Lotus in the mud   作:十志 佐都

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 前回、オリ主に謝る決意を固めた陽介ですが……?


初恋と相談 前編

 11月20日 土曜日 放課後

 

 雨の日のアルバイトは空気が湿っぽく身体にまとわりつく上に、仕事も増えて気分が重い。しかも、陽介の心に落ちたくらい影が、いっそう気分を落ち込ませた。

 それでも、なんとか品出し作業を終えた陽介は、酷使した身体をほぐしながら従業員控室へと向かう。片開きドアに手をかけながら、礼儀として一声かけた。

 

「お疲れーっす。入りまーす」

 

「はーいどうぞー」と、小さいボリュームでも、よく通る声がした。返答の主は、陽介が知っている人だ。いつもならば、浮き立つ胸を抑えながら、何もない体を装って休憩室に入っていただろう。けれどもある一件で落ち込んでいる陽介は、「失礼しまーす」と貼り付けたように明るい声を絞り出す。開き慣れたはずのドアなのに、今日に限って軋む蝶番が耳についた。

 

 先にいた人は陽介の予想通りの人物だった。彼女は、パイプ椅子に腰かけて背もたれに身体を預けている。折り畳み式の長机には中身が減ったペットボトルのお茶と、焼き菓子が詰められた紙箱があった。彼女は陽介に気が付くと「おーす」とゆるく手を振る。

 

「先輩、お疲れ様っす。どうしたんすか、その真ん中にある菓子」

「花ちゃんおつかれー。パートの吉田さんが持ってきてくれたんだってさ。種類あるから、早い者勝ちだって」

「あーそうなんすか。俺は後でいいかなー。今甘いものって気分じゃないし」

「なに、花ちゃんってばダイエット? 力仕事してるんだから、食べなきゃ体力つかないよ。ただでさえ細いんだから」

「うわ痛いトコ、突かんでくださいよ」

 

 彼女──小西早紀先輩はくすくすと笑う。出会って間もないけれど、砕けた口調と気さくさを持った親しみやすい雰囲気の持ち主だ。陽介ともすぐに打ち解けて、いまやタメ口と崩れた敬語で話せる仲である。

 

 そして、陽介にとっては気になる異性でもあった。ただ、その気持ちが許されるものなのか、陽介は分からなくなってきているが。陽介は、小西先輩から斜めの位置にあるパイプ椅子に腰を下ろす。

 

 常ならば、取り留めない雑談で笑いあうところだ。けれど、ある事件──瑞月を傷つけた一件が尾を引いてか、内容が思い浮かばない。不調を悟られてはならないと、陽介が会話を回していると小西先輩が不意にコテリと首を傾げた。

 

「花ちゃん、なんかあった?」

「え……」

 

 つぶらな瞳で、小西先輩は陽介を見つめている。陽介は目線をさまよわせる。先ほどまで作業していた食品売り場でも、パートの人から不調を言い当てられることはなかった。図星を突かれて動揺する陽介に、小西先輩は目の前にある焼き菓子の詰め合わせを指さす。

 

「お菓子、ぜんぜん取らないから。花ちゃんだったら、なんだかんだ言いながら一つくらい取っていくでしょ」

「あ、いや……イマは腹減ってないっつか」

「品出しで身体動かしてきたのに?」

「そ、それは、ええと……」

 

 小西先輩の指摘は鋭い。昼を総菜パンなど軽めの食事で済ませる陽介は、休憩室で何かつまむ機会が多い。夕方のシフトではお腹が空いてしまうから。差し入れがあった場合は、遠慮なくごちそうになっていた。

 

 痛い場所を突かれて口ごもる陽介に、小西先輩は気安く笑いかける。

 

「まぁ、私も偶然『変だなー』って思っただけなんだけどさ。そういう不調って黙ってるとだんだんボロが出てくるから。早く回復してもらったほうがいいかなーって思ったのよ」

「先輩ッ……」

「最近花ちゃんとは、シフト一緒のこと多いしね。ミスされたらめんどいし」

「先輩……」

 

 期待に膨れた陽介の心は、一瞬にしてしぼんだ。純粋な思いやりとかではなくて、アルバイト仲間としての心配だった。陽介の心中を知ってか知らずか、小西先輩はニコニコとしたまま、一言も喋らない。話してみろということなのだろう。

 

 ──でもなんだかんだ言って、気にかけてくれてんのは優しいよな。

 

 小西先輩は笑顔で沈黙のポーズを続けている。陽介は重々しく唇を開く。小西先輩の厚意に甘えることにしたのである。

 

「友達とケンカ? しました」

「なんで疑問形? というか、花ちゃん友達いたんだね」

「人をボッチみたいに言わんでください! クラスには割と友達いるからね!?」

 

 椅子から立ち上がり抗議する陽介にむかって、小西先輩は誤解を解こうとするかのように胸の前で掲げた手を振った。

 

「ごめんごめん。言葉が足りなかったね。そういう風に、ケンカしたことを真剣に悩むような、仲イイ友達がいたんだーって。」

「ああそういう……。そっすね。先輩の言う通り、ダチの中でもソイツとは一番仲いいかな」

 

 抗議をやめ、陽介は続ける。陽介が瑞月を一番仲のいい友達だと認識しているのは事実だ。話せば面白いし、しかも2人して黙っていようと居心地は悪くない。人目を気にしてやかましく騒ぎ立ててしまう陽介が無理をせず、力を抜いた状態で傍にいられる稀有な友達。だからこそ、傷つけてしまった件で悩んでいる。

 

「……で、ソイツ、俺が一方的に地雷ついて怒らせちまったみたいなんで。ケンカって言っていいのか分かんないんすよ」

「じゃあ、花ちゃんが謝れば終わりでしょ。どうしてそんな悩んでるの」

 

 片眉を下げる小西先輩に対し、陽介はつまびらかに──小西先輩へのノロケは上手くごまかして──事情を陳情する。ちなみに、ケンカ相手である瑞月が女子だと告げると、小西先輩は驚いて口元を隠していた。

 

 瑞月を傷つけた昼休みから、有効な謝罪はできずに丸一日が経過していた。もちろん何もしなかった訳ではない。父親から励ましを受けた陽介は、手を尽くして謝罪の機会を得ようと試みた。だが、手ごたえがまったくと言っていいほどないのだ。

 

 当日の夜、メールで謝罪を送った。しかし、瑞月からの返信は──

──『しばらく、一人にさせてほしい』

 ディスプレイに表示される素っ気ない文字列と、大部分の空白の圧に、陽介の不安が濃縮された。

 

 次の日──つまり今日の20日である──瑞月も陽介も普通に登校していたのだが、瑞月は普段以上に飄々として教室にとどまらなかった。

 頼みの綱である昼休みも、撃沈。天候が雨であったゆえだ。昼寝好きの瑞月とて、雨の日は屋上に行かない。空き教室で寝ているという瑞月の証言を頼りに探し回ってみるも、両手で数えきれないほどある空き教室を探し回っても彼女は見つけられなかった。ステルスじみた潜伏能力である。

 

 結局、陽介は瑞月に謝罪もできていないし、ケンカした日に置き去られたレジャーシートも返せていない。瑞月のレジャーシートは、陽介のショルダーバックの中へ、場違いに収まっていた。

 

 話を聞き終えた小西先輩は、瞳を閉じて頬に片指を当てていた。降ろされた瞼は重く、難色を示している。

 

「花ちゃんはその子から、ケンカして避けられてるってことね? ちゃんと謝ることもできてないと」

 

 小西先輩の指摘は耳に痛いが、事実だ。口にすると不甲斐なさが浮き彫りになって落ち込む。けれど、相談を持ち掛けている以上話さなければ始まらない。おとなしく首を縦に振った。

 

「避けられるヤラカシをしたのは、変えられない事実なんすけどね。でもそれにホッとしてる自分がいて。それがまた情けなくて」

「……なんて謝ればいいのか、分かんない?」

 

 おそるおそる、陽介は頷く。

 

「ただ『ゴメン』って謝るだけじゃ、アイツに対してちゃんと謝ったことにはならないと思って。あいつがなんで傷ついたのか、ソコを踏まえてないと」

 

 瑞月の、悲しそうに歪んだ面差しが陽介の脳裏をかすめる。陽介の不用意な発言で、瑞月を傷つけた。ならば謝らなければならない。けれど、生半可な謝罪では、傷ついた瑞月の心にはきっと届かないだろう。陽介だって、大切な友人である瑞月に対して軽率な謝罪で済ませたくはない。

 

 陽介はきっと、瑞月が大切にする価値観を軽い言葉で踏みつけてしまったのだ。けれども、瑞月が何に傷ついたのか見当もつかない。

 陽介はそれまで当たり障りのない人付き合いしかしてこなかった。多少のやらかしはゴメンと告げれば許してもらえるような、浅い人間関係しか経験してこなかった自分が腹立たしく、情けない。

 

 陽介は片手で乱暴に頭を引っ掻きまわす。謝り方すら満足に思いつかない自分に、不甲斐なさが積もってため息が出そうだ。

 

 目の前にいた小西先輩は、自身の髪の毛を指先に巻き付け始めた。長々とした陽介の愚痴に飽きてしまったのも知れない。

 

「わたしね、癖っ毛なんだ」

「は?」

 

 唐突に、小西先輩は自身の髪について語りだす。虚を突かれた陽介を、にこりと笑顔で制して小西先輩は先を続けた。

 

「幼い頃とかはもっとひどくて、伸ばしたくても絡まっちゃって整えるのが大変で……、梳かすの苦労したっけな」

 

 キレイな亜麻色の髪を、小西先輩はピンピンと引っ張る。細やかなウェーブがかかったそれは、強制されたにも関わらず元の形を取り戻した。

 

「でも、先輩の髪、俺はいいと思うけどな。ふわふわしててカワイーっつか」

 

 素直に陽介の本心である。長い髪は女性らしく、綿毛のようにふわふわとして質感が儚くて、嫋やかで守ってあげたくなるような印象がある。

 自身の髪を褒められたというのに、早紀の表情に変化はなく、フラットな笑顔のままだ。

 

「はは、ありがと。でも、その『カワイー』を維持するために、いろいろと手間がかかってるのよ。ブラシ毎日かけなきゃいけないし、シャンプーとか髪に塗るものだってちゃんと選ばなきゃいけないんだから」

「そ、そうなんすか。女の人って大変ですね」

 

 小西先輩の並々ならぬ勢いで語られる、髪への地道な努力に陽介は気圧される。すると、早紀は一転して真剣な眼差しで、陽介の発言に食い下がった。

 

「そうよ。女の子は大変なの。ちゃんと変に見られたりしないように、いろいろ地道な努力を重ねてるの。花ちゃんがケンカしちゃったっていう、友達だってそうなんじゃない?」

「え?」

「花ちゃん、友達に『何でもできる』なんて言ったんでしょ? 『何でもできる』ように見えて、本当は裏でイロイロ頑張ってるのかもしれないよ。本当にその子は『何でもできる』の?」

 

 思いきり肩を揺さぶられたような心地がした。衝撃を受けた脳からポロポロと瑞月と過ごした記憶のピースがこぼれて弾ける。

 

 文化祭の前、無理やりパンフの作成を手伝ったとき、人を頼りにするのが下手だという陽介の指摘に瑞月はバツの悪い顔をした。屋上で話すようになった彼女は、テレビに疎かった。迷子になった妹の佳菜を心配しすぎて、佳菜をシオシオにするまで叱って(?)いた。千枝や雪子と話したとき、2人の勢いにのまれかけて戸惑っていた。

 

 『なんでもできる子』ではなかった。瑞月は、得意もあれば不得意もある、陽介と変わらない、同年代の女の子だった。

 

 思い返せば、彼女は他人に自分が負った苦労を見せたがらない人間だった。山のようにある文化祭のパンフを作ろうするときも、文化祭で出た膨大な量のゴミを捨てようとするときも、瑞月は隠れて一人で済ませようとしていた。

 

 瑞月に関する単純な事実を、陽介は見失っていたのだ。

 

「先輩」

「どしたの、神妙な顔になっちゃって」

「話、聞いてくれてありがとうございました。俺、ちゃんとアイツに謝れそうです」

 

 陽介は小西先輩に向って頭を下げる。顔を上げると、小西先輩は明るくさっぱりとした笑みを浮かべた。

 

「うんうん。いつもの花ちゃんだ。辛気臭いツラで仕事されたら、私だってクサクサするしね」

「いや、ホント。俺だけで悩んでたら、絶対何にもわかんなかっただろうから先輩にアドバイス貰えてよかったっす」

「そ。花ちゃんって私の弟に性格が似てるからさ。軽いように見えて、真面目でウジウジ色々考えちゃうところとか」

「……それ、褒めてる?」

「ふふふ」

 

 微妙な物言いで半目になった陽介に、小西先輩は本心の分からない笑みで答えた。だが、次の瞬間、早紀は頬杖をつきながら、はっきりと通る声で告げた。

 

「だから、落ち込んでると余計に気になるんだよね。弟みたいでさ」

 

 小西先輩のつぶらな瞳には、それこそ弟に向けるような親しみの情が浮かんでいる。それを見た陽介は気が付いた。

 

 小西先輩は、陽介を意識していないと。

 

 気が付いたとき、陽介の胸の中が切なく締め付けられて、陽介は戸惑う。小西先輩が恋愛対象として陽介を捉えていない。その事実がどうしてこんなにも切ないのだろう。

 

 陽介の心中などいざ知らず、小西先輩は長椅子の中央にあった焼き菓子の詰め合わせに手を伸ばす。その中から取り出したものを陽介の目の前に滑らせる。

 

「まぁ、甘いものでも食べてガッツつけなよ。ほれ、バームクーヘン」

「せ、先輩それ数少ないレアなヤツじゃんか。他の人に恨まれるって!」

「これから友達に謝るっていう大仕事に挑むヤツが遠慮しない。早い者勝ちだしね」

 

 バームクーヘンを押し付けながら、小西先輩はいたずらっぽく笑った。親しみが込められた笑顔に、悩んでいた陽介を励まそうとする何気ない面倒見の良さに、陽介の中にある記憶がシャボン玉のようにきらきらと弾けた。




 お読みいただき、ありがとうございました。明日に続きます。
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