Lotus in the mud   作:十志 佐都

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 それでは本編。一年編、最終話。2人の行く先をご覧ください。


Winter always turns to spring. ④

 はらはらと桜が舞う。

 

 それは絶え間なく、雨のように、雪のように降り続く。だが、それらとはまったく異なった。

 桜は、やさしい。はらりと落ちたひとひらが陽介の頬をやわらかく撫でた。

 その質感は雨と雪にはない、開花の温度とにおいを伴う。桜は、冷たくなかった。

 幾万という花の雨が、薄紅のぬくい白に宙を、地を染めていく。

 

 嵐の中心────白を生み出す桜の下では、遊び疲れた雪子と千枝が寄り添って眠る。おなかいっぱいになったのち、バドミントンに夢中になった結果、眠気がまわってしまったらしい。仲睦まじい2人にブランケットをかけながら、瑞月はひそやかにうたう。

 

 さくら さくら

 やよいの そらは みわたす かぎり

 かすみか くもか においぞ いずる

 いざや いざや みにゆかん

 

「なんか、懐かしい曲だな?」

 

 瑞月の隣で、陽介が問うた。彼女は柔和な──姉のようなまなざしで2人を見つめている。妹がいるからなのか、無防備に眠る2人に姿を重ねているのかもしれない

 

「有名な童謡だからな。幼いころ、花村もきっと聞いたことがあるだろう。唄ったこともあるかもしれない」

「んー、全然覚えてねぇなぁ……」

「でも、『懐かしい』んだろう?」

 

 音を立てずに、瑞月が立つ。そうして、片手を差し出す。舞い落ちてきた桜に彼女は目を細めた。そこには古いアルバムを眺めるような懐かしさと愛おしさが混じる。

 

「『懐かしい』という感覚は、誰かがきみのなかに楽しい、もしくは嬉しいと感じる思い出をくれたという証拠だ」

「俺、だれとどこで聴いたかなんて覚えてないのに?」

「懐かしいと思ったきみの感性のなかに、残っているだろう? だから、忘れてなんかいないよ」

 

 そうなのかなと、陽介は思う。ならば、瑞月にはだれか、桜にまつわる楽しい思い出をくれた人間がいるのだろうか。じっと陽介は瑞月を見つめる。陽介の視線に気がついたのか、彼女は微笑みながら振り返った。

 

「お散歩でもしようか」

 

 こんなにあたたかいんだから。と瑞月は再び上を見上げた。桜の木立の間から降り注ぐ、ヴェールのような木漏れ日が彼女の白雪の肌を包んだ。まどろむような彼女の横顔は、光に溶けてしまいそうなほどはかなく、うつくしかった。

 

 ◇◇◇

 

 ひらひらと桜が舞う。

 はるの、芽吹きを迎える季節の、そこはかとないあたたかさと匂いを一心に浴びながら、陽介と瑞月はとなりあって周辺を歩く。雪子と千枝は寝てしまったというのに、瑞月は元気そのものだ。

2人の間には凪いだ居心地のよい沈黙が落ちる。

 

「珍しいよな。里中はともかく、しっかり者の天城まで寝ちまうなんて」

 

 それでも、陽介はなんとはなしに問いかけた。理由はない。しいて言うなら、瑞月の声が聴きたかったのだ。

 

「疲れが溜まっていたのかもしれないな。ご実家の旅館がシーズン中だから」

「なるほどなぁ。で、お前もいいの? 昼寝好きなのに。絶好の昼寝日和なのにさ」

「そうだなぁ。花村のいうことも一理ある。だが────」

 

 間延びした、のんびりとした様子で彼女は続ける。その声にはどこか名残惜しさが滲んでいた。

 

「────眠りたくないと、思ったんだよ。終わってしまうのが惜しかったから」

 

 陽介は目を丸くする。まるで、3月の修業式に子供のようにぐずった陽介に似た言いぐさだ。陽介はとなりの瑞月に目を向ける。一瞬、別れを惜しむように細まった碧の瞳を陽介は捕らえる。

 

 きっと、彼女にとっても楽しい時間だったのだ。終わってしまうのが、惜しいほどに。陽介にはその気持ちがいたいほど分かった。陽介だって、この穏やかな時間が終わってしまうのが寂しいのだから。

けれど、楽しかった記憶を湿っぽい感傷で終わらせたくはない。

だから陽介は前を向く。

 

「瀬名」

「どうした花村」

「ありがとうな。この場所に、俺らを連れてきてくれて」

 

 朗々と、陽介は告げる。

 あの屋上で誘ってくれて。お弁当まで作ってきてくれて。遊んでくれて。

 いまも、一緒にいてくれて。

 ありがとうと。

 

 瑞月が陽介を見上げる。彼女はきょとんと小さな口を開けていた。それから、瑞月はあいまいにはにかむ。

 

「べつに感謝されることではないよ。むしろ、私がしたいくらいだ」

「またまた~、ご謙遜なさってさ」

「本当だよ。だって私が、きみをここに連れてきたかったんだから」

「え……」

 

 衝撃に、陽介は立ち止まる。数歩歩いた先で、瑞月も止まった。彼女は紺碧の瞳へと、鮮明に陽介を写しだす。焼きつけるような熱心さで瑞月はしばらく、陽介を見つめた。

 そうして、桜の大木へとふいに目を写した。降り注ぐ白の花弁を眺めながら、瑞月は懐かしそうに言葉を紡ぐ。

 

「この場所はね、八十稲羽に来て私が初めて訪れた、思い出の場所だ」

 

 なにげなく打ち明けられた秘密に、陽介は胸を掴まれたように苦しくなった。けれど決して、嫌な心地ではない。微弱な電流にさらされたような甘い痺れが身体をめぐる。

 

 瀬名家の養子──つまりは瀬名の家族と血のつながりを持たない瑞月は、自身を受け入れてくれた瀬名家の人々をとても大切にしている。ゆえに、その事実や、彼女の楽しそうな口ぶりから瑞月にとって、いまいる桜の下が大切な場所だのだろうとは、推測にかたくない。

 だからこそ、陽介は疑問を抱いた。

 

「瀬名、なんで……」

「ん?」

「なんで、そんな大事な場所に、俺らを連れてきてくれたの?」

 

 瑞月にとって、宝もののような場所に。そして彼女が告げた「連れてきたかった」という言葉は何を意味するのか。すると、瑞月がゆるりと微笑む。そのまま、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「……お義父(とう)さんによると、桜っていうのは”境目”の花なんだって。今日みたいな3月の日、私をここに連れてきて、そう言ってた」

「さかいめ……」

「そう。冷たい冬の終わりと暖かい春の始まりの間に咲くから。だから、優しい花でもある。通りすぎていった過去に、これから始まる未来に、寒さのなかで培われたあたたかい色の花びらを惜しげもなく、祝福として紙吹雪のようにふらすんだって」

「なんか……ロマンチストなんだな。おまえのお義父さんって」

「うん。それで、これもお義父さんの言葉なんだけど────」

 

 少しだけ瑞月はうつむく。まるで記憶の深くにある思い出を視線で掘り起こすみたいに。そうして、凛とした清水のような声がこだました。

 

「『桜は、過去と未来を繋ぐ花だ。だから僕は、その年で出会った一番大切なものを桜の下に連れていく。大切なものたちとの自分が積み重ねてきた時間と、これからも共にある未来に、幸あれと祈るために』。──そういって、私を抱き上げてくれたんだ」

 

 それはきっと、祝福の記憶だった。

 未知の場所に放り込まれた、孤独な少女が居場所を見つけた。いっとう大切にしてくれる人と出会えたかけがえのない、存在を無条件に赦された宝もののような記憶。

 

「私はその言葉をずっと忘れないで、覚えてる」

 

 ゆるりと笑って、瑞月はふたたび陽介を見た。

 

「────だから私は、きみをここに連れてきたんだ」

 

 そうして彼女は笑う。愛しいものに向ける、あたたかな微笑で。

 あなたに幸あれと願いを告げながら。

 

 陽介は口ごもる。言いたいことはいくつだってあった。大切にされる戸惑い、いつだってそばにいてくれる感謝、共に過ごせる喜び、瑞月への、友愛。けれど、それを言い表す言葉がうまく作れない。いくつもの想いがせめぎ合っては打ち消しあって。結局なんの言葉にできない。

 だからせめて陽介は瑞月と目を合わせる。ここに、瑞月と来れて良かったと、それだけは絶対に伝えたくて。

 瑞月が目を丸くした。碧の瞳には穏やかに微笑んだ陽介が映っている。そうして、無邪気に彼女は笑い返してくれた。

 

そのまま、瑞月は桜の雨の中へと軽やかに足を踏み出す。

花びらが舞った。瑞月も舞った。

 

 あたたかな白のなか、躍るように黒髪が揺れた。花弁の絨毯の上で彼女は──瑞月はくるりくるりとゆるやかにおどる。舞い落ちる花に似て、たおやかに身を翻しながら瑞月はうたった。

 

 さくら さくら

 のやまも さとも みわたす かぎり

 かすみか くもか あさひに におう

 さくらさくら はな ざかり

 

 降り積もった白が、足運びに乱された。再び宙に踊って、彼女は花に包まれる。

 

 ふいに、陽介は不安になった。目の前で繰り広げられる夢のような光景に。

 夢はいつか覚めてしまう。けれど、陽介はもう少しだけ、この桜が見せた幻のような世界のなかに、瑞月とともにいたいのだ。

 

『アンタは────』

 

 そのとき、陽介は思い出す。陽介が秘めた想いに勘づいた千枝の問いかけについて。

 

『アンタはホントにいいの? 他の男子が瑞月ちゃんのとなりにいても』

 

 嫌だと。

 嫌だと、思った。

 

 理由は、ない。自分では釣り合わないと、瑞月の邪魔になるからと、そう、決めたはずなのに。

 ぎゅうと、切なく胸が締めつけられる。瞬間、花の嵐に瑞月の姿が遮られる。

 

 白の中へすがるように、陽介は手を伸ばす。瑞月を見失いたくない一心で。

 瑞月の華奢な手に触れた。陽介は安堵する。彼女の手の柔らかさとあたたかさはどこにいたって変わらない。

 

「花村……?」

「あ、えと……」

 

 瑞月がきょとんと、陽介を見つめた。陽介は我にかえる。そして、苦し紛れに言い訳が浮かんだ。

 

「お前が……」

「私が……?」

「桜に……さらわれると思ったんだよ」

 

 かぁと、陽介の頬が赤く火照る。あまりにも歯の浮いた言い訳だ。

 瑞月はしばらくぽかんとしていた。だが、すぐにくすりと笑う。あぁ、からかわれるかなと陽介は覚悟した。けれど────

 

「さらわれないよ。だって、私はきみのそばにいるじゃないか」

 

 ほらと、陽介の両手首をやわらかく握る。そうして、彼女は重心を横へと傾けた。繋がれた腕を引かれて、陽介は自然と瑞月のリードに誘われた。

 

「おわっ、とと」

 

 くるくる、くるくると二人は回りだす。花の雨のなか、二人はメリーゴーランドのようにくるくると回った。遠心力によって、桜の花びらが紙吹雪のように乱舞する。掻き立てられた春の甘い香りに包まれた。

 

 夢か、現か。幻のような桜吹雪のなかで、陽介はよく分からなくなる。けれど、陽介を導いてくれるあたたかな手が、陽介はたしかにここにいるのだと。陽介に向けられた瑞月の笑みが、ここにいていいのだと教えてくれる。

 

「なぁ、瀬名」

「どうした、花村」

「また来年、ここに来たいよな」

 

 自然と想いが口をついた。来年のことなんて、なに一つとして分からないというのに。

 こんな、縛りつけるような願いは卑怯だと知っていたというのに。

 

 それでも、何かが変わったとしても、この桜の下でまた瑞月と笑いあいたい気持ちも本当だった。

 

「────ああ、そうだな」

 

 私もそう思うよ。

 

 瑞月が穏やかに笑う。陽介もゆるりと笑った。きっと2人とも、同じ想いだった。まったく違う2人なのに、互いにそばにありたいと願った。祝福の紙吹雪に似た花びらの中で、踊るようにながくながく、2人はまわり続ける。

 

 

 これが花村陽介にとって、忘れられない思い出のひとつ。

 

 ありふれていて陳腐で

 まどろむほどに平穏で

 だからこそ何よりもいとおしい

 

 瀬名瑞月とともに過ごした一度目の春の

 桜ふる日の思い出だ。

 

 

────Lotus in the mud 〈了〉

 




 お付き合いいただき、ありがとうございました。これにて、一年編、終了となります。読者の皆さまにお楽しみいただけましたなら、さいわいです。

 よろしければ、評価やご感想をいただけると嬉しいです。完結記念になにとぞなにとぞ。(*- -)(*_ _)ペコリ

 そして、いつか原作沿いでもお会いしましょう。
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