バーの形式というのを考えるのに時代を選ぶ必要はない。形式……ようはアルコールを主として楽しむという事は、それがバーである限り変わりようがない。時代がsociety4.0の終わりからsociety5.0へと完全に移り変わった現在でも、バーはいい雰囲気の中でアルコールを楽しむ場としてあり続けた。
夜にも昼の暑さがやや侵入し始めてきた5月末、都心にあるそこそこいいホテルのバーで桜が一人酒を飲んでいた。桜の他には四人の客と一人のバーテンダーしかいない。まだまだ夜の浅い時間だからだろう、そこそこ広い店内には少し寂しい人数だった。ほのかに青い照明が照らす店内では騒がしくしようという気持ちも削がれる。客は静かに会話や酒を楽しみ、バーテンダーもそんな雰囲気を守るように仕事をしていた。
桜はくいっとウィスキーを煽ると、ふうとため息を吐いた。酒を好み、さらには俗世に生きながらほとんど俗世離れしている彼女には珍しい、憂いを帯びたため息だった。それは尸解仙となり18歳のままとなった容姿と相まって奇妙な妖艶さを醸し出していた。そんなだから彼女がこの場に年不相応な見た目をしているにも関わらず、誰も声を掛けられずにいた。
桜がもう一度ウィスキーを口に含む。グラスを置くとカラリ涼しい氷の音がした。その時、音に混じってバーの扉が開いて誰かが入店した。桜はそんな新しい客にさしたる興味もわかず、ドライフルーツを口に放り込んだ。ピアノを主とした店内BGMに、来客の足音が加わる。妙な寂しさを酒で紛らわせようとしていた桜は、何の気なしにその足音に耳を傾けた。
するとどういう事か、その足音はこちらに向かってくるのだ。一度立ち止まり、恐らくは店内を見回したのだろう、その後に桜へ向かって一直線に歩いてきた。誰かと待ち合わせしているわけではない桜はそれが誰だか気になったが、しかし顔を見られたくなくて顔を僅かに伏せた。
そう、桜は顔を見られたくなかった。もし誰かに見られたら、そしてそれが大学の同級生だったらと考えると、この在学時代と変わらない顔をどう説明したらいいのかわからなかった。
普段ならそんなことを気にはしないだろう。しかし今日はこのホテルで大学の同窓会があった。しばらく使用していないメールアドレスに、森中教授から同窓会の連絡が来たのだ。保穂以外の学生はあまりよく覚えていないが、彼女や教授には会いたかったから、特に深く考えずに返事をしてしまい、そのままホテルまで来てしまったのだった。
そんなだから、当日になってようやく自分が俗世に在りながら俗世から隔絶されていることを再認識した。するともう同窓会に出席するわけにはいかなくなってしまった。そして同時に久しく忘れていた寂しさを思いだしたのだ。だから桜はこうしてホテルのバーで酒を飲んでいた。
例えばよくわからないおっさんに絡まれるのであれば、それはまだ面倒くさくて鬱陶しいだけで済むだろう。けれど足音は優雅な女のそれであった。もしかしたら本当に同級生かもしれないと身が強張る。
足音は着実に桜の方へ向かっている。それが何にせよごく普通の存在であることは間違いないのは、店内の変わらない静けさが物語っていた。だからこそ桜には恐ろしく思えた。
足音は桜の斜め後ろで止まり、そしてあろうことか声をかけるでもなく桜の隣に座ったのだ。
「ジントニックを」
足音の主は隣の桜を気に留めずに注文する。その女の声に、桜は弾かれたように隣に座った女を見た。そして信じられないものを見たように声を出した。
「もしかして保穂……?」
桜の隣に座った女は桜のよく知る保穂そのものだった。まるで二十年前に戻ったような錯覚を桜は覚えていた。
しかしそんなことはあり得なかった。仙人となり俗世の時間から解き放たれた桜にとっては20年などなんの感慨も無いものだが、保穂にとっては老化に伴う様々な出来事があったはずだった。それが、保穂は20年前そのものだった。
どうしてという声は、辛うじてかあまりの驚きによってか桜の喉からは零れ落ちなかった。しばしの静寂の後、若い保穂らしき女がジントニックを口に含んでふうとため息を零し、言葉を吐いた。
「久しぶりね、桜」
「どうして……」
その保穂の20年前と変わらない、途方もない違和感を孕んだ声に弾かれて先ほどは飲み込んだどうしてという言葉が自然と口から出た。
「森中教授から、桜が同窓会に出席するっていう連絡がきたから久しぶりに会いに来たのよ。それじゃバーであなたが一人で飲んでるじゃない。だから声を掛けたの」
「いやそういう事じゃなくて」
故意にはぐらかしているのか分からないその態度に、桜の声量が少し上がった。けれどもすぐにバーテンダーの訝しむような視線に口をつぐむ。
「……桜が何を聞きたがってるかはわかってる。けどここでする話でもないでしょ」
そういうと保穂は自分と桜のグラスを一気に煽って空にし、更にはドライフルーツも全て口に放り込んだ。そして出るわよと言ってさっさと二人分の会計を済ませて店を出た。突然の事に驚いた桜もとりあえず保穂の後を追って店を出た。
さっさとホテルのエントランスまで抜けた保穂はそこで誰かに電話していたようで、ホテル内ではそれなりに外聞を保っていた桜がようやく保穂に追いついた。
「森中教授も誘ってみたけど、二人の鬼女と酒を飲むほど死に急いではいないってさ」
「あの人らしいわね」
そういえば昔に同じような事を森中教授から言われたことがあった。確か目の前で蟲毒を作って見せた後の事だった。あれ以降、教授の私を見る目が変わったように思う。そしてイタリアでの出来事が決定打になった。
と、その時にふと思った。森中教授は私の事を人外だと認識しているが、果たして保穂はどうなのだろうかと。今すぐ聞こうかとも思ったが、そう言った話も含めて少なくとも人目の付くホテルでする話ではないのだろう。かといって相応しい場所があるわけでもないが、それでも人目に付かなければここよりはいい場所に違いなかった。
食事時でもあったために、桜の脳内には食事処の個室が浮かんでいた。
「じゃ、行きましょうか。個室だったらどこでもいいでしょ」
それは保穂も同じだったようで、二人は並んで繁華街の方へと歩いて行った。
見目だけを見れば若く美人な二人が繁華街を歩いているのだ、声を掛けられてもおかしくはないし、桜や保穂が一人だけだったらその怪しげな雰囲気に引き寄せられて何人か彼女らと行動を共にしたかもしれない。桜に連れ添った者どもは総じて夜の闇に消えたままなのだが、ともかくそんな桜とそれを引っ張るような保穂の二人が連れ添って歩いていれば、醸し出される雰囲気だけで男共は近づく足がすくんでしまった。