入院生活2日目。
久しぶりに死んだように眠った。
実際に、死にかけたから笑えない冗談だけど。
半日以上、眠った結果、身体は不調を訴えていて重いが、頭はすっきりしていた。
重しがとれたように、回っている気がする。
原稿を描かないとっていうのに、縛られ過ぎてて考えることを放棄していたのかもしれない。
「暇だ……」
シュージンが来るのは、面会時間の15時だ。
それまでする事がない。
出された食事は、ほとんど味を感じなかった。
体調不良のせいなのか、病院の食事がそんなもんなのか、どっちか判断つかないけど。
原稿をどうするのかを考えよう。
今日は、木曜日だ。
今週も金曜日上げは、諦めるしかない。
いつもより時間はかかりそうだけど、入院生活でいつもより時間がある。
残り枚数次第だけど、3日あれば、ペン入れできるはずだ。
木、金、土でペン入れを終わらせる。
日曜日にアシに仕上げてもらって、月曜日に提出。
その後の原稿は、その時に考えよう。
とか考えているうちに、面会時間になった。
「……遅い」
何やってんだよ、シュージン。
計画が崩れてしまう。
15時から2分遅れて、病室の扉が開いた。
シュージン、ようやく来てくれたのか。
「こんにちは、真城さん。お見舞いに来ました」
「加藤さん……」
メガネはメガネでもそっちかよ。2回目。
残念ながら、待ち望んでいたメガネじゃなかった。
「今日もアシがあるんじゃ」
「仕事は4時からですから、それまで大丈夫です。ここから15分掛かりませんし」
谷草は狭いな。
相手が加藤さんというのもあって、遠慮なくため息をつかせてもらった。
「あー、せっかく真城さんが元気になりそうなものを持ってきたのに」
「……何?」
「仕事道具です。真城さんは、高木さんに頼んでましたけど、何が必要なのか高木さんだとちょっと難しいと思いますよ」
「あ……」
言われてみれば確かに。
原稿があっても、仕事道具がなければ作業を進められない。
ペンの違いすら理解してなさそうなシュージンだと無理だ。
「加藤さんにお世話になりますっていえば、お渡ししますよ」
「加藤さんにお世話になります」
「張り合いがありません」
僕にどうしろと。
加藤さんは、ベッドに備えつけられている食事用のテーブルを倒して、その上に仕事道具を広げた。
「うん。ペン入れに必要なものは全部揃っている。ありがとう」
「どういたしまして。真城さんは、もう少し注意した方がいいですよ」
「どういう意味?」
「高木さんにあの引き出しを触らせるつもりだったんですか?」
「あ……」
仕事道具を片付けている引き出し。
加藤さんが何を言いたいのか理解して、冷や汗が流れた。
あの引き出しには、例の箱が隠してある。
万が一にでもシュージンに、見られてはいけないものだ。
加藤さんが居なかったらどうなっていたか。
想像するだけで、怖すぎる。
「助かった。命拾いした」
「本当ですよ。原稿は勝手に持ち出せませんでしたので高木さんが後でお持ちすると思います」
それは、仕方ないか。
画材はあるのに、原稿がない。
その状況が、余計に描きたい欲を際立たせる。
「……シュージン、遅いな。早く描きたいのに」
「それまでは、私がお世話しますね。真城さん」
加藤さんは、そう言うとベッドサイドにある引き出しを漁りだした。
勝手に漁っていいのかな。
「ありました」
「はい!?」
加藤さんが嬉しそうに取り出したのは、用途が限られる透明な瓶。
簡単に言えば、尿瓶だ。
「真城さん。すっきりしてくださいね」
「ま、待った。トイレくらい自分で行けるから」
「絶対安静ですよ」
じゃあ、仕事道具持ってくんなよ。安静できねえじゃねえか。
と、言えたらいいけど、それで持って帰られても困るので我慢する。
「いやいやいや。本当に大丈夫だから」
「真城さん。おとなしくしましょうね」
「おとなしくできるか」
「加藤さんにお世話になりますって言いましたよね」
「あれは……」
「仕事道具。持ち帰ってもいいんですか?」
それを持ち出されると弱い。
悪魔だ。悪魔がいる。
「仕事とお世話されるのを拒否するのとどっちが大事なんですか?」
「し……仕事だ」
「分かりました。それでは、しーしーしましょうね」
加藤さんが満面の笑みを浮かべて迫ってくる。
おかしい。普通は、仕事と私とどっちが大事なのかって選択肢だろ。
仕事を選ぶと何かを失う選択肢だけど、失うものが破天荒だ。
「真城さん」
「加藤さん」
「「バクマン(黄色)」」
こうして僕は悪魔と取引して、仕事道具を手に入れ──
ん? 今、ノックされた?
「真城くん、亜豆です」
あ、亜豆!? なんでこのタイミングで。下半身丸出しだぞ。
さすがの加藤さんも焦っている。
蓋のあいた尿瓶を手にしたまま、あたふたするな。こぼれちゃうだろ。
「真城くん。私、中に入っていいと思う?」
ダメです。
今は、ダメです。本当に無理だから。
夢が叶うまで会わないとかそういう話じゃない。
久しぶりの再会が、下半身露出して尿瓶とかねえよ。
とりあえず、加藤。邪魔な尿瓶(真城)は、いったん持って帰れ。
加藤さんと言葉を交えつつ、目だけで別のやりとりをする。
「じゃあ私は、お邪魔なのでこれで」
『無理です』
『許さん』
『勘弁してくださいよ』
『許さん』
『分かりましたよ。貸し1つですからね』
「えっはい。宜しくお願いします」
指1本立てていたのは、そういう事だろう。
追い込まれた原因は加藤さんにあるけど、この窮地を脱出できるのなら、貸し1つくらい我慢する。
うなずくと、しぶしぶと言った感じだったけど、こうなった責任を取るべく加藤さんは、尿瓶(真城)に蓋をしてカバンに入れた。
画材を持って来るために、大きめのカバンだったことが幸いし、尿瓶(真城)はすっぽりとカバンの中に納まった。
パタパタと加藤さんが病室を出ていく。そんな動くと蓋が外れてカバンの中が悲惨になるぞ。
「亜豆さん。会うのは、夢が叶ってから……」
言いつつ、布団を上げて下半身を隠す。
よくよく考えたら下着とズボンを穿けよって話だけど、焦りまくっていた。
「真城くん。マンガ描くのは治ってからだよね?」
こうなったら、下着を穿くのは、亜豆が帰ってからだ。
「原稿は落とせない」
好きな人と会うのに、ズボンは欠かせない。
「真城くんが心配」
「…………」
「ずっと好きなのに、心配することも許されないの? 死んじゃったら夢は叶わないんだよ。私と真城くんの夢だよね。私のために、退院するまで描かないでほしい。描かないっていうまで、ここを動かないから」
「亜豆さん……分かったから、入ってきて。僕は動けないから」
「……ま、真城くん。動けないって、そんなに悪いのなら、休まないと」
悪いのは僕の体じゃない。加藤さんだ。
丸出しじゃなければ、トイレくらいには行ける。
慌てたように亜豆が部屋に入ってきた。
直接顔を見るのは3年振りだ。ちょっと、大人っぽくなった気がする。
僕が好きなのは亜豆だ。
一目みただけでも、改めてそう思ってしまった。
魂が惹かれ合うってこういう事を言うんだろうか。
「……久しぶり」
「……会っちゃった」
「うん、会っちゃったね」
まさか、下半身丸出しで会うことになるとは思わなかった。
「心配しないで。ここで、じっとマンガを描くだけだから」
「…………」
「学校に行って、マンガ描いて、寝る時間がなくなっていって。たぶん、それがダメだったんだと思う」
「ちゃんと寝ないと」
「うん。ごめん。だから、大丈夫。学校がない分寝れるし」
「……真城くん」
「夢に向かって頑張る。二人の約束。ちょっと頑張り過ぎちゃったのかもしれない。でも、頑張る事はやめたくない。亜豆さんの事が小6の頃から好きだから」
「……私は、小4の頃から」
「え?」
小6の時の水泳大会で見つめ合っていた。
あの日から、亜豆の事がずっと好きだ。
亜豆もそうだと思っていたけど、亜豆はもっと前からだったらしい。
展示されていた僕の絵を見て、気になったみたいだ。
それから何度も見かけて、好きになったらしい。
ちょっと恥ずかしいけど、亜豆の気持ちを聞けたのは嬉しかった。
◇◇◇
「亜城木先生来ました」
「新妻さん」
あれから、母親が来て亜豆を彼女だと紹介したり、シュージンが原稿を届けてくれたりがあって、ようやく原稿を描き始めたところで、エイジが担当と一緒に顔を見せた。
「原稿、描いてるんですね」
「はい」
エイジと目と目が合う。
それだけで、分かりあえた。
「じゃあ、帰ります。安心しました。邪魔しません。来てよかったです」
「負けません。絶対に追いついてみせます」
僕が口にするのは、お見舞いのお礼じゃない。
差がつけられちゃってるけど、追いかける意思を伝えたい。
エイジは、僕のライバルだ。
エイジもたぶん、そう思ってくれているはずだ。
ただ、ライバル宣言くらいは、下半身丸出し以外でやりたかった。
加藤さんを恨みたい。
「うっ……」
「真城くん」
「だ……大丈夫……」
時々、全身に痛みが走る。
これは、手術するまで消えないらしい。
力が抜けて、倒れかけて、ペンを落としてしまった。
倒れてないから、ギリギリセーフだ。
「ナースコールってベッドの方ですよ」
シュージンが僕を助けようとする。
「やめて。真城くん大丈夫って言ってる。これくらいで止めるのなら原稿持って来ないで。覚悟の上でしょ」
それを亜豆が制した。
亜豆にしては珍しい強めの言葉だ。
そのまま僕にペンを持たせて、手を支えてくれた。
「真城くん、頑張ろ。私は真城くんを信じてる」
「うん…」
本当に、ギリギリセーフだった。
倒れかけた際に、布団がずれてしまった。
かろうじて、亜豆がそばにいるおかげで、引っかかるものがあったからずれ落ちなかったけど、元気がなかったらアウトだった。
真城くん、マンガを描きながらの下半身がこんにちは、だ。
亜豆との夢が全部吹っ飛んでしまうところだった。
病気になるって大変だ。
身体の一部分だけでも元気で良かった。