異世界でもお前のパンチを見せてやれ!   作:Hetzer愛好家

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 如夢幻泡影。仏教において、夢、幻、泡、影のように、世の中は儚い物であるというたとえです。


如夢幻泡影の理想郷

 両隣から感じる、人体特有の温かさによって、少しずつ眠気が覚めていく。

 

 目覚まし時計を使わなくとも、日々のルーティン化によって形成された体内時計は常に正確だ。必ず、この時間に目が覚める。たとえ日曜日であったとしても。

 

「あ、起きた」

 

 俺の右隣から聞こえる、快活な調子の声。早い時間であっても元気だ、相変わらず。

 

「むう、もうちょっと寝顔を見たかったかも……」

 

 そして左隣からは、ちょっと不満げながらも、深い愛情を感じさせるフワリとした調子の声が耳に届く。

 

 朝から確かな幸福を感じる、〝理想的な〟ありふれた日常。今日もまた、スタートした。

 

「おはよう優花、優奈。毎日のように俺の寝顔を見てるが、飽きないのか?」

「「全く!」」

「そうかい。 ……やけに唇が乾燥してるな」

「それは優花お姉ちゃんがね」

「ちょ、優奈ちゃんもでしょ!?」

「ははっ、そこも相変わらずだなァ」

 

 軽く笑いながら、起き上がって窓の外を見る。本日も、気を失いそうなぐらい青く澄んだ、朝焼けの残る空だ。

 

 日課のランニングをするべく、サクッと着替えて髪を整えると、既に出発の準備を終えて寝顔を見ていた2人と一緒に外へ出た。

 

 3人で話せる程度のペースを保ちながら、ノンビリと街を走り回る。30分程度走って身体が完全に起きたら、帰り道の途中にある公園のベンチに座り、少し雑談してから、そのまま帰宅だ。帰りの10分は、優花と優奈それぞれと手を繋ぎながら。

 

 帰宅したら、レストランを経営している優花のご両親が用意した朝食を胃袋に収める。何とも贅沢なルーティンワークだ。

 

「それにしても、よく優花のご両親は俺の居候を許したよなァ」

 

 何度目になるか忘れてしまったが、思わずそう口にする。

 

 そう、俺は優花の家に居候している形なのだ。

 

 〝父親〟が早くに亡くなり、〝母親〟も体調を崩しがちで病院生活な事が多く、基本的に独り暮らしだったのだが。恋仲となった優奈と優花が、ご両親に相談をしたところ、居候をしたらどうだと提案してくれたのである。

 

 優奈も似たような事情から居候をしているのだが、彼女は優花の従妹だ。まだ分かる話である。

 

 だが、俺は赤の他人であるし、何なら異性だ。しかも二股野郎。居候や交際を許すどころか、そもそも提案すらしないと思うのだが……。

 

「ケンのファンだしね、2人とも」

「初めて顔合わせした時は、腰を抜かして驚いていたよな。でも、めっちゃ喜んでくれてた。しかも、優奈とも付き合ってる事も当然のように受け入れてくれたし。懐の広さヤバすぎるだろ」

「それだけ、ケンさんの人柄が素晴らしいって事なんじゃないかな〜」

 

 先に恋仲になったのは優奈である。母親と同じ病院に、心臓病の治療で入院していた彼女と、好みのゲームがたまたま同じだったという理由から会話をする仲になった。

 

 その後、母親の見舞いに行く際には必ず顔出しをするようになり、仲がどんどん深まっていって。優奈の心臓病が完治し、退院する日に、星が雨のように降り注ぐ夜空の下で彼女から告白されたのを、俺は受け入れた。

 

 ちなみに優花とは、優奈と恋仲になった翌日に知り合った。彼女が従姉を紹介したいと言って、話をする機会を設けてくれたのが始まりである。

 

 何故だか優奈は、俺が優花とも恋仲になる事を最初から望んでいたようで、事ある毎に俺と優花の仲が深まるようにアレコレしてくれた。

 

「優花お姉ちゃんとも一緒に幸せになりたいの!」と言う優奈の事を、最初はマジかと思ったものだが。数カ月もする頃には、魅力的な女性である優花にも惚れてしまい、〝リビング〟で2人きりになったタイミングで俺から告白してしまったのだ。

 

 返事はイエス。ただ、都合の良い女でも構わないと言われてしまったが。

 

 無論、二股とかいうヤベー事を貫き通すからには、優奈も優花も平等に愛するつもりでいたので、全身全霊で俺は2人を愛でている、つもりである。

 

 どちらが正妻か問題も、優奈が早々に「優花お姉ちゃんで!」と言ってしまったので、何かが起こる前に解決してしまっている。後は結婚資金を貯蓄しながら、法的に結婚が許される年齢になるのを待つだけだ。

 

 まあ、結婚資金の貯蓄はそこまでキツくなく、既に目標額の倍近くが銀行口座に入っているのだが。

 

 その理由は……

 

「そう言えばケンさんって、次の試合に向けて食事内容を変えたりはしないの?」

「ん、ああ。優花のお母さんが、その辺はしっかり管理してくれているよ。何せ、次はタイトル戦だからな」

「試合前の数日は、私が作るけどね」

「お、流石は優花お姉ちゃん。将来的に支える準備はバッチリだね!」

「……まあ、ね」

「照れてるお姉ちゃん可愛い〜」

「う、うるさいなっ」

 

 俺が、日本人で唯一の無差別級で戦うプロボクサーだからだ。ファイトマネーと、勝利時に手に入る金の量は半端ではない。

 

 また、優奈と共にスマブラのプロとしても活動しており、様々な大会で勝ち星を重ねているので、結構な額の賞金をゲットしている。ちなみに、何よりも嬉しかった優勝は、優奈とのダブルマックで位チーム戦を制覇できた時だったりする。

 

 優花は優花で、見習いのウェイトレスとして実家のレストランで働いているので、全員がお金を稼ぐ手段を持っている状態だ。3人とも物欲があまりないので、貯金は増える一方である。

 

「……っし、そろそろ練習行く準備するか」

 

 朝食を完食した俺は、歯磨きや荷物まとめを手早く済ませると、玄関口へ向かった。

 

 すると、靴を履いたタイミングで優奈と優花がニコニコと笑顔を浮かべながら、俺にギュッと抱き着いてきた。

 

 そして、両頬に落ちてくるキスの雨。局地的なゲリラ豪雨であるが、黙って受け入れる。羞恥心は随分と前に、サンドバッグに詰め込んで破壊した。もう何も怖く……いや、ちょっとまだ恥ずかしいかも。

 

 2人の顔が頬から離れると、明らかに物欲しそうな表情を浮かべている。

 

 何を求めているのか、わざわざ口にせずとも分かっている。俺は、さも当然のように2人の頬を撫でながら、返礼のキスを送ろうとした。

 

――ダメだ、止まれ!

 

「っ!?」

 

 だが、頭の中に響き渡った何者かの声が、俺の動きをピタリと止めた。

 

 その少しの硬直が、2人の顔しか眼中になかった俺に、時間の確認をさせる余裕をもたらす。

 

 何気なく見た腕時計は、急いで家を出ないと練習開始の時間に間に合わない時刻を指していた。

 

「うわっ、もうこんな時間か!? 本当に申し訳ない、2人とも。続きとお返しは全部夜で!」

 

 流石に遅刻するのはマズい。名残惜しさはあったが、俺は優花と優奈を押し退けて、玄関の扉を開けて家を飛び出した。

 

 離れる直前。2人の表情が、何故だか悲しそうな物ではなく。何処となく悔しそうな、忌々しそうな。そんな表情だったのが、不思議でならなかったが。すぐに練習に遅刻しないようダッシュする事で頭の中がいっぱいになったので、疑問はあっという間に彼方へと消えてしまうのだった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「いや〜、今日も疲れたねぇ」

「ホント。試合前なのは分かってるけど、やっぱボクシングはハードだよな」

 

 昼下がり。練習を終えた俺は、親友兼ライバルのハジメと一緒にジムを出ると、そのまま帰路につくのではなく、母さんが入院している病院へ行くために、少し離れた場所にある駅へ向かっていた。

 

「にしても、また腕を上げたよな、ハジメ」

「そう? お師匠様である君にそう言ってもらえるのは嬉しいなぁ」

「ボクシングを始めてまだ半年ぐらいだったよな。既に、ジムの中じゃトップクラスの実力じゃないか?」

「マックくんを除いて、ね。それに、デビュー戦をまだ迎えてないから、誰が何と言おうと井の中の蛙だよ。試合になれば、色々と変わるかもしれない」

 

 そう言って謙遜するハジメだが、いきなり国内トップレベルのボクサーが集まるトーナメントに参加しても、結構なところまで勝ち進めると俺は確信している。

 

 始めたばかりの頃は、俺とのトレーニングで毎日のように動けなくなり、経験した事のない筋肉痛に悲鳴を上げながら。それでも1日もサボる事なく、ひたすら努力を積み重ねる姿勢を見せていたのが、随分と前の出来事に感じる。

 

 ほんの半年前の記憶が、もう懐かしく感じてしまう程に、ハジメが急成長している証と言えよう。

 

 あまりの急成長度合いに、俺以外だとマトモなスパー相手にならず、結果俺ばかりと練習しているのが、唯一気になる点ではあるが……。

 

「じゃ、サッサと試合を組もう……とは言えないのが難しいんだよな、ハジメは」

「はは、いつもご迷惑をおかけしています……」

「いや、怒ってる訳じゃないし、勿体ないと思っている訳でもない。ハジメが追いたい夢だってあるだろ」

 

 試合で色んなボクサーと対戦し、対応力を身に着けて欲しいと思ってる俺だが、ハジメはゲームクリエイターの見習いとしての顔と、プロゲーマーとしての顔も持っている。

 

 ボクシングに集中すれば、今すぐにでも階級制覇を成し遂げてしまうような凄まじい才能を感じさせるが、彼の夢はプロボクサーとして勝ち上がる事ではない。

 

 オーナーはよく「浪漫あるボクサーなんだがな」と嘆いているが、同時に理解のある人物でもある。俺と同様にハジメ自身の夢を否定せず、好きにやらせている。

 

「そう考えてくれるから、僕もまた強くなれる。そう思ってるよ」

「相変わらずの素晴らしい人間性だ。ま、だから惚れ込む人間が多いんだろうが」

「ちょちょ、今それを話題に出す!?」

「傍観者目線で見る分には本当に面白いからな。いつでもネタは大歓迎だ」

 

 ハジメは俺以上にモテる。それはもう、世の男が怒り狂うだろうなってぐらいにモテる。しかも、美少女や美女限定で。

 

 白崎香織と八重樫雫。彼女たちは、俺とハジメが通う高校でも、特に人気の高い美少女である。当人たちはハジメにベタ惚れなので、他の男子生徒たちはノーチャンスなのが、こちらとしては面白くて仕方がない。

 

 他にも、外国からの転校生である、金髪がトレードマークのユエと、特徴的な〝ウサ耳型のカチューシャ〟を身に着けているシア。そして、学校の教員であるはずのティオ先生。近所に住む未亡人のレミアさんと、その娘のミュウ。全員がハジメに惚れ込んでいる。ミュウだけは、父親としてだが。

 

 高校生に対し、父親として惚れ込むのは如何な物かというツッコミは厳禁である。〝パパ〟呼びに対するツッコミもなし。だって面白いもん。

 

 最終的には、成長したミュウも含めて全員と結婚するのではないかとまで思っている。その過程で、嫁さん候補が増えたら、エンタメとして本当に面白いんだが。流石にこれ以上はないか?

 

「で、正妻問題や成人してからの計画は進んでいるのか?」

「……まあ、少しずつだけどね。娶る事自体は、内縁の妻とかいう便利な言葉があるから何とでもなるけど。金銭面がホントになぁ」

「ボクシングのファイトマネーや賞金だけじゃ足りないもんな、明らかに」

「全て超一流になれたら解決なんだけどね。流石に無理がある。プロボクサーとプロゲーマーの両立は、マックくんの事例があるから不可能ではないとしても、追加で超売れっ子のゲームクリエイターになるのは、ちょっとね……」

 

 そうは言いつつも、ハジメなら全てやれてしまいそうな気もする。単に弟子バカなのか、それともハジメが大成する未来を俺がキャッチしているのか。その答えは、神のみぞ知る、だ。

 

……神?

 

 何気ないワードだ。単体で見る機会はそこそこあるし、この文字を使った単語の数も多い。本来ならば、そこまで引っ掛かりを覚える物ではない。

 

 だが、何故だ。何故俺は、異様な引っ掛かりを覚えている。

 

 様々な感情を呼び起こそうとしているが、何者かによって無理やり抑制されている。そんな感覚だ。

 

 何だ。何を抑制されている。何を忘れている。

 

「マックくん? おーい、大丈夫?」

「ん、ああ、すまん。少し考え事をしてた」

「あー、タイトルマッチ前だからかな?」

「……そんなところだ」

 

 サラリと嘘を口にする。

 

 嘘を吐く事は、慣れている。昔から、「違う」と叫ぶ己自身に対し、無意識に暗示が掛かるまでに嘘を吐き続け、心を凍らせた経験があるから。

 

 そこまで考えて、また疑問が浮かぶ。

 

 心を凍らせる。そんな経験が必要な人生を、これまで歩んできたか? ここまで理想的で、心身ともに満ち足りているのに?

 

 1つ、波が防波堤を超えてしまえば、後はあっという間だ。立て続けに押し寄せる疑問の波が、やがて洪水を引き起こそうとする。

 

「……ハジメすまん。ちょっと急ぐ」

「え? どうしたのマックくん」

「乗りたい電車があるんだが、このペースだと間に合わなさそうだから。それじゃあ、また明日な」

 

 今すぐにでも1人になるために、嘘の上塗りを行って俺は走り出した。ハジメには悪いが、このままでは思い浮かんだ疑問が、その他の話題によって流されてしまう。そんな気がするのだ。

 

 少しの間、俺の事を追い掛けていたハジメだが、途中で気配を感じられなくなったので、どうやら諦めたようだった。流石に敏捷性と持久力で、彼に負ける訳にはいかない。

 

 念には念を入れて、駅の改札を通過してからスピードを落とした俺は、やや上がった呼吸を整えながら、再び思考を回す。

 

 確実に俺は、何かを忘れている。〝神〟という単語に対し、ここまで妙な胸騒ぎを覚えているのに、その理由がどうしても〝思い出せない〟のだ。

 

 心を凍らせるという考え方にも、嫌な胸騒ぎがする。実行に移した事がないはずの行為に対して、俺は漠然とだが恐怖を感じていた。実行すれば、どれだけ恐ろしい事が起こるのか。俺は、何故か知っている。

 

 電車に揺られながら、脳をフル回転させるが、どうも答えを導き出せない。

 

 目的の駅に到着し、降車して病院までの道中でも思考を止めずに考え続けたが、やはり分からずじまいであった。

 

「……気の所為、なのか?」

 

 病院で受付を済ませ、母が待つ病室へ足を運ぶ頃には、そう思うようになった。やはり、考えすぎだったのだろうか。

 

 首を傾げながらも、扉をノックしてから室内へ足を踏み入れる。

 

「あら、ケン。今日も来てくれたの?」

「………うん。来週は、試合で来れないから。だから、日本を発つ前に顔を見に来た」

 

 母の顔を見て、声を耳にした俺は、動かなくなりそうだった口を、何とか動かす事に成功した。

 

 収まりかけていた違和感が再燃し、強烈な胸騒ぎの発生を俺に認識させる。

 

(誰、だ?)

 

 いや、誰なのかは分かる。俺の母だ。

 

 だが、誰かが叫ぶ。違う、と。目の前でニコニコと愛おしげに笑う女性は、俺の母じゃないと。

 

 失礼にも程があるのは分かっている。本当に俺の母親であったら、この俺の疑問は唾棄すべき物であると言い切れるだろう。

 

 しかし。誰かがまた叫ぶ。一層大きな声で。

 

(違う。違う違う。この人は、俺の知る母親じゃない。俺は、顔も声も覚えていないだろうが。俺が知る親の顔は、1人だけだろ)

 

 顔も知らない。声も覚えていない。なら、目の前で俺が母親と認識した人間は、一体誰なんだ。そして、俺が知る親とは何だ。

 

「……父」

「え、お父さんがどうしたの?」

「ああ、いや。父は昔、何をやっていたんだっけ」

「あれ、話さなかったかしら。お父さんは、昔は凄いボクサーだったのよ。ケンと同じね」

「俺と、同じ……」

 

 ボクサーの父。その言葉が耳に入った瞬間、俺は酷い頭痛を覚え、思わず頭を抱えた。

 

――何で、アイツが死んでお前が生きてるんだ!

 

 声が、聞こえる。

 

――スパーリングの時間だ、立て。 ……嫌だと? テメエ、誰に向かって物を言ってやがる?

――このクソガキぃ!

――やっと、見つけたぁ。

 

 次々と再生される。忌々しい記憶が。

 

 冷や汗が噴き出し、何も問題がないはずの心臓が、異常な速度で早鐘を打つ。

 

――死ね。死ね!

 

 拳を握る。血が滲むぐらいに。

 

 脳を焼き尽くすぐらいに燃え上がった殺意が、全ての記憶を呼び起こす。

 

 真っ先に思い出した感情は、強烈な殺意。ドブカス未満の存在と成り果てた、俺の父親に対する殺意だ。

 

 同時に、その殺意は俺自身にも向けられた。

 

……バカか、俺は。あれだけ大言壮語をしておいて、忘れるとは何たるザマだ。

 

 死ね。死ねよ大馬鹿者。何よりも大切だと口にする恋人たちを忘れるバカ野郎が。

 

「ケン?」

 

 心配そうに、俺の顔を覗き込む母。

 

……いや、偽りの母。

 

「……帰るよ、俺」

 

 背を向け、扉に向かって歩き出す。

 

 だが、後ろから声が飛ぶ。心配そうな調子の声だ。

 

「ケン、何か変よ。体調悪いの? 大事な試合前なんだから、絶対に無理したらダメよ」

 

 足が止まった。

 

 瞳から零れ落ちる涙。随分と昔に欲したが、絶対に手に入らないと早々に諦めた物だ、それは。

 

「こっちにおいで、ケン。貴方の母親として、今のケンの様子は見過ごせない」

 

 母の愛。本来なら、永遠に手に入る事がない。

 

 だが、ここで振り返って、彼女の言う通りにすれば、手に入る。あの時は手に入らなかった〝愛情〟が、今なら。

 

 後ろ足を引いて、ゆっくり振り返ろうとする。

 

――〝約束〟するよ。必ず、勝ち上がってみせる

――……ありがとう、ケン先輩っ

――いつまでも、見ていてくれよ。君の笑顔を絶やさないって〝約束〟する

――うん……うんっ!

 

 流星のように煌めいた、とある日の光景。

 

 たとえ、永遠に俺を縛り付ける呪いとなったとしても。俺はあの日、何があろうと〝約束〟を必ず果たすと誓った。

 

――気に食わないなら、貴方から捨てても構わない。だけど、その日が訪れるまでは。ケンの1番近くに居座らせて。

――俺からも、頼みたい。君が飽きたと感じたら、容赦なく捨ててくれ。だが、その日がくるまでは。優花の1番近くで過ごす権利をくれるか?

 

 もう1つ、流星のように思い出が強く煌めく。

 

 あの時は、こんな都合の良い男風に告白してしまった。到底釣り合う男であるとは考えていなかったから。

 

 だけど、彼女は。優花は、涙を目に浮かべながらも、可憐な花のように優しく微笑みながら答えてくれた。

 

――捨てる訳ないでしょ。こんな良い男を。

 

 その笑顔に、完全に落とされた。

 

 優奈の時もそうだ。少し頬を紅潮させながら、俺だけに向けてくれた最高の笑顔が、取り返しがつかないぐらいに俺の脳を焼いた。

 

「ごめん。どうしても、行かなくちゃいけないんだ」

 

 また、完全に背を向けた。

 

 もう迷わない。俺は、この試練を乗り越えて、先に行かなければならない。

 

「ケン、お願い待って。大切な息子が泣いているのに、指を咥えて見送るだなんて、私はできないの」

「……そうだな。そう口にするよな。俺が望む母親像通りだよ」

「っ、貴方気がついて――」

「気がついたのは、本当についさっきだよ。随分と優しい、理想通りの、仮初の世界だった。どんなロジックなのか完全には分からないけど、大方最初の転移陣で読み取った情報を元に作ったとかだろ。それも、ただの理想郷じゃない。そこに、本人の〝もし、こうだったら〟という、叶うはずのないIFを付け足し、より理想的な世界を作り出していた。誰でもこの理想郷に囚われる可能性がある、嫌らしいコンセプトの試練だったよ」

 

 今の自分に納得できない人間ほど、この試練を乗り越える事は困難となるだろう。

 

 おそらく、神々がこちらを籠絡するために見聞きさせる甘い誘惑に、呑み込まれる事なく打ち勝つ練習をさせるための試練なのだろうが、底抜けに意地が悪い。

 

「……どうして。この世界に留まる限り、貴方は苦しい思いをせずに済む。理想通りに事が進む。現実に戻っても、待っているのは苦痛を覚える感情ばかりなのに」

「確かに、そうだな。この世界から出れば、優奈や母さんが生きていて、父によって人生を狂わされる事もなく、殺人を経験した事のない理想郷は、泡沫の夢と共に消える。けど、それで良いんだ」

 

 扉に手を掛ける。遠くから、ガラスにヒビが入ったかのような音が、断続的に俺の耳に入ってくる。理想郷が崩壊する予兆だろう。

 

 口元に笑みを浮かべると、俺は一気に扉を開け放った。

 

「俺が現実世界で得たのは、己自身をも焼き尽くし、そして斬り裂く冷たい〝殺意〟だけじゃない。それだけの話だよ」

 

 何もかもが上手く行く。そんな理想郷を捨ててでも、俺は現実世界に帰りたい。

 

 辛い事も、苦しい事も沢山あった。忘れたいと思うような経験も、これまで何度も経験した。

 

 だけど。そんな茨の道を乗り越えた先に掴んだ、絆の証。それまでの過程。その全てを捨てるなんて、暴挙は、俺にはできない。

 

 病室の外へ出ると、壁や地面にも無数の亀裂が入り、そして一瞬で砕けた。

 

 ガラスの破片のように世界の欠片が宙を舞う。キラキラと光るそれらは、まるでダイヤモンドダストのよう。

 

 世界が壊れた事を認識した俺は、何気なく上を向く。

 

 そこには、満天の星空に一際大きく輝く、純白色のワームホールらしき物体があった。

 

 虚空を蹴り、ワームホール目指して跳ぶ直前。どうしても言いたかった言葉を、俺はその場に残した。

 

「……偽物とは言え。大迷宮の試練とは言え。もう1度母さんに会えて、嬉しかったよ。それだけは、感謝する。ありがとう」

 

 それだけ告げて、俺は足に力を込めて、その場から跳び上がった。

 

「頑張れ、ケン。応援してるからね」

 

 声が聞こえても、涙が零れ落ちて流星のように尾を引いても、俺は振り返らなかった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 姿が完全に消えたケンと入れ替わるようにして、仮初の世界の跡地に何者かが現れる。

 

 男性とも女性とも取れる中性的な姿を持つそれは、開口一番「すまない」と口にした。

 

「辛い役割を担わせてしまったな」

 

 ゆっくり、首を横に振る。

 

 偽物だと言われようと、顔や声を忘れられていたとしても。2度と顔合わせできないと諦めていた、最愛の息子とまた話せた。それだけで、十分だ。

 

 ああ、でも。全てを乗り越えた息子に、殴り飛ばされる覚悟はしてもらいたい。

 

 きっとあの子は、自分が辛い目に遭った事よりも、大切な人を泣かせてしまった事に対して強い怒りを覚えるタイプだから。

 

「元より、そのつもりだ。あの者の気が済むまで、我は拳を受けよう」

 

 神に二言はない。それを知る私は仄かに笑みを浮かべてから、眼前に出現した冥府への扉へ、足を踏み入れるのだった。




 人生を壊すキッカケである父親は没していて、代わりに優しい母親は病弱ながらも存命で、優奈ちゃんは心臓病が完治している。切磋琢磨できるライバルであるハジメくんが同じジムにいて、愛した2人の女性と親公認の付き合い。何もかもが理想通りですね。

 そう言えば、愛子先生のフラグだけ立ってないので、地味に焦っていたり。王都襲撃の被害が抑えられたしわ寄せが、ここになって牙を剥くとは……。
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