そして今回から一年編、最終話を投稿していきます。雨水と泥にまみれて出会った2人の行く先を、見届けていただければ幸いです。
3月28日
冬を越えて、春らしい暖かさが兆してきた季節。太陽が青空に輝く午前の八十稲羽の町並みを、一人の少年と少女が歩き抜ける。
足取りが軽やかな二人は──行楽にでも向かうのか──それぞれ荷物を抱えていた。少年は片手に小さな風呂敷と、肩にかかる大きさのクーラーボックスと水筒を、少女は両手で大きな風呂敷を抱えていた。その重さにも関わらず、2人の表情は朗らかだ。
「なぁ瀬名、今日スゲー天気よくねーか。絶好の花見びよりって感じで」
「そうだな。天気予報のキャスターさんも今日は一日中晴れると言っていた。桜も開花しているというし」
明るいキャラメルブラウンの髪をした少年──花村陽介がはしゃいだ様子で問う。隣にいた紺碧の瞳の少女──瀬名瑞月が穏やかに告げた。
「おれ、すっげー楽しみ。なんたって、花見なんて小学生以来でさ」
「私もだ。けれどあまり浮かれすぎて、慌てないようにな。きみはいま、デザートを運んでいるんだから。責任重大だ」
「えー、浮かれてないですー。むしろ、弁当作るのはしゃいでた瀬名の方がはしゃいでますー」
「その話は蒸し返さないでもらえるかな?」
他愛ない雑談を繰り広げていると、目的地──八十稲羽商店街のバス停が見えてきた。そこに2人は見知ったクラスメイトを発見する。
緑のスポーティーなアウターを着た里中千枝と、赤く華やかなワンピースを身につけた天城雪子、学内でも有名な親友コンビ。友達である陽介と瑞月を認めたのか、千枝は元気よく、雪子は控えめに手を振る。降り注ぐ陽光に2人の笑顔が輝いた。
陽介は瑞月の方を向く、瑞月も陽介を仰ぎ見ていた。2人は笑顔で頷いて、千枝と雪子のもとへ歩いていく。
これから4人は八十稲羽の高台へと、花見に向かうのだ。
***
きっかけは、八十神高校3学期が終業式を迎えた日のことだ。
「あーあー、あしたっから春休みかー……」
「どうした花村、休みだというのに複雑そうな物言いだな」
快晴の昼休み。学校の屋上にて、陽介と瑞月はいつも通り一緒に過ごしていた。瑞月が用意した大きなレジャーシートに寝ころがり、スマホのカレンダーをしかめっ面で眺める。それから盛大にため息をついた
「どうしたもこうしたもあるかよ。春休みのクセにまったく華がねーんだよ。華が」
「華……? 華やぎにかけるということか?」
「そ~だよ~~。スケジュール眺めてもバイトバイトバイト、家でやるコトといやぁ諸岡にイヤミたっぷりに押しつけられた課題くらいで、華がねーんだよコンチキショー」
「それは華がないというより、楽しみに目がいかないくらい『切羽詰まっている』と言った方が適切では?」
「グホァッ、的確にマト射たコトいうのヤメテッ!?」
わりとショックな──そして核心をついた瑞月の指摘に、陽介は胸を押さえて大げさに撃沈する。瑞月はというと、陽介のおふざけが分かっているので、なに食わぬ顔をして『胡椒博士NEO』(陽介の差し入れ)を仰いでいた。「うえー、瀬名が冷たい」「本当に冷たいアルミ缶を押しつけてみようか?」「やめーや」などとじゃれあってふざけあっているうちに、心地のいい、凪いだ沈黙が降りてきた。
瑞月のとなりは、何をしてなくとも心地がいい。存在を、無条件に許されているたしかな感触を持った安心感に支えられる中、陽介はぽかぽかと肌を撫でていく日だまりの熱を心の底から楽しんでいた。何をしなくとも、にまりとだらしなく口角が緩んでしまうけれど、瑞月は何も言わない。
「よし、では寝るか」
陽介が日向ぼっこを楽しんでいるうちに、瑞月は『胡椒博士NEO』を飲み終わったらしい。ごろりと瑞月がレジャーシートへ仰向けに寝転がった。重力にしたがって、艶のある黒髪がはらりとカラフルなレジャーシートに広がる。陽介の横に、彫刻を思わせる瑞月の美しい横顔が並んだ。太陽の光で照らされた雪のように白い面差しは、どこか楽しそうに微笑んでいる。
その顔を見て、陽介はなんとなく寂しさを覚えた。
「どうした花村。寝ないのか」
「いや……なんか、寝たくねーなって」
「寝たくない? それはどうして」
こんなにのどかな昼寝日和なのに。と瑞月が不思議がる。仰向けのまま、陽介はレジャーシートにぺったりと頬をくっつけた。ビニール越しにコンクリートの固い感触がかえってくる。お世辞にも良い寝心地とは言えないけれど、陽介にとって、なくなってしまうのはもの寂しかった。
「えっとさ、お前とこんな風に昼寝できるの、しばらくないじゃん」
「…………」
宝石にも似た紺碧の瞳を、瑞月は陽介へと向けた。雲ひとつない青空か、あるいは静まり返った泉のように凪いだ
「したら寝るの、もったいないなって……」
だから、陽介は告げた。おのれの中に抱えた、幼いとも言える寂しさを。
瑞月が隣にいる屋上は平和だ。抜けるような青空にさんさんと光る太陽が輝いて、身体をぽかぽかと照らしてくれる。春の風はあたたかく、緑と花の匂いを運んで、遠くでは小鳥たちがじゃれあって、隣には親友の瑞月がいる。
まるで、夢のような幸福と安らぎに満たされた世界。そんな場所に陽介はいる。
けれど、夢とは必ず終わるものだ。いつか醒めるときがくる。
いま、陽介がいるのは、現実で見る夢の中。ならば陽介が起きていれば、ずっと終わることなんてない。そんな子供のワガママじみた思いつきを手放せず、陽介は眠りを拒んでいたのだ。
恥ずかしげに陽介は瞳を伏せる。すると、瑞月がふっと笑ったような気がした。
「……新学期になれば、また会えるよ」
「……分かってんよ。ガキじゃねーんだから」
「別に子供でなくとも、寂しいことはあるだろう」
正論をぶつけられて、陽介は言葉につまる。その隙に瑞月は言葉を続けた。
「これまでのお休みと同じだ。連絡すれば、一緒に遊ぶことだってできるだろう? 沖奈でも、八十稲羽でも」
「……うん」
納得のいかない様子で、陽介は頷く。頭では、たしかに分かっている。これまでだって、休日の予定を合わせて沖奈に出掛けたり、放課後八十稲羽で遊んだり、顔を会わせたことは何度だってあった。春休みだって、予定が合えば瑞月もきっと応じてきれるだろう。そんなことは分かっている。
けれど、理屈ではなく、陽介のなかの幼い心がさみしいさみしいと声をあげているのだ。
親に置いていかれて、泣きじゃくっている子供みたいに。
感傷に浸る陽介の横でガサリと物音がした。瑞月が身体を起こしたのだ。陽介もビックリして身体を起こしかける。けれど、あるもののせいで立ち上がれなかった。
瑞月が、陽介の頭を撫でたのだ。
「ッ」
その手つきは、どうしようもなく優しい。泣きじゃくる子供に寄り添う、母か、年の離れた姉のように、彼女は陽介の髪を梳く。さらに陽介は目を見開いた。冷たい印象の強い瑞月のかんばせは、春めいた慈愛の色を宿した微笑みを浮かべて、陽介を見つめている。仕草に込められた、言葉を通り越した優しさに、陽介の不安がみるみるうちに溶かされていく。
「…………お花見でもしようか」
「え?」
唐突に、瑞月は陽介にそう告げた。レジャーシートに転がっていた陽介は今度こそ、身体を跳ね起こす。いきなり身体を起こした陽介にも動じずに、瑞月はにこりと微笑んだ。
「華がないなら、見にいけばいいと思ってな。というわけで花村。春休み中、お花見に行こうではないか」
「花見!? 桜とか眺めて、和歌読んだりする格調高い風流なヤツ?」
「平安貴族か。きみはどうして、ヘンなところで古めかしい発想が混ざるんだ? ただのピクニックとさして変わりないものなのだが」
「いや、瀬名を見てるとそういう『花見』やっててもおかしくねーなって……」
「私は君と同じ1995年生まれだ。忘れないでもらいたい」
陽介のジョークをさばいたのち、彼女はきれいに笑った。細まったまぶたの間から、紺碧の瞳がまるで桜を散らした青空のように輝く。
「どうせなら、思いきり賑やかにしようか。千枝さんも雪子さんも誘って。お弁当も作って」
瑞月が小指を差し出す。そのときに、陽介は気がついた。きっと瑞月は、短い別れを惜しむ陽介のために、花見に誘ってくれたのだ。
春休みでも、会えると、寂しがる必要などないのだと、伝えるためだけに。
ならば陽介が拒む理由などなに一つとしてない。自然と喜びが溢れでて、陽介は笑った。
「おう、そうだな。すっげー楽しい花見にしようぜ!」
そうして2人は、小指を絡めあう。
その日の放課後、約束を交わした2人は、共通の友人である里中千枝と天城雪子に声をかけた。結果、2人とも手を打ち合わせて賛同し、日程を調整したのだ。
日取りを決めたほか、各々準備を請け負う運びとなった。千枝は遊び道具を、雪子はレジャー用品を、瑞月と陽介は食品類を用意すると、担当が決まったのである。
***
食品係の役割は、花見に向けた食品の調達と、目的地までの運搬だ。
ゆえに花見当日も、瑞月が用意する弁当を運ぶために、陽介は瑞月の家に顔を出した。(その直前、自宅にて髪をいじっていたら父・陽一に「デートか?」とニヤつかれて誤解を解くのに苦労した。閑話休題)
すると、事情を知っていたらしい水奈子と佳菜が軒先で出迎えてくれたのである。彼女たちは、瑞月が荷物を運んでくると、弁当を用意する瑞月の様子を嬉々として語った。
『瑞月ちゃんってば、お弁当作りにとってもはしゃいでたんですよ』
『別段、はしゃいだりは……』
『あら。一週間前くらいからレシピ本にしおりペタペタくっつけて、楽しそうに眺めていたのに?』
『おかあさん』
『作ったことのないレシピのお料理を、ちゃんと作れるか練習していたのに?』
『おかあさんっ』
『昨日から仕込みをして、朝早くからキッチンで鼻歌を歌いながらお料理していたのに?』
『おかあさんっ、赤裸々にしないでくださいっ!』
『おかずね、たくさん あって おいしかったよ!』
『佳菜……もうやめて……追い討ちをかけないで……』
その場にいて、トマトみたいに真っ赤になった顔を両手で覆った瑞月は、とても新鮮で可愛らしかった。同時に、じゃれあいのような言い合いは、花村家での家族漫才を端から見ているようで、陽介は安心した。
義母と養子の関係である水奈子と瑞月のやりとりは、陽介と陽一の気兼ねない、けれども親しみがあるものと似ていたからだ。そして、水奈子は瑞月に対して嘘偽りのない、心の底からの笑みを浮かべていた。初めて会ったときの、寂しそうな陰を背負った笑顔ではない。
瑞月も、水奈子も変わった。ぎこちなかったはずの関係性の角が削れて、歯車が合わさったかのように。それは水奈子のある発言からも明らかだった。
『良かったです』
頬を赤らめた瑞月が、弁当を取ると自宅に引っ込んだときに水奈子がふと呟いたのだ。
『え?』
『あの子が、誰かのためにあんなに嬉しそうにしているところを──年相応にはしゃいでいるところを初めてみました』
陽介の疑問に、水奈子は目を細めて答えた。まぶたの縁に水を溜めながらも、若草色の瞳は新緑のように明るい。
『あなたが──陽介くんが瑞月ちゃんの友達で良かった』
花のように微笑みながら、水奈子は告げる。途端に陽介も真っ赤になった。
『お花見、めいっぱい楽しんできてくださいね』
『でね!』
水奈子と佳菜はそういって、弁当を持った2名が道の角を曲がって見えなくなるまで、ずっと手を振って見送ってくれた。
◇◇◇
(はしゃいでいた……か)
水奈子の言葉を思い出しながら、陽介は前方を見やる。そこには、地面がむき出しになっただけの獣道を踏みしめて歩く瑞月の背中があった。その背はいつもと変わらず真っ直ぐに伸びているけれど、飛び石を飛ぶような勢いで進んでいく。
顔を見ずとも分かった。きっと瑞月ははしゃいでいる。陽介は瑞月がはしゃいでいる様子を何回か目撃したことがある。見ているこちらも心が弾むような、とても無邪気な笑顔を浮かべるのだ。だからこそ、見たいなと思った。陽介たちとの花見に心を踊らせている瑞月を。
「花村ー。後ろつっかえてる。はよ進んでー」
「花村くん、瑞月ちゃんとはぐれちゃうよ?」
「うわっ、すまん」
後ろに続く千枝と雪子に促され、陽介は緩やかに続く獣道を踏みしめた。
現在、陽介たちは高台の一角にいる。花見の目的地に向かって行軍しているのだが、その場所は瑞月いわく、「地元の人間にもあまり知られていない場所」なのだそうだ。
彼女の言葉通り、後ろからは感心の息を漏らす、地元育ちの雪子と千枝の声が上がった。
「高台にこんな隠し道があるなんて知らなかったなぁ。ねぇ、千枝」
「ね! なんか、雪子んちの秘密基地みたいでドキドキする」
彼女たちはもの珍しそうに、鬱蒼とした緑に囲まれた獣道をキョロキョロと見回している。秘密基地というおよそ女子らしからぬ言葉に耳敏く陽介は反応した。
「秘密基地ぃ? んな特撮好きの男子みたいなコトしてたのかよ里中。昔から変わらず女子らしさ皆無なお転婆だな」
「特撮と違うっつの! カンフー映画の修行場みたいなもんだもん。お転婆じゃなくて修行よ修行!」
「やっぱお転婆じゃんか。 カンフーってコトは、木でも蹴り倒して──」
「花村、会話にかまけて転ぶなよ」
「なんで俺だけなん瀬名!? 里中だって騒いでたのに」
「さきにからかい始めたのはきみだろう? それと、きみはお弁当を持ってるんだから、転んだら一大事だ。足元には気をつけて歩くこと」
「はいはい、花村。そーいうわけだからキビキビ歩く! あ、ただし転んじゃダメだかんね」
「花村くん。転んで瑞月ちゃんのお弁当台無しにしたら、お昼なくなっちゃうんだから気を付けてね」
「お前ら転ぶ転ぶゆーなや!? フリになんだろがっ!」
和やかな(?)会話とともに、陽介たち一行は獣道を行く。そうしてしばらく歩いたあたりで、鬱蒼と生い茂る木々に覆われた隠し通路に、まばゆいばかりの光が降り注いだ。
「みんな、お疲れさま。目的地に着いたよ」
微笑んで、瑞月が後ろを振り返る。彼女の背後には、固く蔦と緑が絡まりあった城壁じみた茂みがある。そこにただひとつだけ、人ひとりが通れそうな空洞が空いていた。
そこから垣間見える光景に、陽介たちは息を飲んだ。
桜があった。
大空の青を薄紅色の雲で覆わんばかりに、満開に乱れ咲いた見事な桜の群れが。
お読みいただきありがとうございました。明日へ続きます。