「ない……服がどこにもない!」
更衣室のロッカーに置いてあったはずの服が見つからない。
今日は訓練の日だった。そのつらい訓練が終わってシャワーを浴びて戻ってきたところ、なぜか赤い服の方のみが無くなっていたのだ。
ありえませんわ……確かにここに置いてあったはずなのに。もしかして、誰かに盗まれた?
周りを見てみる。更衣室には誰もいない。来た時からは私一人だったはずで、今も無人のままだ。中に残っていたのは、インナー部分の黒のレオタードしかない。これがあるということは、ロッカーを間違ってる可能性もない。変な趣味の輩が盗んだ可能性も頭をよぎったが、仮に盗むとしたらこっちだろう。
とりあえずずっと裸なのも落ち着かないので、残ったものを着る。
これからどうしよう。替えの服などないし、覆い隠せる大きさのタオルもない。自分で言うのもなんだが、いつもの赤い上着があってこそ映える物で、このレオタード単体ならほぼ下着みたいな扱いだ。こんなので外に出てしまったら……。
【怪奇! ロドスを徘徊する変態レオタード女!】
ダメですわ! 曲がりなりにもキャッチコピーの制作に関わっていたから、次の日にロドスに振りまかれる噂が容易に想像できてしまう!
とりあえず落ち着こう。まず助けを呼べる人がいないか探すべきだ。
通路の方へと向かう。もう夜も遅いため、このあたりを通る人も少ない。聞き耳を立てても、話し声は一切聞こえない。
連絡用の端末も部屋に置いたままだ。つまり助けも呼べないため、部屋まで歩いて行くしかない。
更衣室ならともかく、外でこの格好はまずい。この扉の仕切りが、変態か変態でないかの境界線だ。外に出て見つかったら、雨垂れのごとく私の評判は地に落ちる。
部屋は割と近いのだ。だから部屋に戻りたい欲が勝ってしまっている。更衣室で一晩過ごすのも考えたが、眠気もとんでもないためさすがに部屋で寝たい。明日の朝も早いのだ。
こうなっては仕方がない。覚悟を決めて、変態の境をまたいだ。
聞き耳を立て、心許ないが若干前屈みで必死の抵抗をして歩みを進める。傍目から見たら完全な不審者だ。
「うう……なぜわらわがこんな目に……」
通路を行き、だいぶ更衣室から離れた。もうこの格好の言い訳はできない距離に来てしまった。
手前に十字路があり、影からそっと人がいないかを見て、すぐさま通り過ぎる。
大丈夫。大丈夫だ。目の前はまっすぐな通路だから、仮に人影が見えても引き返せばいい。
「今日も大変だったねー」
鋭敏な耳が会話を捉えた。後方の十字路のところから聞こえた。
まずい! 逃げようと思った場所から人が来るとは思わなかった。通路はずっと一直線のままだから、逃げる場所がない!
いや待て。落ち着くの……私。ただ歩いていれば大丈夫のはずだ。
そう確信し、歩みを止めず耳を澄ましていた。会話は明らかに近づいてきたが、やがて左から右へと遠ざかっていくのがはっきりとわかった。思わず安堵の息を吐く。
ある程度の距離があり、後ろからなら見られても大丈夫だ。なぜなら私にはこの長い髪があるから。後ろから見れば体をほぼ覆い隠しているから、今の格好なんて見えやしない。
しかしこの手法が使えるのは今の状況だけだ。前から来た人に、すれ違い様にずっと背を向けているわけにはいかない。それはそれでまた奇怪な女がいると言われるだけである。
誰もいないのを祈り歩を進める。しばらくすると、前方の右側にちょっとしたスペースがあるのを見つける。資材置き場のようだった。機材や空の段ボールがいくつかある。
それを横目に進んでいくと、突き当たりがあって左右に道が分かれるのが見えた。右に行って、食堂を通って階段を上れば部屋はすぐだ。
若干長い道のりに悩んでいると、
「いや、今日の酒は格別だったな」
「調べてみたらウルサスのやつらしいぜ」
その右側から話し声が聞こえてきた。すぐに引き返し、先ほどのスペースに隠れる。
話し声はだんだんと近づいてくる。どうか、どうかこちらには来るなと願いながら覗いていると、不幸なことに二人組がこちら側に曲がってきた。
どうしよう! ここで背を向けても、近すぎて意味がない。どうしたのだと話しかけられ、すぐに異変に気づかれる。
やり過ごすには、隠れるしかない。ちょうど手頃な大きさの段ボールがあり、すぐに口を開いて体を入れる。が、大きさが全く足りない。さながら狭いお風呂で体育座りをしているような窮屈さで、上半身と膝が出てしまっている!
どうしよう……どうしましょう。近くにあった小さな段ボールを手に取るも、これでは何も出来ない。いや……待てよ。
思い立ち、それを逆さまにして頭から被る。そうして体を目一杯前屈みにすると、ちょうどはみ出た体部分がなんとか隠れた。
しかし体勢がきつい! 本来伸ばすべきじゃない筋繊維を伸ばしてるのかというくらいに首筋や背中が痛い!
「ん?」
痛みに耐えていると、すぐそこに人の気配があった。
「なんだこの段ボール。変な積み上げ方してんな」
「ほっとけよ。別に通路にはみ出てるわけでもないんだし、片付ける必要もない」
「それもそうだな」
会話は通り過ぎる。だがいつになれば出ていいものかと判断ができなかった。早く、会話が聞こえないくらい遠くに行ってくれと願っていると、
プチッ
あ……。
脇腹を思い切りつってしまった。あまりの痛さに体がびくんと反応すると、足が段ボールを突き破った。多少の支えを失った段ボールはぐにゃりと曲がり、私はそのままばたんと仰向けに倒れる。
「いてえ……いてえですわ……」
あまりにも惨め。潰れた段ボールに横たわる様は、まるで物乞いのよう。この時ばかりは、自分の体の大きさが憎くなった。
ぺしゃんこになった段ボールを片付け、つった脇腹を押さえつつ通路に向かう。後は食堂を通るのみだ。さすがにもう人はいないと思うが……。
「夜のおさんぽ楽しいな~」
嫌な予感は当たる! もう何ですの! なんでこんな時間にタイミングよく人がいるんですの!
「何をガキみたいなこと言ってるんだか」
「ガキじゃないよ。あたしはれっきとした大人なんだから」
ん? よく聞いて見ると二人の声に聞き覚えがある。食堂の入口にちょうどよくプランターが置かれた仕切りがあるため、そこからそっと食堂を覗く。
予想どおり、テンニンカさんとミニマリストさんだ。ああ、ドゥリン族の方々が目の前にいる。こんな夜更かしをするなんて、健康が心配ですわ……。
思わず飛び出したくなったが、ぐっとこらえる。この格好で目の前に出てしまったら、それはもう事案である。
「それにしてもさ。もっと食事の量を増やしてもよくない?」
「ドゥリン族に対応した食事量に調整してるらしいな。だが、もうちょっと増やしてもよくね?」
抗議? 抗議ですの? やはりロドスのドゥリン族への待遇はひどいものだったのですわ!
「ロドスへの不満がおありのようですね!」
あ……。
口を突いて出た時には、もう遅かった。すぐ体を引っ込めたが、もう二人と目が合ってしまっている。
「え……なに急に」
ミニマリストさんが怪訝な表情。
「も、申し訳ございません。ですが今、ロドスへの不満が聞こえてきたので、いてもたってもいられず」
「いや……別に不満なんて言うほどのもんじゃないし。てか、なんでお前そんなところにいるの?」
今はしゃがんで仕切りに隠れている状態だ。向こうからしたら違和感しかないだろう。
「い、いえちょっと散歩をしてましてね。不満がないと言うのでしたら、私は何も言いません」
「変な人」
「ゼルウェルツァでもこんなやつだったよ。めんどくさいから無視だ無視」
く……今は耐えるしかない。誹(そし)りは甘んじて受け入れましょう。
このまま向こうの通路に通り過ぎるのを待ち、あとは近くの階段から部屋に向かうだけだ。こちらを訝しむように見る二人の視線に心が痛くなりつつ、しばし待つ。
その時だった。視界の端に人影が映った。私が隠れている方の通路の向こうに、何やら黒い影が歩いてきている。
あれは……ドクター? ある程度光のある場所で黒く見えたのは、あの独特なコートのせいだ。
まだ遠くだ。一旦引き返すか? そう思った時、彼の黒の中に、なぜか赤色があるのを見つけた。
右腕に赤い服……服!
間違いない。あれは私の服だ。あれを盗った犯人は、あの不審者なの!
怒りはすぐに体を駆け巡った。すかさず立ち上がり、我も忘れて通路を走る。
「うわー! アヴトーチャが露出狂みたいになってるー!」
もはや雑音は聞こえない。全身を巡る腹立たしさは、視界を急激に狭めてドクターを捉え、今までにないくらいのスピードの脚力をもたらした。
「あ、パゼオンカ。服を」
何か言おうとしていたが、構わず彼の首をつかむ。そして走った勢いそのままに、側面の壁に思い切りたたきつけた。
「ぐえ!」
「ドクターがなぜそれを持ってますの? あそこは女性専用の更衣室でしたわ。まさか忍び込んで盗んだのですか?」
「は、話を……ぐぺぺ」
「黙りなさい! この変態! 痴れ者が!」
なんと弱々しい力。なんと恥さらしな物言い。今更何か言い訳でも考えているのか。
「痴女がドクターを襲ってる!」
「やめてよー! 離してあげてー!」
ドゥリン族の二人が、私の数少ない面積を保っている服を引っ張ってくる。
「お、おやめくださいまし! ドクターに話があるんですの!」
「何をやったっていうのさー! ドクター死んじゃうよ」
ずっと喉輪を決めていたのに気づき、慌てて手を離す。すかさず変態を逃さないよう両肩をつかんだ。
「ひゅ……へえ……服は私じゃなくて」
「この後に及んでまだ何か言うつもりですか! 恥を知りなさい!」
「パゼオンカさん! もうやめてってば!」
テンニンカさんの声とともに、
プツッ。
何かが切れた音がした。いや、こんな状態でまた脇腹をつるなんてあり得ないと考えたら、なぜか胸がスースーとしてきた。
「あ」
するりと、胸にあった物が地面に落ちた。胸に当てていた部分のヒモが、今のもみくちゃの中で切れたのだとすぐにわかった。
わかった瞬間には、怒りは収まった。代わりに恥辱とやるせなさで顔が真っ赤になり、
「きゃあー!!!!!」
生娘のような叫びを上げ、胸を隠して座り込んでしまった。
◆
パゼオンカがドクターを襲ったという噂は、瞬く間にロドス内を駆け巡った。二人のドゥリン族の証言によると、変態的な姿をしたパゼオンカが、突然発狂してドクターを襲ったという。詳しい経緯はわからないらしい。
当のドクターは、
「たわわなわらわがあらわになったわ」
などと供述している。首を絞められ、ショッキングな場面を見たせいか、理性を失っている。
詳細な出来事は、当事者であるパゼオンカに聞くしかなくなったが、ずっと部屋に閉じこもってしまっている。時折部屋から泣き声やうめき声が聞こえてくるだけで、こちらの返事には一切答えない。扉は固く閉ざされたまま、昼になろうとしていた。
「どうしたの?」
後ろから声を掛けられてきたので振り返ると、そこにはラップランドがいた。手を後ろ手に組み、ずいぶん楽しそうに歩いてきた。
「昨日大きな事件があったのですが、当事者が引きこもっていて証言を聞けずにいるんです」
「へえ。どんな事件?」
わかっているところまで話す。
「パゼオンカ……あれ? どっかで聞いたことある名前だ」
「何か知ってますか?」
わざとらしくおでこに指をやり、考え事をする。
「いや、何もわからないよ」
しかし彼女は首をかしげて言った。
「そ、そうですか」
「じゃあ、仕事頑張ってね」
興味もなさげに言って、銀狼は鼻歌を歌いながら向こうへと歩いて行った。