異世界でもお前のパンチを見せてやれ! 作:Hetzer愛好家
いくらシリアスの方が筆が乗りやすいとは言え、これは中々酷い。ありふれ時空なら行けるだろ感が出てるのもまた酷い。
目を覚ますと、俺は実家の薄汚れた床ではなく、柔らかく温かみのあるベッドに寝かされていた。
何が何だか分からず困惑する俺を置き去りにして、見張っていたであろう人たちが慌ただしく動き出す。
俺に体調はどうだ、痛い場所はないかと尋ねてくる人もいれば、発言の度にペンを動かす人もいるし、どこかと電話をしている人もいる。皆が目には悪意を全く浮かべていなかったのが、逆に俺からすると不気味であった。
身近にドブカスと評せるだけの父だったり、善人とは言えない部分が多い師範代と長く過ごしていたのもあって、当時の俺は混じり気のない純粋な善意を簡単には信じられない状態だった。無条件に信じろ、と言う方が無理がある気がする。
「ここは?」
俺の質問に、最も近くで俺を見ていた人が答えた。
「児童養護施設だよ。保護者がいない子どもたちの家代わりになる場所って言った方が分かりやすいかな?」
「保護者のいない……?」
自分には父が一応いる。そう続けようとしたが、意識が落ちる直前の記憶を掘り起こした俺は、何となく何があったのかを理解した。
あの扉の開閉音は、父が家を出た際の物なのだと。その後、奴は家に帰らなかったのだと。
聞いてみれば、俺は保護されてから1週間以上は眠っていたらしく、随分と色んな人に心配をかけていたようだ。
極度の心的ストレスによって眠っていただけのようで、数日だけ病院に世話になった後は児童養護施設の方へ移転してきた話も聞かされた。
「父は、行方不明になったんですか? それとも、何らかの形で見つかったんですか」
「……一応、見つかりはしたね。けど、君はこうしてここに座っている。これ以上のコメントは控えさせてもらうよ」
なら、野垂れ死んだかホームレスとなったか。何にせよ、俺を育てられる状態ではない事が分かった。いやまあ、元から育てられるような環境ではなかったけど。
父に対する興味が急速に失せていく。憎悪や怨念めいた感情を抱いてはいたが、顔を合わせる機会が著しく減ったと分かった瞬間、もはや生きてようが死んでようが何でも良い人物となったのだ。
ドブカスの事から興味が失せた次に思い浮かべたのは、俺を鍛えてくれた師範代である。父に勝てたら、病院に連れて行ってくれると約束してくれたのだが……。
だが、児童養護施設がどこにあるのか聞いた俺は、当面の間は師範代と会うのを諦めた。地理はそこまで詳しくなかったが、県を移動しているのは分かったのだ。当時小学生の俺には、県を跨いだ移動は流石に厳しい。
取り敢えず、次会える日まで自主鍛錬は欠かさずにやろうと決めた後は、ひたすら施設についての話をされた。どんな規模の施設なのか、どんなルールがあるのか、通う小学校はどこなのか等々。どれも今後生きていく上で重要な事ばかりだったので、めっちゃ真面目に話を聞いてたと思う。
トントン拍子に話が進んでいき、職員に連れられて施設の食堂へ入った俺は、そこで施設内の人たちに向けて自己紹介を行った。施設で世話になっている子どもは8人らしく、それぞれ年齢も性別も違ったのが印象的だった。
下は幼稚園児、上は中学生ぐらいまでと、結構幅広い人が共同生活を送っているようで、飛び交う会話の内容も年代に合わせてかなり違ってくる。俺は施設の子どもの中では中央値の年齢だったので、どちらの会話にも混ざりにくく感じたものである。
そもそも、師範代以外の人間とマトモに会話したのが久しぶりすぎたのも要因の1つだ。これだけは近所に悪い噂を常にされている師範代をほんの少しだけ恨んだ。もっと人付き合いを良くしてくれたら、同年代の人との会話もできたかもしれないのに、と。
同年代の子どもとの会話が圧倒的に不足している弊害は、小学校に通うようになってからは特に顕著に現れた。
転校生として教室に入り、自己紹介したまでは良かった。だが、その後のクラスメイトからの受け答えで俺は失敗した。どの質問に対しても、めちゃくちゃ素っ気なく答えてしまったのだ。特に「住んでるのはどの辺り?」に対して「施設」と答えた後に、「うっわ、施設育ち!?」と言われた奴に「それが何? 悪い? 悪いなら何が悪いか教えろ」と詰め気味に答えたのが良くなかったと思う。
腫れ物を扱うかのようなクラスメイトの態度は、最初の頃だけは結構心に来た。これまでは通う事すらできなかった小学校で、やっとマトモに子どもらしい生活を送れると、心の奥底で密かに期待していたのが原因だ。すぐに持ち直し、全く気にしなくなったが。
その代わりと言って良いのか分からないが、施設の子どもたちとはトラブルを起こす事なく人間関係を構築できた。境遇が近い人間同士だから、あまり気を遣わなくても大丈夫なのは個人的に楽だった。
特にちびっ子たちには、鍛錬してる様子を見られて勝手に「僕もやる!」と言われて真似されたり、実用性があまりないけど見栄えは良い技の動画を見せられて「やってみて!」とせがまれたりと、割と懐かれていたと思う。
年上と仲が悪かった訳でもなく、勉強を教えてもらったりオススメの本を貸してもらったりと、本当に普通の人間関係を構築できていた。これを小学校で本当はやりたかったと考えてはいたが、無理だった物は仕方ない。サクッと諦めよう。そうバッサリ割り切れてしまうだけ、俺は他の子よりメンタル状況はマシだった。
割り切れない子たちの方が数としては圧倒的に多かったのだ。毎晩、誰かしらが泣きながら施設の職員に泣きついていた。年上も年下も関係なく、「施設育ちだから」と白眼視されて除け者にされる事は、相当に辛かったらしい。
「君の〝強さ〟が羨ましい」
何度か年上の人にそうやって言われるぐらいに、俺の割り切りの良さは異質だったようだ。
ちびっ子たちに懐かれたのも、差別に負けてないように見える〝強さ〟に惹かれたのが少なからずあるらしい。日常のように泣いている人がいる中で、ただ1人どこ吹く風と我を崩さない者がいたら、そりゃあ嫌でも目に入るだろうし、ちびっ子からしたら強い人って風に見えるのも分からん話ではない。
実態は〝強さ〟ではなく、単に〝諦め〟とも言えるんだがな。これ以上傷つかないための防衛策とも言えるけど。
だからこそ、なのか。
基本的に差別されようと除け者にされようと、全く気にしない風に見せている俺が、何の迷いもなく拳を振り上げた時には大層驚かれた。
施設へ移されてから、初めて人を殴ったのは。いつもと同じように泣きながら、しかし普段とは違って誰にも何も言わず年上の女子が施設へ帰ってきた時の事だった。
彼女は中学3年生で、受験を間近に控えていた。かなりの努力家であり、進学校へ行くためにも毎日食堂に居座って猛勉強していたのだが。日を跨いでも食堂に姿を現さず、ずっと自室に引き籠もっていた。
「自室だと娯楽が多くて集中できないから」と言って、職員に止められるギリギリのギリギリまで勉強している彼女が、日を跨いでも一向に食堂へ来ないのは相当な異常事態である。
職員はもちろん、俺を含む子どもたちは皆が心から心配して、彼女に何があったか聞き出そうとした。だが、彼女は何も話そうとしない。分かった事と言えば、どの年代であっても男子が近寄ると病的に震える事ぐらいだ。
結局、本人から何があったのかを聞き出す事は叶わなかった。だが、意外とすぐに何があったのかを知る機会はやって来た。
あれから何日か経過して、彼女は前と変わらず勉強をするようになったし、学校へも普通に行くようになった。だが、目の奥には常に恐怖の色を浮かべていたのが、どうも気になって仕方がなかった。しかし、聞いても答えてくれるような状態でないとも感じ取っていたので、聞こうにも聞けずじまい。モヤモヤした物を心に抱えて日々を過ごしていたので、ちょっと鬱屈した気分だった俺は、気分転換のために通学路から外れた公園に寄り道をした。
そこで、思いがけない形で答えを得るとは全く思わずに。
公園には、何故か先客として件の彼女がベンチに座っていた。ソワソワと辺りを見渡している。
「何してるの?」
「っ、え。マックくん!?」
俺が声を掛けると、彼女はビクリと大きく肩を跳ねさせた。相当驚いたようで、声も酷く上擦っている。
あまり近いと震えが止まらなくなるので、ある程度距離を離した状態で俺はもう1度尋ねた。何をしてるの、と。
「ま、待ち合わせだよっ」
それにしては、様子がおかしい。
ただの待ち合わせで、そこまで恐怖の色を瞳に浮かべる物か? 答えは否だ。
「ほ、ほら。早くマックくんは帰らなきゃ! 寄り道なんかダメだぞ!」
「……あなたは、ダメじゃないの?」
「そこは……あれだよ、私は中学生だからっ。マックくんより少しだけ大人だから、ちょびっとなら許されるの! それよりも、早く帰った帰った! もうすぐ、あの人たち来ちゃうから、さ……!」
あの人たち。そう口にした途端、彼女の震えが激しくなった。
小学生でも、バカでも分かる。〝あの人たち〟が、彼女に何か酷い事をしたのが。
単なる好奇心もあるが、それ以上に俺は彼女が心配になった。見るからに顔色が悪いし、明らかに恐怖しているのを無理やり笑う事で誤魔化そうとしている。
頭の中から、俺は〝帰る〟の選択肢を消去した。
「嫌だ、帰らない。あなたが心配だ」
「っ、お願いだから言う事を聞いて! 私は大丈夫、だからさ!」
「大丈夫なら、何で泣いてるの」
涙を流しながら、それでも何とかして俺を帰らせようとした彼女は、不意に口をギュッと閉じた。
瞳孔はこれでもかと言うぐらいに開かれ、カタカタと身体を震わせている。その目は、もう俺の事を見ていない。
視線を辿って背後を見ると、制服を着た男子が3人こちらへ歩いてくるのが見えた。中学生か、高校生かの判断はできなかったが、1つだけ分かった事がある。
奴らが件の彼女を見た時、顔面に張り付いていた表情が、俺の父親とそっくりだった事だ。
弱者を虐げる事にしか人生の価値を見出だせない、ドブカスと全く同じ表情を目にした俺は、自然と身構えていた。
「ああ? 何だこのチビ」
「いっちょ前に構えてるけど、お前何歳だよ。おいクソアマ、まさかこいつに喋ったんじゃねえよな?」
「え、どうするよ。他所に色々喋られたら面倒だし、死なない程度にやっちゃうか?」
「「賛成」」
腹は決まった。慈悲を持ち合わせる必要はない。
ドブカスを殴った時の嫌な感触がフラッシュバックするが、嫌悪感を無理やり捻じ伏せる。
人助けなんて、高尚な目的なんか持っちゃいない。
強きを挫き、弱きを救うなんて事は考えてない。頭の片隅にすらない。
ただ、その顔を見たくなかった。
その表情を見るだけで、無性に顔を潰したくなったのだ。ドブカス未満の父を想起させるから。
心の深いところで残された、決して癒える事のない父へのトラウマ。それが、この時の俺が拳を握る理由であり、戦闘を決意させるための起爆剤でもあった。
戦う理由としては、あまりにも脆弱すぎる。義の道を進む者には激しい怒りを向けられ、邪の道を進む者には笑い飛ばされるだろう。
それでも、躊躇せず渦中へと飛び込んだ。
「ダメ、逃げて!」
最後まで俺を心配してくれた彼女に、心の中で謝る。
多分、怖い光景が広がるから。今すぐ逃げた方が良いのはあなたの方だよ、と。
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1度渦中へ飛び込んでしまえば、後は早かった。
施設育ちの人間は、普通の家庭で育った人間より劣っているから何をしても良いと考えていたクソ共をブチのめしたのが、結果的には良くない方向へ転がった。
俺が手を上げたのが、治安が悪い事で有名な中学校内でも、特に問題視されている奴らだったのもあって。ひたすら奴らの報復とやらに付き合わされたのだ。
最初は俺を狙うだけで、来たのを返り討ちにするだけだった。警察の世話にはなりたくなかったので、手心を加えて一撃で脳を揺らす事で気絶させるだけに留めていたぐらいである。
だが、奴らが施設の人をも巻き込もうとするようになってからは、容赦なく身体へダメージが残るような殴り方をするようになった。特に多かったのは、鼻を潰して顎を砕く事による無力化だ。蹴りに右フックを合わせて、膝を粉砕する事も結構多かったと思う。
素手では敵わないと奴らが理解してからは、平然と凶器を持った輩に襲われるようになった。それでも、俺は拳1つで勝ち続けた。
仮に負けでもしたら。考えるだけでも恐ろしかった。俺が傷つくのは良いが、施設の人が傷つけられるのは嫌だった。だから、無意味な戦いによって荒み傷ついた心の悲鳴を無視して必死に戦った。
戦って、戦って、戦い続けて。気がついたら小学校を卒業して、中学生になっていて。それでも、俺の日常が変わる事はなかった。歳を重ねれば重ねるだけ、大きく逞しくなる身体が。不必要なまでの理不尽な強さと、俺自身は全く望んでいない争いを呼び込んだ。
他県に移動する暇もなくなる程、毎日俺は誰かの顔面を殴っていた。外に出たら、必ず喧嘩を吹っ掛けられた。それが1人だろうと、誰か他の人と一緒だろうと関係なしに。
年単位で時間が経過しても、報復だと俺を襲う輩もいた。
単に噂を聞いて、気に食わないと喧嘩を吹っ掛けてくる輩もいた。
強くなってしまったが故に、俺はアングラな世界を生きる奴らの間では有名になってしまったのだ。
その弊害は、体調面に大きく影響する事になった。
本来なら、父を殴った後に師範代が病院へ連れて行ってくれるはずだった。しかし、色々と不都合が重なった結果、俺は病を治すどころか悪化させていく事になってしまった。中学生になった頃には、何もしなくても息が苦しいと感じる状態で、喧嘩の度に限界を超えなければならなかった程である。それと、勉学も両立して普通に取り組んでいたのもあって、体調を回復させる時間を全く確保できなかったのも原因の1つだろう。
勝ちはした。何があっても、俺はダウンする事なく勝ち続けた。呼吸がマトモにできなくて、酸欠で視界が明滅しようと。遂には恒常的に走る事が困難になっても。足と腕が動く限り、喧嘩には負けなかった。
ある男と出会うまでは。
中学3年生に進級する直前の、春休みの出来事だ。
いつものように襲われて、それを返り討ちにして。肩で息をする俺に、男は背後から声をかけてきた。
「お前が、〝闇の鉄拳〟と称される拳士か?」
その男を、俺はよく知っていた。様々なメディアで、凶悪なテロリストとして連日連夜報道されていからである。今じゃその疑いは晴れているらしいが、行方知らずと今度は報道されていた。
浮浪者のような身なりをしており、人相も写真で見た時より痩せこけている。だが、身に纏う空気はこれまで喧嘩してきたどの男よりも鋭く、練り上げられた気が炎のように立ち昇る様子を俺は幻視した。
喧嘩が終わった直後で、息が苦しく気も相当に立っている状態だった俺だったが、男の持つ異様な空気から不用意に手出しをしてはいけないと思い、口を開くだけに留める。
「テロリスト、じゃないんだったか。確か冤罪。そんな男が何の用だ?」
「まだ噂は払拭されてないのか……いや、今はそこまで重要じゃないな。たまたま喧嘩しているとこを見かけたんだが、見ているうちに俺と手合わせをしてもらいたいと思ってしまってね。どうだ、一戦だけ拳を交えないか?」
「メリットを感じない」
「そう言うなって。お互い、更に強くなれるチャンスかもしれないだろ?」
「ハァ……一戦だけだな? 悪いが、それ以上は付き合わないぞ」
「はは、約束は守るさ」
簡単に断れる空気ではなかったのと、意識を繋いでおける時間がそこまで長くないと悟っていた俺は、軽くため息を吐いて頷いた。
早めに終わらせて、サッサと安心して倒れ込める場所へ移動しなければ、俺の命はない。そう考えての行動だった。
冷静に判断ができる状態なら、何を言われても断ったと思う。そのぐらい、酷い状態だった。構えを取った時点で、既に意識が途切れ途切れとなっていたぐらいだ。
それを悟られたら終わる。持ち前の気合と根性で腹に力を入れ、喉元までせり上がった鉄錆の味がする液体を無理やり押し戻す事で、全身に不快感が走る。だが、意識はこれでハッキリとした。
「……行くぜ!」
先に仕掛けたのは男の方だった。
一気に間合いを詰めたかと思うと、見てからでは反応が間に合わないスピードで次々とキレの良い拳打と蹴りを繰り出す。
ヨロヨロとしか動かない役立たずな足には早々に見切りをつけ、攻撃を躱すのではなく打ち落とす方向へシフトチェンジ。多少の被弾は気にせず、男へ相打ち上等でダメージを与える事に集中する。
受けの思考を完全に捨て去り、攻撃に合わせてこちらも出力の高い拳打を叩き込む事で、何とか戦闘が成立するようになった。
「おいおい、初手から相打ち上等かよ! 魅せてくれるじゃねえか!」
驚いた風な口調で言いながらも、全く余裕を損なっていない。それもそのはず、ダメージは俺の方が深いからだ。
蓄積疲労に加えて、男の攻撃が打ち落としても俺にダメージが残る程に鋭いのが原因である。骨の芯まで届く蹴りの衝撃は、師範代の拳打と似通う物があった。
懐かしさと同時に蘇る、ガードが意味を成さない恐怖心。師範代との鍛錬で体験済みだったから、そこまで取り乱す事はなかったが。完全な初見だったら。そして受けの思考を捨てられなかったら、一瞬で勝負は決まっていただろう。
幸運にも、俺は知っていたから何とか対応できた。しかし、長々と戦闘していたら負けるのはこちらだ。絶対に勝てない。
相打ち上等とは言ったが、長期に渡って殴り合えば、先に体力が尽きるのは間違いなく俺である。万全の体調だったとしても、それは変わらなかっただろう。
この不利状況を覆すには、リスクも成功した際の期待値も高いカウンターしかなかった。
一撃。一撃だけでも、相打ちではなく綺麗にカウンターヒットを決められたら。そう考え、打撃の衝撃を耐え忍びながら、俺は虎視眈々と待って、待って、待ち続けて。
「食らいやがれっ!」
遂に、そのチャンスは訪れた。
左のパンチを外した俺を、男は隙ありと見て強烈な飛び打ち下ろし蹴りを繰り出した。どんな原理なのか、足先には炎を纏いながら。
飛び蹴りは基本的に発生するまでの隙が大きいのだが、男のはそれに当てはまらない。いつ地面を蹴ったのかさえ、俺には見えなかった。
だが、左のパンチを敢えて外す事で後隙を減らしていた俺は、蹴りが振り抜かれる寸前に回避行動を開始する事に成功する。
個人的には相当に後隙を削ったつもりだったが、それでもギリギリだった。上体を引いた俺の目と鼻の先を、男の蹴りが通過した。炎の熱が顔付近を包み、めちゃくちゃに熱い。
それでも、俺は怯まずにコンパクトな右フックを繰り出した。千載一遇のカウンターチャンスを逃したら、もう絶対に勝ちは拾えないだろうから。
右フック……師範代が〝忌怨拳〟と呼称していたこの技は、カウンターで頭部にヒットさせた時のみ扱える連携コンボがある。
独特な足捌きである〝霧足〟で崩れ落ちる相手を追いかけながら、最短効率で右ショートアッパー〝最速風神拳〟を叩き込むと言う物だ。
カウンターヒットさせられたところで、相手が怯んで崩れ落ちるのはほんの一瞬だけ。その方向を見てから判断し、なおかつ最速でショートアッパーを繰り出すと言う難易度の高さから、俺は実戦で成功させた事は1度もなかった。大抵アッパーを外し、その後のリカバリーで無理やりハンドボールのジャンプシュートのようなモーションでパンチを叩き込む事がほとんどである。
しかし、狙うだけの価値はある。決まりさえすれば、頭部を集中して狙う拳打を何度も叩き込む関係上、人間相手ならば確実に気絶まで持っていけるからだ。
師範代クラスの相手に、仮に外しでもしたらまず間違いなく負けるだろう。体力的にも限界が近く、視界は明滅している上に心臓の拍動音が尋常じゃないぐらい大きく、そして速い。まるで、命の危機を知らせようとする身体が裂けんばかりの声で発した悲鳴だ。
だが、死が目前にある事をハッキリと認識した脳は、何としてでも生き残るべく、驚異的な集中力の発揮を俺に強制する。
ボンヤリと。更に明滅した視界。その中で、拳打を受けた男が崩れ落ちた方向を、俺の目は確かに、ゆっくりと捉えていた。身体も勝手に動き出し、異様に重たかったのが嘘みたいに一瞬で間合いを侵略。今まで到達する事がなかった、右ショートアッパーをブチかますのに最適な位置にまで俺の身体を運んだ。
「ドリャッ!」
およそ拳から出たとは思えない炸裂音と共に、男の身体が宙に浮かび上がった。
連携が成功したと判断し、俺は今までにないぐらい大きく足を踏み出すと、深く深く沈み込む。
追撃として、左アッパーの〝雷神拳〟を打つ事もできた。だが、腰の回旋で生むエネルギーがない分絶対に威力不足になると感じた俺は、咄嗟に屈伸運動と回旋エネルギーを融合させ、右拳で強烈なアッパーを打つ事を試みた。
……フィニッシュブローとして現在使っているK.O.アッパーカットは、俺がアドリブで繰り出した技が元となって〝後に〟完成した。
この時は、完成しなかったのである。
拳を当てるべく、腕を伸ばそうとした瞬間。ブツリと電源が切れたかのようにして、気を失ったのだから。
非難轟々だろうとは思います。結果的に人助けとなっただけで、実際のところはトラウマとなっている表情を見たくなかったからなんて。勇者なんて怒髪天を衝くんじゃないでしょうか。まあ、自分のせいで他人が傷つけられるのは嫌だとなっただけマシかもですが。
忌怨風からK.O.とか言う極悪非道のコンボ(未遂)は、今後出るかなぁ……? 本編でもしかしたら使うかも。
次回は入院→出会い。筆の乗り方によって多少変わるかもです。