Lotus in the mud   作:十志 佐都

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 閲覧ありがとうございます。昨日の続きになります。そして2章の最終話。楽しんでいただければさいわいです。


歩み、寄る 後編

 陽介は瑞月をまっすぐと見返す。瑞月はただ「そうか」と凪いだ表情で頷いた。陽介の背中に添えられていた瑞月の手が離れていく。

 

「それだけ大切にしているのなら、私もこれ以上、なにも言わない」

 

 慎重にな。と、瑞月がいい募る。熱くなりやすい陽介を、彼女はいつも嗜めてくれる。

 

「……あんがとな。俺だけだったら、突っ走って先輩に迷惑かけてた気がする」

「礼を貰うことではない。隣で悩まれると、私の気が散る。それだけからな」

 

 陽介が礼を言うと、「気にするな」と軽い調子で、瑞月は手を振った。いつもの瑞月だ。そっけない振りをしながらも、友達をよく見て、助けてくれる。

 

「ハァ……瀬名は本当にイイヤツだよ。俺なんかにはもったいないくらいの」

「…………そうか? 私にとっては、花村のほうがもったいないくらいのイイヤツだが」

「へッ?」

 

 すっとんきょうな声を上げ、陽介は瑞月を仰ぎ見る。視線の先の瑞月は、不思議そうに首を傾げていた。陽介としても首をかしげたくなる。どうしてこんな情けない男の友達でいてくれるのか。

 察したのか、瑞月が姿勢を正す。照れたように腕をもじもじさせ、彼女は口をゆっくりと開いた。

 

「私は、人付き合いなんてどうでもいいと思っていた。瀬名の家族以外の他人なんて、こちらを悪し様に言う敵か、日和見主義者くらいにしか見えていなかったからな。下手にかかわり合いになると、家族にも飛び火がいく」

「……ああ、なんとなく分かるわ」

 

 八十稲羽はとかく田舎の封鎖的な社会だ。新参者には好奇の視線が容赦なく突き立てられるし、ありもしない噂話が誇張されて吹聴される。

 ひどいときには、友人や家族すら槍玉に上げられる。都会から越してきた陽介には、その息苦しさが想像できた。同じく外部からやって来た瑞月も似たような体験をしたのだろう。

 

「私にとって他人(ひと)は、私の『平穏』を乱すゆえに、極力避ける対象だった。だから最低限の交流を除いて、人を遠ざける術を身に付けた」

 

 瑞月は肩を竦める。姿勢は相変わらず凛としているが、いつもの堂々とした──ともすら威圧感すら覚えるような存在感はない。なぜかと観察した陽介は気がつく。視界のなかで、白い幻が翻った。

 

(あぁ、パーカーのせいか)

 

 愛用のマウンテンパーカーを、彼女は着ていなかった。圧迫感のあるパールホワイトの存在感をアクアブルーが引き立たせ、小さい瑞月の体を丈の長さで覆い隠し、大きく見せていたのだ。つまりは、人を威嚇する効果に秀でていたのである。

 

(それだけじゃねーな。きっちりした髪とか、妙に堅苦しい喋りとかも多分同じだ)

 

 恐らく人を遠ざける方向に特化した、彼女なりの処世術なのだろう。他者を避け、瑞月と、彼女が大切にするものたちが過ごす『平穏』を守るための。社交性を身に付けている陽介からすれば、彼女のような処世術には寂しさを覚える。しかし、そうなってしまうのも瑞月の境遇を踏まえれば仕方のないように思えた。

 

 実の親に捨てられ、排他的なコミュニティに放り込まれたのなら、他者との関係構築に異常を来してもおかしくない。幼い瑞月には、他者が訳もなく攻撃を仕掛けてくる敵に見えていただろうから。 

 それでも他者と折り合いを付けるため、人付き合いを避ける道を選びとったのだろう。

 

「けれどね、最近はそう頑なにならなくともいいのではと思えてきたんだ」

 

 ふっと、瑞月が柔らかに眉を開いた。彼女は静かに、しかし楽しそうに、頬を緩める。陽介は目を見張る。頑なに他者を避けていた彼女が、どうして考えを変えたのか。それは、彼女が笑った理由と繋がる気がした。

 

「それは……なんで?」

「花村に、会えたから」

 

 沈黙が降りる。

 

 秋の爽やかな風が吹いて、境内に植わったカエデやいちょうの葉をさらっていく。吹き散らされた橙や深黄色の朽ち葉が地面に落ちて、地面に描かれたモザイク画は刻一刻と模様を変えていく。

 

 穏やかに過ぎる時間のなかで、陽介は瑞月を見つめていた。

 

 瑞月の声も、組まれた両手も、照れてうつむいた瞳も、落ち着きがない。幼い子供のようにもじもじとする瑞月に、しみじみと陽介は思い知らされる。

 

(やっぱ、普通の女の子なんだよなぁ)

 

 はじめて出会ったときは、年齢にそぐわないほど大人びて取っつきにくい女子だった。

 けれど、落ち葉で描かれるモザイク画のように、陽介の知る瑞月は更新されていく。一緒に過ごしていくうちに年相応な部分や幼い部分が明かされていく。

 

 瑞月は陽介をまっすぐに見つめる。紺碧の瞳が、まるで憧れの人に向けるような輝きを宿していたから、陽介は息が詰まった。

 

「尊敬しているよ、花村。私と似た境遇でありながら、人と関わりあって助ける道を選んだきみを」

 

 陽介の心がざわつく。信じられない心地だった。陽介からすれば何でも持っている瑞月が、陽介を尊敬しているなんて。かぁと顔が熱くなって、陽介は慌てて顔をそらす。

 

「んな、買い被りすぎだって……。俺、俺は、一人じゃなんもできないから、誰かとつるむことしかできないだけで」

「何も? 与えられた仕事をきちんとこなす誠実さは? 友人として私は好ましく思っているがな。それに、集団のなかで調和が取れるよう働きかける器用さは一つの個性と言っても差し支えないのではないか?」

「はぁ!? おま、なにいきなりっ」

 

 どうして自分は、いきなり褒め千切られているのだろう。陽介は聞き苦しい悲鳴をあげる。照れ臭さで、オーバーヒートを起こしそうだ。だというのに、当事者である瑞月は、不思議そうに首をかしげていた。なぜ、陽介が照れるのか理解できていない様子で。

 

「どうした? なぜ赤くなっている。私は事実を述べたのみなのだが」

「こっちゃ褒められなれてねーんだよ! いきなり照れさすのやめろ。寒暖差で風邪引きそうになるわ!」

「なんと。ならばカイロと風邪薬を──」

「比喩だよ! ホントに風邪引くわけじゃないから! つか持ってんのかよ!」

 

 本当にポケットに手を突っ込んだ瑞月を、陽介は慌てて止めにかかる。すると瑞月はホッとして手を止めた。

 瑞月は怪我や体調不良となると、冗談が通じないらしい。心臓が止まりそうと言ったら、まっさきにAEDを取りに走りそうだ。陽介は心に決めた。瑞月相手に心配をかけるような、タチの悪い冗談はやめようと。

 

 誤解が解けると、瑞月は「そうか」と姿勢を正した。澄んだ紺碧の瞳が、陽介をまっすぐに写し出す。

 

「花村のおかげで分かってきたんだ。千枝さんや、雪子さん。遠巻きに指さす人ばかりではなくて、暖かい手を伸ばしてくれる優しい人もいるんだと」

 

 瑞月は迷いなく、手を差しのべた。少し緊張した面持ちで、彼女は陽介に呼び掛ける。

 

「だから、私は長く友達でいたいよ。私に手を伸ばしてくれたきみと」

 

 人を遠ざけていた瑞月が、勇気を振りしぼって手を差し出したのだ。陽介はそれが嬉しくて――眩しいと思った。

 

 瑞月はまっすぐだ。自分の中に芯を持っていて、そのためなら迷いなく動ける。たとえ、自分がどう見られていようがお構いなしに。周りの目を気にしてばかりで、ヘラヘラと上っ面を取り繕っている陽介とは大違いだ。

 

 まっすぐで強い、瑞月という女性に陽介は多分、惹かれていた。友人としてではなく、異性として。

 

 けれど今、その想いを封じると決めた。

 

 陽介にとって、瑞月は月のような人だった。彼女の優しさは、月が天から降り注ぐ安らかな光に似ている。

 あるいは、泥のなかに咲く蓮のように清らかな人。泥の中でも凜とした白で輝く蓮のような高潔さを彼女は持っている。

 どちらにせよ、美しい人だ。そんな瑞月に陽介は焦がれた。

 

(──だからこそ、コレは俺なんかが瀬名に抱いていい感情じゃない)

 

 夜空の月が遠いように、泥中の蓮が眩しいように、瑞月は手を伸ばすにはあまりにも高嶺にいる。平凡な陽介が瑞月を恋人に望むのは、あまりにも分不相応だ。彼女に、陽介がふさわしくない。恋人としてより、友人としての関係が妥当だと思ってしまっている自分がいた。

 

 そして、陽介は小西先輩に恋心を抱いてしまっている。2人の異性を好きになるのは、女性に対して──ひいては小西先輩と瑞月に不誠実だ。陽介は友人に誠実でありたい。

 

「ふはっ、何だよ。おおげさだな」

 

 だから陽介は、わざとらしく吹き出す仮面の下で、感情を押さえ込む。恋になる前の淡い想いを『憧れ』という箱の中に詰める。

 

「するに決まってるだろ。俺たち、『大事な友達同士』なんだから」

 

 瑞月が差しだした右手をぐっと強く握り返した。同時に、瑞月に抱いていた、ふわふわと心浮き立つ感情にふたをする。

 

 瑞月は、しぱしぱと目をまたたかせた。しばらく何が起こったのか、握られた手をじっと見つめて――陽介が握った手をおだやかな力をこめて握りかえした。

 

「ありがとう」

 

 心から安堵とともに、瑞月はやわく微笑む。自分は間違っていなかったのだと、陽介はふにゃりと、情けなく笑った。

 

 ◇◇◇

 

 色づいた紅葉やイチョウが、ひらりひらりと樹から落ちる。朱、橙、くちなし色が、刻一刻と神社の敷地に積もる様子を眺めながら、陽介は盛大にため息を吐き出した。

 

「はーーーーー、帰りたくねぇーーーーーーー」

「日が暮れて寒くなるからおすすめしない。どうして帰りたくないんだ」

 

 隣に座る瑞月が、真面目に問いかける。陽介と瑞月の、いつものやり取りだ。彼女が言うとおり、境内はすこし肌寒くなっている。

 

 紅葉を見ながら、おだやかに瑞月と過ごせる時間もあと少し。なごりおしさを覚えながら、陽介は手の中のスチール缶を握りしめた。最寄りの自販機で買ったばかりの『やそぜんざい』はあたたかい。瑞月も同じようにスチール缶を両手で包んでいた。

 

「もーすぐ期末テストだろ。ウチ帰ると、お袋がうるさくてさぁ」

「では、口出しされない、いい方法を教えてやろう。しかも、誰でもできるものだ」

「え、そんな魔法みたいな方法あんの? なになに?」

「だまって机に向かうことだ。誰も話しかけないし、テスト勉強もできる。一石二鳥だ」

「正論で殴んな! 息の音をとめるんじゃねぇ!」

「ぐぅの音もでないと」

「……お前のその余裕が羨ましいよ。ハアーァ、結局はペンか。やる気とか湧いてでないもんかね」

 

 観念して、陽介はぐいっと『やそぜんざい』をあおる。陽介とて成績が大事だというのは分かっている。八十神高校では赤点の場合、冬休みの補修もありえる。とはいっても、義務感だけでモチベーションが上がらないのだ。すると気落ちする陽介を見かねたのか、瑞月がアイデアを切り出した。

 

「テスト終わりの楽しみを用意したらどうだ? 楽しい予定があれば、テスト期間中も頑張れるからな」

「ああ、それナイスアイデア!」

 

 なかなかの名案である。陽介は楽しみを想像した。しかし、すればするほど、陽介の気分はしぼんでいく。八十稲羽ここにはウィンドウショッピングを楽しめるようなモールも(ジュネスは論外)、カラオケも、ゲーセンもない。

 

「……瀬名は、ちなみにどこ行くつもりなん?」

沖奈(おきな)だが?」

「沖奈……その手があったか! あそこシネマとかあるもんな!」

 

 喜色満面、パチンと陽介は指を鳴らす。八十稲羽からもっとも近い都会、それが沖奈だ。駅前のモールには流行のショップも揃えられ、映画館やカラオケといった若者向けの娯楽も一通り揃っている。

 

 たしか、陽介が気に入っていた映画シリーズの新作が公開されていたはずだ。若者に熱狂的な人気を誇るシリーズだから、沖奈でも上映される可能性は高い。

 

 陽介は早速、自前のスマホで上映スケジュールを確認した。結果、ガッツポーズである。

 

「瀬名ぁ、あんがとな! 『アラネアヒーロー』新作、沖奈でやってる!」

「……楽しみができた、のか?」

「うん。うん! これで俺、今回のテスト乗りきれそうだわ」

 

 楽しみが見つかって、陽介は肩をうきうきさせる。息のつまるテストも乗り越えられそうだ。瑞月はというと、喜ぶ陽介に向かって不思議そうに首をかしげている。

 

「花村。『アラネアヒーロー』とはなんだ?」

「………………は?」 

 

 喜びが、それに勝る衝撃で消し飛ぶ。あまりのショックに陽介は言葉を失ってしまった。あの有名な『アラネアヒーロー』シリーズを知らないだと……!? フリではないか? だが、疑いは間違いと知れた。瑞月の顔にはありありと「知らない」と書かれている。

 

「うっそ。見たことねーの!? 公開すれば、満員御礼、大人気アクションなのに?」

「ない。そもそも映画館に行ったことがない」

 

 陽介は絶句した。対する瑞月はことの重大さを理解していないらしく、引き続きキョトンと黙りこむ陽介を見つめている。しばらくすると、はーっと陽介は息を吐き出した。

 

「おまえ……ほんっとエンタメ疎いな。あんなに面白いのを知らないなんて、人生の半分損してるぞ」

「そういうものか? 映画なんてただ画面が大きいだけだろう? テレビで十分ではないのか?」

「そうゆうのじゃねーんだよ……。なんでそこまで枯れてんだ」

 

 瑞月は知らないのだ。映画館の大スクリーンによって生み出される映像の迫力を。テレビなどよりも、ずっと密度の濃いBGMが心揺さぶる快感を。無知な瑞月になんだか陽介は憐れみを覚えた。

 

「なんなら、俺と一緒に見に行くか。行き先は同じだしさ」

 

 だから、つい口が滑った。いつものお調子者ポジの誘い文句だ。もちろん、断られる前提の。対する瑞月は、淡々と答える。

 

「分かった。行こう」

「だよなー。こんな面白い映画見なきゃ損…………って、え?」

 

 思わず、陽介は目を丸くする。瑞月はたしかに「行こう」と答えたのだ。

 

「瀬名さん? ホントに俺とでかけるつもりなんスか?」

「きみはそのつもりも考えていたのではないのか? なぜ驚いている?」

「いや、その……まさかノッてくれるなんて思わなくってさ」

「花村は一人がいいのか?」

「いや、そうじゃなくて! そりゃ、いたらたのしいだろーなとか考えてたけど……」

 

 まさか承諾されるとは思わなかった。などとは言えない。返答にまごつく陽介に、瑞月が問いかける。だが、その声は責める気配が一切なかった。陽介の答えを待って、瑞月は静かに待っている。沈黙を選ぶのは、不誠実だ。

 

「……その、お前に悪いかなって。行きたいとこ、あるだろうし」

「どうして悪いと決める? 私は楽しそうだと思ったが」

 

 え? と疑問の声が陽介の口から漏れる。すると、瑞月は唇を弾ませて笑った。さやさやと秋風が吹く。(ひそ)やかだけれど、にぎやかな秋に似つかわしい、楽しそうな笑顔だ。笑顔で陽介が見たことのない、新しい笑顔のまま、彼女は続ける。

 

「花村が、楽しそうに話していたから。私一人で過ごすときとは、違った楽しさがあると思った。きみが楽しいと思うものは、私も興味がある」

 

 きみはどうだ。と瑞月が問う。陽介はそれに、一も二もなく頷いた。

 

 日が暮れてそろそろ帰ろうとなったころ、瑞月がお参りがしたいと言った。なんでという問いかけに、「……次のテストの願掛け」と答えた彼女につられて、陽介も横に並ぶ。

 

「きみもか」

「でかける約束したからな。……それならちゃんと、頑張りたいだろ」

「ふふっ、そうか」

 

 以外と真面目な陽介を、彼女は微笑ましく受け入れた。からかわれているわけではないので陽介も悪い気はしない。

 

「ならきっと、ここの神様は味方になってくれるよ。ただ、お賽銭は必要らしいが」

 

 過去形ということは、瑞月はここでなにかを願ったことがあるのだろうか。こころなしか、投げ入れる賽銭も(偶然見てしまった)もすこし多かった気がする。現実主義な彼女が入れ込むとは物珍しい。

 

「ふーん。瀬名は、ここでなんか願ったりしたんか?」

「……したよ。私にとって、とても大切なことを叶えてもらった」

 

 確固たる根拠に基づいた、自信に満ちた声で瑞月は言う。つられて陽介も、すこし多めに賽銭を投げ込んだ。テストがうまく行きますようにと願って、手を合わせる。

 

 隣り合った瑞月と陽介は社を後にした。階段に足をかけたところで、コーンッと謎の鳴き声が静かな境内に響き渡る。それは、なんだかとても嬉しそうだ。

 

 思わず後ろを振りかえったとき、秋風が落ち葉を巻き上げて吹き抜ける。

 

「追い風だな」

 

 なるほど背中を押す風は力強く、本当に神社の神様が起こしたのかもしれなかった。夕暮れと巻き上がった燃えるような落葉を背景に、なびく黒髪を押さえて瑞月が微笑む。彼女の笑みはとても柔らかくて、陽介は暖かい気持ちになる。そしてテストが終れば、彼女と共に笑いあえるかも知れなかった。

 

(テスト、マジで頑張ろうかな)

 

 どうせなら、思いっきり晴れやかな気分で友人である彼女と出掛けて笑いあいたい。歩き始めた瑞月の横で、陽介は密かに決意するのだった。

 




 お読みいただき、ありがとうございました。
 無事、仲直りできた2人でした。そして、2人の関係もより深まったようです。
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