「じゃあ、見吉に抜いて欲しい」
「えっ!?」
「……えっ!?」
とんでもないことを口走ってしまった。
抜いて欲しいって、何言ってんだ俺。
どうしよう。
亜豆に知られたら、嫌われてしまう。
ジャンプで得た知識を総動員しよう。こういう時どうすればいいんだ。
似たような言葉で誤魔化すんだっけ。
キスがキムチだから抜いてだとどうなるんだ。
糠漬けでもいい?
響きはちょっと似てるけど『見吉に糠漬けでもいい?』は意味が通らない。
そして、キムチに対抗して発酵にこだわる必要もなかった。
どうにかして亜豆に伝わることだけは、阻止しないと。
「真城、あんた何言ったのか分かってる?」
「…………」
見吉から鋭い目つきで詰められた。
圧が強い。
死亡フラグをすごく感じる。
見吉って空手で全国大会まで行ったんだっけ。
何とか右手だけは守らないと。マンガが描けなくなる。
「じょ、冗談だから、本気にしないで」
「真城はこういう冗談言う奴じゃなかったでしょ」
ビシッと見吉の拳が真っ直ぐに僕に伸びる。
思わず目をつぶると、風で前髪が浮いた。
ギリギリのところで拳は止まったようだ。
セーフ。
「次は当てるから、質問に答えなさい」
「脅しかよ」
「あんたが最低な事言うからでしょ」
「…………」
どうやら逃げられないらしい。
あきらめて両手を上げた。
「言う。言うから拳、拳を離して……逃げたりしないから」
「……正直に、言いなさいよ」
無言で数秒睨みつけた後、見吉はゆっくりと拳を下ろした。
とりあえず、命は助かった。
大きく息を吐きながら、僕も上げた両手を下ろす。
「見吉に抜いて欲しいって言った」
「真城さいてー。で、なんでそんな事言ったわけ?」
正直に言えば終わると思ったけど、そう簡単な話じゃなかった。
あと、見吉は狙ってなさそうだけど、真城最高って名前をもじられたのが、ちょっと腹立たしい。
「抜いて欲しいから」
「理由になってない。もう少し詳しく答えなさい」
理由になってないって、僕にどう答えろと。
そもそも、何でもするって聞いてとっさに浮かんだだけで、深い理由なんかない。
何でもするって言い出したのは見吉なのに、なんでここまで問い詰められないとならないんだ。
色んな感情が、僕をやけにした。
「見吉とシュージンが羨ましいから。僕は1人でマンガ描くしかできないのに、2人はいつも一緒に居た。それがたまらなく望ましくなる時がある」
「だったら真城達も一緒に居なさいよ」
「それが出来ないからこうなってるんだって。一緒に居たいって気持ちはあるけど、夢を追いかけたいって気持ちの方が強いんだ。だから、夢が叶うまでは会えない」
「ミホと同じ事言ってるけど、やっぱり理解できないわよ」
「理解してくれなくていい」
「でも、アタシと高木が望ましいのならミホと一緒に居たいに、なるんじゃないの?」
見吉の言う事はもっともだと思う。でも、違う。
「そうだけど、そうじゃないっていうか。別に四六時中羨ましいわけじゃないんだ」
「…………」
「普段は、別に気にならない。見吉とシュージンが一緒にいるのが自然だし、それでいいと思ってるし、本人を目の前に言いにくいけど、応援もしてる」
「……それで?」
「応援してるんだけど……」
何言ってんだろう俺。
でも、ここまで口にしてしまったら、もう止まらない。
ああ、もういいや、ぶちまけてしまえ。
「僕にだって性欲はある。1人で処理してる時に、情けなくなるっていうか。亜豆と結婚の約束までしているのに、実際は右手を恋人にするしかない」
それが、現実だ。
「夢の為だから、それでいい、我慢できる……つもりだった。いや、実際に我慢できたと思う。僕が1人だったら……」
「どういう事?」
「僕は、性欲を自分で処理するしかなかった。亜豆との夢の為だから、それでいいと思っていた。でも、コンビを組んでいるシュージンは違う。シュージンは見吉と一緒に居るのに、コンビで僕だけ自分で処理するしかない。それが、どうしようもなく辛いよ。惨めになる。何やってるんだろう僕って、死にたくなるっていうか」
「あたしと高木が一緒に居るのが嫌なわけ?」
「そうじゃない。そうじゃないんだけど……応援してるってのは本当。でも、比較すると惨めになるって言うのも本当なんだ。僕が勝手に比較してしまうだけ。問題があるのは、僕の性欲なんだ。2人は悪くない」
性欲さえ無ければ、比較してしまって惨めになる事も無かった。
夏休みに、エイジのアシスタントをしている時に中井さんを見ていて思った。
夜中に1人で嘆くように泣く中井さんは、他人事ではない。
あれは、夢を叶えられなかった未来の僕だ。
中井さんのことを知らなければ、ここまで惨めになることも無かったのかもしれない。
でも、既にマンガ家になれずに、モテずに苦しんでいる人を見てしまった。
知ってしまった。
そのせいで、現実にそこにあるものとして、想像ができてしまう。
シュージンが見吉と幸せな結婚生活を送る一方で、僕は冴えないアシスタントだ。
そんな未来を思うとゾッとする。
普段は考えたりしない。でも、抜いた後は別だ。
抜いた後の虚無力状態が、僕をマイナスの方向へと引っ張っていく。
「それで、私に抜いて欲しいってわけ?」
「見吉が抜いてくれれば、少なくとも惨めさは無くなると思う」
「最低」
「分かってる」
コンビを組んでいた相方の彼女に、コンビ復活のためになんでもするという弱みにつけこんで、抜いて欲しいと頼む。
どれだけ罵られても、否定できない。
自分の事ながら、なんて事を口走ってしまったんだろう。
もっと酷い言葉が飛んでくるのか、言葉どころが拳が飛んでくるかもって身構えたものの、見吉は何も言って来なかった。
無言で、じっと睨むだけ睨んで、そのまま背中を向けてドアの方へと向かっていく。
これは、本格的に嫌われたかもしれない。
それだけの事は、言ってしまった。
見吉に嫌われるのは仕方ない。どうにかして、亜豆にだけは知られないようにしないと。
「…………」
引き止めないといけないのに、なんて声を掛けていいのか分からなかった。
見吉がドアを開くのを見守る事しかできなかった。
ドアが閉まる。
「……終わった」
これで亜豆との約束も終わりだ。
親友に性欲を処理させようとする男の事なんか、亜豆は許さないだろう。
絶望に打ちひしがれていると、再び扉が開く音が聞こえた。
視線を向けると、見吉が顔だけ覗かせている。
「真城」
「?」
「放課後、仕事場に行くから待ってなさい」
「え?」
それだけ言うと、見吉は改めて扉を閉めて消えていった。
見吉が仕事場に来る!?
どういう事だ。
分からない。分からないけど、助かったのかもしれない。
安堵したおかげか、頭が回りだした。
見吉の言葉を考えてみる。
「……そういう事でいいのか?」
話は終わったはずだ。
少なくともこれ以上、僕から見吉に言う事はない。
それでもわざわざ放課後に会いに来るらしい。
それも仕事場だ。
もしかしたらシュージンを連れてきて、コンビを復活させるっていう可能性もあるけど、見吉の性格からしたら、放課後なんてまどろっこしい事はせずに、今この場に連れてくるだろう。
コンビを解消した今、シュージンが仕事場には近づかない事を見吉なら知っているはず。
放課後に仕事場という選択肢は、シュージンを避けている可能性が高い。
つまり、シュージンに黙っておきたい何かだ。
さっきまで見吉としていた話と繋げるとしたら、そういう事なんだろうか。
「期待してもいいのかな」
見吉がどういうつもりなのかは分からないけど、他に考えられそうな事もない。
結局、昼休みギリギリまで屋上で粘って、教室へと戻った。
シュージンの顔は、やっぱり見れなかった。