Lotus in the mud   作:十志 佐都

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 閲覧ありがとうございます。

 それでは本編。恐らく作中で最大のシリアス。


距離 前編

11月19日

 

 タンタンタンと、ステップを踏むように軽やかな足音が近づいてくる。足音は迷いなく、瀬名瑞月の下へ一直線に向かってきた。水道管が埋め込まれてある段差を乗り越えて、屋上の秘された場所で足音は止まった。上機嫌な声が屋上に響き渡る。

 

「おーい、瀬名ーー!!」

「声が大きい、花村。そんなにしなくとも聞こえている」

 

 上機嫌な声の主——花村陽介の呼びかけに、瀬名瑞月はレジャーシートから身体を起こした。陽介とは対照的に、瑞月は不機嫌に応じる。眠りを邪魔された苛立ちとは別な、辟易した感情がそこには込められていた。

 

 瑞月にとって、屋上は特別な場所だ。騒がしいクラスから離れて、ひとときの静けさを堪能しながら眠りを楽しめる休憩所。クラスメイトに知られたくないという願望もあいまって、陽介には大声を出さないよう要望している。しかし——

 

「一昨日も言ったはずだが? 昼休みは屋上で大声を出さないでくれと」

 

 どういうワケか、陽介は瑞月との約束を守れていない。しかも、今日だけではなかった。彼は、その数日前も同じ失敗をやらかしているの。

 

「うえっ? ごめん。ぜんぜん無意識だった」

 

 陽介は口元を押さえこむ。それから、ポリポリと困った様子で頭を掻いた。察するに、まったくの無意識だったらしい。瑞月はひとつため息をついた。

 

 ポンポンと、瑞月はレジャーシートの隣を叩く。座れという無言の圧である。陽介は、「サンキュ」とはにかんで空きスペースに腰を下ろした。やはりおかしいと、瑞月は思う。

 

 具体的に言うと、落ち着かない。大声を出したと思うと、瑞月の隣で妙にそわそわしている。最近は、瑞月の横に座ろうと自然体でいられるようになったというのに。

 

「あ、そうだ。お詫びってわけじゃないけど、コレやるよ」

「ああ、ありがとう」

 

 瑞月は陽介が差し出した『やそぜんざい』を受け取った。が、彼の顔に、いつもの世話焼きの笑みはなく、気が抜けたようにへにゃりと笑う。そのまま会話に移るが、陽介はどこか上の空だった。なので、瑞月は思い切って問いかけることにした。

 

「花村、バイト先で何かあったのか? 心ここにあらずのようだが」

「へ……な、なんもねーけどっ?」

「ダウトではないか。肩を盛大に跳ねさせて、何を言っている」

 

 分かりやすく、陽介の頬が上気した。物珍しい反応を、瑞月は目ざとくも見逃さない。

 

 陽介は隠し事が上手い人間だと、瑞月は理解していた。嫌な出来事(おもにバイトで)があったとしても、賢い彼は上手くごまかしてしまう。

 といっても、2か月ほど共に過ごしていれば、相手の些細な変化にも気が付くようになる。ゆえに、瑞月は陽介の不調を見抜けるようになっていた。

 

 そして陽介が辛そうだと判断した場合、瑞月は何も言わない。ただし、話に乗る、隣で寝るように誘導する、手持ちのお菓子をそれとなく渡すなど、さりげない方法で陽介を休ませている。直に問わないのは、陽介の心情を汲んでいるからだ。

ならばなぜ、今回は問いかけたのか。

 

「それで、何があったんだ? 私でよければ、話を聞くが」

「いや、その何もねーって。ほんとにっ、ダウトじゃなくホワイトですからっ」

「ペンキで塗りたくったようなホワイトだな。乾いていないなら、剥げるのも時間の問題とみえる。一回手を止めて頭のなかを整理することを勧めよう」

「ホワイトって、そもそも始まってもいねーから! って、あ……」

 

 冷静な瑞月の問いに反して、陽介の答えは慌ただしい。下手くそなパントマイムみたいな動きで隠そうととしたすえに、馬脚を現した。陽介はサッと、青くなった顔で口元を隠す。

 しかし、いまさら何をしても遅いのである。瑞月はすべてを見ている。陽介はみるみると赤く頬を染めた。

 

「なんだよ。そんなバレバレだったんかよ。瀬名ってもしかして、エスパー?」

「うーん。屋上で無意識に大声を出したりしているようでは説得力がないなぁ」

「『したり』って何!? 俺、そんなオモテに出てたっ!?」

「そういうところだ。落ち着け。ほら、チョコレートだ」

「俺、ガキかよ!」

 

 すねた陽介が瑞月を睨みつける。しかし、瑞月は澄ました態度を崩さなかった。

 

 しぶしぶと陽介はチョコを受け取る。乱暴に包み紙を解いてチョコを頬張ると、一転して花を飛ばすような笑顔になる。陽介の純真とも言える素直さが、瑞月の中である人物とダブって、好ましい。

 

(『おかあさん』と似てるな)

 

 おかしくなった彼の態度が、瀬名家の母とそっくりだったからだ。瀬名家の母は大の夫好きである。彼女が夫について話そうとするときの、聞いてもらいたいという気持ちが抑えきれず、体から漏れだす独特のしぐさ。陽介の挙動はそれと似ていた。ゆえに陽介が、異性関係の問題を抱えていると推測できた。

 

 そして瑞月は、そういう人を落ち着かせる方法をよく知っている。

 

「まぁ、話したくないなら無理強いはしない。君の色恋について知ったところで、私は何もしないしな」

「いや、話振ったのお前だろうよ……」

 

 若干、陽介は傷ついたように眉をななめにする。しまったと、瑞月は舌を止めた。どうやら言葉が足りなかったようだ。

 

 瑞月は話すのが下手だという自覚がある。冗談も話せないし、場の空気を盛り立てるような司会能力は皆無。

 何よりも、流行への疎さや古めかしい価値観、華やぎにかける趣味嗜好もあいまって、自分をさらけ出すカジュアルな会話は特に苦手意識がある。

 

 だが、それ以上に瑞月は親しい人間が傷つくのが苦手だ。

 

「恋愛は、面白がってするものではないだろう」

 

 ゆえに、苦手なりに言葉を紡ぐ。

 

「君の色恋について、私が知ったところで何もしない。なにかアドバイスを求めてこない限り何も言わないし、誰に話すこともない」

 

 陽介が驚いたように目を丸くした。瑞月の意図を理解したらしい。つまり、陽介が何を言おうと口外しないと、瑞月は伝えたかったのだ。ポリポリと、陽介は頬を掻いてはにかむ。

 

「なんつーか、ありがとうな。心配……してくれてるみたいで」

「このまま屋上で騒がれるのが嫌なだけだ。礼はいらない」

 

 陽介はふっと、甘く垂れた目元を緩める。あったかいような、まぶしいような奇妙な視線にくすぐられて瑞月は顔をそらす。

 瑞月は陽介の友達である。ゆえに調子がおかしいのなら、平常を取り戻すよう手助けせねばならない。瑞月は友人としての義理を果たしたまでだ。

 だから、陽介の感謝が分不相応な気がして照れくさかった。

 

「瀬名、なんで顔逸らすのさ? もしかして……眠い?」

「ほう。きみは私に話を聞かず眠ってほしいのか。恋煩いをこじらせて、行動がおかしくなっているというのに」

「こっこっこっ、こいとか、はっきり言うなし……!」

「こじらせすぎて烏骨鶏と化しているではないか」

 

 情けない声を上げているというのに、陽介はなかなか話そうとしない。往生際が悪いと、瑞月は無言で陽介を睨みつけた。無言の圧に反応した陽介が、大きな体をチワワのように跳ねさせた。ようやっと観念した彼は一息つく。

 

「俺さ……気になる人、できたんだ」

 

 赤く染まった目元を、陽介は擦った。とつとつと、たまに幼さの滲む口調で彼は語り始める。

 

 

 陽介の気になる人(好きな人と言うと、どもって話が一向に進まなくなった)は、八十神高校の2年生、つまり、陽介たちより一つ上の先輩らしい。

 

「初めて会ったのは……文化祭でさ、転校してきた俺のこと気にかけてくれたんだ。その人俺がジュネスの息子だって知ってたのに」

 

 陽介は、懐かしい目でそう語った。 

 

 2人が再会したのは9月11日。この日初めて、陽介は彼女がジュネスのアルバイトだと知ったらしい。シフトが重なった陽介に、挨拶しておきたかったのだと言って、彼女は笑いかけた。亜麻色のウェーブがかかったロングヘアと、つぶらな瞳という儚げな容姿とは裏腹に、こざっぱりとした芯の強そうな笑みが印象的な女性だったという。

 

 2人はシフトが重なる機会も多くなって、互いに打ち解けていった。その時間のなかで、陽介は彼女の人柄に惹かれていったという。

 

 ジュネス開店当初からバイトに参加していた彼女は、真面目で、仕事もできた。床の清掃もきれいに仕上げるし、商品の陳列も素早く正確にこなす様子はかっこよかったと、熱烈に陽介は語った。

 

「バイトに対してもさ、将来への投資っていうんだよな。小遣いのために働こうなんて考えてる俺とは全然違ってさ」

 

 自分より大人びた考え方を持つ彼女に、陽介は憧れを抱き──気がつけば目で追うようになっていたという。

 

 端から聞いていた瑞月は確信した。花村は(本人は濁しているが)、その人に異性として興味を向けていると。それを瑞月は複雑な心境で聞いている。

 

(友人が好い人を見つけたというのは、喜ばしい出来事なのだろうがな)

 

 しかし、瑞月は喜べない。嬉しそうに話す陽介の隣で、不安と気がかりが瑞月の胸にもやもや沸き上がっていた。例えるなら、怪しい雲行きに家族の出立を心配する、母親のような心情である。

 

 問題は、陽介が好きになった相手だ。陽介がかの人の名前を口にしたときから、瑞月は心から陽介を応援する心持ちにはなれなかった。彼女と付き合った場合に、陽介とその相手が背負うであろうリスクを知りながら応援してしまうのは、あまりにも無責任だ。

 

「花村、その……君が気になっている人の名前を、もう一度教えてくれないか?」

「それ、普通聞き返す……? てか、最初に言っただろ」

 

 照れ臭そうに、頬を染めた陽介が渋る。だが、瑞月の真剣な様子を汲み取ったのか、渋々と口を開いた。風にかき消えそうな照れた声であっても、瑞月は聞き逃さない。

 

「小西先輩……名前は『小西早紀(さき)』」

 

 こにしさきさん、と、瑞月は音にせず繰り返す。やはり、と瑞月は覚悟を決めた。友のため、瑞月は友を試すと決めた。小西先輩について語り終えた陽介は、身につけたヘッドフォンのコードを弄んでいて、いかにも楽しそうだ。

 だが────瑞月がしようとしているのは、それをぶち壊す行為だった。

 

「花村、少し……話がある。きみの心に留めておきたい話だ」

 

 瑞月は真面目に陽介へと告げる。友のただならぬ様子を察してか、陽介はコードをいじる手を止めた。そして、瑞月の真剣な様子に、彼女の顔を不思議そうに見つめる。




 お読みいただき、ありがとうございました。明日へ続きます。
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