彼方に継ぐ道化師   作:転生したらアメリカザリガニだった

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第七話 送り兎①(ボディーガード)

 白亜の万神殿(パンテオン)、ギルド本部。ここは迷宮都市オラリオの心臓部と言うべき場所であり、ダンジョンに潜る冒険者達を支える大きな基盤でもある管理機関。その業務は多忙を極め、ギルド職員はそれぞれに、それぞれの抱えた問題を処理することに忙殺されていた。

 

 ハーフエルフであるエイナ・チュールも例に漏れず、その忙殺されるギルド職員の一人だ。

 

 清潔感漂う白のシャツと黒のタイトなスーツをまとう彼女の動きは一糸乱れず、テキパキとしたはたらきをしている。ギルドを訪れる冒険者達を一手に対応する窓口受付嬢。

 

 大蛇の如く、並ぶ冒険者達の列。一人、また一人と口にする冒険者依頼(クエスト)の達成報告やダンジョン内での遺失物の相談を滞りなく捌いては捌きまくるエイナ。

 

 冒険者達の喧騒に満ちた白大理石のロビーと敷居のようにある窓口の長台(カウンター)がエイナ――――窓口受付嬢達の戦場であり、彼女たちの仕事だ。

 

「確認しました。こちらが冒険者依頼(クエスト)の報酬になります」

 

 そう言って屈強な冒険者に道具箱(アイテムボックス)を渡すのは燃えるような赤い色の長髪と琥珀色の瞳をした狼人(ウェアウルフ)のローズ・ファネット。エイナの先輩であり、大人の女性たらしめるプロポーションはどの角度から切り取ってみても実に絵になっている。そんな受付嬢は実に率直(フランク)な口調で冒険者とやり取りをしていた。

 

 着飾ることのない言葉の節々は彼女の気性なのか、悪く受け止めれば冷たい印象を抱き、好意的に受け止めるのであれば能率的(ビジネスライク)といった印象を感じさせる。どちらにせよ、歯に衣着せぬ狼人(ウェアウルフ)の受付嬢は今日もそつなく応対していた。

 

「ご用がないのでしたらお引き取りください、果てしなく迷惑です。本当に邪魔です」

 

 ローズの隣。別の窓口にて他の受付嬢と冒険者とのやり取りが繰り広げられていた。

 

 ぐはっ、と吐血するような面持ちで冷たい白大理石の床に倒れ込む冒険者と引きずっていく仲間たち。そんなちょっと奇抜な光景もここでは当たり前の出来事として流されていく。項垂れる彼がしでかした偉業ならぬ蛮行は下心ありきのお誘い……ナンパである。

 

 そんな誘いを無下に切って捨てたのはエルフの受付嬢ソフィ。エルフ特有の長く尖った耳と氷のような銀髪が特徴の少女は特段、変わった様子もなく無表情で淡々と仕事を再開している。ローズの対応がサバサバ系と評するのならソフィはバサバサ系。寄って来るもの鋭利な言葉で撫で斬りにしていくスタイル。小さな口元に笑みもなく瞳は極寒を感じさせるエルフの受付嬢は今日もぞんざいな対応をしていた。

 

「うええっ! ご、ごめん、ぶつかっちゃった! 」

 

 肌寒さを感じさせるソフィの隣から底抜けの明るい悲鳴が届く。寒暖差激しい長台(カウンター)を挟んで書類の山に雪崩を招いたのはヒューマンの受付嬢ミィシャ・フロット。桃色の髪を揺らしては方々に頭を下げる。その小柄な体型もあいまって何処か小動物的な可愛らしさを感じさせるドジっ子系受付嬢は、先輩のソフィから抜き身の刃物を彷彿とさせる視線を浴びて涙目になっていた。あたふたとせわしない挙動をして散らばった書類をせっせと回収していく。ミィシャは周りを巻き込むバタバタ系女子という称号をほしいままに、今日も一生懸命に対応していた。

 

 そんな彼女達の仕事の日常に変化が生じたのはごく最近のことである。ミィシャの慌ただしい様を傍目にローズはちらりと目配せでもするように視線を飛ばす。こういう時、きまって助け舟を出すのが手のかからない後輩であるハーフエルフのエイナ。エルフの血が半分流れているにしては半分以上に真面目な彼女が今日も珍しく自身が受け持つ業務に没頭している。

 

 冒険者の対応配置(シフト)が終わった途端これだ。そう訝しむローズは思い当たる節がないかと巡らせては心当たりを見つけて得心する。そして、嘆息。

 

 仕事机(ワークデスク)に齧りついて黙々と仕事の虫となっているエイナ。彼女が握る羽ペンの切っ先は小気味のいい音を立てている。積まれていく羊皮紙の束は生真面目な気質を具現化でもしたかのように、その数を増やしていく。長所と短所は紙一重。エイナの長所がどうやら今回も新顔である冒険者の担当になったことで短所に転じたのだとローズは理解した。

 

 オラリオを訪れて冒険者の門を叩く者たちで溢れかえる、この季節。繁忙期に合わせて進む業務にエイナだけ更に追加で課せられたアドバイザー業務。ここ何度か目にすることはあったものの冒険者に頓着しないローズの印象は精々、年若いヒューマンの少年程度。その少年にエイナはどうやらまたしても入れ込んでしまっている。それも必要以上にだ。

 

 ローズが常日頃から喧伝するように戒めとして聞かせている言葉はどうもハーフエルフの後輩の耳には届かないでいるらしい。『冒険者に深入りするな』この教訓はなにも中立を旨とするギルドの立場を汲んでのことではない。組織人としての意味合いよりも個人としての向き合い方の問題なのである。

 

 冒険者は簡単に死んで去っていく。どれだけ尽くしても明日も分からぬ存在が冒険者という存在だ。今日、冒険者になった彼等も遠からず過ぎ去っていくだろう。冒険者との距離が近づけば近づくほど別離の時に訪れる喪失感、無力感は拭えない傷となって残ってしまう。

 

(これは釘を刺した方がいいわね……)

 

 在りし日の自分を重ねては思わず吐きそうになった溜息を堪えるローズ。だが、すぐ横で見事な放物線を描いてズッコケる後輩。手のかかるヒューマンの少女の盛大な尻餅と辺りに散らばった羊皮紙の束にローズは今度こそ溜息を吐いて、仕方なく助け舟を漕ぎだすのであった。

 

 昼時、事務室。

 

 冒険者の様々な要求要望に応えては、束の間の休憩時間。多忙なだけあり、外食に向かった職員は少なく珍しく知った顔ぶれが多くいた。

 

「あ、お疲れ~エイナ」

「……なにしてるのミイシャ」

 

 疲労を拭いきれぬまま抱える用件を済ませて事務室に戻ってきたエイナ。思わず目にした光景に呆れ顔をしてこぼした言葉にミイシャは愛嬌ある仕草でトホホとしてみせた。

 

「仕事の邪魔をした罰」

 

 エイナの問いに応じたのはソフィ。乱雑に積まれた書類をせっせと整理しているミイシャの傍ら、悠々とした態度でお茶を飲んでいる。

 

「チュール、あんたが世話役なんだからちゃんと面倒みなさいよ」

 

 ソフィの言葉を引き継いでローズが喋る。

 

「そうだよー最近のエイナ冷たいよー助けてママー」

 

 締めにとミイシャが駄々をこねては嗚咽をもらして机に突っ伏した。あられもない姿を見せる小さな同僚のちょっとした騒動を知ったエイナは申し訳なさそうに手を合わせて謝り、書類整理に加わる。

 

 昼休憩も半ばが過ぎた頃、雑談を交えながらエイナはふと思った。

 

(そういえば、皆と一緒に会話をするのも久しぶりかも……)

 

 ベルのアドバイザーとなって数日。エイナはギルドの上層部とヘスティア・ファミリアの仲介役として方々にせわしなく動いていたからだ。こうして、事務室に入って皆と談笑するのも久しぶりだと感じる程度には距離がひらいていた。

 

 そうとは気づかず、エイナの表情に感慨が浮かぶ。そんな同僚の表情を読み取っては赤髪の狼人(ウェアウルフ)は話題を変えるようにして、虚をつくようにエイナに話を振った。

 

「それで? そろそろ聞かせなさいよチュール。最近、あんたが夢中になってお世話してる冒険者の話」

「なっ、ローズ先輩、私は夢中になんてなっていません! ベル君……んん!! クラネル氏に無理難題を押し付ける上層部の方針に異議を唱えているだけです!」

「……重症。ミイシャお茶注いで」

「は、はい!ソフィ先輩」

 

 期せずして件の冒険者の名前を知ることとなった一同は苦笑交じりに盛り上がりを見せた。少年の名前を出してしまったと後悔するが、もう遅い。そんなエイナの態度を見て、ローズはやはりという面持ちで腕を組んでは語尾を強くしていく。

 

「そうやって、いい顔するから上にも利用されるのよ。冒険者に肩入れしたって徳にもならないよチュール」

 

 年長受付嬢の警告が飛ぶ。幸いかはさておき、少年の名前以上は詮索されることはなかった。物珍しさはあるものの、エイナが事あるごとに冒険者に力添えをするのは今日に限ったことではないからだ。それでもと、ローズは口を酸っぱくするように再度、エイナに忠告をする。

 

「いい加減、割り切れる関係を築けないと傷つくだけよ」

「……はい」

「それに、結局のところ冒険者なんてダンジョンに憑りつかれた迷宮中毒者なんだから放っておけばいいのよ」

 

 あまりにな最後の言葉を締めに休憩時間の終わりをしらせるベルが鳴る。慌ただしく身なりを整えては各々に持ち場に向かっては事務室をあとにしていった。

 

「肩入れしすぎているのかな……」

 

 一人になった事務室にそんな言葉がこだまする。確かに先輩たちの言う通り、多分に与しているのは否定できない。冒険者との距離感は大切である。超えてはならない分水嶺を見誤った結果、どうなるのかエイナ自身それは身に染みて知っている。

 

 もしかしたら後悔する時が訪れるかもしれない。それでも……。

 

「うん、やっぱり放っておけないかな」

 

 エイナの視線の先にある摩天楼。その地下深くにあるダンジョンにて今も孤軍奮闘している少年の姿を幻視しながら強く頷く。先輩の警告は発破に変わり、熱を上げて仕事に没頭するのであった。

 

 ヘスティア・ファミリアの等級が決まった、その日に言い渡された強制任務(ミッション)。通常、殆どの場合は到達階層の更新とその階層内で入手できるドロップアイテムの一定数確保。だが、所属している団員が一人のみで到達階層が上層からということもあり、今回の内容は異例の任務だった。それは上層区間の新規開拓ルートの一定数確保。

 

 ギルド長、ロイマンいわく。遠からず帰港する『学区』の問題――――学生と冒険者との摩擦解消である。もとより、上層での活動が多い冒険者たちは絶えず揉め事が報告される。モンスターのなすりつけやドロップアイテムの優先権等々と冒険者の半数以上が活動圏内であるため、その手の問題は枚挙にいとまがない。

 

 それに拍車をかけるのが『学区』に所属……在籍している学生達だ。

 

 名称は違えど、学生も冒険者と同じで神の眷族である。背に神血(イコル)を刻み、獲得した経験値(エクセリア)を糧に、その能力を昇華していく。一見すれば冒険者と同じような彼等、学生達だが、微妙に差異が……齟齬がある。その食い違いがどうにもオラリオに所属する冒険者と相性が悪い。水と油という言葉が実に適切な表現だ。

 

 冒険者と学生の衝突は『学区』がオラリオに戻って来る度に浮上する厄介な種。その解消案としてロイマン直々に提示した期間限定で開放する新規に開拓したルートの提供。その任務を仰せつかったのが他ならないヘスティア・ファミリアであり、ベル・クラネルである。

 

 散々に抗議、異議申し立てを再三再四に渡って声をあげたが却下された。

 

 ヘスティア・ファミリアの等級は強制任務(ミッション)が課せられるようになるD等級。理不尽ではあるがギルドが定めた規則(ルール)に則っての結果なのはエイナも不承不承に理解している。

 

 だが、あまりにも性急といえよう。ギルドの表向きの内容よりも、その裏にある真意がエイナは実に気に入らなかった。これが仮に、大神と呼ばれる高い位の神が主神であったならば、こうも強く出なかっただろう。例えばの話だが、ベル・クラネルが都市二大派閥である、あのファミリア達の一枚羽を担うに値する一角の強者でもなければ、こうも上層部は動かなかっただろう。

 

 発案者であるロイマン自身、この強制任務(ミッション)にどれだけ期待を寄せているか疑問がつく。なにより腹を据えかねるのが引き換えとしてギルドに納める徴税の猶予だ。面の皮が厚いどころではない恩着せがましさである。

 

 真に恩を着せるのであれば、今回の強制任務(ミッション)に期間制限を設けるべきではない。遅くとも半年以内にはやって来る『学区』に向けての対応に何故にそんな時間の制約があるのか、表立っては言わないだろうことは明白だが、ギルド長達はベル・クラネルの改宗(コンバージョン)――――他派閥への移籍を望んでいる。

 

 あのギルド長のことだ。有力派閥の一つや二つ、それとなく声をかけていても驚きはしない。

 

 新規零細ファミリアで飼い殺しするより、名のある派閥で活躍して貰う方がオラリオにとって利益になる。そう判断してのことだろう。

 

 ロイマンの思惑(シナリオ)としては強制任務(ミッション)の失敗にかこつけて徴税の徴収に始まり、切り崩してはヘスティア・ファミリアを潰す算段なのだろう。現にエイナの及ぶ範囲内に留まらず、ベル・クラネルの存在は未だ表立って公表されていない。同僚たちが名前を今になって知ったのもそういうことだ。ヘスティア・ファミリアに在籍していた痕跡は極力排して、大々的に宣伝でもするのだろう。

 

 設立早々にヘスティア・ファミリアが抱える問題は多い。

 

 ベルが今も奮闘して地図作成(マッピング)に勤しんでいる。その成果も精々が使えたらラッキー程度にしか捉えていないのだろうと思うと、珍しくもエイナは苛立ちを隠せる自信がなかった。

 

「向こうがその気なら……別にいいよね」

 

 そう心に決めた日。指令が納付された手紙を渡された日。あの瞬間からエイナの戦いは始まっていた。古い社則を引っ張り出しては時間を稼ぎ、ホコリに埋もれる過去のデータを参照してはベルに横流しをして地図作成(マッピング)の効率化を図る。エルフの血が半分流れているにしては中々にアウトローに手を染めて、綱渡り状態を維持している。

 

 故にこれは肩入れではなく加勢だと言い訳をして時間が許す限り尽力した。市壁に沈んでいく夕日がすっかりと消え去り、気付けば今日も深夜帰りになっていた。

 

 一人、帰路についていたエイナ。持ち帰った古い羊皮紙の束をぎゅうぎゅうに詰めて自宅にて二回戦を始めるつもりでいた。向かう先は北地区、ギルドの職員が数多く住まう地区でもあり、そこそこの高級住宅街でもある。故に治安も明るいのがこの北地区だ。

 

 なので治安維持されている……その筈だ。

 

「うん、気のせい……じゃないよね?」

 

 往来もまばらな深夜の時間帯。それでも明るく道を照らす魔石灯を頼りにエイナは歩く歩幅を速めた。曲がり角に差し掛かる度に半身逸らして後ろを窺う。まるで見計らったかのようなタイミングで外套に身を包んだ何者かがさっと翻して視線から消える。

 

「……っ」

 

 言葉にならない恐怖を覚えた。何処から尾行されていのだろうとパニックになる。気づいたのは本当に偶々であった。風に吹かれて鞄から流れた羊皮紙の一枚を拾う時、立ち止まった先にある小洒落た、お店の窓に反射して映る自分と外套をまとった謎の人物。特に意味もなく、ふと視線があったと思った瞬間には道でも間違えたかのように身を翻して去っていった。

 

 それだけであれば特段、引っかかりを覚えることもなかった。その筈だった……。

 

 ふと抱いた違和感は波紋を広げて、敏感になってしまうものだ。なんとなく帰路の途中にて節々に見かける出店や魔石灯の硝子に視線を飛ばしてしまう。疑っているのではなく払拭するためにと言い訳をして自惚れだと笑う為にと。だが、予感は的中してしまう。

 

 時折、硝子に映る正体不明の何者かに尾行されていた。こうなるとエルフの血が訴えるのか、こちらを見入る視線に過敏になってしまう。流石にもう姿を見せることはなかったが、未だ背中を通して視線を感じるのだ。

 

 思い至る理由がなかった。訳が分からないと嘆いてもどうにもならない。

 

 荒くなる息を吐いては動悸がうるさく響く。エイナは見えない誰かから逃げるように足早に自宅めがけて走っていた。まばらではあるが見知った人たちとすれ違う。等間隔に設置された魔石灯も明るく照らしている。それが何処が妙に安心感を抱かせてくれた。

 

 ――――だが、と。嫌な予感が掠める。

 

(このまま自宅に帰って大丈夫なのかな……)

 

 未だ視線を振りきれないでいる。エイナが住む住居はギルド職員、受付嬢たちが住む女性専用の集合住宅である。隠しているわけでもないが大っぴらに公表しているわけでもない。もし、仮に追跡者が悪意を明確に持っているのであればどうだろうかと冷静な自分が訴える。

 

(戻れない……)

 

 助けを求めるという手もあるが近くに冒険者の姿は見えない。高級住宅街という顔を持つ北地区にわざわざ住む荒くれ者は極めて稀だ。一般人の手を貸してもらうのも気が引ける。標的にされる可能性があるからこそ戻れないのだ。いっそ自分の自惚れであれば笑い話にでもなるのにと淡い希望が過る。

 

 お高く止まっているわけではないが、これでも容姿にはそこそこの自信がある。そもそも受付嬢は誰もが容姿が整ったヒューマン、亜人たちが採用されているのだ。物腰や器量は当然としてギルドの窓口に立つ以上、その外見、容貌はなにより優先されている。だからこそ、こういったトラブルもあった。

 

 それがストーカー行為。稀に度を越えて冒険者が受付嬢を追い回す事件が起きる。

 

 数ある中でも現状これがマシともいえるトラブル。最悪なのは過った嫌な予感の方だ。

 

 何故、今になって思い出したのかと恨めしい気持ちがわくが警笛ともいえた。それは少し前から各地区、各所で起きている『人攫い』と呼ばれる事件。

 

 目的も動機も不明のまま依然として全容が明らかになっていないことから、娯楽に飢えた神々から関心を寄せられている。犯行時刻も狙われた種族も何もかもが不統一。唯一の手がかりは攫われたのが神の恩恵(ファルナ)を授かった冒険者達だということ。そして、犯人が第二級冒険者相当の実力を有している事実のみ。この二つだけが現状判明している事件の事柄である。

 

(私は冒険者じゃないけど……)

 

 エイナは『学区』の卒業生。当然、その背には刻まれた恩恵が存在している。今はギルド職員の一人として職務に従事しているので中立を旨とするギルドの方針通りに、その能力(ステイタス)を凍結。つまり封印している。教養学科を専攻していたので戦技学科に通う学生と違い、その能力(ステイタス)の伸びは極めて小さい。だが、神の恩恵(ファルナ)を授かった者はそれだけで一線を画す。

 

 とはいえ封印されている今のエイナは一般人と、なんら変わりない身体能力しか発揮できない。そして、問題はそこではない。仮に追跡者が件の『人攫い』であった場合、注視していたのが冒険者ではなく恩恵を授かった者であれば、当然エイナも条件に当てはまってしまう。

 

(どうしよう……嫌な考えばかり浮かんでいく)

 

 追い詰められて尚、判断材料を組み上げては処理していく自分に呆れてしまう。止まらない足と思考を総動員して、どうすればと答えを求める。

 

「えっ……嘘」

 

 気付けばエイナはうす暗い通りの真ん中に立っていた。思わず空虚な声が小さく出たが、暗闇の中に溶け込むようにして掻き消えた。してやられたと痛恨を抱く。冷静な判断が出来ていると自惚れていた。遠巻きにして逃げながら考えをまとめようとしていた。だが、浴びせられる視線に知らず知らずのうちに誘導されていたのを自覚する。

 

 カッ、カッと、やけに耳朶を叩く足音にゾッとしながらも音のする方向に顔を向けると人影が飛び出してきた。

 

「きゃああああっ!?」

「――――わっ、わあああっ! ごめんなさい!!」

 

 心臓が張り裂けそうな悲鳴と素っ頓狂な明るい声が路地裏にこだまする。あまりにも想像からかけ離れた明るい声に何故か恐怖心がすっ飛んでいた。閉じた瞼を開くとそこには女性がいた。エイナが知っている女性――――。

 

「えっ!? 【象神の詩(ヴィヤーサ)】! 何故、あなたがこんな……」

 

 ……場所にいるのかと言葉が続かなかった。緊張の糸が切れて全身から力が抜け落ちていく。へなへなと脱力しては地面にへたり込んでしまった。

 

「だ、大丈夫? 怪我はない? ごめんね!」

「い、いえ……むしろ助かりました……本当に」

 

 エイナの感謝の言葉に今度はアーディが首を傾げて疑問符を可愛く浮かべていた。小脇に抱える数冊の古書と帯刀している片手剣がどうにもちぐはぐな印象を与えるが、アーディ・ヴァルマは『都市の憲兵』と呼ばれるガネーシャ・ファミリアの幹部あり、最近Lv.4に昇華(ランクアップ)した実力者である。

 

「それにしても君、何処かで会ったような……あっ、そうだ去年の『怪物祭(モンスターフィリア)』の時に手伝ってくれたギルドの――――」

「これは失礼しました、エイナ・チュールです。今年も私が担当を務めさせてもらいますので……ではなくてっ!」

 

 少し前でピリピリと張り詰めていた空気は彼方に。うす暗い路地裏にほがらかな空気が漂う。思わず流されてしまいそうになるが、はっとしてエイナは助けを乞うように今までの事情説明をアーディにした。説明を受けて瞳を大きく見開き辺りに気配を飛ばすが、どうやら一足先に謎の追跡者は消えているようだった。不利と見て撤退したのだろうと口にするアーディの言葉に安堵の息がこぼれる。

 

「怖い思いさせちゃってごめんね! お家までアーディお姉ちゃんがお守りしちゃうよ!」

「ありがたいです……ところで、【象神の詩(ヴィヤーサ)】巡回の方は大丈夫なのでしょうか? そもそも何故このような路地裏に?」

 

 それはなんてことのない話題の切り口であった。平常心が戻りつつある今、なんてことのない日常に触れてみたくなる衝動。灯る魔石灯の道を二人で歩きながらそんな質問をしてみる。

 

「えっ……と、そのーなんというかーえっとーうーん……」

 

 返ってきた返事はなんとも間延びした口調であった。バツの悪そうな表情をするアーディは変わらず人好きそうな雰囲気を放っている。

 

「ここだけの内緒の話にしてくれる?」

「約束します【象神の詩(ヴィヤーサ)】」

「その前にアーディでいいよ、私もエイナって呼ぶからさ! ねっ、良いでしょ?」

「お、公の場ではご容赦ください……アーディさん」

「呼び捨てでいいよ!」

「いや、流石に……」

 

 そう遠慮しては、むぅーと可愛らしく頬を膨らませるアーディ。年上が見せる仕草と思えない拗ね方に思わず口角が緩む。それに釣られてか笑いだすアーディとエイナ。笑みを皮切りにアーディが小脇に抱えていた古書をエイナに差し出した。

 

「これは英雄譚ですか、どれも同じ……アルゴノゥトを題材にした本ばかりですね」

「うん、そうだよ。こっちは海洋国(ディザーラ)で出版されたアルゴノゥトで、そっちはあの歌劇の国(メイルストラ)のアルゴノゥトの台本!」

「英雄譚がお好きなのですね、もしかして内緒というのは……」

「あはは……見回り中に見かけない書店がありまして……」

 

 短く切り揃えた髪を撫でては言葉尻を改めるアーディ。どうやら警邏(パトロール)中に抜け出して、こっそりと書店に一人寄っては数々の英雄譚を購入していたらしい。そして、急いで持ち場に戻る途中に近道をした結果、ばったりとエイナと出会い今に至る。

 

「なるほど、そういうことでしたか……ですが、よろしいのでしょうか? そのままですと書店に寄ったのがバレるかと」

「……あっ、お姉ちゃんに怒られる」

 

 しまったと頭を抱えるアーディの仕草に笑みを浮かべて、エイナが提案を持ち掛ける。

 

「では、お礼に暫くの間、私が預かっておきますアーディさん」

「え! いいのエイナ!」

「はい、こうして無事に辿り着きましたしお礼も兼ねて」

 

 鞄にアルゴノゥトの英雄譚をしまって集合住宅の門前に別れの挨拶する。ほっと一安心するアーディに見送られながらエイナの長い一日がやっと終わり迎えた。

 

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