さて今回は昨日の続き。オリ主の母と話し込む陽介のお話。
「だから、花村くんのことも聞かせてくださいね。花村くんは『引っ越してきた』と言いましたが、それはいつからですか?」
「ああ、ちょうど10月の初めあたりっすね。俺、親父が——──」
陽介が話し始めたあたりで、ウエイターがアメリカンコーヒーとお茶請けのお菓子を持ってきてた、水奈子は事前に頼んでいた紅茶を、陽介はアメリカンコーヒーを飲みながら、2人は交互にプロフィールを教えあった。
水奈子は料理研究家で、稲羽の農産物を普及する活動に従事しているという。稲羽産の野菜を使った商品開発や飲食店メニューの考案、稲羽の食料品の宣伝、一般向けレシピの開発などその活躍は手広い。
「このお店『La Pause』のメニューの開発に関わらせていただきました。文化祭のピザで使った野菜ソースも取り扱ったメニューがあるんですよ」
「そうなんですか! あれ、旨かったからどこで売ってるのか気になってたんすよね」
「今のところ取り扱いは直売所くらいですね。機会があれば、通信販売や地元スーパーとの取引も伺っています。ご興味があれば、仕事用の名刺を渡しておきましょうか? 花村くんのお父さんはジュネスの店長さんでしたものね」
「え、いいんすか?」
陽介はぽかんと間抜けに口を開ける。ジュネスは商店街をはじめとした地元民とは隔たりがある。伸ばした手も、撥ねつけられる事態だって珍しくない。
だが、水奈子はごく自然に手を伸ばしてきた。色眼鏡ではない、真っ直ぐな瞳が陽介を映し出す。
「商品を手に取ってもらえる取り扱い場所が増えるなら、嬉しいですもの。私は閉じた場所で自分の商品を終わりになんてしたくない。色々な人に自分が携わった商品を知ってもらいたいですから」
水奈子が静かに笑う。若草の穏やかな瞳には強い意志を湛えた光が宿っていた。陽介はしばらく言葉を忘れて水奈子を見つめていた。
水奈子は、地元に関わる人間ではある。だが、外部から来たジュネスを敵視するのではなく、利害ありで協力関係を結ぼうとする人間は水奈子が初めてだった。
そして、『ジュネスの店長』としての陽介を不満や不当な要求のはけ口とは別の形で──具体的には軋轢の多い人間関係のクッションとしてではなく、友好的な利益を生み出すきっかけとして関わってくれることが。
そういう風に、陽介たちを見てくれる人がいるのだと、陽介が喉の奥が感動でつかえる。なんとか堪えて、陽介は言葉を絞り出した。
「なんか……そういう風に扱ってもらえるの嬉しっす。部外者じゃなくて、地域の店の一つとして見てくれんの」
「私もジュネスにお世話になっている一人ですから。子育てをする身からすると、一か所で生活用品を揃えられるのは本当にありがたいです。だから、もし協力できることがあれば手を取りたいと思っています」
照れ臭そうに鼻の下をこする陽介に対し、水奈子は柔和な笑みで名刺を滑らせる。受けとった紙片には、たしかに水奈子の名前とアドレスが記されていた。
「ちょっとすんません」
陽介は二つ折りの財布を取り出し、名刺をしまう。見つめている折り目が付かないように水奈子の名刺を丁寧にポケットに収めた。その様子を、息をのんで見つめている水奈子に陽介は気が付かない。財布に名刺をしまい終わった陽介はふと思ったことを告げた。
「やっぱり親子なんすね」
「え?」
水奈子が首をかしげる。言葉が足りなかったなと、陽介は口を開く。陽介にとって大切な思い出を、水奈子になら明かしてもよいと思ったのだ。
「俺、初めのころは『転校してきたヤツ』ってことで、クラスでは浮いてる感じだったんすけど──瑞月さんは俺のことクラスメイトの一人として扱ってくれました。そういう分け隔てないところ、瑞月さんと親子なんだなって」
外部から来た人間であろうと、仲間外れにしないところが、瑞月と水奈子はよく似ている。
「そんで偶然なんですけど、誘われて文化祭の準備を手伝ってたら、クラスのやつらともちょっとは馴染めるようになったんです」
文化祭前、陽介はクラスで浮いた存在だった。里中や天城、一条や長瀬といった友人はいたけれど、『都会からの転校生』や『ジュネスの息子』というレッテルが付きまとっていて、他のクラスメイトからが針をチクチクと刺すような険しい視線にさらされていた。
けれど、文化祭を経た後、クラス内での居心地は良くなったと思う。文化祭で奮闘する陽介を見て、『クラスメイトとしての花村陽介』を認識するようになったのだろう。クラスメイトに話しかけてもツンケンした態度を取られる機会はぐっと減った。さすがに商店街関係者は厳しいが。
瑞月の友人であるというのに、自分の情けなさをさらしてばかりでこそばゆい。陽介はガシガシと頭を掻いた。
「俺、なに言ってんでしょうね。こんな話されても迷惑────」
陽介は苦笑した顔を上げ、驚きに言葉をなくした。対面する水奈子は、口元を三角に組んだ両手で多い、俯いている。しかし、その目元は泣き出す直前のように真っ赤だ。いきなり泣き出しそうになっている水奈子にむかって、陽介は茫然と声をかける。
「水奈子さん? すんません。俺、なんか失礼なコト──」
「ちっ、違うんです!」
水奈子は慌てた様子で、両手を振って否定する。その声は、今にも泣きだしそうなほど震えていた。
「困らせてしまってごめんなさい。でも、本当にそういうのじゃないの! 花村くんが悪いとか、そういうのじゃないんです」
ならば、水奈子はなぜ泣きそうになっているというのか。袂からハンカチを取り出し、彼女は揺れる若草色の瞳に当てた。落ち着いた水奈子は心から安堵するような吐息と共に言葉を紡ぐ。
「まず、花村くんがとても優しい人であることが嬉しかったんです」
「俺が……? 俺、さっきから水奈子さんを混乱させてばっかで、全然そんな……」
「いいえ」
水奈子は、穏やかに、しかしはっきりと否定する。
「友達の親と言っても、よく知りもしない人間のために、時間を使ったり、服装に気を使ったり──名刺を傷つけないように扱うなんて、なかなかできませんもの」
そういって、水奈子はふわりと笑った。淡い花が開くような可憐な笑みだ。
「きっとあなたを育ててくださったご両親も、素敵な人なのね」
「!」
陽介の胸がぎゅっと締め付けられる。決して不快な感覚ではなく、絞り出された心臓の熱が、喉元を駆け上がってくるような心地よい感覚だった。
「優しい子と、瑞月ちゃんが友達であることが──そして何よりも瑞月ちゃんがその友だちを支えられる優しい子であることが分かって。あまつさえ、瑞月ちゃんの優しさに私の面影を重ねてくれることが、涙が出るほど嬉しかったんです。ごめんなさい。私、涙腺がゆるくて」
嫌な気持ちにさせてしまいましたね。と水奈子は言う。とんでもないと陽介は首を振る。
「……いえ、大丈夫です」
嬉しかった。お世辞ではなく陽介を褒めてくれて、そして、陽介が大切にしている両親を褒めてくれて。陽介を通じて親をこき下ろす人はいても、褒めてくれる人なんてなかなかいなかったから。
同時に、罪悪感が背中を引っ張る。彼女の娘である瑞月を傷つけた事実を、優しく接してくれる水奈子に隠している陽介自身に対する罪の意識が。
パンッと、軽く手を打ち合わせる音がする。立ち直った水奈子は、ニコニコと上機嫌に両手を合わせていた。その明るい仕草に、陽介の涙も自然と引っこむ。
「さぁさぁ、お話を続けましょう。瑞月ちゃんと友達になったのは文化祭がきっかけでしょうか?」
「……そうっすね。友達つっても、俺が世話になってることのが多いんすけど」
正確には違うのだが──自転車の件は瑞月に口止めされていたため──陽介は同意する。
振り返れば、瑞月から色々なものを貰っているように、陽介は思う。文化祭の、大変だけれど楽しかった思い出。八十稲羽に来てよかったという想い。学校での居場所。彼女が敷くレジャーシートの隣。
今になって、瑞月を傷つけた自身の発言への後悔がじわじわと陽介の胸をむしばむ。あんなに与えてもらっていたのに、陽介は瑞月に何かを返せているのだろうかと。
「だから、瑞月さんは俺にはもったいないくらいの、いい友達なんです」
陽介は笑う。自嘲気味の心を取り繕った、特段明るい声音で。瑞月は、いい友達だ。陽介にはもったいないくらいの。陽介が隣にいなくたって、彼女は屋上でも教室でも凛と背筋を正してあり続けるのだろう。陽介は、彼女の動じない姿勢が憧れで、羨ましかった。
「……瑞月ちゃんと、何かありましたか?」
陽介の、無理やり持ち上げた表情筋から力が抜ける。水奈子は眉尻を下げ、心配そうに陽介を見つめていた。間違いない。彼女は陽介のカラ元気に気が付いている。「どうして」と言葉を返せない陽介を安心させるように、水奈子は微笑んだ。
「花村くん。なんとなく元気がなさそうに見えたので。それに──」
水奈子は一度言葉を区切る。そうして困ったように笑って、言葉をつづけた。
「──瑞月ちゃんの様子がここ2日くらい、おかしかったから。あの子、うわの空みたいで。夕食のお吸い物に間違ってソースを入れてしまったものを飲んで真っ青になったり、リビングで本をさかさまにして読んでいたりしたんですよ」
「す、吸い物にソース……!」
想像しただけで食欲が失せそうな取り合わせだ。味の幻覚が広がりそうになって陽介は思わず、アメリカンコーヒーを仰いだ。逆さまで本を読んでいたことも含めてまさか、しっかりした瑞月が起こすミスとは思えない。
「信じられないでしょう。でも、ありえないことではないんですよ。悩んでるとき、自分に対してウワの空になっちゃうんです。瑞月ちゃんって」
水奈子は困ったように笑う。彼女の笑顔は、先ほど陽介が形作ったものと似ていた。不安や焦りを覆い隠した仮面のような笑顔だ。
「瑞月ちゃんの様子がおかしくなったのが、2日前学校から帰ってきた後だったので……今の花村くんと合わせて、もしや学校で何かあったのではないかと思いまして」
なかなかの洞察力だ。水奈子を前に、瑞月とのケンカについて隠し立てるのはもはや難しいだろう。水奈子は引き続き、陽介を心配そうに見つめている。どうやら彼女は、陽介の言葉を待っているらしい。緊張で湧き出た唾を、陽介は静かに飲み下す。
「すんません。俺、瑞月さんに失礼なことを言っちまったんです」
陽介も覚悟を決めた。優しい水奈子に、これ以上隠し立てをしているのは無理だ。何よりも、陽介自身の罪悪感が許してはくれない。
水奈子は不意を突かれた様子で口元を覆う。それでも、次の瞬間には穏やかさを取り戻し「続けて」と促した。
陽介は吐き出す。瑞月との間にあった、重要ないさかいについて。
陽介の軽率な振る舞いに、瑞月から忠告を受けたこと。瑞月は「ジュネスの息子」という立場にいる陽介を気にかけてくれていたということ。意味を取り違えた陽介は逆上し、声を荒げてしまったこと。「何でも持ってて、何も苦労しなくていい」という言葉が、瑞月を傷つけてしまったこと。その結果、瑞月に避けられるということ。陽介は謝りたいと思っていること。
告解にも似て静まった陽介の告白を、水奈子は時折、詰問する声音で問いかけた。それでも、最後まで落ち着いた様子で陽介の告白に耳を傾けていた。
「──っていうことがあって、俺はまだ瑞月さんと仲直りできてないんです。本当に、申し訳、ありません」
語り終えて、陽介は深々と頭を下げる。謝っても許されることではないとは分かっている。水奈子にとって大切な娘である瑞月を傷つけたのだから。それでも、陽介は謝らずにはいられなかった。
「────顔をあげてください。花村くん」
そう告げた水奈子の声は、厳かだった。当然だ。娘の友人を傷つけた罪を隠して、のうのうと話をしていた裏切り者にどうして優しくできるというのか。罵倒も嘲りも覚悟して、陽介は顔を上げようとする。しかし、意思に反して陽介の身体は動かない。そのとき──
「つらかったですね。瑞月ちゃんのことも、そして……越してきてからの八十稲羽での生活も」
──撫でるように優しい声が、陽介を包む。あまりにも優しい言葉が信じられなくて、陽介は自然と顔を上げる。
声に違わない優しさで、水奈子は微笑んでいた。春の木漏れ日にも似て、優しく柔らかく慈愛に溢れた微笑だ。心から相手を慮り、労わる優しさに満ちている。
「どうして──」
分かるんですか。という言葉は音にならない。水奈子が『つらかった』と共感したのは瑞月との口論だけではない。彼女は、陽介がこれまで『ジュネスの息子』というレッテルを貼られ、八十稲羽で受けてきた息が詰まるような日々にまで思いを馳せていた。
水奈子はしっかりと陽介を見つめている。瞳こそ優しいが、その優しさは根拠のない想像や薄っぺらい同情ではなかった。陽介から逸らされない柔らかな若草色は、しかし年を重ねた医者が患者を診察する覚悟と誠実さがある。
「見ているからです。毎日。花村くんと似た境遇を持つ同い年の女の子を」
誰か分かりますか? と水奈子は問う。水奈子の言葉に陽介は引っ掛かりを覚えた。
水奈子は陽介と境遇が似た子を“見ている”という。彼女の言い方は過去形ではない。“見ている”、つまり現在進行系だ。そして、水奈子が毎日接触できる、陽介と同年代の女の子など──陽介は一人しか知らない。
「そう。瑞月ちゃんですよ──あの子はね、八十稲羽この町の外から来たんです」
押し黙る陽介に代わって、水奈子は答えた。湧き上がる疑問に、陽介の喉はつっかえて動かない。瑞月がこの町の外から来たとはどういうことか。どうして瑞月は陽介の立場を踏まえた忠告を発したのか。あの日の屋上で、どうして瑞月が傷ついたのか。頭の中がまとまらない。
ただ、一つ、それら陽介が抱いた疑問すべてに答える情報を、水奈子が知っているという認識だけはくっきりしていた。
「あの、瀬名は──瑞月さんは、何者なんですか?」
ようやく、陽介は問いを発した。脈絡のない、漠然とした疑問にも、水奈子は伸びた背筋で受け止める。そして、彼女は鷹揚に頷いた。
「お話しましょう。瑞月ちゃんのお友達である花村くんには、知っておいてほしいんです」
水奈子は手元にある紅茶で口を湿らせる。まるで、緊張で固まった喉をほぐすかのように。そうして、彼女は控えめに語り始めた。彼女が知る瀬名瑞月という少女について。
お読みいただき、ありがとうございました。なにやらオリ主の秘密が明かされそうです。