「アルバート? また一人で来たの!?」
「おはよ、ヨシュア、ヨハン! へへっ、逃げ足だけは自信あるからなっ。パルムからハーメルくらい余裕だぜ!」
「アル兄ちゃん、こないだ危ないからやめろってレーヴェ兄ちゃんに言われてなかったっけ」
「だからレーヴェ兄にはナイショだって!」
「でもこんなに狭い村の中で遊んでたら……」
「ほう、誰に内緒なんだ?」
「「げぇっ、レーヴェ兄ちゃん!!」」
「はぁ……言わんこっちゃない……」
ごぽり。
「レーヴェ兄……行っちゃうの?」
「……ああ。迷惑をかけたな、アルバート」
「迷惑なんて思ってねーよ! おれはただ、ヨシュアと、ヨハンと、ミリーと……みんなで……」
「う、ぐすっ……ひぐっ……なんで、カリン姉が……みんなが……こんな目に……」
「……アルバート。おいで」
「レーヴェ兄……ゼッタイまた会いに来てよ……」
「……」
「おれ、待ってるから……ヨシュアが元通りになって、レーヴェ兄と一緒に帰ってくるまで、パルムを、みんなを守りながら待ってるから……!!」
「フ……ああ。頼んだぞ、アルバート」
ごぼり。
けほ、けほ。
ごくり。
「機甲兵が来たぞ────!!」
「アルバート、やれるな!?」
「っ……おう、あったり前だ!!」
「頼んだぜ〜、《黒の狩人》サマ!」
「あのさおじさん、その呼び名小っ恥ずかしいからやめろって!」
「わっはっは! さあ、前に出るぞ!! 絶対に戦線から貴族連合軍を漏らすな!!」
「あ、アルバート兄さん!!」
「クルト? どーした、不安か?」
「ううん……僕も、ミリーも待っていますから。絶対に、無事で帰ってきてください」
「……おう! もちろんだ!」
ごぼぼ。
ぐら、ぐら。
「……はは……結局、オレもここで死ぬんだ」
「カリン姉……ヨハン……」
「レーヴェ兄……ヨシュア……」
「……リィン……ミリー……」
「みんな……ごめんな……」
「オレが、臆病だから……オレが、弱かったから……」
「……はは……なんで今更、涙なんか……」
「出力最大、クォーツ装着、確認。アーツ、駆動」
「喰らえよ……テロリストども」
「────臆病者の、最後の一撃を」
ばしゃん。
────んた……おきな……こら……
ふる、と瞼が震えた感覚がした。
必死に力を込めて、手を上に伸ばす。パシリとヒトの手に掴まれたせいで、隣に誰か人がいることに気がつく。
たしか、オレはハーメルまで機甲兵を引きつけて……結局敵わずに死んだんじゃなかったか。
ならば、ここは天国だろうか。ぼんやりと紫と赤の光が見えるハッキリしない視界に、何やら黒い影が映った。
「よかった、起きたのね!」
「……ここ、は……じ、じごく……?」
「アンタねぇ、どうしてそうなるのよ。周りが見えてないわけ?」
「……ごめん……ぼんやりして……わかんない……」
ずっと焦点が合わないような心地だ。地獄じゃないならここはハーメルだろうか。夜だとすれば、暗いのにも納得がいく。
けほ、けほ、と咳き込めば、口から何か水のようなものが飛び出し、喉の奥から血の味がした。
「に゛ゃっ!?あ、アンタ、なんでこんなに濃い霊力なんか飲んでるのよ!?」
「ゔ……オレに聞かれてもわかんねーよ……げほっ」
「こんな量の霊力を取り込んだら……そうか、アンタの目は」
ふと、瞼がこじ開けられる感覚がする。
ぼんやり、ぼんやりとまんまるな若草色が見えた。さっきから話している少女の瞳だろう。
「なるほどね。アルバート、アンタはこの2年間ずっと霊脈を彷徨っていたんだわ」
「けほっ……なんでオレの名前を」
「そりゃあ、アンタがⅦ組にいたころから見ていたからよ」
「……Ⅶ組に、いた頃……」
そうだ。リィン達はどうしているだろうか。
オレが死んだ今、無駄に探し回ってなどいないだろうか。
ミリーはまだオレの手記を渡していないだろうか。
確かめなければ。そんな感情に突き動かされ、全く見えない視界を頼りにふらりと立ちあがろうとした。
『ダメ……ダ……あるばーと……』
「へ」
『め……みエテ……なイン、ダロ……』
ずっとオレを支えていた温もりに、ぎゅうと抱きしめられる。
ずっと、ずっと、謝りたいと思っていた男の声が、すぐそこからしたのだから。オレは呆気に取られて力が抜け、もう一度その男の腕の中へと逆戻りしてしまった。
「……リィン?」
『……』
「なんで、お前どうしてハーメルに!?」
『……あるばーと……ぶじデ……よカッタ……』
「お前が無事じゃないだろ!? なんだその枯れた声!!」
すぐさま姿勢を整え、リィンがいるであろう場所を手で探る。
硬いコートの感触と、手首らしき場所にハマった冷たい金属。手枷、だろうか。
髪は随分と傷んで、アレだけ絡まり知らずだった毛はギシギシとしている。一体この男に何があったというのだ。
「アンタ……呼べるの? 彼の名を」
「当たり前だろ、オレの、オレの大切な……!!」
「いいえ。もう当たり前じゃないのよ」
そう言って、オレを解放してくれていたらしい少女は、リィンの名を読んだ。
随分とくぐもって聞こえる。まるで分厚いガラス越しに聞いたような、そんな声。
「……は?」
「無くしかけてるのよ、彼。自分の名を」
どういうことだ。頭が追いつかない。
リィンはリィンで、その名が無くなることなどあり得ない。リィン・シュバルツァーという、シュバルツァー男爵家の嫡男の名が、無くなるなど。
非現実的な現象に次々と遭遇して、頭がこんがらがっている。だというのに、リィンが穏やかに頭を撫でてくるものだからあまりにも格好がつかない。
「アンタはずいぶん長いこと霊脈に浸かっていたようだから、呪いに対抗できているのかしら」
「ああもう、訳わかんねーことばっか言わないでくれよ……つかなんでリィンは手枷なんかついてんだ」
『……』
「さっきまで暴走していたからよ。アンタのおかげで一旦落ち着いているようだけれど」
暴走。リィンが、暴走。
もしや、あのレグラムで見た“力”のことだろうか。
思えば、ぼんやり見えるリィンのシルエットは全体的に白い。黒かったはずの頭が、力を使った時のように白くなっている。
「手枷で磔にされていたところを、暴走して破壊。この牢獄から飛び出そうとしたところで、アンタが霊脈から飛び出してきて彼が止まったってわけ」
「磔ェ!? お前捕まってんのかよ!?」
『……?』
「話すと長くなるんだけど、聞く?」
少女の問いかけに、いい加減頭が痛くなってきたオレは手のひらでNoを示した。
とにかく、今一つだけわかっていることがある。
「嬢ちゃん、名前は?」
「え? えっと……セリーヌよ」
「オッケー、セリーヌ。オレは今からリィンを脱出させようと思うんだが」
「正気!? 目が見えてないのよ、導力銃なんて撃てるはずがないじゃない!」
少女────セリーヌの言うことは最もだ。
オレは今、ぼんやりとしか目が見えていない。それでも……内戦は、オレを無理やり強くした。
耳さえあれば、オレはある程度照準を合わせられる。目以外の五感をフル稼働すれば、その心臓を狙うことだってできるだろう。
「リィン」
『……あるばーと』
「行こうぜ。オレも……もう、逃げないから。今度こそ、一緒に!」
白い塊に向かって、手を差し出す。
握られた皮袋越しの手を感じながら、オレはリィンが確かに嬉しそうに笑う声を聞いた。
『アア……もちろんだ!』
「いい? アンタの体内にはまだまだ霊力が残っているわ。体力を消耗すれば消耗するほど、霊力が体に浸透して……目も、最終的には耳も聞こえなくなるでしょう」
それでも行くのね、と確認を取られ、当たり前だと返して数分。
なんとかオイルの匂いや人形兵器の作動音を頼りに人形兵器を撃ち抜いていく。
「行け、リィン!!」
『アア……!!』
セリーヌからあの日返したはずのオレのARCUSをもらって、オレたちは久々に戦術リンクを結んでいた。どうやらずっとリィンが後生大事に持っていたらしく、クォーツも嵌っていない導力器など無害と思われたようで、今回も没収はされていなかったのだとか。
……リンクを通じてとんでもない質量の恨めしそうな思考が流れ込んでくる。これがセリーヌの言う呪いなんだろう。
リィンが突っ込んでくるのを華麗に避けて、宙から人形兵器にナパームブレスをセットした導力銃をぶち込む。肩もそれなりにやられるが、オレだってここ2ヵ月はずっとこの銃をぶっ放してきたんだ。セーフティも下ろせなかったあの時とは違う。
「っし、やったな」
『ウ……』
「ん?あぁ、目ならまだ大丈夫だぞ。輪郭くらいならわかるし」
ぐい、と目元を覆う布をリィンの手が押し除ける。
まさか親父が最後に作っていた、遺作とも言うべきバンダナがここで活きるだなんて。余計な情報をシャットダウンするために巻いたそれは、なんだか親父が力をくれているような気がして元気が湧いてくる。
「待ちなさい、アルバート。扉よ」
「了解。開けれる?」
「任せなさい。戦闘で力になれない分視界のサポートはしてあげるわ」
そう言って、セリーヌはオレの“肩から”降りた。
そう、セリーヌはお喋りネコチャンだったのである。
オレだって最初触った時はびっくりした。驚くほど触り心地のいい毛並みがそこにあったのだから。
セリーヌはオレにわかるように、わざと軽やかな足音を立てて扉のスイッチがあるであろう場所まで歩き、スイッチをかちりと押す。
────金属音を立てて開いた扉から、濃いオイルと、金属の匂いがした。
「来る……セリーヌ、後ろに!!」
「わかってるわ!!」
セリーヌが飛び退いたのを確認した後、わずかな駆動音を聞き取り、オレは素早くニードルショットのクォーツを取り付け、照準を敵へと合わせた。
『だめだ、やめてくれ、あるばーと!!』
「え────」
突然叫んだリィンに気を取られ、思わず引き金を引き損ねる。
ジェット噴射が聞こえ、人形兵器が攻撃を仕掛けてくるのがわかった。
……このままではまずい。どこに避ければいいかもわからない上、そもそも間に合う気がしない。
ああ、なんだ。ここで終わりか。臆病者が、頑張った方だとは思うよ。
「ったく、教えたはずだろ」
ふと、耳元で懐かしい声がした。
「セーフティは下ろす。で、人差し指は引き金から離さずに」
数ヶ月ぶりに聞く声のはずなのに、ひどく懐かしい。
「ほら、撃ってみな」
「っ……ハイ、クロウ先輩!!」
どかん、と導力銃が発射される音がした。
同時に鉄を岩が貫く音もして。駆動音はまだ聞こえるから、どうやら二体いるうちの一体を壊したらしい。
オレはふう、と息を吐いて、見えないながらも後ろを振り返った。
濃い、海の香り。間違いなくクロウ・アームブラストその人だ。
「上出来だ。見えてねぇくせに上手くやるじゃねぇか」
「へへ、でしょ? オレだってこの二ヶ月でかなり強くなったんスよ」
わしゃ、と髪を撫で回される感覚がする。それに身を任せていたら、もう一体の駆動音が剣戟と共に消えた。
「まったく、もう一体を放置してどうするんです」
「うおっ、知らねー人増えた」
「わたくしだって貴方は知らねー人ですわ。本当に誰ですの?」
鎧の音と、少しだけ布のはためく音。それと女性らしい高い声。
やっと知り合いが一人増えたと言うのに、また一人知らない人が増えてしまった。
『あるばーと……』
「あ、リィン。どうしたんだよ、いきなり叫んで」
『ごめ、ん……あぶないめに……』
「それはいいって。クロウ先輩が助けてくれたし」
ぎゅう、と抱きしめてきたリィンをそっと抱きしめ返す。なんか三ヶ月前よりデカくなってね?背伸びてないのが惨めに感じてくる。
「そんで、アルバート。なんで行方不明だったお前がこんなところにいんだ。失明までして」
「へ?そりゃこっちのセリフっスよ。先輩こそ、なんでハーメルに?」
「はぁ? ハーメル?」
あれ、違うのかな。
「だってオレ、リィンに会う直前までハーメルに居たんだよ。貴族連合の機甲兵を引き付けて、時間を稼ごうと思って」
ならば、この施設はハーメル付近にあって然るべきだろう。廃道は少し逸れれば横道も多い。いくらでも入り口は隠せる。
リィンを捕らえたということは貴族連合の施設だろうか。
ぎゅむぎゅむ抱きしめてくるリィンを適当にあやしながら、オレはそう先輩に証言した。
「貴族連合……待ちなさい。貴方、何年前の話をしていますの?」
「へ? 今の話だけど。1204年の12月でしょう。ちょうど内戦が始まって2ヵ月っスよ」
女性にそう問いかけられ、平然と返せば、どうやら後発合流の二人は息を呑んだようだった。
オレが眉を顰めて首を傾げれば、ふとリィンの首筋から鈴の音色がした。
「もう、だから話すと長くなるんだけど聞く? って言ったじゃない」
「セリーヌ……オレ、長い話だと寝る」
「学院長の長話と一緒にしないでちょうだい!」
てし、と肉球がバンダナ越しの鼻柱に押しつけられる。ここが天国ですか。
「いい、まず今は1206年の8月よ」
「えっ」
「アンタは2年も霊脈の中を彷徨っていたの。内戦はとっくに終わって、今は生きていた鉄血宰相主導の元、共和国との戦争が起きようとしているわ」
「えっ??」
流れるようにドカンと投下された爆弾情報に脳の処理が追いつかない。先輩達は何をなるほどなあって頷いてるんだよ。
つまり、今はオレが死にかけてから2年後で、その間ずっと霊脈とか言うよくわからんものの中を自覚なく彷徨っていた、と。
「……ウッソだろ……」
「驚きたいのはこちらの方ですわ。本当によく無事でしたわね」
「昔から打たれ強ぇからな、アルバートは」
「いくら打たれ強いとはいえそれだけで済む訳がないでしょう!」
ガシャガシャと鎧の音がする。どうやら女性は地団駄を踏んでいるらしい。
「あー、その。おねーさん、名前は?」
「今聞くことですの!? まったく……デュバリィですわ」
「デュバリィさん、ね。オッケー覚えた。オレはアルバート・ターナー」
心の手帳にしっかりと記憶し、頷く。
デュバリィさんはいい加減怒るのにも疲れてきたのか、ため息を吐いて後ろを振り返ったらしい。
「彼の呪いも落ち着いているようです。このままⅦ組との合流を目指しますわよ」
『……ウゥ……』
「待ちなさい、どうしてアンタ達があたし達に協力するわけ!?」
シャー、とセリーヌが吠える。
どう言うことだろう。クロウ先輩だってⅦ組の一人なんだから、手を貸してくれるならありがたく受け取るべきでは。
「落ち着けよセリーヌ。先輩のツレなんだからデュバリィさんだって助けてくれるって」
「違う、アンタもしかして知らないの!?」
「へ? 何を?」
「そっちの女は結社所属、クロウ・アームブラストは内戦を引き起こしたテロリストよ!? どうして警戒しないの!!」
……頭をぶん殴られたような心地だった。
さっきから驚いてばかりだ。知らない情報が次々と脳を殴ってくる。
ぐらり、とショックで体が崩れ落ちそうになる。体内に溢れた水のような何かがたぷりと揺れるのを感じて、へたりかけたオレをリィンが支えたような感覚を感じた。
「せん、ぱい……はは……ウソ、だよな」
「……」
「ウソって言ってくれよ……親父を、母さんを殺した内戦を 、先輩が始めたなんて」
何か言おうとして、言えない。そんな仕草を繰り返す先輩から、オレは目を背けた。
「……アルバート、オレは」
「なんも、言わないで。ちょっと……考える、から」
先輩は、後を追ってこなかった。
まず、目が完全に見えなくなった。
真っ暗闇の中、セリーヌの鈴の音を頼りに歩いていく。オイルの香りや駆動音がすればそっちに銃弾を放つ。
リィンとリンクを繋いでいるおかげである程度周囲は確認できているが、それでもやはり盲目になってしまったという事実は導力銃使いのオレにとって重い事実ではあった。
「────、───?」
「───! ──────! ───、──────……」
次に、セリーヌの予告通り耳が聞こえなくなった。
ずっと水中にいるような、そんな感覚。ごぽりと体内で水がゆらめく音だけが頭に響いている。
リィンに頼ることも増えてきた。今一番辛いのはリィンだと言うのに、本当に申し訳ない。
それでも、人形兵器ならばオイルの匂いで場所はわかる。視覚と聴覚が消えたからか、触覚もかなり鋭くなってきた。
「大丈夫だからな、リィン……ちゃんと、みんなのところへ送り届けるからな」
返事をされても、もう聞こえないというのに、安心させるためにリィンに話しかける。
一方的になってしまうが、それでも……オレの精神安定のために、言わずにはいられなかった。
結局オレはどこまでも自分のために行動している。リィンを助けたいのも、オレが逃げたという事実から目を背けたかっただけ。身の丈に合わない護衛なんかを引き受けるからこうなるんだ。
それでも、あの日……ひとりぼっちで死んだオレが、たとえ夢だとしても、今この時リィンの目の前に現れたという運命を。
オレはどこまでも信じたかった。
────鉄の匂い。油の匂いはしない。鎧だろうか。
まあ、なんであろうと関係ない。リィンの前に立ち塞がるなら撃ち抜くまで。
導力銃を構え、力を込める。
加減なんかもうしない。肩を壊すまで、オレはコイツを撃ち続ける。
「──、─────!」
「─────! ─────……!」
「─────、─────! ────────!」
何か聞こえる。
いや、何も聞こえちゃいない。
もうオレの耳は死んだも同然。水音が耳を覆って、全てをふやかしている。
ふと、リィンがオレの手を掴んで、引っ張った。
ずんずんと進んでいく。先導があると言うだけで、随分とラクになった。
しばらく進むと、リィンは突然立ち止まった。
『──────……──────……』
何かに話しかけているみたいだ。
この空間自体はかなり広いらしく、ビル風のような強目の風がオレの肌を叩きつけた。
……立ち塞がるなら、リィンの敵だ。
オレはゆっくりと銃を持ち上げ、まだ匂いのする方へ照準を合わせて……
『────撃っちゃダメだよ、アルバート』
「え……」
ふと、鮮明な声が鼓膜を叩いた。
数分ぶりに聞く人の声にオレは驚いて、見えてもいないのに周囲を見渡す。
真っ暗な視界の中、上の方に、碧色の光が"見えた"。
『よかった、気づいてくれた! 久しぶり、アルバート』
「……オライオン? なんでお前の声は聞こえるんだ」
『聞こえるだけじゃないよ。見えてるでしょ、ボクのこと』
そう言われてよくよく目を凝らせば、碧色の光の中心には、磔にされたようなポーズのオライオンが居た。
困ったように眉尻を下げた彼女に驚いて、オレは口をパクパクとさせる。
『きっと体内が霊力で満ちてきたことでこっちにチャンネルが合っちゃったんだと思う』
「つまり、オレが見えないし聞こえなくなったから、今お前と喋れてるってこと?」
『そうそう! 大体その認識でいいと思うよ』
オライオンは頷いて、にっこりと笑った。
「待てよ。つまり、お前……」
『……うん。もう、死んだも同然だと思う』
「そうか……ま、オレもほとんど死んでるみたいなもんだしお揃っちだな!」
『やだよこんなお揃いー!』
何やらてしてし足首をしばくネコの肉球を感じるが知らない。だって見えてないし聞こえてないし。
『あ、アルバート。もうちょっとこっちに来たほうがいいよ』
「え?なんで」
『キミっていうストッパーをなくして暴走したリィンとリィンの教え子たちが戦い始めるみたい』
「マジ? じゃあ加勢しねーと」
『ストップストップ! どっちに加勢する気なのさ!?』
そりゃあリィン、と答えそうになって……言葉に詰まる。
どっちだ。どっちに加勢すれば。
リィンの教え子たちは味方なのか。それとも敵なのか。
そもそも今のリィンの状況だってよくわかっていない。Ⅶ組のメンバーなら絶対的に味方だと確信できるが、教え子たちはどうか知らないのだから。
『ほら、大人しくこっちに来なよ。巻き込まれるよ!』
「仕方ねーなー……暇してるお子ちゃまのお喋りに付き合ってやるか」
『誰がお子ちゃまだー!』
碧色の光に向かって、手を伸ばしながら静かに歩く。
やがて手すりに触れて、そこで立ち止まった。これ以上は近づけそうにないらしい。
「で、その教え子たちって味方なの?」
『勿論。アリサたちと一緒にリィンを助けに来てくれたんだよ』
「……なら、オレの役割はこれでおしまいか」
リィンがいるであろう方向へと振り向く。
目も耳も仕事をしなくなったオレを見て不安になったのだろうか。床は揺れ、リィンの攻撃の激しさを感じさせる。
本来は2年前、ハーメルで死んでいたはずのオレ。いつの間にか霊脈とやらに巻き込まれてこんな場所まで来たが、最後の命の使い所が終わってしまったらしい。
「アイツ、幸せになれるかな」
『なれるよ、きっと。ボクらのこともいつかは乗り越えてくれるはず』
「そうだと、いいな……オレも……もう、限界みたいだから」
オライオンに背を向け、ずり、と座り込む。
ケホケホと咳き込めば、喉の奥から血とも胃液とも違う、無味無臭の液体が競り上がってきた。
これが、セリーヌの言う霊力、なのだろう。オレがこの2年で飲み込み続けた謎の力。
「……けほっ……」
『アルバート……』
「オレ、さ。あの日、機甲兵に……目と耳、潰されてんだ」
ハーメルへ引きつけた機甲兵に乗った貴族連合の兵は、当然のように激怒した。
一騎づつ慎重に潰していくアルバートを、数の暴力で蹂躙した。
目は文字通りつぶれたし、耳だってきっともう鼓膜が破れていた。
身体だって、どれほど骨を折ったか覚えちゃいない。
霊力で補完された死体が、溶けていっている。きっとそういうことだろう。
犠牲のないハッピーエンドなんか存在しない。
その犠牲が、今回は自分だった。ただそれだけだ。
「クルトとミリー、無事かな……オレの、大切な……」
意識が途切れていく。
ぬる、とした感触で、へたり込んだ足元に血溜まりが出来ていることに気がついた。どうやら機甲兵から受けた傷が開いたらしい。
ふと、懐が暖かくなった。
皆で戦術リンクを繋いだときのような、あの感覚だ。
気づけば、目の前にはリィンが立っていた。
「リィン」
「……アルバート……俺は、俺はっ……」
「ハハ、ひでーかお」
ボロボロと涙をこぼすから、みっともねぇなと笑って、パーカーの袖で零れ落ちたそれを拭う。
そして、震えるリィンの肩をパンパンと叩き、引き寄せる。
「ごめんな。一人で逃げて」
「許さない、許せるもんか! どれだけ心配したと思ってるんだ!!」
「それでいい。一生許さないで良い。ただ……きっといつか、乗り越えてくれよ」
リィンの心の結晶に、臆病者の心をほんの少しだけ分け与える。
綺麗な閃光のように輝くそれは、まるで目の前の男のように美しく見えた。
「ほら、帰ってやりな。こんな亡霊に執着してねーで、みんなのところへ」
リィンの背中をばんと押して、皆の待つ方へと一歩を踏み出させる。
再び、視界は闇に染まった。
今度はオライオンすら見えない。本当の、闇。
何も聞こえず、何も見えず。ただ、身体中を襲う痛みと、服が血で染まって重くなっていく感覚だけが、まだ生きていると、そう答えていた。
「ふざけんな!! やっとまた会えたっつーのに!!」
ごぼり。
「怒るのは後だ! 急いでベッドへ兄さんを運ぶぞ!!」
「霊力を浴びたせいで中途半端に再生してる……!? セリーヌ、おばあちゃん、姉さんも手伝って!!」
けほ、けほ。
ごぼぼ。
「俺も手を貸そう。まだ……故郷の風を浴びてもらっていないからな」
「アルバート貴様、約束を違えるつもりか! 阿呆が!!」
がぼ。
ごほ、ごほ。
「まだ雑誌、返してない! お願い、生きて、生きてよ……!!」
「あれから君と一緒に飲みたいコーヒーも増えたんだ……だから、頼む……」
ごぽ。
「貴方と一緒に作っていた端末用の導力スピーカー、まだ途中で置いてあるんだから!! 起きなさいよ、ねぇ!!」
「バイオリンならいくらでも弾いてあげるから、アルバート……お願い、起きてっ……!!」
けほ。
「そなたという男は、どうしていつも救うばかりなのだ!! なぜ自分を勘定に入れない!?」
「オレは、オレの信念に従っただけのはずなのにな……どうして大切なものは、失ってから気づくんだか」
けほけほ。
ごぼぼ。
「許さないって、言っただろ」
ばしゃん。
知らない天井が視界に飛び込んできた。
左側がぼやけてよく見えないが、どうやらどこかの部屋の中らしい。いやどこ? ここ。確実にタイタス門の中のはずだけど。
……昨日壊した肩は、どうやら治ってるようだ。これでまた機甲兵と戦える。
ミリーとクルトを守るために、オレだって強くなったんだ。今日も貴族連合の奴らからタイタス門を守って────
「……へ」
起き上がってようやく気がついたが、プリンのように染められた金髪がオレの膝の上で寝ていた。
誰? と一瞬考えたものの、そのあどけない寝顔には見覚えがある。よくカリン姉の演奏でヨシュアとオレと一緒に寝ていた、ヨハンそのものだ。
……いや、本人と断定するのは早いだろうか。しかし困ったな、こんなところで寝られてはベッドから出られない。
「お、おーい。起きろ。その……ヨハン?」
「……う……」
ゆさゆさ、とヨハンらしき青年の肩を掴んで揺らせば、やはりヨハンと同じ赤い瞳が切れ長の瞼に挟まれ開かれる。
「……ある、にいちゃん……」
「あ、やっぱり。おはよう、ヨハン」
アル兄ちゃん。
オレをそう呼ぶのはヨハンだけだ。
随分デカくなったな、としみじみとしていると、目をカッピラいたヨハンがガバリと抱きついてきた。
「兄ちゃん!!」
「うおっびっくりした」
「良かった……起きて、よかった……!!」
「大袈裟だなぁ。寝てただけなんだからそりゃ起きるって。オレはお前とまた会えたことのが嬉しいよ」
「オレもっ……!!」
泣きじゃくるヨハンの背をとんとんと叩きながら、ゆらゆらと揺れる。随分デカくなったな。成長期か?
ヨハンの声が大きかったのか、部屋の扉がコンコンとノックされ、こちらの返事を待たずに開かれた。
「アッシュ、どうしたんだ……って……」
「クルト。おはよ、ミリーは?」
「アルバート兄さん!!!!」
「ぐえ」
妹の居場所を聞いただけなのにこの始末。寝て起きただけでなぜこんなに泣かれなければならないのだ。
思い切りタックルをかましてきたクルトの背もトントンと叩き二人の弟分をあやしていると、また部屋の扉が予告も無しに開かれた。
「アッシュ? 何があったんだい……ああ、起きたんだね」
今度はオレが目を丸くする番だった。
手に二人分の缶コーヒーを握った、黒髪に琥珀色の瞳が特徴的な青年。
心を壊してしまった、オレの世界でいちばんの大親友。
「……ヨシュア?」
「おはよう、アルバート。それと……久しぶり」
眉尻を下げて、親友はそう言った。
思わずジワリと溢れてきた涙を拭う。ヨシュアはそのままゆっくりとベッド脇の椅子へと座って、コーヒーを片方開けて飲み始めた。
「オレ、夢でも見てんのかな。ヨハンがいて、クルトがいて……ヨシュアがいて」
「夢じゃないさ。ヨハン達の力強さがその証明だよ」
「それはそうかも……」
ずっとひっついて離れない弟分達は、相変わらずの馬鹿力でアルバートが寝巻きにしていたTシャツを引っ張ってくる。ギリギリと引っ張られた結果肩にかかる圧力がこれは夢じゃないぞと強調してきていた。
「レーヴェ兄は?一緒じゃねーの?」
「今はね。あとで合流することになってるんだ」
「……生きてるんだ。レーヴェ兄も……」
「僕もレーヴェも、君に言われていたからね。絶対にまた会いにきて、って」
幼い頃の口約束を、律儀に守っていてくれたのか。
「……やば、嬉しすぎて泣きそう」
「はは、もうとっくに泣きじゃくってる二人がいるんだから泣いても良いんじゃないかな」
目尻に溢れる涙を拭いながら、オレはヨシュアに笑いかけた。
「……そっか。オレ、たしか死にかけて……」
「思い出したかい?」
「うん、ざっくりは」
「それは良かった」
眠る前のことをようやっと思い出す。
たしか、死んだと思ったら霊脈とか言うよくわからんものにぶち込まれて、勝手に吐き出されて、暴走するリィンを護衛して……
あ。そういえば。
「眼球破裂したのに戻ってる」
「ちょっと待ってアルバート。それは聞いてないんだけど」
「機甲兵の剣の直撃もらっちゃって」
「なんてことを」
現代医療の賜物かしら。まだ左目はぼんやりするが、右目はしっかりと見えている。
耳は両耳問題なさそうだ。弟分達の鼻水を啜る音で確認した。
あちこち触って確かめていると、またノーモーションで扉が開いた。オレに人権はないのか。
「ヨシュア〜? そろそろ行きましょ……って」
栗色の長い髪をツインテールにした、溌剌とした女性がオレを見て固まる。
そうして見つめ合うこと数秒後、彼女は地面から数センチ飛び上がって、
「みんな─────!!!! アルバートくん起きたわよ──────────!!!!」
と大声で走り去っていってしまった。
「誰?」
「僕のお嫁さん、かな」
「は? お前何勝手に先越してんだ」
「レーヴェ公認だから」
「レーヴェ兄の公認があれば良いってわけじゃねーんだわ」
ごつんとヨシュアの頭をしばけば、あた⭐︎と痛くなさそうな声が出る。
「ところで、今エステルが呼びに行ったし、もうすぐ来ると思うよ」
「何がだよ」
「嵐さ」
ニコニコするヨシュアにハ?と聞き返すと同時に、また扉が勝手に開けられた。知っていた。今のオレにプライバシーなどない。
そこには肩で息をする、黒かったはずの髪が真っ白に染まった親友の姿がそこにはあった。
血に染まったような赤い瞳が思い切り見開かれ、その目尻からジワリと涙が溢れ出す。
「アルバート」
震える声で呼ばれた己の名に、オレは後頭部を掻いて、気まずさからにへらと笑った。
「おはよ、リィン。えらく男前になったな」
ぐ、と下唇を噛んだリィンは、カッコよく決めた黒い服の袖で涙を乱暴に拭い、大股でオレに近づいてきて、クルト達ごとオレを抱きしめた。
「遅いじゃないか、この寝坊助め」
「朝は苦手なの」
「はは……そう、だったな。2年ぶりだから、忘れてた」
ぐす、と鼻を啜る音が聞こえる。
まったく、これ以上泣くのが増えてはあやす手が足りないのだが。
一旦クルトとヨハンを撫でる手を止めて、リィンを抱きしめ返す。かなり心配をかけてしまったのだろう。肩がじんわり濡れていくのを感じ取った。
しかしそれで終わってくれないのがⅦ組とか言う奴らだ。ドカドカとプライバシーの崩壊と共に開け放たれたドアに、雪崩のように8人もの人間がなだれ込んできた。
「アルバートが起きたって本当!?」
「あ! 本当に起きてる!!」
「良かった、治療はうまく行ったみたいですね」
「ああ、これ以上は打つ手もなかったからな」
「そなたはいつもいつも心配ばかりかけてくれる!!」
「ん、これでやっと返せる」
「アルバート!! この大馬鹿者め!!」
「己の限界くらいきちんと推し量れこの阿呆が!!」
「だぁーっ! 全員一気に喋んな!!」
投げつけられる雑誌、わしゃわしゃとかき混ぜられる頭。同時に喰らう叱咤と帰還を喜ぶ言葉。
ヨシュアに助けを求めようとすれば、相棒はいつの間にやら脱出していた弟分達を連れて、僕のお嫁さん♡とイチャコラしてこちらを微笑ましそうに眺めてくる。ふざけるなよ末長く爆発しやがれ。
「なんでお前ら、オレなんかにそんなに泣くんだよ……」
「あっ、またオレなんかって言った!」
「だってただの癇癪起こして逃げた臆病者だろ。そりゃ、ちょっとくらいは度胸ついた自信あるけどさ……」
頬をポリポリ掻きながら友人達を見上げれば、全員きょとんとして顔を見合わせた後、はぁ、と揃ってため息をつく。
そして代表として、ユーシスが口を開いた。
「アルバート。俺に言ったことを忘れたか」
「へ……」
「重荷を少しづつ分けて欲しい。お前は見事に俺達の重荷を少しづつ持って、足取りを軽くしてくれた」
──── なんか悩みあったら言えよ、ユーシス。相談なら乗ってやるから。
「えぇ、まさか本人に自覚がなかったなんてね」
────オレだって、お袋がいきなりバリキャリになったらこえーよ。そりゃ普通の感情だ。
「つまり素であの威力ってこと?怖いなぁ……」
────じゃ、エリオット・クレイグ ワンマンライブの第一観客はオレな!
「本当に、あの一言だけでどれほど僕が救われたことか」
────難しい話はできねーけどさ、こうして一緒にコーヒーを飲んで話を聞くぐらいはオレにもできるだろ。
「……もう絶対、目の届かないところに行っちゃダメだから」
──── それがお前にとっての常識なんだろ? ならいいじゃねーか。
「うむ。2度と無茶などさせぬ」
────怖ぇよ。怖ぇけど……ラウラに負けてらんねーから!!
「もう、お二人とも。今はまだ砕けた骨だってくっついていないんですから、無茶どころの話じゃありません!」
────まずはやるべきことを全力でやってから、やりたいこともやる! そう教えてくれたのはエマだろ。
「教会の療法も完璧ではないからな。こうして想っている皆の言うとおり、今しばらく大人しくしておくことだ」
────いつか行ってみたいな、お前の故郷。卒業したら連れてってくれよ。
ぱくぱく、と口を開けたり閉じたりする。
重い。感情が重すぎる。物語の主人公みたいなこいつらが、一般人Aのオレに向けていい感情じゃない。
気恥ずかしくて顔に血が集まってくるのを感じる。ずり、とまだ動かない足ごと後ずさるように動くと、リィンがするりとオレの肩に手を置いた。
「アルバート。もう2度と、逃がさないからな」
──── 行こうぜ。オレも……もう、逃げないから。今度こそ、一緒に!
……結局、オレは臆病者のままなのかもしれない。
今すぐ。この重苦しい感情をぶつけてくるこいつらから、今すぐ逃げてしまいたいからだ。
「先輩」
「……あぁ」
「反省してる?」
「……して、マス」
「っふ、ははは!! なら、ヨシ!」
「ヨシって、お前なぁ……このお人好しがよ」
「悪いことじゃないだろ?」
「馬鹿。騙されても知らねぇからな」
「騙されても先輩が助けてくれるって信じてるから」
「……クク、相変わらずタチ悪ぃヤツ」