「初めまして、大谷・リイリル・エリカです。ドイツから来ました。趣味は特にないけれど、ちょっとだけ占いをやったりするかな。みんな今日からよろしくね」
酷く歪んだ顔を元に戻しながら、エリカと名乗った女は煌めかんばかりの笑顔を浮かべた。
途端に黄色い悲鳴がそこかしこから上がる。クラス替えがほとんどないと言ってもいいこの学校で、転入生などでも入ってくればクラスが湧くのは当然なのだろうが、理由がそれだけではないとこは明白だった。
美少年と美少女の顔立ちは似ているというが、彼女の顔はまさにそれだった。だから男共は当然として女共もその笑顔にやられた。スタイルや所作も美しいのだから、仕方ないとはいえよう。
そんな顔を瞬時に取り繕えるのだから、桜は警戒心を持ちつつも素直に感心した。
けれど急ごしらえの表情は、続く佐藤先生の一連の発言で砕かれることとなった。
「守部さん手を上げてください」
何故と考える前に反射的に桜の手が上がる。普通の人間は教師に手を挙げるよう言われたら、勝手に挙げてしまうものだ。同時に桜は嫌な予感というか予想が頭に浮かんでしまった。
「大谷さんの席はあの守部さんの隣です。ちょうど席が空いているでしょう」
「えっ」
それはエリカの声だった。桜も予想してさえいなければ同じような声を上げただろう。しかし声を出しただけでエリカの復帰はここでも早く、わかりましたとごく普通に言葉をつなげて桜の隣に着席した。着席する寸前に一度だけ二人の視線が交わったが、それだけで他には何も起きなかった。
エリカが真っ当な人間でないことは明らかだった。とはいえ学校に来たという事はそれなりにまともな学生生活を送るつもりはあるのだろう。変わってる……とは同じような事をしている桜には言えなかった。
「それじゃ転入生の紹介もこれまでにして、始業式を行うのでみなさん今から講堂に移動してください」
そんな佐藤先生の声に、桜は一旦彼女の事を置いておくことにした。とにかく放課後か、それなりに時間を取れるようになるまで彼女の事は他のクラスメイトと同じように扱うしかないと、桜はクラスメイトと同じように席を立ちながら思った。
隣のエリカも同じく立ち上がる。しかし転入初日でどうしたものかと少し困惑しているようだ。
「……まあとりあえず、私についてきて。何も持っていくものはないから手ぶらでいいわ」
桜はそんなエリカを放ってはおけず、ぶっきらぼうにそう言って講堂に向かった。それは他のクラスメイトや担任にも見られていたのだった。
「……えー、向こうが音楽室で、こっちが屋上に上がる階段ね」
「ふむふむ、ありがとう」
だからだろう、放課後になると桜は佐藤先生からエリカの校内案内を頼まれたのだった。それを断るのは不自然だったし、なにより手っ取り早く二人で話せるようになるいい機会でもあった。
初めのうちはエリカが人の目を引いたが、それも次第に少なくなっていく。桜は校内を回りつつ、少しずつ人気のない場所に向かっていった。そしてそれはエリカにも分かっていたことだろう、彼女もまた何も指摘せずに桜の後ろをついていった。
何もないはずの屋上に向かう階段を桜が上がる。
「普段は立ち入り禁止なんだけどね」
そう言いながら桜は屋上への扉を開けて外に出た。エリカも何食わぬ顔でそれに続いて屋上に出る。
屋上はまだほんの少し寒い中に、春を思わせるような陽気があった。遠くから部活動を開始した生徒の声や、吹奏楽部の奏でる楽器の音が小さく聞こえてくる。それは学校生活の中にあってその学校生活からは隔離されているような奇妙な感覚を二人に与えた。もともと異物のような二人にはその感覚こそがしっくりと合った。
「こんなところに連れ出していったい何の用だい」
先に口を開いたのはエリカの方だった。
「……いくつか聞きたいことがあるんだけど、聞いてる途中で昨日みたいに銃でも使われちゃ困るのよ」
弱々しい風が吹く。その中に嫌な臭いを桜は嗅ぎ取った。
「ああなるほどね。まあ確かに人前で使われちゃ困るか……こんなふうに」
エリカが腕を僅かに動かす。瞬間、桜は海外で言われているような忍者さながらの素早さでその両手を押さえつけた。
二人が顔を突き合わせる。それこそ視線だけで人は気を失ってしまいそうな桜の双眸を、エリカは真正面から受け止めて見せた。
「わあ……さすが刀で銃弾を弾いただけの事はあるね。わかった、おとなしく全部話すよ」
降参とばかりに目を伏せるエリカ。桜はとりあえずその手の拘束を外して彼女の話を聞くことにした。
「
エリカは自身が
「でも平井さんから大谷・リイリル・エリカなんて子が来るって話は聞いてないんだけど」
少しかまをかけてみる。これで少しでも嘘つき特異な反応を見せればわかりやすいものだと思った。しかしエリカは何てことなさそうに平井と呟き、ポケットから取り出したスマートフォンを操作し始めた。そして何かわかったのか、へえと呟いて桜に視線を戻した。
「平井誠一はボクより階級が下の職員だから、逆はできてもボクの情報を平井が無理やり知ることはできないよ。さっきも言ったけど、ボクは日本で生活するために来ただけで仕事とかじゃないから特に通知とかはしてないし」
「……そうなの」
エリカの言葉に少し閉口してしまった桜は一言絞り出すのがやっとだった。これではエリカについての真偽を調べることができない。どうすべきかと混乱も生じてしまっていることもまた事実だった。
その間にもエリカは再びスマホに目を戻して操作をしている。
「ただ特定の仕事目的じゃないってだけで、何か対処が必要なことがあればそうするよ。昨日は来日したばっかりで浮かれてたからバッティングしちゃったけど。……ああこの報告書にある対処した人っていうのが桜なのか」
エリカはスマホの画面を私に見せてきた。とりあえず思考を一旦脇に置いてその画面に注視する。そこには恐らく昨晩の報告書らしきものが映し出されていた。事件は魚人の犯行によるものだったということ、それを部下の一人が処分したこと、その姿や死体の写真や事後処理のことまで書かれていて、最後には何度も見た平井さんの判子と紋があった。
なるほどこれは平井さんが作成したものに間違いなかった。なんとも仕事の早いことだと感心する。同時にそれは彼女が平井さんの提出したものまで見れるという、職員ランクなるものの高さを証明することになった。
「……あなたの言う事を信用しましょう。それにしても財団ね」
その前に何か日本とかどこかの企業名でもついていればその程度だと認識できるが、単にファウンデーションとだけ言ってしまうところが、なにやら得体のしれなさを醸し出している。
そんな考えを悟ったのか、エリカが笑って言った。
「まあ財団っていうけれど、簡単に化け物退治団とかでいいよ」
それはなんとも気の抜ける名前だと思った。財団というとなんとも怪しいような陰謀めいたものを想起させるが、ひとたび化け物や退治や団などと子どもの使うような言葉で言われると、もうそれは都市伝説にすらならずに小学生のごっこ遊びだ。
けどまあ自分の所属しているものだって、幼稚な言葉を使ってみれば同じようなものになるのだろう。そう思うとなんだか親近感がわいてきた。そもそもが似たような境遇の同級生が少なかった私は、昨晩に銃をぶっ放されたというのにクラスメイトより親近感を持ってしまうのは仕方ないのだ。
「じゃあ話も済んだし教室に戻りましょう」
「ああそうだね……それと桜」
エリカの横を通り過ぎて屋上の扉を開けたところで、エリカに呼び止められた。振り返ってどうしたのと言おうとしたけど、そんな言葉もどんな言葉も口から出なかった。
「今回の事件、ボクが引き受ける事にした。事件はまだ終わってないからね」
そこにいたのは女子高生の被り物を脱ぎ捨てた、平井誠一よりも更に上の階級にいる人間だと感じさせられるような、そんな責任感や威圧感なんかを十分に持ったエリカがいた。
「桜にも手伝ってもらいたい」
私はその言葉に首を縦に振るしかなかった。