Lotus in the mud   作:十志 佐都

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 さて、それでは本編。一年組が勢揃いでお花見。


Winter always turns to spring. ②

 はらはらと桜が舞う。

 

 それは絶え間なく、雨のように、雪のように降り続く。だが、それらとはまったく異なった。

 桜は、やさしい。はらりと落ちたひとひらが陽介の頬をやわらかく撫でた。

 その質感は雨と雪にはない、開花の温度とにおいを伴う。桜は、冷たくなかった。

 幾万という花の雨が、薄紅のぬくい白に宙を、地を染めていく。

 

「こんな場所があったんだね」

 

 知らなかったと、雪子が夢みるように花の舞う空を見上げた。

 

「すごい……桜に包まれてるみたい……」

 

 がらにもなく、千枝が詩的な呟きとともに、キョロキョロとあたりを見回す。彼女の動きに合わせて、地面に積もった花びらが波飛沫のように浮き立った

 

「…………」

 

 陽介はというと、圧倒されて声すらでない。大地に根を張り、天を穿ち、数多の花を咲かせる桜は生命力に満ち満ちていた。恐ろしいほどに、うつくしい桜たちだった。都会の閉じた世界しか知らなかった陽介は、生命の奔流に圧倒され、畏敬さえ覚えて、桜たちが咲き乱れる広場から、陽介は後ずさる。

 

 すると不意に、手のひらを握られた。脈をともなう熱が、陽介の左手をじわじわと伝う。

 

「怖がらないで」

 

 ────さくらは、やさしいはなだから。

 

 穏やかに、瑞月が告げる。陽介の隣で、彼女は冬を越えて芽吹いた花のように笑った。

 

 陽介は思い出す。どうしてか、瑞月に出会ったあの秋の日を。痛みすら覚える冷たい秋雨のなかで、互いに雨ざらしになりながら、泥まみれになりながら、瑞月と出会った、あの日を。

 

 瑞月の手は変わらなかった。やわらかくて、やさしい。泥に汚れてすっかり冷えきった陽介の頬に触れた手は、なに一つとして変わりがなかった。

 

 瑞月が歩む。そうして桜たちをまえに、陽介に向けて振りむく。

 ふっと、瑞月が笑った。心から幸せそうに陽介を見つめて彼女は笑う。

 その周りを祝福の紙吹雪のように、桜が舞った。

 

 奇妙な感覚があった。すべてが報われたような、何かが芽吹いたような、奇妙な感覚が。

 八十稲羽に来た空虚な苦しみが、泥にまみれた秋の日が、そこに端を発して得たすべてが、

 この春の日の──桜の下で幸福として芽吹いたような感覚が。

 

 それは一生忘れないだろうと思えるほどに、

 陽介にとってうつくしい、春の思い出だった。

 

「────一緒にいこう」

 

 瑞月が手を引く。そうして陽介は薄ぐらい獣道から、友たちが待つ、いっとう巨大な桜の大木の下へと歩く。

 

 ◇◇◇

 

 まるで嵐のように花弁を散らしていた桜だが、根本の部分はそうでもないらしい。花の手が伸びない、特に大きな桜の根本に、陽介たちは場所を取った。

 となれば、昼食である。

 雪子持参のレジャーシートの上に座した陽介・千枝・雪子の3人はわぁっと声を上げる。一人──瑞月だけは開けた重箱のフタを掲げてそわそわしていた。

 

「ど、どうだろうか……?」

「『どうだろうか?』じゃねーよ! ナニコレ満漢全席!?」

「花村。それは中国の宴会料理だが……」

「違わないっしょ! 肉巻き! 豚の角煮! 唐揚げ! 肉で埋め尽くされたお重なんて夢のフルコースじゃん!」

「千枝さんは野菜も食べよう」

「おいなりさん……。 私、おいなりさんがいい……!」

「雪子さん、分かったから。おいなりさんは逃げないから」

 

 身を乗り出してお重を覗きこむ3人を、瑞月はどうどうとなだめた。ツッコミ不在で瑞月には申し訳ないが、陽介からすれば興奮もやむなしな案件だ。

 

 瑞月がレジャーシートの上に広げた花見弁当は、それはそれは豪勢だった。海苔で巻かれたものから豆ご飯を握ったおむすび各種、唐揚げやタコさんウィンナー、厚焼き玉子などの定番おかずのほか、ふっくらしたおいなりさんや、パプリカのサーモンマリネ、野菜の炊き合わせ、エビチリといった、和洋中の数々がところ狭しと5段の重箱に詰め込まれている。

 しかも、どのお重も彩りがよく、にぎやかな花畑のようだ。正直食べるのがもったいない。

 

 ふおぉと、3人はせわしなく重箱を眺める。取り分け用の紙皿を手にする瑞月に、陽介は声を弾ませた。

 

「いやマジですげぇな! この花見弁当。ほんとに食っていいの?」

「いいとも。そのためにつくってきたんだから」

「わはーっ、瑞月ちゃんあんがとー! もう辛抱たまらん! 肉の段はあたしのものだーっ!」

「ちょっ、てめ里中! 肉の段を自分トコに囲いこむんじゃねぇ!」

「あ、花村が食べそうなものはもうお皿に取ったよ」

「判断が迅速! ナイスだ瀬名! うっは、うまそうな唐揚げーっ!」

「はい、雪子さんと千枝さんも。雪子さんはおいなりさんと、ぶりの照り焼き、それからごま和えとサーモンマリネ。千枝さんは肉料理各種」

「おおー。あんがと瑞月ちゃん! なんちゅー肉の園や!」

「どんな園だよ。醤油と肉のにおいしかしねーだろ」

「ありがとう、瑞月ちゃん。これ、ほうじ茶注いでおいたから」

「おや、あたたかい。ありがとう雪子さん」

「ううん、ほら。千枝と花村くんも」

「あ! 雪子あんがと」

「おー、さすが天城ぃ! 気ぃ効くな」

 

 雪子によって、魔法瓶から紙コップおいたほうじ茶が行きわたる。煎った茶葉が生み出す香ばしい香りとほかほかの飲み物に一同は落ち着きを取り戻していった。すると、千枝が「あ!」と閃いた様子で人差し指を掲げる。

 

「せっかくだからさ、乾杯しない? お花見なんだからさ」

「おーそれ、いいなぁ! 音頭でもとってさ」

「うん。いいね、にぎやかで。でも……誰が音頭とるの?」

 

 きょとんと雪子が小首をかしげる。その疑問を受けて、陽介と千枝の視線が瑞月に殺到した。とりあえず杯を掲げていた瑞月がピシッと固まる。ノリのよさに陽介はほくそ笑む。

 

「瀬名ー? 目が合ったな」

「か、勘違いだ。私はきみのまぶたを見ていたんだっ」

「ふーん。ところで瀬名、知ってっか? こういう宴会とかって、企画したヤツが音頭とる決まりになってんだよ?」

「うっ」

「誰かが音頭とらないと、俺らメシ食えないんだけどなー」

「うぅっ」

「こんな上手そうな弁当を前に、待たせるなんて酷だよなぁ……」

「ううぅっ」

「サラッとえげつないコトいうね花村は」

「うん。責任と空腹を盾にジワジワ追い詰める感じがいやらしい」

 

 親友コンビのジト目は無視して、陽介は瑞月を追い詰める。うなだれながら瑞月に迫ると、「わ、分かった! とる、とるからっ。音頭はとるからそんな悲しい顔をするなっ!」と瑞月が白旗を上げる。

 陽介は一転、にっこり笑って手を叩いた。

 

「ほーい。じゃ、晴れて瀬名さんが音頭とることになりましたよっと」

「おおー」

「おおー」

「ふ、ふたりとも流されてパチパチしなくていいから。期待値を上げないでくれ」

 

 そう言いながら、瑞月は「ん、んんっ」と咳払いをした。芝居がかった仕草がおかしくて、思わず陽介たちは笑ってしまう。引き受けた以上は真面目な彼女らしい。

 

「では、このあたたかい日に──」

 

 そうして、音頭は彼女らしい硬い文句で始まった。陽介たちは苦笑いで杯を掲げる。だが、次の言葉に一同が表情を変えた。

 

「────バイトに励み、修行に励み、家のお手伝いに励み、忙しくしていた人も多いと思います。春休みとはいえ、目まぐるしい日々のなかで楽しみなんて2の次になってしまったこともあるかと思います」

 

 肺いっぱいに彼女は息を吸う。そうして朗々と陽介たちにむかって呼びかけた。

 

「だから、今日は思いっきり楽しい日にしましょう。過去に未来に、大変なことが、つまらないことあっても、この日があったから良かったと思えるような、そんなあざやかな1日に」

 

 一斉に杯が掲げられた。桜の枝の隙間から降り注いだ木漏れ日が4つの杯を照らし出す。そうして、4人は杯を合わせた。

 

「というわけで、ここまで歩いてきた私たちに、そうしてこれから思いっきり楽しく遊ぶ私たちに────乾杯!」

「かんぱーい!」

「かんぱい!」

「乾杯!」

 

 にぎやかに、音頭が終わる。それぞれに杯をぶつけ合って、4人はほうじ茶を仰いだ。陽介に茶の良さは分からない。けれど、そのとき飲んだほうじ茶は間違いなく美味しかった。

 

 ◇◇◇

 

 瑞月手製の花見弁当は、見た目に違わぬ美味しさだった。口に含んだ皆が一同に歓声を上げる。

 

「うっま! なにこの角煮! 口のなかで脂身がとろける~。しかも、すごくいい匂い!」

「千枝、これもすごいよ。おいなりさん、煮汁がじゅわっとして、すごく柔らかいの」

「ほんと、うめぇな! くーっ、なんで食うとなくなっちまうんだろ……」

 

 陽介も唐揚げをつまむ。しっとりとした衣を噛み締めると、生姜とにんにく、醤油の香ばしさが香った。それを下地に、甘さすら感じる肉の旨味がじゅわっと口内を満たす。正直、飲み込むのがもったいないほどの美味しさだった。

 

 すると瑞月がほっとしたように胸を撫で下ろす。

 

「皆の口に合うようで良かった。唐揚げだったら、多めにつくってきたから。食べたいならまだある」

「なぬーっ!? ならば、もう5個。いや、10個もらいましょうか!」

「やめろ里中、唐揚げ絶滅さすきか!」

「みんなに好評なら、私も食べてみたい……かな」

「じゃあ均等に、取り分けといこうか」

 

 弁当に夢中になる3人を、瑞月は温かく見守っていた。はやる一同に、料理を取り分ける姿は完全に保護者と子供である。料理が評判を呼び、目ぼしい料理一通りを口にしたあとは、興味が薄かった品にも手がのびていく。陽介の場合は、ゴマ和え、桜大根、ツナコロッケ、──それから、謎の食材を含んだ野菜の含め煮だった。

 

「なぁ、瀬名」

「どうした花村。お茶のおかわりか?」

「いや、煮物の中に入ってるビスケットふやかしたみたいなのって何?」

 

 陽介がじっと、謎の食材を注視した。陽介が注目したのはビスケット色をした、卓球の玉くらいの大きさの、人参と昆布が練り込まれている何かよく分からない食材だ。正体は分からないけれど、ふくふくと煮汁を含んで美味しそうに見える。

 首をかしげる陽介に、瑞月は驚いたように目を見張った。

 

「なんと、花村は”がんもどき”を食べたことがないのか?」

「”がんもどき”?」

「豆腐に刻んだ野菜や昆布を加えて油で揚げた食品だ」

「と、豆腐!?」

 

 陽介は飛び上がる。陽介は、豆腐が苦手なのだ。味が水っぽくて、口のなかでモニョモニョするような独特の食感が。すると、千枝がニヤニヤとからかう。

 

「なにー。花村ってば、そのトシでいまだに好き嫌いとかあんのー? お子ちゃまー」

「せぇな! 味ねーし、食感とかがメチャクチャ苦手なんだよ! ほっとけ!」

「あぁ、すまないな花村。がんもどきは豆腐が原料といっても、味も食感も豆腐とまったく異なるから、組み込んでしまったんだ」

「え、そうなん?」

「うむ。油揚げと似たような食感で、味は煮汁に左右されるんだ」

 

 がんもどきをつまみ上げ、瑞月は紙皿の上で押してみる。黄金色の出汁が溢れた。瑞月はそれを口に入れて美味しそうに咀嚼する。

 

「うむ。味がよく染みてる。いい仕上がりだ」

「うっ……そ、そこまで言うなら」

 

 陽介は迷う。なんたって用意した本人お墨付きの品なのだ。絶対美味しいに決まってる。食欲と好き嫌いが喧嘩した末、陽介はおそるおそる取り皿にがんもどきを乗せた。だが、そこから勇気が出ない。がんもどきに躊躇する陽介を、瑞月は息を潜めていたが──

 

「……花村、お箸と紙皿を貸してくれないか」

「え、瀬名、なんで?」

「いいから」

 

 ──言われた通り、陽介は身を乗り出す瑞月に箸を渡した。疑問は残ったが、瑞月の有無を言わせない視線の圧に負けたのだ。

なにをするのか。と陽介が首を捻っていると、瑞月はがんもを小さく箸で切る。そして、一番小さいがんもを──陽介の口元に差し出す。瑞月はごくごく真剣に、透き通った碧の瞳で陽介を見つめた。

 

「ほら、あーん」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 上から陽介・千枝・雪子の沈黙である。陽介は絶句し、千枝は目をまんまるくしている。雪子はあらあらと言わんばかりに口元を押さえた。ぼしゅうっと陽介は盛大に顔から湯気を吹き出す。

 

「どうした花村。あーん」

「あ、え……あ、あー、ん?」

「うむ。あーん」

 

 あんぐりと陽介は口を開く。瑞月はそれを陽介が指示に従ったと思ったらしい。汁が垂れないよう、がんもを口に運び入れた。亀のように、陽介はがんもをもぐもぐする。味覚が鈍っているというのに、角のない出汁の味が舌に優しい。こてりと瑞月が首をかしげる。

 

「美味しいか?」

「……………………………………うまい、です」

「なぜ敬語」

「おたくら付き合ってんの?」

 

 千枝がブッコんだ。その言葉に陽介は悶絶した。発火した顔を両手で覆いながら「ちげーんだよ!そういうのじゃねんだよ瀬名とおれはマブダチでだんじょかんけいなしのきずなでっでもどきどきしたっつかうわぁああああああおれのばかぁああああぁ…………!!」とよく分からない呻きを発している。対する瑞月は涼しい声で答えた。

 

「好き嫌いのある子供は、その食品を自分が食べてみせてから、今のように食べさせると苦手なものもよく食べてくれるんだ」

「ぜ、善意100%の『あーん』ですと……!? というか、なんかお母さんみたい」

「なるほど花村くんが子供で、瑞月ちゃんはお母さん役なんだね」

「天城サンすげーショックなコトさらっと言わないで!? 瀬名、お前も変なコトしてんじゃねーよ!」

「?」

「チクショウ『なんで?』ってカオしてる!! ぜんぜん分かってないこの娘!!」

 

 ぎゃんっと陽介は叫んだ。尾っぽを踏まれた犬の勢いで瑞月に噛みつく。だが瑞月はいたって涼しい顔だ。コトの重大さを分かっていらっしゃらないボケっぷりである。自分ばかりが意識しているようで、陽介はだんだん悔しくなってきた。

 

 ヤキモキする陽介の目にある料理が飛び込む。涼しい顔をしたまま(どころか若干、花を飛ばすように嬉しそうにしている)瑞月にむかって陽介は悪い顔をした。陽介は重箱に手を伸ばし────ピックの刺さったタコさんウインナーを摘まんだ。

 

「そういえば、瀬名。お前取り分けてばっかで、全然食ってなかったよな? ほれ、あーん」

 

 悪役じみた表情を浮かべて、陽介は瑞月にタコさんウインナーを差し出す。桜色の唇を目の前にウインナーを置かれた瑞月は、大きな瞳でウインナーと陽介を見比べる。その様子はどこかあどけない。ふはは、混乱しろ混乱しろと、陽介が企んでいると──瑞月の瞳がキラキラ光った。ん? と陽介は思考を停止する。だがそれも、つかの間の出来事。

 ぱくっと、瑞月が素直にタコさんウインナーを食べたのだ。

 

「え?」

 

 すっとんきょうな声が上がる。陽介は息を忘れた。目の前では小鳥のようにタコさんウインナーを啄んだ瑞月が、もむもむと幸せそうに白い頬を動かしている。どうしてそんなに幸せそうなのか? 陽介の疑問を置き去りに、もむもむごっくんとウィンナーを飲み込むと、瑞月は無邪気に笑った。

 

「おいしい……。 おいしいかな花村! もちろん自分で味見はしたのだが、どうしてだろうな。きみに食べさせてもらうと食事がとても美味しく感じられる!」

「は……はぁあああああああああああぁっ!?」

「アタシらなに見せられてんのさ」

「おおぉぉ……仲良し……!」

 

 陽介が絶叫する。千枝は遠い目をした。雪子だけが興味津々で瑞月に注目していた。陽介は絶賛混乱中である。にもかかわらず、瑞月は陽介に向けてグイグイ迫ってきた。

 

「私もなぜ子供たちが『あーん』で苦手なものを食べてくれるのかよく分かっていなかったが、たしかにこれは有効だな! 近しい人から食べさせてもらえると、なぜだかとても美味しく感じられる! 勉強になった!」

「おめーはナニを冷静に分析してんだよ! ド天然箱入り娘! ちったあ恥ずかしがれよバカ!」

「だって花村が私のためにしてくれたのだろう? 友達が私のためにしてくれたことに、なぜ恥ずかしがる必要があるんだ」

「お前さぁぁぁぁぁぁっ!! もうさぁぁぁぁぁぁっ!!!」

「千枝、はい。あーん」

「あ、雪子あんがとね。むむむ、たしかに美味しい……」

 

 カンカンガクガクと陽介が訴えるなか、対岸の親友コンビは仲睦まじい様子で食べさせあいを始めた。陽介の説教にも瑞月は泰然として、むしろお返ししようとワクワクした様子で陽介の皿に料理を盛り付けようとする。陽介は全力で止めた。

 

 桜の下での食事会は、こうしてにぎやかに過ぎていく────。

 




 お読みいただきありがとうございました。あと2話。どうかお付き合いください。
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