10月29日 金曜日
文化祭準備2日目。
初日は資材と人とで混雑していた教室も、今や立派に店の様相を呈していた。
陽介は動線を確認し、机の位置をチェックしている。瑞月から提示された配置図ではやはり素人(相当調べた努力は見えた)というか、細かいところに目が届いていない。
ジュネスのフードコートの経験を生かして指摘したところ「任せてもいいだろうか?」とお墨付きをもらった。頼られたことが嬉しく、客と店員がぶつからないよう席を配置する。
人の動きを確認しながら、動線をチェックしていると、突如として明るい声が教室中に響いた。
「みんな、こっち細かい装飾終わったよ~~!」
「もうお昼だし、休憩にしよう?」
クラスメイトの里中千枝と天城雪子である。教室にいた生徒たちは身体から力を抜き、中には背伸びする者もいた。
「おっ、もうそんな時間? 昼だってよ」
「やっと昼か、結構準備終わったよな、お疲れ花村」
「おっ、一条、長瀬」
同じくクラスメイトの長瀬大輔と一条康が陽介へと近づいてきた。この2人は陽介の友人にして、クラスの中心人物だ。そして、人柄の良さから、転校したばかりの陽介ともすぐに打ち解けたクラスメイトたちでもある。
一条はバスケ、長瀬はサッカーと、ともに運動部の期待の新星として有名な立場で、一条は人当たりのいい性格から男女問わず、長瀬は裏表のない性格から男子に人気があり、人望がある。
ゆえに、今回の設営でも大いに活躍してもらったのだが、2人して快く手伝ってくれた。本当に気のいいヤツらだと、陽介が内心感謝していると、一条は感心したように腰に手を当てて彼を労った。
「転校早々だっていうのに、指示だしすげー頑張ってたな。見惚れたぞ」
「やめろって。男に言われてもうれしかねーよ。そーいうのは、かわいい女子が言うからイイんだろうが」
「フーン、瀬名さんみたいな?」
瀬名さん、に反応した千枝が陽介へと直進してきた。目をキラッキラッに輝かせて、矢継ぎ早に陽介に尋ねる。
「そうだよっ。アンタいつの間に瀬名さんと仲良くなったの!? 友達っ、脈ありッ!?」
「千枝、落ち着いて。花村くんびっくりしてるよ……それで、どうやって仲良くなったの?」
たしなめる雪子まで興味津々だった。陽介は気後れして後ずさる。なにやら女子2名どころか、クラス全員から好奇の目で見られている気がしたから。
瑞月と仲が深まったのはそれほど劇的な出来事ではない。パンフ作りを強引に手伝って以来、バイトの日を除いて、陽介は瑞月を含む文化祭実行委員会と教室で作業するのが常になっていた。
つまり、瑞月の仕事を進んで手伝うようになったのだ。
その理由としては手伝いを引き受けた責任感もある。が、それよりも──1人で黙々と紙を折りつづけていた瑞月のぽつねんとした姿が、2人でパンフを作り上げた達成感が、頭から離れなかったのである。
「手伝いを引き受けたからには、きちんとこなしたい」と意思を伝えたところ、瑞月は「では、頼む」と椅子の背を引いた。
そうして約2週間、書類整理といった雑用ではあったが、陽介は瑞月の側で文化祭にむけた仕事をこなし続けた。
2週間も共に過ごしていれば、否応なく仲は深まる上に、共に作業をする人間の──つまりは瀬名瑞月の人となりも見えてくる。
「これ、必要な備品と食材のリスト。数量も、発注先も全部まとめてある」
「松坂くんには、この通りにチェックだけお願いする。納品後の検品は私がやるから」
(メモ細か……! 数量とか発注先の記入はもちろん、電話対応の例文から、トラブったときの対処フローまで書いてある……! ていうかこれ、マニュアルだろ。うちのジュネスのお客様対応にも欲しいレベル……)
瑞月は強い人だった。備品のリストアップから、シフトの作成、当日の簡易マニュアルの作成など、膨大な量の仕事をさばきながら、弱音を一切こぼさない。
そして、自立心と責任感が強い。悪く言えば──人に頼るのがド下手だ。
それは人員が増加した、準備期間に入っても変わらなかった。
瑞月は実行委員としての仕事をこなすかたわら、率先して荷運びやゴミ出しといった敬遠される力仕事をこなしていたのである。
ただ明らかに働きすぎている瑞月の現状が気にかかって、陽介は思わず彼女の負担を減らそうと、手を出してしまったのだ。
瑞月は、素直に「ありがとう」と陽介に礼を告げた。たったそれだけの出来事だが、噂好きのクラスメイトたちの興味を引いてしまったらしい。どうして、孤高のクラスメイトが陽介には親しそうに応じるのか、何か──たとえばゴシップ的な理由があるのではないか、と。
陽介としてはただ放っておけなかっただけだ。本当に、邪推されるような理由はない。瑞月と自身の名誉のために、陽介は叫んだ。
「そんなんじゃねーよッ!! 人手が足りないから、グーゼン手伝いを頼まれたんだっつーの!」
「ふーん、本当にそれだけなのか、はてさて……」
千枝は疑わし気に陽介を伺っている。陽介は目線を逸らした。本当のところは、言えない。瀬名を自転車事故に巻き込んだ責任をとるために文化祭クラス委員の仕事を手伝っているなんて、言ったら正義感の強い千枝は確実に怒る。バネを効かせた飛び蹴りがさく裂する。
千枝と視線による攻防を続けていた陽介を見かねて、一条が話題を変えた。
「でも、意外だよな。花村が話しているから、他の人もつられて作業の質問するとちゃんと答えてくれるし」
「うん。話しかけにくいイメージがあったから、いい意味で意外だったな。それにしても瀬名さんも文化祭実行委員だったんだね」
「……ああ、うん」
雪子の言葉に、陽介は臍を噛む心地がした。
メニューの考案から、学校との交渉、内装の手引きなど、主立った仕事をこなしたのは瑞月らしい。それが嘘ではないことを、補佐である陽介は瑞月と行動を共にして知っていた。
瑞月が目も回る作業量をこなして文化祭のために動いていると知る人間は、花村ともう一人の実行委員くらいだろう。
準備期間に入り、瑞月が文化祭実行委員だと判明したときは、クラス全体が衝撃に揺れたものだ。
文化祭実行委員は担任による選出であったため、積極的な公表はなかったそうだ。瑞月の口の堅さも拍車をかけて、瑞月が文化祭に関わっている事実はほぼクラスに知られていなかったのである。中には『文化祭が近くなってきてしゃしゃり出てきた』なんて、心ない発言をする者もいる始末だ。
なんで最初から文化祭に関わっていると言わないのか? という陽介の質問に、瀬名の解答は以下の通り。
「友好的でない私が出れば、クラスメイトは委縮するだろうから。もう一人は活気があって信頼もある。クラスも意見を聞きやすいだろう。文化祭をスムーズに進めるためにも、私は裏方をこなすと決めた」
さらに陽介は問う。
「それ、寂しくないか? 瀬名さんは、文化祭のためにいろいろやってきたんだろ。自分の頑張りを知ってもらえないって、そりゃナイだろ」
「誤解しているようだが、花村くん。私は活動を誰かに評価してほしいわけではない。文化祭の成功のために活動しているのだ。全体が上手く回るなら、なるべく私は表に出ないとも」
それに、と瑞月は続ける。
「どこにだって根も葉もない噂を流す人間はいる。構うだけ無駄だ」
本当に、瑞月は一貫してクラスと馴染むつもりはないらしい。ここでひとつ陽介は疑問を抱いた。クラスに関心もない彼女は、どうして文化祭の成功にこだわるのだろうか。
クラスメイトが昼休みに浮かれる中、件の瑞月が教室へと飛び込んできた。彼女は調理班のリーダーも務めているので、今日は食材の在庫確認作業で教室にいないはずだ。
瑞月はきょろきょろと教室を見回して、誰かを探している様子であった。見かねた陽介は声をかける。
「どした、瀬名さん? 誰か、探してるみたいだけど」
「花村くん。松坂くんはいるだろうか。発注の件について尋ねたい」
松坂とは、文化祭実行委員の一人だ。会計として、金銭関係のやり取りや発注を担当している男子生徒である。
陽介が松坂を呼び寄せると、瑞月は野菜の発注書を見せてほしいと頼み込んだ。
松坂がすぐさま発注書を持ってくる。手にしていた納品書と発注書を見比べ、瑞月は口元に組んだ手を当てた。
「やはり、発注書か。地元農家から納品された野菜が、予定より少なかったんだ。発注書に誤りがあった」
瑞月は納品書と発注書を松坂に示す。松坂の顔が青ざめた。松坂はごめんごめん、と冷や汗を流して謝っている。傍らで見ている陽介に焦りがひしひしと伝わってくる。そんな松坂の震える肩に――瑞月は軽く手を置いた。
「謝るのはそこまででいい。私も申し訳なかった。発注書の確認を怠った私にも非はある。すまなかったな」
追い込む必要はないのだと、瑞月は松坂に言い聞かせる。陽介は瑞月の対応に驚く。てっきり彼女は効率を重視して、彼を叱りつけるものと思っていた。
「今から発注業者にかけあって、追加の納品を明日にしてもらおう。しかし、クラスのみんなには申し訳ないが、開店時間が予定より遅くなってしまうな」
「え! それはまずくねぇか!?」
「花村くん、声が大きい。……クラスに、松坂くんと私が代表して謝るしかないだろう」
瑞月は口を引き結ぶ。声は平常通りだが、細い眉が少しだけこわばっていた。陽介はおもむろに、模擬店を開くために彼女が積み上げた時間を想像した。
クラスの人間は、瑞月の努力を知らない。メニューの考案や、面倒な書類のやり取り、山のようなパンフレットの作成、それを知っているのは、文化祭実行委員と陽介だけだ。途方もない努力が、1つのミスで形を崩そうとしている。それが、どうも陽介には歯がゆかった。
「3人ともどうしたの?深刻な顔して」
「里中……実はな」
ひょこっと、千枝が3人の間に顔を出した。親友である雪子も一緒だ。陽介は千枝たちに納品のミスを伝える。千枝が口を大きく開け、身体をのけぞらせた。
「えぇ、それまずくない!?」
「里中、声デカいっつの!」
陽介は千枝を注意する。対する雪子は、考え込んだ様子で唇に指を添える。そして、何かを思いついたように頷いた。
「瀬名さん、ちょっと私、アテがあるんだけど、いいかな」
言い終えぬうちに、雪子は携帯電話を取り出す。流れるように携帯を耳に当て、真剣な言葉づかいで雪子は誰かと通話を始める。
明日に続きます。お読みいただき、ありがとうございました。