異世界でもお前のパンチを見せてやれ! 作:Hetzer愛好家
その連絡は、唐突にやって来た。
クリスマス、大晦日、元旦。全てのイベントを、眠る優奈と過ごした俺は、主治医の先生からの連絡を受けても、意外と冷静な状態を保つ事ができた。何となく、その予感があったからだろう。
急いで荷物をまとめて施設を飛び出し、最速タイムで病院に駆け込んだ俺の目に映ったのは。顔に生気が全くない優奈の姿だ。
「優奈」
俺の声が、病室内に響き渡った。計器の音しか聞こえないこの空間で、人語は随分と嫌な響き方をする。
1歩ずつ、彼女が眠るベッドに近づいた。
ほんの、ほんの少しだけ優奈の呼吸音が聞こえる。だが、酷く弱々しい。
ベッドの真横に俺が立っても、何か様子が変わる事はない。弱々しい呼吸を繰り返す優奈と、それをボンヤリと見つめている俺という図のままだ。
「優奈」
もう1度、彼女の名を呼んでみた。
返答はない。沈痛そうな面持ちの主治医の先生が、俺の肩に力なく手を置く。
「優奈……」
また呼んでみるが、やはり返答はない。肩に置かれた先生の手に、ほんの少し力が入ったような気がした。
分かっていた。予想していた。いつか、こんな日がやって来る事を、頭では理解していた。
理解していた、つもりだった。
危篤だという連絡を受けた時点で、とうとうこの日が来たのかと思ったし、それを受け入れるつもりで病室に足を運んだ。
頭では、確かに理解している。刻一刻と弱々しさを増していく優奈の呼吸音が、もう間もなく完全に止まってしまう事を。
だが……。
「ゆう、な」
心では、理解を拒んでいる。
神の起こす奇跡を信じようとする、今までにない俺という人物がいた。
「マックくん、彼女は」
「まだ、生きてるじゃないですかっ」
だから、先生の言葉をこうして遮ってしまう。
「生きている限り、何か起こってもおかしくない。奇跡が、起こるかもしれないんです。最後の最後まで、諦めたら……」
言葉が詰まる。それ以上は、続けられなかった。
そんな事は決して起こらない。そう、まだ冷静なままの思考が告げていたからだ。頭の中では、もう分かっている。
だけど、それでも。そう思う〝心〟が、何もかもを邪魔していた。聞き分けの悪い幼子のように、ありもしない希望に縋ろうと必死だった。
そうしないと、狂ってしまいそうなぐらい。胸の奥が、締め付けられて苦しい。
寝ている優奈と目線を合わせるようにしゃがみ込み、彼女の手を握る。氷のように冷たくても、無抵抗に俺の手から滑り落ちようとしていても、お構いなしだ。
「目を、開けてくれ……」
何も起こらないだろうと思っているのに口にしたのは、一向に理解しようとしない〝心〟のせいだ。
もう1度だけで良い。ほんの僅かでも良い。ただ、世界で1番の笑顔を。見たかった。
生まれて初めて、神に祈った。普段は、神なんて物は人が作り上げた偶像だと言って、全くその存在を信じてないのに。こうして困った時だけ神頼み。罰当たりだと咎められても不思議ではない。
それでも、祈る。今は、神にしか頼れないのだから。
「う、あ……」
呼吸音以外の音が聞こえて、俺はバッと顔を上げて優奈の事を見やる。
無意識に彼女の手を強く握り、祈り続けた。
もう1度だけ。彼女の笑顔を見せてください、と。
「け……ん……」
「優奈っ」
神に祈りが届いたのか。それとも、彼女が俺の祈りを感じ取って最後の力を振り絞ったのか。分からなかったが、優奈は確かに目を開けた。
少しの曇りもない、美しい水晶のような瞳を真っ直ぐ俺に向けて。優奈は、何も言う事なくいつものように笑顔を見せてくれた。
ただ1つ、君に直接口にしたかった事を。俺は、言の葉に乗せて伝える。
「ありがとう。優奈のお陰で、俺は……」
〝ありふれた幸せな日々〟という物が何なのか。初めて知る事ができた。
幸せだった。君と過ごす日々が。〝普通〟だけど〝特別〟な、〝特別〟だけど〝当たり前〟な日々が。
これまでの、何の色味もない14年と少しよりも。君と過ごした10ヶ月が、何よりも鮮やかな色彩を持って俺の記憶に刻まれている。
「絶対に忘れない。優奈との思い出も、〝約束〟も」
徐々に瞼が閉じていくが、笑みが一段と深くなった優奈は、ずっと握ったままだった俺の手を、僅かに握り返した。すぐに脱力して抜け落ちそうになる彼女の手を、もう1度握る。
完全に閉じられた瞼。目尻から、透明な水滴が彼女の頬を濡らしながら零れ落ちていく。
枕元に落ちた涙が、小さなシミを作った。
それと同時に、規則正しいリズムで短く音を発していた計器から、長く途切れのない音が鳴り響く。
延々と途切れない機械音が、やけに耳に残った。
「御臨終、だ」
主治医の先生が、そう言って俺の肩に手を置くまで。俺は、零れ落ちていく涙を拭う事なく、完全に力が抜けた優奈の手を持ったまま、ボンヤリと彼女の死に顔を見つめていた。
死に顔は、酷く安らかであった。
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翌日の通夜、翌々日に行われる葬儀を、どこか夢でも見ているかのようにボンヤリとした気持ちのまま終えた。
あとは、故人との最後の別れの場として設けられた告別式。そして、火葬だけである。
通夜で初めて出会った優奈のご両親には、何度も何度も礼を言われた。
仕事が急がしく、入院している優奈のお見舞いには滅多に行けなかったそうだが、俺と過ごすようになってからの彼女は、親の目から見て何かが大きく変わったように感じたらしい。
俺としては、様々な厄介事に彼女を巻き込んでしまったと考えていたので、ぶん殴られてもおかしくないと思っていたのだが……。
ただ、優奈の親だなと思うぐらい底抜けに優しい善人であると感じた。
「……それでは、優奈と最後のお別れを」
喪主である優奈のお父さんの言葉を合図に、彼女と繋がりの深い人物から順に立ち上がって献花。そして、棺の中に眠る優奈にいくつか言葉を投げかけて戻っていく。
葬儀の参列者は、遺族と親戚以外だと俺と主治医の先生ぐらいなので、あっという間に自分の番がやって来た。彼女の人柄の割に参列者が少ないのは、単に優奈がマトモに学校に行けてなかったからだろう。知らなければ、当然友人なんてものはできない。一般生活に影響の出る大病の嫌な部分が、こんなところでも出ていた。
鉛のように重たい足取り。それでも何とか足を動かして棺の前へ辿り着いた俺は、エンバーミングを施されて生前のように目を閉じて寝かされている優奈を見つめる。
やはり、穏やかな寝顔だ。微笑んでるようにも見える。
献花用の白菊を優奈の顔の近くに置いて、上手く動こうとしない口を無理やり動かす。
「優奈……」
あの日。俺は、彼女に伝えたい事を全て伝えた、つもりだった。だが、まだ胸の奥には、何かを伝えられていないと感じさせるモヤモヤが残っている。
この期に及んで、まだ分かっていなかった。どうして俺は、優奈と〝呪い〟に転ずる可能性のある〝約束〟をしたのかが。
明らかに普通ではない。不可能と言い切る程ではないが、それでも限りなく困難な道となるであろう優奈の〝お願い〟を、自ら逃げ道を塞ぐ形で〝約束〟に昇華させた俺は。
ずっと、〝約束〟をした日から考えていた。だが、結局優奈が死んで、こうして最後の別れをする場となっても。まだ俺には、その理由が分からなかったのである。
「君と出会ってから、色々あったよな。スマブラをガチるようになったり、ボクシングを始めて全国制覇したり。とても、とても濃い日々だった」
優奈との日々を口に出しながら、思考を回す。
何故、ボクシングをわざわざ始めたのか。
何故、リトルマックをわざわざ使い始めたのか。
何故、〝約束〟を迷いなくしたのか。
「君は、俺に色々な事を教えてくれたな。スマブラの事、ボクシングの事、そして人間としての感情……」
人である事を諦め、怒り以外の感情を完全に捨てて化生になろうとしていた俺を、人の道へ引き戻してくれたのは間違いなく優奈である。
心から喜べるようになった。ボクシングやスマブラでの勝利に。
正しく怒れるようになった。俺に向けられる悪意に対してではなく、人道的な観点から見た悪に対して、だ。
逝去を哀しみ悼む情も戻った。もう俺は、人に対して無関心ではない。
そして楽しいと感じる事で出る笑顔も、君と過ごす日々の中で完全に戻った。
人間的にも、ボクサー的にも、ゲーマー的にも成長できたと思う。随分と。そしてこれからも、変わらず成長を続けていくつもりだ。
君との〝約束〟を果たすためにも。
「隣で、ずっと見守っていて欲しかった。〝大好き〟な君が隣で見ていたなら、俺はきっと――」
無意識に発した言葉が何なのか、やや遅れて脳が理解する。理解した瞬間に、俺は口が止まった。
「〝大好き〟な、君に……?」
言葉の意味を考え、そして理解した。
涙が溢れ、歯をカチカチと鳴らし、膝から崩れ落ちそうになるも必死に堪える。
ああ、そうか。そうだったのか。
ずっと分からなかったこの感情が何なのか。今になって、やっと理解できた。あまりにも、遅すぎたけど。
「〝好き〟だったのか。俺は、優奈の事を」
ただの好意ではない。恋愛的な意味での〝好き〟だ。
全てが繋がった。君と出会ってからの、不可解な俺の行動の数々。その意味が。
好きだから、どんな願いも叶えようと思えたんだ。
好きな人を喜ばせたいから、ボクシングを始めて。リトルマックを使い始めた。
無意識に、リトルマックの動きをトレースして。諦め悪く戦ってた。好きな人に、見てもらうために。
寝ても覚めても、君の笑顔が脳裏に焼き付いて離れないのも。事あるごとに、優奈の事を無意識に考えていたのも。全て、君が好きだったから。いや、恋していたからだった。
嗚咽が止まらない。その場から動く事もできない。
何故、今なんだ。何故、優奈が亡くなってからなんだ。そう自分を呪う。
いつまでも、棺の前で立ち尽くす訳にも行かないので、早く離れなければいけないのに。一向に俺は足が動かなかった。
恋い焦がれて苦しむぐらいに愛しい優奈の側から、離れる事を心が拒絶していたのである。
もう、この気持ちを伝える機会は完全に失われた。2度と訪れる事はない。そんな当たり前の事実を、今になってようやく理解した。
「マックくん。肩、貸すよ」
「すみ、ません……」
見かねた主治医の先生が肩を貸してくれた事で、やっと俺は棺から離れる事ができた。
マトモに言葉を発せないながらも、俺は取り乱して迷惑を掛けた事を優奈のお父さんとお母さんに謝った。2人は、ただ優しく笑うだけであった。その気遣いが、一層俺の心を抉る。
椅子に何とか座り、涙をタオルで拭いながら。少しずつ呼吸を整えていく。大声で泣きたい気持ちもゼロではないが、これ以上迷惑を掛ける訳にも行かない。幸い、背中を擦ってくれる主治医の先生の存在もあり、俺はそこまで時間を使わずに落ち着きを取り戻せた。
「もう、大丈夫かい?」
「何とか。 ……すみません、迷惑掛けて」
「このぐらい、迷惑を掛けた内に入らないさ。故人との最後の別れの場って言うのは、どこもこんな感じになるのが常だ。恋人や夫、妻、兄弟姉妹に先立たれた人は、壊れてしまったのではないかと思うぐらい、酷く泣き喚く事だってある。それは、故人に深い〝愛情〟を持っていたからだと言える。マックくんも、例外ではなかったと言う事だよ」
「愛情……確かにそうですね」
こちらを気遣うと言うよりは、ただ事実を述べるだけの先生。だが今は、その遠慮のなさがありがたい。
「俺、優奈の事が心から大好きだったみたいです」
「うん、知ってるよ。自覚したのはついさっきだけど、君は優奈ちゃんに一目惚れしていたね」
「そう、だったんですか」
「近くでずっと見てれば分かるよ、流石に」
俺の態度の変化は、結構分かりやすかったらしい。俺以外の誰もが、気がついていたそうだ。
ただ、優奈がどうだったのかまでは教えてくれなかった。
「秘匿義務があるからね、医者には」
こう言われてはどうしようもない。それ以上聞く事は諦めた。
だが、先生はこんな事を告げた。いつになく真剣な表情で。
「……マックくん。君が優奈ちゃんに対して抱いた恋心。そして、失恋の辛さ。どちらも、決して忘れちゃいけない感情だって事を、覚えておいてくれるかい?」
「感情を、ですか」
彼女との〝約束〟を胸に生きるのであれば、その日が来るまで忘れる事はないと断言できる。だが、ここまで先生が言うのには、何か理由があるのだろう。
「今回マックくんは、優奈ちゃんへの恋を通して〝愛情〟を初めて知ったと言える。今までの君には、持ち合わせていなかった感情のはずだ」
「……言われてみれば、確かに」
実の父親との1件から、俺は愛される価値のない人間であると思い込んでいた。故に、俺自身は誰かを愛する気持ちなんて物を持ち合わせていなかった。優奈と出会うまでは。
だから、優奈への恋心を認識するのが致命的なまでに遅くなったのだが。
優奈の棺に蓋がされ、もう開かないように釘が打ち込まれていく中、先生は言葉を続ける。
「ウチの病院に運び込まれた時、君は裏世界で盛大に噂されるレベルの〝バケモノ〟だった。今だから言えるけど、人の形をした怪物だと当時は感じたよ。だけど、優奈ちゃんと出会って君は変わった。少しずつ、人間としての感情を取り戻していった」
「ええ、それは俺自身も感じている事です。喜怒哀楽を、取り戻せたなって」
「そこに〝愛情〟という要素が加わる事で、初めて人間としての感情全てを取り戻したと言えるって、僕は考えてるんだ。少しクサい言葉かもしれないけど、人はどんな形であっても〝愛情〟を持ち合わせているともね。それが顕在化するのが、誰かが亡くなった時だ」
確かに、彼の言う通りクサい言葉だ。学校の教師辺りが俺に説いてきても、多分鼻で笑って聞く耳を持たないだろう。
しかし先生が言うと、言葉の重みがまるで違う。名医の彼は、人の死を何度も見てきている。その際に、〝愛情〟故に壊れてしまうぐらいに悲しむ人も多く見てきているのだ。
だからなのか、彼の言葉は抵抗なく受け入れる事ができた。
「……辛いんですね、人間として生きるのって。愛した人が亡くなった時は、特に」
「生きるも地獄、死ぬも地獄だよ。それでも、喜怒哀楽に加えて、愛という一要素を忘れない限り、幸せを感じるだけの余地はある」
喪主から感謝の言葉と、告別式の終了が告げられた。あとは、出棺をして火葬場へ移動だ。
俺は親族ではないのだが、昨日の通夜でご両親から同行を許されている。しかし、主治医の先生は病院へそろそろ戻らなければいけないそうなので、ここで一旦お別れとなる。
「マックくん。優奈ちゃんのお見送りが終わったら、病院においで。もう少しだけ、君に話したい事があるから」
「分かりました。 ……先生、色々話してくれてありがとうございます。気が狂いそうなぐらい苦しかったけど、何とか壊れずに済みそうです」
「患者様のケアが、僕の仕事だからね。もっとも、心療内科は専門外だけど」
そう言って軽く笑いながら、謙遜する先生。これだから、彼は名医と言われるのだ。専門外の事であっても、サラリと正答を出してしまうのだから。
この人は、俺の中では師範代の次にできた、信用と尊敬ができる大人である。
今度、機会があれば高い酒なんかを差し入れしても良いかもしれない。これまでのお礼を兼ねて。
先生と別れ、優奈のご両親が運転する車に乗り込んだ俺は、そんな事を考えられるだけの余裕を取り戻していた。
車内は、当然ながら静かである。後部座席に座るのは俺だけだし、助手席にいる優奈のお母さんも黙ったままだからな。まず、喋るような仲でもない。
「……マックくん、と言ったかな。もしかして、君はアマチュアボクサーかい? それも最近、界隈を賑わせている」
だからこそ、いきなり優奈のお父さんが口を開いたのに、俺は大層驚いた。
「えっ、まあ、はい。一般ボクサー、ですが」
「そっか。いや、いきなり申し訳ないね。娘の好みが伝染って、自分もボクシングをよく見ているんだ。だから、聞き覚えのある呼び名だなと感じてさ」
「……そうでしたか。自分も、彼女から影響を受けてボクサーになりました」
「はは、似た者同士だ。 ……もし良かったら、色々聞かせてくれるかい? 君の、優奈との思い出を」
昨日は、俺が思い出を語れるような精神状態になかったので、彼は遠慮してくれていたのだろう。
本来、遺族に気を遣わせるのはご法度である。どれだけ自分の事で手一杯だったのかを改めて自覚し、自己嫌悪で軽い目眩がした。
ひとまず今は、思い出を語る事で現実逃避である。だが、全て終わったら大反省会だな。
「優奈と出会ったのは、自分が心臓病で入院する事になった時です。部屋が同室だったんですよ。で、彼女と共通の趣味が見つかって……」
火葬場まで、あと15分ぐらい。まだまだこの後も話す時間はあるだろうから、ゆっくりと思い出を口にして整理していこう。
マックくんも優奈ちゃんも、初恋の自覚と同時に失恋しています。惨いぐらいに似た者同士。
次回で総投稿話数が100話に達するそうです。本編の100話目はまだまだ先ですが、節目には違いないので何かやりたいですね……。