ローカル線の車窓からは、やや暗いカーテンがかかったような景色が流れている。都会の景色から移り変わってきた窓の向こうでは、活気か地域内の使用電量かはたまた夏本番が過ぎただけなのか、緑の山々や小さな建物に灰色がかっている。保穂は自分のタブレットに表示させたスライドを確認しながら、時折そんな景色を眺めていた。
朝から電車にだいたい5時間ほど揺られて、保穂は一人須利戸の町を訪れていた。それは異変調査のためであった……と言ってもことはそれほど大事というわけでもない。ただ彼女の受け持つゼミ生の一人に須利戸から来た学生がいて、その学生が漏らしたのだ、近頃須利戸で変なことが起こっているらしいと。
そういうわけで調査や何か研究に値するものが見つかるのではないかとの期待を込めて須利戸の調査を決めた。どうせまだまだ9月なのだから講義もないし、現在進めている研究も少しばかり行き詰っていた。
しかし異変調査などといういかがわしい内容だけでは研究費は支給されないもので、保穂は付近の私立高校での講演会を取り付けてその報酬を元に須利戸までやってきたのだった。
まだまだ新たな社会の波が到来していないような終着駅の改札を保穂が通る。町の玄関口となる駅前と言えどあまり栄えていないのは、そのまま町の発展度が低い事を示していた。それでも二十年前ほどに訪れたあの蔭洲升のような町が死んだ雰囲気はしなかった。そもそも元の情報提供者がこの町出身の学生なのだから、人の流出入はあるのだろう。
町の放送では偶然だろうか保穂を迎えるような清浄と言える音楽が流れている。
「さて、確かあっちのバスよね」
保穂はロータリーの向こうに停留していたバスに向かって歩きはじめた。しかしそのときぽつりと保穂の肩に雨粒が落ちた。ほとんど反射的に空を見上げると、まだまだ明るい空だがほんの少しばかり薄暗いような気配を感じさせる空模様だった。次いでぽつりぽつりと2粒の雨粒が保穂の頬に落ちる。
「まさかね……」
保穂は美しい曲を垂れ流すスピーカーをちらりと見ると、ありうべからざる考えを吹き飛ばすように頭を振った。そして近くのコンビニで傘を購入するとバスに乗車した。
少し間を開けてバスが出発する。離れていく駅の、それもスピーカーをもう一度だけ保穂は振り返って見た。まさか本当に町ぐるみで雨ごいでもしているのかと。
バスを一度だけ乗り換えて着いた九蔓高等学校は極々普通の私立高校だった。それなりの財を以って建てられたであろう校舎を、事務員に案内されながら校長室まで向かう。どの学校も生徒を守る観点から門から近い場所に先生方の部屋があるわけで、校長室にはすぐに辿り着いた。
一度ノックをして扉を開けると、厳格な雰囲気を漂わせた壮年の男性が快く室内に招き入れた。よく客人が来るのだろう、それなりに質感のいいソファに促される。座らないのも変な話なので保穂は一言言ってからソファに座った。
「このような田舎まで遠路はるばるご足労いただきましてありがとうございます」
「いえいえ、これもまた研究の一環ですから」
「なるほど。では早速ですが本日の講演内容を確認させていただいてもよろしいですか」
保穂はええと返事しながら荷物からタブレットを取り出して、電車でも最終調整を行っていたスライドを映して校長に見せた。
「……内容に問題はありませんね。いや失礼、校長としてはよく確認しておかなければならない事ですから。では講演担当の先生まで先ほどの事務員に案内させます。本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いします。……ああ一つお願いがあるのですが」
深々と頭を下げる校長に釣られて保穂も頭を下げ、そこで保穂は本題を切り出した。なにもここには講演とその費用だけを目的としてきたわけではない。元々は保穂のゼミ生から聞いた須利戸で異変が起こっているという話の調査をしに来たのだ。であればここの生徒から話を聞くというのもできれば行いたい調査の一つだった。
「私はこの町に研究の一環としても来ていまして、一週間は滞在する予定です。できればここの生徒から町について話をお聞きしたいのですが、よろしいですか」
すると校長は少し思案をして難しい表情のまま保穂に向かい合った。
「……生徒にも研究というものに興味を持ってもらういい機会です。放課後であれば許可しましょう。ただし部活動や放課後学習中の生徒には話しかけないことと、必ず教員の方にご同行していただくことをご了承ください」
「それであれば了承します。ご協力感謝します」
半分くらいは許可されないと思っていた保穂は心のそこでほっと一息ついた。大方予想していた条件に落ち着いたことも安堵した要因の一つだった。
では、と校長室を後にして再び校舎内を事務員について歩く。田舎も都会も細部にこだわらなければ教育の場なんてほとんど変わらないのだろう、校舎内には懐かしい雰囲気があった。
それからは息つく間もなかった。講演担当は私のゼミ生に歴史を教えていた先生で、彼の大学での様子について花を咲かせたりしながら講演の準備とその講演を行い、あっという間に放課後になった。
「さて、さっそく取材に行こうかしらね」
「ではご一緒しますよ」
控室として使用させていただいていた社会科準備室でそう呟いて立ち上がると、私の講演担当だった佐藤先生も立ちあがった。
「部活動指導などは大丈夫なのですか」
「ええ。自分はもっぱら教科担当ですから、放課後になるとだいたいが暇になるんですよ」
なるほど私立高校ではそういう事もあるのだろう、自分は公立高校の出身だから教科専門という先生はいなかったように思う。
「ではお願いします。ええっと、放課後はいつも生徒はどのあたりで過ごすのでしょう」
準備室の扉を開けて廊下に出ても、鞄を持った恐らくは帰宅するか部活動に向かう生徒しかいなかった。少し考えてみても、用事がなければ生徒もすぐに帰ってしまうのではないだろうか。
「そうですね、うちの学校は食堂に併設されてあるコモンルームが人気です。それに今日は雨ですから、いつもより多いと思いますよ」
そう言って佐藤先生は窓の外をちらりと見た。私もそれに合わせて窓の外を見ると、昼前から続いていた雨は講演会を終えるまではせいぜいが普通といったくらいだったのだが、いまやともすれば豪雨というほどまできてしまっていた。この数分の合間で猛烈に雨雲が発達したのだろうか。今朝には雨の気配など予報を見ても少しも感じさせなかっただけに、傘を持っていない生徒が多そうだった。それで帰るに帰れず、雨が少し弱まった隙に帰ろうという生徒がコモンルームにいると。
しかしそれは得策なのだろうか。
「雨……弱まりませんね」
むしろ雨はその勢いを増していくような雰囲気さえあった。強まる雨音に混じって駅前で聞いた清浄な音楽が聞こえたような気がした。