「──最低です」
うん、僕もそう思う。
状況を整理しよう。
蒼樹さんに手を出したら、蒼樹さんの
どうしてこうなったんだろうか。
作画を教えているうちに、いい雰囲気になったからバクマンした。
これがまずかったんだと思う。
見吉、加藤さんと続いていたから、感覚が狂っていたけど、バクマンって愛し合う二人が付き合ったりした後、やる行為じゃん。
そりゃ、蒼樹さんみたいな初心な人だと勘違いしても仕方ない。
蒼樹さんからすれば、今日までデートを重ねて、順序は逆になったけど僕と付き合うつもりでバクマンした。
でも、僕には彼女がいるからそのつもりは無かった。
最低を通り越した鬼畜じゃねえか。
どうにかして過去に戻れないだろうか。
バクマンじゃなくて
現実逃避してる場合じゃない。
目の前の蒼樹さんと向き合おう。
「帰ります」
「待って。もう終電に間に合いません」
立ち上がろうとした蒼樹さんの手を掴んで引き止める。
「離してください。タクシーを使ってでも」
「僕と一緒に居たくないなら、僕が出ていきますから……ただ、その前に話を聞いてください」
「聞きたくありません」
「いえ、聞いてもらいます」
ここで蒼樹さんを逃したらすべてが終わりだ。
必死だった。
暴れる蒼樹さんに何度も蹴られたりしながらも、何とか手だけは放さずに捕まえ続けた。
「はぁ……はぁ……話を聞いてもらえますか?」
「……分かりました。さっさと話してください」
僕が話をするまで逃がす気がないのが伝わったらしく、ようやく諦めてくれた。
そっぽを向いているけど、動きが止まった。
蒼樹さんが武闘派じゃなくて助かった。
暴れたといっても、お嬢様っぽいところのある蒼樹さんだ。痛みはあるけど、怪我まではいっていないと思う。
よし、どうにか説得しよう。ただ、その前に──
「あの、とりあえず、話の前にシャワーを浴びて服を着てください」
「へ、変態……見ないでください」
全裸のままだという事に気づいたらしく、蒼樹さんは慌ててシャワー室に消えていった。
そのまま逃げられないかと思ったけど、慌て過ぎて下着しか持って行っていない。
荷物や服がここに置いたままだから、大丈夫か。
僕は、とりあえずシャツだけ羽織って、下はタオルで隠して、蒼樹さんを待つ。
なお、蒼樹さんが持って行った下着は、清楚系の地味なものだった。
頭の中を整理しながらコーヒーでもいれよう。
◇◇◇
キッチンスペースで待っていると、蒼樹さんが戻ってきたのが分かった。
下着姿を見るわけにはいかず、背中を抜けたまま布の擦れる音で服を着たのを確認する。
「どうぞ。コーヒーです」
「いりません」
「何か飲んだ方がいいですよ」
「必要ありません」
一応蒼樹さんの分と二杯用意したけど、断られてしまった。
自分を騙した相手がいれたコーヒー。飲みたくなくて当たり前かも。
インスタントの安物だから冷めたらきついけど、自分で二杯飲もう。
待っている間に蒼樹さんを説得する案を考えた。
それは、蒼樹さんがここに来た理由そのものだ。
「蒼樹さんは、ここに絵を学びに来た。それで間違いありませんね」
「当たり前じゃないですか。なのに、こんな事に……」
「ごめんなさい。それについては、謝ります」
なんとなく流れでバクマンになったけど、それ目的で来たわけではない。
あくまでも、絵の勉強のためだ。
だからこそ、それがこの状況を打破する材料になる。
あまり見せたいものじゃないけど、仕方ないか。
僕は、2枚の原稿用紙を蒼樹さんに差し出した。
「これを見てもらえますか?」
「……これがどうかしたんですか?」
どちらも描かれているのは、ヘビの絵だ。
違いは、一つ。
「これが『TRAP』に載せようとして僕が描いたヘビです」
「…………」
「そして、こっちが動物園に通った後に描いたヘビです。違いが分かりますか?」
「……それが何か関係あるんですか?」
ツンツンしまくっている。
蒼樹さんが答えてくれないのなら、自分で説明するしかない。
「最初に見せたものは、形をなぞっているだけで、全然ダメでした。中井さんにダメ出しを食らって、結局中井さんに描いてもらいました」
「…………」
「その理由は、僕がヘビを実際に見たことが無かったからです。どこがどう動くのか、写真だけでは、分かりませんでした。それを克服するために『TRAP』終了後に、動物園に通うようになり、どうにか形になったと思います」
二枚のヘビを見比べたら、どれだけ最初のがダメだったのかが分かる。
正直、封印したい黒歴史みたいなものだ。
「実物を見て、なにがどうなっているのかを知る事ができれば、これだけ変わるんです。もちろん、練習しましたのでそれで上乗せされた部分はあると思いますけど」
「……何が言いたいのかが分かりません」
回りくどくなっていると僕も思う。
だから、ここは直球でいこう。
「蒼樹さんが魅力的な女性だから、抱きました。それが一番の理由です」
「な……真城さん、彼女がいるのに……やっぱり、最低じゃないですか」
最低だと僕も思う。
でも、まずはここを伝えておかないと話が進まない。
「でも、理由はそれだけじゃありません。絵を描くのって理屈だけじゃ難しいんです。対象をしっかりと知ることができれば、大きなプラスになります」
「…………」
「絵師がなんでも体験するべきとは言いません。知らないと描けないとも言いません。法に反する事はするべきではないですし、当然ですが魔法を使えるなんて事もありません。それでも、誰かを刺したり、魔法を放ったりする絵が必要になるときが、ありますから」
エイジの『CROW』とかその典型だ。
主人公がカラスをモチーフにしたヒーローで、空を飛ぶ。
もちろん、エイジは自力で空を飛んだ事は、ないはずだ。
それをあれだけ躍動的に描けるんだから、エイジは天才だと思う。
「蒼樹さんは、女性キャラと比べて男性キャラが弱いです。男性を苦手にしていて、男性の事をあまり知らないところが、絵にも表れていると思います。蒼樹さんに男性の事をもっと知って欲しかった。そのためには、身体を重ね合う事が一番だと思いました」
「そんな……そんな理由で」
「もちろん、強引にする気はありませんでした。蒼樹さんが受け入れてくれなければ、そこまでのつもりでした」
壁ドンからのアゴクイからのバクマン。
流された結果もあるんだろうけど、壁ドンを望んだのは蒼樹さんだ。
アゴクイは、男性を見て欲しかった。
俯いたままでは、男性を知る事ができないので、強引に押した。
そこから先は、同意をとってから進んだはずだ。
「私は、真城さんとお付き合いをするつもりで……」
「それは本当にごめんなさい」
「彼女がいる事を隠して……ひどいです」
「……ごめんなさい。言い訳にしかなりませんけど、別に隠していることじゃありませんので、蒼樹さんが知らないとは、思っていませんでした」
「言われないと知るわけないじゃないですか」
蒼樹さんに強めに非難された。
そんな声もカワイイ*1。
って、それどころじゃないか。
「その……恋愛話とかいろいろしましたし、僕の事も話しているものだと」
「一切聞かされてません」
「あと、福田組の人は、蒼樹さんを除いて全員知ってますので、蒼樹さんだけまさか知らないとは思わなかったってのがあって」
「…………」
「新妻さん、福田さん、平丸さんは、彼女と直接会ってますし、中井さんも最初に話した時に聞かれたので、答えてます。それで、福田組の人は全員知っているものだと、思い込んでました」
入院中にお見舞いに来てくれた時に、亜豆と福田さん達は遭遇している。
中井さんには、話している。
アシスタントの人にも別に隠していない。
蒼樹さんだけ知らなかったのは、想定外だった。
「信じられません」
「蒼樹さんから確認してもらっても構いませんよ」
「平丸さん達の連絡先なんて、知りません」
平丸さんドンマイ。
色んな人と連絡先交換してたのに、蒼樹さんのは手に入れてないのか。
中井さんのは知っているんだろうけど、この様子だと連絡したくないみたいだ。
そうなると、どうやって身の潔白を示せばいいのか。
「真城さんからは、彼女がいるような感じは一切しませんでした。隠してたとしか思えません」
「それは……僕と亜豆さんの関係がちょっとややこしくて」
普通の関係じゃない事は自覚してるので、深い話は福田さん達にしてなかった。
でも、こうなってしまったら、話した方が早いか。
簡単に事情を説明する。
僕の夢と亜豆の夢。
二人の夢が叶ったら結婚する約束をしている事。
それまでは、会ったりせずに夢に向かって頑張る事。
メールや電話で励まし合っている事。
「僕が倒れて入院してしまった時に、しばらくの間、心配して会いに来てくれましたけど、それからは会っていません。中学を卒業してから亜豆と会ったのは、その時だけです」
「会ったのは、その入院中だけですか?」
「入院中だけです。大体2年半ぶりの再会でした」
「……純愛じゃないですか。そんな彼女がいるのなら、私と二人っきりで会ってはダメです」
ごもっともです。
「マンガ家になって僕の描いたマンガがアニメ化する。これが僕の夢で、これに向かって努力しています」
蒼樹さんがただの女性だったら、二人っきりで会ったりは、しなかった。
──たぶん。
蒼樹さん美人だから自信ないけど。
会いたいって言われたら、ホイホイ会いに行ってた可能性はあるけど。
そんなイフを考えても仕方ない。
普通の女性なら会わなかった。
でも、蒼樹さんは違う。
「蒼樹さんは、マンガ家です。蒼樹さんと交流を持つことは、マンガ家にとってプラスになります。蒼樹さんのおかげで赤マルの読切の話が進みましたし、蒼樹さんに絵を教える事で、僕も成長しています。そこは、蒼樹さんも変わらないと思っています。僕と二人っきりで会っていたのは、マンガのためですよね?」
「……はい」
「それなら、蒼樹さんの事を知っても、亜豆は何も言わないと思います。亜豆も僕の夢を応援してくれているからです」
内心どう思っているのかは知らないけど、亜豆なら止めない。
むしろ、交流を持つように背中を押してくれると思う。
「あと、シュージンの彼女の見吉って亜豆の親友なんですけど、彼女はよくこの仕事場に出入りして手伝ってくれています。見吉と二人っきりになることとかも結構あって、亜豆も知ってますけど、止めたりはしません。どちらかといえば、僕が無茶しないように代わりにしっかり見張ってて欲しいって、見吉がお願いされてるくらいです」
身体の関係がある事とか、見吉と二人っきりで泊まってる事とかは秘密だ。
亜豆に振られちゃう。
「私に手を出したことも彼女に言えるんですか?」
「……それは言えません」
亜豆に振られちゃう(2回目)。
「最低です」
「僕もそう思います」
言えるのは、マンガのために二人っきりで会うこともあるってところまでで、そこから先はシークレットだ。
マンガのためにどんなことをしているのかまでは、言えない。
「亜豆との関係に不満があるわけじゃありません。夢に向かって頑張る。そのために会うのを我慢する。辛いときもあるけど、亜豆のためなら頑張れる」
この約束があるからこそ、中3の時から走り続けることができている。
「でも、僕だって男なんです。性欲があるんです。無理やり手を出そうとか、そういうつもりは一切ありません。ただ、蒼樹さんみたいな綺麗な女性に手を出してもいいのに、出さないというほど聖人君子にはなれません」
「結局、言い訳じゃないですか」
「そうですね、言い訳だと思います」
どう取り繕おうとも、彼女がいながら蒼樹さんに手を出したという事実は変わらない。そこを指摘されてしまうと、どうしようもない。
「だから最初に言った通り。蒼樹さんを抱きたいと思ったから抱きました。これが、一番の理由です」
「開き直らないでください」
「蒼樹さんが同意してくれて嬉しかった。そこに嘘はつきたくありません」
「最低な報告。真城さんってそんな人だったんですね。見損ないました」
「……ごめんなさい。こんな人です」
彼女がいながら、親友の彼女に手を出し、アシスタントに手を出し、マンガ家仲間にも手を出した。クズ野郎。
それが、僕だ。
蒼樹さんの前に、跪いて頭を下げた。
堂々の土下座だ。
「真城さんじゃなくて、汚れさんじゃないですか」
蒼樹さんの呆れた言葉が頭上から聞こえる。
僕に、真っ白という言葉は似合わない。
僕の色に染め上げるとき以外は。
「……真城さんの事、これからは汚れ先生って呼びます」
「えっと……それは」
「汚れ先生の名前は?」
「……僕が、汚れ最高です」
頭をあげて否定したかったものの、慌てて床に頭をくっつけなおして、名乗りをあげる。
こんな自己紹介したくなかった。名前がひどすぎる。
「汚れ先生は、性欲とマンガのために、私とその……したってことでいいんですね」
「はい、汚れ最高は蒼樹さんを汚しました」
「最低です」
「僕もそう思います」
これだと、亜城木夢叶が、亜汚木夢叶だ。
最後の文字が「叶う」じゃなくて「吐く」の方がバランスが取れそうなひどさだ。
亜汚木夢吐。字面が悪過ぎる。
「汚れ先生のことを許す気はありません。でも、マンガのためというのと、先に確認しなかった私にも落ち度があったというのは、認めます。同意が無ければ手を出さない。それは本当ですね?」
「はい、本当です」
「……分かりました。今日のことは、胸の中に締まっておきます。許したわけではありませんよ。誰にも言わないだけです」
「ありがとうございます」
どうやら亜豆に振られることは、回避できたようだ。
しばらくは汚れキャラも甘んじて受け入れよう。
それで済むなら、安いもんだ。
「……私は、コーヒーより紅茶が好きです。入れなおしてもらえますか?」
「覚えておきます。入れなおします」
ギリギリで命拾いしたみたいだ。
評価は落ちまくったものの、何とか蒼樹さんとの決裂は避けられたみたいだ。
蒼樹さんの命令を実行しようと、僕は急いで立ち上がり──
「あ」
「きゃっ」
腰に巻いていたタオルが外れて、蒼樹さんの目の前で、はだけさせた。
「……最低です」
「ぼ、僕もそう思います」
関係修復までは、まだまだ時間が掛かりそうだった。