白亜の
「はぁはぁ……お待たせしたねベル君……」
「大丈夫ですかエイナさん。忙しいんでしたら、また時間を置いてから来ますが」
「大丈夫! 終わったから」
白大理石が広がる広間。その片隅にある待合スペースにて、ちょこんと行儀よく座って待っていた白兎を有無もなく掴んでは大急ぎで入った個人面談用の一室。ギルドが誇る遮音性に優れたこの部屋なら、誰の耳に入ることもなく少年と会話ができる。別に怒れる赤髪の
「えっと、じゃあ……この作製した地図の審査届をお願いします」
やや動揺するベルがおもむろに取り出した数十枚にも及ぶ羊皮紙の束。その全てがダンジョン、上層の未開拓とされている領域。その進路図である。
「うん、順調だね。この調子で頑張っていこう!」
「はい!」
机の上に並ぶ羊皮紙の束に軽く目を通す。当初の予想を上回る速度で埋められている地図のマス目。意外にも前所属であった【ファミリア】の先輩方から
そして、話は戻り渡された地図。AからZの文字群と数字を振り分けられたマス目上の空白の地図。それが黒く塗りつぶされて数本に枝分かれをした開拓ルートを描いていた。これが認可されれば要求通りに後日、新たな正規ルートとして加えられる。
順調ではあるものの、【ヘスティア・ファミリア】に課せられた
じりじりと迫る達成期限の日数に焦らされるが、この持ち帰った功績。手助けをしたということを加味しても一人で挑んでいることを鑑みれば十二分に凄い事であるとエイナは素直に感嘆する。
それもひとえにベルが一角の存在だからこそ実現可能な結果なのだが、どうしても一人では限界がある。上層という極めて限定的な
それでもとエイナは思う。一抹にすぎない不安であってもダンジョンは恐ろしく怖いのだ。
そも、ダンジョンに挑むのならば
とはいえ、無名のファミリアの門を叩く者など物好きを越えた物好きであり。幸運な巡り合わせでも起きない限り眷族の増員は課せられた
好意的に捉えれば余裕を持って行動できる上層で、ダンジョンの危険な空気を肌で感じてもらえる準備期間と思えばいいとエイナは頷いた。
「じゃあ前回貰った地図と合わせて精査してから提出するね。この後はまたダンジョンに潜るのかな?」
「そのつもりだったんですけど……エイナさん」
「うん? どうしたのベル君。相談事かな、いいよ話して」
「えっと、じゃあ……」
間を置く、ベルの顔つきが年相応のそれからガラリと雰囲気を一変させる。エイナの
突然の豹変ぶりに思わず、たじろいでしまう。空咳をしては視線を逸らして、あらぬ方向を向いてごまかした。
「……襲われたって話ですけど、よかったら僕に用心棒をさせてくれませんかエイナさん」
「えっ! どこで、その話を聞いたのベル君!!」
明後日の方を向いていたエイナを振り戻させる少年の言葉に見開いては身を乗りしていた。一瞬、脳裏に過る桃色の同僚である
「すみません、盗み聞きになるんですけど……その、色々と聞こえちゃって」
疑問が一瞬にして氷解する。
あれだけ大声で話していたのだ。遠く離れていたとしても、この部屋のように遮音性が優れた壁もない。そして、当然ながらベルのような第一級冒険者なら難なく音をかぎ分けて拾うことなど造作もない。つまり……丸聞こえということだ。兎の耳、侮ることなかれ。
「大丈夫だよベル君。大袈裟に皆が言いふらしたせいで話が大きくなっただけだから」
「いや、でも……深刻じゃないですか。冒険者を襲うような人に狙われるって」
「あーあれも話に尾ひれがついただけで実際にそうだったと言われると違うような……」
「それでも、知らない誰かに追われたのは事実ってことなんですよねエイナさん」
「それは……そうなんだけど」
心配そうな表情をする少年に歯切れの悪い言葉で肯定しては昨晩の出来事を思い返すエイナ。あの時、確かに恐怖を覚えて寒気が全身を支配していた。今もそうである。平静を装っているが、やはり怖い。ああまで、しつこく追われる動機に思い当たる事柄も浮かばず不安を煽る。
それでも目の前の少年が何気なくとも慮る言葉に一瞬、ほっとしてしまった。まるで分厚い雲の切れ間から覗かせる暖かい日差しに与えられる安心感を覚えたのだ。
「やっぱり危険ですよエイナさん! 夜遅くまで仕事があるのも僕にも原因ありますし」
「大丈夫、大丈夫。ベル君に心配かけたくないし、こっちでなんとかできるよ安心して」
ただでさえ、取り巻く状況がよろしくない【ヘスティア・ファミリア】である。身辺警護で消費される時間、負担もかかるだろう。それに、誰かに見られたら面倒事になりそうである。それを抜きにしても主神を夜遅くまで一人にするのは安全性や関係性にも響く。
そんな有り体な言い訳がどうしてか、つらつらと出てくる自分に胸中で苦笑を落とすエイナ。
組織人としての体裁という建前。個人的な揉め事にベルを巻き込みたくない。きっとこれが本音だ。それとは別に浮かぶのはベルが用心棒だったならばという自分本位な甘え。これも認めたくないが本音である。彼が隣にいるだけで、どれだけ心強いか言うまでもない。
しかし、甘えてはいけないと誘惑を押し込んでエイナは笑みを浮かべる。
「私は大丈夫だから――――」
安心してベル君と、締めくくるように会話を打ち切ってしまおうとした瞬間。言葉を遮るようにベルが身を乗り出して声を出した。
「エイナさん!
そう言うや否やドンっと机の上に置かれた小袋。わずかに下げられたエイナの瞳の映るのはベルがダンジョンで稼いできたヴァリス金貨である。少年の努力の成果にして身の丈に合わない報酬がそこにあった。そして同時に思い起こすのは
『――――どうしたのベル君? なんだがソワソワしてるけど』
『あ、エイナさん。えっと……ちょっと考え事を……』
任務初日。ダンジョンから戻ってきたベルとばったり遭遇したエイナ。場所は
ギルドの使いで本部から
『あ、ちゃんと魔石も回収してくれたんだね。偉いぞベル君』
ややバツの悪そうな顔をする少年に労いの言葉を送る。上層に赴く前にエイナが、お願いしたことを守っているからだ。本来、ベルのような実力者が分不相応な上層に縛られて得る報酬はまったくもってつり合いが取れていない。また、課せられた任務を思えばいちいち襲ってくるモンスターを倒していてはキリがない。
とはいえ『無限の資源』と呼ばれるダンジョン。そう易々とモンスターを素通りできるわけもなく倒さねばならない。そうなれば『魔石』が少年の元に転がる。時間を惜しむのであれば
だが、怪物の処理を怠ると問題が発生する。『強化種』と呼ばれる怪物の存在だ。
『強化種』とは、モンスターの核となる『魔石』を取り込むことで飛躍的に能力を高めたモンスターの総称。通常のモンスターとは一線を画すほど
出現する階層にそぐわない力を発揮する『強化種』は時に狡猾さを見せたり、未知の能力を発揮する。同胞食いとなった怪物は同族からも畏れられ、その力をもって支配し群れの長として君臨する。そう振る舞う『強化種』も過去の事例から明らかにされていた。
そういった図抜けた怪物をギルドは冒険者の二つ名のように
つまり、エイナがベルにお願いしたことは『強化種』が生まれないよう『魔石』処理の徹底。最悪、回収しきれない場合は正確に『核』を狙って粉々に灰の山にするというお願いだ。
当然、ベルが身につけているバックパックでは微々たる量しか収まらず結果として多大な往復を強いている。そんな状態がありありとエイナの瞳に映る。ヴァリス金貨が詰まった小袋の山が相席となったテーブル席で積み上がっていた。
『――――お金の置き場に困っていると』
『はい……そういうことになります』
今日、何度目になるか数えるのも億劫になるほど挑んだ上層アタック。最初こそ。笑顔で応対してくれた換金所のギルド職員。その鑑定士も両手を越えた辺りで堪忍袋の緒が切れたのか預かりを拒否されてしまい途方に暮れていた。そしてばったりと出会った。
『一応なんですが、鑑定士さんから『ノームの貸し出し金庫』を紹介されてるんですけど……』
続くベルの言葉に頷くエイナ。流石はギルド職員、きちんと後のことを考えて紹介をしていた。少年の口から出たノームの貸し出し金庫。その名の通り
オラリオに居を構えた
『まぁ……金庫を借りるとなると契約料や使用料……うん、稼いできたお金が全部消えるね』
『ははは、ですよねーエイナさん』
遠い目をして渇いた笑い声を落とす少年。けして
故に少年は困っている。
だがしかしとエイナは首を傾げた。
『じゃあ、
『それは……そうなんですが……』
素朴な疑問を口にしては曖昧な返事をするベル。何か思うところがあるのか、打ち明けようと悩む少年を見て一度、エイナは
一体、どのような事情がベルにあるのか。具体的には問いただしたい衝動があるものの、駆られる気持ちを沈めてエイナは瞼を開いた。
『よかったら私が預かろうかベル君?』
ベルが打ち明ける前に、一歩だけ踏み込んだエイナ。呆気に取られたまま口を開くベルが身振り手振りで遠慮しようとしてはベルの口を挟まず、アドバイザーとして最初の取り決めを持ち出しては、なし崩しにお金を預かった記憶。
「――――エイナさんが預かってくれたお蔭で本当に助かりました! あの時のお礼を今したいんです! 僕にエイナさんの用心棒をさせてください」
「…………」
きっと今、鏡で自分の顔を見たら……いや、恥ずかしくて到底無理だが。もし、あったならば相当に出来上がった表情をしているのだろうと思った。それほどまでに身を乗り出して声をかけるベルの台詞がやけに耳朶に響いて残る。
担当する冒険者との距離感。赤髪の
『――――困った時や悩み事があったら気軽に相談してね』
先輩受付嬢、ローズが示した双方の関係性。それを建前にしては断った用心棒。だが、どうだろうか。ベルが困っていたあの時。最初に一線を、一歩を踏み出したのは他ならぬエイナ自身である。冒険者との関係性を逸脱してベルが困っていたからお金を預かった。けして職務ではない。
いってしまえば自分本位な厚意。それを自覚できないほど愚かではない。エイナ自身が口にした過去の台詞を引き合いにするほど、目の前の少年は意地悪ではない。だが、そういうことなのだろう。同じ目線、同じ立ち位置で築く関係性を説いたのは他ならぬエイナだ。
ベルは静かに顔色ひとつ変えず返事を待っていた。真っ直ぐな
数瞬口を噤んだ後、頷いた。
「……うん。分かったよベル君、じゃあ私のこと守ってくれる?」
「はい!」
根負けだと認めるエイナの言葉に破顔するベル。真面目なハーフエルフが打ち立てた心の柵を兎は飛び越えて胸に飛び込んできた。引いた境界線など関係なかった。
一進一退の押し問答の終わりは呆気ない。
エイナがいる個人面談用の一室。そこに少年の姿はない。真面目で心優しい少年から垣間見える頑固な一面に熱を帯びては嘆息する。用心棒となったベルが迎えに来るのは夜遅く。取り付けた約束の時間はまだまだ先であると備え付けの時計の針が指示していた。
手に取った羊皮紙の束。ベルが作成した開拓ルートの精査と認可を受けるに時間を要する。そして、今もまたダンジョンに赴いては奮闘しているベルをエイナは幻視した。
窓の向こうに見える白亜の巨塔。その下にある怪物の魔窟、ダンジョンで少年は頑張っている。
「よし! 私も頑張ろう!」
気合を新たに。瞳に映る白亜の巨塔から視線を剥がしてエイナは仕事に戻っていった。
常闇に溶け込む摩天楼。星の光を遮るように雲は厚い。嵐の前の静けさを漂わさせるような曇天の夜空であった。そんな景色を見ながらエイナは久しぶりに過ぎる時間の早さに戸惑っていた。
「なんか雨でも降りそうだな……」
独り言である。自身の仕事を速攻で終わらせて暇を持て余しているハーフエルフ。のらりくらりと先輩受付嬢や同僚の追撃をかわしては身支度を済ませていた。その日の仕事も終わりを迎えて、職員もまばらになったギルド本部。受付嬢達が出入りする事務室、その端にある更衣室にて着替えと入念な化粧をしたエイナは酷く不満ある独り言を呟いていた。
「そろそろ……かな?」
これまた独り言。当然ながら返事はない。暗雲が広がる景色に見切りをつけて時計の針を見る。そろそろ約束の時間であり、そわそわとする。普段であれば狭いと感じる事務室が広くて行ったり来たりを繰り返す。
「……よし! そろそろかなー!」
都合、何度目かの独り言が事務室に響く。同時に業務終了の鐘の音が鳴る。静けさ漂うギルド本部の廊下を足音立てずにそーっと進むエイナはまさしく挙動不審。何度も後ろを振り向いては誰もいないことを確認して裏口へと抜きん出る。
月明り、星空が照らす灯りがないことを幸いに闇に乗じて裏口から出たエイナ。右に左とせわしなく首を振っては少年――――ベルを見つける。時間通りに一足早く到着した、頼れる用心棒に笑みを浮かべて近づいた。
「――――ごめん、ベル君。待たせちゃって……どうしたの?」
「あ、いえ、エイナさん……今、神様の声がきこえたような気がして」
思わぬ反応をする年下の用心棒に、どういうわけかエイナはムッとした。バツの悪そうな顔しては暗闇が広がる辺りに視線を飛ばしている用心棒。そんなベルに思わず、距離を縮めて口を開く。
「おや~? ベル君、よそ事を考えていていいのかな~」
「ごめんなさいっ! エイナさん、大丈夫です。しっかりと僕が守りますから」
小さく腰を曲げては視線の高さを同じにするエイナが隣にいた。何故か聞こえたかもしれない主神の叫び声を訝しむ余韻もなく、こそばゆい距離感に年相応な反応。
「よし、任せた。じゃあ、帰り道にお店に寄っていこうか」
「はい、お願いします!」
何度か会話をして帰路を目指しつつ、用心棒の傍らにベルが新たに相談した用事もすませることにした。今日までコツコツと少年の主神であるヘスティア様に内緒で貯めていた、お金の使い道である。
そうして二人は魔石灯が灯す石畳の通りを歩いて行った。足を向けてやって来たのは表参道。数多くの商業系【ファミリア】が建ち並ぶ商業地区。昼とは一風変わった活気が夜だというのに広がっている。眠らぬ都市オラリオの所以がそこにあった。
元気な声で客寄せをする
自派閥で作った商品から交易で仕入れた珍しい嗜好品があちらこちらに出されている。『世界の中心』の名に違わずあらゆる
行き交う人々と同じくする先で、今いる表参道――――メインストリートのある一区画にまとまりを見せる商店が続く。それは刀剣といった武器。または身を守る防具や衣類である。観光客の要望に応えるお店の色合いが変化して覗かせたのは冒険者向けに建ち並ぶ武具の専門店。
オラリオの顔ともいえる大通り故に武具店の看板はどれもが有名な鍛冶系【ファミリア】の名が連ねていた。エイナの素人目から見ても
「あ、ベル君。ここのお店なんてどうかな、良い評判だって聞くよ」
そういってエイナが指を向けた、ある武具店。他とは違い更に客層を絞った専門店であった。その店の前では従業員であろう
所謂、女性向けの専門店。
「……うん? どうしたのベル君」
ベルの要望を叶えるため、条件にあった店を示すエイナ。だが、反応のないベルに目的の店に向けていた顔を戻すと少年は怪訝そうな表情で瞳を泳がせていた。次第に眉間にしわを寄せて、何気なくといった感じで辺りを見やり、口を開く。
「エイナさん、不安がらせたいわけじゃないんですけど……視られてます。それも複数」
「……えっ!」
互いの肩が触れ合う距離で、内緒話でもするかのように声音のトーンを落とすベルの口から衝撃が伝わった。
「あ、ごめんなさい驚かせちゃって。気取られると危ないので自然な感じで聞いてください」
「う、うん……分かった」
そういっては庇うようにベルがエイナの手を引いて、確かな足取りで歩を進めた。
「本当は気のせいだったら良かったのにって思ってたんですけど……僕たち、最初から尾行されていました」
「あんなひと気もない裏口から? よく気づいたねベル君……流石」
真剣な眼差しをしながら淡々とした口調で答えるベル。その口から追跡者がいると言われるまでまったく気づかなかったエイナ。どうやら、あのギルド本部で待ち合わせした時点で待ち伏せをされていたらしい。そんな素振り一つ見せずに隠していたのは気配――――ベル曰く、視線が複数あったからという。
早々に第一級冒険者の感知網に引っかかった追跡者達。これまた気づかなかったエイナであるが何度か、この通りを行っては戻ったのを繰り返して行き違いではないと確信を持ったベル。道中、少年が年相応な仕草で「今のお店もう一度だけ見てもいいですか」なんて微笑ましいやり取りを思い出す。
何気ない仕草で視線を感じた場所を確認したり、建ち並ぶ店の
複数ある視線。追跡者の数は都合、六人。それがベルの出した答えだ。
「そ、そんなにいるの? 」
「間違いないです……ただ、ちょっと違和感があって切り出せなかったんですけど」
ベルが口にする違和感。それは統一感のなさである。どれもが独立したかのように別々の感触を与えていた。集団で追跡してくるのならば当然、目的は一緒であり統一性が見られるものだ。それが何故か皆無といっていい。自身に向けられた視線ひとつでそこまで感じ取る少年の能力に今更ながらではあるが常識外れという言葉が浮かんだエイナ。
「敵意が二つ、これは僕だけに向けられています」
明確に向けられた害意を隠すことなく打ち明ける。確かな足取りをしたまま、どの角度からでも迎撃できる立ち位置で言葉を続ける少年の横顔に釘付けになりながら耳を傾けるエイナ。
「もう二つが……面白がっているような感じで僕らを見ています。あとは無遠慮に観察しているような感じと……僕に凄く怒っているのか、さっきから背中に突き刺さってます……」
そう言葉を区切って、対応すべきは前者の敵意を持つ二人。だが、一瞬だけとはいえ用心棒が護衛対象から離れるのは不味いと判断。また、愉快犯のような視線の持ち主たちも気がかりであり、不安を煽る。この状況を観察している存在に悪意といった気配は感じられないが状況故に怖い。そして、最後は理由もなく冷や汗が背中を伝うと述べた用心棒。
流石に今いる『冒険者通り』と呼ばれるメインストリートで襲って来るとは考えにくい。八方塞がりとまでいかなくても手詰まりを感じさせる程度には状況が滞っていると素直に吐露したベル。頭の中で幾つか浮かぶ案をどうするかと悩む顔をしていた。
「よし、私にいい考えがあるよベル君」
「エ、エイナさん!?」
ベルの考えとは別にエイナが大胆に行動に移す。今度はエイナが先導して足を速めた。向かう場所は当然、オススメした女性向けの専門店である。来店を告げる鐘の音と共に店の中に入っていった。
「お、お店の人に迷惑じゃあ……」
「流石に堂々と襲っては来ないと思うけど……もし、そうなったら」
エイナがなにを言おうとしているのか、遠まわしながらに伝わったベルは無言で頷いた。とはいえ、エイナの言う通りに状況は危険を知らせることなく進む。複数いる謎の追跡者たちの視線を遮って中に入ってしまった。相手の立場で状況を俯瞰すればわざわざ袋小路に入ったも同然である。大人しく出てくるのを待てばいい。そう暗に伝えてエイナは視線を向けた。
「じゃあ、帰りの心配より先にベル君の用事を済ませちゃおうか」
「ええっと……それじゃあ、お願いしますエイナさん。予算内で収まればいいんですけど」
ガラッと纏う雰囲気を変えるベルに笑みを浮かべるエイナ。個人面談用の一室にて新たに打ち明けた相談事を解決すべく、店内を歩く。間違いなく少年一人ではけして近づくことすらなかった女性向けのお店。少年にとっては幸いにも他に客はおらず。会計カウンターにいる女性店員に話をかけたエイナは目当てとなる品があるかどうかと尋ねていた。
「はい、ございますよ。少々お待ちください」
「よろしくお願いします」
慣れた会話でやり取りを進めるエイナと店員から、やや空いた距離。場違いな気恥ずかしさに若干の居心地の悪さを覚えつつも、これも必要なことだと言い訳する。そうして店の奥に消えた店員の後ろ姿を見ながら手持ち無沙汰を覚えた頃。
「それにしてもベル君、よく気づいたね。私ったら全然、これっぽちも気づかなかったよ」
何気ない会話である。姿見せぬ尾行者の存在を看過していたベルに冒険者、ひいては高みにいる少年を称賛するように。
「昔からの修行の成果ですかね……は、はははっ」
何処か遠い目をして渇いた笑い声を落とすベル。活動記録をしたためる時に何度か口に出た修行という単語。明かにされた内容はどれも
「……ち、因みにどんな修行だったのベル君」
何が起因してかは分からないですが、と前置きをしてベルは答えた。初めは何気ない会話だったという。『お前の一番の宝物はなんだベル?』そう義母に問われて答えて差し出したのは英雄譚。炎の大英雄の栄光と零落の物語が幼いベルの一番の宝物であった。
微笑ましい家族の光景がエイナの目に浮かぶが、それも一瞬。
その時、義母である女性がなにを思ったのかは定かではない。ただ、夕闇も迫る頃に幼いベルの手を引いて外に出かけていったのだ。向かった場所はゴブリンの巣穴である。そう思い出を懐かしむ様に語るベルにエイナは目をぱちくりさせた。
そのまま義母であるアルフィアはもう片方の手にしまったベルの宝物と一緒に単身、怪物の巣穴に突撃していったのだ。取り残され理解が追いついていない小さなベルを放置して。ほどなく無事に戻ってきた義母アルフィア。その手には目を輝かせて宝物だといった英雄譚が消えていた。
『ベル。巣穴の奥だ、取り戻してこい』
そんな死刑宣告。まだ幼いベルはきっと頭が真っ白になっただろう。現にそれを聞かされたエイナも理解が追いつかないくらいに真っ白だ。
「え、ベル君……それどうなったの、じゃなくて大丈夫だったの?」
「ゴブリン達にボコボコにされました」
結果は散々であったと語る。数百回にも及ぶ再挑戦の末、なんとか宝物を取り戻したズタボロのベル。身に染みついた敵意の察知はこの時に片鱗を見せ始めていた。
「そ、そんなことがあったんだね……」
修行とは名ばかりの幼児虐待と思うのは間違っているだろうか? そんな感想を胸にしまって押し黙ることにしたエイナ。何故か感慨深いと振り返るベル。
「――――お待たせしました。ご要望の品です」
人一倍に視線に敏感である少年の所以を知ることになった会話が丁度終わった頃。見計らってか、店員が戻ってきた。カウンターの上に置かれた数品目はどれもがお洒落で綺麗に作られている。エイナが提示した――――つまりベルの要望に叶うものであった。
「えっと……どれがいいと思いますかエイナさん」
「そういうのは人に聞いたら駄目だよベル君。君の直感を信じなさい」
同意するように店員の女性ヒューマンもしきりに頷く。最終的な判断はベルに委ねられた。最後まで悩み抜き選んだひとつの商品を指差して購入を決意する。
丁寧に
予算内で収まり、女性が身につけるようなお洒落である物。また、長持ちするという少年の悩み事が解消した瞬間である。贈り物の相手が自分ではないことに若干の残念感はあるが悪くはない。
束の間であった買い物も終えて、大事そうに青いリボンで
「……ベル君?」
退店した直後である。隣にいるベルの様子がおかしいことに気づいたのだろう。エイナが不安を感じ取ったのか怪訝そうに少年の名を呼ぶ。反応がない。肩を揺さぶってみようかとエイナは思ったが、その先を続けることはできなかった。
「向かいのお店の
ベルの言葉に鈍い反応を返しては視線を同じくする。真っ赤な看板が特徴的な武具屋、あの鍛冶系ファミリアの頂点と名高い【ヘファイストス・ファミリア】のお店である。その窓ガラスに映っていた。光を灯す魔石灯に照らされて反射した人影。あの日と同じ真っ黒な外套を目深に被り、正体は分からない。だが、その手には行動
映し出された位置からして今しがた出たばかりの店と店の間。そこにある路地から此方を窺っていたのだ。不用意にも顔を向けてしまうエイナ。ベルの制止する声より早く向けてしまった。それと同時に黒い外套の人物も視線に気づいたのか、慌てた素振りを隠しもせず暗闇の奥に消える。
「お、追いかけようベル君! 今なら取り押さえられるかも」
謎の尾行者が消えた路地を指すエイナ。その提案に一瞬、思考を働かせるベル。あり得る可能性としては罠、つまりは待ち伏せの類を警戒する。しかし、あの慌てようから見ても罠がある可能性は低い。思わず出てしまった失態としか言いようがない逃げようだった。
どういうわけか、注がれる視線が半分も減っていることに懸念を覚えるが決心する。用心棒の務めに最善を尽くして、やるのならば迅速な対応が求められる。
「分かりました、離れないでくださいエイナさん!」
やり取りにして数秒もない時間。初めて後手に回った相手を今度は逆に追いかけるように路地に飛び込むベルと一拍の間を置いて続くエイナ。
「――――っ!?」
「あ、あれ?」
半身を前のめりに押し出して踏み入った路地。そこにいる筈の外套の人物はいなかった。だが、どういうわけか人影すらないというのに気配はまだ感じられる。長剣をいつでも抜けるように柄に手をかけたままベルは確かめるように進んでいくが、なにもない。足音からして然程、遠くに逃げられるとは思えないが忽然と姿が消えたのだ。
長年の経験から訴える感覚に従い、ふと真横の壁を見る。より気配が強まった。だが、あるのは何の変哲もない石壁だ。長剣の柄から手を放して、何気なしに壁に触れようと手を伸ばした瞬間。
ぴゅっ、と大気が揺らいでベルとエイナが立つ路地が音を立てて揺れた。
音の発信源。それはベルの前方である。石造りの路地を踏み散らして落ちてきて現れたのは男だ。見るからに重武装の防具に身を包み、背中には色の異なる二振りの
「かあ~ッツ!! やっぱり、お前が『人攫い』だったか! こんな暗い場所まで誘いよって、もう堪忍できねえッ!?」
轟く怒声で一気にまくし立てる。導線に火がついたが如く、爆発寸前まで膨れ上がった怒気がベルに向けられて放たれる。
「えっ! ドルムルさん!? 待って――――」
ベルの後方。顔見知りの登場に驚きの声を上げるエイナ。いきなりもたらされる対峙した相手の名前に「知り合いですか」と、問うとしたが無理だった。
一瞬だけ緩んだ緊張感。めざとく嗅ぎ取ったドルムルが先手を勝ち取る。
「もらったああああッ!!」
「!」
ベル目がけて真っ直ぐに振り落とされる巨大な鎚。掛け値なしのドルムルの本気に風がつむじを巻くような音を響かせて眼前まで迫る。元より力自慢が売りのドワーフ。その種族特性を遺憾なく発揮してはLv.3にまで昇華したドルムルの渾身の一撃。文字通り破壊的、その一言である。
必中の間合いであり、必殺の一打。そうドルムルは確信を得ていた。
だが、どういうわけか炸裂間近。冒険者としての本能――――経験が警鐘を鳴らす。
目の前の敵。少年は回避行動を取らない。何も握られていなかった手にはいつの間にか剣が、武器が握られている。まるで、スッと一息に鞘から抜いたような身軽さ。ミスリル特有の銀光がドルムルの得物を襲う。
――――
暗い路地に眩い火花が散る。両の足を地面に縫い付けては、振り落とされた破滅的な一打を刀身で受け止めたベル。一枚絵のように切り取った瞬間にエイナはゾッとしてベルの身を心配するが杞憂に終わる。事実、この場において最も恐怖したのは攻撃したドルムルであった。
絶対の攻撃が刀身を捉えたときだ。手のひらを通してやってきたのは『水』である。そうとしか説明できない感触が伝わった。攻撃の芯が消えたのだ。自由奔放な川の流れに向けて投げた石がそのまま沈んでいくような感触。それを悪寒と共に受けた。
ドルムルの冒険者としての本能が手遅れだと囁いたような気がした。
『水』に沈み。そのまま『急流』にさらわれる石が一瞬だけ水面に浮かぶ。不意に、知覚すら置き去りにして重力が消えた。目まぐるしく変わる視界に解き放たれた瞬間。
「はぁ? ――――はあああああああああっ!?」
浮上。そして、更に高く飛ぶ。
ドルムルの常に弓なりの双眸がかつてないほど見開かれる。襲う浮遊感の正体。瞳を通して教えてくれたのは冒険者通りに建ち並ぶ商店。その屋根だった。地面から遠ざかる両足と視界の端にある市壁すら事実を突きつけるように。
それも一瞬だ。たちまちドルムルは川に投げ捨てた石のように沈む。重力に引っ張られて真っ逆さまに……。
「ぐああああああああっ!?」
轟音。登場したときの数倍は上回る衝撃音を辺りに散らしてドルムルは大の字になった。それはLv.3をして意識が吹っ飛ぶほどの威力。見舞った衝撃は頭痛、吐き気、眩暈、最後に走馬灯が一緒くたに凝縮されたと同義でありドルムルは……底に沈んだ。
「……」
一瞬の出来事。一部始終を目撃したエイナは言葉を失っていた。どのような攻防劇が繰り広げられたのかは分からない。顔見知りの冒険者であるドルムルの登場、彼のらしからぬ振る舞いに強襲。そしてベルの反撃。
切り取った風景画を何枚にも分けて見せられたとしかいいようのない束の間の出来事。
火花が散った。ベルの剣とドルムルの戦鎚がぶつかり合った証拠だ。その次にはドルムルの姿は消えていた。ほどなくして空から、こだまする悲鳴と共に落下してきたドルムルは今も沈黙している。
そこで、はっと気づくエイナ。ベルが立っている一帯だ。大きな
――――もしかして、私を庇って?
唐突な独白。泳ぐ視線に答えを出そうとした言葉。
それを物語るように少年が立つ場所は破壊的だ。回避しようとすればできた筈なのに選んだのは防御。真っ直ぐな路地、少年の後方に立つ自分。襲ってくるだろう余波にきっと一溜りもなかった光景。
守ってくれた。その事実をゆっくりと噛み締めるように繰り返した。