ありがとうございます。ありがとうございます。(´;ω;`) 評価をいただけたことに、胸がとても満たされた気持ちになりました。
ほんの少しでも、読者さまの心に留めてもらえる物語を綴れているのなら嬉しいです。
それでは新章。ここから少しずつ少しずつ2人は交流を深めていきます。今回は、その先駆け。友達になったオリ主と花村の、短い交流のお話。
昼休みの友達
11月4日 木曜日
本日の天気は快晴だ。午前の授業が終わった昼休みの始め、さっさと昼食を済ませた花村陽介は誰と話すこともなく、教室をさっさと後にした。このあと、誰にも邪魔されたくない大切な予定があったからだ。
廊下を早足で通り過ぎた陽介は、校舎の階段を上りきると、揚々と、屋上に通じる扉を開け放つ。
そして、めぼしい場所——死角になって人から見つけにくい、とあるスペースを訪ねると、女生徒——陽介にとってはクラスメイトであり、新しくできた友人でもある──瀬名瑞月がいた。彼女こそが陽介の会いたかった人物に他ならない。
瑞月は、屋上を区画するアスファルト台に腰かけていた。制服を汚さないためにか、きちんとレジャーシートを敷いている。その上に人一人が座れるほどのスペースを空けて座った彼女は、陽介の来訪にさして驚いた様子もなく、まっすぐに彼を見つめた。
「よぉ、瀬名、もう寝てんのかと思った」
「花村が来ると思ったのでな。話をするんだろう」
晴れの昼休み、彼女は必ず屋上にいる。昼食後、短い睡眠を楽しむため、寝転がっても余裕がある大きさのレジャーシートまで持参していた。恐ろしい執念である。
文化祭後、振替休日を挟んで通常授業が再開された日。陽介は友達になった瑞月を探して、昼休みには教室を離れてしまう瑞月を探しまわった。せっかく交友を結んだのだから、陽介は瑞月のことが知りたくて、話してみたかったのだ。
そうして、屋上を訪れてようやっと瑞月を発見したとき、彼女はレジャーシートの上で眠っていた。
そのときのことを、陽介は今でも覚えている。瑞月は寝相がすこぶるよかった。手を腹の上で組み、仰向けで横たわったまま微動だにしなかったのである。いつも凛としている瑞月の寝姿は、童話に登場する乙女のごとく静謐だった。陽介が近づくとすぐに起きてしまったので、寝顔は遠目でしか見られなかったけれど。
「話をするのは問題ないが、必ず20分は寝かせてくれ」
眠りから覚め、軽く体を伸ばした瑞月は、自身の領域に初めて踏み込んだ陽介にそう告げた。以降の昼休み、陽介が訪れるたびに瑞月は眠りから覚めては、陽介のたあいない話に応じてくれる。
今日もまたそうだった。階段をかけ上った陽介に示すように、瑞月の手がポンポンと、レジャーシートの余ったスペースを示してくる。陽介は礼をいい、隣に座った。
「おっと、サンキュな」
「うむ」
これは陽介が初めて屋上を訪れた日から続いているやり取りだ。
ちなみに、初めてのときは異性の隣に座るのが気まずくて、陽介は瑞月の誘いを断ろうとした。しかし、瑞月が口を真一文字にして
「君は、制服を汚す気か?」
と低い声でおっしゃったので、圧に負けた陽介は素直に従った。陽介としては、瑞月に場所を用意させているようで申し訳ない気がするが、隣に腰を下ろしたとき瑞月が、うむ。と満足そうに頷いたので、良いことにしている。
「やーっと授業終わったなー。ハナシ聴いてる最中は退屈だけど、終わった後の開放感はサイコーだぜ」
「そうだな。しかし今日は幾分かマシだったのではないか? 諸岡先生の授業はなかったし、政経の山田先生の授業は面白かったと思うが」
「あー、それもそうだな。たしかにソレはちょっとオモロかったな。なんだっけ……今放送してる大河ドラマのうんちくとかだったっけ」
「ああ。あの口ぶりからすると、恐らくテストに出るだろうな」
「マジでっ!? うっわ、おぼろげに覚えてるだけで詳細が思い出せないんだけどッ!」
「落ち着け。私は覚えている。たしか──」
いつもの流れで、瑞月と陽介の雑談が始まった。もう日常の一部となってしまった、陽介が会話の発端を作って、そこから話を広げていくパターンだ。
友達になる前から予感はしていたが、瑞月はやはり、普通の女子高生とは離れた性質の持ち主だった。格好よく言えば浮世離れ、悪く言えば世間を知らない。
クラスにて評判だったお笑い番組の話題を出せば首を傾げ、流行の音楽については知らないと首をふる。陽介が最近追っかけている──お茶の間で人気急上昇中の──新人アイドル『りせちー』について話せば、「……『おせち』の亜種か何かか?」と本気で尋ねてくる始末だ。
「あまりテレビは見ないんだ」
その理由について、あっけらかんと明かした瑞月に、陽介は宇宙人を発見した気分を味わった。同時に内心で頭を抱えた。世間一般の女子高生と感覚が乖離した瑞月と、どうやって会話を続ければいいのか。
しかし、悩みは翌日、杞憂に終わる。
「花村、昨日言っていた『久慈川りせ』というアイドルだが、とても華やかで可愛らしいお嬢さんなのだな」
なんと、陽介が話題に出した『りせちー』の曲をネットで調べて視聴してくれたらしい。ここに陽介はコミュニケーションの糸口を得た。
瑞月との会話では、瑞月と陽介の身の回りの出来事を中心とし、時たま陽介自身の関心がある事柄を取り上げていこう、と。
ゆえに瑞月と陽介の会話内容は、陽介自身が好きなものや興味のある話題や、学校内で起こった出来事で構成されている。ときたま授業の内容について聞くことも珍しくなかった。陽介が分からないことがあると、瀬名は真摯に答えてくれるので、あんがい立派な雑談の種になるのだ。
そうして対話を続けているうちに、2人の口調は次第に崩れていった。瑞月は陽介の軽口にも的確なツッコミを入れるし、親しげに瑞月を『お前』と呼ぶことも許してくれた。
だが、やはりテレビやサブカルに触れていない相手となると、話題が尽きるのも早い。
今日はまさにそんな日だった。ストックしていたネタが尽き、このままではマズイと思った陽介は、なんとか無理矢理話題を捻りだそうとする。
だがしかし、狙ったかのようなタイミングで、瑞月は「時間だ」と宣言した。
彼女は上体を後ろに倒す。これから彼女は眠るのだ。常ならば、陽介はここで屋上を後にするのだが、今日はなぜか残っていたかった。
「瀬名ってさ、ほんとに、昼寝好きだよな」
「好きだとも。日本に昼寝の文化がないと嘆くくらいには」
「じゃあいっそ、海外にでも行くか?」
「それもいいな。こことは違う空気を感じて寝るのはきっと楽しいんだろう」
夢みるように、彼女は陽光の中でまどろんでいる。陽介の冗談に答える声はどこか真面目だ。昼寝に対して、瑞月はかなり執着している。
「おま、昼寝のために、国境越える気かよ」
「それだけの価値が、昼寝にはある。楽しまないなんて、もったいないぞ?」
瑞月が微かに目を細めた。一体、昼寝の何がそんなに魅力的なのか、陽介が密かに抱いた疑問に答えるように、瑞月は言葉を重ねる。
「温かい日差しを浴びて、ときに雨音を聞きながら、そよぐ風を感じながら、自分を労わる時間を無防備に楽しめるということは、とても贅沢なことだ」
しみじみとした実感がこもっている。自分を労わる時間とは、なかなか深いことを考えているものだと、陽介は感心する。
瑞月はその気になれば、昼寝の哲学まで語れるかもしれない。それはさておき、陽介は他に抱いた感想を、素直に告げる。
「……年寄り臭いぞ、お前」
「むっ、昼寝に失敬な。老若男女問わず、睡眠は大切な休息よ」
瑞月はちょっと眉をしかめた。しかし、怒るところが同年代とずれている。千枝あたりなら、『あたしはまだまだピッチピッチじゃ!!』と怒るだろうに、瑞月は『趣味の睡眠をけなされた』ととらえたらしい。
瑞月はジトッとした目を花村に向ける。それから、閃いたと言わんばかりに両手を叩いた。不思議がる陽介をよそに、瑞月はポンポンとレジャーシートの空きスペースを叩く。そこには人一人が寝っ転がれそうな空間があった。
「どうだ、花村も一睡。隣も空いている」
衝撃的な提案を瑞月は言い放った。どうやら陽介は、彼女の変なスイッチを押してしまったらしい。ザッとのけぞって、陽介は瑞月から距離を取る。
「ちょっ、なんでそうなるんだよ!?」
「昼寝の楽しさを、実際に体験した方が速いと思ってな。そうすれば、私も揶揄われまい」
「人来たらどうすんだよっ! こんなとこ見られたらまずいだろうがッ」
「安心しろ。私は耳ざとい人間だ。他の人間が来たら私が隠れる」
陽介はちぎれんばかりに首を振る。女子と同じスペースで昼寝なんて、年頃の陽介には刺激が強い案件だ。
「危機感はないんですかッ!? 女子としての危機感は!!」
「もちろん、不要な接触があれば制裁を下す。言っておくが、私は護身に心得がある」
「制裁って何だよッ。怖ぇっつの!」
「まあ、それは置いておくとして花村はウブだ。社会的な立ち位置もあるから、お互い大事には至らないさ」
「てめこのっ。悩み多き若人を弄びやがって……」
瑞月は昼寝が関わると非常に面倒くさいらしかった。謎めいた押しの強さで陽介に昼寝を進めてくる。
「まーまーそう言わずに」
バスバスと空きスペースを叩く瑞月。根負けした陽介は、渋々とレジャーシートに転がった。見上げた空は高く、青い。隣の瑞月が携帯をいじった。恐らく、タイマーをセットしているのだろう。
「アラームが流れるまで、目をつぶっていてくれ。不安や悩みなど、何も考えないようにすると、なお効果的だ」
陽介は固く目を閉じた。隣に寝転んでいるであろう、瑞月をなるべく意識しないように。彼女に言われた通り、思考をまっさらにしようと試みる。
それは奇妙な感覚だった。雑念を払うにつれて、身体の感覚がはっきりと鮮明化する。柔らかな日差しが陽介を包み込んで、身体がゆっくりと温められていった。
田舎特有の、清浄な空気につられて肺が自然に深く呼吸した。身体が新鮮な酸素で満たされていく。昼間の緊張で固まっていた身体から、次第に力が抜けていく。
隣にいるであろう、瑞月の存在もすぐに気にならなくなって、ただただ陽介はまどろみに身を任せた。
まるで暖かな波の中にいるような、安らぎが陽介を包みこむ。
長い長い静けさが、アラームによって終わりを告げる。陽介はゆっくりと瞼を開けた。
青空が眩しい。昼寝をする前より、意識がくっきりとしている。身体も心なしか軽かった。『自分を労わる時間』という瑞月の言葉は大げさではなかった。隣の瑞月が陽介の表情を伺っている。
「どうだろうか」
「……案外、よかった。頭すっきりするし、ココは静かで、陽の光もあったけぇし」
「そうか、昼寝への理解者が増えて、私は嬉しい」
瑞月は何度も頷く。満足気な瑞月に、まっさらになったはずの陽介の心の中が陰る。ジワリと黒いインクがにじんだような猜疑によって。
「ん? どうした花村。浮かない顔をしていると見える。もっと長く昼寝をしたかったのか?」
「あのさ、瀬名。もしかして、俺って……邪魔?」
瑞月が唇を引き結んだ。陽介はハッとして、自身の口を抑える。だが、失言はどうやっても取り消しが効かない。
瑞月は誰に何と言われようと、昼寝の時間が大切なのだろう。昼寝を終えた陽介に見せた、彼女の満足げな仕草が詳細に物語っている。
だからこそ、瑞月の楽しみにしている時間を奪うように屋上を訪ねていた自身の振る舞いが、陽介は申し訳なかった。
思い至らないだけで、陽介は他にも瑞月に迷惑をかけていたかもしれない。自分ばかり喋って、あまつさえ彼女が関心のないアイドルの話題も振って──わざわざ瑞月に話題を合わせるように仕向けたようでもある。
『俺って……邪魔?』
先ほどの発言は。
陽介との関りが、瑞月に余計な気を使わせ時間を奪っているのではないか? という疑惑が、口をついてしまったのだ。
振り返ってみれば、あまりに女々しい質問だ。「そんなことはない」と、「陽介は邪魔ではない」と解答されたい意図が見え透いている。とんだウザったい発言に、目の前の瑞月も呆れたように黙ってしまった。血の気がさっと引いて、陽介はあたふたと両手をばたつかせる。
「う、ウソウソウソ! ちょっと寝不足でセンチな気分になってて、嫌なコト思い出しちまっただけだから」
「……君は、他の人間に『邪魔だ』と、もしくはそれに準ずる言葉か行動を示されたのか」
予想だにしないデッドボールが鳩尾に命中した。思わず「あ……ぐ……」と呻いて陽介は胸を抑える。思わぬところで墓穴を掘ってしまったと陽介は絶望した。これでは本当にイタい人になってしまう。
何か、何か弁明を、と陽介の頭の中で思考がぐるぐるする。けれど、何も言えない。瑞月の視線が怖い、陽介をどんな風に見ているのか知るのが怖い。陽介自身が邪魔ではないという否定ができない。
なぜなら、陽介が、他ならぬ陽介自身が、自分のこと少なからずそういう風に、思ってしまっているから。
八十稲羽に来てからというもの、陽介は自分自身が異物であるような感覚がぬぐえない。『ジュネスの店長の息子』だからと、どこに行っても向けられる、粘つくような好奇の視線。群れる人々から遠巻きに聞こえる重く沈んだ囁き。普段は何とはなしにやり過ごしている。
しかしふと、孤独感を覚えてしまうのだ。自分を遠巻きにあざ笑う人々に囲まれて、まるで泥の中に沈められるような、息が詰まる孤独を。自分が邪魔なのではないかとすら、陽介も思ってしまう。
座っていた瑞月が、腰を持ち上げる。呆れられたかな。と陽介が自嘲的な笑みを浮かべた、そのとき。
「それが学校の人間ならば、昼休みくらい、こちらに来たらどうだ。匿うくらいなら、私とてできる」
濁った思考に、光が差したような気がした。
瑞月が何と言ったのかは分からない。けれどそれは、少なくとも陽介を貶す意図の発言ではなかった。
「え……?」
陽介はおそるおそる顔を上げる。瑞月はレジャーシートの上に正座して、陽介に身体を向けていた。いつもと変わらず澄んだ紺碧の瞳は——心なしか、心配の色を宿している。
陽介は遅れて、瑞月の言葉を理解した。彼女は、陽介を案じてくれたのだ。
「さすがに、花村のバイト先に関して、私ができることはないが。過度なものでなければ愚痴も聞く。話したくないのなら、ここで昼寝をして休んだっていい。……睡眠不足は恐ろしいからな」
呆ける陽介をよそに、瑞月はわなわなと体を震わせた。寝不足が堪える体質なのか、人付き合いで常に冷静な頭の一部が捉える一方、陽介は瑞月について分りかねていた。
「邪魔じゃ、ないのか?」
「何が」
「俺がこうして、お前のところに来ること」
ずるりと、棘のある言葉が、陽介の喉を突き刺しながら吐き出される。すると瑞月は、それをどこかに払うように、即座に片腕を胸の前で振った。
「邪魔ではない。もし君の行動が鬱陶しいと思ったのなら、私はどこが不快なのか指摘する」
「で、でも、俺はお前の昼寝の時間、邪魔してるし」
「『必ず20分は寝かせてくれ』との約束を、君は破ったのか? 私はそれだけ眠れば十分だ。 あまり寝すぎても体調に差し障るのでな」
「会話とかも、俺がしゃべってばっかだし」
「それの何が悪い? むしろ、野暮で気の利いた返答もできない私と10分以上も会話を続けられる花村に、私は新鮮味と驚きを感じている。私が知らない事柄についても、面倒がらずに説明してくれるではないか」
卑下に走る陽介の道筋を、ことごとく瑞月は潰していく。じわじわと温かいものが胸に満ちていって陽介は押し黙ってしまう。
打って変わって静かになった陽介を、瑞月は口元に指をあてて観察していた。
「それとも君は……流行に疎い私との会話が退屈か? それなら——」
「そ、そんなことねぇ!」
謝罪がつづくであろう瑞月の言葉を封じ込めるように、陽介は大声で答えた。瑞月といる時間が退屈だなどと陽介は思ったことがない。
本当に、思ったことはないのだ。
「おれのくっだらねー失敗談を笑わずに真剣に心配してくれたの意外だった! 知らなかったのに、わざわざ俺が気になってるアイドルのこと調べて話してくれたこと嬉しかった! なんなら何も喋んねーで昼寝したサッキだって楽しかったよ! 昼寝があんな気持ちいいなんて知らなかった!」
「お、落ち着こう花村。声が大きい人が来る」
驚きに上ずった声で、まくし立てた陽介を瑞月はなだめようとする。あっと、陽介は片手で口をふさいだ。思ったよりも興奮していた自分が意外だった。
落ち着いた陽介を確認すると、瑞月は再び穏やかに口を開く。
「ならば、ここにいるときは、花村の好きにすればいいだろう。昼寝をするもよし、私に話しかけるもよし」
ただし、と彼女の口調が真剣みを帯びた。一体何事かと、陽介は背筋をただした。
「『必ず20分は寝かせてくれ』。この約束と、対人マナーを守ってくれれば私は何もいわない。私もマナーを守るように心がける」
「…………ブフッ、おま、おま……そ、そんな、こと、どんだけ寝たいんだコアラかよ」
「私はいたって本気なのだが」
さも、破れば不幸が起こるとでも言いたげに、彼女は人差し指を立てて神妙な顔をしている。こらえきれず、陽介は噴き出してしまった。大声を立てないようにしているだけ、評価してほしい。
「とにかく、花村がどこにいたいか、誰と過ごしたいかは、花村が決めればいい。花村の行動が私を害するようであれば、私も遠慮なく抗議する。逆もしかり。それだけのことだ」
「……なんか、そうゆうとこすげーよなぁ。瀬名って、まっすぐっつーか。自分で決めたいこと、決められて」
「何を言っているんだ。花村」
瑞月が凛と、陽介を見つめる。そして、手練れの兵士のように鋭い眼光で陽介を射抜いた。
「決められないことなんて数多とあるからこそ、せめて選べるものを大切にし、手にできる選択肢を増やすよう努めるのだろう」
それは笑い飛ばせないほどに。
あまりにも、実感のこもった言葉だった。
凛と澄んだ瞳を前に、陽介は返す言葉を持たなかった。瑞月に返せるだけの対等な言葉を、陽介が持っていないような、そんな気がしたのだ。
「なぁ、瀬名」
「どうした、花村」
「俺、また、ここに来てもいい?」
許しを請うような心地で、陽介は問うた。それなのに、瑞月は友人の気軽さで答える。またねと手を振りあう、親しい友人に答える調子で。
「来たいかどうかは、花村が決めることだ。君の友人である私は、構わないとも」
花村、という瑞月の呼びかけに陽介は我に返った。瑞月が、身に着けた腕時計を陽介に示す。時計の針は13時の10分前を指している。
「私は片付けがあるから、あとから行く。そろそろ、予鈴が鳴るはずだ」
「あ、ああ、じゃあまたな」
瑞月の言葉にしたがって、陽介は屋上を後にした。道中で、瑞月とともに過ごした昼休みを思い出す。
隣に人がいながら、安心して眠った自身が意外だった。
(あんな、静かでもいいんだ……話したくなかったら、話さなくっても)
陽介は、髪をさらりと梳いてみる。髪の毛の一つ一つが、まだ屋上の日向のあたたかさを覚えていた。
陽介は普段、クラスではお調子者で多弁な人間として過ごしている。そうして人の関心を集めないと怖いのだ。自分が孤立してしまうかもしれないから。
(だって俺は、この街にとって”招かれざる客”みたいなもんだし……)
ただでさえ、『ジュネスの店長の息子』として、ありもしない風潮にさらされる日々だ。纏わりつく好奇の視線をやり過ごすために、処世術である軽薄な笑顔の仮面はさらに厚くなっていく。
(だけど、アイツの前じゃそうしなくても良かった)
ふと、陽介はまぶたを閉じる。レジャーシートの上で、律儀に正座した友人の姿が思い浮かんだ。記憶の彼女は、心配そうに目を細めている。
瑞月は仮面の有無にかかわらず、そばに居てくれた。陽介が隣で寝ること、静かになることを嫌がらなかった。やかましく喋る陽介も、ただ静かにしている陽介であっても、瑞月は隣にいることを許したのである。
普段は人を寄せ付けない氷のような空気をまとっているのに、人を案じる温かな情を持ち合わせている。
(本当に、アイツって変わってんな……)
けれど、陽介は彼女のことが嫌いではない。
教室に戻ると、千枝が「どこ行ってたのー?」と声をかけてきた。「秘密」とふざけて言うと、千枝は何言ってんだと白けた目を陽介に向けた。ここぞとばかりに、陽介は大げさに抗議する。
「んだよその顔ー。男の子にはな、秘密が多いんだぞ?」
「いやいや、男子が“ミステリアス”って売りにしてんの初めて見たわ。……つか、あんたは三枚目芸人枠でしょ?」
「お、おいっ。ひでぇな!」
いつも通りの軽口の応酬。普段と変わらない、千枝とのいつものやりとりだ。けれど、ジャージの襟に隠れて、千枝が二ッと笑った気がした。
「でもまあ、元気そうでよかったよ。……なんとなくだけど」
「……へ?」
「なーんでもないって。はい、話終わり!」
千枝が軽やかにターンを決める。そのままパタパタと、別の友人グループの下に飛んでいった。
フリーになった陽介を誰かが「花村ー」と呼ぶ。振り返ると、クラスメイトの一条がさも面白げにニヤついている。
「いよっ、ミステリアス三枚目文化祭活躍王子」
「わけわからんくらい長いわ! どこの国のプリンスだよ!」
その賑やかさにつられてか、どやどやと人が集まってくる。文化祭の一件から、陽介には友人も増えた。だからこそ、いつものお調子者に戻る。他人に見せる人受けのいい多弁な『花村陽介』に。
陽介は思う。自分は賑やかな方が性に合っていると。
そうやって、騒いで笑った方がみんな受け入れてくれるし──なによりも、“何も見せない”方が、楽だから。
だけど、と陽介は思う。
屋上のひととき────瑞月のそばで眠ったことを思い出す。
どこまでも広く、青く広がる大空。白んだ日の光が、じわじわと肌をあたためた。吹きわたる、清浄な風が身体のよどみを流しさっていく。ただ寝ているだけなのに、心地よさのさざ波に魂が洗われるような感覚。
そうしてむき出しになった────”素”の陽介を、自分でも受け入れたくない弱さを受け止めてくれた、泉のように深い碧の瞳。
あの碧い目は、決して目を逸らさなかった。
道化の仮面を被っている陽介にも。
そうでない、弱くて寂しがり屋の陽介にも。
ただただ、どちらのそばにもあり続けた。まるで、太陽を失った夜空を、あまねく照らす月のように。
陽介はさら、と髪を梳いた。日向のぬくもりはまだ残っている。
ウェーイっと、男子高校生らしいバカ騒ぎが満ちた教室に、白蓮が咲く。屋上から戻ってきた瑞月だ。丈長のパーカーを翻し、彼女はまっすぐに自席に向かう。けれど、ほんの一瞬、瑞月は騒ぎの中心にいた陽介に目を向けた。
瑞月はふっと笑った。陽介の呼吸が一瞬止まる。
碧い瞳が──屋上でのひとときと同じく──ただ鮮明に陽介を映した。
不意に、陽介は窓の外を盗み見た。一点の曇りもない紺碧の空に、白く輝く太陽が座している。これだけ晴れているのなら、きっと明日も晴れるだろう。
明日の晴れた空を思い浮かべながら、陽介はその下で眠る自分と瑞月を思い描いた。
お読みいただき、ありがとうございました。
少し長くなってしまいましたが、その分、読者さまが楽しめたならいいな。と思います。
これ以来、花村はオリ主のいる屋上にせっせと足を運ぶことになります。