守部桜と幻想   作:KRYP

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座敷牢②

 床には畳。左右と後ろは壁。そして目の前には格子状に走る木製の柵があった。しかしなぜ木製だとわかったのだろう。世界は白黒で目の前のそれは灰色なのに。けれどそれがいわゆる座敷牢だと、私はすぐに知れた。

 いや知っている。私は知っているのだ。しかしなぜというのは模糊としていて分からない。そして知っているという事も、ついさっきまでは岩石のようにしっかりと形作られていたのに、どうやらそれは雲母だったようで、どんどん薄くぽろぽろと剥がれ落ちてしまう。

 これは夢だと、私の頭の片隅で、まるで蛍の光みたいに小さく呟く声が生まれたが、そんなものはすぐに消えてしまった。

 そうして遂に私はその灰色の世界にいることが自然になった。だから自然と床に散らばる本へと手が伸びる。抱朴子。仙人について書かれている本だ。ぺらぺら捲ってみても、そこに新鮮味も面白味もなかった。退屈だ。

 けれど他の本を手に取っても同じだと、私は抱朴子を読み進める事にした。

 牢には鍵が掛かっている。どうせ喚いてもここから出られないのだから。

 

 

 気がつけば男が一人座敷牢の前に立っていて、何やら錠を触っている。ここから出してくれるのかと思ったが、どうやらただでは出さないらしい。格子の向こうに見える顔は黒くてよく分からないが、悪意だけを持っていることは知れた。鍵を開けて入ってきた男は、私が着ている着物の後ろ襟をむずと掴み上げると、そのまま屋敷を抜けて車に放り投げ入れた。

 

 そしてそのまま山中に連れてこられて林床に放り捨てられた。いつか読んだ姥捨山ならぬ、子捨山かと思った。世界は相変わらずモノクロで、けれど森林はそれでも鮮やかに色付いていた。ずっと緑色と茶色ばかりがベタと塗られているだけだと思っていた森林が、その実、光と影とだけでも様々に塗り分けられていたのだった。もしこれがフルカラーならと心が躍る。

 けれど、本当に見てしまったらそんなに良いものでもないかもしれない。

 

 少し怖くて不安になったが、座敷牢よりは開放的な分だけましだと思う。けれどそれはほんのちょっとだけ遊ぶ分にはだ。

 さてどうするか。しかしどうするもこうするもなかった。とにかく帰らなければならない。

 モノトーンのせいで分かりづらいが、恐らく木の影になっている部分に手を突っ込んで引き抜く。林床には新しく腕に乗った大鷲の影が描かれた。

 鷲はさっきの男とは違って粗暴でなく、両脚で優しく帯を鷲掴みにすると、そのまま天高く飛び上がった。

 ああこれが本当の鷲掴みかあなどと考えていると、ぷらんぷらん揺れる手足の先に街が見え始めた。住宅街、公園、学校、そして遠くにはビルディングが立ち並んでいる。

 私はふと横を向いた。そこには太陽があった。それはモノクロの世界においてなお燦然とした輝きを放っていた。

 思わず目を覆う。けれどすぐに眩しくない事に気付き、もう一度見る。奇妙な光景だった。輝いているのに直視できる。しかし圧倒的な存在感があった。ともすれば空の白に溶け入ってしまいそうなのに、それとは違う白い球体だ。

 次の瞬間には反射的に手で目を覆っていた。

 

 手をのけると、いつの間に降り立っていたのか、私は地上にいた。私を運んでくれた鷲の姿はもう見えない。

 家までもう少しだと歩き始めた私を、後ろから抱きすくめる腕があった。そのままぐっと体を持ち上げられる。濃い体毛と思われる影に覆われた男の太い腕だった。

 私は叫んだ。けれどモノクロの世界では自分の声ですら自分の耳に届かない。しかし自分の下喉の絞り方や口の形からわかる事もある。多分私はカァと甲高くカラスのように鳴いたのだ。その証拠に昼下がりでのんびりしていたであろうカラスが、その鳴き声に釣られて街中から襲来した。

 カラスの群れは男に群がるとそのくちばしで突っつき始めた。たまらず男が手を緩めたので、私はその隙にするりと抜け出して離れる。気づいた男が、カラスを払いのけて私に剛腕を伸ばした。早九字を切ってそれを撃退すると、一目散に駆け出した。眼前を飛来したカラスが覆う。

 

 

 すると私は見慣れない庭にいた。目の前で、現代の標準的な活動着とはかけ離れた仰々しい装束を着た男の子が蹴鞠を蹴って遊んでいる。他に人影はないから一人で遊んでいるのかと思えばそうではなかった。彼はぽーんと鞠を蹴り上げると、近くの樹に止まっていたハヤブサが飛んできて鞠をはじき返したのだ。ハヤブサはそのまま空中で円を描くと、また樹に止まった。

 式か、と私はそう思った。

 男の子が私に気付いて鞠をぽんと蹴ってきた。だから私もぽんと蹴り返すと、今度は式が打ち返してきた。予想外の返球に私も式を召喚して応じる。私の召喚したワシは器用に頭を使って鞠をはじき返すと、私の肩に飛び乗った。目いっぱいに爪を開いて肩に食い込まないようにしているのがいじらしくて、反対の手でその頭を撫でる。

 しかし一向に鞠は蹴り返ってこない。見れば男の子は腰を抜かしているではないか。ハヤブサは術者の心情を表すかのように怯え切っている。

 私はただじっとその様子を眺めていた。一体何に怯えているのだろうか、それが心底不思議でならなかった。そのうちにどこからともなく大人たちがやってきて、私と男の子を取り囲んだ。全員がじっと瞬きもせずに私を睥睨する。そのうちに一人また一人と私に腕を伸ばしてきた。

 大人たちの巨腕が視界を埋め尽くすように私に迫る。

 途端、予期せず激烈な恐怖が私の中で爆ぜた。

 ヒィッ!? 

 短い悲鳴とともに上体が僅かに膨らむ。

 

「キャアアアアア!」

 その反動で、私は布団を跳ねのけながら飛び起きた。同時に世界に色と音が取り戻される。

 朝の弱弱しい光が、更にカーテンに遮られて淡く部屋を照らしている。はあはあと荒い息遣いに混じって、遠くから小さく電車の走る音が部屋に届いた。

 大きく揺れる肩を落ち着かせて、ふうとため息を吐く。

「まさかこの私が悪夢にうなされるなんてね……焼きが回ったかな」

 それとも昨日に時代錯誤の座敷牢なんて見たからか。どちらにせよ、古い記憶に引きずられたことに違いはなかった。

 見れば着物の帯が解けていた。ちらりと見える素肌からは珍しく汗が滲んでいる。汗で肌に張り付く布が少し気に障った。

 桜はベッドから抜け出ると、着物を脱いで洗濯機に放り投げた。そのまま風呂場で水垢離をすると、幾度となく体に浴びせた冷水が夢の余韻を奇麗に洗い流す。

 服を着てカーテンを開けると朝日が部屋に差し込んでくる。余計な家具がほとんどないために、部屋の明りは付けていないのに床は明るく照らされた。

「たまには実家の様子でも見に行ってみるかな」

 普段なら絶対にそんなことを考えないのに、朝日の陽気が私にそんな気を起こさせた。

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