丸テーブルに等間隔で座った桜とエリカは、同じテーブルに着くケイリに倣ってスパークリングワインの注がれたグラスを少し持ち上げた。
「守部桜との出会いを祝して」
乾杯と。日本人の父を持つエリカと同じくらい流暢なケイリの日本語で食事が始まった。
桜は、静かにそして優雅に気泡を立ち昇らせているワインをくいと口に含んだ。口内で滑らかともいえる炭酸が小さくぱちぱちと弾ける。同時にほのかな甘さと渋さが広がり、爽やかな香りが満ちる。それを味わってから飲みこむと、炭酸とアルコールの相乗効果で早くも体が沸き立ってくる。
小さく息を吐く。余韻が漂った。
二口目を頂こうかというとき、扉が開いて料理が運ばれてきた。生ハムや野菜類の乗せられたパンや小エビを炒めたものなど、日本でいうお通しのようなものがテーブルに並ぶ。
それを見て、なるほどフルコース的なものなのかと考えた私は、しかし運ばれてくる料理の量が前菜かお通しというにはいささか多くないかとも思った。少しだけそわそわしているエリカを見るに、内容は普段と違うのだろうが量までそうだとはわからない。
多すぎて食べられないという訳じゃない。そもそも仙人である私にとってはどうにでもなることだ。だがエリカも恐らくはケイリさんも普通の人間なのだから、限界はあるはず。料理はまだまだ前菜の段階だ。この調子で肉やらが出てきたら大変なことになるのではないだろうか。しかしそんな不安をよそに、ケイリさんはゆっくりと食事を進めていた。
「遠慮しなくていいよ。サプライズとだったとはいえ、こっちに無理やり連れてきちゃったのは私たちなんだし、これはそのお詫びも兼ねてるからさ」
「ならありがたくいただきます」
手を付けないのを遠慮してると思ったエリカが声を掛ける。本当は違うけど別に訂正する必要もあるまい。
一口大に切り分けられたブルスケッタを、少し大きく口を開けて放り込む。さっくりとしたパンの歯ごたえとねっとりとしたアボカドの歯触りが心地よく、オリーブオイルやニンニクの匂いと生ハムの塩気がいい感じに食欲と飲酒欲をノックする。その後にスパークリングワインを飲むと、なんとも幸せな気分に包まれた。
たくさんあったはずなのに、私がもう一つアンチョビのを食べているともう料理はなくなっていた。ちらりとリイリルさんの方を見る。痩せの大食いという言葉があるが、彼女もそのタイプなのだろうか。
運ばれてきた料理がなくなって、することもないままに静かになった。まるでというかまさに人の家に御呼ばれしたときの気まずさがうずうずと湧いてくる。
そんな時、エリカが思い出したようにあっと呟いた。
「さっきは無理やり連れてきたって言ったけど、実は桜はここに来なきゃいけなかったんだよね」
「えっ」
それってどういう事、と聞き返そうとするのを阻むように扉が開いてカラカラと台車が運ばれてきた。そこから取り分ける用のカトラリーとともにムール貝や生ハムメロン、エビなどが入ったサラダやカルパッチョなんかが並べられていく。それほど執事はいないのかさっきの男ともう一人の老人が半分ほど残しつつ取り分けていく。
空いたグラスが片付けられ、別のグラスにまたスパークリングワインがなみなみと注がれた。
生ハムメロンというものを食べたことが無かった私は、とりあえずエリカに問いただす前に口に運んだ。なるほどスイカに塩と同じ発想らしい。メロンの甘さが一般的な日本のそれと違って抑えられているから、うまい具合に調和している。そしてワインを飲むと、今度は香りも甘さも渋さもより強かった。
すると、やはり私はどこまで行っても日本人なのだろうか、今度はカルパッチョが気になってきた。日本は生食大国と言ってもいい。そこで育ったものが目の前に並ぶ牛やサーモン、鯛やエビとホタテのカルパッチョを見れば、飛びつくなという方が無理なのではないだろうか。
逸る気持ちを抑えつつ自分の皿に取り分けてから食べる。オリーブオイルとニンニクの風味に混じって鯛の淡白な味やサーモンの強い味がそれぞれ口に広がる。それらの後にワインを流し込めば、ああ至福。
ふうと今度のワインも堪能したところで、さっきの事をエリカに聞いてみることにした。
「ねえ、どうしてここに来なくちゃいけなかったの」
「ん。ああそれはね、桜って日暮れの塔に行くって森中周明にメールで伝えてたでしょ」
「ああうんそうだけど……」
確かに私は事前打ち合わせの段階で、森中教授に日暮れの塔に行くと伝えていた。検索しても出てこなかったようでメールでも困惑していたけれど。
メールの中身まで見られてるのかと思ったけど、そういえばそもそもスマホ自体を操られていたのだったから、メールを覗くなんて造作でもないことなはずだ。
「塔の事を誰から聞いたのかも、桜があそこに何の用事があるのかも知らないけど、あの付近は……あの塔は私たちの管轄でね、立ち入り禁止区域になっているの」
「私たちって言うと、
初めて会った頃にそんな紹介をされた記憶がある。簡単に化け物退治団とも紹介されたが、それで随分と親近感を抱いたものだ。
「そうそうその
その名称は昔に平井さんがポロっと漏らしたこともあった。当時は中学生だったから定期テストのために勉強を本格的にしなきゃいけなくなってきて、さらに英語を習い始めたばかりだったから、財団法人の事をカッコつけてそう呼んでいるのだとばかり思っていた。
「ほっといたら強行突破しないとも限らないし、実際にできちゃうだろうから私が待ち伏せてようかと思ったんだけど、ケイリが会いたがってね。桜を塔に通す許可も、私が待ち伏せる許可も下りなかったわけ」
ちらりと再びリイリルさんの方を見る。今度は視線がぶつかった。
「私のわがままでご足労願ったわけだ。すまなかったな」
「ああいえいえ」
行動を鑑みるに尊大な人なんだと思っていたから、急な謝罪にどぎまぎする。慌てて首を振ると、視界にとんでもないものを見たエリカの顔が映った。
ゆっくりゆっくり食事が進む。量が量だから仕方がないのだろうが、コースにしてもいささか長すぎるのではないかと、これからの献立を想像して思う。だが、それならそれで食べている間に腹も減ってくるだろう。
前菜を頂きながらスパークリングワインをなみなみ二杯に追加で一杯。それは口数の少ない人を少し饒舌にさせ、あるいは初対面で気まずい雰囲気を解消させるには十分な量だった。
「エリカが日本でよく世話になっていると聞く。協力感謝するよ」
スープや種々のパスタが運ばれてくる頃には、桜はケイリ・ユン・リイリルの事をケイリと呼び、ケイリは守部桜の事を桜と呼ぶようになった。
「いえいえそんな……私も助かりましたから」
エリカと出会ってからの高校生活は、大なり小なり様々な事件があった。確かにエリカは私の世話になっただろうが、私が助けられたのもまた事実だった。小さい事件では私が平井さんのコネを使ったり日本人だからこぞというものもあったが、大きい事件ではそれこそ私は一度死んだわけだし、エリカが居なければこうしていることすらできなかっただろう。
「謙遜することはない。活動するにあたって現地人の協力というものはとても貴重だ。特に桜は日本の財団支部とも繋がりがあったからな、これ以上ないと言ってもいい」
「はあ……」
私の発言は謙遜だと受け取られたらしい。
そして酔いにかまけて思考がぼやける頭が、それでも言葉の中から一つの違和感を掬い上げた。
「でもそのー……日本支部を頼れば良かったんじゃ」
ごく普通の疑問だ。けれどそれを聞いたケイリは、はははと笑った。
「桜はまだ社会に出ていないだろう。いや、これからも一般に社会と呼ばれるものに身を寄せることはないと思うが。そんな君に1つ教えよう。社会というのはね、面倒なものなのだよ。同じ組織に属しているといっても、部署が違えばその中身は全く異なる構造をしていることが多い。そして余所者は煙たがれる傾向にある。こちらから出向こうが上から圧力を掛けようが、まあ満足な協力を得られないケースも多々あるという事だ」
「ああなるほど……」
思い当たることがあった。実家の事だ。確かにアレは同じようなものだったかもしれない。
「まあ一つ言いたいことはだな、これからもよろしくという事だ」
ケイリがそうこちらを見て笑みを見せる。私は背中にぞわりと寒いものが走る思いがした。それは間違いなくド太い釘だった。
私も合わせて薄ら笑いを顔に張り付けた。古い頼みごとを聞きに来ただけだというのに、なんだか面倒な事になってしまった。