彼方に継ぐ道化師   作:転生したらアメリカザリガニだった

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エピローグ 正義の乙女たち(アストレア・ファミリア)

『――――都市最大派閥といえば?』

 

 そう訊ねて返ってくる答えは二つ。

 

『そんなのロキ・ファミリアだろ』

『いいや、フレイヤ・ファミリアだ』

 

 なんら迷うことなく、その二つの派閥の名前が出てくることだろう。

 

 数多くの【ファミリア】が存在する迷宮都市オラリオ。その遥か高み、頂に君臨する【ファミリア】を都市最大派閥という称号をもって称賛するのだ。

 

 迷宮都市オラリオが保有する大穴――――ダンジョン。広大無辺の地下迷宮から絶えず溢れ出て襲ってくるモンスター。必然的に迷宮に挑む探索系(ダンジョン)の【ファミリア】が多いオラリオにおいて、その称号はけして見掛け倒しではない。

 

 当然、両派閥は探索系【ファミリア】の頂点であり、派閥の等級(ランク)も最上位のS。

 

 ダンジョン攻略(アタック)。その到達階層の更新が最も進んでいるのがこの【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】であり、所属している眷族達の名も周辺都市国家――――世界勢力に轟かせて、広く知れ渡っている。

 

 双翼のように並び立つ二つの都市最大派閥。

 

 【ロキ・ファミリア】の団長フィン・ディムナ。神々から拝命した二つ名【勇者(ブレイバー)】はどの種族よりも潜在能力が劣る亜人(デミ・ヒューマン)小人族(パルゥム)の憧れの的であり、また他種族からも人気が高く、その『名声』は未だ衰えることなく知れ渡っている。

 

 【フレイヤ・ファミリア】主神である美の女神もまたさることながら、迷宮都市オラリオ唯一無二のLv.7。冒険者の頂点に君臨する最強の存在、【猛者(おうじゃ)】を筆頭に、屈強な第一級冒険者を始めとした――――美神に見初められた、眷族。『強靭な勇士(エインヘリヤル)』を抱えている。

 

 多くの冒険者に崇敬され、また畏怖の念を打たれる存在。

 

 かつて、君臨した【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】に倣うかのように、この両派閥を都市に住まう者は『二大派閥』と呼んだ。

 

 だが、時折ある噂が風に乗って流れてくる。

 

 ――――曰く、迷宮都市オラリオには都市最大派閥がもう一つあるという噂。

 

 届くのは『名声』でも『武勇』でもない。

 

 それはまるで天上に輝く星屑のような『正義』の輝き。

 

『都市最大派閥といえば?』

 

 そう訊ねられた、ある夫婦が立ち止まる。困ったように無精ひげをさする夫を横目に妻がやれやれとぞんざいに旦那の頭を叩く。そして駆け寄るように花束を抱えた娘が間に割って入って答えた。

 

『そんなの決まっているわ、アストレア・ファミリアよ!』

 

 日々、繰り広げられる日常の物語。その一(ページ)を捲るように小さな風が吹いた。

 

 

 

 

 

 

「――――ぶっえっくしょんっ!? ……あら、やだ誰か私のこと噂しているわ!」

 

 盛大なくしゃみをぶちかます赤髪の女性。彼女の名はアリーゼ・ローヴェル。二大派閥に迫る勢いで脚光を浴びている【アストレア・ファミリア】の団長は、そのままドヤ顔を決めこんで薄い胸を張り、何故か誇らしげな表情を振り撒いた。

 

「……団長。至近距離で、くしゃみとはいい度胸ですなぁ」

 

 それにニコニコと猫なで声で返すヒューマンの女性。直前まで団長(アリーゼ)と会話中、前触れもなくド至近距離のくしゃみを浴びせられて額に青筋を見事に浮かび上がらせている。

 

「私が非の打ち所がない超絶完璧美女だからって、嫉妬は駄目よ輝夜(カグヤ)! 大丈夫、安心して! 私の次に偉い副団長だもん、私の次には有名よ! バチコーン☆」

「イラッ☆」

 

 極東に伝わる島国衣装の着物を軽く揺らして握りこぶしを作る、ゴジョウノ・輝夜(カグヤ)。今日こそは、その謎の自信に満ち満ちて漲るアリーゼに一矢報いようとして――――深いため息と共に脱力した。

 

 頭痛の種が別の方から、やって来たのだ。それこそ痛みの前兆のように輝夜の耳朶を叩く、激しい足音。艶のある黒い長髪を揺らして音の方に――――本拠(ホーム)、広間の大扉に視線を飛ばす。

 

 そして、間も置かず勢いよく開かれる大扉。先ほどのアリーゼのくしゃみに劣らぬ爆音と大声にやはりなと輝夜は何度目かのため息を吐いた。

 

「――――どういうことですっ! アリーゼ! 輝夜!」

 

 駆け込んできたのは、腰まで届く美しい金髪に透き通るような空色の瞳をしたエルフの女性。エルフという種族の例に漏れず、容姿端麗である彼女――――リュー・リオンの表情はその美しさを放り投げるかのように苛立ちをあらわにしていた。

 

 遅れて響く足音が二つ。

 

「――――やっぱり間に合わなかったじゃん、クロエのせいだからね!」

「ニャニャ、ルノア!? ミャーは悪くないニャ!」

 

 互いの名を呼び合っては肩を揺らして、言い訳めいた言葉の応酬。本格的に頭が痛くなってきたと眩暈をこらえるかのように輝夜はどうしたものかと隣のアリーゼに目配せをした。

 

 分かったわ、と一片の曇りもない笑顔を返事にしてアリーゼが歩み寄る。

 

「慌てて、どうしたのリオン。可愛い顔が台無しよ? 笑顔、笑顔」

「茶化さないでくださいアリーゼ! また、私をのけ者にして輝夜と冒険者依頼(クエスト)を受けたと二人から聞きました。しかも今回は『密林の峡谷(きょうこく)』での異常事態(イレギュラー)の対応、いくらなんでも勝手だ私も同行します」

 

 ニッコリと笑みの形を作ってみせるアリーゼとは逆に眉間にシワを寄せて、詰め寄るリュー。その周りを囲むようにしてヒューマンの女性、ルノア・ファウストが困った顔をして頭を抱え、猫人(キャットピーブル)の女性、クロエ・ロロは視線を泳がせて立ち往生している。そんな光景に一度だけ瞼を閉じては切り替えるように、輝夜が声を上げる。

 

「向かうのは『下層』だ、私たちだけで十分。青二才の手は借りん」

「なっ!?」

 

 手のひらをひらひらと、押し退けるような仕草をして言い放つ輝夜。それを見て更に激昂のリュー。あちゃーと顔に手置いてアリーゼが。残りの二人は事の成り行きを見守っている。

 

 しかし、そんな事なかれ主義を見逃すほど、ぬるくない副団長は鋭い視線を容赦なく二人にぶつけて、言葉を続けた。

 

「それで? 散々、この青二才エルフの耳には入れるなと釘を刺したのに……どういうことだ、ルノア、クロエ。私が納得できる言い訳を用意してきたのだろうな?」

「きゅ、休憩中にクロエが口を滑らしちゃって……慌てて、止めたんですけど……」

「ニャ!? ニャんてことを言うのニャ! ルノアだって喋らなくてもいい冒険者依頼(クエスト)の内容を滑らしまくっていたニャ」

「……」

 

 ああ言えばこう言う。互いにやらかした責任を投げつけている。どうしてアストレア様はこの二人を拾ったのかと思いつつ、都合がいいからとダンジョンに出発するまでの時間稼ぎを頼んだ、過去の自分に後悔。

 このポンコツ二人が【ファミリア】に加入した、五年前。あの一件以来、なにかと組ませるに丁度いい三人組はあの時から変わらず、トラブルを持ち込んで来る。【ファミリア】の末っ子だったリューが今では先輩の仲間入り。面倒な教育係を任せれば精神的に成長するかと思っていたが、末っ子時代の頃から変わらず未だ、頑固者だ。一体、いつになったら『秘密』を打ち明けることができるのかと頭を悩ませた。

 

「クロエとルノアを使って卑怯な手口だ輝夜! 私も二人と同じLv.5。足を引っ張ることもなければ遅れを取ることもない筈。なのに何故、いつもコソコソと――――」

「――――おいおい、リオン。声が外まで響いているぜ。まぁ落ち着けって」

 

 憤激を吐くリューの言葉を遮るように別の声が投じられる。声の主は小人族(パルゥム)の女性、ライラ。飄々と登場しては、頭の後ろで両手を組んで、涼しい顔をしながら会話の輪に加わった。

 

「ライラ……丁度いい、二人が黙って受けた任務。もしかして……」

「うん? あーあれか、今回はパスした。別件でなアタシにも依頼があったんだ。一族の勇者様、直々にな」

「あの【勇者(ブレイバー)】から、ですか……」

「オイオイ、言っとくがアリーゼ達と無関係だからな? なんでも最近、『手癖の悪い同族』が冒険者たちから金品をくすねているんだとよ。それで頼まれたんだ、個人的にな」

 

 そう言っては密かに――――いや、公言するように貸しを作って【勇者(ブレイバー)】ことフィン・ディムナのお嫁さんになってやると憚らないライラの無駄話が続く。相槌を打つかのように再三、その手の話題が上がる度に浮上するマジでヤバいアマゾネスとの衝突。親しみをこめてライラ曰く、マジヤバゾネス。その面倒事を思い出してはげんなりする面々。

 

 気づけば暗雲立ち込めるような雰囲気もどこか薄らいでいた。【ファミリア】内での衝突やダンジョン攻略で行き詰ったとき、ライラはいつもこういう役割をすることを思い出すリュー。仲間たちの精神的な緩衝材といった補助をするのだ。きっと最初から本拠(ホーム)にいたのだろう。折を見て声をかけるのはライラが得意とする『知恵』の一つだ。

 

 冷静さを欠いていた思考に余裕が生まれて、考える。アリーゼ達が時折、皆に内緒で冒険者依頼(クエスト)を受注したり、強制任務(ミッション)をこなしている。

 それが今回、別件でライラが不参加となった。いつも、決まって三人で挑んでいる依頼。その空席に入っても問題はないとリューは思えた。

 

「やはり、私も同行を……」

「いらん。二度も言わすな」

 

 下層で起きた異常事態(イレギュラー)への対応。その問題解決に協力したいというリューの提案をあっさりと輝夜が、にべもなく拒否。

 

「だったら、せめて他の……ネーゼ達にも声をかけるべきだ」

「うーん、それはちょっと難しいかも」

「何故ですか、アリーゼ!」

 

 食い下がるように仲間の名を口にするリューにアリーゼが答える。

 

 懇意の商会からの依頼をこなしているネーゼ達を筆頭に、通常の見回り(パトロール)活動から近々開催される怪物祭(モンスターフィリア)の手伝い等々と絶賛の人手不足が勃発している。

 

 もう何年も前、団長であるアリーゼが【ファミリア】初のLv.5に到達したのを皮切りに、副団長の輝夜が。そして、負けじとリューが続いて昇華(ランクアップ)を果した。別段、誇っているわけではないのだが、【アストレア・ファミリア】は他派閥と比べ、極めて少数精鋭の【ファミリア】である。

 

 比較するならば、同じく迷宮都市オラリオの治安維持に貢献している【ガネーシャ・ファミリア】だろう。彼の派閥のような大所帯でもない【アストレア・ファミリア】は動かせる人員が限られている。治安が乱れやすい、繫華街に常駐するなど、長期的な安全面に力を入れるのが難しい。

 

 それでも『都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)』のように手広く活動こそできないが、突発的に発生した問題に、いち早く駆けつけ迅速な対応、的確な対処ができるのが【アストレア・ファミリア】の長所とも言えた。

 

 それこそ【ガネーシャ・ファミリア】の手が回らない、揉め事に潜む悪を裁くことこそが『正義』の団旗(エンブレム)を掲げる眷族の使命だった。

 

 団長であるアリーゼの言葉を借りるなら『地域密着型ね、フフーン』らしい。

 

 激闘の暗黒期を乗り越えて、都市に安寧をもたらした頃。【ファミリア】の等級(ランク)がBからAに昇格。アリーゼを含めた三人の第一級冒険者を始め、近々ランクアップ間近と噂されるようになった第二級冒険者のネーゼ達。今までの活動と貢献から『ギルド』――――管理機関から大々的に発表された派閥の等級(ランク)S認定。

 

 名実ともにオラリオの最上位――――いや、頂点(トップ)の仲間入りをした【アストレア・ファミリア】。

 

 他の最大派閥と違い少数精鋭、総構成員数十七名の【アストレア・ファミリア】は結果として、そこが致命的な弱点となってしまった。具体的には月に一度、『ギルド』に納めないといけない桁違いの税金である。ダンジョン攻略、難度の高い強制任務(ミッション)など生温いとばかりに数字の暴力が【ファミリア】を襲った。

 

 あのアリーゼをして『ヤバいわ、このままじゃ大赤字でバーニングよ!』と、何故か嬉しそうにドヤ顔を決めていたのが懐かしい。

 

 掘り起こしてはならぬ【アストレア・ファミリア】の黒歴史。ダンジョン攻略に失敗して、大赤字に陥り食費までも削らねばやっていけなかった汚点の記憶。敬愛する主神、女神アストレア様にギリ食べられる野草と温かい塩のスープを都合、七日七晩も食べさせてしまった恥辱。

 

 下手をすれば、黒歴史の再現まで三歩手間くらい。そんな【ファミリア】の財政状況。

 

 なにがなんでも回避すべき問題である。あの黒歴史を知らないルノアにクロエ、そしてセシル達にバレたら悶絶してしまう。故に未来永劫封印しなければならない。

 

 筆舌に尽くしがたい過去の記憶。それを知らない者たちの顔を思い出して、ふと疑問が浮かぶ。

 

「そういえばセシル達の姿が見えませんが……」

 

 【アストレア・ファミリア】の本拠(ホーム)である『星屑の庭』。この時間であれば離れにある工房から――――鍛冶師(スミス)であるセシルの鎚の音が絶えず鳴り続けていたものだ。それが静かである。

 

「セシル達なら剣製都市に用事があるみたいで外に出たわ。ついでに都市外の冒険者依頼(クエスト)もお願いしているから、暫くは戻って来ないかも」

「初耳ですが……」

 

 アリーゼの答えに驚くリュー。相槌を打つようにルノアとクロエも驚きの声をあげていた。

 

「人手が足りないニャ、本拠(ホーム)を留守にするのかニャ?」

「当面は昼と夜の当番制だな。因みに今日の昼番アタシで、そろそろ祭りの手伝いから戻って来るアスタとリャーナが夜番ってことだ」

「アストレア様の警護も問題はない。まぁ神々の会合とやらで暫く留守にするとは言っていたがな」

 

 クロエの問いにライラが答え、続く質問が面倒だと輝夜が付け足す。

 

「なんか、蚊帳の外って感じなんだけど……」

「ごめんね、ルノア。三人とも忙しいみたいだし、本拠(ホーム)にも帰ってこなかったから大丈夫かな~なんて!」

 

 ルノアの言葉に片目配(ウィンク)せをして謝るアリーゼ。

 

 皆の会話を聞きながら、確かにここ最近、忙しくて顔すら出せなかった。ほんの少し振り返るだけでも色々なことがあったと思い出すリュー。モンスターの集団暴走事件。階層間を無視したモンスターの大移動はあわや、地上進出という最悪のシナリオを過らせた。

 一時は上層にまでやって来た下層域のモンスターを含む巨大な群れ。【ロキ・ファミリア】と連携して押し返し、18階層の安全地帯(セーフティポイント)にて決戦。

 途中、未曾有の異常事態(イレギュラー)――――階層主の出現。本来であれば上の階、17階層にしか出現しない『迷宮の孤王(モンスターレックス)』のゴライアスが、このモンスターの大移動と呼応するようにして安全地帯(セーフティポイント)に生まれた。

 

 しかも、通常種とはことなる『亜種』という形で。

 

 重なる異常事態(イレギュラー)の事態収拾後、『ギルド』から戒厳令が敷かれて諸々を葬られた。

 

(……ああ、そうか。だから、セシルは都市外に出発したのか)

 

 声には出さす、独白を胸中に落とすリュー。あの壮絶な戦いで、破損した武器。それを修理するために実家がある、剣製都市ゾーリンゲンに向かったのだろう。付き添いでイセリナ、シャウ、ウランダ達と一緒に……。まったく気が回らなかった。帰還して早々、祭りが近いとミア母さん(、、、、、)に怒鳴られて準備に勤しんで――――。

 

「――――あっ」

 

 そこまで振り返り、思わず喉を鳴らすリュー。

 

 気づいたと同時に猫を被った仕草でニコニコとしている輝夜と目が合う。ここぞとばかりに玩具にしてやると言外に告げているような仕草である。一瞬、むっとするリューだったが、そんな時間も惜しいと我慢。

 

「おやおや、どうやら、やっと気づいたようですなぁ」

「その猫を被った口調はやめなさいと、何度も言ったはずだ輝夜。聞いているだけで腹立たしい!」

「まあまあ威勢のいい、なら言わせてもらいますが――――」

 

 輝夜の間延びした口調に眉根をひそめてリューが口を尖らせる。

 

「――――何が足を引っ張らない? 遅れを取らない? ぶあああぁぁぁかめ!!」

「!!」

 

 からかうような態度が豹変した。

 

「自信満々に啖呵を切って、なんだその恰好は! 自分の足で立ってすらいないわ、このズッコケ妖精(エルフ)め!!」

「ズ、ズッコケ!? ――――くっうううぅぅぅ!」

 

 突きつけられた輝夜の指先がリューの鼻先に止まって――――ゆっくりと下げられる。放った言葉の証拠だと言わんばかりに指差したのはリューが今、身に纏っている衣服だ。

 

「あ、そうだった。シルに言われて連れ戻すんだった」

「だ、大丈夫ニャ、アーニャに時間稼ぎを頼んどいたから多分……ヤバいニャ!」

 

 どうやらルノアとクロエも失念していたらしい。実に呆れてしまう。リュー達、三人が抱える大事な仕事。【ファミリア】の副団長を任されている輝夜からすれば面倒事であり、自分も巻き込まれていたらと思うとぞっとする気持ちだ。

 

「私や団長の心配をする余裕が本当にあるのか? この未熟者め」

 

 そう問われた三人に余裕なんてものはない、全くもって皆無である。リュー達が今、着ている衣服は普段着でもなければダンジョンに赴くために必要な戦闘衣(バトル・クロス)でもない。

 

 着ている服装は、若葉色を基調としたジャンパースカートと白のブラウス。誰がどう見ても給仕服のそれである。冒険者界隈で有名な、あのオラリオで一番安全な酒場と呼ばれる――――怒らせると滅茶苦茶、恐ろしい女将が仕切る『豊穣の女主人』の店員(ウェイトレス)だけが着ることを許される衣服。

 

 それを着たままリュー達、三人は抜け出したのだ。

 

 嗚呼、なんと恐ろしいことだろう。掃除に買い出し、下ごしらえ。ただでさえ、大変な業務に上乗せして近々開催される祭りに向けての準備等々……。

 

 それこそ、当の本人であるリューが失念するくらいには近頃、重労働な酒場の仕事。ピークの夜中と違い昼時とはいえ、抜け出したのだ。

 

 ――――勿論、無断で。

 

「こ、こんなところに居られないニャ!? ミャーは戻るのニャ!」

「ば、馬鹿! そんなこと言ったら本当にミアお母さんにバレて怒られるだろ!」

 

 いち早く……いや、遅く身の危険を悟って既に駆け足のクロエ。それを追いかけようとするルノア。後ろ髪を引かれる思いで二人の背中を眺めるリュー。

 

「ほら、早くいけ。こっちまで飛び火したら本当に面倒だ」

「い、いいでしょう輝夜。一先ず、この話は預けます。ですが、戻ったら私の話をもう一度、聞いてもらいますからそのつもりで」

「だったら手柄の一つでもあげてみせろ糞雑魚妖精~~~~」

「上等だッ輝夜!! その暁には洗いざらい、その口から全て白状させてみせる」

「ほほう、言うではないか。生憎、皿洗い程度で喋る口などないわ~~」

「――――グルルルッ!!」

 

 『豊穣の女主人』でウェイトレスをしているリューが皿洗いをしていることを知ってのからかい。それが口火を切ったのか、遂には取っ組み合いまで発展する二人。巷で有名な男子禁制の乙女の花園が猛獣同士の喧嘩の場になっていると知ればドン引きするだろう、そんな光景。

 

「なぁーリオン。本当にそろそろ戻らねえとヤバいんじゃねえか? あの二人、完全に行ったぞ」

「――――はっ!?」

 

 呆れたような声で止めに入るライラ。振り向けば、本当にいない二人の姿。顔を戻せば、勝ち誇った顔をしてみせる輝夜に冷めた熱が再浮上。ややあって顔を振りかぶり、手を解く。

 

「お、覚えていなさい輝夜っ!!」

 

 そう捨て台詞を残して、金髪を揺らし疾走。通りに出たのか、外から二人を呼び止める声が聞こえた。

 

 それを確認しては、最初にライラが短く嘆息を吐いた。

 

 互いに無言の視線が交差する。がらりと空気が変わり、沈黙。仕方ないとばかりに最初に口を開いたのはやはりライラだった。

 

「……それで? 一体、いつになったらリオン達に『秘密』を話すんだ」

「そうね、私はリオンや皆と共有したいと思っているんだけど……どう、輝夜?」

 

 ライラの促すような視線を受け取ってアリーゼが副団長の名を呼ぶ。もう、何度もしたやり取り。輝夜の態度からわかりきった答えを、それでも確認せずにはいられなかった。

 

「――――当分、先の話だ。まだ、私達三人だけの秘密にしておきたい」

 

 他の仲間、団員達も出払って三人しかいない本拠(ホーム)の広間。僅かに声のトーンが下がった会話が暫く続いた。

 

 

 

 

 

 切り札であり最終防衛線であった、頼みの綱。同僚のアーニャの健闘空しく、裏口からこそっと戻っては即バレからの神速三連続鉄拳を頂き、床に沈んだ三人娘。仕事を放り出した罰として増やされた仕事に勤しみ、気付けば日が市壁の向こう側へと傾いていくのが見えた。

 

 茜色の空が徐々に夜空に変わろうとしている。人々の往来が絶えないメインストリートからは冒険者たちの大声が響き、神々たちの笑い声がこだまする。

 

 開放された店の窓から聞こえてくるオラリオの日常。

 

 そのなんでもない一(ページ)が、リューは誇らしかった。アストレア様と出会い、アリーゼに手を握られ、輝夜とライラ――――仲間との冒険。あの暗黒期を乗り越えて、『正義』のために戦って平和を守ってきた。アリーゼの背中を追って、辿った道が今のオラリオの平穏に繋がっているのだと強く確信していた。

 

 胸に抱く強い意志。だが、同時に浮かぶのは不安。果たして、今の自分はその正義の輪にいるのだろうかという焦燥感。この拭いきれない不安を覚えたのは、いつからだったか……。

 

 長いこと【ファミリア】と酒場の両立をしていたせいで、気付くのが遅かった。アリーゼ達が『何か』を隠していると思ったのは本当に最近だ。モンスターの大移動、あの集団暴走事件のとき、不審な動きを見せるモンスターの一団がいたのをリューはその瞳で見ている。

 

 階層間を無視したモンスターの群れ。あの異常事態(イレギュラー)では不思議でもない光景に違和感を覚えたのを今も鮮明に覚えている。

 

 蜥蜴人(リザードマン)石竜(ガーゴイル)歌人鳥(セイレーン)人蜘蛛(アラクネ)半人半鳥(ハーピィ)一角兎(アルミラージ)戦影(ウォーシャドウ)――――――――。

 

 キリがないモンスター名称。奇妙な違和感を覚えた、謎のモンスターの集団。

 

 冒険者の武具を使って同族である筈のモンスターを屠り、冒険者の防具で襲いかかるモンスターの爪牙から身を守る……。まるで、自分達が培ってきた『技と駆け引き』を彷彿とさせる動き。

 

 極めつけは【ロキ・ファミリア】との一幕。敬愛なる王族(ハイエルフ)、【九魔姫(ナイン・ヘル)】の指揮下にあった魔導士部隊の一斉掃射。その射線上にいた、歌人鳥(セイレーン)をまるで庇うかのように飛び込んでいったアリーゼの行動。

 

 なぎ倒される木々に振り落ちる水晶の雨。轟音と土煙が舞う爆心地。

 

 輝夜が声を荒げて制止するのも無視して、疾風のように駆けた。その先でアリーゼの無事な姿を確認するよりも早く、土煙のカーテンの先で耳に届いたのは――――。

 

『――――ありがとウ』

 

 そんな言葉じゃなかったか。

 

 仲間たちの声、怪物の咆哮、剣戟のぶつかり合い、震動と轟音、崩れ落ちる水晶。それらが一緒くたになって混ざった音――――そう飲み込んで、幻聴と断じることができればどれだけ救われただろう。

 

 間も置かず、18階層の天井――――光り輝く水晶の空から、こじ開けるようにして産み落とされた『亜種』のゴライアス。更に見舞った異常事態(イレギュラー)にあの戦場は一時、混沌を極めてしまった。

 

 問うことはできなかった。

 

 もし、あれが幻ではなく――――。

 

「――――ねぇリュー、大丈夫?」

「っ!? シ、シル……どうしましたか。皿洗いなら問題なく片付けていますが」

「あ、やっと反応してくれた。もう、ずっと呼んでいたんだよ考え事でもしていたの?」

「いえ、そんなことは……」

 

 伏せていた顔を上げ、振りむく。恩人であり、友人の少女。薄鈍色の髪と瞳をした彼女――――シル・フローヴァ。直視はできなかった。今の心境を見透かされるようで思わず、その瞳から視線を切ってしまった。

 

「同じ、お皿を何度も洗ってるみたいだけど」

「え……あっ、私としたことが……」

「リュー、何かあったの?」

「……」

 

 ピカピカに磨かれ続ける一枚の真っ白な、お皿と山のように積み上げられた皿。これっぽちも終わっていない仕事に気づいて慌てふためくエルフが一人と、可笑しそうに笑みをこぼす少女が一人。

 

 そっとシルの手が頭に差し伸べられる。

 

「たんこぶはできてないよリュー、良かったね」

「は、はぁ……」

 

 リューの頭をポンポンとしながら、ほわっとする微笑を浮かべたシル。リュー達が無断で抜け出して、戻った昼過ぎ。頭に喰らったミア母さんの鉄拳による後遺症で、記憶を飛ばしたのではないかと心配している素振りだった。

 

 戸惑うリューを残してシルが山脈のように連なる食器の数々を眺めて、声を落とす。

 

「わぁ、この量は凶悪だね。手伝うよ」

 

 そう言って、隣に立つシル。手近にあった皿を一枚、手に取り洗っていく。黙々と無言で皿洗いに勤しむ時が流れた。どれくらいそうしていただろうか、没頭していく作業に余計なことを考えずにすむ安堵感と少女が与えてくれる安心感。

 

「シル……」

「うん」

 

 つい、彼女の名を呼んでしまう。そのまま、一つ一つのボタンを外すように悩みを打ち明けてしまった。洗い終える皿が一枚、一枚、重なっていくごとに彼女もまた相槌を打つ。

 

「――――今も昔も悩んでばかりいる。シル……私は、どうすればアリーゼ達に認められるのでしょうか」

 

 あの一幕。『ギルド』が敷いた戒厳令を言い訳に使い。謎のモンスターの集団は口に出さず、縮まらない妙な距離感を感じていることだけを相談した。

 

「私は今も昔も一生懸命なリューの姿を見ているから、きっとアリーゼさん達もちゃんと分かっていると思うの。うん、私が保証するよ」

 

 シルの細い手がそっと置かれる。

 

 アリーゼに続いて、リューの手に触れることができた少女の温もりが伝わる。

 

「クレーズ夫妻のときだって、リューは迷わずアンナさんを助けにいったでしょ」

「あれは『人攫い』と勘違いをして……輝夜の言う通り、些か軽率な行動でした。結果こそ良かれ、アストレア様や皆に……シルにも迷惑をかけた」

「ううん、気にしてないよ。それにアンナさん達は助けてくれて、ありがとうって感謝していたよね」

「それは……」

 

 リューの頭の中で重なる『ありがとう』という言葉。確かに、そうお礼を告げられた。

 

 クレーズ一家、その旦那であるヒューイの賭博癖から端を発した事件。ある酒場で行った賭博。酔いの勢いもあったとはいえ冒険者たちに誘われて、あれよあれよと負けが込み。遂には娘を担保にした勝負で……そうして、借金の質という名目で攫われたクレーズ夫妻の娘、アンナを助けてほしいと【アストレア・ファミリア】の元を訪れた、夫妻。

 

 あの当時、足取りが掴めなかった『人攫い』と冒険者崩れ――――チンピラがよく使う、恫喝と退路。八方塞がりの二者択一を強要する手口を『人攫い』と混同しては色々とあった。

 

「多分、あの時みたいにリューの方から行動しないといけないんじゃないかって、私思うの」

「私の方から、ですか」

 

 アリーゼ達に認められるために動くのではなく、あの時みたいに『正義の在り方』を――――『答え』を出して進むことを。

 

 シルが言いたいのはそういうことなのだろう。自らアリーゼ達に答えを提示できるだけの『何か』を見つけて、踏み出さないといけないと。

 

「ちょっとは助けになれたかな」

「はい」

 

 少女の問いに短くも迷いのない返事。薄鈍色の瞳を通して映る自分の姿に向き合った。

 

「悩んでるリューも好きだけど、やっぱり私は今のリューが大好きかな」

 

 頑張ってね、と。言いたげな顔で無邪気に笑うシル。臆面もなく言うのであるのだから、頬が紅潮してしまう。一つ咳ばらいで誤魔化す、仕草で隠しつつ、あれだけあった皿の山は消えていた。

 

「あ、そうだった。リューに伝えることがあったの、すっかり忘れていた」

 

 そんな言葉が飛んできた。具体的には水気をふき取り、皿を棚にしまった辺りで。

 

「なんですか、シル。その、芝居がかった言い回しは……」

 

 最後に「テヘ」っと。わざとらしく舌を出しては前かがみ姿勢になって横顔をチラリと向ける。神々がいうところの『あざとい』印象をぶつけてくる良質町娘。シルに限って、伝言を忘れるなどありえないと頭の中では理解しつつも、相談にも乗ってもらい仕事も手伝ってもらったことからか、飲み込んでしまう他ない状況に次の言葉を黙って待つしかないリュー。

 

「あのね――――」

 

 続く言葉に空色の瞳を大きく見開き――――

 

 

 

「――――本当に、すまない! 待たせてしまったシャクティ!!」

 

 懇切丁寧に腰を曲げ頭を落とし大声で謝罪した。

 

「い、いや……突然、訪ねて会わせて欲しいと無理を言ったのは私だ。そう畏まらないでくれ」

 

 酒場の裏口、人通りのない裏道に声が二つ。

 

 シルに言付けを頼み、裏口で待っていたのは一人の麗人。藍色の髪と瞳、怜悧な美貌からは組織の長に立つに相応しい印象を与える。

 

 だが、それも当然だった。

 

 彼女は事実、【ファミリア】の団長の地位を頂いている。【アストレア・ファミリア】と同じく、都市の平和の守り手。【ガネーシャ・ファミリア】の団長、シャクティ・ヴァルマ。盟友であり、派閥間でも親密な関係を築いている間柄。

 

 間違いなく、多忙で暇なしの『都市の憲兵』の長が一体、どんな理由で訪ねて来たのかと思いつつ。長い時間、待たせてしまい申し訳ないと心底思った。

 

 もしかして、シルは皿洗いが面倒で渋ったのではないのかという考えが過り、一瞬でも疑念を抱いたことを恥じては苦悶の表情をして困惑させた。……シャクティを。

 

「そちらも忙しいようだな、リオン。呼び出して悪かった、また今度、暇な時にでも話をするとしよう」

「大丈夫だシャクティ。それで要件とは?」

 

 若干、引き気味のシャクティを呼び止め言葉を待つ。

 

「そうか、それは助かる……」

 

 ほっとするような安堵の息をして、麗人の顔に微笑が浮かんだ。憲兵としての雰囲気からほど遠いソレは時折、垣間見せるシャクティのもう一つの顔だった。それをよく知るリューは彼女の言葉を待つまでもなくささやいた。

 

「もしや……アーディのことですか?」

「ああ、その通りだ」

 

 既に『姉』の表情のシャクティが肯定して頷く。

 

 シャクティ・ヴァルマには歳の離れた妹がいる。名をアーディ・ヴァルマ。同じ派閥に属し、組織の関係上では部下、幹部の一人の立ち位置にいるアーディ。そして、リューにとっても他人ではない存在。ただでさえ、交友関係が薄いリューにとって他派閥の友人であるアーディは大切な存在だった。彼女の底なしの明るさは、アリーゼとは別種の温もりを与えてくれる。

 

 彼女の身に何かあったのかと、緊張した面持ちでシャクティの言葉を待つ。

 

「いや、なんだ……体裁上、注意しかできなくてな」

 

 【ファミリア】の長としての毅然とした態度。妹を慮る姉の気持ち。そんな前置きを口にして本題を喋る。

 

「最近、やっと心身が一致してきたと安心したんだが……どうにも、別の『患い』を抱えだして困っている」

「っ!!」

 

 シャクティが口にした心身の一致。それは冒険者でいうところの昇華(ランクアップ)を果した際に生じる、器と心のズレという話――――ではない。続く、『患い』と同じく彼女達でしか通じない合言葉のようなもの。

 

 七年前を境に、アーディが抱えた問題。その符丁を意味する言葉である。

 

 漠然として七年前。いつ頃、そうなったのかは分からない。だが、気付いた時にはそうだった。それは見回り(パトロール)中だったり、ダンジョンに潜っている時だったり……。それこそ、人々が行き交う、なんでもない日常ですら、それはあった。

 

 患ったかのように、ある『条件』を満たした人物を追いかけてしまう病。

 

 男であった。歳からいって丁度、少年。種族はヒューマン。瞳は紅く、そして白い髪。これに少しでも当てはまる人物を見つけた時、全てを放り出して追いかけてしまう。見失えばアーディは夢遊病者のように彷徨うことだってあったし、酷いときは本拠(ホーム)に何日も帰らずに都市の隅々まで『条件』に当てはまる人物を見つけようと躍起になっていた時期もある。

 

 それでいて、当てはまる人物を見ては違うとばかりに熱が冷めていくアーディの奇怪としか表せない行動。故に『患い』として長年、二人を悩ませた問題。

 

 心身の一致。それが意味するのは完治したということだろうか。言葉にしなくても空色の瞳に浮かんだ感情を悟って頷くシャクティにリューも思わず瞳を見開いて驚く。

 

「相手はっ!?」

「まだ、分からない。この件では色々と言い合いにもなったからか、喋ってくれなくてな」

 

 安堵と不安が胸中にざわめく。

 

 長年、アーディを悩ませた『患い』が完治されたなら喜ばしいことだ。だが、同時に別の問題が浮上したとシャクティは口にしたではないかと。

 

 あの都市最高の治療師(ヒーラー)。【戦場の聖女(デア・セイント)】をして完治できないと言われた、アーディの病いを癒した謎の人物の正体。

 

「……それにだ」

 

 リューの動揺を置いて、シャクティの言葉は続く。

 

「店じまいしているというのに夜遅くまで『交易所』の辺りをうろついていると報告があった」

 

 無論、そこら一帯で商売をしている商人達からすればありがたい話ではあるのだが、と。一呼吸の間を置いて話が続く。その時間帯に派遣した覚えのない団員の目撃情報。報告された外見からしてアーディで間違いないのだが、念には念をと副団長であるイルタに頼んだところ案の定であった。

 

 場所は『交易所』の端にある蚤の市地帯。イルタ曰く、とても楽しそうに連日ずっと誰かを待っているような素振り。その手には数冊の本。無論、姉であるシャクティも友人であるリューもそれが、ある英雄譚であることは口にしなくても分かっている。肝心なのはソコではなく、姿を見せない待ち人。

 

「なるほど、大体の状況は理解しました。つまり、代わりに私が出向いてアーディから話を聞けばいいのですね」

「ああ、個人的な頼みで、すまないがリオン。頼めるか? 私が口を出しても団長としての立場からでしか諌めるしか他ない」

「ええ、貴方の立場はよく理解しているつもりだ、シャクティ。任せて欲しい」

「助かるよ、リオン」

 

 

 

 月明りのない夜空。曇天に広がる黒い影の下、リューは夜風に身を置いていた。組織人としての束縛から『姉』としての役割を果たすことができないシャクティに代わり、動くことにしたリュー。互いに残った仕事があるため、談笑をそこそこに。残った仕事を片付けては身支度をすませて裏口からそっと抜け出した。

 

 酒場の給仕服から私服に着替えて、腰には念の為、木刀。

 

 酒場がある東のメインストリート。石造りの店が建ち並ぶ道を一人歩き、向かうは都市の南西部。西と南西のメインストリートに挟まれた第六区画――――『交易所』に足先を向ける。アーディが待つ謎の人物。見過ごせない要素を多分に含む、不埒な輩と既に決めつけながら……今さらながらに気づく。

 

(どうして、ここまで心を乱されるのだ)

 

 理由は分からなかった。シャクティの口から聞かされた時、リューの中で小石を放った水面が波紋を広げるように徐々にざわめきを上げていた。無論、友人であるアーディのことは心配している。厚顔無恥にも夜遅くまで女性を一人残して、すっぽかすなど一回でも罰に当たる所業。言い訳でも述べようものなら、輝夜が憑りついて『吠えるな』と、一喝すること間違いない。

 

 だが、違う。

 

 友を誑かして、燃える義憤とは違う感情。

 

 戸惑いが色濃い、この感情が何に根差しているものなのか判断ができなかった。

 

 思い出せない光景を無理矢理、像として結んでいるような。それでいて頭ではまったく認識できない『ソレ』。くっきりと鮮明に焼き付いた筈の記憶が、それが意味するものが空白となって抜け落ちている感覚。広がった波紋はそのまま。放られた小石は深くリューの中で沈んで、沈殿していく。それがたまらなく嫌で乱されるのだ。

 

 きちんと理解できないまま、それでも一度認識してしまえば、その事実を覆すことができない。

 

(アーディが待っている人物に私も会えば、このモヤモヤも晴れるのだろうか)

 

 独白を落とす。当然、答えはない。だが、間を置かずリューの耳に届く音があった。

 

 夜風に吹かれて、届く都市の雑踏。それに混じって聞こえたのは、か細い悲鳴だった。反射的にリューの双眸が声の方に向かう。第一級冒険者の五感が捉えた先、助けを求める悲鳴。通りを挟んで向こう側。石造りの店と店の間にある小さな通り道で小さな影が過ぎ去り、間髪入れずに、追手の影が通過。

 

 スイッチが切り替わる。躊躇はなかった。

 

 呼気を正して、ざわつく心を黙らせて地を踏みしめる。一歩前に大きく、踏み出した瞬間。圧倒的な能力(ステイタス)をもって、夜空に躍り出た。疾風のように駆けて、瞬く間に眼下に捉える。そのまま落下する速度ごと、推進力に変えて着地。と、同時に跳躍。店の屋根を蹴り上げ、放たれた矢のように隙間を縫って割って入る。

 

 追手の、一番先頭を走る影に向かってあいさつ代わりの一刀を頭上から振り落とした。

 

「――――!? ちっ、誰だい!」

 

 互いの得物がぶつかり、甲高い音がこだまする。その音に続く者達も足を止めて、乱入者に視線を注ぐ。誰何を問う、声。大刃を盾にして、初撃を防いだ女の怒気が伝わる。

 

「……【疾風】」

 

 端的に短く、正体を明かす。

 

 問われた以上、答えないわけにはいかない。それだけだった。それでも名を明かした効果はてき面。先頭で得物を構え直す女を除いて、驚愕の声が広がる。

 

「気に入らないねえ、やろうと思えばさっきの一撃で終わらせただろう。ええ、【疾風】」

「気に入る、気に入らないの話ではないアマゾネス、無用な争いは避けるべきだ。それに――――」

 

 一呼吸入れるように、間を置いて静かに宣告する。

 

「――――私はいつもやり過ぎてしまう(、、、、、、、、、、、)

 

 圧倒するように威圧感を含ませて言い放つ。【アストレア・ファミリア】所属の第一級冒険者と名乗った存在に慄く中で、ただ一人だけ戦意を滾らせている。女は踊り子を思わせる衣装を纏ったアマゾネス。あれがあの集団で一番強く、まとめ役なのが気配で分かる。他の者達も、その纏う恰好からして判断できた。アマゾネスの一団。鼻孔をくすぐる麝香と相まって、すぐさまリューは相手の集団が何者なのか理解する。

 

 歓楽街を拠点に活動する娼婦。冒険者とはまた、違う総称で彼女らを『戦闘娼婦(バーベラ)』と呼ぶ。

 

 主な活動拠点は南東区画であり、ある美の女神が支配する領域。その眷族である戦闘娼婦(バーベラ)の集団が夜中とはいえ大手を振って得物を振り回し、一人の――――犬人(シアンスロープ)の少女を追い回すのか。どちらにせよ、是非を問うことなくやることは決まっている。

 

「逃げなさい、そこの犬人(シアンスロープ)

 

 肩越しに後ろを見る。栗色の髪から覗かせる獣人特有の耳。突然の救い主であり乱入者に困惑の色を隠せないでいる少女に声を飛ばす。それでもすぐに状況を理解してか、もう振り向くことはないとばかりに全力疾走で逃げる。

 

「ちょ、ちょっと私達、悪者じゃないし! あの子が大事な――――」

「よしな、レナ!!」

 

 逃走の手助けをするや否や、アマゾネスの少女が批難する。その続く言葉を制止するのは頭目のアマゾネス。思わず口から出てしまったのだろう、しまったとあまりに分かりやすい表情に些か拍子抜けして、リューも口を開く。

 

「そちらもだアマゾネス達。事情があるのだろうが、手荒な真似はしたくない。このまま大人しく本拠(ホーム)に戻るというのなら見逃してもいい」

「はっ! 気に食わないね【疾風】。思い上がってんじゃないよ!」

「え、なになに、戦うのアイシャ?」

 

 仲間の一人に名を呼ばれた女傑が肯定だとばかりに大刃の切っ先を翻して向ける。それが合図だった。彼女がそういうのならと各々が得物を握りしめて果敢に挑む。相手は妖精一人であるにもかかわらず容赦のなく振り落とされた火蓋。

 

 

 

 だが、結果から先にいって勝負にすらならなかった。時間にして十秒にも満たない交戦。アイシャと呼ばれた女傑が粘って数秒、膝を落とした後は殆ど流れ作業のように妖精の無双で終了。それも仕方のないこと、あまりに戦力差がありすぎた。勿論、妖精は掠り傷ない無傷。完勝。

 

「ぐぅ……クソ……」

 

 仲間の半分が意識を飛ばし、残りの半分が呻いている。文字通り、やり過ぎの妖精がしでかした惨状。その中で、ただ一人かろうじて二本の足で屹立しているのがアイシャである。血は吐いては罵るように言葉を絞り出す。

 

 満身創痍のアマゾネスの悪態に耳を貸すことはなく、耳朶に響いたの別の音。

 

「この足音は……【ガネーシャ・ファミリア】?」

 

 統制の取れた足音が此方に向かってやって来るのが聞こえる。誰かが通報したのだろう、もしかしたらあの、犬人(シアンスロープ)の少女だろうか。もう、近くまで『都市の憲兵』の気配が感じられる。

 

「仕方ないねえ。切り上げるよ、サミラ! レナを起こしてやりな」

 

 となれば、当然アマゾネス達にも聞こえている。「くぅ~」と、伸びている少女の肩に手を伸ばして支えている仲間に、ぞろぞろと起き上がっている戦闘娼婦(バーベラ)達。いつの間にか高等回復薬(ハイ・ポーション)で傷を癒して空になった容器が乱雑に転がっていた。

 

「待て、大人しく――――」

 

 悔しいが潮時だと、引き上げる素振りをし始める彼女らを引き留めようと前に出た。

 

 正にその時。

 

 ――――荘厳に轟くような落雷が起こった。地上から夜空に向かって迸る雷光。見る者を圧倒するような輝きが、光の帯が天を突き抜けていった。炎のように荒々しく、それでいて惹きつけるような黄金色をした光の粒。

 

 理解できなかった。分からなかった。それでも、どういう訳か夜空を焦がす、あの光景に空色の瞳は釘付けになってしまった。瞳を通して更に奥に焼き付いていた筈の思い出。

 

 まるで前にもあったかのような既視感が浮かぶ。

 

 あの光景も忘れてしまうのだろうか、消えてしまうのだろうか。どれだけ大切に記憶の箱にしまっても空っぽになってしまいそうな一抹の不安。あの空を突き抜けた雷光のように二度と手の届かない場所に行ってしまうのだろうか。

 

 水面にうち捨てられた筈の記憶が今になって気泡を放ち、波紋となり、リューを襲った。

 

 自身の感情を理解できないまま、ずっと夜空を眺めていた。『都市の憲兵』が、騒ぎを聞きつけてやって来たシャクティに肩を叩かれそうになるまでずっと、ずっと。光の粒が消えた後も訳も分からず見上げていた。

 

 ただ一言、消え入りそうな声音でささやいた。

 

「……アル?」

 

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