Lotus in the mud   作:十志 佐都

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さて本編。おや、いわれのない花村の悪口を耳にしてしまったオリ主の様子が……?


暴露 ②

 ドン、と乱暴な音がした。暴力的な雑音が主婦たちの会話を中断させる。瑞月が缶コーヒーをベンチに叩きつけたのだ。豊かな黒髪が、瑞月の美しい顔を覆い隠す。

 そのまま、プルタブを折らん——いや折れた——ばかりの勢いで引き抜く(プルタブを倒すとかそういう次元の動きではなかった)陽介は唖然として、瑞月を凝視する。

 

「花村、これからすることは私の自己満足だ。君は帰れ。その前に、耳を塞いでいてくれ」

「へっ、えっ、はっ?」

 

 行動の乱暴さとは裏腹に、陽介にだけ聞こえるささやきで──そして抗いがたい圧を持って、彼女は陽介に指示する。瑞月の奇行に陽介は返答できなかった。だが、反射的に陽介は両手で耳を塞ぐ。

 次の瞬間、陽介は驚愕した。瑞月が缶コーヒーを口に押し当てる。まだ熱く苦い液体を、顔を振り上げて彼女は一気に飲み下した。まさしく瑞月は『煮え湯を飲んだ』。

 

 まるで、陽介の抱えた苦しみを飲み干すかのように。

 

 重ねて驚いたことに、彼女の奇行は終わらない。

 すっくと立ちあがり、彼女は乱暴にコーヒーの残骸に膝蹴りを食らわせる。スチール缶は九の字に折れ曲がる。そのまま流れるように、瑞月はスチール缶をくずかごに投げ入れた。

 スチール缶とくずかごが接触事故を起こす。ゴガァン!! とけたたましい音が鳴った。陽介は耳を塞いでいたからいいが、塞がない人間の鼓膜には痛烈な騒音だ。言葉を持たぬ瑞月の凄まじい威嚇に主婦たちはたじろぐ。

 その隙に、瑞月は一息に主婦たちへ近づく。瑞月が何をするのか。疑問に思った陽介は耳を塞ぐ両手を外す。

 

「……な、なによ、あんた」

「……あなたたちがしていることは、今私がしたことと同じだと言っているのですよ」

 

 悍ましいほどに、瑞月の声は低かった。矛先を向けられていない陽介ですら鳥肌が立つほどだ。彼女は怒りに支配されている。曇天の陰りによって、ワインレッドのカーディガンが血染めの布に見えなくもない。

 

「わ……私たちは、ただ立ち話をしただけじゃない……」

「ならば他の場所でなさってくださいませんか。あなたたちの話が大きくて、私は好きな話を遮られて不快なんです。私がさっき缶を投げ入れて大きな音が立ったとき、あなたたち何が起きたかって怖かったでしょう? 話を邪魔されて不快だったでしょう? それと、同じです。あなた方がどこで話すかは自由ですけれど、私にだって騒音や不快な話を聞きたくないと主張する権利だってあるのです。立ち話だったら、移動しながらでもできるでしょう? だから場所を変えてください」

 

 ねぇ、と地を這うように瑞月は語りかける。おびえる主婦たちに、瑞月は一歩近づいた。ひぃ、と引きつった悲鳴を上げて、主婦たちは後ずさる。長く濡れた黒髪で顔を覆った瑞月は、某ホラー映画のテレビから出てくる女性のような恐ろしい顔をしているであろうと、陽介には予測がついた。

 

「内容に自分が関係あろうが、なかろうが、陰口って聞いている人を不快にするのですよ。貴方だって、酒に酔った夫が自分に関係ない愚痴をダラダラダラダラこぼしたら、腹が立つでしょう? どこかに行ってほしいって思うでしょう? だからね、あなたたちにはどこかに行ってほしいんです」

 

 妙に現実感のある例えに、氷でも飲まされたように主婦たちは青ざめ、引き下がる。お構いなしに、瑞月はドシドシと無遠慮に近づく。

 

「────あなたたちの日ごろの鬱憤を、他のことに押し付けても何にも解決しませんし、時間を無駄にするだけですよ。ただでさえ、いい年なのに、慎みというものをご存じ?」

 

「ば、化け物ッ!」

 

 悲痛な叫びを、主婦が上げる。対して「……ハハっ」と、乾いた笑い声が上がった。妙に幼い笑い方が不気味だ。そうして、情感たっぷりに、瑞月はゆらりと長い首をかしげた。

 

「あなたたちの軽口が、引き寄せたのかもしれませんね?」

 

 ────とりあえず、帰り道と夜道には気を付けましょうね。余計なコトは言うもんじゃありません。私みたいのを引き寄せますから。それがお嫌なら……誰にも話してはいけませんよ。

 

 それだけ言うと主婦たちは凍りつく。瑞月が不意に近づいて、主婦たちの肩にとんと白い手を置く。

 

 ぎゃーーーーっ!! と爆発的な悲鳴が上がった。主婦たちは無様に退散していく。足元をもつれさせながら、ともに話していたことなど忘れて、2人の主婦は我先にと、道路の彼方に消えていった。

 

 カバーガラスのように薄っぺらい主婦たちの友情を最後まで眺めたのち、瑞月は煩わしそうに髪をかきあげた。ワインレッドのカーディガンを脱ぎながら、瑞月はベンチを振り向く。マネキンのごとく固まった花村を見つけて、彼女はギョッとした。

 

「……花村、帰っていいといったろうに」

「……」

「花村、今すぐここから離れた方がいい。あの輩が警察を連れてきてはかなわないからな」

「…………」

 

 陽介は言葉が出なかった。何から話していいのか分からなかったのだ。

 瑞月がスチール缶を折ったことか、喉を焼くほどに熱いコーヒーをイッキ飲みしたことか、その缶をくずかごにものすさまじい勢いで投げつけたことか、妙にクオリティの高い貞子(さだこ)の真似をして主婦たちに詰め寄ったことか。その主婦たちが無様に尻を捲って飛び逃げしたことか。

 

 どれもこれもが三文芝居じみたコメディだった。あるいはお粗末な喜劇だった。観客は陽介一人だけ。定員割れも甚だしい安っぽさだ。

 

 ──それなのに、どうして自分はこんなにも清々しい気分なのか。

 

 息が吸えた。さっきまで肺を締め付けるような苦しみに苛まれていたというのに。軽やかに、気道が開けたように胸部の筋肉がほぐれて動き出す。肺に取り込む新鮮な空気が体に沁み渡っていく。

 

 息ができた。もう苦しさなんて感じなかった。瑞月の隣で陽介は、普通に呼吸ができた。

 息をいっぱいに取り込む。そうして陽介が発したのは、

 

「あのさ、瀬名」

「どうした、花村」

「ありがとう」

 

 瑞月への感謝だった。

 すっとしたのだ、陽介は。瑞月が、陽介の代わりに怒ってくれたから。

 

 新種の花粉が飛んでいるのだろうか。ぐずりと、花粉症でもないのに陽介は(はな)をすする。視界が滲んだのだって、きっと新種の花粉のせいだと思いたかった。花粉にやられた顔なんて見せたくなくて、陽介は俯いて、身体を固くする。

 すると、強ばった肩にポンと、人の温もりが落ちてきた。

 

「……私がしたくてしたことよ。ワガママだ」

 

 静かな、いつもの通りに、凛とした声が降ってくる。瑞月は何も聞かない。陽介の、鼻声の理由にも。俯いている理由にも。何も聞かずに、ただ、陽介の冷えてしまった肩を撫でる。

 

「ほら、映画話の続きをしようじゃないか。鮫川の方へ行こう」

 

 何もなかったように、瑞月が誘った。うん。と陽介は鼻声で頷く。そうして、2人は四六商店を後にした。

 

 ◇◇◇

 

「長くしゃべったから喉が渇いた」

 

 瑞月の要望により、コニシ酒店の当たりつき自販機で、陽介は「やそぜんざい」を、瑞月は好物である炭酸飲料『胡椒博士NEO』を購入した。当たりによって2つに増えたそれを刺激しないよう、瑞月は慎重に抱えている。いつも平坦な頬がわずかに上を向いている。どうやらご機嫌のようだ。

 

 ときとして、瑞月は表情筋の変化が乏しい。が、長い時間を共にするうちに、陽介は微かなサインからも瑞月 の感情が分かるようになってきた。

 

「嬉しそーだな」

「ああ、缶コーヒーも『やそぜんざい』良いが、私はやはりコレが好きだ! 独特の清涼感と複雑に絡まったスパイスの芳しさが強い甘さと絡まって、えもいわれない喉越しとなって喉を潤す。まさに21世紀における甘露! たまらない!」

「お前食レポすげーな……さっきイッキした熱々の缶コーヒーに比べたら、どんなもんだってウマいだろ」

「私は猫舌ではない」

「感度じゃなくって、人体の耐久性の問題だっつの……」

 

 瑞月の食レポは本当に美味しそうだ。とはいえ、1月の寒い日に飲むなら陽介はやはり温かい『やそぜんざい』がいいけれど。彼女は基本的に美味しい食べ物が好きだ。好物を目にすると若干瞳が丸くなって口角が上がる。特に今日は、いつもより意気揚々としている。

 

「まぁ、私の身体は丈夫だから気にするな。日ごろの鍛錬の成果ゆえな」

「日ごろの鍛錬でかってぇスチール缶が膝蹴りで折れるようになるかよ……」

「里中さんだって飲料缶を蹴って凹ませられるだろう? 気にするな」

「いま誤魔化したけど、里中が蹴ったのはアルミ缶だからなッ!? 薄いヤツ! 俺だって手で潰せるっての!!」

「むぅ……誤魔化されないか……鋭いな。まぁコツがあるのだ。コツが」

 

 主婦たちが来る前の、水入らずの心地よい空気が2人の間に満ちてゆく。しばらく開けた道を歩いて、瑞月に導かれるままになっていると、陽介たちは静かな児童公園に行きついた。

 

 なんの変哲もない、柵に囲まれた小さな公園だ。利用者は2人以外にはおらず、閑散としている。砂場やブランコ、ジャングルジムや鉄棒を通り抜けて、二人は奥にある粗末なベンチに隣あって腰かけた。

 

 カシュッと小気味のいい音を立てて、2人同時にプルタブを引き上げた。陽介はそれを口元に持っていく。妙に癖になるトロっとした甘さが口の中に広がった。瑞月はちびちびと缶の中身を楽しんでいる。

 

「あ~~~、仕事終わりのいっぱいはうめーなー」

「この年でもうそんな楽しみを……! やるな花村」

「ただのソフトドリンクだろーがっ、まぁ、俺の隣にはコーヒーキメると貞子になる人もいるみだいですしーー?」

「聞き捨てならないなドコが貞子か」

 

 気安いやり取りが続いた後、話題が途切れた。気まずく思った陽介は瑞月から目を逸らして話題を必死に探す。意味のない言葉ばかりが陽介の口をついた。焦燥が、陽介の内側を占めてゆく。何か喋らなければ、嫌なことを思い出してしまうという焦燥が。

 

 すると、陽介の背中をやわらかな感触がかすめてゆく。

 

「花村、もう大丈夫だ」

 

 瑞月の声は落ち着いていた。『胡椒博士NEO』を抱えたときの気持ちの高ぶりは影もなく、ただただ真剣な瞳で陽介を気にかけている。

 

「な、にが」

「無理を、しなくていいと言ってるんだ。君は辛いことがあると、ことさら明るく、多弁にふるまおうする癖があるから」

 

 陽介はびくりと肩を跳ねた。瑞月は全部、気が付いていたのだ。陽介が商店街で出会った主婦たちの言動に陽介が(こた)えていたことも。それがずっと引っかかって、無理に明るく振舞っていたことも。

 

「別に、そんなじゃねぇって」

「ううむ、誤魔化されるのは寂しいものだな。私は君に何度も助けられているというのに。元気のない友人を励ませないくらいに、私は頼りないし、信用ならないだろうか?」

 

 違うのだ。瑞月を頼りないと思ったことはないし、信頼にも足る人物ではある。しかし瑞月に話したからといって、陽介の問題は解決するものではなかった。

 むしろ、瑞月を自身の問題に巻き込んで、不快感や、傷を与えるのが陽介は怖い。とはいえ、瑞月が真摯に訪ねてくるので話題を変えることもできない。

 

「──やはり、先ほどの私の行動がいけなかったか」

 

 ん? と陽介は疑問を抱く。瑞月のいう『先ほど』とは、三文芝居で失礼な主婦たちを追い払った出来事についてだろうか──? などと、陽介が言葉の意味を思案していると隣のベンチから気配が消える。

 はて? 彼女はどこにいくのか。と俯いた顔を上げると、陽介の目の前には眉間を悔いぎみに歪めた瑞月が立っている。どうしたのかと、陽介が問いかけようとした、そのときだった。

 

「──────すまなかった」

「え…………」

 

 瑞月は深々と頭を下げた。陽介は驚きに腰を浮かす。どうして唐突に彼女が謝る必要があるのか。呆然とする陽介に向かって、瑞月は腰を折ったまま、ポツリポツリと悔い気味に言葉をこぼす。

 

「さっき、花村に怖い思いをさせた。事前の忠告はしたとはいえ、折った缶を叩きつけて騒音を出し、あの主婦たちに詰め寄る私の様子は、暴力的で、怖いもの、だったと思う」

 

 陽介はハッとする。瑞月は陽介が落ち込んだ理由を、瑞月の脅迫じみた行動に怯えたと読み取ったのだ。たしかに、あの行動は冷静沈着な瑞月らしくない。

 

『どこにだって根も葉もない噂を流す人間はいる。構うだけ無駄だ』

 

 そう言って、文化祭の準備期間──自身に降りかかる心ない発言を、瑞月は聞く耳も持たずにはね退けたのだから。だから、陽介にとって彼女があれほど──相手を騒音で威嚇するほどに怒ったのは不可解だった。

 

(それに……)

 

『ごめん、瀬名』

 

 そう謝った陽介に見せた、瑞月の──まるで凛と大人びた仮面がひび割れたような──幼く痛ましい表情が陽介は忘れられなかった。

 

「なんで、あんなコトしたんだ……?」

 

 言ってしまって、陽介は慌てて口を塞ぐ。これでは瑞月の行動を責めているようだ。心なしか、瑞月の肩がピクリと跳ねた気がする。急いで、陽介は言葉を継ぎ足した。

 

「ごめん、違うんだ。瀬名を責めるつもりなんて全然なくて……あの、ってか顔あげてくれ」

 

 そうじゃなきゃ、なに思ってんのか分かんないだろ?

 

 陽介の言葉に、瑞月がおずおずと顔を上げる。瑞月は情けなさそうに眉尻を下げていた。なんだか見ていると自然と陽介も申し訳ない気持ちになる。加えて、陽介の気のせいかもしれないけれど、ほんの少しだけ、怯えの色が滲んでいる。

 だから陽介は意識して頬を持ち上げた。瑞月が安心するよう、何とか笑顔を形づくる。

 

「瀬名には助けられたって思ってる。そりゃあ、ちょっとやり方が奇抜だったのはあるけどさ……」

 

 たしかに、スチール缶をぶち曲げる瑞月の行動には目を剥いた。けれど、怖いとは思わなかった。なぜなら──

 

「────『耳塞げ』って俺のこと、庇ってくれただろ。怖い思いさせないようにさ」

 

 行動に出る前、瑞月は『逃げろ』と『耳を塞いでくれ』と忠告してくれた。自分が今から取る行動に、陽介を巻き込まないよう──巻き込んだとしても恐怖を軽くできるよう最低限の配慮をしてくれた。

 それだけではなかった。陽介は続ける。

 

「貞子じみたカッコもさ、主婦(あの人)らの目を自分にだけ集めるためだろーし。全部終わったあと、警察沙汰にしないために、こんな遠くまで連れてきてくれてさ」

 

 確実に、瑞月は陽介を庇おうとしてくれていた。それが分かっているから。だから──

 

「────だから、俺は、お前のこと、怖いって思わなかったよ」

 

 ぽんと、軽く陽介は瑞月の肩を叩く。

 陽介にできる精一杯のメッセージだ。怖い相手に、触れられるはずがない。言葉ではどうしても伝わらない想いを、陽介は精一杯、手のひらに込める。

 

「俺が知りたいのは、なんでお前が傷ついた顔して、そんな──子供みたいに怯えてんのかなって」

 

 言っていて、すとんと腑に落ちる。怯える瑞月はどこかあどけなかった。

 まるで帰り道を、家を見失っている子供のように、ゆらゆらと瞳を揺らしていた。

 

 怖がらせたと陽介に言いながら、その実、

 瑞月が一番、怖がっているように陽介は見えたのだ。

 

 その原因が何なのか、陽介は知りたかった。

 

 瞬間、瑞月の肩がこわばる。石のように固まった彼女の肩を陽介はそっと撫でた。大丈夫だと、お前が大切なんだと、瑞月が陽介にしてくれる手つきに似せる。

 




 お読みいただき、ありがとうございました。正直オリ主の奇行には戸惑われたかと思いますが大丈夫、作者も執筆当時同じ気持ちでした。
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