深酒日記が廣志麻のなれそめを書かないのが悪い。
「アンコールは『ワタシダケユウレイ』アコースティックアレンジでした。今日はありがとうございました。来てくれて本当にありがとう!」
大喝采を受けながら、客に深々と頭を下げる廣井きくり。ゆっくりと緞帳が降りる。シンガーソングライター廣井きくり、何度目かのワンマンライブ。今日は両国のフォークメインのライブハウス。ハードロックが売りの新宿FOLTではどうしても浮き上がってしまう彼女のソロライブ。そこでFOLT店長の計らいで知人のライブハウスを紹介してもらった。プロモーション活動は新宿ゴールデン街での流しのギタリストがメイン。その他あちこちでの路上ライブ活動。FOLTでのファン以外にも新しいファン層の開拓に成功した。甘く切ないメロディと暗いけど前向きさを秘めた歌詞が年配層の心も捉えたようだ。お陰で今日のライブも満員御礼。
最近はシラフでのライブにもすっかり慣れた。相変わらずバンドだとおにころがないと演れないけど、事故物件のアパートだとシラフでは寝起き5分と持たないけれど。
「お疲れ、廣井。今日も良かったよ」
楽屋に戻った廣井に柔らかい笑みを浮かべてタオルを差し出す女性、SICKHACKの岩下志麻。最近はバンドでの活動が減って暇になったからと廣井の押しかけマネージャーみたいなことをしている。シラフとはいえ超ド級コミュ障の廣井にギャラ交渉など諸々が出来るはずもなく、バンドでも面倒な交渉や経理を一手に引き受けてる志麻が自然と世話をするようになった。なんだかんだ本人も好きでやっているようだ。
「ありがと、志麻」
「今日は両国だし、打ち上げはちゃんこ鍋。ここの店長の知り合いの店でかなり美味いってさ」
志麻はすっかりマネージャー振りが板についてきた。
「いやぁー良かったよ廣井さん。よかったらぜひまたうちでライブしてください。今日の打ち上げはご馳走しますよ!」
そうこう言っていると、ライブハウスの店長が楽屋に入ってきた。口髭の似合う気さくそうなオヤジだ。銀ちゃんとはずいぶん雰囲気が違う。
「はい、ありがとうございます。ライブ、ぜひまたお願いします!」
最近廣井は、志麻のような親しい相手以外にも、シラフでそれなりに話せるようになってきた。志麻が大学で出会った時から比べると、コミュニケーションも雲泥の差だ。
「ははは。そんな固くならないでよ。それに廣井さんイケるクチらしいじゃないですか? 銀ちゃんに聞いたよ。沢山飲んでいってくださいよー」
「あ、すみません。廣井は最近お酒は飲まないようにしてて……」
「え? そうなの岩下さん。若いのに大変だねぇ……。まあ料理だけでも楽しんでいってよ。元力士の店で部屋一番のちゃんこ番なんて言われてた奴の店だからさ。美味いぞぅ! じゃ、準備が出来たら店まで車で送るから、よろしく」
店長は上機嫌で楽屋を出て行った。
関係者との打ち上げは大いに盛り上がった。廣井は酒を飲まないはずだったはずが、乾杯だけ、1杯だけと勧められるうちに、結局飲んでしまった。ほろ酔いぐらいで抑えられるようになったのは、成長した証か。志麻がムリヤリ止めたからか。志麻と廣井、2人で駅まで歩いて帰る深夜の両国。
「ふう、食った食った。鍋とか久々だったけど、美味かったわー」
今日の廣井はいつものゲロ臭いスカジャンに下駄スタイルではなく、とっておきのワンピースにパンプス。先輩が可愛いって言ってくれた勝負服。路上ライブじゃもっとラフな恰好だけど、今日はライブだ、勝負服だ!
「廣井、もう飲まないんじゃなかったのか?」
「ごめーん! そのつもりだったんだけどさ、ついつい飲んじゃってさー」
志麻はテーラードジャケットにチノパン。いわゆるビジネスカジュアルだ。就職したことはないが、TPOは弁えているつもりだ。
「まあ、泥酔してライブするよりは全然マシだけど。バンドもそろそろ何とかならんか?」
「善処しまーす! それよりさ、あのおっちゃんも大袈裟だよね。『君は第二のあやみょんになれる逸材だ!』だなんてさ。……あんなに明るくないよ私の歌」
「ははは。まあそんくらい成功できるって話だろ、多分」
「そんなもんかなぁ……」
通りにはふたり以外の人は見当たらない。今日は夜風が心地いい。駅にはまだ少し距離がある。
「月が綺麗だね。……しーちゃん」
綺麗な晴れ空に満月が浮かぶ。ライブの成功を祝福してくれてたらいいなと、廣井は思う。
「なんだよ、懐かしい呼び名だな、きーちゃん。急にどうした?」
しーちゃん、きーちゃん、大学1年の時に志麻が考えたあだ名。突然バンド組もうって言ってきたくせに、挙動不審でコミュ障で、同学年のくせに全然敬語を崩さない廣井。しびれを切らした志麻が『バンド組むならまず仲良くなるべきでしょ?』と言って、引き籠りがちな廣井をあちこち遊びに連れ出してたころの呼び名。本格的にバンド活動始めてからは今の呼び名に落ち着いた。
ふたりだけの秘密の名前。ふたりのときしか呼ばない名前。
「なんとなく。今日のお月さま見てたら昔を思い出してさ」
バンドを始めてからは集めたメンバーに何度も逃げられた。もちろん一番の原因は、超コミュ障で酒を飲まないと全くダメダメな廣井の自業自得なのだが。音楽については神経質で気難しい所があったのも、メンバーと衝突しやすい原因だった。志麻が取りなすにしても限界があった。
編成は何度も変わった。ギター以外にもマンドリンにウクレレ、キーボードにシンセサイザー、エレキバイオリンなんてのが居た時期もあった。メンバー数もちょくちょく変わった。だが、バンド名のSICKHACKと廣井と志麻、それだけは変わらなかった。廣井がどこからか連れてきたギークガールなギタリスト、イライザが加入してからはこのメンバーで落ち着いた。インディーながら売れ始めた。就職しないでバンドマン一本で食うという無謀な決意をしたのもこの時期だ。
「なあ、ひろ……きーちゃん。久々に江ノ島いかないか?」
「は? いきなり何、もう夜中じゃん」
「もちろん朝になってから。明日は1日オフだし、今夜はうちに泊っていいからさ」
ふたりで初めて遊びに行った思い出の場所。志麻はあの時みたいに勢いに任せてみたくなった。
一方下北沢の伊地知星歌は、イマジナリーぼっちちゃん(5歳)を作り出すことに成功した。
「お風呂気持ちいいね、ぼっちちゃん。ほらアヒルさんだぞぅ」
「わっ! お湯かけるなよー。やったなーそれお返しだ―!」
「よーし、お姉さんと100まで一緒に数えようか。肩までしっかりつかるんだよ」
星歌、今日も元気に妄想癖。風呂の扉、向かいに見慣れた影。虹夏だ。
「お姉ちゃん、バスタオルここに置いとくよ」
「お、お、おう! ありがとう」
星歌、気づかず動揺。
「……ほどほどにしときなよ」
小声で呟く虹夏。無感情に響く声。
「あ? なんか言ったか?」
「何でもない。あたし先に寝るね。おやすみ」
「おう、おやすみ虹夏」
虹夏は寝室へ去っていく。
「明日も仕事か。最近疲れやすいな。……年のせいかな?」
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