最低系チート禪院扇   作:田所1919810級術師

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 誰だよお前。


秋の入り

 

 物心がついたころにはうっすらと、この生が二度目のものであることを悟っていたのだろう。自らが童というには些か知恵を携えすぎていて、脳裏に不明瞭ながらも張り付く誰かのここではない場所での記憶とその馴染み深い感覚。それらは幼い私の中に綺麗に溶けてゆき、自身を苛む種となることもなかった。――というのも、嘗ての私の記憶は年を重ねるごとに薄れていった。今の私では以前の私がどんな人物であったかもはや思い出しようがない。どう生まれ、どうやって過ごし、どのように死んで、幼少期のどこで記憶に触れたのか、老いた私はそれらを遠い昔に失ってしまっていた。だから、あやふやな言い方でしか回顧ができない。

 

 

 その記憶に触れたのとそう変わらない歳の時、私は夢を見た。暗く、ただ僅かな光さえない闇の中。そこには多くの悪しきものたちが潜んでいて、闇の中を進む私に視線を向けて牙を向ける。その中を私は身一つで奥へ、奥へと歩み続ける。時の経ちようも、どれだけ歩いたのかも分からず、押し迫る恐怖が遂に私を吞み込もうとした時私の前に周囲を覆う闇よりも昏く人の世に在るべきではない色で輝く汚泥の海が現れた。その中に潜む者は私に語り掛けていた。人としての誇りや高潔さ。目に見えずとも私たちが生きていく上で分かち合うものを犯し、穢す呪われた言葉たち。己を愛し、己以外のものを引き摺り下ろして虐げて満たされようとする強烈に歪み果てた自己愛と己への過剰な慰め。優れたものに対する妬み、嫉妬、見たくない事実から眼をそらして腐り墜ちたその性根。それらを私に浴びせかけ、海から這い出た数多の腕は私の足を掴み、奥底へと沈めようとしていた。

 

 その時形容しがたい闇の世界が眩く爆ぜた。眩んだ眼を開くと、汚泥の海を朱色の炎が焼いていた。私に絡み付く腕たちもその炎に焼かれてのたうち回る。爆炎は収まるどころか勢いを増し、その汚泥の中も焼き尽くさんと盛り続けた。

 

 怒りがあった。その炎は怒りの具現であった。

 

 汚泥に潜む者は焼かれながらも呪詛を吐き続けた。干上がっていく泥中で藻掻いて、火だるまになりながら現れたその姿は私のおぞましい想像を裏切り、やせ細りそして頭蓋を横一線に両断された腐肉を纏う老人だった。折れた刀を振り回して何かを振り払おうとしている。その老人から私は目を離せなかった。こんなみすぼらしく、獣にも劣るような、同じ人とも思えない男など見たこともないのに、どうしてか私はその老人を他人には思えなかった。

 

 やがて老人は燃え尽きた。屍は骨すらも焼き尽くされて欠片も残らなかった。口も喉も焦がされて尚、老人は言葉を紡いでいた。しかし、焼かれ続けるにつれて老人の恨みや憎悪を孕ませていた声色はやがて泣き声へ変わっていった。迷い込んだ場所から戻れなくなった童のような寂しく、助けを求める声だった。

 

 灰色の地平だけが残った世界に炎は拡大し、私を包み込んだ。遍くものを焼滅させる怒りの炎。私はその中に確かに救いを感じた。人々を救い、災いを退ける力。

 

 目が覚めた時、私は全身に灼熱を感じた。身の内で猛り焦がれる炎。まさしく、夢の中で出会った炎が私の内に宿った瞬間だった。

 

 嘗て私が生きた世には呪力も呪霊も存在しなかったことだけは確かに覚えている。今生、生れ落ちた世には人々を害するそれらが跋扈しており、それらから衆生を守護する呪術師たちがいる。私もその家に、まして大家の一つに産まれた身ならば、宿命(生き方)は定められていた。この身が真に一度死を迎え輪廻したのならば、周囲がどうであろうと、どれだけの艱難辛苦に見舞われようと、己一つ転じれば世界さえも。そんな若さゆえの論理も何もない、訳も分からない稚拙さ、無謀とも蛮勇とも見える自信もあった。

 

 そんな私の今生もそろそろ秋を経て晩秋に差し掛かろうとしている。

 

 

 

 

 

 あら、こんなところに、と背の向こうで襖を開いた妻が言う。

 

 年々、この国にあるはずの四季は薄れ、夏と冬の二つの季節しかないように思えてくる。ようやく厳しい残暑が去り、秋めいてきたというのに鈴虫の一匹もいない。もうみな夏が攫っていってしまったあとのようだった。

 

 「今夜はとても涼しくなるようですよ。もう中に戻られてはいかがですか、あなた」

 

 妻が庭先まで降りてくる。

 

 「一昨日の夜は随分と蒸したのだがな。まったく、ついていけんな。私も老いた」

 

 妻はそんな私の言葉を笑って、「いやですね、年寄り臭い。まるでおじいちゃんみたいだわ」

 

 「その通りの翁だろう」

 

 「まだ孫の顔も見ていないのに。まだまだこれから先は長いですよ」

 

 妻は何時も笑みを浮かべている。愛想のない私とは真逆で、本家の者たちが心無い言葉を浴びせようと決して俯くことはなく、微笑で返していた。若々しく、美しい妻に比べれば私の年寄り臭さといえば。言葉にする間でもないだろう。

 

 呪術師を生業にし、禪院の姓を背負う私の妻になるということは私が思う以上に彼女には負担を強いたことだろう。術式を持たずに禪院に嫁ぐということがどんなことか説いたうえで彼女は付いてきてくれた。共に在る時間も多くは割けず、碌に妻のために何かしてやれた試しもない。精々が妻が育児に専念できるように本宅から離れこの別宅を建て、移ったぐらいのこと。今思えば、あの時こうすれば、あぁすればと出てくるが所詮は過ぎた話に言い訳がましく狼狽えているだけのこと。時折私に嫁がなければ、術師ではない者と結ばれれば少しは女として、今よりずっと幸せになれたのだろうか、と思ってしまう。その度に申し訳ない想いに寄りかかられる。

 

 「ほら、あなた、またそんなに深い皺を作ってはいけません。何度も言っているでしょう。あなたに足りないのは言葉と愛想です、と」

 

 妻はほぉら、と言って私の眉間に指を添える。

 

 やや沈黙があった。短く息を吸い、また少しだけ吐く。妻がそうする時は決まって大事な話をしようとする時の前触れであることが多い。

 

 「今日、真希と真依から、」

 

 「高専に行きたいと言われたか」

 

 また少しの沈黙の後に妻ははい、と言った。

 

 「そうか、もうそんな歳になるか」

 

 「あなたはどうお考えで?」

 

 

 私を見上げる妻の表情には影があった。あれだけ私に言うというのに眉間に――私のものよりは浅いだろうが――皺が寄っていた。

 

 娘たちは難儀な産まれとなってしまった。呪術界の一つの認識に於いて双子とは凶兆の顕れである。古くから続く家ではその認識はより顕著なものとなる。呪術的な観点では一卵性双生児は同一人物と見做される。呪術に於いてそれは望む、望まざるに関わらず多くの枷を齎す。縛りの強度、持って産まれるもの――生得術式や呪力量にも関与してくる。

 

 真希は一般人と同等の呪力しか持たずに産まれ、術式を持たない。天与呪縛。産声をあげたその時に真希は未来の一つを簒奪されてしまった。甚爾のように完全に呪力から脱却しているわけではなく、僅かに宿る呪力が更に大きな枷となる。戦う際には呪具を用い、呪霊を視認するにも呪具がいる。

 

 真依は呪力も術式も持って産まれたものの、呪力量、呪力出力、生得術式の質、その全てが貧弱であった。日に実包を一発生成するだけで限界を迎える構築術式。世辞を言う隙間などあろうはずもなく、才には恵まれなかった。

 

 当時のことは今でも覚えている。妻が身籠り、侍医が診て、双子であると判明した時の本家の騒ぎよう。禪院では双子を凶兆と強く信じられてきた。嘗ては母子共に妊娠が発覚した時点で殺してしまうこともあったと聞く。禪院家での私の血統、呪術界での私の等級と地位のせいか目立つ動きはなかったものの、妻自身に対しては色々と干渉しようとしていたようだが、本家の中にそう多くはないが存在した私を慕ってくれていた者らが妻に付いていてくれたこともあり、強硬な動きに出られることもなかった。特に蘭太は若いながらもよく動いてくれたもので、今は私の側付きとして尽くしてくれている。

 

 わたしは大丈夫ですから、あなたはお役目に専念なさって、と床の上で言う妻の表情はいつもと変わらなかった。だが、肌は少し血が抜けたようで、目を伏せることも多かった。よく見れば、やはり痩せているように見え、蘭太が言ったようにあまり食が進んでいないというのも確かなようだった。

 

 妻が妊娠すると私が遣われる任務の数も増えた。兄の意向で話は禪院家の外には出さないとのことで、総監部にも出産後の事後通達にて済ませると訊いていたが、あの時、情報は漏れていた。禪院家を、或いは私個人、はたまた『特級』という術師を快く思わない者たちなど、この世界には探す手間をかけずともそこいらにごまんと転がっている。御三家の残す二家、総監部上層部、派閥、政敵。私を妻から遠ざけて、企みを弄する連中は枚挙に暇がない。

 

 多くの心労や辛い想いと心無い言葉に晒される妻の側で守ることも出来ず、蘭太たち側付きに任せきりだった私は目を伏せた妻の顔を真っ直ぐと見ることが出来なかった。任務を拒否することは出来る。拒否したところで嫌味は言われるだろうが、当時の私に直接懲罰を執行できる者はおらず、多少風評が悪くなったところでどうということもなかった。しかし、実際に私が赴いた任務で相対する呪霊たちはみな特級、一級術師ですら苦戦を要する手合いばかりで、民間人の死者も多く確認されていた。私が行かなければ今日にも惨たらしく奪われてしまう命がある。術師としての使命、理念、正義。夫としての使命、妻、子供。板挟みになった私の手を静かに握って妻は、

 

 「わたしはほんとうに大丈夫ですから。あなたの妻になることを決めた時に、いつかは一人で戦わなければならない日も来ると覚悟はしていました。だから、あなたはあなたにしか出来ないことを、あなたにしか倒せない敵と戦ってください。あなたがわたしを想ってくれていることも、自分の生き方に実直なことも全部分かっています。それに蘭太さんたちも付いてくれていますから、なにも不安なことなんてないんですよ、わたし」

 

 こんなにも良き妻を持ったことこそが私の生涯最大の幸福になるのだろう、と思った。人としても強く、禪院の家中でも折れずに付いてきてくれた。隅に控える蘭太に頼めるか、と訊くと、身命を賭しても、と返ってくる。

 

 出産後も楽な日々ではなかった。それは母にとっても子にとっても変わらぬことだろう。

 

 相伝術式二種のどちらでもなく、私の術式を継いだわけでもない。自らの肉体に宿る呪力に関しても恵まれなかった。周囲からは落伍者の印を付けられ、血統や母親のことも槍玉にあげられていた。

 

 根底に存在する完全実力主義は未だに絶やされてはいない。古くから禪院家は優秀な血を取り込み、枝葉を伸ばしてきた。相伝は誉だが、相伝を継承した者よりも強い者がいれば話は変わる。実力を示し、己を磨き続け、研ぎあげた全ては己を裏切ることはなく高みへと誘うことだろう。未だ幼く、本家の者たちに打ちのめされ涙を流す娘たちに私は言った。残酷なことだが確かに才能や産まれ持ったものは術師の性能に大きく関与するが、研鑽し得たものがそれらを覆すことがないとは言えない。僅かな閃きや発想の転換で道が開けて、著しい成長を見せることもある。呪術師の成長は必ずしも一定、等速とは限らない。

 

 「好きにさせよう」

 

 でも、と妻は俯いた。心配か、と訊くと頷く。乾いた夜風が妻の髪を揺らす。

 

 「あれらとて術師の端くれ。己の行く道が険しいものになることは百も承知だろう。その上で術師として生きていくことを選び、またこうして選んだ。他者の生き方を折ることは出来ても、曲げることは出来ないだろう。私たちに出来ることは送り出して、見守ることだけだ」

 

 私は父としても、先達としても大したことはしてやれなかった。術式を持たない真希には稽古相手をしてやるぐらいのもので、真依にしても似たようなものだった。元より人に教授することは上手いとは言えず、私を相手取り、持ちうる手段を実践する中で益あるものを掴み取らせようとしてきた。呪術のいろはを教えたのは蘭太で、私が手ずから物を教えたのはわずかに数度。娘たちは手本や刺激の対象となるものに飢えているのだろう。

 

 「禪院の流れを汲まない術師たちの元で同じ歳の友と学び、互いに高め合う。閉じた環境では感じることの出来なかったものがあれらには新鮮に映るだろう。そこで見るもの、触れるものは全てが糧となりあれらを強くする。善き時間となるはずだ」

 

 学び舎で背中を預け合える友を得、寝食を共にして切磋琢磨する、今生の私には終ぞ叶わなかったことだ。東京と京都のどちらへ行く気なのか定かではないが、東京に行くのならば五条悟がいる。現代最強と謳われ、長い呪術界の歴史の中でも五本の指に入るであろう男の膝元で学ぶのはまたとない機会だろう。

 

 「本家には私が話を通す。()()()()()、滞ることはないだろう。そう案ずることもない。あれらももう子供ではない。母親に似て強く育った」

 

 娘たちが本当の意味で私たちの元から巣立つまで、私が生きていられるという保証はどこにもない。術師の命など明日に消えてもおかしくはない。だから、せめて私が生きている間に多くの経験を得させたい。多くを見て、知って、喜びも悲しみも酸いも甘いも噛み締めて選択したものが娘たちのより善い未来へと繋がることを祈る。

 

 冬が迫ってきていた。

 

 

 

 

 




 
 禪院扇:変な夢見たら性格がおかしくなった人。転生してるらしい。術式を全力で開放すると三八〇秒で本州を焦土に出来るいつも何かに少しずつキレてそうなお父さん。ふきのとうの天ぷらが好き。誰。

 奥さん:幸せ。嫁優しすぎ。

 真希、真依:のびのび。

 禪院蘭太:『炳』から扇の側付きに異動。特別一級術師。

 阪〇タイガース:『アレ』した。
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