異世界でもお前のパンチを見せてやれ!   作:Hetzer愛好家

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 愛と独占欲。そして少しの切なさ。


第3R後編 濡れた瞳で貴方を見つめる

 遅い。そして温い。そんな感想を抱きながら、マシーンのようにパーリングしていく。

 

 実際はそこまで遅くも温くもないパンチを繰り出しているのだが、怒りが頂点に達した事で逆に冷え切った脳が強制する超集中状態が、俺の実力を150%にまで引き上げている。

 

 時折フェイントを入れる事で、何とかして俺のパーリングするタイミングを狂わそうと前回王者は努力しているが、全て無駄だ。攻撃するかどうかなんて物は、目を見れば一発で俺には分かる。小手先の動きで誤魔化そうとしても、俺には通じない。

 

 超一流の戦闘者は、目を見ても攻撃の有無が全く分からない物だが、こいつはどんなに良くても二流止まりだろう。

 

 さて、パーリングをするだけの余裕があれば、いつでもカウンターパンチに移行できるのだが。現状俺は、パンチを小さく弾くだけで攻撃は全くしていない。

 

 素人目で見れば、俺は王者に手も足も出ていない状態に思われるだろう。実際、王者を応援している観客は早速の激しい攻防に歓声を上げている。そのまま流れでダウンさせてしまえ、あわよくばノックアウトしちまえという野次が耳に入ってくる。

 

 しかし、有識者が見ればどちらが現状有利なのか、一目瞭然だろう。

 

「……クソッ!」

 

 何としてでも俺に有効打を与えたいようで、まだ序盤にも関わらず前回王者は激しく攻め立ててくる。アマチュアボクシングはK.O.をせずとも、有効打が多ければ勝てるルールだ。少しでも手数を増やしてポイントを稼ぎ、気持ち的にも楽になりたいのだろう。

 

 だが、その全てが俺に当たる前に勢いを殺されて弾き落とされる。サウスポーにスイッチしてリズムを変えようと画策しても、フリッカーをメインにしてアウトボクシングをしてみても、現状の打破はできない。ただひたすら、無感情にパンチは弾かれるだけだ。

 

 イライラするだろう。色んな意味で。

 

 精神的な疲弊は、そのまま肉体的な疲労にも繋がっていく。いくら強靭な肉体を持つボクサーであっても、いつかは疲労して動きが悪くなる。

 

 相手の手の内を尽く封じていき、全てが俺には通用しないと思わせるところからだ、この試合は。

 

 楽にダウンできると思うな。徹底的に、お前の全てを否定してやる。そして2度と、ボクサーとは名乗れないだけの恐怖を植え付けてやる。

 

 その意を込めて、1発だけパーリングの後にカウンターで左ジャブを顔面に当ててから、俺はガードを解いた。

 

 腕をダラリと下ろし、首を軽く横に傾げる。相手を見下すように。しかし、殺気はより高めて。

 

「マック!? お前何をやってるんだ! すぐにノーガードを止めろぉ!」

「っ、今だ攻めろ! 舐めた真似する勘違い野郎を叩きのめせ!」

 

 両セカンドの叫び声を合図に、前回王者が突っ込んでくる。強烈な怒りを顔に浮かべて。

 

 数段階スピードと威力が上がったように見える無数のパンチが、俺の全身に殺到する。

 

 が、当たらない。風によって揺れる木の葉のように、のらりくらりとウィービングとスリッピングをする事で、皮一枚のところでパンチを外していく。

 

 ここで相手をイライラさせるポイントとなるのは、ノーガードかつパーリングを封印している状態なのに、一切俺が後退しないところにある。本来はバックスウェーで外した方が安全ではあるのだが、敢えて行わない。

 

 後退するどころか前に出ながら回避しているので、コーナーへ徐々に追い込まれているのは前回王者の方だ。

 

 プレッシャーを与えながら前進する事で、ジリジリと精神的に圧迫していく。

 

「ふざけグァ!?」

「……フッ」

 

 悪態をついた瞬間に左ジャブで押し込み、コーナーポストギリギリまで追い込んでから鼻で笑い、そして手招きをする。

 

 既に自尊心はズタボロだろう。激しい怒りを覚えているだろう。しかし、そんな奴の本音とは裏腹に、脳は不用意に手を出せば死ぬと判断したようで、動きが遂に止まった。

 

 何とかして有効打を与えたい。だが、動けない。下手に動けば、カウンターで呆気なく沈む。そう理解した時には、もう遅いのだ。

 

 ここに来て、やっと自分がコーナーポストを背負っている事に気がついたようで、明らかに前回王者の顔色が悪くなる。

 

 このまま延々と、ラウンドが終わるまで圧をかけ続けても良い。まだ1度も有効打を受けてないので、この状況をキープできれば逃げ切る事は可能だ。

 

 だが、今回は判定による決着を一切望んでいない。目指すはただ1つ、K.O.勝ちである。

 

 ゆっくりと、俺はピーカブースタイルで構えてから、頭を∞の字を描くようにしてウィービングを始める。最初こそ眠っちまうぐらいにゆっくりではあったが、それも時間が経つにつれて少しずつ、確実に高速化していき、動きの振り幅も大きくなっていく。

 

 それに合わせて高速のシフトウェイトを行う事でバランスを保ち、刻一刻と増していく遠心力によって吹っ飛ばされないように制御すると、頃合いを見て俺はその勢いを乗せたスマッシュボディフックの連打……デンプシーロールを繰り出した。

 

 デンプシーロール。かつて偉大なボクサーが使用したと言われる技だ。弱点が多く、近代化したボクシングにおいて使用するボクサーはほとんどいないが、俺の性質とマッチしていると感じて体得した物である。

 

 大きな弱点となる単純な振り子運動と、それに伴う強烈なカウンターパンチを受ける危険性も理解はしているが、気合いと根性で何とでもなる。

 

 この必殺ラッシュの存在は、前2戦のトドメで使用したのもあって、既にボクシング界隈で認知されており、今後俺と戦う可能性のある者は徹底的に技の性質や弱点を探っているようだ。

 

 それは、目の前で俺の連打を受けている前回王者も例外ではない。

 

 初めて使用した試合では、咄嗟にガードしようとしたボクサーの腕をへし折った上で、レフェリーが割って入るまで連打を続けた事。そして2回目は、カウンターパンチを度々受けながらも根性で耐え抜き、ノーガードの打ち合いを制して相手を気絶させた事を受けて、奴もしっかり対策を練ってきたようだ。

 

 その対策とは、ボディフックを受ける瞬間にヒットポイントをズラす事で、自身が負うダメージを極力少なくするという物である。すぐにカウンターパンチを飛ばさないのは、俺が疲労したタイミングを狙いたいからだろう。

 

 下手にガードするのは危険。マトモにノーガードで激しく打ち合えば、先に沈むのはデンプシーロールを受ける側。ならば、マトモに打ち合わなければ良いと判断したらしい。

 

 サラッと説明したが、前回王者が取った対策は中々にイカれている物だ。実力がなければ、まず考えつく事はない。考えついたとしても、余程の自信がなければ取ろうとは思わない。

 

 八百長試合を仕掛けるような腐ったボクサーではあるが、実力自体は本物だという情報は、どうやら正しい物だったようだ。

 

 このまま打ち続けても、ダウンを取るのに随分と時間を要するだろう。ヒットポイントをズラされている事で、ダメージは多分だが半分未満にまで減少している。そのうち分の悪い打ち合いに発展する未来まで、俺にはハッキリと見えた。

 

(さて、どうするか)

 

 対策への対策を、この場で立てなければなるまい。

 

 時折ボディではなく顔面にもフックを飛ばしながら、並行して思考回路をフルに働かせる。

 

(カウンターへのカウンター。何かないか)

 

 時間にすれば、数秒もなかっただろう。やけに時の流れがゆっくりに感じはしたが。

 

 思考に意識を持って行き過ぎたのだろうか。俺は左のスマッシュボディフックを、外した。

 

「間抜けぇ!」

 

 前回王者がすかさずカウンターパンチを飛ばす。狙いは、これから右へシフトウェイトした反動でフックを飛ばそうとする、俺の左頬。

 

 完璧なタイミングだった。このまま右のスマッシュボディフックを打てば、まず間違いなく強烈なカウンターを受ける。そう分かる物だ。

 

……分かっているからこそ。予測できたからこそ。土壇場で閃いた。

 

 右のスマッシュボディフックを打とうとする体勢から、俺は大きく沈み込んで前へ出る。ダッキングだ。

 

「なっ!?」

 

 前回王者が繰り出した渾身のカウンターパンチは、俺の頭上を通過した。

 

 ただ回避がしたくてダッキングした訳ではない。俺は、この技に派生するために前へ出たのだ。

 

「デリャア!」

 

 繰り出したのは顎へのガゼルパンチ。カウンターに対するカウンターとなり、俺の左拳が突き刺さった前回王者の顔面が大きく跳ね上がり、俺自身も軽く浮き上がる。

 

 僅かな浮きでも威力に変換できる。そう信じて着地しながら右の打ち下ろしを叩き込み、下がった顎に目掛けて着地した勢いを反動に変換し、高速のシフトウェイトから左のスマッシュボディフック。

 

 前回王者の腹を抉り、悶絶しそうになってガラ空きになった顎へ今度はスマッシュアッパーカットを入れてカチ上げ、頭をそこから大きく揺らすように左の打ち下ろしを繰り出す。 

 

 グラグラと無抵抗に揺れる前回王者の頭部。オマケとばかりに右、左とスマッシュボディフックで殴り抜いた事で、立ったまま意識を失ったように見える奴の顔面に、容赦なくK.O.アッパーカットを叩き込んだ。

 

 俺自身は最大の威力を発揮するべく地面から軽く飛び上がっているが、100%の破壊力を頭部に伝えられた前回王者はそうもいかない。ブルブルとその場で痙攣し、前へ崩れ落ちようとする。

 

 それより早く地面に降り立った俺は、一瞬仰け反るぐらいに後方へ体重を完全に移動させてから、反動を利用して一気に前方へ足を踏み出した。

 

 大地が揺れるほどに強く踏み込み、腰を回旋させ、左拳を引きつけながら一直線に右拳を繰り出すスマッシュストレートでトドメだ!

 

「ハッ!」

 

 俺の右拳は、今にも崩れ落ちようとする前回王者の顔面の中心にクリーンヒットした。

 

 抵抗する力は、とっくのとうに失われている。無抵抗でスマッシュストレートを受けた前回王者は、そのまま勢い良く吹っ飛ばされてコーナーポストに激突。ようやくその身体を、キャンバスに寝かせる事ができた。

 

 ここに来て、レフェリーがやっと前回王者の元へ駆け寄る。ずっと割って入りたかったのだろうが、上手く行かなかったようだ。

 

 すぐにレフェリーは両手を大きく振り、試合終了の合図を出した。少し遅れて試合終了を告げるゴングの音が会場内に鳴り響く。

 

 一瞬の静寂の後、割れんばかりの大歓声が俺の耳を劈く。 前回王者の方を応援していた観客も、今は俺の勝利を讃えてくれていた。

 

 俺が拳を突き上げると、歓声は更に大きくなる。総立ちとなった観客の歓声と拍手によって、会場が揺れているのではないかと錯覚するぐらいに。

 

 多くのアマチュアボクサーにとって、この状況は絶頂とまで言えるだろう。何せ全国大会の優勝が決定した瞬間だ。嬉しくない訳がない。

 

 そんな、人生の絶頂にも成り得る状況だからこそ。俺は懸念していた事態が必ず起こる確信を持った。

 

 絶頂からドン底へ。下衆の考えそうな事だからな。

 

「テイヤァ!」

 

 鈍い打撃音。そしてカチャンと刃物が地面に落ちた音が、俺の耳に入った。

 

 音がした方を向くと、手首を押さえて地面をのたうち回る男と、優奈や主治医の先生を守るようにして立つ紅蓮の格闘家の姿があった。

 

 かつて激闘を繰り広げたものの、今やもう1人の師匠とまで言える存在となった男は、俺を見て力強くサムズアップする。

 

 1つだけ頷くと、俺はグローブを外し、たった今起こった異常事態によって固まってしまっているインタビュアーの手からマイクを抜き取ると、前回王者陣営を睨みつけながら口を開くのだった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 優奈side

 

 会場の外へ出ると、さっきまでの熱気が嘘みたいに冷えた空気が私の頬を撫でた。

 

 もうすぐ10月になろうとする時期なのもあって、日が落ちると流石にヒンヤリとした空気を感じるのだが、熱気が凄まじい場所にいた後だとヒンヤリ感は倍増しているように思う。

 

「お、来たぜ」

 

 男が指を差した方向には、チャンピオンの証であるベルトとトロフィーを持ったケン先輩の姿があった。

 

「……全てに勝ったぞ、優奈」

 

 そう言って、少しだけ恥ずかしそうに笑いながらトロフィーを手渡してくれたケン先輩に、1発で私の乙女心は撃ち抜かれてしまった。

 

 自然と口角が上がってしまう。試合の時に見せていた、どこまでも獰猛で荒々しいボクサーと同一人物とは思えない破壊力だ。

 

 そんな笑い方を見せてくれるのは、基本的に私の前だけだと自負しているからこそ、愛おしさがどんどん増していく。

 

「先輩、すっごくカッコ良かった。毎試合とてもカッコ良い姿を見せてくれるけど、今回は格別に凄かったよ。試合が終わってそれなりに時間が経ってるのに、まだドキドキが止まらない」

「君にそう言ってもらえて嬉しいよ。それに、そうやってボクシングを観て楽しんで、笑顔になってくれている君が見られて、勝てて本当に良かったと思えるな」

「……その言い方はズルいよ」

「え、何が?」

「ううん、何でもない。それより、八百長を仕掛けてきた人たちはどうなったの? その後の経緯を知らないんだけど……」

「控室へ引っ込んでからは姿を見てないが、警察にこれから連行されるんじゃねーかな。ボクシング界は……これから審議だろうけど、多分永久追放だろ。事が事だからな」

 

 まあ残当だ。八百長の時点で色々とアウトなのに、そこに殺人未遂まで付いてくる訳だし。

 

 これまで八百長を何回仕掛けたのかは知らないが、その回数によってはそれ相応の人数から強い恨みを買っている可能性もある。あまり想像はしたくないが、私刑に処されたら一体何をされるのやら。

 

「じゃあ、私や施設の人たちの安全は取り敢えず保証されそう?」

「ああ。一時はどうなるかと思ったし、八百長を仕掛けられた時は頭が真っ白になりそうだったけど。これでひとまず解決だと良いな」

「大丈夫だよ。国家権力の前では、流石にどうする事もできないって」

「あんまし警察は信用しちゃいないんだが……まあ、諦めないなら鬼になるだけだしな。しかも複数人」

「私は、ケン先輩を1番に信じてるけどね」

 

 どれだけアプローチしても、鈍感な先輩は絶対に気がつかない。そう割り切る事で、私は本音を包み隠さず口にしていく。

 

 こうやって、試合後すぐのケン先輩と現地で話せるのは、今日が最後だから。今日ぐらいは、いつものように本音を押し殺しながら話したくはないのだ。

 

「そうだ先輩。写真撮らない?」

「写真? 何でまた急に」

「良いじゃん、減るもんじゃないし。それに、ケン先輩はあまり自覚してないみたいだけど、全国大会優勝だからね? とってもおめでたい事なんだから、記念に写真をいっぱい撮っても問題ないでしょ」

「……それもそう、なのか? まあ構わないけど」

「やった。じゃあ最初はね……」

 

 主治医に撮影係をお願いして、色んな写真を撮ってもらった。

 

 シンプルに、会場をバックにして私がトロフィーを、ケン先輩が優勝ベルトを巻いてそれぞれポーズしている写真と、逆に私がベルトを巻いて先輩がトロフィーを持っている写真。ちなみにだが、ベルトを巻いてもらっている途中で戯れ合ってる写真も、さり気なくパシャリと激写されていた。

 

 他にも、私から頼み込み、ケン先輩にお姫様抱っこしてもらって撮影してもらった。

 

「重くない?」

「全く。むしろ、軽すぎて不安になるぐらいだよ」

 

 こんなさり気ない質問に対する回答でも、しっかり私のツボを押さえている先輩が愛おしい。

 

 なお、持ち上げてもらうまでの過程であったり、お姫様抱っこされてから割と近い距離で見つめ合って話をしている姿もバッチリ撮られている。後で確認したら、私はめっちゃ乙女な表情を、ケン先輩は優しい微笑みを浮かべていた。

 

 先生、グッジョブである。これでいつでも、この幸せな時間を思い返す事ができる。

 

 ああ、それと長時間立てないって建前で、ケン先輩に抱き着いているところも撮られていたな。

 

「にしても近い距離だな。最近の女子って、距離感はこれぐらいが普通なのか」

「んー、学校行ってないから分からないけど、このぐらいが普通なんじゃない?」

「そうか。ま、俺もあいにく普通の距離とやらがイマイチ分かってないけど……」

 

 嘘です。病院住まいと言っても過言ではない私でもそのぐらい分かる。顔と顔が触れ合うぐらいのド密着まで近づくのは、心から信頼している人に対してだけですよ。

 

 それにしても、本当に引き締まった良い肉体である。無駄に硬い筋肉や余分な脂肪が全くないと、肌感覚で分かってしまうぐらいだ。

 

「……やわこい」

「ケン先輩はバキバキだね。でも過度に硬くない」

「絶対に硬くするなって師匠にもオーナーにも言われてるからな。柔軟性がないと、俺の動きは筋断裂を起こすって脅されてる」

「マックの動きを再現するなら、柔軟性は必須だって事か。まあ、後にも先にもそんな事をやってのけるのは先輩だけだと思うけど」

 

 このまま勝ち星を重ねていけば、ケン先輩を真似しようとする人が必ず現れるだろう。

 

 だが、何1つ再現できないと私は考えている。たとえ、同じ量の練習ができたとしてもだ。

 

 唯一無二だ、ケン先輩は。肉体も、技術も、精神性も。

 

 そしてそれを知るのは、人間不信気味の先輩が信頼している人だけである。

 

 更に言えば、その中核を担っているのは私で。こうやって、彼の身体に触れられるのも私だけで……。

 

「優奈? おーい、大丈夫か?」

 

 っと、いつの間にかジーッとケン先輩の事を見つめていたらしい。

 

 この至近距離でも、特段照れる様子もなく私を見ているケン先輩。いつも通りだと言えばそこまでだが、何だか悔しさも感じる。

 

 私は、相当頑張らないと彼の目を見つめられないのに。難なく見つめ返してくるのが、無性に悔しくて、そしてムカッときた。

 

 同時に、好きな人の、色んな表情を見てみたいって欲を持ってしまう。絶対に成就しない恋だと分かっていても、恋人にしか見せないであろう表情を少しだけ目にしてみたいと。

 

 悪い女だな、私は。

 

「目、閉じてくれる?」

「? こうか?」

「そのままジッとしててね」

 

 素直に目を閉じてくれたケン先輩の顔を、少しの間ジッと見つめて。意を決した私は、自分の顔を更に近づけていく。

 

 きっと、甘美な物なのだろう。愛しい人との口づけは。

 

 私がそれを味わう事は、きっとない。味わう前に、この忌々しい心臓が鼓動を止める。

 

 初めて、自分の意志で愛しく想う人、または想われてる人から口づけする、される時の衝撃。それを奪う資格は、私にはない。私よりも、もっと相応しい人が必ず今後現れる。

 

……でも、前菜なら。そう、前菜なら。海外だと挨拶代わりにする事もあるし。

 

 良いよね、私が食べても。

 

「んっ……」

 

 2度、唇を軽く触れさせる。ケン先輩の、両の頬に。

 

 終わったらすぐに、私は離れた。そしてそれを受けて、先輩が目を開ける。

 

「優奈……? お前、何を……」

「んー、何かな。何したと思う?」

「いや目を瞑ってたから分からないけど。何か、頬がやけにスースーする」

「そっかぁ。でも、教えてあげない」

「何だそりゃ」

「いつか知る日が来るよ。だけど、私からは教えないってだけ」

 

 困惑している先輩に、私は少しだけ満足感を覚えながら、とびきりの笑顔を浮かべる。

 

 貴方が守ってくれた、私の笑顔を。他の誰でもない、貴方だけのために。

 

「だって、つまらないじゃん。簡単に何でも教えちゃったらさ」

 

 ケン先輩が、目を見開いた。

 

 そして、私がこれまで見た事がなかった表情を浮かべている。

 

 何かに見惚れていて、目が離せない。そんな表情だ。

 

「そろそろ帰ろっか」

「お、おう」

 

 車椅子に座る私を、頬を軽く手で触りながら見ているケン先輩。

 

 うん、満足だ。色んな表情を見れたから。

 

 空に広がる夕焼け空よりも、顔を紅潮させていた事は。多分、先輩にはバレてないだろう。




 ちなみにマックくんが硬直するぐらいに見惚れたのは、少し頬を紅潮させた状態で最大火力の笑顔を見せられたから。つまりバレてる。

※マックくんの技紹介
★必殺ラッシュ(旧)
…端的に説明するならデンプシーロールから派生して通常版、縦のデンプシーロール、そして前後のデンプシーロールを混ぜたラッシュ。

 順序は以下の通り。

①…右のスマッシュボディフックへのカウンターに対するカウンター〝ガゼルパンチ〟または〝雷神拳〟

②…浮いた勢いを使って着地しながら〝チョッピングライト〟

③…軸を通常のデンプシーロールに戻して〝左のスマッシュボディフック〟

④…再び縦軸にして〝右のスマッシュアッパーカット〟

⑤…〝チョッピングレフト〟で打ち下ろす

⑥…また通常軸に戻して〝右のスマッシュボディフック〟

⑦…切り返して〝左のスマッシュボディフック〟

⑧…〝K.O.アッパーカット〟

⑨…着地時に軸を前後にして勢いをつけて〝スマッシュストレート〟でフィニッシュ

 1人を仕留めるには過剰なまでの連打を叩き込む関係上、レフェリーや相手方のセコンドを始めとする会場内の空気を完全に支配しなければ、フルで当て切る前に試合が強制終了するという何とも言えない欠点がある。

 縦のデンプシーロールより先にこっちをマックくんは習得し、後に通常軸と縦軸とで分けるようになりました。前後軸はトドメだけなのでノーカン。
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