Lotus in the mud   作:十志 佐都

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 それでは本編。夢主を悲しませてしまった花村は……?


Friendship 後編

 パンと、乾いた音が狭い教室内で反響する。鮮烈な痛みに脳が揺さぶられて、息がつまる。陽介の頬がジンジンと熱を持った。

弾かれたように、瑞月が顔を上げた。陽介を見て、彼女は唖然と口を開く。暴力を嫌う瑞月ならそうなるだろう。

 

 なにせ陽介は、自分から頬を張ったのだから。

 

「いっ…………てー…………」

「は、花村? きみは、何を……」

 

 のどを震わせながら、瑞月が問う。あっけにとられたような彼女の視線が、痛みを持った陽介の頬に集中した。視線は熱を持って、陽介の頬をあぶるかのようだ。

 

「ごめんな、瀬名。お前の忠告聞いたばっかなのに、それ破るようなアホやっちまって。でも『けじめ』として、どうしてもこうしなきゃなんなかったんだよ」

「…………自傷行為の、なにが『けじめ』だ」

 

 不可解だという言葉のかわりに、瑞月が思いきり睨んできた。釣り目がちな瞳が、今や刃の鋭さを持って迫る。沈んでいたはずの肩が隆起して今にも飛びかかりそうな怒りが滲んでいた。ヒクリと陽介の頬が吊る。たぶん返答次第ではメチャクチャ怒られるヤツであった。

 だが、陽介の答えはとうに決まっている。

 

「俺だってお前が傷つけられたら、そうした相手をブン殴るだろうさ」

 

 ハッと、瑞月は雷に打たれたように硬直する。どうやら彼女は陽介の行動の意図に気がついたらしい。

 

 花村陽介という人間は。

 もし、親友である瀬名瑞月を傷つけた人間がいるのなら、激怒し、恐らく何がなんでも止めるだろう。怒鳴ってでも。相手の手首にアザを残したとしても。それで陽介自身が傷ついたとしても。

 それは『誰であろうと』だ。たとえ瑞月自身であっても────陽介自身であっても、許さない。

 

「だから、お前を傷つけた弱い俺を、いま俺がすっ飛ばした」

 

 陽介を(そし)った者たちを、瑞月が手厳しく追い払ったように。

 陽介もまた、瑞月を傷つける弱い自分を、一人はね除けた。

 

「ごめんな、瀬名。冗談だろうと、もうお前との仲を理由なく疑ったり、踏みにじったりするようなコトはしない」

 

 瑞月が、瞳を閉じる。視覚の情報を遮断し、陽介の言葉をその声ごと聞きもらさないようにするかのように。

 

「……なら、君にとって私はなんだ」

「……大切な、親友だ」

 

 どもりそうになる己を叱責し、陽介は言い切る。瑞月が、長い睫毛に縁取られた瞳を開く。するりと、彼女の両手が陽介の右腕から離れる。右腕が陽介へと伸ばされた。

 そうして、陽介が打った、熱を持つ頬に触れる。ひりつく痛みを取り去るように、瑞月の白い手が指の背で陽介の輪郭を撫でた。空いた肩は彼女の片腕でしっかり抑えられている。

 そして、当然だが──陽介は瑞月から目を反らせなくなった。

 瑞月は瞳が、凪いだ水面のように、歪みなく陽介を写し出す。陽介は身を固くした。もし、わずかでも曇りがあれば、瑞月の碧眼は鮮明にそれを映し出して濁るだろう。

 

「この頬の痛みに誓えるか。今の言葉を」

「……ああ、嘘なんてつかない」

 

 つけるわけがなかった。瑞月に、ひいては彼女の瞳が映し出した陽介自身に。

 陽介は瑞月と親友でいたい。

 

「俺はお前の────親友だよ」

 

 祈るように、誓うように、まるで告白するように、

 陽介は、厳かに瑞月へと告げた。

 

 じっと、瑞月と陽介は真正面からお互いを見つめあう。その間、永遠に時が止まったかのような沈黙があった。口も手も、埃っぽい教室の空気さえもが停止したなか、視線だけで二人は永く語り合う。

 なにを? それは友愛について。言葉もない、原始的なコミュニケーションでお互いはお互いを語り合った。いや、もはやそれは手を出さない殴りあいだった。

 睨みつけるように、推し量るように、2人は視線でお互いの強さを確かめあう。両者ともども一歩だって引きはしない。

 

 そして、沈黙は突如として打ち破られる。

 

「そうか」

 

 瑞月が、笑った。氷のかんばせに、彼女のぬくもりに相応しい、春に綻ぶあわい花の色を浮かべて、涙をたえるように唇を震わせながらも、瑞月はふわりとやわく微笑む。

 

「嬉しいよ、花村。君が私の親友で、恥じることなど、なに一つとしてない。たとえ君は間違ったとしても、それを正そうとする心意気のある人間だからな」

 

「私も、そういう人間でありたいと思っている。だから……たとえ間違えたとしても、失敗を糧にして前に進もうとする強さを持つあなたの……花村の親友で────私は、とても嬉しくて、誇らしい」

 

 それがすべてだと、陽介には否応なく分かった。瑞月の瞳は一点の曇りもなく、晴れやかな大空に似て澄んだ紺碧が輝いている。陽介の親友であると、瑞月はなんのためらいもなく認めてくれた。

 

 陽介の身体が震えた。瑞月への想いを否定しようとしたときの、ゾワゾワとした嫌なモヤは、もう胸のなかにない。瑞月の、紺碧の中に吸い込まれて、春風に霧が掻き消されるかのように消えてしまった。かわりにホワホワとしたあたたかい喜びが、空っぽの胸を満たしていく。

 

 するりと、頬に添えられた瑞月の右腕が離れていく。彼女は手のひらを握った。それから華奢な小指をそっと立てて、陽介に示す。

 

「だから、改めて約束してくれ。私が親しく想う君を、無暗にないがしろにする真似はしないと」

 

 すがるように、願うように、瑞月が目を細めた。固く引き結ばれた唇とは裏腹に、瑞月の表情は儚い雪のような脆さをまとった。不安を表す、瑞月特有の表情。それが陽介はどうも苦手だった。

 今にも、瑞月が溶けて消えてしまいそうに思えるから。

 だから、陽介は迷わなかった。普段は逃げてばかりのくせに。束縛を嫌うはずのなのに。

 躊躇なく右手の小指を、瑞月の小指へと絡める。無骨な陽介の指に比べて、瑞月の小指は柔く、ぬくい。

 

 太さも、肌の色も、感触も、体温も、何もかもが違う2つの指がかたくかたく結ばれた。

 

「うん、約束する。少なくとも、お前との関係をけなすような真似は、絶対しない」

 

 『絶対』の2文字が熱を帯びる。瑞月がふっと、頬を緩めた。花のように可憐に瑞月は微笑む。

 

「約束、したからな」

「ああ、約束された」

「約束だからな」

 

 彼女は何度も繰り返す。

 別れを惜しんで、友を繋ぎ止めようとするあどけない子供のように。陽介が忘れないように、刻みこもうとするみたいに。

 

 まるで、瑞月がいなくなっても、ずっと覚えさせようとするみたいに。

 

 何度も、何度も、『約束』という言葉を。

 

 ◇◇◇

 

 ガラピシャンと、社会科準備室のドアが閉じられた。陽介は両手で抱えた、資料集やら小さな地図が積み込まれ──瑞月がくれた『友チョコ』が入った段ボールを担ぎなおす。それなりの重さがあるが、問題ない。

 伊達にスーパーで品出しの仕事をこなしているわけではないのだ。男としての矜持もあるし、何よりも嬉しさが力に変わる。

 ヘヘヘと、陽介は瑞月の『友チョコ』を眺めながら、笑った。そこに戸締まりを済ませた瑞月が訪れた。大きな地図を両手で抱えながら、彼女はこてりと首をかしげる。

 

「どうした。花村。とても嬉しそうな様子だが」

「イヤ、実際嬉しいんだなコレが」

 

 そういって、陽介は満面の笑みを瑞月に向ける。

 

「だって俺、『友チョコ』なんて貰うの初めてだもん」

「あぁ、殿方にとっては貰う日だものな。女性にとっては、ありふれたものらしいが」

 

 瑞月はなにやら納得する。が、それは実際に陽介が喜んだ理由とは違って、苦笑する。

 義理のチョコならば、陽介とてこれまでの人生で何回か貰った記憶はある。何人かは、好意を持って、くれた人もあった。

 けれど、陽介はそれらを素直に喜べなかった。それらは──そうでない子もいるのかもしれないし、そう思ってしまうのも失礼だが──賑やかな、明るい陽介に向けられたもので、本当の、弱さを抱えた陽介に対してくれたものではなかった。

 

 けれど瑞月は、弱い陽介ごと受け入れた上で、それでも親愛を込めた『友チョコ』をくれた。弱い陽介にも情を向けてくれた。日にさらせば焼けてしまいそうな部分まで、月の、薄絹に似た光で包んであたためてくれた。

 それが嬉しくて、ほわほわと満たされた喜びが溢れて、陽介は笑ってしまう。

 

「笑うのはいいが、授業が始まるまでに直しておかないと祖父江先生に指名されてしまいそうだが」

「へへっ、バッチコーイ。今なら何でも答えられそう」

「では、この諺ことわざの意味は? 『騎おごる平家は久ひさしからず』」

「────うっ」

 

『思い上がった者は早く滅びる』という意味だ。陽介が言葉につまっていると、瑞月がすたすたと歩き出す。白のマウンテンパーカーが颯爽と翻った。

 

「さぁ、教材を運ばなければな。授業が始まってしまう。喜ぶのは、家に持ちかえって、中身を見たあとでも遅くないだろう」

「え、もうそんな時間? ──って、歩くのハヤッ!?」

 

 待ってくれよ~と情けない声をあげて、陽介は瑞月に追いすがる。陽介が追いつくと、瑞月は歩調を緩めた。瞬間、陽介は思い出す。

 

「そういやさ、ありがとな」

「『友チョコ』のことか? どういたしまして」

「あ、えっとそのこともあんだけど……」

 

 へへと、陽介は上機嫌に笑った。

 

「朝、助けてくれたお礼。まだ言ってなかったから」

「…………君のそういう、律儀なところは好ましく思っている」

「おっ、ま……、そういうことサラッと言ってんじゃねぇよ……。ナチュラル天然タラシ」

「……? 意味は分からんが、『ナチュラル』と『天然』は意味が重なっているから、不適切だ」

 

 ぶわっと、陽介の顔が熱くなる。これは本当に、次の時間で指名されるかもしれない。そう陽介は危惧した。瑞月はというと、また少し早足になる。凛と背筋を伸ばして、彼女は陽介を先導した。

 

「なぁなぁ、ちなみにあれって俺だけにくれたヤツ?」

「『友チョコ』だと言ったはずだが? 千枝さんと雪子さんにもあとで渡すとも」

「なーんだ、瀬名から貰えるなんて激レアだと思ったのに」

「君は本命がいるのだろう。私の物珍しさになんて気を取られているのではなく、本命の人から貰えるように願ったらどうだ」

「ウグッ」

 

 痛いところを突かれて陽介は唇を歪めた。いつの間にか、二人は実習棟と教室棟をつなぐ渡り廊下に差し掛かっている。陽介はなぜか落胆を覚えた。ズシンと、腕の中に抱えた段ボールが重くなる。瑞月から『友チョコ』を貰えるのは自分だけだと思っていたのだ。

 

「ってことは、天城や里中と同じもんってコトか……」

「それはどうかな」

 

 瑞月が意味ありげに、どこかいたずらっぽく溢す。陽介はぎょっとした。

 

「え、ちょっ、なぁ、瀬名。ソレどういう意味?」

 

 思わず陽介は問いかける。すると突然、彼女がくるんとターンを決めた。丈の長いマウンテンパーカーが軽やかに翻る。

 

「────言わない。花村がその目で確かめるといい」

 

 艶やかな黒髪が、楽しげに踊った。いたずらっ子のように微笑んで、ナイショだよと囁くかわりに、桜色の唇に瑞月は華奢な人差し指を立てた。柔らかく丸まった瞳の奥で、紺碧の宝石がキラキラと白い花びらを散らしたように輝いた。

 

「──って、また置いてかれるーーー!!」

 

 陽介が息を飲む間に、瑞月は渡り廊下を渡っていく。カンカンという賑やかな足音に陽介は我に返って、慌てて後を追いかけた。カンカン、カンカカンとリズミカルな足音が、しんしんと雪降る校舎にマーチのごとく響いた。

 

 ◇◇◇

 

 ちなみに放課後、瑞月は宣言通りに雪子と千枝に『友チョコ』を渡していた。

 チョコではなく、チョコチップを練り込んだ豆腐ドーナツだと言う。ココア味・抹茶味の2種類はとても美味しそうで、甘い香りは陽介の食欲も刺激する品だった。(豆腐嫌いの自分が心底恨めしく思った瞬間でもある)

 受け取った親友コンビは、頬を赤らめ、はしゃいで瑞月に飛びついていた。女子2人にひっつかれて瑞月が固まっていたから、陽介は思わず吹き出してしまった。

 

「ハハハハ! 瀬名ってば見事に人間湯タンポだなぁ。めっちゃあったかそうだぞ」

「お、おい花村、笑ってないで助けてくれ!」

「わっ、瑞月ちゃんの身体あったか! やっぱ身体鍛えてるから? ぬくぬく~」

「瑞月ちゃんありがとうね。素敵なドーナツ、大切に大切にいただくから」

「う、う、うぅ~~~~」

 

 仲良きことはよきことかな。そう陽介は笑って、真っ赤に茹だる瑞月の要請を断った。猫がお腹を押されたときのような、瑞月の呻きは聞かなかったことにして、そそくさとバイトへと急ぐ。

 「は、はくじょうもの~~!」という悲鳴に「ほどほどにな~~」と手を振って、陽介は去る。瑞月も照れて置いてけぼりにされる気分を存分に味わうがいいのだ。

 

 結局、陽介が校内で貰ったのは瑞月の『友チョコ』と、雪子がくれたあられ菓子(偶然持っていた小袋のヤツ)と千枝からノリで貰った肉ガムだけだ。なんだ肉ガムって、と謎のお菓子を片手に陽介は顔をしかめた。

 




 お読みいただきありがとうございます。オリ主はいったい花村に何をあげたんでしょうね。
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