守部桜と幻想   作:KRYP

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蔭洲升② 完

 村はずれから村に降りていると、ぷんと漁村特有の潮風に混じった魚臭さを感じた。

「そろそろ蔭洲升だね」

 エリカがその臭いに顔をしかめる。私もフィールドワークをするのだから、早めに慣れておかないと。村民たちは、こんな顔でインタビューされてもいい受け答えはしてもらえないだろうから。

 少しずつ海が大きくなってくる。

 そういえばと思った。

「エリカと二人でこうやって歩くの、初めてね。なんだか不思議な感じ。私って結構人見知りするはずなのに、初めて津安で会った時からあまり恥ずかしいとか嫌だとか思わなかったわ」

「……そう言われたのは初めてですから、どう反応していいのかわかりませんが……まあ嫌われるよりは全然いいですね。でも私が言うのもなんですが、あまり気を許しすぎるというのもよくありませんよ。何せ私はあの守部桜の、高校時代からの友人ですからね。ギブアンドテイク、ドライな関係がいいでしょう」

 そんな言葉に、つーっと嫌な汗が流れる。

「心に留めておくわ」

 これは忠告だと保穂は思った。それもエリカというよりは桜に対しての方が大きいように感じる。保穂も桜といることはあまり良くない事だと、何となくわかっている。けれどハイリスクハイリターンという言葉があるように、リターンが欲しければ釣り合うリスクを負わねばなるまい。

 ふと思案する。桜というリスクに対して私はどれほどのものが得られるのだろうかと。

 

 

 

 港ではもう漁を終えた漁師が、漁に使ったのだろう網を修繕していた。けれど漁村というにしては一切の活気というものがない。三人しかいない漁師はまるでお通夜であるかのように、俯いてもくもくと作業している。深い深い影に覆われているような陰気さがあった。

 昨日の食事処での一件が保穂の頭をよぎる。何故なら漁師の横顔が横に広いように見えたのだ。

「すみませーん。ちょっとお話をお伺いしたいのですが」

 そんな様子を察したのか、エリカが漁師に駆け寄った。漁師は突然に現れた異郷者に訝しげな顔を向けた。

「なんだ」

 一人の漁師が大きく目を見開いてエリカを睨み付けた。鼻梁を中心に前方へ迫り出したような顔は、厚ぼったい唇と大きな口と相まって、まさに魚と人間の奇妙な合成物に見えた。これが保穂なら今ごろ叫び声を上げてペタンと座り込んでいただろう。事実、遠くから見ていた保穂は小さく叫んで顔を背けた。

「ここではどんな漁法でどんな魚が取れるのですか」

 しかしエリカは動じなかった。恐怖や嫌悪感などはあくびにも出さずに話しかける。もしかしたら本当に何も感じていないのかもしれない。

 漁師は憎々しげに陸地を指差して、再び作業に戻ってしまった。

 指さされた方では、猫が一匹のアジを咥えている。エリカに見咎められたと思ったのか、尻尾を巻いて逃げ出した。

「ありがとうございます。では」

 そんな漁師の態度にも嫌な顔一つも見せず、笑顔で応えるエリカ。しかし何か思うところはあったようで、振り返ったエリカは笑顔を引きつらせていた。

 そんな様子を見て、保穂は何故かほっと胸を撫でおろすのだった。

 

 

 村を歩いてみても、昨日と様子はほとんど変わらなかった。漁業をほんの少しだけ見ることができた以外は、村民の姿を見ることはなかった。けれど昨日は感じなかった視線を感じる。ちくちくとこう、首筋の後ろに刺さるようで纏わりつきもする、嫌な視線だ。

 

 昼になってコンビニのおにぎりを頬張る。もう三時間も村にいれば、食事できるくらいには魚臭さに慣れてきた。けれどどれだけ太陽が高く上ろうとも、一向に村が明るくなることはなかった。

「へえ、郷土館か。こんな村にもあるんだね」

 この辺りは天下に名を轟かせている某会社の車も走ってないのか、アプリで村の地図を見ることができなかった。衛星による地上風景だけで建物を判別することも難しく、何がどこにあるかすらわからなかった。

 当てもなく歩いていたわけだが、エリカが郷土館を見つけたのだ。

「郷土館……ちょうどいいわね。入ってみましょうか。展示してある資料なんかを読めば、さっさと調査を終わらせて帰ることもできるでしょうし」

 村の郷土館なのだから、歴史やその他村民の生活をある程度把握することができるだろう。とにかく調査報告書として一つ形を作れば、教授からの講評を頂けるわけだし。

 それに、こちらから頼んだとはいえ、あまり桜とエリカを付き合わせ続けるのも気が引ける。というか、自分から来たというのに早々に帰りたくなってきたのだ。

 申し訳ないという気持ちもあるが、それ以上に村に対する嫌悪感が湧き上がっていた。

 エリカはそうだねと言って、郷土館の扉に手を掛けた。

「けれど調査が完了するまでは帰らないよ。だからそれまでは保穂も調査を続けたらどうだい。大丈夫、私たちも手伝ってあげるからさ」

「えっ、それはどういう……」

 エリカはふふっと笑うと、私の言葉を無視して郷土館の扉を開けた。

 

 

 

 

 

 もはや隠そうともせず、エリカは郷土館の壁に展示されている写真を一つ一つ注意深く観察している。どうやらエリカは私以上に、この村に興味、いや関心があるのだろう。その目つきは興味という感情から遠いように思われた。

 展示物は主に写真だった。写真は漁村として勃興したころのものから、現在の閑散とした村のものまで様々あった。

「ふうん。昔はやっぱりそれなりの漁村だったのね」

 写真の中の蔭洲升では、今の村からは考えられないほどの人間が、考えられないほどの漁船を使って漁をしていた。港は活気にあふれ、当たり前のように人は出歩いている。まるで合成写真のようだと笑ってしまった。

「何か面白いものでもあったかい」

「いいえ。でも本当に昔は漁村として栄えていたのだと思って」

「ああそうだね。そのあたり急に漁獲量が落ち込むなんてことはないだろうから、何かあったんだろう」

 再びエリカは写真に目を向ける。どんな些細なことであっても見逃さないつもりらしい。

 写真の他にも、保穂はおそらく宗教画と思しき絵も見つけた。日本には八百万の神がいるというが、これもその一つだろうか、名前などが書いてないから神の名前は分からない。

 モチーフも何かは一目でわからない。それはタコあるいはイカの触手器官を備えているが、これ一つとは定まらない。漁村らしく、海産物の合成物というのがしっくりくる。

 

 室内の奥には棚に資料集がたくさん置いてあった。欲を言うなら今すぐ読み漁りたいが、写真を見るならまだしも資料を読むなら、やはりここの館長の許可がいるだろう。しかし先ほどからその姿を見ていない。

「珍しいですね。こんな場所にお客さんなんて」

 不意に二階から男の声がした。澱んだこの村に似合わない、しわがれていない中年ほどの男の声だった。

「すみません。勝手に上がり込んでしまって」

「いえいえ、ごゆっくりしていってください。資料も勝手に読んでしまって構いませんよ。どうせ保存していたところで見る者は極々少ないのですから、見ていただけるものに見ていただきたい」

 物腰柔らかな男はそれだけ言うと、二階の奥に戻ってしまった。

「なんだか村の人じゃないみたいね」

「嫁入りか婿入りか、たぶん婿入りだろう、どうやらたまに外から人間がやってくるみたいだ。ほら」

 エリカが指さした写真にはある夫婦の結婚式の様子が収められていた。男性は普通の顔なのだが、それ以外の村民はみな程度に違いはあれど、顔が突き出ており唇が異様に厚い。

「さて許可も出たことだし、資料を片っ端から漁ろうか」

「そうね。私も気になってたし」

 二人は手前にある資料から順に調べにかかった。

 

 

 

「二人とも、首尾はどう」

 六時を回り、郷土館から出たエリカと保穂を桜が車で出迎えた。日は既に沈み、村に夜が訪れた。だというのに灯りは灯らない。

「上々、とはいかなかった。けれどまあ必要分は満たせたかな」

「……」

 もはや保穂は口を挟まなかった。そもそも桜は初めからエリカに話しかけた。これでは一体どっちの用事でここまで来たのかわからない。それに車を出してもらっているのは私、手伝ってもらっているのも私なのだから、文句なんて言えるはずがなかった。

「じゃあそろそろ行こうよ。なんだかきな臭くなってきた……いやこの場合は魚臭くかな。あれ」

 桜は二人に早く車に乗るよう急かしたが、あれと夜道の向こうを指さした。

「どうしたの」

 夜道の向こうをヘッドライトが照らしている。それに照らされて、村民がぞろぞろと近づいてきた。まるでゾンビのような足取り。

「ヒッ!」

 小さく悲鳴を上げる。

 一体これほどの村民がこれまでどこにいたのだ。しかしそれはすぐに思い当たった。昨晩に見た写真だ。廃屋が如き住居からこちらを窺っていたのはこいつらだったのだと。

 近づくにつれその姿が闇から光の中に侵入する。まず大きくぶよぶよに膨れ上がった上肢が、大きくせり上がった背部が、そしてまさに魚人の顔が! 

 そんなものが大挙してこちらに近づいてきているではないか。

 異様なまでに突きだされた何十もの深海のように黒い瞳が、瞬きもせずに保穂を見た。

「きゃああああ──!!!!」

 保穂は絶叫して車に駆け込んだ。そしてすぐにえずきそうになったが、それをすんでのところで抑え込んだ。保穂は人間の本能に直接作用する、根源的に醜悪なものを垣間見たように感じた。

「こちらとしてはそんなつもりはなかったんだけど、余所者が踏み込みすぎたらしいね。強行突破するから、保穂はちゃんとシートベルトつけててね」

 いうや否や桜は車を急発進させた。

 次の瞬間、べちゃりという不快な音が車内に響く。それが、魚人を轢いたものだとわかってしまったから、保穂はもう耳と目を塞いで丸まってしまった。

 だからそれからどうなったかあまり覚えていない。覚えていることといえば、エリカがチェイスしてくる村の車をグレネードランチャーで吹き飛ばしたことと、村から脱出する際に見た、浜辺で煌々と巨大な炎を上げていた焚火だけだった。

 

 

 

 

 

 

 キャンパスまでの長い道のりを歩く。目的地を同じくする学生が、私のそばを通り過ぎ、あるいは私が追い越していく。その時に相手の顔がちらりと見えるが、随分と若いなと思う。それだけ自分の年齢が学生全体で見て高い場所にいるのだ。

 前期末終わりに比べれば随分と歩きやすくなった。長い夏休みを終えて、今日から後期が始まる。私はシラバスで確認した今日の講義内容を思い返しながら、のんびり歩いていった。

 

 結局、蔭洲升の調査報告書は提出しなかった。書けるには書ける部分もあるし、それを書き進めてもいた。けれどもう少し温めようと思う。危険だろうが、あと何回か調査を重ねて形にしたいという気持ちになったのだ。

 今度もまた二人を誘ってみようか。

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