「俺、今すげー恥ずかしいっす」
陽介はうなだれた。胸の内から後悔がこみ上げて、ずしりと身体が重い。
「本当にわかってなかったのは俺の方だったんだって。瑞月さんに『俺のことなんてわかんねー』って言ったくせに」
あの日、屋上で瑞月が傷ついた理由も自明だ。陽介の言葉は、瑞月が背負っていたものと、彼女がそれを守るために得てきたすべてに泥を塗るようなものだったのだから。
「ダメっすね、友達だってのに。アイツのこと、傷つけて」
陽介は、瑞月にたくさんのものを貰っているのに。
恩を返すどころか、彼女を損なった。
「……こんなん、ダチ失格だ」
不甲斐なさがこみ上げて、陽介は片腕で顔半分を覆った。陽介が瑞月の隣にいる意味を見いだせない。それが喉をふさぐほどに苦しい。
「私は花村くんに言わなければならないことがあります」
陽介は身を固くする。水奈子は陽介を怒るのだろう。それは仕方がない成り行きだ。陽介は彼女の娘である瑞月に失言を放ったのだから。陽介は水奈子から罵られたとしても、逃げるつもりはなかった。
「『ダチ失格』だなんて、言わないでくださいませんか?」
「え?」
ゆえに、陽介は混乱した。風船がしぼんだように、水奈子の声は悲しそうだ。思わぬ水奈子の要求に、陽介は疑問符を掲げる。水奈子の眉は声色と同じく、悲しそうに垂れていたた。
「『友達失格』なんて、自分が瑞月ちゃんと友達ではなくてはいいような言葉を使わないでください」
陽介は膝の上に組んだ両手をすり合わせる。発言の意図をいまだ汲みかねる陽介を見かねてか、水奈子は言葉をつづけた。彼女は特にゆっくりと、まるで物語を読み聞かせるような速さで言葉を紡ぐ。
「……瑞月ちゃん、学校に行ったあと柔らかい顔をするようになったんです。前はしかつめらしい顔で帰ってくることがほとんどだったのに。テレビも見るようになりました。以前は見向きもしなかった歌謡祭とかお笑いも、興味津々で視聴しています」
「……それっていつ頃からですか?」
「文化祭から後です。花村くんと友達になった」
外の世界への興味が広がったというべきでしょうか。と語る水奈子の口調は暖かい。植物の成長をいつくしむような、優しい目で彼女は語る。けれど、陽介は戸惑いを隠せない。陽介がもたらした変化はほんの些細なものだ。
「それは……でも、そんな些細なことじゃないっすか」
「私からすると、すごい変化なんですよ。あの子、人とのかかわりを避ける癖があるから。プライベートで人に歩み寄ろうとすることなんてなかったもの」
水奈子の口調は、心なしか熱を帯びて少しだけ早くなっていた。注文していた紅茶に口をつけ、喋りすぎて乾いたのどを彼女はうるおす。
「人に弱いところを見せられない、人を頼れない環境を過ごしてきたからか、瑞月ちゃんの世界はずっと閉じた独りぼっちのままでした。でも、でもね、」
水奈子は、陽介をまっすぐに見つめる。どうか聞いてほしいと、若草色の瞳が訴える。
「花村くんが友達になってから、あの子は自分の世界を広げようとしているみたいなんです」
そうして、水奈子は子供を優しく励ますような力強い優しさで告げた。
「だから、『もったいない』なんて言わないで。瑞月ちゃんはあなたがいて変わっていっていますし、それは私の目から見ても悪いものではありません」
水奈子の証言を受けて、陽介はゆっくりと瞼を開閉する。陽介の脳裏に、レジャーシートに座っている瑞月がよみがえった。初めて会った日を思い出すと、彼女の雰囲気はずいぶんと柔らかいものになっていた。
教室で鋭さを湛える目端を、陽介の隣にいるときの瑞月は解いている。ケンカを傷ついた表情ばかりが思い出されていたから、陽介は瑞月の柔らかな表情を忘れていた。
陽介は文化祭で彼女を手助けしたし、昼休みには青空の下で取り留めのない雑談を楽しみ、この前は千枝や雪子と交友する楽しさを発見した。陽介と瑞月の関係は、一方的に与えられるばかりではなかった。
瑞月は、できないこと・知らないことを抱えた普通の女の子だ。。2人は対等な関係なのに、『何でも持ってる』なんて言葉が出るほど、勝手に陽介が彼女を上に見てしまっていた。
陽介は、瑞月を対等な友達として見ていなかった。
だからこそ、仲直りしたいと思う。傷つけたことを謝って、今度こそ対等な友達でいたい。そうして、彼女の隣に座って、二人でまた屋上で他愛ないやり取りをしながら過ごしたい。
「……水奈子さん、ありがとうございます。俺、ちゃんと瑞月さんに謝ろうと思います」
陽介は水奈子にむかって頭を下げる。水奈子は安堵したように、若草色の目を細めた。
「『瑞月ちゃんに謝る』という花村くんの決意、しっかり聞きました。その言葉を反故にしないよう、頑張ってくださいね」
水奈子は穏やかに笑う。窓際から降り注ぐ光を受けた彼女の笑みは眩しく、怒りや蔑みから生まれる薄暗さは一点もなかった。水奈子の励ましは温かくて、背中を支えられるような勇気を、陽介に与えてくれた。
――その直後、瑞月から電話がかかってきた。瑞月にアポを取り付けられた陽介は、急かす水奈子に見送られて(コーヒーの代金は払っておくと押し切られた)『喫茶 La Pause』から飛び出したのである。
「仲直り、応援してますから!」
手を振って送り出してくれた水奈子の力強い笑顔に、陽介もまた手を振って応えた。
◇◇◇
水の中を漂うようにぼやけた意識が、浮かび上がる。まず、認識できたのは、自分は石の上に座っていて、背中が硬い段差にもたれかかっているということ。
けれど背中に痛みはなく、頭ごと柔らかくモフモフしたものに覆われている。瞼を開けると、古ぼけた鳥居が視界に飛び込んだ。ここどこだっけ。と、陽介は目をこする。
「花村?」
澄んだ声が聞こえた。清水のように冷たい呼びかけに、陽介の意識は急速に覚醒する。がばりと勢いよく起き上がると、石畳の上に私服の友達が立っていた。一瞬、彼女は直立すると、弾かれたように陽介のもとへと駆け出した。
「――瀬名、っ」
喉がぴりついて、陽介は口を閉じる。自転車で全力疾走したせいか、喉がカラカラに乾いて、声が満足に出なかった。なんとか唾を飲みこもうとするが、上手くできない。やきもきしている陽介の目の前に、ペットボトルが差し出された。
「うん、正解だ。ほら、これを飲むんだ」
有無を言わさず、瑞月はボトルをすすめてくる。いいの? と瑞月を仰いで、陽介は開きかけた口を閉じた。普段はきちんと結われている瑞月の髪はほつれている。きっと、飲み物を買ってくるために走ったのだろう。陽介はボトルを受け取ると、中身を一気に流し込んだ。常温のスポーツドリンクが、干上がった喉を潤していく。ごくごくとスポドリを飲みつくす陽介を、瑞月はホッと肩をなでおろして眺めていた。
「異常はないようだな。どうだ花村、ほかに調子の悪いところはあるか」
「瀬名……」
陽介の声は元通りになっている。「ん?」と瑞月は微かに口元を緩めながら首を傾げた。彼女に怒りは見受けられない。ただ、倒れた陽介を心配して親身になって介抱してくれようとしている。
瑞月は優しい。己に迷惑をかけた相手あっても、彼女は手を差し伸べてくれる。その優しい人を傷つけたことが、陽介はたまらなく恥ずかしい。
「ごめん」
瑞月は突然の謝罪に目を丸くした。許して、くれるだろうか。陽介はおそるおそる瑞月の様子をうかがう。きれいな瞳を、ゆらゆらと不安定に揺らして瑞月は曖昧に唇を動かす。それは、相手を安心させようする不器用な笑みにも見える。
「そうだな。私も、君と話したかったんだ」
そうして彼女は、神妙に頷いた。
お読みいただき、ありがとうございました。やっとオリ主と花村が合流しましたね。彼らがどんなお話をするのか、乞うご期待ください。