閑静な住宅街というものは、朝早くにある出勤あるいは登校の時間帯ですら物静かな地域である。いわんや、それが過ぎた時間帯をや、だ。
しかし多くの住宅から車が出払った時間にも関わらず、今日は剣呑な雰囲気が漂っていた。警察車両が二台止まり、数名の警官が佐々原という住宅の前に並んだのだ。
普段は自宅で家事をしている主婦たちだが、いまばかりは野次馬として影からその様子を眺めながらひそひそと会話している。ああやっぱり、逮捕されるのかしらと。
そんな状況であるのに、そこにさらに一人の女が参入した。デニムのショートパンツと黒いTシャツに薄めの白いガウンコートを羽織っている。顔は若々しいが雰囲気はより大人びていた。
女は警官に軽く挨拶すると、彼らを気にも留めずに佐々原とある表札のインターホンを鳴らしたのだ。
豪胆。それ以外に言い表すとすれば、無頓着であるとか無神経であるとか、あるいは馬鹿かふてぶてしいか。
慌てたのは警官たちだった。それなりに場数を踏んだものもいるだろうが、こんなケースは遭遇しようがない。しかしそんなことで女あるいはインターホンを受ける者、もしくは時間を止められるわけもなく、女は何口か言葉を交わしたのち、玄関に向かって歩き出した。
「あ、ああすみません、そこのあなた。少しお伺いしてもよろしいですか」
ようやくその段にいたって一人の警官が女に声を掛けた。
「はい、どうしましたか」
女は振り返って極々平然としながら答えた。
「すみませんが、お名前と佐々原さんのお宅を訪ねられた理由を教えてもらえますか」
冷静になってくるにつれ、警官の女を見る目が少しずつ変化し始めた。けれど、それに気づいているのかはたまた気づいていないのか、女はなおもにこやかにしている。
「守部桜と言います。ここへは除霊をしに来ました。どうやら霊障が起きて困っているという依頼を受けましてね」
すると警官はぽかんと口を開けた。
「……ご職業は」
「まあ名目上は占い師ですよ。それではあまり依頼主を待たせるわけにもいかないので。ああ、ここに御用があるならどうぞ。私も勝手に除霊していますので」
桜は一つお辞儀をして佐々原家に入っていった。
「あなたが守部桜さんね、待っていたわ。じゃさっそくだけど除霊してもらおうかしら。場所は」
「ああ場所はなんとなくわかります。ですからあなたは玄関で待ってる人たちを迎えに行ってはどうですか」
丁度インターホンが鳴る。佐々原妻は煙草を吸いながら、ああそうとだけ言って歩いて行った。
家に入った途端から、桜はずっと何かに誘われていた。恐らくは桜にしか見えていないだろう、黒い靄がまるで手のように桜に縋りついて、引っ張っていくのだ。
「わかったから落ち着きなさい」
桜はそれをあやすようにつぶやく。するとまるでその靄は、癇癪が収まった子供のようにおとなしくなった。
「で、どこにいけばいいの」
家の中で唯一その靄だけが桜に纏わりついて、方向を指し示す。霊障に当てられて騒ぎ出した雑多な霊は桜に近づこうとしないで、遠くからおっかなびっくりその姿を見守るだけだった。
桜の後ろ手に騒ぎ声が聞こえる。どうやら警察による家宅捜索が始まろうとしているようだった。佐々原妻が何やら言葉にできない声で喚き散らしているが、そんなのはお構いなしに捜索を始めるだろう。
面倒になる前にさっさと仕事を片付けようと、桜は足を速めた。依頼主が逮捕されたら、さていったい報酬は誰が払うのか。タダ働きになるかもしれないという考えに、桜は笑顔を浮かべながら身震いした。
桜は靄に誘われるまま廊下を歩いていく。扉を一つ二つ三つ超えた先、一度廊下を曲がった奥にまた扉があった。靄はそこから伸びている。桜はゆっくり扉を開けた。
そこには、小さな座敷牢だけがあった。その中央で男の子の霊がふよふよと泳いでいる。黒い靄はそれから伸びていた。
「ちょっとあなた達何するんですか」
ゆっくり歩いていた桜と違って、乗り込んできた警官たちは、佐々原妻をひき連れてずかずかと部屋にやってきた。
けれど桜はあまり気にしない……事はなく、除霊の現場を見られることは好ましくなかった。桜の取る除霊方法はまあ手荒い。見咎められる恐れすらあった。
「で、まあ私も覚えがないわけじゃないし、なんとなくわからなくもない。君は今どこにいる」
だから極々普通の方法を取ることにした。力で黙らせるわけでもなし、無理やり成仏させるわけでもなし、現世にへばりついている元凶を取り除くのだ。それにはまず本体を探し出す必要があった。
桜には座敷牢を見た時からいくつかの想定があった。いわゆる児童虐待である。警察の介入というのもそのあたりが原因だろう。今も他の部屋より人数を割いて捜索している。
となればこの中身は、座敷牢に捕らわれていた子どもは。
死体遺棄か、あるいは目に見えない場所に監禁されているかのどちらかだ、と桜は考えた。
その時、桜の声に反応した男の子の霊が桜を庭に誘った。大方、庭にでも埋めているか納屋にでも放り込んでいるのだろう。
「芸がない」
呆れるようにつぶやいた桜は、一応断っておこうかと佐々原妻を探したが、どうにも警官に捕まって話どころではなさそうだった。
庭はごく普通に芝生が生い茂っているだけだが、そんな奇麗な緑の芝生に景観を損ねるような石が置いてある。例えばそれがいくつも並んでいればあるいは絵になったかもしれないのに、一つだけというのは色味を損ねていた。
桜が漬物石くらいのそれを横に動かすと、土にいた小さな虫がわらわらと這い出してきた。それらはひとたび桜の姿を認めると一斉に四散する。下は芝生が生えていない柔らかい土があった。
桜は土に手を手首ほどまで突き入れると、そのままごっそり土を掘り起こした。ぷんと腐敗臭がする。繰り返すたびに臭いは強くなり、五回も繰り返せば手に土とは違う感触を感じた。
ビンゴと呟いた桜は慎重に周りの土を払いのける。するとウジ虫に覆われた、まだ原型を留めたままの頭が現れた。それを確認すると桜は近くの警官に死体が埋まっていると伝えた。
「あんなふうに供養されないまま捨てられるように死ぬのは辛いものね」
警官に詰められている佐々原妻は支離滅裂な言動を繰り返しながら、発狂しかけているのを何とか取り押さえれらていた。桜はそんな様子を一瞥すると、彼女にしては珍しく忌々し気に顔を歪めて視線を外した。
「ご協力ありがとうございます」
そんなとき一人の男が桜に話しかけた。若い、力と正義感に溢れる青年だった。しかしほんの少し影がある。それは小さな命が失われたという事実が落とした影だった。
「いえいえ、私は私の仕事をしただけですよ」
「そんな! あなたが居なければ、ともすれば解決しなかった事件かもしれません。ひいては謝礼を……」
警官はそう言ったきり言葉を止め、じっと桜の顔を見た。
「もしかして守部桜さんですか」
さっき名乗ったじゃないかと桜が怪訝に思っていると、警官は自分ですよ自分と続けた。
「覚えていませんか。○○小で同級生だった瀧本です」
そう言われても桜の脳にはぼんやりとした映像しか思い浮かんではこなかった。
○○小は確かに桜が通っていた学校で間違いないが、しかし如何せんあの頃のことだから、ほとんど何も覚えていなかった。
「いえすみません。伊川さんの事くらいしか同級生は覚えていなくて」
「まあそうですよね。たぶんそうだろうとは思ってました」
一瞬だけ沈黙が流れて、先に口を開いたのは瀧本だった。
「こんな場面でなければもっと同級生との再会を喜べたのですが……すみません掛ける上手い言葉が見つからなくて」
そうして俯く瀧本。再び沈黙が訪れたが、それを破ったのは瀧本ではなく彼の上司だった。彼は上司に呼ばれるがままに座敷牢があった部屋まで早足で歩いていった。その後ろ姿を見送った桜は、今回はタダ働きだったなと肩を竦めながら面倒ごとを避けるように佐々原宅を後にする。
「もしかして瀧本君は気づいていたのかな」
外に出た桜を強い日差しが襲った。けれど襲った相手が桜だと知るや否や、彼らはすごすごと引き返していく。
桜は別れる直前に瀧本がなぜ俯いたのかを考えていた。そして記憶を辿りながら一つの答えを導き出した。ごくごく単純なこと。それはさっきまでの状況が、かつての私に被る部分が多かったのだ。
「……今晩は夢見が悪くなりそう」
普段ならそんな悪態も冗談交じりに言ってのけるのだろうが、今の桜は心底憂鬱そうに肩を落とす。彼との会話でいらぬことまで思いだしてしまったようだった。
「本当に……」
仕事を終えて帰路に着く桜の足取りはかつてないほど重かった。