守部桜と幻想   作:KRYP

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名も無き孤島 エリカ完

 穏やかな太陽の下、深藍あるいは濃藍ほどの海上にぽつんと一艘の船が漂っていた。周囲を見渡しても船以外には何もない。恐らくそれは甲板で双眼鏡に似たものを装着している女にも、わかっていることだろう。ただしそれが本当に双眼鏡であった場合の話だ。よくよく見れば、それは最近巷で流行していると言われるVRゴーグルだった。

 女はぐるぐると周囲を見渡した。ゴーグルの中の世界を見ているだけだというのに、まるで本当に海上を眺めているようにも見える。

 しばらく眺めて飽きたらしい、女はゴーグルに手を掛けた。

「ふう……」

 少し窮屈だったからか、力を少し入れてゴーグルを脱ぐ。やはり苦しかったようで何度か頭を振った。

 太陽の光を浴びてキラキラとブロンドの髪が輝く。直接あるいは海に反射した太陽光が眩しく、しばらく瞼を閉じる。そしてゆっくり開けた瞼からは、海の深い青が恐怖心を煽るのとは対照的な青い瞳が現れた。そして一度だけ海を眺めると、全身に十字架をあしらった白い法衣をゆらゆらと揺らしながら、エリカは甲板から船内に戻った。

 一体彼女は何をしていたのだろうか。漁という装いではないし、クルージングにしては顔が険しかった。

「主よ。いかが致しましょう」

 船を操縦していた水夫が、船内に戻ったエリカに気付いて恭しく膝をついた。

「この辺りの海域は調査できましたから、今日はとりあえず帰りましょう。船を出してくれた事、感謝しますよ」

 エリカは首を垂れる男の頭に手を翳して、祝福を与えた。それが終わると、エリカは近くの椅子に深く腰掛けた。水夫も立ち上がって船の操縦に戻る。

 ひゅうと潮風が船内を吹き抜けた。

 

 

 

 エリカを乗せた船はアイルランドの北大西洋側に着いた。上陸した彼女を待っていた男に迎えられて、エリカが黒塗りの車に乗り込むと、もう行先は分かっているのかすぐさま車は発進した。

 窓には緑と灰色の混じった平野と青い空とが流れていく。少しは海の青も混じっていただろうか、それがゆっくりとだが次第に海の青は車窓から消えていき、入れ替わって深緑が増えてくる。海から離れ山に近づきつつあるのだ。

 そして山間部の湖畔にそびえる、白く荘厳な修道院の前に停車した。その頃になるともう日はほとんど暮れていた。

 運転手が扉を開けてエリカが降りる。

「ありがとうございました。では明日の朝10時にまたここまで迎えに来てください」

「かしこまりました」

 男も水夫と同じく祝福を受けると、どこかへ去っていった。

 入れ替わりに門が開いて、修道女が塀の内から現れた。エリカの白い祭服と比べて黒が目立つ標準的な修道服の女は、にこやかに微笑んだ。

「お待ちしておりましたエリカ様」

「お出迎えありがとうございますシスター・二コラ。急な申し出にも関わらず受け入れてくれたこと感謝しますよ」

「いえいえ、修室の一部屋や二部屋いつでも空いています。それにエリカ様がいらっしゃるとなれば私どもの身も引き締まるというものです」

「なるほど、ではその言葉に甘えるとしましょう」

 エリカはシスターに導かれるまま修道院に足を踏み入れた。大きな木製の扉をくぐり、煌びやかなステンドグラスのある聖堂を抜けて、一つの部屋に案内された。

「この部屋はご自由にお使いください。届けられたお荷物も置いておりますので」

 無駄な装飾が一切なく、さらに修室として最低限の機能のみ供えられた部屋は、だからこそ落ち着く雰囲気があった。中心にはトランクケースが置かれていて、エリカが確かめるとそれは事前に郵送していた自分のものだった。

「では夕食のお時間になりましたら使いを送りますので、それまではごゆっくりお過ごしください」

「ありがとうございます」

 シスターが扉を閉める。

 そこでようやくエリカはほっと息を吐いて気を抜くことができた。船上からこれまで一切見せなかったような背伸びや欠伸を堪能すると、法衣を脱いでベッドに倒れ伏した。

 その時トランクケースから讃美歌の一節が流れ出した。エリカはそれを聞きつけるや否やベッドから跳ね起きると、ケースからスマホを取り出して着信に出た。

「はいエリカです」

「あっお疲れエリカちゃん」

 電話から明るく快活な声が聞こえる。しかしそれはどこか人のものとは違っていた。抑揚というのだろうか、それが自分の中にある肉声から少しずれるのだ。電話は合成音声であるのは間違いないが、それにしても機械の音声なのだ。

 そんな声の主をエリカは一人しか知らなかった。

「お疲れさまニクス」

「もっと早く連絡するつもりだったんだけど、遅くなってごめんね。それで早速だけど海洋調査の結果はどうだった」

 まるで昔の新聞でも作っているかのように判子の音声を並べた言葉が電話口から流れてくる。初めて聞く者なら違和感に眉を顰めるだろうが、エリカはもう慣れてしまっていた。

「真世界のネイムレスアイランドのある座標と同じ場所に行ったけど、島はなかったよ」

「ふうん。やっぱりまだなんだ。それじゃあ明日もよろしく頼むね。ばいばい」

「わかったよ。それじゃあまたね」

 別れの挨拶を済ませて電話を切ろうとするエリカ。と、そのとき追加の音声が流れた。

 今晩から最後のイベントがあるからね。明日は祭りになるよ、と。ニクスが普段から、そして今も使っていた粗悪な合成音声ではなく、まさに人がその場で喋っているような音声が流れる。

 それはニクスが重大な事柄を伝えるときにのみ使用するものだった。エリカはその声に不安を覚えた。

 

 そしてその不安はまさに的中した。

 

 

 

 

 

「ははあ……」

 翌日。再び海洋で漂っていたエリカは甲板で見上げながら苦笑するしかなかった。

「ここ、昨日と同じ座標ですよね!」

 振り返って水夫に大声で確認するが、怯えた声で間違いないと返ってくるだけだった。

「なるほど……やっぱり客観的に見るのとでは捉え方が違うね。自分の眼で見るっていうのが大切なのかな」

 今度は苦笑せずに、まるで仇でも見つめるような瞳で目の前のそれを睨みつける。

「これが現実の真実ってやつか」

 そう呟いたエリカの視線の先には、昨日までは存在しなかった孤島が確かにそこにはあった。地震があったわけでも海底火山が噴火したわけでもない。忽然と、恐らくは夜のうちに島が現れたのだ。

 

 エリカは水夫に遠く遥か離れるよう伝えると、人間から遠くかけ離れた跳躍力で以って島に跳び移った。そして勢いそのままに島の中央に向かって駆け出した。同時にスマホを取り出して電話を掛ける。相手はワンコールより早く電話を取った。

「メンバーの位置は常に確認してるからね。そろそろ掛かってくる頃だと思ってたよ」

 流暢な肉声が届く。

「そっちはどうなってるの」

「今まさにイベントの最終幕が開くってところかな。突如として島の中央に現れた巨大な卵が、まさに割れるっていうところ。それを大量のプレイヤーが目撃している。間違いなくそっちにも影響出るよ。ああもっと西……」

 孤島というにはそれなりに大きな島を、エリカはニクスの指示に従って中心に走った。

「それ、止められないの」

「前にも言ったでしょ。このゲームは党本部と密接に関わってるって。データをハックしようものならそれこそリアルで戦争だよ」

 それを聞いてエリカは苦虫を嚙み潰したような顔をした。

「だから現場に赴いて対処するしかないの。っと、そろそろだよ。ケイリ様から許可は出てる。すぐに戦闘態勢に入って」

「承知した」

 電話の声に頷いたエリカは、もう真剣そのものといった表情に変貌した。まさに変貌だった。ほんの少しだけ持っていた女性らしい骨格の丸みは失われ、更には声は落ち着きをもたらす父性をも帯びていた。

 瞳が十字に裂け、流れた血涙が頬に一筋ずつの赤い線を残した。額には茨を戴冠したかのような真一文字の傷とそれに直行する幾本もの傷が走る。次いで両の手首にぽっかりと穴が開き、それを塞ぐように夥しい量の血液が溢れ、腕に真っ赤な紋様を描いた。既に白かった祭服は腹部と背部に刻まれた傷によって赤く染まっている。

 変貌が終わったとき、電話から音声が届いた。

「誕生……いやみんな予想していた通り再誕して成長しきったドラゴンだ! あーまずいもうムービーがSNSに流れ始めてる。来るよエリカ!」

 瞬間、電話の声を掻き消すような地響きがエリカを襲った。

「GyAaaaaaa!」

 天を衝くような咆哮が島を揺らす。エリカが振り向くと、そこにはまさにゲームから飛び出してきたそのままのドラゴンがいた。まるでマグマのように赤い体表が動く。それに合わせて巨木のような四つの脚が大地を踏み鳴らした。しなった尻尾が石を飛ばしながら地面を叩きヒビが走る。

 エリカは巨大な霊峰に対峙している錯覚に襲われた。しかしエリカに撤退は許されない。彼女は自分に与えられた使命を思いだして自身を奮い立たせた。

 二つの燃え盛るような凶眼がエリカを捉える。その口に白むほどまでの炎が宿った。

 突如右からの重力が発生した。そう錯覚するほどに本能で横に跳ぶエリカ。直後にそれまで彼女が立っていた場所に熱線が迸る。それは巨岩を飛ばしながら地面をえぐり溶かした。どろどろに溶けた地面から熱気が立ち上る。

「──────ッ!」

 エリカはそれだけで目の前の敵を仕留めんかのような無音の絶叫と視線とを放つと、手に千もの雷霆を握りしめてドラゴンに解き放った。

 即座に熱線を超える光が島を包み、咆哮がもはや小声ともとれるほどの轟音が島を駆け巡る。雷が奔った跡の地面は融解し、ドラゴンは一瞬だけ動きを止めた。

 まだエリカの裁きは終わらない。手のひらを天に向けぐっと落ち上げる動作をする。刹那、それに合わせて島周辺の海面が重力に逆らって持ちあがりだした。1メートル2メートルいやもっと高い。島で最も高い場所すら超えて海面が持ち上がる。

 エリカはその手をドラゴンに差し向けた。海に重力が戻って、ドラゴンもろとも虚構の島を洗い流そうとするほどの水が真上から押し寄せる。それはまさにかの大洪水を彷彿とさせた。エリカがそれを上空から眺める。

 しかし海を割いて深紅の両翼が現れた。やがて潮が巨大な力で引いていき、しかしそれでもドラゴンはその場に残った。

「まさか」

 エリカは動揺を隠せなかった。

「どう、そっちは倒せた」

 電話を通して早口が飛ぶ。普段のニクスからは考えられないような声に、エリカは翻ってある程度の冷静さを確保できた。

「まだだ。どうなっているのだこいつは」

「そいつは全世界のプレイヤーが生きていると思ってる限り死なないよ。エリカのいる島と同じ、あまりにもリアルに作られた世界にプレイヤーが現実とゲームをごっちゃにしちゃって、あるはずのないものをあると思い、いないはずのものをいると思っている。このレイドに参加できてる人間で、ドラゴンが現実にいないと思ってる人間はいないんじゃないかな。むしろ何人かはほんとに現実で戦ってると思ってるかも」

「くどいぞっ! 簡潔に」

 形状こそはコウモリの羽と似ている巨翼を雷霆でもって地面に縫い付ける。苦痛に歪み開いた口の、一つ一つが聖剣の如き牙の隙間からまたも熱線が漏れた。

 空に放たれてはまずい! 

 エリカは眼前の巨竜ほどにまで大きな光の剣を生み出すと、最後の審判さながらにその頭へ突き下ろした。苦悶の絶叫が天を割る。

「ごめんごめん。えっとね、だからゲームの方で元気に動き回っているうちは、そっちの現実にいるドラゴンも元気に動き回るってこと。こっちのドラゴンを倒さないとどうしようもない」

 ケイリ様や守部桜なら関係ないんだろうけどね。とニクスは言葉を締める。

「ならば私はどうすればいい」

「エリカはそのまま攻撃し続けて。この真世界はリアルにも影響を及ぼすけど、結局は現実の方が強い。ドラゴンがゲーム原産だとしても現実に生まれればそれはゲームにも影響を与えることができる。それと絶対に島にくぎ付けにして」

「承知した」

 エリカはさらに千の十倍もの雷霆を両手に握りしめて巨竜に挑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後。もはやリアルでもVRワールド内でも大きく変形した島に巨竜が倒れた。

 太陽が半分ほど浸かった海で、エリカの大洪水から辛くも回避できた船に拾われてエリカは帰路に就いた。今度は修道院に戻らず、アイリッシュ海から空港を利用して帰城した。城の自室に戻ると、エリカは着替えるだけの気力もなかったのかそのままベッドに倒れ伏した。

 それを小さな天使たちだけが祝福していた。

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