雪の降る寒い寒い冬の夜。住宅街や中心街から外れた町の暗さとは対照的に、クリスマスに向けて中心街は明るい。イルミネーションが街を鮮やかに彩る。それを見物するためにだろう、普段よりも街には人が溢れる。雪が降っている上に、冬の厚着ゆえに一人当たりの占有する体積も大きく、夜や寒さから来るの閉塞感とも相まって私は息苦しさすら感じていた。
人波がまるでスライドショーのように動いている。確か子どもは親以外などの不特定多数の人間が背景に見えるのだと聞いたことがある。そのせいで電車などではいくら騒いで注意されても、なぜ注意されているのかわからないのだとか。聞いたときはどういうことだと思ったものだが、今ならなんとなくわかる。判で押されたような人の群れが背景にいくつも溶け込んでいるように見えた。
その中で一人、背景から抜け出していた人物がいた。なぜ私が、私の脳がその人間だけを背景から切り取ったのか、その理由はすぐに知れた。まずその女は大粒の涙をぽろぽろと流しながら立ち止まっていたのだ。
そして何より顔に見覚えがあった。高校の同級生だった山田未来だ。八年くらい前にあった同窓会で見た時とあまり変わらなかったから、すぐに彼女だと認識したのだろう。
特に声をかける間柄でもないから、どうしたのかと歩きながら様子を窺っていると、通り過ぎようとしたときに涙をぬぐった彼女と眼があった。
まずいと、そう思った。
手を止めてまじまじとこちらを見る山田未来。明らかに私を私と認識していた。そして私もそっぽを向くなど咄嗟に他人を装う事が出来なかった。
二人とも凍ってしまったように静止する。
一秒か二秒か、先に動き出したのは山田未来だった。驚いて一度は引っ込んだ涙が、再び溢れてきただけの事だ。止まった動画を再生したようにもう一度涙をぬぐいだした。
はぁ……と白いため息が出た。
「ちょっと、どうしたのよ山田さん」
もう赤の他人ではいられなくなったし、保穂はそんな人間が目の前で泣いているのを放っておけるような人間でもなかった。
汚れつちまつた悲しみに、今日も小雪の降りかかる。ふとそんな昔習った詩の一節が思い出された。
詠んだ当時は表記が面白くてクラスメイトとともに笑ったものだが、今ならその美しさが何となくわかるような気がする。泣く女は汚れたと評されるほどの悲しみほど悲愴なものを背負っているわけではないだろうが、それでも雪の奇麗さと冷たい無機質感が合わさってとても美しいのだ。
昼休みの教室というのはいつだって騒々しい。最も単体で騒がしいのは小学生だが、彼らは運動場へと遊びに行くだろう。学年が上がるごとに静かになっていくだろうが、反比例して教室に残る生徒の数も増えるのだ。だからいつの時も教室はそれなりに一定の騒々しさを持っている。
しかし一年Aクラスの昼休みはいつになくうるさかった。その理由は明らかだった。教室の中心で、一人の女を三人の女が囲んでいたのだ。騒動の中心はそこだった。
「ちょっといい加減に返しなさいよ」
眼鏡をかけた利発そうな女が、耳の上あたりから襟首までのポニーテールを揺らしながら、手を高く掲げている女に手を伸ばした。
「やだよー」
真剣な女とは正反対な様子でへらへらと、手に持っていた淡く光る真珠のような球を別の女に放り投げた。
「お守りかなんだか知らないけど、こんなもの学校に持ってきちゃいけないでしょー」
まるでかごめかごめのように一人の女を囲いながら、次々に小さな球を投げる。そのたびに、うまく隠しているが女の顔が引き攣っていた。
クラスメイトの反応は様々だったが、誰もそれを止めようとはしなかった。
事の始まりは昼休みも半分を過ぎたころだった。女生徒がお守り袋から球を取り出して磨いていたのだ。初めはくすんでいた球も次第に磨かれて淡い冷光を取り戻した。
だがその様子をクラスメイトが目ざとく見つけて絡んだのだ。
「ねえ保穂、それ何よ」
特別に校則が厳しくない、いやむしろ他の高校と比べて保穂の通う高校は校則が緩かった。しかし貴金属などは持ってきてはいけないことになっている。トラブルでも起こされると面倒なのだろう。宗教や家庭環境など抜け道はいくらでも考えられるが、当然のように取って付けた理由では認められない。
だから持ち込める人間は少なく、そんな人間は嫉妬の対象になったりする。更に保穂の生真面目な性格も合わさって標的にするにはちょうどよかったのだろう。
「奇麗なもの持ってるじゃない」
警戒する保穂の気を一人が引いてその隙にもう一人の女が球を取り上げた。
「あんたこれ校則違反じゃないの」
そうして騒動が始まったのだ。
騒動は昼休みと五時間目を区切るチャイムとともに終了した。結局、保穂は球を取り戻せないでいた。そのおかげで授業には全く集中できなかった。心の中で不安がどんどんと大きくなる。しまいには、いっそのこと騒ぎ出して取り返そうかとも考えた。
一度か二度その考えが浮かんでは吹き飛ばす。そしてついに三度目、実行に移そうとしたとき、保穂の机に折りたたまれた紙片が置かれた。
何だと思って紙片を広げる。
【あの宝石は旧校舎の1-2教室に隠した】
くだらないと保穂は紙をびりびりに破こうとした。けれどもし場所を忘れてしまったら面倒だし、これは証拠にもなる。そう思って、紙にかけていた指を離した。
いやそもそも隠す時間なんてないじゃないか。そう思って教室を見渡すと、三人のうちの一人である山田未来の席が空席になっていた。その様子を見ていた他の二人がクスクスと笑う。
この時間に隠しに行っているのか、どうやらこれは放課後に探しに行くしかないらしい。
はぁ、なんだか授業がより憂鬱になった感じだ。溜まったフラストレーションはたまたまタイミングよくガス抜きさせられて、心が一度膨らんだ後に空気を抜いた風船のようにしわしわになる。
けれどいつまでも萎んだままではいられない。あの球ー華光ーはとても大切なものだった。
気合を入れた私は五時間目の終了とともに山田未来たちを無視して保健室に駆け込むと、保健室の先生と共謀して仮病をでっち上げ、そのままベッドに行かずに旧校舎へと忍び足で向かった。こういうときに優等生は得なものだと思う。普段は真面目な生徒が、悲愴な顔とともに理由を説明すれば仮病も作れるのだから。