守部桜と幻想   作:KRYP

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日暮れの塔①

「学会発表ですか」

 森中教授の切り出した話に桜は僅かながら驚きを隠せなかった。その証拠に、週一回のゼミを終えてノートパソコンを片付けていた手を止めて、自分の方を指さしている。

「ああ、ちょうど一月後から学会に出席するため欧州の方へ五日間行くんだがね。桜さんも一緒にどうだという話だ。何も桜さんが発表するわけじゃない」

 ああそういう事と、桜は胸を撫でおろした。そもそも、よくよく考えてみると私のこれまでのゼミなんて発表できるような代物でもなかった。今日のものにしたって、発表したところで誰が蟲の作り方なんて知りたがるだろうか。

 頭に数分前の記憶が戻ってきて、ピリリと刺激のある苦みが舌先に蘇る。それは教授の前でほんの少し試食して見せた蟲の味だった。

 きっとこんなものを発表すれば捕まってしまうに違いない。Q使用方法はA呪殺です。

「まあ名目上は桜さんも学会に出席することになっているのだが、別にその必要もないぞ。もちろんこんな中年と何泊もするのが嫌というのはよく分かる話だから、無理にとは言わん。しかし安い、なんたって大学がいくらか金を出してくれるからな」

 まるでデパートの客寄せのように、手を大仰に広げて宣伝する森中教授。桜はその裏にほんの少しでも下心がないか確かめようとした。

「教授が私に何もやましい事をしないというのなら行きますよ」

 桜はまるで誘惑するかのようにしなを作って微笑む。それは遊女の作るそれのように人を惹きつけるが、妖女のようにある種の恐ろしさを孕んでいた。

 だからだろう。途端、森中教授は唇を真っ青にしてぶるぶると震え上がった。

「まさか! それは君がこれまでどんなゼミをしてきたか自覚しての発言か。私には呪術を行い、蟲を作ってくるような女を抱く趣味はないんだ」

 がたと音を立てて後退る森中教授に、桜は思わず腹を抱えてしまった。

「何もそこまで怯えなくてもいいじゃないですか。わかりました、行きますよ。予定もないし、その純粋なご好意を受け取ります」

「ああ……それがいい。ほとんどタダみたいなものだからね。それじゃ来週のゼミまでにある程度予定をまとめて置くから、またその時に話を詰めよう」

 平静を未だ取り戻せない森中教授は、とにかく動かしてしまった机を元に戻そうとすることで外聞を取り繕った。

「わかりました。ではお疲れ様です」

 これ以上その醜態を見るのは忍びないと思った桜は、自分の荷物をまとめてさっさと教室を出た。

「ああ、お疲れ様」

 閉まる扉から教授の声が漏れる。廊下にはそんな各教室からの小さな声が入り交じっていた。この中には保穂の声も混じっているのかなと、桜は耳を澄ませながら廊下を通り抜けていった。

 どこかの扉が少し開いていたのか、風の吹き込む音にしては甲高い音が鳴る。それに混じって扉が閉まる際に発する金属音がした。それは女の悲鳴に似ていた。

 そういえばと、ずっと前に受けていた依頼を思いだした。風が吹きすさぶ度に金切声が響くという塔の事を。

 

 

 

 

 

 

 日本から欧州まで飛行機の旅は約十数時間。その間ずっと起きては飯を供給され、食っては寝るを繰り返す。それも狭い席で。だからミラノはマルペンサ空港に降り立った森中教授はぐーっと背伸びをした。

「昔、ブロイラーの映像を見たことがあったが、私はあそこにいた鶏の気分を味わったよ」

 とは異国の地を踏んだ教授の第一声であった。

 時刻は午後五時。日本に比べればまだ人がまばらな空港は、夕焼けによってほんの少し赤みがかっていた。ぼんやりと光景だけを見るならそこは日本とそれほど変わりないのに、ふと細部に目を向けてみると日本語がほとんどない。そんなことが、ここが海外であることを強く実感させる。耳も澄ましてみれば、ただの雑音は声と雑踏とに分けられるが、やはり日本語は聞こえない。自分が慣れ親しんだものがないとほんのちょっぴり心細くなるらしい。

 そんな事が遠くまで来たなあと実感させる。しかしよくよく考えてみればそれは、確かに遠いところに来たのには間違いないのだが、それは物理的な距離というよりもただ日本から出た、言い換えれば海外に来たというだけで一括りにしてはいないだろうか。たぶんだけれど、私は韓国に行くよりも北海道に行く方が近いと考える。

 そんなのは周囲が海に囲まれてる日本人っぽい感覚ではないだろうか。

「はあ……」

 桜はため息を吐いた。尸解仙になったというのに、まだまだそんな人間らしい、それも日本人らしい感覚を持っているとは、なんとも情けないように思う。

「じゃあ桜さん、私は乗り継ぎがあるからここで。女の一人旅だから、くれぐれも気を付けるように」

「ああはい。それじゃまた三日後に」

 森中教授は私に背中を向けたまま手を振った。どうせ見えてないだろうと思いつつ振り返してしまうのも、これまた受話器を片手に頭を下げてしまうという日本人らしい。

「さてと」

 私の方もさっさと行かなければ。ほんの少し海外というものに気後れしていた心に活を入れて歩き出す。私事を理由に無理を言って別行動にしてもらったのだから、用事は早急に果たさねばなるまい。

 

 

 そんなふうに意気込みながら空港を出た私を、予想外のものが待ち受けていた。

「久しぶりだね桜」

 突然行く手を遮るように停車した、見るからに頑丈そうな黒い車の車窓が開いてエリカが手を振ったのだ。

 私は果たしてどんな顔をしていただろうか。鏡がないからわからないけど、エリカの愉快そうな表情を見ていたらなんとなくわかるというものだ。

「なんでここにいるの」

 とりあえず疑問に思ったことを口に出してみる。今回は完全な私用だったし、それが終わったら教授に合流するつもりだった。だからエリカには何も連絡してなかったはずだ。

「うちの諜報員たちはすごいでしょ。まあ早く乗ってよ、こんなとこにずっといたら迷惑だからさ」

 確かにそれもそうだと思った私は、一先ず色々な事は捨て置いて、開いたトランクにキャリーケースを放り込んで車に乗った。

 ほとんどエンジン音も立てずに車が走り出す。

「私、一応ちゃんと宿は取ってあるんだけど、そこに連れてってくれるんだよね」

 とりあえず疑問をぶつけてみる。初めはジャブみたいなところから、どこまで私の旅に介入してくるのか測らなければならない。

「ああ、それならキャンセルしておいたよって」

「えっ!?」

 同時にポケットに入れたままのスマホが振動する。そんな通知は全て切っているというのも、とうに忘れていた私はスマホを取り出した。するとロックも解除していないのに、まるで遠隔操作されているかのようにスマホがひとりでに動き出して、一つのメールを開いた。

 そこには三週間前のメールが今届いていて、内容はホテル予約の取り消し承認だった。

「ちょっと何よこれ」

 車体が揺れるのも構わずエリカに詰め寄る。とその時、そんな怒りやらなんやらを全て吹き飛ばすような緊張感ゼロのぱんぱかぱーんというファンファーレをまねた声がスマホから鳴り響いた。しかもそれが調子はずれな人工音声だから余計にずっこける。そのうえ人工音声のくせして言わされている感が満載なのだ。

「という訳で、っていうのもおかしいんだけど、桜を私たちの居城に招待するよ。私たちのボスが桜に会いたがってる」

「ほとんど拉致じゃない。これは抵抗してもいいのかな」

「出来れば大人しく着いてきてくれないかな。でないと私はあなたを拘束しなくちゃいけなくなる」

 少しおどけて見せた私に対して、打って変わってエリカはおちゃらけた様子を一切見せなくなった。

 事態に対処していないような普段では考えられない態度だ。

 当てられて、私も閉口してしまった。

 

 

 

 

 遠い異国の地であっても、高速道路からの景色は日本とそれほど変わらないらしい。都市の下道であれば異国を感じさせるのだろうが、高速道路では右側通行という以外は日本と言われても違和感を抱かない。

 分離帯に設置された二股の電灯が、一定間隔で車内をオレンジに染める。その様子を眺めていると、仕事から帰宅するときの微睡を思いだしてなんだか懐かしくなった。それほど昔の事ではないはずだ。少なくとも十年は経っていないはずである。けれど記憶が離れつつあるのは、私が昔の体を捨て去ったからだろう。

 車は次第に高速道路を降りて山道に向かう。整備された山道はそれこそ日本のそれとそっくりで、違いと言えば時折ヘッドライトに照らされて日本語以外で書かれた看板が夜の闇に浮かび上がるくらいのものだ。

 うねうねと走行し、まばらにあった民家などは時間がたつにつれ建物そのものが姿を消していく。

 そして森にある巨大な門に辿り着いた。門は車を確認した警備員の手によって開いた。

「さて、降りるよ桜。車が入れるのはここまでで、あとは歩いて行かなきゃいけないんだ」

「そうなんだ。じゃあここから少し歩くの?」

 聞いた私にエリカは、私たちならすぐだよと笑って車から降りた。私もそれに続いて車から降り、トランクのキャリーケースを取り出す。それから門に近づいた時にはもうエリカが警備員と話し終えた後で、何事もなく私も門を通された。

 

 夜風に吹かれながらエリカと肩を並べて森の中を少し歩くと、森が開けて湖上の城が現れた。それを隠すように周囲を高い森で囲われたその城は、日本のそれとはまったく異なっていた。石造りという点では同じだが天守なんて言うものは当然なく、真ん中よりは左右に円塔があるせいでそちらの方が高くなっている。そしてガラス張りの窓から光が漏れていた。

 古びているのに新しい。そんな印象がある。パッと見風化しているようには見えない石壁もあれば、地面から伸びる緑に覆われている部分も多くあった。それがはっきり分かれているせいか、妙な違和感がある。

 城は暗闇にあって僅かな内光により存在を確立していた。さほど大きくない城だというのにも関わらず、城というだけの偉大さは持っていた。

 橋を渡ってエリカが木製の門を開ける。そこにはずっと待っていたのかバトラー然とした壮年の男性が立っていた。

「お帰りなさいませエリカ様」

 薄暗い場内から古めかしいランタンを小さく揺らしながら、執事は空いた手を胸に当てた。

「ケイリはどうしてるの」

「ただいま自室で休まれております」

 僅かに聞き取れたケイリという名前。そのケイリという人がボスなのだろうか。名前からするに女だろうけど、一体どんな人なんだろう。そんなことをぼんやり考えていると、執事は私に振り向いた。

「守部様でございますね」

「えっ、はい……」

 突然に飛び出したほとんど流暢な日本語に心臓が跳ねるような思いがした。追加で様なんて付けて名前を呼ばれたことが無かったのもあるだろう。それも年上に。

 果たして私はそんなに偉い人間なのだろうか。人間じゃないというのを考慮してもしなくても、そんなことは決してないはずだと生まれてからを振り返って思う。

 がしかし、アル・カポネも様を付けられていただろうから、結局のところ大切なのは徳というより力なのだろう。

「長旅でお疲れかと存じます。夕食まではお時間がございますので、それまでごゆっくりなさってください」

「ええ、そうさせてもらうわ」

 力だったら私もそれなりに尊大な態度を取れそうだ。キャリーケースを執事に差し出すと、彼はにこやかにそれを受け取った。

 

 あまり電気が通ってないのか、薄暗い廊下を執事のランタンを頼りに歩く。明りも無ければ音も無く、足音あるいはキャリーケースのカラカラという音だけが廊下に響いている。

 エリカとは途中で別れた。だから無言で廊下を歩く。執事相手に私が気を使う必要もないのだからこのままでもいいが、手持無沙汰になった私は不審者もかくやというぐらいに周囲をきょろきょろと見回した。

 前も後ろも城なら一つくらい置いてありそうなイメージのあるお高い壺みたいなものは一切なく、ただただ石造の廊下が続いている。壁には一定間隔で光源や扉、窓が並んでいるが、それだけだ。

 無骨なようでいて、洗練されているようにも思う。その空間に私はある種の気概を感じた。

 だからだろう、それまであまり乗り気ではなかったのに、会ってみてもいいかと思えるようになった。

 

 二階に上がってすぐの部屋に案内された。それなりの広さを持った寝室だが、廊下と同じようにそれは寝室であるための必要条件のみを満たしたような部屋だった。電灯、ベッド、空のクローゼット、シャワールームだけが備え付けられている。

 少し退屈な部屋だと率直な感想を抱いたが、すぐに首を横に振ってそんな考えを吹き飛ばす。部屋を借りてる立場だからというものではない。八割ぐらいの人間は私と同じ感想を抱くと思うが、それこそがダメなのだ。

 いい加減に自覚を持たなければならないと思う。しかし同時にそれが簡単でないことも十分に理解していた。

 長旅の疲れと汚れとを洗い流すためにシャワーを浴びて、小紋チックな浴衣に着替える。

 ちょうどその時、執事が部屋を訪ねてきた。

 さて行こう。少し帯を締めて気合を入れる。なんたってこれから会うのはあのエリカのボスなのだから。

 

 

 一階の奥、恐らくは大広間なんかを通り越して奥まった小さい部屋に案内される。

「どうぞ。我らの城主があなたをお待ちです」

 執事が扉を開ける。木製の扉は少しだけキイと鳴いてその中を晒した。

 やはりというかその部屋にも食事に必要なものしかなかった。三つの椅子にごく普通の家庭で使われるようなテーブル、申し訳程度のテーブルクロスにカトラリー。それに今は別の意味があるのだろうが、恐らくは本来の明りを確保するという目的で置かれている燭台だけだった。

 三つある椅子の内、既に二つは埋まっていた。一つはエリカ。そしてもう一つに茶髪の女性が座っていた。恐ろしい美貌を持った女だ。ただ純粋な美ではなく、そこには不敵さも伴っていた。

 そんな女が、もみ上げまで肩に掛かるほどで奇麗に切り揃えた髪を揺らしながらこちらを向く。

「初めまして。私の名はケイリ・ユン・リイリル。歓迎するよ、守部桜」

 小さく微笑む。

 それは、意図したものではないのだろうが、私に自分が尸解仙であることを強く強く意識させた。何故なら、もし私が普通の人間だったのならば、即座に失神してしまっただろうと思わせるほどに、恐ろしい笑みだった。

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