翌日。
朝から自転車で仕事場に向かった。
あの後、蒼樹さんは「別の部屋なら」と言ってくれたけど、絶賛暴落中の信頼を少しでも取り戻すべく、夜中に家まで自転車を走らせて帰った。
中の状況が分からないので、チャイムを鳴らして待つ。
「おじさんが生きていた頃以来か。なんか懐かしい」
普段は、自分で鳴らすことなんてないので、ちょっと昔を思い出して嬉しかった。
記憶の頃よりチャイムがだいぶ低くなってる。
それだけ僕も成長したんだと思う。
「おはようございます、汚れ先生」
「……おはようございますって、その呼び方は近所で悪い評判が立ちますって」
カワイイ声*1でなんて事を。
部屋の中でならいいけど、外ではやめて欲しい。
慌てて左右を見回す。
幸いお隣さんは不在っぽい。セーフか。
「何か言いましたか?」
どうやらまだ怒っているみたいだ。
いつか汚れが落ちるんだろうか。真っ白に戻りたい。
とりあえず、仕事場に入って、ドアを閉めた。
「いいえ、僕は汚れ先生です……蒼樹さん、メガネかけるんですね」
「え? あ? これは……」
丸い赤色のフレームが知的で、似合っている。
指摘されるまで気づいていなかったみたいで、蒼樹さんは慌ててメガネを外した。
「外すんですか、似合ってるましたよ」
「……あまり外では掛けませんので。あの、彼女がいるのにそういう事言っちゃダメです」
「すみません」
メガネ姿を見られることに、慣れていないらしい。
仕事場に入ると、アシの机の上にマンガ本が積まれていた。
「なるほど。本を読むときだけですか?」
「それほど悪くはないんですけど、かけてた方が読みやすいので」
普段はコンタクトで使い分けているというのでもなく、日常生活に支障はないレベルか。
という事は、蒼樹さんのメガネ姿が拝めたのはレアだ。
「ありがたや、ありがたや」
「?」
「いえ、なんでもありません」
本当に拝んでどうする。
蒼樹さんが読んでいたのは、恋愛を中心にしたマンガだった。
「参考にしたいと思いまして、まだ読んだことがなかったものを」
「どうぞ、ご自由に読んでください。あの、いろいろ買ってきましたけど、朝食まだですよね?」
途中でコンビニで仕入れた食料を蒼樹さんに渡す。
菓子パンとかサラダとか、特に何もせずにそのまま食べられる商品だ。
それと紙パックの紅茶。これ大事。
「……ありがとうございます。あの、こんなには食べられませんよ」
「いる分だけ適当に選んでください。残りは後で食べますから」
好みが分からなかったので、大量に選んでいる。
っていっても、2~3日あれば食べきれる量だけど。
僕は、家で食べてきたので、自分の机に向かって作業を開始した。
信頼回復には、真面目に取り組んでいくしかない。
今できることは、絵の練習だ。
「汚れ先生は、料理しないんですか?」
「一切しませんね」
せいぜいインスタントラーメンを作るくらいだ。
これを料理だと言っていいのは、ラブコメのダメヒロインくらいだと思う。
たぶん、やってできなくはないと思うけど、料理する時間があるのなら別のことをしたい人だ。
お金で解決できることは、お金で解決すればいい。
無駄に使うつもりはないけど、コンビニ飯くらいなら許容範囲だ。
「そうなんですか……」
「どうかしましたか?
「いえ。使っていいのか分かりませんでしたので諦めましたけど、食材は充実していましたから」
飲み物は、冷蔵庫の中だと教えていた。
飲み物をもらうついでに、中身を見られていたみたいだ。
「ああ。管理してませんけど、たぶん、使っても大丈夫ですよ」
「どうして食材が?」
「えっと……シュージンの彼女の見吉がよく食事を作ってくれるので、そのおかげです」
見吉に僕が直接食費を払ったりはしていないけど、シュージンが払っているはずだ。
つまり亜城木夢叶の経費で買われた食材だと言える。
自由に使っていいはず、たぶん。
「そんなことまで……」
「助かってます」
そういえば、シュージンと結婚したらどうするんだろうか。
なんとなく、変わらない頻度で顔を出すって思ってたけど、そのあたりの確認はしていない。
見吉が来なくなったら、ちょっと困るかも。
性欲処理は加藤さんに任せるにしても、料理と掃除は困る。
後で確認しとくか。
使っていいのか分からなかったってことは、蒼樹さんは料理できるんだろうか。
知りたいけど、蒼樹さんに興味がありますってのは、今はダメだ。
しばらくは大人しくしとこう。
後で確認したい。
◇◇◇
「うん。だいぶ良くなってます」
蒼樹さんの描き上げた絵を確認する。
課題だった男性キャラが、かなり改善されてきた。
男性と女性とでは色々と違う部分がある。
それが上手く処理できず、どこか中性的になってしまったのが消えた。
違いを意識して描きわけができれば、元々女性キャラは形になっていた蒼樹さんだ。これから伸びていくだろう。
「まさか本当に効果があるなんて……」
「いえ、蒼樹さんの努力があってこそです」
バクマンしたのは、無駄じゃなかったと思う。
でも、それだけじゃダメだ。これまで積み重ねてきた練習に、最後に男性の身体を知ることで押し上げられただけで、やれば上手くなるというほど単純なものではない。
「あとは、意識しながら量を描けば、絵は上達すると思います」
「ありがとうございます」
絵を描くコツは、一通り伝授した。
ここから先は、上手くなるためにアドバイスできることは少ない。
「絵のアドバイスは、だいたいこれで終わりです」
「あとは自分との戦いですね」
小さく力こぶを作る蒼樹さんはカワイイ。
経験値の上げ方は教えたので、あとはどれだけ時間を掛けられるかだ。
10月の連載会議までは2ヵ月。
頑張れば、作画無しでもいけるかもしれない。
「そうですね。それと見せ方」
「ポーズや構図ですね」
「どのように見せるのかは、実際に話の中身によって変わるので、今アドバイスすることは難しいです」
読切の『青葉の頃』で、こうした方がいいと思ったところは、全て伝えた。
シーンに適した構図とポーズ。
こればっかりは、実際の作品、ネームを見て見ないと何とも言えない。
「というので、これからの勉強会ですけど、どうしましょうか」
蒼樹さんがいてくれた方が、頑張る気になれるので、個人的にはありがたい。
でも、それを蒼樹さんに強要することはできない。
教えるという名目がなくなったので、勉強会を続ける意義が消える。
「あの、一度青葉の頃を同じ話で描き直してみたいと思います」
同じ話で描き直す。
1ヵ月前に描き上げたものを、もう一度描く。
手間はかかるけど、成長を実感するにはいい案だと思う。
でも、赤マルの評価が良ければ、その先で連載会議が待っているはずだ。
「連載会議は大丈夫ですか?」
「結果が出るまで1月ありますし、それと並行します。それくらいできないと連載なんてできませんから」
「あまり無理だけはしないでくださいね」
倒れてしまった僕の言えた事じゃないけど。
「その……描き上げたら先生に見てもらいたいんですけど、いいですか?」
「はい。楽しみにしてます」
「あと、構図とかで参考に、ここのマンガを見せてもらいたいんですけど」
「いつでも来てください。お待ちしてます」
買った方が早いと思うけど、蒼樹さんが来てくれるのなら大歓迎だ。
人間としては信用されてなくても、マンガ家としては信用してくれているみたいだ。
多少は、昨日から回復できているのかもしれない。
勉強会という形は終わっても、なんとなく繋がりが残るみたいで嬉しかった。
と、ここで終わればいい感じだったけど、邪魔者が現れてしまった。
「真城ー、また加藤さん連れ込んでるわけー」
玄関が開いたと思ったら聞こえてきた第一声がコレだ。
蒼樹さんの女性ものの靴を見て、加藤さんを連れ込んでいると勘違いしたらしい。
ドカドカドカと足音が近づいてくる。
帝国のマーチって見吉のテーマだっけ。
「あの、どうすれば……」
「シュージンの彼女です。別に堂々としていてください」
戸惑う蒼樹さんにフォローを入れる。
別にやましいことをしているわけじゃない。見吉が入ってきても問題はない。
「加藤さんと昼からやってるんじゃないでしょうね」
「いきなり爆弾発言を放り込むなよ」
見吉の発言は、問題しかないよ。
それだと加藤さんと俺がよく昼からやってるみたいじゃん。
せっかく蒼樹さんとの交流が続きそうなのに、終わりになるだろうが。