それでは本編。やっと、オリ主と花村が出揃いました。
ほこりを払った上着(寝ている陽介の背中が痛むといけないからと、布団がわりにしてくれた)に袖を通して、瑞月は
「ごめんな、上着。汚しちまったみたいで」
「いい。私が好きでやったことだ」
「でも……」
言い募ろうとして、陽介は黙った。隣に座った瑞月が、不服そうに口を曲げていたからだ。
「謝りすぎだ、きみは。どうせ働きを評価されるなら、申し訳なく思うより、感謝してくれた方が嬉しいのだが?」
「…………ありがとう?」
「ん、よろしい」
満足そうに、瑞月は口角を上げた。それだけで、2人の間に流れていた微妙な空気が気安いものに変わっていく。つられて陽介も目を細めた。
「花村」
一転して、空気が変わる。 瑞月は真剣に唇を引き結んで、陽介は身体を向かい合わせる。そして──
「この前はすまなかった。君への配慮が足りない物言いをした」
──瑞月が陽介にむかって深々と頭を下げた。唐突な謝罪に、陽介は困惑する。
「いや、お前は悪くないだろっ? 俺が勝手にキレたようなもんだし」
「私にだって非はある」
瑞月は膝につきそうだった頭を上げる。吊りがちの眦は下がり、弱々しい印象になっていた。それは、陽介が知らない表情だ。いつも堂々としている瑞月がこんな風に弱っているところを陽介は見たことがない。
「私の言葉が足りなかった上に、動揺してきみとの接触を避けた」
「それは、俺が早とちりしてカッとなったのが悪いし……」
力なく、瑞月は首を横に振って俯いた。
「今回だってそうだ。本来なら、私から謝るべきなのに……自分はただ呼び出すだけで君に苦労をかけてここまで来させてしまったし、しかもそのせいで君は気絶までして──」
「ちょ、ストップストップストップーーーーーーー!!」
高らかに、陽介は懺悔を打ち切った。大声を出した陽介に向かって、瑞月はのろのろと顔を上げる。
その瑞月の表情に陽介の息が思わず詰まった。紺碧の瞳は、夜の泉のように深い悲しみに沈んでいる。先ほど陽介を助けるために乱れた前髪もあいまって、闇夜に溶けきえてしまう幽霊のような悲愴さを彼女は纏っていた。
だからこそ、陽介は空気を読まずに声を張り上げる。やかましく、ホラー番組をぶち壊すリアクション芸人みたいなノリで。ここで空気を変えずして、いつ変える──!
「ネガティブタイム終了のお時間でーす! ここからは一切、自分を責めるような言葉は許しません! ウィーアー?」
「……花村、おそらく君は『よろしいか』という意味で『Here we go?』もしくは『Are you okay?』と言いたかったのだろうが、『We are』では『私たちは〇〇です』になってしまうよ?」
「伝わってるのでノープロブレム! そして、ネイティブもビックリな綺麗な発音ありがとう!」
やけにテンションの高い帰国子女の芸人みたいな仮面を被りながら、内心で陽介はほくそ笑む。瑞月なら、乗ってくれると分かってた。英語の解説については、素で勘違いをしていたけれど。
トドメとばかりに、ビシリと指を突きつける。瑞月はビクッと、顔を上げた。突撃インタビューでマイクを勢いよく突きつけられた通行人のように、紺碧の瞳を白黒させる。
持ち直せ、持ち直してくれと、陽介は心から祈った、突きつけた指先が緊張で震える。瑞月はしばらくポカンとしていた。しかし────
「……ふ、ふふ」
────震えが、止まった。
瑞月が、笑っていた。今度は陽介がポカンとする番だった。両の手で口元を抑えている、控えめな笑顔だ。けれど、やわらかにたわんだ細い眉と、ほのかにいろづいた白雪の肌、鈴がコロコロと鳴るような可憐な笑い方は、まるで春のようなぬくもりがあった。冬が風に連れ去られ、雪が解けたあたたかい空気に包まれてさいた、
(やっべぇ……かわいい……)
軽口も忘れて、陽介は思わず瑞月に見惚れた。もっと見ていたい──だか、陽介の願望は長続きしない。
瑞月はハッと、我に返った。陽介の視線に気がついたのか、はたまた、真面目な話題だというのに、それを忘れてしまったことが不覚だったのか。
「すまない……つい、笑ってしまって」
視線が合わないように、瑞月は陽介から顔を逸らし──それでも気が紛れなかったらしく──視線をうろうろとさせた。ただし、陽介から顔を逸らしたせいで前髪で隠れた耳が露になる。小ぶりなそれは、羞恥心からか赤く染まっている。
正直、指摘してからかいたい。そんで戸惑った反応がもっと見たい────。首をもたげた邪な心を、陽介はぐっとこらえた。具体的には、握りこんだ掌に爪を立てて。
「いや、いいよ。お前が悲しそうな顔してないだけで、もう充分」
やっと、瑞月は陽介を見た。いつもよりあどけない紺碧の瞳に向かって、陽介はにこやかに笑う。それから真剣に告げた。
「ちゃんと、話そうぜ。おれもさ、お前に謝らなきゃって思ってたから」
「ちがう、花村は悪くない……」
私が傷つけるような言い方をしたから。と瑞月は悲しそうに告げた。自分も悪かったという意見を曲げる気はないらしい。これでは話が進みそうにない。よって、陽介は「ネガティブタイム終了」とぶった切った。「でも……」と言いすがる瑞月に、掌をかざして制止の意を示す。
「お前に悪気はなかったこと、ちゃんとわかってるよ。お前、いっつもおれのこと助けてくれるもんな」
その言葉に、瑞月が息を呑んだ。その隙に陽介は深く、息を吸う。きちんと言葉にする準備は整えてから、陽介は瑞月に確認する。
「……心配、してくれたんだよな?」
こくりと瑞月は頷く。そして普段の凛々しさが失われた、張りのない内省的な声で続ける。
「もしきみが小西先輩に好意を向けるのなら、慎重になるべきだと告げておきたかったんだ。八十稲羽の人間は、外部の人間に対して口サガないからな。場合によっては、君が苦労を背負う恐れがあると」
やはり瑞月の発言は、陽介を案じての意図だった。
「ごめん。俺……トチッて八つ当たりみたいなこと言って」
「君があのとき取り乱したのは、『ジュネスの関係者』であることを理由に、私が行動を制限するよう求めていると思ったからで違いないか?」
「……うん。えっと……」
陽介は頷く。他人から怒った理由を分析されると、自分の底が知れるようで陽介は恥ずかしい。瑞月は陽介が話しやすいように促してくれたのだろうが、あまり人に自分の弱みを打ち明けたことのない陽介は言いよどんでしまう。
それでも、辛抱強く瑞月は待っていた。陽介に傷つけられて、言いたいことだってあるだろうに。陽介に自分の都合を押し付けてくる人間たちと違って、陽介との対話を望んでいる。
「正直さ……『ジュネスの息子』って言われるの、あんまいい気分じゃない。そうゆうレッテルを掲げて、みんな結局俺のこと自分のいいように扱おうとするから」
「うん」
瑞月は短く相槌を打つ。そこに同情の色はなかった。ただ事実を淡々と受け止めている、そんな感じだ。同情といった自分の感情を挟まず、瑞月は陽介の話に真剣に耳を傾けてくれていた。陽介は続ける。
「でも、瀬名は俺のこと、一度だって『ジュネスの息子』とか言ったりしなかった。ただの同級生とか友達として扱ってくれてさ。それがすごく……居心地良かったんだよ」
「……そうか」
今まで平坦だった瑞月の声が、少しだけ柔らかくなる。まるで「居心地がいい」との陽介の気持ちを嬉しく感じているように。不意にどうして嬉しそうなのか、と陽介は尋ねたくなる。しかし、その問いは投げない。今は陽介が怒った理由について話しているのだから。
「だから、あんとき裏切られたって気持ちになったんだな。小西先輩の気持ちについて、慎重になれって言われたとき、意味取り違えて。そんで、カッとなって爆発した。お前への羨ましさとか、普段抑えてるものとかごちゃ混ぜになって」
「羨ましい……、私が?」
「瀬名が、俺にはないもんばっか持ってるって、思ったから」
瑞月は首をかしげる。分かってない様子の彼女に、陽介は吐き出す。もう情けないところを見せているから半ばヤケになっていたのだ。
「自分の気持ちに振り回されないところとか、一度決めたらやり遂げようとするまっすぐさとか、一人でもしゃんとしてるところとかさ」
周りに流されて生きる陽介とは違って、
瑞月は芯を持って生きている。
陽介が持ち得ない強さを持つ瑞月が、陽介はどうしようもなくうらやましかったのだ。
「……花村が、私を周りに振り回されない人間だと思ってくれていることは分かった」
瑞月がぽつりと言葉をこぼす。その声は、後ろぐらい秘密を明かすように小さい。
「けれどね、私は、君が思うように強い人間ではない。ただ、人とかかわり合いたくないから、居丈高な見栄を張っているだけだ」
「そうやって、瀬名は家族を守りたかったんだよな?」
陽介の言葉に、瑞月は紺碧の瞳を丸くする。「どうしてそれを」と彼女が問いを重ねる前に陽介は続けた。
「瀬名のお袋さん──
「そう、か……」
瑞月は申し訳なさそうに、顔を伏せる。申し訳なさそうにしているのならば、心配をかけている自覚はあるのだろう。一人で抱え込んでしまう瑞月の不器用さを、陽介は間近に見た気がした。
「その時に、瀬名と水奈子さんの関係についても聞いた。お前が
陽介は腰を折る。そうして一直線に下げた頭を瑞月へ向けた。吸い込んだ一息に精一杯の謝意を込め、陽介は声を吐き出す。
「だから、改めてごめん。見当違いなこと言った。知らなかったとはいえ、お前の過ごしてきた時間とか、積み上げてきたものとか、そういうのを軽く見るみたいなこと言って」
自分が持ち得ない瑞月の強さに嫉妬するだけで、彼女がそれを手に入れるために費やした努力と時間の重さを想像できなかった浅ましさが、陽介は恥ずかしかった。瑞月と陽介の境遇が近いというのなら、なおさらだ。
「花村、顔をあげてくれないか」
落ち着いた、しかし柔らかい声が降ってくる。穏やかな呼びかけには、陽介を責めるような刺々しさは一切ない。それどころか、不甲斐なささえ滲んだ響きに陽介は顔を上げる。
「私が花村に忠告した理由は、生物学上で、私の両親であった人達について思い出したからだ」
「それは、お前が
こくりと、瑞月は頷く。陽介は身を固くする。水奈子によれば、瑞月の元両親は彼女の養育を放棄したという。その人間と、陽介の恋心と何が重なるというのだろう。陽介の疑問を見透かしたように、彼女は続けた。
「もともと、仲は良くなかったがな。ただ、それによって生じた問題を、必要な支援を得られず、どころか親族や近隣住民から囃し立てられ、騒ぎ立てられ、泥沼になって、離れた」
瑞月は眉間にしわを寄せる。内容をぼかしてもなお、彼女にとっては思い出したくない記憶なのだろう。陽介はゾッとする。水奈子から聞いてはいたが、想像以上に、幼い瑞月を取り巻く環境は地獄だった。
「結果、私は誰からも縁を切られた。問題となった両親の血を引いた"
「なんだよそれ……」
陽介の腹がムカムカする。人の家庭を弄び、友人であった瑞月をあまつさえ放置し傍観に徹していたという身勝手な大人たちに。瑞月はなにも悪くない。
ポンと柔らかく陽介は肩を叩かれる。瑞月はふるふると首を振り、落ち着くように陽介を諭す。
「大丈夫だ。花村。もう終わったことだから、気にしなくていい」
「でも、でもっ……! お前は、なにも悪くないじゃんか。
「花村……」
友人を弄んだ理不尽に、陽介は臍を噛む。瑞月は、ふっと強ばっていたはずの口元を緩めた。
「もう昔のことを、嘆いていても仕方がない。私はこの話で君を怒らせたい訳じゃない」
そう言って、瑞月は陽介をじっと見つめた。ぐずった子供を落ち着かせるように、辛抱強く。たしかに、陽介が怒ってもなにもならないのは事実だ。どころか、瑞月の話を邪魔しかねない。陽介は深呼吸する。落ち着いた頃を見計らって、瑞月は再び語りかけた。
「花村の心に、留めておいてほしいんだ。私が伝えたいのは、ある2人の人間関係は、外野とのしがらみに影響を受ける。ゆえに気を配るべきという教訓だ。……小西先輩その人は、視野が広く、人のフォローができるしっかりした人だ。父親の粗相を私へ直接謝りに来てくれたのは、彼女だったからな。……ただ、花村と小西先輩を取り巻く周囲は、お世辞にも良いものとは言えない。だから、花村の周りを踏まえた上で、慎重になるよう忠告したかった」
ひとつ瑞月がまばたきをする。再び開いた眦は下がり、陽介を心から案じる憂いに満ちていた。
「花村が抱いている想いは、それが望む未来は、いつか花村自身の重荷になるかもしれない。私を生んだ、周りの人間にいいようにされた、2人のようにな。少なくとも、
「瀬名は、俺が周りからイロイロ言われるのを気にしてくれたってことか?」
瑞月は頷いた。そして、まっすぐに鏡のように澄んだ瞳で、陽介を見据えた。わずかに細められた瞳は、心配そうに揺らいでいる。
「花村が、お父様を始めとする人たちのために、複雑な立場に縛られながらも、心を砕いているのは知っている。だが、小西先輩への想いを貫くなら、花村はいっそう複雑なしがらみに捕らわれるだろうと思ったんだ」
陽介はハッとした。瑞月は「ジュネスの息子」という立場が、これ以上陽介の負担にならないか懸念したのだ。
「ジュネスの息子」というレッテルを免罪符に、陽介を傷つけ、束縛する人々のような意図はなかった。瑞月は陽介を心から心配してくれていた。陽介は頭を抱える。誤解して突っ走った自分が心の底から情けなかった。
「じゃ、瀬名は周りに迷惑かけるとか言いたかったんじゃなくて──」
「君はよくやっているだろう。迷惑どころか、困った人間に手を差し伸べられる人の好さに、助けられた人間は私を含め多いと思うが」
「気持ちを押し殺すとかじゃなくって──」
「慎重になるべきと言ったまでだ。そもそもきみ、かなり溜め込むタイプだろう。鬱々となる前に、信頼できる相手に話して発散した方がいいのではないか?」
「………………」
「花村?」
ガクンッ!
「はなむらッ!?」
突如として、陽介は項垂れた。糸の切れた人形のようにつっぷした陽介に向かって、瑞月は驚きの声をあげる。対する陽介は、早とちりで感情を爆発させた自身に対して失望していた。あわあわとまごついた様子で、瑞月が声をかけてくる。
「どうしたんだッ!? どこか調子が悪いのか?」
「いや、勝手にキレた自分のショーもなさに呆れてるだけです。ほっといてくだせぇ」
「いや、元々は私が君を傷つけるような言葉選びをだな……」
「瀬名はなにも悪くねぇーよぉぉ……。ちくしょう、わりと御用聞きしてたのに伝達力の自信なくなってきた。うぅ……」
「……花村は働きすぎだと思う。まぁ、その疲労も溜まって今回爆発したんだろう」
諭しながら、瑞月は丸まった陽介の背中を撫でる。その優しさが、今の陽介には辛かった。だが抵抗することもできず、陽介はされるがままになる。しばらく、瑞月は何も言わず、優しく陽介の背中を撫でてくれた。
「それで、きみはどうするんだ」
「そ、れは」
どう、とはきっと小西先輩についてだろう。陽介は思考する。
瑞月の言葉どおり、陽介が小西先輩を好けば様々なしがらみが生じるのだろう。周りを巻き込んだ負債が、陽介に重石となってのし掛かるのかもしれない。
(手放した方がいいのかもしれない)
小西先輩にとっても、自分にとっても。
けれど、それを嫌がる陽介がいた。
陽介は目を閉じる。まぶたの裏に、小西先輩の笑顔が浮かんだ。ほわりと胸が温かくなる。バイトで辛いことがあっても、陽介は小西先輩の笑顔を思い出すと頑張れた。しっかりと仕事をこなす姿は、陽介にとって憧れでもあった。
それはたしかに、陽介の中で道しるべのように輝く、大切な想いだ。
「たしかに、瀬名の言う通りかもしれない」
とんと、陽介はおのれの胸に手を当てる。
「俺の気持ちは、いつか俺を苦しめるかもしれない。ドラマみたいに幸せなゴールにはならないのかもしれない」
グッと、陽介は胸を押さえつけた。なくしたくない想いを掴むように、力を込める。
「でも、今の俺を支えてくれてる大切な想いだから、失くしたくないんだ」
たとえ、幸せな結末は訪れないとしても。
陽介にとっては、手放したくない想いだった。
お読みいただき、ありがとうございます。明日に続く!