Lotus in the mud   作:十志 佐都

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 作者こと佐都は飯テロが好き。『孤独のグルメ』とか。


爆走 後編

 結果として、納品ミスの問題は解消された。心おきなく、翌日の模擬店は開店できるだろう。雪子の機転には感謝せねばと、陽介は瞼を閉じる。

 

 結果を出すための道のりは、非常に過酷なものであったが。

 

「まさか、野菜を直に『採り』に行くハメになるとは思わんかったぜ……」

 

「お疲れだなー、花村。畑仕事の後だし、しょうがないか」

 

 呻きをこぼす陽介を一条がねぎらう。陽介は疲労によって教室の机に突っ伏していた。ひどく体力を消耗した原因を、陽介は回想しはじめる。

 

 

 ***

 

 

「知り合いの農家さんが野菜を分けてくれるって」

 

 通話を終えるなり、雪子は笑顔とともに告げた。雪子の実家は『天城屋旅館』と呼ばれる老舗の温泉旅館だ。彼女はその伝手を使って、贔屓にしている農家と形不良の野菜を譲ってもらう話をつけたという。

 

「天城さん、ありがとう」

 

 雪子の言葉にいちはやく動いたのは瑞月だ。一縷の希望に浮かれた陽介たちとは違い、瑞月は頭を下げる。折り目正しい礼ののち、彼女は素早く姿勢をただす。

 

「通話の内容からすると、直接取りに行く条件だったね」

「う、うん。それで農家さんの住所は×××で——」

「承知した。教えてくれてありがとう」

「お、おい瀬名さん、どこ行く気だよ!」

 

 瑞月は教室に背を向けた。関係者である陽介たちを置き去りにして。教室の出入り口近くで陽介が声を掛けると、思い出したように振り向いた。淡々と、瑞月は告げる。

 

「模擬店や調理班は、私が抜けても問題はない。ゆえに、野菜の在庫数が分かる私が野菜を『採り』に行く。花村くんと松坂くんは──教室の装飾は一通り終わったようだな。であれば、戻ってくる調理班と共に、当日の打ち合わせをしてくれ」

「は!? ちょっと待て! て、速すぎだろ!」

 

 指示だけを残し、瑞月は教室を飛び出した。陸上選手のような瞬発に陽介は面を食らう。廊下を駆ける瑞月の背中が、瞬く間に遠ざかっていく。

 

「ダーッくそ! オレも行く!」

 

 陽介もまた、床を蹴った。

 

 当日の打ち合わせといっても、衛生項目や接客の注意点が記されたマニュアルを読むだけだ。松坂を含む他のクラス委員でも仕切れる。

 

 なにより陽介は瑞月の仕事を手伝うと決めたのだ。野菜を持ち帰るなんて重労働は、女の子1人に任せられない。

 

 外履きに履き替え、陽介は外に出る。途端、陽介の前を小型トラックが横切った。

 

 いや、トラックではなかった。

 リアカーを引いた瑞月が猛烈な速度で陽介の前を横切ったのだ。

 

 陽介はパチクリと目を開閉し、コミカルに飛び上がって走り出す。

 

 女の子がリアカーを全速力で引いている絵面はなかなかにシュールである。混乱を抑え込んで、リアカーを引いて爆走する瑞月に陽介はなんとか食らいついた。

 

 農家に着く頃には、全身の筋肉が悲鳴を上げていた。瑞月はというと、息を切らさずにピンピンしている。そして、まったく陽介に気が付いていなかったらしい。

 酸欠に喘ぐ陽介に、なぜいるのかと瑞月は本気で首をかしげた。

 

「ぜぇ……一人で、怪我でもしたら大変だろうが……俺も、手伝うっての」

「……普段、畑仕事をしない花村くんにはつらいと思うのだが」

「心配いらねーって。野菜『取り』に行くだけなんだろ?」

 

 正直、野菜を『取り』に行くだけだと高を括っていた。

 

 まさか野菜を土から引き抜くなどと、都会生まれの陽介に想像できるわけがなかったのである。ウィンクまで飛ばしてカッコつけた自分を、後々陽介は殴りたかった。

 

 畑仕事は、全力疾走した後の身体には酷な所業だった。だが瑞月はというと、野菜と言う野菜を両手で引っこ抜いてはリアカーに投げ入れた。リアカーで爆走した後だというのに、ちぎっては投げである。

 

 陽介も時々出てくる虫にびっくりしながらも、必死で野菜を引き抜いた。手伝うと宣言した以上、逃げるわけにはいかない。しばらく野菜との格闘は続き、瑞月はOKサインを掲げる。在庫分の野菜が集まったのである。

 

 陽介たちの働きを見かねた農家さんから、麦茶を一杯ご馳走になった。丁寧に淹れられた麦茶は香ばしくて美味しかった。

 

 瑞月が丁寧に謝辞を述べ、陽介たちは畑を後にしたのであった。

 

「ありがとう、花村くん。この件は後ほど礼はする。……その、乗るか?」

「ダイジョブ……。流石に、歩けは、する」

 

 慣れない畑仕事に陽介の身体はヘロヘロだった。対して、瑞月は息も切らさず、満杯のリアカーを引いている。

 

「なんで瀬名さんはそんなピンピンしてんだ……」

「……畑仕事への慣れと、日ごろの鍛錬?」

「んだよその体力……アマゾネスかよ……」

「誉め言葉として受け取るが、発言には気を付けるべきだ。そうだ、花村くん。君はなにかアレルギーを持っているか? 食べ物の好き嫌いは?」

「? ……いや、豆腐が苦手な以外はないけど?」

 

 瑞月と陽介は会話しながら、八十神高校に帰ってきた。すでに、教室の設営は完了したらしく、校門前では松坂と千枝と雪子を含めたクラスの何名かが立っていた。

 

「2人ともお疲れ! 野菜の洗浄はやっておくから、休んでて!」

「里中! なんで入口に?」

「瀬名さんも花村も、2日間めっちゃ頑張ってたじゃん。企画を担ってくれたっていう、瀬名さんの話も聞いたよ。模擬店の設営も終わったから、声かかった子で2人を待ってたのさ!」

 

 千枝が高らかに告げると、リアカーに乗った野菜を、クラスメイト達はさっさと運んでいく。去っていくクラスメイトの最後尾にいた松坂が、瑞月と陽介に頭を下げた。

 

 苦労が報われたような満足感に、陽介の身体から力が抜けた。俯いた陽介の背中へと、瑞月が手を添える。

 

「体調が悪いか? 必要なら、保健室まで連れていくが」

「あ、ダイジョブっす。教室まで戻れるから」

 

 瑞月の提案を断り、陽介は教室へ戻った。模擬店の設営は終わっている。しばらく経つと、野菜の洗浄を終えたクラスメイトと瑞月が入ってきた(リアカーを片付けて来たらしい)。クラス全員の集合である。

 

 当日のシフトや、注意点、接客の応対が書かれたマニュアルを文化祭実行委員が配布し、読み合わせを行った後、解散となった。

 

 

 ***

 

 

 畑仕事のダメージが後を引いている陽介は、スタッフ専用のプレハブ小屋に入った。すこし休憩と、備え付けの机に突っ伏したのである。そこに一条が訪ねてきたのだ。

 

 帰りがけの一条は、肩にひっかけたバックの中をごそごそと漁る。快活な声が柔らかさをともなって、陽介へと話しかけた。一条は陽介に感心した様子である。

 

「ほんとに頑張ったよ、転校してきて間もないのにさ。クラスでも話題になってんぞ」

「そーすかあ。おかげで身体バッキバキだわ。つーか、飯食わずに走ったからクッタクタ。今、風呂に入ればいいダシ出るんじゃねえかな」

「とるなら疲れをとれよ。んじゃ、苦労した花村にこれやる。日暮れ早いから、さっさと帰れよ?」

 

 一条は机にスポーツドリンクを置く。親切な心遣いが、陽介には温かい。陽介はサンキュと手を振った。一条も手を振り返して教室を去った。陽介も帰ろうと身体を持ち上げようとする。が、疲労が鉛のように堆積していた。

 

 ──誰も来ねぇし、少し寝ちまってもいいかな。

 

 設置された時計に目をやると、最終下校時間まで余裕はある。陽介は重くなる瞼にしたがって、眠りに落ちた。

 

 ◇◇◇

 

 香ばしい匂いに誘われて、陽介は目を覚ました。顔をあげると、目の前には料理がいくつか並んでいる。たしか自分は、畑仕事から帰ってきて、教室内のプレハブ小屋で眠ったはずだ。腹が空きすぎて夢でも見ているのかと、陽介はあくびをする。

 

「……夢にしては妙にリアルだな」

 

 素揚げした野菜が乗ったスパイスの複雑な芳香が漂うカレー。チーズがとろけたトマトベースのピザは生地がパリッとクリスピーに焼き上げられている。サツマイモの黄色とキャベツの緑が鮮やかなホットサラダは、作り立てなのか湯気を立てて、甘い匂いを漂わせた。用意周到に、プラスチックのスプーンと箸まで並んでいる。

 

「ああ、起きたか。花村くん」

「は……瀬名さん!? 帰ったんじゃなかったのか?」

 

 プレハブ小屋の入り口に、やかんと紙コップを持った瀬名瑞月が立っている。起きた陽介を確認するなり、瑞月は机の空きスペースにコップを置き、やかんの中身を注ぐ。

 

「模擬店と、私が管轄する調理室の見回りをしていたんだ。そうしたら、君を見つけた。ちょうどいいので、お礼をすると決めたんだ」

「お礼……?」

「昼休み、私を追ってきてくれたろう。昼食も摂らずに。目の前にあるのは、今日、調理班で試作したメニューだ。味は、確認した私が保証する。……アレルギーは、持っていないのだろう?」

 

 つまり、目の前のごちそうは瑞月が花村のために用意したということだ。夢ではなく、現実だった。魅惑的な匂いを漂わせる料理たちに、唾液が湧き上がってくる。

 

「据え膳食わぬは何とやらッていうよな」

「どうぞ、どうぞ。そのために用意した料理だ」

「よっしゃーーー!! いっただっきまーーーす!」

 

 瑞月は紙コップを陽介に差し出す。食べ盛りの男子高校生の胃袋に、目の前のごちそうは誘惑が大きすぎた。そばに置いてあったスプーンをペン回しの要領でまわし、カレーを掬いとる。とろりとツヤの出たルーを白飯ごと、口に運ぶ。スパイスの香りが口腔を満たした。

 

「!」

 

 肉とは異なる、まろやかな旨味が味覚に広がった。複数の香味野菜の風味と唐辛子による控えめな辛みがアクセントになり、味にメリハリがついている。肉のパンチで攻めるのではなく、野菜が持つ味をうまく組み合わせて作った優しいカレーだ。

 

 つづいて、ピザに手を付ける。トマトソースの酸味とチーズの滑らかな脂肪が絶妙に重なり合って美味しい。クリスピーに焼きあがった耳の部分は、食べるとパリパリと音を立てて食べていて楽しい一品である。

 

 忘れていたサラダへと手を伸ばす。好みで用意されたドレッシングのうち、シーザードレッシングをかけた。ほくほくに蒸されたサツマイモが口の中でほろりとほどける。蒸されたキャベツとサツマイモのじんわりと沁みる甘さが疲れた体には嬉しい。

 

 キリッと冷やされた水は、都会のものと違ってよどみがなかった。空になった紙コップに瑞月がお代わりを注いでくれる。水が水道のものだと言われたとき、そのうまさに陽介は驚いた。

 

 カレーを掬い、ピザにパクつく。たまにサラダをかきこんで、舌をリセットするために水を飲む。空腹のゆるすままに、陽介は夢中になった。料理をすべて完食して、陽介は満足に息を吐く。

 

「あーーー、幸せ……全部うめぇとか、何事……」

「おそまつさま。気持ちのいい食べっぷりだったな」

 

 瑞月は紙ナプキンを差し出してくる。さんきゅ、といって、陽介はそれを受け取る。心なしか、瑞月の纏う空気は柔らかい。

 

「これ瀬名さんのお袋さんが考えたんだろ。すげぇよな、料理研究家って。高校生でも美味しく作れるレシピ作っちゃうんだから」

「母を褒めてくれるのは嬉しいが、残念ながらそのレシピを作ったのは私だ。母はもっとすごいよ」

 

 ゲホゴッホと、陽介はむせた。目の前の料理を瑞月が考案したということに驚きを隠せない。

 

「え、だって、瀬名さんは、お袋さんが地元の野菜に詳しいから引き受けたんじゃないのか!?」

「母はプロだ。ゆえに多忙でな。アドバイスはいくつか貰ったが、高校生の模擬店で時間をとらせたくなかった」

 

 言葉とは裏腹に、普段は鋭い瑞月の目はいつもより柔らかい。遠くを見つめる彼女のまなざしには、憧憬と尊敬がこもっていた。

 

 ふと陽介は思いいたる。クラスへの関心が低い瑞月が、文化祭の成功にこだわる理由に。いまだに柔らかく眉を垂らした瑞月へと、陽介は問いを投げた。

 

「もしかして、瀬名さんが文化祭の成功にこだわるのって、お袋さんのためとか?」

 

 瑞月が肩をぴくんと揺らす。どうやら、的を射たようだ。陽介の胸が、灯がともったようにあたたかくなる。つまりこの、文化祭の成功を目指して、リアカーをブッ飛ばすほど頑張っていた少女は──

 

「お袋さんのためにも、模擬店を成功させたかったのか。なんだ、情に厚いんだな、瀬名さんって」

 

 ──陽介は言い切った。関わりたくないと言って、クラスとの付き合いは悪い。けれどもやはり、決して冷たい人間ではないのだと陽介は目の前の少女への認識を改める。

 

 また、親近感を感じてもいた。ジュネスの店長を父親に持つ陽介と、地元の料理研究家を母に持つ瑞月。親のために身体を張っているという共通点があった。案外仲良くなれそうと、陽介は予感する。

 

「……母の名前に泥を塗りたくない。それだけだよ」

 

 静かに呟き、瑞月は空になった紙皿を重ねていく。心なしか、指先の動きはぎこちない。瑞月は照れているらしかった。

 

「あ、待って。俺だって食ったし、片付けくらいやるっつの」

「いい、私がお礼のために用意したものだ」

 

 陽介が割りいる暇がないほどの速さで、重ねた食器をさらっていく。指すら触れさせない急いた動きに、さっきまであたたかかった陽介の胸が凍りつく。

 瑞月とはある程度打ち解けていると、手伝いを申し出ても断られないと思っていたのだ。しかし実際は、手伝いすら許さなかった────それは、瑞月による明確な拒絶だ。

 

 唇が固まって、陽介は何も言えない。そんな彼に、瑞月は不思議な目を向けた。特徴的な碧が、風に吹かれた水面のごとく揺れている。その揺らぎが何によるものなのか、陽介は分からない。

 

 そして、業務連絡のような淡々とした口調で、瑞月は告げる。

 

「花村くん、今日もありがとう。文化祭が終わるまでの協力関係だが、最後まで付き合ってくれると助かる。帰りは気を付けて」

 

 やかんを片手にとって、瑞月は礼を告げる。そして素早く、プレハブ小屋を後にした。瑞月は反論も許さずに、陽介を一人教室に置き去っていく。瑞月が陽介に手伝いを提案した、あの日のように。

 

『文化祭が終わるまでの協力関係だが』

 ──文化祭が終われば、君とは元の関係に戻る。

 

 それはつまり、文化祭が終われば、瑞月は教室で再び1人となり、花村とは関わらないと告げているのだろう。

 

 ──そんな寂しい事って、ないだろ。

 

 教室で静かな孤独を保つ瑞月を陽介は想像する。瑞月を自転車でびしょ濡れにする最悪の出会いの前、運が良ければ話してみたいと思っていただけで、積極的に話しかけようとは思わなかった。

 

 けれども、今は違う。自転車事故の後、瑞月は陽介が死んでいたかもしれないと諭すために怒ってくれた。陽介の作ったパンフの出来を評価してくれた。意外とポンポンと弾む瑞月との会話は楽しかった。ときおり見せる人間らしい雰囲気の柔さも知っている。引き受けた仕事のため、家族のために、懸命に努力する様子は尊敬できた。

 

 ここまで瑞月を知ってしまって、果たして自分は元の、何の関りもない関係に戻れるのか。陽介はとめどなく綴られる思考を打ち止める。

 陽介だって、八十稲羽に来る前は付かず離れずの友人関係を築いてきたのだ。きっと瑞月に突き放されたとしても、平気に違いない。

 

 そう自分に言い聞かせて陽介は、八十神身高校を後にした。一条と瑞月の忠告通り、太陽が沈んだ通学路は暗かった。

 




 お読みいただき、ありがとうございました。次は文化祭当日のお話です。
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