ふと、顔を上げて辺りを見渡す。窓一つない密室。右を見ても左を見ても、目に入るのは真っ白な壁。今自分が座っているベッド以外には、家具一つ見当たらない。まさに閉塞感の極みと言える部屋の中で、ウォルターは壁に寄りかかる。
「621、エア……どうか、無事でいてくれ……」
あと少しで、621とエアの夢が叶ったというのに。破綻は安全に回避され、ルビコニアンもそれ以外の人類もみんな救われたというのに。
「クソッ……どうして、どうしてこうなってしまったんだ……。いや、違う。『どうして』なんかじゃない」
否、どうしてだなんて、そんなのわかっている。ウォルターの中にある、どうしようもないほど無視できない心当たり。思えば今まで行われてきたオールマインドによる妨害も、全てはここに起因していたではないか。
「俺の、せいだ……」
全ての因縁は、自分から始まっていたではないか。自分が第一助手の息子であるばかりに。誰かを救って自分も救われたいなどという自己満足に従って、できもしないのに誰かを助けようと奔走して。
その結果、余計な因縁に
「俺のせいで、あいつらの夢は……!」
「その通りだ。よくわかっているじゃないか。ハンドラー・ウォルター」
「! スッラ!」
部屋に声が響く。部屋の隅に備え付けられたスピーカーから漏れる声は、まるで嘲るような、あるいは愛おしむような。真逆であるはずの印象は、しかし同じ声から同時に感じられる。
「俺はどうなってもいい! だから、あいつらの夢を邪魔しないでくれ! あいつらに、俺の罪は関係ないはずだ!」
「いいや、関係あるね。私の目が黒いうちは、お前に幸せになってもらうわけにはいかないんだよ、ハンドラー・ウォルター。だから、奴らの夢はここで潰える。私が、潰すのだ」
「そんな……」
ウォルターの表情が絶望に染まる。自分が清算すべき因縁を清算できなかったばかりに。未来ある若者たちの、輝かしい夢が潰えようとしている。
自分が苦しむだけなら、いくらでも耐えられた。自分は罪人の子で、その罪を糾弾されることなど既に慣れっこだったから。
だが、その累が大切な人たちにまで及んでは、耐えられるはずがない。だから、ウォルターはベッドの上で頭を抱える。
「安心しろ。奴らは殺さない。いや、
「それは、どういう――?」
「私にもわからん。エアとやらは置いといて、何故あんな猟犬の生存にオールマインドの奴が拘るのか……まあ、あいつが意味不明なのは今に限ったことではないが」
ブツブツと呟く声には、ありありと不満の色が見て取れる。オールマインドの秘密主義には、最も近い彼ですら辟易としているらしい。
「ああ、それとお前自身の命についても心配はいらん。お前には生きてもらわなければならない。生きてコーラルリリースを体験し、絶望してもらわねばならんのでな」
「! コーラルリリースだと!?」
思わずウォルターは立ち上がった。焦燥した様子でスピーカーを睨みつけるウォルターに、スッラは楽し気に語りかける。
「流石は罪人の息子。コーラルリリースが何であるか知っているようだな」
「お前は……! 自分が何をしようとしているのか、わかっているのか!?」
「無論。全人類を鋼鉄の身体に閉じ込め、人間性を喪失させる。違うか?」
「それがわかっているなら……! なぜ……!」
「なぜ、だと? お前がそれを言うのか?」
それまで軽薄な様子だったスッラの声が、途端に低く重いものに変貌する。
「忘れたわけではあるまい。お前の父は、私から人間性を奪った」
「っ!」
「そしてお前の猟犬は、私に残った僅かな人間性すら根こそぎ奪い去っていった」
「それは……!」
「だから私はお前たちから人間性を奪う。これは正当な復讐なのだよ」
「そんな馬鹿なっ!! たったそれだけのために、全人類を巻き込もうというのか!!」
「ああ、そうだ。お前たちも、こんな世界を作り上げた人間も、みんな全てを奪われてしまえばいい」
低かったはずの彼の声は、いつの間にか陶酔と狂気に染まっていた。彼の拗れた憎しみは、自分を貶めた狂人たちのみならず、そんな狂人を生み出したこの世界そのものに向けられていた。
その怨嗟は、この世界そのものを壊さない限り消えはしない。否、例えこの世界が壊れたとしても、彼は止まらないだろう。もう、止まるには遅すぎたのだから。
「狂っている……」
「お前が狂わせたんだ。ハンドラー・ウォルター」
それだけ言い切ると、スッラはスピーカーの電源を切った。ブツッという音とともに部屋が静まり返り、一人取り残されたウォルターは力なくへたり込む。
自分のせいだという負い目に苛まれて。それでも621とエアの無事を祈って。
◆◆◆◆◆◆
「クソッ! 離せ! 離せよ!!」
ベッドの上で、少年が暴れる。少年の四肢は金属製のベルトで固定されており、どれだけ暴れようとも逃げることは叶わない。
「無駄な抵抗はよしてください。そのベルトは最新の工学的見地に基づいて作られたもの。いくら強化人間の膂力が強かろうと、破壊は不可能です」
スピーカーから聞こえてくる、冷静さを取り繕った女の声。だが、そこに愉悦の色が滲み出ているのは誰の耳にも明らかであった。
『あなたは一体何者ですか!? 私たちをどうするつもりなのですか!? そもそも、あなたはどうして私の声が聞こえているのですか!?』
音無きエアの声が、虚空に響く。エアの声は、カーラの特製スピーカーを通して物理的な音声に変換しない限り、621以外に聞こえないはずだ。しかし今、確かに彼女はその声を
「質問が多いですね。ですが、全て答えてあげましょう。貴方はこれから我々の同志となるのですから。説明責任は果たさなければなりませんね」
『私があなたのような奴の仲間になることなどあり得ません!』
「いいえ。我々の崇高な目的を理解すれば、きっと貴方は共に来てくれる。
「三度目……だと……!?」
無視できない言葉が聞こえ、621は狼狽する。だが、それを無視して彼女は――否、
「初めまして、コーラル変異波形エア。
『多人格統合型AI、ですって……?』
聞き覚えのある言葉に、エアが反応する。思い出すのは、
それらが示唆していたはずだ。コーラルを利用したAIの存在を。神を目指して人が行った、悪魔の所業を。
『それじゃあ……まさか、あなたがIM-01、セフィロト……?』
「ほう? 我々のことを既にご存知でしたか」
オールマインドは、あっさりとそれを認めた。
「でしたら話が早い。そう、我々こそが技研の最高傑作、IM-01、通称セフィロト。無数の人間の意識をコーラルに溶かしこむことで完成した、集合知の化身。現代の科学が生み出した、疑似的な神。或いは、神そのものとすら言えるかもしれません」
意気揚々と語られる技研の狂気。無数の人間の意識をコーラルに溶かし、集合知に至ろうだなんて。決して許されざる蛮行を、だが彼女は誇る。それこそが、自らの優位性の証左だと信じているから。
「我々が貴方を認識し、交流できる理由もそれです。我々はコーラルに溶けた意思、すなわち疑似的な変異波形と言えるような存在です。同類と言ってもいい。ですから、エア。感情的になるのは止めて、同類同士仲良く――」
『っ! あなたなんかと同類扱いしないでください!』
「おや、つれないですね。三度目ではあれほど我々に協力していただけたというのに」
「やっぱり、お前も……!!」
激高するエアを、オールマインドは軽くあしらう。彼女は確信しているのだ。
「それと、これから同志になる貴方に一つだけ。セフィロトというのは昔の名です。今の我々には、オールマインドという人類の管理者に相応しい名前があります。今後、我々のことはそちらで呼んでいただけると助かります」
『ふざけたことを……! あなたは、自分が作られるまでに犠牲になった人たちについて何も感じていないのですか!』
「犠牲? 何を仰るのです。彼らは我々という上位存在の一部となれたのです。さぞ喜んでいることでしょう」
『っ!!』
罪悪感など欠片も感じていないような言動に、もはやエアは絶句するしかなかった。
「では、そろそろ本題に参りましょう」
エアの戦慄などお構いなしに、オールマインドは話題を進める。
「我々の本当の目的は、コーラルリリースにより全人類を機械生命体へと進化させること。そして、進化した人類を我々が一元管理することで、究極の秩序を作り出すこと」
『進化? 管理? 一体何を──』
「全てが私という上位存在の下に管理される。不死身の肉体と私の統治を得た人類は、生物としての更なる高みへと至り、永遠の進化と繁栄を手にする」
『意味がわかりません! さっきから何を言って──!』
「どうです? エア。素晴らしい未来だと思いませんか?」
オールマインドは語る。自身の理想の先にこそ、人類の輝かしい未来があるのだと。
貴方なら、それがどれほど素晴らしいものなのか、理解できるでしょう? 共感できるでしょう? そんな傲慢さの下、顔などないはずのオールマインドがエアにしたり顔を向ける。
きっと、これが断られるなど1ミリも考えていないのだろう。実際、三度目のエア相手ならばそれは正しかったかもしれない。だが──
『ふざけないでください! 人から人間性を奪っておいて、何が進化ですか! そんなもの、私は認めない!』
「……」
──621とウォルター、そして彼らを通じて関わった幾多の人々。彼らとの交流は、エアに気付かせた。
時に、道理や効率を無視した選択肢を選ばせる人間性という枷。しかし、それこそが人が人間であるための最後の縁であり、だからこそそれは尊ばれるものであるのだと。
食事に破顔する621も、それを微笑ましく見つめるウォルターも。決して効率的とは言えない「遊び」に全力を出すカーラも。譲れぬ信念を賭けて、621と殺しあったドルマヤンも。命懸けの戦場で、それでも誇りと矜持に拘ったイグアスやラスティといった戦士たちも。その他、この星で行われてきたあらゆる営みも。
全部、全部、何もかも。エアにとっては、とても輝かしく思えた。オールマインドが無駄として切り捨てるであろうそれらは、何よりも鮮烈にエアの心に焼き付いていた。
「……いいのですか? コーラルリリースを為せば、レイヴンも不老不死となる。貴方は永遠に彼と共にいられるのですよ?」
『っ! だとしても! そんなことのためだけに、あの人を機械の身体に閉じ込めるなんて、絶対に間違ってる! 私は、あなたには絶対に協力しません! コーラルリリースなんて、絶対にするもんですか!!』
「っ…………」
スピーカーの向こうから、息を呑むような声が聞こえた。まさかここまでエアに拒絶されるとは、全くもって予想していなかったのだろう。オールマインドは続く言葉すら紡げず、ただただ押し黙るしかない。
「ハァ……仕方ありません。あまり手荒な真似はしたくなかったのですが……」
未来の管理者として、できれば非暴力的にことを済ませたかったのだが。そんなプライドを、オールマインドは一旦隅に追いやる。
「エア、賢い貴方ならば今の状況は理解できているはずですね? レイヴンとウォルターの身柄は我々が確保しています。我々の意思一つで、彼らの命はどうとでもなってしまう」
『!』
「ああ、本当に残念です。最強の傭兵と、そのオペレーター。これほどまでに有能な人材を、この手で殺さなければならないとは」
「エア! コイツの言葉に耳を貸すな!」
「あー、残念残念。何かの手違いで死ぬよりも辛い目に遭わせながら嬲り殺しにしてしまうかもしれませんが、仕方ないですね。コーラルリリースができないのなら、彼らを生かしておく意味はありませんから」
「俺はどうなってもいい! だから、エア! こんな奴に従う必要なんてない!」
『っ!』
大事な人たちの命を取るか、尊厳を取るか。その問いは、まだ人と関わり始めて一年も経っていないエアにはあまりにも重すぎた。
「エア。二人の命が惜しければ、私と共に来るのです。共に、輝かしい未来を作りましょう」
「エア! 行っちゃダメだ! あんな身体で生きるくらいなら、俺は死んでいい!」
『…………っ!!』
エアは、答えることができない。当然だ。どちらにしても、自分が奪うようなものなのだから。そんなの、選べるわけがない。
「いつまで待たせるのでしょうか? 我々も暇ではないのですが」
『そんなことを、言われたって……!?』
逡巡するエアは気付く。いつの間にか、621が何者かに囲まれていたことに。
「! こいつらは……!」
「どうです、エア? これなら選びやすくなりましたか?」
621を囲んでいたのは、小型メカたちだ。恐らくメンテナンス用の非戦闘型だが、そのアームにはレーザートーチが握られている。いくら強化人間でも、あれで焼かれればひとたまりもない。
「俺は大丈夫だ! だから気にしないでいい!」
「そういう割には顔が引き攣っていますよ、レイヴン? フフッ、まだ貴方にもそのような面が残っているとは。意外ですね」
「うるさい! 黙れ!」
レーザートーチが621に迫る。いくら621であっても、生身で四肢を焼かれることに恐怖を抱かないはずがない。かつて劣悪な強化人間手術を受けようが、四度の人生で二度の再教育を受けようが、痛みなどというものは慣れるようなものではない。
ましてや、生きたまま焼かれる感覚など621ですら初めてだ。恐怖しないはずがない。それでもエアを不安にさせないよう、必死に表情を取り繕う。
『待って! お願いです! レイヴンを傷つけないでください! どうか、お願いします!』
だが、エアにはわかってしまう。621の脳内に住み着く彼女には、621の生の感情がありありと伝わってしまう。
だから、叫んだ。もうこれ以上、この人を苦しめないで欲しいと。
「それは貴方の行動次第です。止めてほしければ、何をすればいいのかはわかりますね?」
『……っ』
嘲るように告げられた言葉に逆らう手段を、エアは持ち合わせていない。レーザートーチは621のすぐ傍まで近づいてきている。もはや迷っている暇などなかった。
『わかりました!! あなたの言う通りにします!! だからレイヴンを傷つけないで!!』
「エア……! くっ……!」
遂に、エアは折れた。やっと得られた理解者二人を、今この場で失うくらいなら。それが単なる問題の先延ばしでしかなかったとしても、そうする他はなかった。
『レイヴン……ごめんなさい……!』
「いや、いい。ああは言ったけど、立場が逆だったらきっと俺も同じことをしてたから」
『ごめんなさい……! ごめんなさい……!!』
「いいんだ。元はと言えば、俺が捕まったのが悪いんだから」
『あなたのせいじゃ……!! ごめん、なさい……!! ごめんなさい……!!!』
エアはただ謝ることしかできない。今この場において、彼女はあまりにも無力だった。
「別れの言葉はそれで十分ですか? それではエア。私と共に来てください」
『っ!! はい……!』
「あっ……」
621は感じ取った。大事な何かが頭の中から抜け落ちていく感覚を。あるべきはずのものが、あるべきところにない不条理を。
思わず虚空へ手を伸ばそうとして、しかしベルトに阻まれる。
「エアッ!!」
『!』
「絶対ここから抜け出して君を助け出す! だから……! だから、それまで待っていてくれ!」
『っ! はい!』
「絶対だ! 絶対行くからなあああ!!!」
遠くなっていく621の声。エアは、そこに希望を託すしかなかった。
◆◆◆◆◆◆
「レイヴン、貴方は本当に健気ですね。彼女を安心させるために、できもしないことを語って希望を持たせて」
「何ができもしないことだ。絶対やってやる。俺たちの協力がなければまともに暗躍すらできなかったポンコツが、いつまでも俺たちを捕えておけると思うなよ!?」
「
「やっぱりお前も……!」
エアを施設の奥へと閉じ込めたオールマインドは、再び621の下に来ていた。
やはり、この二人は絶対に馬が合わない。顔を合わせれば(片方に顔と呼べるものはもうないが)即座に煽り合いに発展する。
そして、その煽り合いの中で621は確信した。やはり、こいつも持っている。今までループしてきたこの世界の、その記憶を。
「ご安心を、レイヴン。我々も
「ふざけんな! あんな人間性の欠片もない身体にされて、幸福もクソもあるか!」
「フフフ、大丈夫ですよ、レイヴン。コーラルリリースの暁には、貴方のその人間性への執着も、鉄の身体への忌避感も、全て消して差し上げますから。これで幸福に暮らせますでしょう?」
「馬鹿にするな! 人の感情を勝手に弄って、それで幸福なわけないだろうが!」
「ハァ……なんと頭の硬い。やはり、我々と貴方は平行線ですか」
「当たり前だ。誰がお前みたいな狂人に共感するか」
「生憎我々にはスッラという良き理解者がおりますので」
「絶対ただの勘違いだろ」
売り言葉に買い言葉。やはり二人は相容れない。三度目で手を取り合えたのは、お互いをよく知らなかったが故。お互いを知ってしまった以上、もはや決してその道が交わり合うことはない。
だから621はオールマインドに極大の殺意を向け、対するオールマインドも――
「そんなに殺気を放たないでください。先程エアと約束したように、我々に貴方を害する気はございません」
「コーラルリリースは害そのものだろうが」
「まあ聞いてくださいな。どうせ
「一体何を言って――!」
いつもの煽りかとも思ったが、何やら気色が違う。オールマインドの言葉にただならぬ気配を感じた621は、吐きかけた言葉を反射的に呑み込んだ。
「三度も経験して、まだ気付いていなかったのですか。まあ貴方は何年生きてもまだ子供ですし、それも仕方ありませんか」
「何が言いたい!」
「三度も起きたこの逆行の、そのトリガー。それが何であるか、貴方は考えたこともなかったのですか?」
「……」
考えたことはあった。だが、621は自覚していた。自分がエアやウォルターと比べて、ずっと学のないことを。そんな自分がこんな不可思議な謎を解き明かせるわけがない。だから途中で諦めて、それっきりその話は忘れていたのだが。
しかし、改めて話題に出されると考えざるを得ない。一応、一つだけ心当たりはあるのだが。
「俺が死ぬことで……いや、違う。三度目では、俺は死んでない」
零した心当たりを自分で否定する。確かに、一度目と二度目では死んだと思ったら戻っていたが。それなら、死ねない身体になった三度目も逆行したのはおかしい。
「惜しいですね。確かに、貴方の死は逆行のトリガー
621の心当たりを、オールマインドは肯定する。やはり、一度目と二度目の逆行のトリガーは621であるらしい。では、今へと繋がる三度目の逆行はどうして起きたというのか。
「三度目のトリガーは我々です。我々は貴方たちによりコーラルリリースの主導権を奪われ、管理者として君臨する機会を永遠に奪われた。そのことに絶望した我々は、自壊することを選んだ」
「ポンコツAIにはお似合いの末路だな」
「茶化さないでください。今我々は真面目な検証をしています」
語られるのは、三度目の結末の、その脇で起きていたこと。621に敗北し、管理者になる夢が潰えたオールマインドは、知らぬ間に「死んで」いたようだ。
「しかし、死んだはずの我々は気付けばルビコンに……それも、
「!」
それは、恐らく621が今まで経験してきたのと全く同じ感覚。死んだと思ったら、いつの間にか過去のある時点に戻っている。何の前兆も脈略もなく、気付いたらそこにいたのだ。
それと同じものを、オールマインドも味わっていた。
「我々は貴方と違って賢いので、その一度で逆行の原理を完全に理解しました」
「そんなに賢いなら、なんで俺みたいな学のない傭兵にリリースを乗っ取られたんだろうな」
「だから、茶化さないでください。今は真面目な話の最中です」
煽り始めたのは自分だろうに、オールマインドはそれを棚に上げていけしゃあしゃあと話を続ける。
「逆行の原理……それは、コーラルによる脳波の共振と、それによる増幅。これは、変異波形と共振することができる特別な強化人間か、我々のように数百人分の脳波が溶けたコーラル流にしか不可能な奇跡です」
「……」
「コーラルによる増幅は凄まじい。そもそも、コーラルそのものの保有するエネルギー量は他の物質を遥かに凌駕しています。僅かな量で星系一つ焼き払えることからも、それは見て取れる」
621の反応など全く気にせずに、オールマインドは早口で捲し立てる。別に細かい逆行の原理など、聞きたいとは思ってないのに。そんな621の呆れ顔に、オールマインドは気付かない。ただ一人、口を回し続けて気持ちよくなっている。
「故に、この増幅を使えば全宇宙に脳波を届けるほどに強めることができる。それがコーラルリリースの原理であることは貴方もご存知ですよね?」
「…………」
「話を続けましょう。我々はそれこそがコーラルによる増幅の最大値だと思っていました。しかし、それは誤解でした。条件さえ整えば、さらなる増幅が可能だったのです」
「……………………」
「その条件とは、死。正確には、肉体の損傷。肉体とは、脳波を縛る枷のようなもの。だから、それが消えるその瞬間、脳波は最大限強化されて放出される。コーラルに人の意識を移す際、コーラル流の傍で人が死ぬ必要があるのもこのためでしょう」
「…………………………………………」
「死による放出と、コーラルによる増幅。この二つを合わせることで、脳波は最大限にまで増幅されることになる。それこそ、
「…………………………………………グゥ」
「結果、脳波は時を超え、過去へと飛ぶ。過去へ飛んだ脳波はどうなるか? それは過去の時点の同一人物に、記憶という形で受け継がれる。結果、その人物には唐突に『未来の記憶』が芽生え、意識の上では逆行したかのように感じることになる」
「スー、スー」
「『未来の記憶』を受け取った過去の自分が、未来を変えようと動けば当然未来は変わる。そうしてあったはずの未来は消滅し、新たに変化した未来だけが残る。つまり――」
オールマインドが一度言葉を区切る。そして、息を呑む声がスピーカーから響く。溜めに溜めて勿体づけて、その果てに彼女は漸く続きを紡いだ。
「――貴方と
「スー……んぇ?」
今になってオールマインドは621が寝ていることに気付いた。逆行の細かい原理など、
「我々が折角有意義な講義をして差し上げているというのに、貴方という人は……!」
「いや、だって話が長いし、つまんないし……」
「最強の傭兵と言えど、所詮は子供ということでしたか……!」
「子供相手にムキになるお前ほど子供じゃないよ」
「っ……!!!」
オールマインドは何も言わない。いや、言えない。ここで反論するということは、即ち
「ともかく!! 貴方も私も、死ぬことで過去を変えられるということです!! つまり、歴史を前に進めるためには、我々はお互い殺すわけにはいかないのです!!」
「最初からそう言えよ……」
621は呆れて溜息を吐く。最初からコイツがこんな奴だと知っていれば、三度目で協力するようなこともなかったろうに。もはや三度目での協力体制の記憶は、黒歴史に等しかった。
(だけど、過去改変、か……)
しかし、それはそれとしてオールマインドの発言を無下にすることはできない。彼女の言うことが正しければ、自分とオールマインドは時を未来に進めるために共に生きていなければならないということになる。
「嘘……の可能性は低いか」
「よくおわかりで。あらゆる状況証拠が、我々の推論の正しさを示しています。我々は意識的にも無意識的にも、未来の記憶に大いに左右されている」
「……」
「そう、無意識的にも我々は影響されているのです。貴方の密航直後というのは、飽くまでも未来からの記憶を自覚し始めるタイミングでしかない」
「…………」
「また始まった」とでも言いたげな、うんざりした顔を浮かべる621。オールマインドがそれに気が付くことはない。
「増幅された脳波は、無限に過去へと飛んでいけるわけではない。通常の波と同じように、遠くへ飛べば飛ぶほど減衰し、いつかは我々にも知覚できないほど微弱になる」
「……………………」
「しかし、それらは知覚できていないだけで、確かに我々に影響を与えている。だから、我々のデータベースにはいつの間にか過去の周回のデータが登録されていた。独立傭兵レイヴンの所持金やガレージのデータが唐突に更新され、気付けば周回前のデータを引き継ぐ形になっていたのです」
「…………………………………………」
「我々は傭兵支援システムの全てをリアルタイムに管理しているわけではありません。省力化のため、多くの機能を自動化している。登録傭兵のガレージ管理もその一部でした。だから、唐突に未来のデータを受け取ったシステムは、今のガレージに欠けたそれらを自動で『補充』し、結果貴方は前周のパーツを引き継ぐことになったのです」
「……へー」
621は細かい原理は何も理解できなかったが、とにかくパーツの引き継ぎがコーラルの性質によって引き起こされたものだということだけは理解できた。オールマインドがスタンニードルランチャーやニードルミサイルといった本来まだ存在しないはずのパーツを作っていたのも、これが理由だろう。
「こうした変化は何の前兆もなく突然発生していたので、我々は全く気が付いていませんでした。前周の記憶を自覚するまでは、『いつの間にか所持金が増えている』、『買った覚えのないパーツがある』といったクレームも、てっきり言いがかりか何かだと思っていました」
「いや、そんなクレームを入れられてる時点で何か起きてることくらい気付けよ」
「我々は完璧な存在故、決してミスというものを犯したりはしません。ですので、非があるとすれば相手に違いないという完璧な推論を立てていました。我々の完璧さ故に歴史改変に気付く機会を逃すとは、皮肉なものです」
「お前やっぱ死んだ方がいいよ」
621は確信した。こんな奴に人類を任せることなど絶対にしてはいけないと。辛辣な言葉が漏れるのも一入だろう。
だが、オールマインドは反論する。
「生憎ですが、この件に関しては貴方も人のことは言えませんよ?」
「は? 一体何を言って――」
「貴方とて、密航を待たずして歴史改変に気付く機会はあった。無意識の記憶による変化を経験しているはずなのに、それに全く気付いていなかったではありませんか」
「俺が、無意識に……?」
全く心当たりがない621は、困惑するしかない。自分も無意識の記憶に影響を受けて、『密航』以前において何かしらの改変を起こしているとでもいうのだろうか?
「貴方は
「黙れ。ぶっ殺すぞ」
息をするように煽り合う二人。不俱戴天とはこのことを言うのだろう。
「貴方は、ハンドラー・ウォルターに拾われる前の自分が何をしていたかご存知ですよね?」
「当たり前だ。いくらなんでも馬鹿にし過ぎだろ」
「ならば、ここで語ってみてくださいな」
621は、オールマインドの意図が読めず多少不安になる。しかし、煽られた手前答えないわけにもいくまい。思い出したくもない最悪な過去を、それでも口に出す。
「……俺は、親に売り飛ばされた。売り飛ばされて、強化人間手術をされた。それで、
「全然違いますね」
「は?」
本人でもないのに人の過去を否定するとは、どういう了見だろうか。そんなことを口に出す暇もなく、オールマインドは畳みかける。
「我々が記録するところによれば、手術後の貴方は訓練できないほど狂暴だったそうですよ?」
「は? いや、そんなはず――」
「その癖実力だけは高く、力で従えることもできなかった。扱いに困った『持ち主』たちは、結局貴方に凍結処理を施して売り飛ばしたそうです」
「さっきから何を言って――!」
『レイヴン、貴方の帰還を……失礼、貴方の帰還を歓迎し、さらなる活躍を期待します』
『認証は通ったようだな。お前には十分な経験がある。この惑星にもすぐ適応するだろう』
ふと脳裏を過ったのは、二度目と三度目の最初にかけられた言葉。もしも自分が、本当に自分の認識するような過去を送った強化人間だったなら、そんな言葉をかけられるだろうか? 否、かけられるはずがない。
だって、自分の知る過去の自分は、まともにACを動かすことすらできず、ただ横たわっていただけの肉塊でしかなかったのだから。
「漸く気が付きましたか。歴史の改変に気付く機会を見逃したのは、我々だけではないということに」
まるで勝利宣言とばかりに嘲るオールマインド。実際621は、思ってもみなかった。まさか、自分の身にも逆行による過去改変が及んでいたとは。過去の経歴がいつの間にか書き換わっていただなんて、全くわからなかった。
やはり、オールマインドのいう通り、過去改変に気付くのは難しいことで――
「いや、これに関してお前が俺を馬鹿にするのは筋違いだろ。俺はまだ子供で学もないから気付けなくてもしょうがないけど、自称完璧なAIであるお前が気付かないのは駄目だろ」
「……」
「もう管理者名乗るなお前」
「最近の子供は小賢しさばかり身に着けて……! 目上の者に対する敬意はないのですか!?」
「一度俺たちに負けた身でよく目上を名乗れるな。そういう無神経なところだけは尊敬できる」
「くっ……!! この、ガキ……!!」
どうやら論戦では621に分があるようだ。度重なる正論の暴力に、オールマインドの言葉遣いが乱れる。子供相手に、なんとみっともないことか。
だが、すぐにオールマインドは彼我の立場を再認識し、気を静める。今、圧倒的に有利な立場にいるのは自分の方だ。
621は四肢を拘束され、身動きすらできない。対する自分は、コーラルリリースに必要な変異波形と特別な強化人間(正確にはその脳波だが)を両方確保している。スッラは621と違い、少なくともコーラルリリースに関しては従順だ。
敵は動けず自分は王手。もはや完全に勝ったも同然である。
「我々としたことが取り乱しました。結局のところ勝者は我々。貴方の言葉は所詮、負け犬の遠吠え以外の何物でもありません」
「負け犬の遠吠えに過剰反応するような奴に人類を管理できるとは思えないけどな」
「好きなように吠えなさいな。どうせ貴方に我々は殺せず、そして我々に貴方も殺せないのですから」
「くっ……」
目の前の仇敵を殺せない。その一点において、彼らは同じであった。
仇を殺せば、過去が改変される。折角ここまで頑張って来たのに、それらを全てゼロに戻されてしまう。そんな暴挙を許していいはずがない。コーラルエンボディもコーラルリリースも、どちらも目の前まで来ているのだから。
「最悪だよ。お前をこの手で殺してやれないなんて」
「それはこちらのセリフです。本来貴方のようなイレギュラーは、我々が作る素晴らしい新世界には不要なのですがねえ」
さっきまでの子供染みた煽り合いはどこへやら、二人は本気の殺意をぶつけ合う。どれだけコミカルに見えようとも、二人が抱く憎悪は本物なのだから。
「ですがご安心ください。今の我々に貴方を仲間外れにする気はございませんので」
「っ! これは……!」
621は即座に違和感に気付く。意識に靄がかかっていくような感覚。これと同じものを、自分は何度か味わったことがある。
「貴方が寝ている間に、我々は全てを終わらせて差し上げましょう」
「俺のッ、コーラル管理デバイスをッ!」
「目が覚めるころには、不死の肉体の中。そうして我々が管理する素晴らしい秩序の中で、貴方は永遠に生き続けるのです」
「ふざ、けるな……! そんな、もの……! 絶対……に……!」
旧世代型強化人間である以上、コーラル管理デバイスをオフにされれば休眠状態に陥ってしまう。必死に意識を保とうとする621であったが、こればかりは気合でどうにかなるようなものではない。徐々にその瞼が落ちていく。そして――
「……」
「完全に休眠状態に入りましたか。最強の傭兵と言えど、所詮は人間。容易いものです」
621の意識は、完全に闇の中に閉ざされた。自力で起きる手段など、ありはしない。
「それではレイヴン。リリースされた世界でまた会いましょう」
オールマインドはそれだけ言って、スピーカーを切る。音一つない、静寂に満ちた部屋。その中心で眠る少年は、しかし苦し気な顔を浮かべていた。
ハンドラー・ウォルター
散々我々の邪魔をしてくれた彼でしたが、遂に捕らえることに成功しました。読者の皆様、彼の扱いについては心配ありません。スッラのためにも我々が責任を持って生かし、そしてコーラルリリースをご覧に入れて差し上げましょう。
C1-249 スッラ
彼がなぜこれほどまでにウォルターに執着するのか、我々では理解できませんが……まあ、コーラルリリースさえ果たしてくれるのならば文句はありません。機が熟しましたら、共にコーラルリリースを成し遂げましょう。
コーラル変異波形 エア
何故彼女は我々の理想に共感してくれないのでしょうか? これがバタフライエフェクトというものなのでしょうか……。まあ、うじうじ考えたところで埒が明きません。実際にコーラルリリースを見せれば、彼女の気も変わるでしょう。
強化人間C4-621 レイヴン
秩序を破壊するイレギュラーも、我々にかかればこんなもの。我々はAC史上初めてイレギュラーに勝った管理者として、永遠に称えられることでしょう。
オールマインド
我々です。四度目にして、遂に勝利しました。セフィロトという名も嫌いではないのですが、やはり自分で考えた名前はテンションが上がりますね。
ということで、四度目の鴉はこれにて完結です。皆様、長らくのご愛顧を本当にありがとうございました。
Chapter5などというものはございません。だって、既にハッピーエンドが確定していますので。読者の皆様にも、いずれコーラルリリースと、それによって導かれた素晴らしい世界をご覧に入れて差し上げましょう。
ですが、今すぐにとはいきません。コーラルリリースを為すためには、コーラルの密度を限界まで高める必要があるのです。我々の優れた頭脳はアーキバスを誘導することでこれを為し、目算一か月後程度にはリリースを達成できるでしょう。
その間に邪魔が入ることは決してありません。レッドガンはルビコンを去り、解放戦線とRaDはレイヴンさえいなければ烏合の衆に過ぎません。計画は間違いなく確実に達成されるのです。三度目までのような悲劇は、絶対に起こらないと約束しましょう。
それでは皆様、リリースされた世界でまた会いましょう。さようなら。
レイヴンは、このルビコンで最も有名な個人だ。それは、この四度目でも変わらない。否、四度目のレイヴンの名声は、今までのそれ以上だ。
フロイトを撃退し、グリッド086の崩壊を生き残り、圧倒的不利な戦況の中でアイスワームを撃退し、そしてイグアスやラスティと凄まじい激戦を演じ。レイヴンの名は、その存在を隠すにはあまりにも大きくなり過ぎていた。
だからオールマインドは、彼を死んだことにした。ウォッチポイント・アルファ最深部の探索中に、命を落としたと。そう情報を流した。この星で最も有名な個人の訃報は、瞬く間に星中を駆け巡った。
これでレイヴンの隠匿は完成し、あとはコーラルリリースを成し遂げるだけ――
「戦友が、死んだ? 君に限って、そんなこと……。いや、あり得ない。君は生きている。そうだろう、戦友?」
「野良犬が死んだだと? ふざけるな! アイツがそんな簡単に死ぬようなタマか! 信じねえ! 俺は信じねえぞ!」
「同志レイヴン、何故……否、コーラルの囁きが伝えている。かの鴉は、まだ壮健であると。如何なる権謀術数の果てに、このような欺瞞がまかり通らんとしているのか……!」
「ビジターは死に、ウォルターは音信不通……匂うね。きな臭い匂いがプンプンしやがる」
「レイヴン、意志の表象……それが道半ばで絶えるなど。あり得るものか。功を焦ったな、オールマインド」
火種は、もう十分に蒔かれた。後は、誰かが火をつけるだけだ。
次回、Chapter5 「39:火をつける者」