彼方に継ぐ道化師   作:転生したらアメリカザリガニだった

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第十一話 送り兎⑤(ボディーガード)

「――――か、神様っ!?」

 

 そう口にした瞬間。

 

 ベルの胸に飛び込んできた幼い少女――――いや、女神(ヘスティア)。驚く少年の声を無視して、強く胸を叩く衝撃。細い両腕が後ろに回され、安堵するような吐息が届く。

 

「怪我はないかい、ベル君!」

「え、はい、大丈夫です」

 

 胸に当てた頭をむくりと持ち上げて、覗き込むヘスティア。見上げたベルの顔をみて、無事と分かった途端、瞳を涙ぐませた。少年の秀でた能力は知っているものの、不安という波を抱いては危機感が引くことはなかったからだ。

 

 知らないところで事件に巻き込まれ、それが神絡みとなれば一層に際立つ。

 

 そんな親心。面倒事も無事に乗り越えて、目立った怪我はなく……皆無だったのでヘスティアも満足するように胸をなでおろす。

 

「あの……神様、そろそろ……」

 

 ヘスティアに対して申し訳なさそうに、深紅(ルベライト)の瞳を細めたベルの言葉がヘスティアの頭に落ちる。羞恥の色を隠せていないのは勿論のこと、今なお離さないヘスティアの抱き(ハグ)つきから逃れようと身じろぎを見せる眷族にヘスティアは、むむっとした。

 

「なんだーい、ベル君?」

 

 そんな内心を顔には出さないが言葉に含みつつ、ぎゅっと身を寄せるヘスティア。吹き飛んだ筈の酒気の力を借りた女神は無敵だった。

 

「は、離してください神様っ」

「い・や・だ」

 

 どうにか逃れようともがくベルだが、ヘスティアの抱擁からは逃れられない。

 

「んんっ、お久しぶりです、神ヘスティア」

 

 眷族と神、仲睦まじい二人の背中に声がかけられた。こほん、と咳払いをするエイナである。

 

「むっ……おお、アドバイザー君じゃないか! 」

 

 こんな場所でばったりと奇遇だね! と、言わんばかりのヘスティアの表情。しかし、あまりに白々しい驚きの仕草は酷く分かりやすいと内心で頷くエイナ。

 

 軽く会釈するエイナと妙にそわそわするヘスティア。その微妙な空気の間を逃さず、女神の拘束から脱したベル。続いて小さく悔しがるヘスティア。

 

「か、神様……どうして、こんな夜遅くに一人でいるんですか?」

 

 むすっとする幼女(ロリ)神に、ただ一人の眷族である少年が恐る恐る問いを投げかける。

 

「うっ!? えーと……バイト帰り?」

 

 疑問符を添えての返事にヘスティア、しまったと頭を抱えそうになる。が、言葉通りに受け止めるベルもまた疑うこともなく頷く。そんな二人のやり取りを眺めて、『眷族(子供)()に似る』という格言を思い出すエイナ。

 

 傍から見て、隠し事が苦手そうな二人。持ち掛けた頼み事が露見してしまったのではないかと危ぶむベル。そして反応からするに尾行者の一人……一柱だっただろう神ヘスティア。双方にある後ろめたい事情から醸し出す、愉快なやり取りがあった。

 

「そ、それよりもベル君の方こそ、アドバイザー君とこんな暗い場所でなにしてたんだい!」

 

 これ以上の言及を避けるためにも指を突き出すヘスティア。とはいえ、この惨状を見て神であるヘスティアは全てを悟っている。この現場から既に去っただろう男神達、モージとマグニの企てによるものから端を発した結果だということに。今度会ったら文句の一つでも投げつけてやろうと決心しつつ、話題を逸らす。

 

 何故ならば神友である、タケとミアハに誘われてお酒を飲み明かしていたとは言えないからだ。彼らの奢りとはいえ、【ファミリア】のお財布事情はよろしくない。付け加えて、門限まで破りかけているのだ。そんな規則(ルール)を作った張本人……張本神であるヘスティアは素直に気持ちを打ち明けられない。

 

 素直になれず、尾を引いてヤキモキした気持ちをお酒で流していたなど言える訳がない。あるかもしれない女神として、主神としての矜持がそうさせた。と、内心で苦しい言い訳を述べるヘスティア。

 

「えっと、その……」

「私が代わりにお答えします」

 

 観念してか何かを言いだしそうになるベルの言葉を遮って、向き直ったエイナはヘスティアに顔を向けた。有無もない態度に、きょとんとするヘスティア。一方で、当惑するベルもエイナに視線を飛ばして見守るように黙る。

 

 手短な説明になりますが。と、前置きをしてエイナがヘスティアに今回の経緯を説明する。状況説明の節々にも、納得して小さく可愛らしい顎をコクコクと頷かせて把握するヘスティアは流石は超越存在(デウスデア)であるとエイナは両目をそばめた。

 

「――――私の個人的な問題に彼を巻き込んでしまい、申し訳ありません。神ヘスティア」

 

 そう締めくくって頭を下げる。

 

「そんな畏まって、謝らないでくれアドバイザー君。ボクたちは君にお世話になっているんだ、持ちつ持たれつってやつさ! そうだろうベル君?」

 

 返ってきた言葉はエイナの想定していなかったものだった。丸みを帯びた細長い耳を揺らして驚く。

 

「はい、神様!」

 

 間髪入れずに同意するベル。照れくさそうに、それでいてはっきりとした声音で告げている。その二人の間で結ばれているのものを今日、エイナは知った。多くが『神と眷族』という共同体(ファミリア)だが、ベルとヘスティアは正しく家族(ファミリア)なのだと。

 

「そもそも神ってやつは欲望に忠実なんだ、標的にされた時点で弄ばれるのは仕方がないさ。全く!」

 

 不機嫌そうに同胞の愚痴を口にして、同情めいた励ましをするヘスティア。無論、本神も漏れなく騒動に巻き込まれたのだから皮肉の一つも出るだろう。

 

 そんな会話をしていると、周りの雑踏とは別種の音が三人の耳に届きはじめた。鉄靴(サバトン)が地面を叩く甲高い音、あるいは装靴(グリーヴ)がこすれる音が数多。こちらに向かって真っ直ぐやって来るのが確かに響いて届く。

 

「いけない! もうガネーシャ・ファミリアがそこまで来てる」

「ガネーシャ・ファミリア……あれ、どこかで?」

「ガネーシャもオラリオにいるんだ」

 

 冒険者通りに歓声にも似た声が広がる。『都市(オラリオ)の憲兵』と名高いガネーシャ・ファミリアの眷族たちが、この騒動の鎮圧に馳せ参じたのだ。

 

 騒動の中心人物、もとより主犯格である男神たち、モージとマグニは神身の眷族であるドルムルとルヴィスに追いかけられて逃亡している。巻き込まれたエイナとベルに加えて、現場に主神であるヘスティアも渦中にいるとなると情報漏洩を加味しても一苦労では収まらない。

 

 無理もない事だが、そのような危機的状況に陥っているのにのほほんとした二人。ある意味において【ヘスティア・ファミリア】に痛手となりうるかもしれない事態。とても不味い。非常に不味い状況だとエイナは眉をひそめる。

 

「ベル君……神様と一緒に此処から離れたほうがいいかもしれない」

「そんな、エイナさん一人残してなんて出来ませんよ」

 

 この状況において、彼の変わらない態度は好感を覚えるものでありがたいものだった。しかし、今回に限っては、その善性を引っ込めて欲しいと思いつつベルの主神であるヘスティアに目配せを流す。

 

「あーベル君、悪いことは言わない。アドバイザー君の言うとおりにしよう」

「ですが、神様……エイナさんを一人にするのは……」

「用心棒ならもう大丈夫だよ、ベル君」

 

 一を聞いて百を知るのが、超越存在(デウスデア)である神の視点。難なくエイナの言わんとすることをヘスティアは理解する。であるのなら、一を聞いて十を知るのが下界の住人であるベルの限界だろう。

 

 ヘスティアの視線を追って、再びエイナに向き直ったベル。不承不承といった深紅(ルベライト)の双眸を向ける少年の白い髪に手を置いて、くしゃくしゃと撫でた。

 

 彼は、ベルは真面目な少年であり一度請け負った仕事を途中で放り投げることはしないだろう。きっと本人もそれは許さない気質だと思う。

 

 それでも物分かりのいい少年だ。エイナが発した用心棒という言葉の意味。これの意味することはベルも理解しているだろう。脅威は取り除かれて、もう傍まで来ている憲兵は保護する立場であり、けして更なる揉め事の火種にはなりえない。ならば、優先すべきはこの場に来てしまった主神であるヘスティアの保護である。

 

 与り知らぬ神の暇つぶしに巻き込むのは本意ではないはずだ。

 

「本当に大丈夫なんですかエイナさん」

「大丈夫だよ、信じて」

「分かりました……」

 

 念を押すようにしては短い会話のやり取り。

 

「さて、後はここからどう抜け出すか、だけど……なにか妙案とかあるかいアドバイザー君?」

 

 ばっと二人の視線を切るように小さな身を飛び出させて意見を求めるヘスティア。半ばまで包囲されている路地。封鎖線(バリケード)を敷いて、近隣の避難誘導が済み次第といったところ。ガネーシャ・ファミリアの憲兵達が突撃するのも秒読み間近の段階である。

 

「それでしたら問題はありませんよ、神ヘスティア。ベル君、今度は神様を守ってあげてね」

 

 笑顔で言い切ったエイナに無言で頷くベル。一秒も無駄にできない状況、考え事をしていたヘスティアの思考を置き去りにして、手を引くベル。思わず小さな口から「あっ」と、こぼれる前にヘスティアをベルは抱きあげた。いわゆる、お姫様抱っこと呼ばれるものだ。

 

 思わぬ眷族の行動に照れが先に出てしまい、頬が赤くなるのを自覚するヘスティア。惚けて、甘い声が出そうになったので口をきっちと結んだのは神としての矜持か。どちらにせよ、結果としてそれは正しかった。

 

 一瞬、重心が沈む。

 

 ほんのわずかに、ぴくりと微動したとヘスティアが知覚した時には……文字通り、天を仰いでいた。月明りを背にして映るヘスティアの眷族、風に吹かれる白い髪と真っ直ぐな深紅(ルベライト)の双眸を焼き付けながらヘスティアはぎゅっと身を寄せた。

 

 眼下に広がっているだろう迷宮都市オラリオを一望できる瞬間でありながら、その透き通るような青みががった瞳に映るのは一人の少年だけである。

 

「ベル君、ごめんね……」

 

 月を仰いで、そんな言葉が流れた。

 

「え、なんですか神様?」

 

 その身に風を受けて、響いた言葉を聞き逃したベルが視線を落とす。そんな少年の反応を見て顔を綻ばせながら「なんでもなーい」と、身体を伸ばす。

 

 疾風のように駆け抜ける風圧に黒髪をなびかせて、痛快。少年の体を通して伝わる躍動感は爽快だった。浴びる月光と相まってヘスティアは天界では感じたことのなかった心地よさ、心が浮き立つのを止められなかった。この瞬間を忘れないように、確かな想い出として残すように時間に身を委ねる。

 

 危ないと慌てる少年の声を振り払い、堪能する。オラリオを照らす魔石灯と子供たちの喧騒が愉快でならない。夜空を駆ける眷族に抱きつきながらヘスティアはこんな楽しい日々が続けばいいと思った。

 

 

 

「あっという間だったな……」

 

 数分後に時を遅くして、本拠(ホーム)に着いたヘスティアと同じ言葉を一人呟いたのはエイナ。ベルが、ぐっと足を(たわ)めて解き放った瞬間には少年も女神も夜空の向こうだった。微かに映った白い斜線を残して、もう彼らの姿はない。飛び去ったことで生じた新たな亀裂は些細なことだろう。見渡す限り、無事な箇所はないのだから、あとは全てを押し付けるだけだ。

 

「――――大人しく……って、あれ?」

 

 ヘスティアを抱えたベルが去って、ほぼ同時にガネーシャ・ファミリア一同が勢いよく乗り出してきた。その先頭にいる女性の声がエイナの背中を打つ。振り返って、一驚したのは二人共であった。

 

「やっぱり、エイナだー! どうしたの、もしかして仕事のストレスで暴れちゃった?」

「【象神の詩(ヴィヤーサ)】……私はモンスターではありませんよ」

「ごめーん。でもでも呼び名が戻ってる、呼び捨て! 呼び捨て!」

「変わらずアーディさんでお願いします、この場を取り仕切っているのは貴女で間違いありませんか?」

「うん、そうだよ。シャクティお姉ちゃんもイルタも今日は大賭博場(カジノ)の守衛で忙しくて私が頑張ることになってるの」

 

 えっへん、と両手を腰に回して鼻高々な姿勢(ポーズ)を取るアーディ。短くまとめられた薄蒼色とその仕草から人懐っこく、中性的(ボーイッシュ)な印象を変わらずエイナに与える。だが、年相応にというべきかエイナよりは劣るものの大人の女性らしく膨らみを帯びているし、伸びる肢体やくびれた腰はエイナ以上の体付き(プロポーション)である。……負けた。

 

 同性であるエイナから見ても、なるほどこれはさぞ異性……男性からモテる武器を持っているなと思わせるような態度に若干のあざとさを受けつつ、ホッとする。

 

 アーディが口にした情報を即座に理解しては、この事件現場の担当が知り合いであるアーディで良かったと、訪れた幸運に感謝。もしも、運悪く対応したのがガネーシャ・ファミリアの団長であり、アーディの姉。【象神の杖(アンクーシャ)】こと、シャクティ・ヴァルマであったならば早々に詰んでいただろう。

 

 また、【赤戦の豹(パルーザ)】の二つ名で知られるイルタ・ファーナも同様だ。担当外の冒険者ではあるが、彼のファミリアとギルドの関係は言に及ばず協力関係。今日(こんにち)まで数々の貢献と偉業を残してはオラリオを支えてきた都市大派閥(ガネーシャ・ファミリア)

 

 【象神の杖(アンクーシャ)】や【赤戦の豹(パルーザ)】といったLv.5という『規格外』の戦力をもっとも多く抱える【ファミリア】であり、ギルドが下した派閥等級(ランク)は文句なしの(最高)

 

 少年と同じくする第一級冒険者が登場しなくて良かったと今一度、胸をなでおろすエイナ。

 

 贔屓目かもしれないが仮に対峙したとして、ベルが遅れを取る光景は正直なところエイナには想像できなかった。ほんの少し前に見せつけられた少年の底が見えない実力からくる率直な感想。しかし、それはあくまで個人の話だ。

 

 もっと話を広げれば組織という【ファミリア】や冒険者としての社会的な体裁等々、それらはベルに不利に働くことになる。また、ギルドと協力関係にあることから問題が露見すれば当然、ギルド長であるロイマンの知ることになるのは不思議ではない。無論、主神である神ガネーシャの神格や眷族たる冒険者の個々人の善性は疑ってないが、組織としての側面で見ると諸手を上げて受け入れるのは難しい。

 

 そんなエイナの思考が雷の如き速さで駆け抜けた。

 

 考えを巡らせて組み上がった作戦を実行する。怪訝そうに視線を注ぐ、群衆の憲兵達を無視して、エイナはそそっとアーディの傍まで近づく。

 

「私の方で全ての経緯を本拠(ホーム)でお話します。その……二人きりで、願いできますかアーディさん」

「うん、いいよー!」

 

 即断即答。一瞬、それでいいのかと心の声が思わず出そうになったエイナだが堪えて、共に路地を抜ける。

 

「あ、そういえばアーディさん」

「うん? どうしたのエイナ」

 

 残した部下達に事後処理をあざとくお願いしては持ち場を離れるまとめ役、アーディ。そんな彼女と冒険者通りを歩いて行く傍ら、ふと思い出したエイナは肩にかけた革鞄(ショルダーバッグ)から数冊の本を取り出した。

 

「忘れないうちに返しておきますね」

 

 差し出したのは以前、出会ったときに預かっていたもの。数冊もあるアルゴノゥトの英雄譚を見てアーディが咲いた花のような可憐さを振り撒いた。

 

「わー覚えていてくれたんだ、ありがとうエイナー!? えへへ……アルも喜んでくれるかな」

「アル……? もしかして、その本は贈り物(プレゼント)でしたか?」

「そうだよ、エイナ。多分、ううん絶対内容とか知っていると思うんだけど……今度会ったら渡そうと思って……受け取ってくれるかな」

「アーディさんから渡されて、受け取らない人なんていないと思いますが……」

 

 そこでふと、エイナは「ん?」と眉根を寄せた。天真爛漫であったアーディの横顔に変化。妙齢の女性から繰り出される年相応な仕草に、何故かぐっと引き寄せられるような既視感(デジャヴ)を抱いたのだ。

 

 つっかえながらも答えは呆気もなくエイナの頭に浮かぶ。それは年下のヒューマンの少年。白い髪と真っ直ぐな意思が宿る深紅(ルベライト)の双眸が印象的な彼だ。何故か、不思議と輪郭が重なるような気がした。年不相応に垣間見せた冒険者としての少年の横顔。

 

 が、すんでのところで思考を打ち切る。一瞬でも過った根拠のない関係性を苦笑交じりに打ち消した。

 

 冒険者通りを抜けて、ガネーシャ・ファミリアの本拠(ホーム)である『アイアムガネーシャ』までの道中に聞かされたアルという人物。アルゴノゥトの英雄譚を経て、最近知り合ったばかりの男の子。なんでも、また会って話をするという約束までしたはいいが、日時や場所といった具体的な待ち合わせ場所の取り決めを忘れていたらしい。

 

 故にアルと出会った、最初の場所。アーディにとって思い入れのある場所で、ここ毎日ずっと時間を見つけては夜遅くまで待っていると……。そして、また会ったときに渡したい英雄譚の数々と……。

 

 きっとこのような心情を打ち明ける相手がいなかったのもあるだろうが、きっかけとして預かっていたアルゴノゥトの英雄譚。そこから端を発して、知ることになったアーディの悩み事を聞きながらエイナは爆発しそうな気持を宥めつつ横目でちらりと窺う。

 

 待ち人来ずの女性を待たせ続けるアルという少年。一瞬でも重ねた輪郭。間違っても自分の知る少年はそのようなことはしないと断言しながら、ガネーシャ・ファミリアの本拠(ホーム)に到着した。

 

「……」

「あはは……裏口から入る?」

「い、いえ、お気遣いありがとうございます」

 

 そういってエイナが見上げるのはガネーシャ・ファミリアの本拠(ホーム)。目にすることはあったが中に入るのは初めてのエイナ。緑玉(エメラルド)の双眸に映る、ソレは圧倒的な存在感を放っている。高さ30(メドル)はある、巨大な象の巨人像。

 

 今までに貯めた【ファミリア】の貯金……活動資金を(はた)いて築いた巨大建造物ならぬ巨大な彫像。胡坐をかいてどっしりと座ったソレの股間部分がガネーシャ・ファミリアの玄関口だ。

 

 団員達からもっぱらの不評であり、毎日を泣く泣く通る羽目になった入り口。そこをくぐり抜けて案内された個室にて、エイナは今回の事件の真相――――一部、伏せてアーディに説明した。

 

 件の事件がオラリオでは日常の『神の遊び』と明るみになっては後日。ボコボコにされた主神であるモージとマグニの代わりに出頭した両【ファミリア】の代表の同意の下。伴った被害の賠償金は彼らが全額支払うこととなる。被害にあった【ヘスティア・ファミリア】は【ファミリア】の名前を伏せられたまま、関係者を除いて明るみに出ることはなかった。

 

 騒ぎを治めたガネーシャ・ファミリアからの報告によるギルドの公式発表。特段に関心を寄せなかった者達はすっかり忘れて、日々の日常に戻っていく。その中で鋭く、匂いを嗅ぎ取った一部を除き、この騒動は人々の記憶から薄らいでいった。

 

 

 

 そして、その騒動の現場。諸々の事後処理を終えて、去ったガネーシャ・ファミリアの憲兵たち。立入禁止の封鎖線(バリケード)をそのままにして人気(ひとけ)はない。先ほどまで塊になっては列になっていた野次馬や近隣の従業員も、その姿は消えた。

 

 理由は明快。仰ぐ夜空、どんよりとした夜気と幾つもの雨粒が落ちていた。湿気を伴って流れる風に吹かれて雨粒も、その大きさを増していく。

 

 数多、降り注ぐ雨粒と雨音に混じって人の気配があった。舞台の裏側にいる端役(エキストラ)が身動ぎをしたような、僅かな物音。続いて雨粒を弾く虚空が、そのヴェールを脱いだ。誰もいなかった路地に人影が滲み出る。

 

「――――こんな厄介事まで……!」

 

 路地に小さく落ちた女性の声。姿を現したのは『黒兜』を手に持つ美女、アスフィ・アル・アンドロメダ。水色(アクアブルー)の髪を濡らして、頭痛を抑えるように銀の眼鏡を人差し指で押さえる彼女の声音からは確かな怒りが滲み出ていた。

 

 向けられる矛先は勿論、主神であるヘルメスである。そも、この騒動の真の発起神は他でもない、あの男神なのだ。ただ、一人そのことを知るアスフィは絶対零度の瞋恚を瞳に宿して、見つけ次第ヘルメスを分からせるつもりだった。白のマントをたなびかせて、一度だけ路地の先にある武器屋に視線を向ける。真っ赤な看板が特徴的な有名な武器屋。その従業員たちのひそひそ話を確かに聞き取っては今度こそ、身を翻してその場から去った。

 

 同時刻。【ヘルメス・ファミリア】の本拠(ホーム)、『旅人の宿』。ざぁざぁと降りしきる雨を窓越しに聞きながら、向かい合って椅子に座るヘルメス。対面した相手は怒れる副団長アスフィの追及から散々に逃げ延びて今日、戻ってきた団長のリディス・カヴェルナ。

 

 リディスに手渡された羊皮紙。映し出された文字は共通語(コイネー)ではなく【神聖文字(ヒエログリフ)】。ベル・クラネルの能力(ステイタス)の機密情報。流れるように文字を読み取っては切れ長の瞳を薄くさせて、笑みを深くさせる優男の顔に瞬間、電流が……悪寒が走り抜けた。

 

 身震いしたヘルメスを見てリディスが変わらず、ころころと子供のような笑みを浮かべて口を開く。

 

「それでヘルメス様、アスフィにどんな悪巧みの片棒を担がせたのー」

「うん? 悪巧みっていう程でもないぜ、そうだな……強いて言えば後ろ盾が手に入れば儲けものかなってやつ?」

「あっはーリディス、全然わかんなーい☆」

「オレもどう転ぶか、わかんないなーあはは」

 

 【ファミリア】を代表する主神と団長の会話にしては少々、知能指数が低い言葉の数々に通りかかった犬人(シアンスロープ)の女性団員であるルルネはげんなりとした視線を飛ばす。ここ最近の【ファミリア】の忙しさは輪にかけて凄まじいからか疲労も相まって疲れる。それとは別に最近、出戻って顔をみせるようになった同室の妖精(エルフ)が怖い。夜な夜な遅くまで、課せられた仕事なのだろうか。あるヒューマンの少年の来歴に関する情報を熱心に集めては一人、笑っているのだ怖い。

 

 しまいには衣紋(ハンガー)掛けに知らない匂いのする外套(コート)に毎朝、欠かさず拝んでいる。初めてソレを目にしたときは眠気など吹き飛んで、よろめくような恐怖を受けた。他の仲間たちに相談して部屋の交換を持ち出したが、にべもなく断られた。戻りたくない。アスフィに相談しよう。

 

「んーどうしたの、ルルネ。アスフィみたいに死んだ魚のようなお目目してるぞー」

 

 垂れた耳に届く声。長く灰がかった金髪を揺らして手招きするリディス団長の誘いを固辞して、そそくさと諦めて部屋に戻ろうとするルルネ。そこでふと、何者かの視線を感じてかそちらに顔を向けた。

 

「……ん?」

 

 盗賊(シーフ)という役割(ポジション)からか、反射的に何気なしに向けた方向。視線を受けたのは今も雨が強く降る外。窓ガラスを叩く雨粒の向こう側に――――ずぶ濡れの女性が立っていた。アスフィである。

 

「ひっ……」

 

 悲鳴一つ漏らしてルルネは巻き込まれたくないとばかりに退散。その行動に怪訝そうな一人と一柱。ややあってルルネの視線を追ってくと間近にあった窓ガラスにぶちあたり、視線がかち合う。

 

「ヘ ル メ ス さ ま」

 

 最終防衛線とばかりに隔てた薄い一枚の窓ガラス。それにぴったりと額をあてては瞳孔がかっぴらいたアスフィが眼前。声に出さす、口だけをうごかして名を呼ばれたヘルメスの顔は真っ青だった。因みにリディスは逃げた。どこから取り出したのか黒兜――――『漆黒兜(ハデス・ヘッド)』を装着して、『透明状態(インビジビリティ)』になったリディスはけたたましい足音を鳴らして逃亡。即断即決、流石であると感心するヘルメスの思考を置き去りにして瞬間。

 

 ぶち破った窓ガラス。ぬっと伸びる白い手に羽根つき帽子ごと頭を鷲掴みにされて悲鳴がこだまする一秒前。

 

「あっ、ちょっと待ってアスフィ――――」

 

 へぼっ、ごっ、うばっ、ほげぇ……。そんな優男(ヘルメス)の悲鳴が雨音に混じってオラリオに響く。ベル達の与り知らぬところでまた一柱、追加で眷族の裁きを頂戴していた。

 

 そして、逃亡したリディス団長の業務は当然ながら副団長であるアスフィに回されることになる。アスフィはそろそろ泣いてもいい。

 

 

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