Lotus in the mud   作:十志 佐都

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暴露 ④

 言葉とともに、息を吐ききる。呼吸を再開すると、空っぽの肺に1月の冷たい空気が満ちていって、寒々しい。陽介は俯く。瑞月が自分をどんな目で見ているのか知るのが怖くて。

 こんなところでも、勇気の無さをさらけ出しているようで陽介は情けなく思う。

 

「────花村、こっちを見よ」

 

 不意に、両肩をやわく挟まれた。人肌の温もりが、陽介の輪郭を浮き彫りにする。命令形だというのに、包みこむように優しい声が鼓膜を震わせる。思わず、陽介は顔をあげた。

 瑞月の一対の瞳が、陽介をひたと捉えている。澄んだ紺碧の瞳が、鏡面のように陽介を歪みなく映しだした。

 

「花村は、『空っぽ』なんかじゃない」

 

 躊躇いもなく、彼女は言いきる。その声はどこまでも誠実で、切実だ。ぐっと陽介の肩に触れた手のひらを強く押しつける。

 

「花村は、私に、たくさんのものを与えてくれた、かけがえのない、優しい人だよ」

 

 瑞月の手が離れていく。そうして、彼女は自身のショルダーバッグからあるものを取り出した。ブックカバーだ。瑠璃色の夜空に雪が輝くそれを陽介が見間違えるはずがない。誕生日プレゼントとして、陽介が瑞月 に贈ったものなのだから。瑞月はそれを、大切に大切に、片腕で胸に抱えてみせる。

 

「初めて会った日も、文化祭で私を手伝ってくれた日々も、晴れた日に屋上で話をした日々も、千枝さんや雪子さんと友達になった日も、互いに喧嘩をした日も、沖奈に一緒に出かけた日も、羽根突きで遊んだ後に、君からこのブックカバーをもらったことも────全部ぜんぶ、私は覚えてる」

 

 余った片手を瑞月は伸ばした。そうして、むき出しになった陽介の手のひらを包みこむ。雪にも似て白い彼女の手のひらは、驚くほどに温かい。

 

「一緒に過ごした時間を、なかったなんて言わせない。少なくとも、私はなかったことになんてしない。友達と過ごす時間が楽しいと知れたのだって、テレビや映画やマンガが楽しいものだって分かったのだって、私が……お義母(かあ)さんやお義父(とう)さんと少しずつ会話の時間が増えてきているのだって──」

 

 すぅっと彼女が息を継ぐ。そして凛と言い放った。

 

「────全部ぜんぶ、きみが背中を押してくれたからだ」

 

 さびれた公園に、瑞月の声が凛とこだます。握られた手がいっそう強く包みこまれた。

 

「だから、『空っぽ』なんて私が君に言わせない。きみが私に与えてくれた、たくさんのものを、私は大切にするよ。もちろん、私を支えてくれた、きみのことだって」

 

 そういって、瑞月は笑う。花束を受け取った少女のように無邪気で綺麗な、そのくせ、姉のような温かい瞳で。

 陽介の喉を熱いものがこみ上げてくる。それは目の奥を同じように熱く満たした。溢れそうになるそれを陽介は必死で留める。

 

「こんな……なっさけなくて、逃げてバッカの……カッコ悪いヤツ、なのに……?」

「先ほどのきみの言葉と似たモノを返そう。『本当にカッコ悪い人間は、自分がカッコ悪いという自覚はない』。カッコ悪いという自覚があるなら、治そうと努力することもできるだろう。────それにきみは、きみが思うほど逃げグセのある人間ではないよ?」

「え……?」

 

 震え声で、陽介は問う。瑞月 は優しく笑んではっきりと陽介を諭す。

 

「転校してきて日が浅いのに、文化祭で奮闘していた姿を知っている。きみはまだ、クラスに馴染んでいる最中だったのにね。年始に参加した臨時バイトの、人を揉むような忙しさの中で、きみが必死で働いていた姿を知ってるよ。無断欠勤者もいたというのに。

 

 きみはずっとずっと、誰かのために闘っていた」

 

 ────誰かのために頑張れる人は、優しい人なんだろう?

 

 鼓動がめぐる。温かな血潮が陽介の全身を満たした。冬の寒さなんて気にならないほど、身体が熱く満たされていく。

 

「だから、私から言わせれば、きみは困難に立ち向かえる勇気のある人なんだよ。ただ、色々なトラブルを背負ってしまいやすい」

 

 陽介は目を見開く。そんな風に瑞月は思ってくれていたのかと。ただ、泥臭くもがいてばかりの陽介に、瑞月は尊敬の眼差しを向けてくれる。

 

「だから、私の力が及ぶ範囲であれば助けになりたい。もともと、私は自分に向けられた悪意をやり過ごす方法も、対処法も心得ている。細やかだけれど、きみが困難を乗りこえる力のひとつとしてほしい。

花村が困難に巻き込まれたとしても──この街にいる限り──私が君から離れることはない。何かあったら、私が力になるよ。

君は私にとって大切な──親友なんだから」

 

 一息に、彼女は陽介へと友愛を告げた。てらいのない言葉に、陽介の心臓が震える。

 

「また……ああいうヤなことに巻き込むかもしれないのに?」

「花村が、一人で辛い思いを背負うよりマシだ」

 

 鼻声で、陽介は問う。間も置かず、瑞月は答えた。

 

 瞬間、陽介の息がつまった。堪えきれず、ぼろりと大粒の滴が溢れる。なんとか緩まる涙腺を抑え込んで、喉を引き締める。だけれど、とめどなく雫しずくが──熱い涙が溢れる。

 

 陽介は八十稲羽が嫌いだ。都会に比べて何もなくて、不便で、退屈で、息の詰まりそうな、悪意さえ平然と向けてくる、八十稲羽この街が。

 

(だけど、きっと……)

 

 陽介は思う。瑞月と、出会えた。こんな重苦しい閉塞感で押し潰されそうな場所でも、強く、優しく生きている、瑞月に。

 そして、そんな素敵な子に『優しい』と『大切だ』といってもらえた。

 

 この言葉だけは間違いなく、色褪せない宝物だ。

 泥のなかで輝く、宝石のような宝物だ。

 

 瑞月との出会いは、きっと何物にも変えがたいかけがえのない大切な出会いだ。いくつになっても忘れることなんてないのだろうと、思えるほどに。

 

 陽介は、顔を抑えて屈みこむ。不自然な体勢になった陽介に対して、繋がれた手にボロボロと落ちる雫について、瑞月は何も言わない。ただ、陽介の背中に、ポンポンと温かい手のひらを優しく添わせた。

 

 まるで、あなたは一人ではないのだと、告げるみたいに。

 

 ◇◇◇

 

 落ち着いた陽介は、公園の蛇口で顔を洗った。涙が溢れるギリギリで抑えたといっても、やっぱり腫れてしまうものは腫れてしまうのだ。

 瑞月はというと、陽介が顔を洗った理由について何も尋ねない。いつもと変わらず、凪いだ面差しで陽介をベンチにて待っていた。

 顔を洗い終えて、陽介は瑞月の隣に座る。バイト用に持っていたタオルで顔を拭っていると、不意に隣の瑞月が尋ねてきた。

 

「それで、花村は私と友達でいてくれるのか?」

「それ、もう今さら確認することなのか?」

 

 タオルから顔を上げた陽介はじとーっとした目を向ける。陽介としてはお互いの関係を改めて確認しあったと思っていただけに、わりとショックだ。すると、瑞月は気まずそうに視線をさ迷わせた。

 

「だって、こういう、お互いの気持ちを吐き出したときは、きちんと区切りを設けるべきではないか? 言葉にすることで、気持ちの整理がつくだろう」

「あー、なるほど。友情の儀式みたいな? 瀬名も意外とそういう青春ぽいこと好きなのな」

「おや。では、花村は嫌いなのか?」

「んなわけねーだろ! 正直、いや、ちょっと……だいぶ憧れてます。ハイ」

「奇遇だな。私もだ」

 

 ころころと、瑞月が笑う。つられて陽介も笑った。気取った道化じみた笑いではない、心の底からの笑いが飛び出す。いつ以来だろうか、こんなに清々しい気持ちで笑ったのは。気負わない自身の笑い声を、陽介は数年ぶりに聞いた気がした。

 

「ならさ、握手ってのはどーよ。俺らって何だかんだ手ぇ握るコト多いじゃん。友達になったときとか、この前仲直りしたときとか」

「そういえばそうだな。なら、さっそく握るか」

 

 ん。と瑞月が右手を差し出す。陽介もまた右手を差し出した。瑞月の華奢で白い──けれど温かな手に、陽介の手のひらが組み合わさる。陽介と瑞月、友情を確かめあう、2人だけの特別な儀式に、陽介の心はドキドキとはしゃいだ。瑞月も楽しそうに笑んで、繋がれた手を見つけている。

 

「ありがとう、花村。大切にするからな」

「は…………」

 

 爆弾が、落ちた。大切にする。大切にす、る? 陽介の中でも瑞月の言葉がぐるぐると頭を巡ったすえ────ぶわりと、顔が沸騰した。

 

 これではまるで、告白のようだと。

 

(そういえばさっき、コイツスゴいこと言ってなかったけ……?)

 

『細やかだけれど、きみが困難を乗りこえる力のひとつとしてほしい』『私が君から離れることはない』『花村が、一人で辛い思いを背負うよりマシだ』

 

 などなどなど、ロマンティックなプロポーズも真っ青な殺し文句を次々と口にしていた。ぷしゅうと、陽介は湯気を吹き出す。

 

「……あの、さ、瀬名、サンキュな。俺のこと、すげー心配してくれて……でも、『大切だ』とか、『君から離れることはない』なんて、簡単に使っちゃダメだかんな……」

「事実だが。それにトラブルに巻き込まれた私が、君から離れていくと思っていただろう。だから気負わないように釘をさしたまでなのだが」

「うぐっ…………!」

 

 瑞月はキョトンと首をかしげている。陽介は口をへの字に曲げた。瑞月の指摘は図星であった。陽介はたしかに、瑞月 が踏み込んできてくれなければ、瑞月から遠ざかっていたかもしれない。

 だが、事実だからといってなんでも言っていいわけではないのである。これは重症だと陽介は頭を抱えた。彼女は自身の感情にストレートすぎて、言葉を選ぶことができないようだ。

 

「んなこと思ってねーてっ!! そーゆーのはオトコノコに言うと誤解されるの!! ダチの俺だからいいけど、いーな!? 絶対他のヤツに使うなよッ」

「使うほど親しい男性が他にいないゆえ、問題ない」

「あぁ、さいですか……。いや、そうだったな……」

 

 あまりに純真な瑞月に、陽介の内側に保護者的な庇護欲が芽生えてくる。だめだコイツ、なんか放置しちゃいけない気がする。自覚ない天然タラシでタチの悪い男をひっかけてストーカー紛いの被害を受けそうな予感がすると、陽介は天を仰いだ。

 

(まぁ、なんだかんだで一件落着なんだろうな……)

 

 思いがけないハプニングもあったけれど、陽介は今日を良い一日だったと言える心持ちだった。

 瑞月が人には見せたくない一面を陽介に見せてくれた。

 陽介もまた、自分の弱みをさらけ出せた。

 そうして、瑞月は弱い陽介を受け止めて励ましてくれた。

 どれもが、陽介にとっては大切な思い出だった。瑞月が認めてくれたから、陽介は自分を少し好きになれた気がする。

 

 しばらくして、2人は名残惜しそうに繋いだ手をほどく。瑞月の体温が失われるのが寂しくて、陽介は何となく手のひらを握りしめた。

 瑞月 はベンチから立ち上がった。曲がっていた腰を正すためか、彼女は大きく背伸びをする。

 

「さて、では帰ろうか。あまり外で身体を冷やすと風邪を引くのでな」

 

 ふと陽介は疑問を覚える。瑞月は親しい人間が傷つく事態にやたらと忌避感を示す。それがなぜなのか陽介は気にかかった。

 

「……あのさ」

 

 陽介は疑問を投げようとして、開いた口を固める。不思議そうに陽介を見つめる彼女はいつも通り凛と大人びている。

 だが、陽介は知っていた。瑞月は大人びているように見えて、意外と子供っぽいところがある。変なところで直情的になったり、好奇心が旺盛だったり。大人びているのはフェイクで、背後に意外と未成熟な少女性がちらつく。ときおり見せる、無邪気な笑顔が何よりの証拠だ。

 

(でも、今日は……すっげー可哀想なカオしてたんだよなぁ)

 

 陽介が失礼な主婦たちに傷つけられたときに──幼く痛ましい表情は何だったのだろうか。

 瑞月は、過去に両親から捨てられたという。けれど、どうも、その経験だけで人が傷つく事態に過敏に反応する性格が形作られるとは考えにくかった。それに彼女の『他人を助けて、自分が救われたい』という言葉もひっかかった。加えて──

 

『無辜の──無実の人間が、存在だけで虐げられるのは最も忌むべき理不尽だ』

 

 ──おもくおもく、血を吐くように告げられた言葉が。苦しそうに眉根を寄せた瑞月が。

 陽介は忘れられなかった。

 

(もしかして…………なんかまだ、言えないコトとか、あったりするんかな)

 

 もしもそうならば、陽介は瑞月の力になりたいと思う。けれど──

 

「なんでもねぇ……」

 

 ──それを聞く勇気を陽介は持っていない。結局、曖昧に言葉を濁した。尋ねてしまって、瑞月との関係に罅を入れたくないのだ。

 

 だから、いつか、瑞月が話してくれるまで待とうと、そう決めた。

 

 公園を後にした2人は歩幅を合わせて、自宅までの短い道のりを他愛ない会話を交わしながら帰りゆく。分厚かった曇り空から太陽が見えた。橙色に輝く光が陽介たちの帰路を照らしていた。

 

 後日、稲羽中央通り商店街にて曇天の日は幽霊が出るという噂がまことしやかに囁かれた。

 




 お読みいただきありがとうございました。また仲を深めた2人です。
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