された右腕に次々刃が殺到し、粉微塵になる。621はそこに、数瞬後の自分の姿を幻視した。
「くそっ!」
「くっ……! 621……!」
「ああ……! レイヴン……!!」
片腕を失って、LEAPER4が体勢を崩した。アイビスはそれを好機と見て、LEAPER4に刃を集中させる。命を奪う赤い鳥籠が、鴉を閉じ込めた。
まさに、完全な詰み。エネルギーさえあれば、籠の隙間を突いて逃げることもできただろうが、今のLEAPER4ではそれも不可能――
「まだだ!」
そんなものが諦める理由になるだろうか。否、諦められるはずがない。そもそもこんなところで諦めるられる人間だったなら、端から結末を変えようと足掻いたりはしない。
621は思い付きのまま地面にパイルバンカーを叩き込んだ。アイビスの攻撃で幾度となく斬り刻まれた湖底は、既にボロボロ。そこにパイルバンカーの圧倒的破壊力が加われば、地は割れ、岩々は空へと舞い上げられる。
瞬間、LEAPER4は跳躍した。跳んだ先にあるのは、舞い上がった岩々。アイビスが雑にカットしてくれたお蔭で、
「エネルギーが無くても、人型ならなぁ!」
岩々を次々と跳び回り、LEAPER4は速度を増していく。これがブーストを一切吹かさない動きであると、誰が信じられるだろうか? だが、これこそが621の十八番だ。
壁蹴りをマスターした621にとって、浮いた足場を飛び移ることくらい造作もない。そして大量に宙を舞う岩の数々は、この包囲を抜け出す道しるべとなる。
「――――――――!!!!!」
「聞けないね! そんな頼み!」
LEAPER4が籠の隙間目掛けて跳んでいき、それを見てアイビスが慟哭する。漸く天敵を追い詰めたというのに。ここで逃がすわけにはいかない。だから、アイビスは咄嗟に籠の隙間を狭め、逃げ道を塞ぐ。
だが、羽をもがれようとも鴉は鴉。その強かさは健在だ。ACの脚力による超加速そのままに跳び出した621は、空中で手足を揺らす。それは、人型兵器特有の重心移動。
手足に重量が配置された人型ならば、縋るもののない空中でも姿勢を制御できる。エネルギーが枯渇していようとも、問題はない。
そして621は空中であるのにもかかわらず器用に身体の向きを調整し、刃の隙間に対して
「あばよ!」
「――――――――――!!!!!!」
鴉は逃げる。胸と背中を刃に焼かれながら、しかし決して致命傷は負わず。鴉は、籠になど収まらない。
「―――――――!! ボンッッッ!!! ――――!!!?」
籠から逃げた鴉を殺さんと、アイビスはそちらに向き直ろうとした。だが、できなかった。それより前に、アイビスの機体に小爆発が生じたからだ。
「――!? ―――!!? ―――!!!」
遂に、限界が来たのだ。アイビスの各所から次々に小爆発が巻き起こり、ひび割れた装甲が弾け飛んでいく。身体の内側から何度も生じる爆発に打ちのめされ、もはや621どころではない。
「―――――――――――――――!!!!!!!!」
一際大きな叫び声と共に、アイビスが真っ赤に光り輝く。目を開けてられないほどのそれこそまさに、蝋燭の最期の輝き。
直後、周囲の全てが真紅に塗りつぶされた。コーラル特有の、真紅の大爆発。だが、今回のそれは今までで最大規模であった。それほどまでのエネルギーを、アイビスは保有していたのだ。
「……ッ、ハァァァァ……フゥゥゥ……」
爆風に飛ばされるLEAPER4の中で、621は深く息を吐く。極限の集中から解放された反動で、息は浅いし頭痛も酷い。
「レイヴン! 大丈夫ですか!? どこか怪我は――!」
「怪我はないけど……今日はもう駄目そうだ。もうこれっぽちも戦えないや」
あまりにも際どい勝利であった。何か一つでも間違えていたら、消し炭になっていたのは自分の方だっただろう。
「621、今はしっかり休め。企業の追手が来るまでにはまだ時間がかかる。暫くは安全なはずだ」
「うん……そうさせてもらう」
「俺もすぐにそちらに向かう。……621、よくやった」
「ええ、本当に。レイヴン、お疲れ様でした。あなたがいてくれたから、きっと人とコーラルの共生を為せる……本当に、ありがとう」
「へへへ。まだ気が早いよ、エア」
口では否定する621だが、しかしエアの言葉に同意している自分がいるのもまた事実であった。
あとは少し休んで、ウォルターが来たらACを修理して、そして企業の追手を殲滅して、RaDと解放戦線が来るのを待って、そしたら集積コーラルでコーラルエンボディを成し遂げて……。これからやることが、一気に頭の中を駆け巡っていく。
もう難しいことはない。事実上の終わり。四度目にして、遂に自分は成し遂げたのだ。大切な人が誰も死ななくて、しかも人とコーラルが共生している世界を。
気が抜けない方がおかしかった。ぐったりと椅子に倒れ込み、そして意識が朦朧としてくる。
「エア、ウォルター。本当にありがとう。二人のお蔭で、俺は――」
ガンッ!
ACのスピーカーが音を捉える。硬い何かが、地面に突き刺さったかのような音。それは、二度聞いたことがある音。
「っ!? なん――!? うわあああぁぁぁ!!」
瞬間、雷が炸裂した。黄色い光が視界を包む。かと思えば、今度は真っ黒に染まり、何も見えなくなる。
「621!」
「レイヴン!」
「うぁ……が、あぁ……」
621は、まともに言葉すら紡げない。戦闘で疲弊し切った身体に、ACをダウンさせるほどの電撃を浴びたのだ。気絶していないのが奇跡と言っていい。
だが、621は執念で気を保つ。やっとここまで来れたのだ。このまま誰かも知らない奴に、未来を潰されるなど。せめて、下手人が誰かだけでも――。
そんな621の想いは、奇しくもその下手人その人によって叶えられた。
「まさかアイビスシリーズに競り勝つとはな……。毎度お前の猟犬の狂暴さには驚かされるよ、ハンドラー・ウォルター」
「その声は……! お前は、どうして、こんなところまで……!」
「愚問だな。お前の猟犬居るところに私在りだ。今までも、これからもな」
ウォルターを嘲るような、粘着質な声。こんな声の持ち主は一人しかいない。
「スッ、ラ……! なん、で、お前、が……! 殺した、はず……!」
「あれを食らってまだ喋れるか。本当にタフな猟犬だ。まあ、そうでなければ殺し甲斐がない」
「やめろ! スッラ! 俺はどうなっても構わない! だから621だけは見逃してくれ!」
「お前に指図される筋合いはない。精々最愛の猟犬が殺される様を見ているがいい」
「クソぉっ!!」
ウォルターはヘリを急がせる。今更急いだところで間に合うはずがないと、そう理性ではわかっていても。何もしないでいることはできなかった。だが――
「スッラ、何度も言ったはずです。レイヴンの殺害は不許可であると。コーラルリリースに彼の生存は不可欠です。それを忘れないでください」
「っ!? お前は、燃料基地を襲撃した――!?」
――突然ヘリの目の前に、ACが現れた。全身MIND ALPHAフレームのそのACは、燃料基地を襲撃した二機の内の片方。
それが今、右手の
「軽い冗談じゃないか、オールマインド。少しくらいウォルターを揶揄ってやってもいいだろう?」
「だとしてもです。最近の貴方は独断専行が過ぎる。アイスワームの時も貴方はレイヴンを殺しかけていましたよね?」
「あれは仕方ないだろう? あんな状況で殺すなという方が無理な話だ」
飽くまで雑談でもするような軽い口調。緊張感すら感じられないそれには、勝利を確信した余裕がたっぷりと含まれていた。
こんな奴らに。そんな怒りと悔しさで、621は歯嚙みする。
「おっと、そこの変異波形。確か、エアと言ったな?」
「っ!? 私が、見えている!?」
LEAPER4のシステムに潜り込み、密かに再起動を狙っていたエア。だが、スッラはそれにすら気付き、牽制する。
「そのACを復旧させようとするのはやめろ。猟犬の命は私が握っている。オールマインドはああ言ってるが、私は貴様らに容赦するつもりはない。これ以上戦おうというのなら、ここでお前たちを殺す」
「くっ……ごめんなさい、レイヴン」
「いや、いい……俺の、せいだ」
621の命を握られている以上、強引な手段は取れない。だから、エアは手を止めるしかなかった。
「だから殺すなと……。まあ、いいでしょう。これで目的は達成されました」
スッラが621とエアを。オールマインドがウォルターを捕縛する。こうして三人は、悲願達成を目前にして、オールマインドの虜囚となってしまったのだった。
アイビス
近づいただけでスリップダメージor即死+攻撃無効+全武器即死攻撃化の耐久ボスとかいう紛うことなきクソゲー。ゲームだったら炎上待ったなし。
ちなみに、もう少しアイビスの出力が高ければ、ハリネズミ形態の時に針が伸びすぎて、バスキュラープラントが斬り刻まれてオマちゃんの野望は頓挫してました。惜しい。
621
エネルギーが切れた時、本当はエアがその権能を発揮して周囲のコーラルに呼びかけてカーマンラインの時みたいな無限EN編が始まる予定だったのに、なんか勝手に地面を砕いて壁蹴りで逃げてました。なんなのこの人?
エア
上記の通り、621のせいで活躍の機会が一つ奪われました。でも大丈夫。この小説はまだまだこれからだから。
ウォルター
要所要所で的確なオペレートが光る。流石俺たちのごす。でもヤンデレストーカーホモのせいで、さらに曇ることが確定している模様。
スッラ
ヤンデレストーカーホモ。絶許。だから621は殺すなっつてんだろ(AM並感)
オールマインド
一瞬の隙を突いて主人公チーム三人を捕縛する。有能。でも唯一の部下の手綱は握れてない。無能。
ということでアイビス戦決着。かと思えば遂に黒幕登場。やっぱり暗躍することに関しては普通に有能なんですよね、オールマインドは。
次回はChapter4最終回。ここまでもだいぶ原作乖離してきましたが、ここからが本当の四度目の鴉だ!
『文書データ:キサラギ博士の研究記録4
・特別な強化人間について
人間はそれぞれ固有の脳波を持つが、中には先述した変異波形と全く同じ周波数の脳波を持った人間がいる。そのような人間を強化人間に改造できれば、変異波形に対して驚くほど多くのアプローチをかけられるようになると、私は確信している。
例えば、お互いの波を共鳴させてコミュニケーションを取ったり、脳内に変異波形を住まわせて運んだり、お互いの波を共振させて信号を増幅させたり。そんなことができるようになるはずである。
なんとも心が躍る話ではなかろうか。特に共振。信号を増幅させれば、変異波形が元々持つコーラルへの命令能力を増幅させることができるのである。上手くすれば、理論上星中のコーラルを、否、全宇宙のコーラルを一挙に制御することすらできる可能性があるのだ。
こんな素晴らしい可能性、一科学者として検証しないわけにはいかない。
だが、肝心要なその特別な強化人間が、なかなか用意できない。こうした現象を引き起こすためには脳波の周波数が変異波形のそれと完璧に一致している必要があり、1mHzの誤差すら許容されない。宇宙中探したとて、そんなピンポイントな脳波を持つ人間はそうはいない。
人工的にそうした人間を作ろうともしたのだが、これが上手くいかない。脳波を弄るということは、即ちその人の脳を弄るのと同じ。かかる負担は莫大なものとなる。実際、数百人の被験体で実験してみたが、皆廃人になるかあるいは死ぬかで、まともに使えるものなど一人もいなかった。
なんということだ。こんなにも心躍る仮説を前にして、足踏みさせられるとは。本当に歯痒い。どうにかならないものか』