とある魔術屋の一日 作:ルテチウム
『魔術屋』、と言う言葉を聞いたことはあるだろうか。
名の通り、魔術を売る店である。ある教会が言うに、魔術は奇跡であるらしい。
ならば魔術屋は奇跡を売る仕事とも言えるのだろう。
人口の1割に満たぬ者達のみにその奇跡に手を掛ける権利が与えられる。更にその中で資質に気付き、まともな教育を受けられる者だけが『魔術師』に成れるのだ。
そして得るのは、竜を弑し、人を殺し、空間を跳ぶ力。つまりは人の手に届かぬ無茶を無謀を成し遂げる『奇跡』。
それを売るのが『魔術屋』である。
……と、まあ。そう言えば聞こえは良いが。
要するに少々高値の『何でも屋』である。
◆◇◆◇
快晴の青空だった。私はガラス張りの窓から覗く太陽に対し、椅子の上から小柄な体を伸ばして挨拶をする。
「うーん……」
眩い光が心地よい。一通り体を伸ばし終わると部屋を一望。積み重なった本の塔が、地面から乱立している様が目に入る。
机の上の青白い水晶は薄い埃を被っていた。もちろん、机にも本の塔。
「片付けるべきか?」
来客があるとマズい。いや、正確にはどうでもよいのだが、私の
もし気紛れに来られたら、店内の惨状に対し一発どやされること間違いナシだろう。
「……まあ良いか」
一瞬逡巡するが、すぐにどうでも良くなった。なにせ、面倒くさい。面倒くさいことは後回しにするに限る。
「よし、寝るか」
どうせ誰も来ないのだ。無駄に高いお駄賃に、それをやっと払ったかと思えば、来るのはこんな斜に構えた店主。
この都市ノーベンにいくら人が多いといえど、誰かが来るはずがない。
そう高をくくって、椅子に深く座り込もうと──、
「──やぁ、やってるかい?」
ちりんちりん、と来客を告げる合図がなったのは、そいつが私の前に来てからだった。
赤い長髪がふわりと靡く。太陽のような優しい香りが鼻腔をくすぐる。
業火のような女だった。髪と瞳は深紅に染まり、その双眸は爛々と輝いている。
ミストリア・アーゼン。この都市の『冒険者』の中で1、2を争うクラン──『赤刃』の副クラン長である。
「……閉店している、帰ってくれ」
「ははは、面白いことを言うね、レレアは。まだ早朝だよ?」
快活に笑うミストリアを見て、私はため息をついた。確かにミストリアは良い顧客だ。金は払うし、頻度も適当。3ヶ月に1、2回もあれば良い方だ。
いつもなら渋々引き受けた──だが、今は寝る気分なのだ。
「……寝る、帰ってくれ」
「んん……?」
赤い瞳が私を貫く。負けじとそれを見つめ返す。そして、数秒睨み合うと私は耐えきれなくなり目を逸らした。
そして、目を瞑る。それをどう受け取ったのか、ミストリアは『ははぁ』、という声音で反応してきた。
「なるほど、どうやらタイミングが悪かったようだね」
「……そういうことだ。帰れ」
いつもならこれで帰るはずだった。高らかに笑いながら、『オーケーオーケー! じゃあ次頼むよ!』──その声を幻聴した。
のだが。
「……あー、いや。悪いね、今回は引けないんだ」
「…………なんだと」
返ってきたのは、諦めの言葉などではなかった。寧ろその逆。
私は半ば眠った頭を動かし、再び瞼を開ける。半開きだ。
腕を組んだ、仁王立ちの女が目に入った。
「……ここで言うには憚られる。場所を移したい」
早朝に来たのも、それが理由なのだろう。少し困った顔の、端整な女の顔が映る。
別に移らなくても良いはずだ。ここは魔術師の家である。盗聴の類いはない。
よってこれは私をここから動かすための方便。つまりは──『絶対に依頼を受けて貰う』という意思の表れでもあった。
……緊急事態? このタイミングで?
面倒そうな依頼の匂いに、私はため息をつく。
「……断る。ここで言え。私に依頼をするなら先にそちらが譲歩しろ」
数秒たっただろうか。難しそうな顔をしたミストリアは、やがて両腕をほどく。そして──力が抜けたように軽く笑った。
「オーケーオーケー、言おうじゃないか。
……《竜》だよ、竜。レレア、竜だ。竜が出た。そして、進路上にはノーベン……意味は分かるかい?」
「……チッ」
舌打ちをする。こいつ、私が断れないことを分かっていたな。
相変わらず意地が悪い。私に『寝れる』という希望を見せるなんて……。
「まあ、なるべく場所を移したかったのも本当さ」
「……他の魔術師は当たったのか」
「いやいや、無茶だって。竜だよ? 竜。
この都市だと君が唯一の『最上位』なんだから、諦めて依頼を受けてくれ」
悪あがきをすると、正論が返ってきた。
魔術師のランクは『下位』『中位』『上位』『最上位』に振り分けられる。そして、そのランクの振り分けの中核は《生きた年》だ。
要するに年を食ってれば強いのだ。凄いのだ。正確に言えば理由は別にあるのだが、ここでは割愛。
まあ、私が『最上位』に成れた理由は分かっただろう。普通の魔術師は好戦的だ。
怠惰な私は、永遠にだらだらし続け、歳を重ねた。
だから私はただでさえ少ない魔術師の、その上澄みにいる。『最上位』が世界で30に満たない数しかいないと言えば、その希少性が分かるだろうか。
全く誇れる物ではない記号が私に牙を剥いて来たのを感じながら、諦める。ため息を吐く。
「分かった、良いだろう。私もこの都市が潰されるのは忍びない。
それに、竜は金になるしな」
「助かるよ」
軽く笑うと、ミストリアはふと思い出したように聞いてきた。
「そう言えば、君外に出るのいつぶりだい? 私が出した依頼のときも、恐らく外に出ていなかったよね?」
それに対し、私は久方ぶりに椅子から立ち上がろうとしながら、答えた。
「ん、ああ……恐らく、30年は下らないな」
沈黙。ミストリアが今度は困惑したように私に目を向ける。
「……それは……太らないのかい?」
ほっとけ。
私はそう心の中で呟くと、椅子から思い切りよく立ち上がった。
久し振りの大地の感触は、感慨深さというより、体への負担を感じさせた。
……流石に定期的に体を動かすべきかもしれない、これは。
だらだらしたい魔術師が、あれよあれよといろんな依頼で振り回されるお話です。