最低系チート禪院扇 作:田所1919810級術師
アニメの三期、扇さんカッコよかったっスね。
つーワケで、オッスお願いしまーす。
小満、末候。麦秋至。麦が熟れて、黄金の穂を垂れる頃合い。各地で雨の量が増え、プライベートジェットの中で見た朝のニュースでは少し待てば梅雨入りすると真依が好きな気象予報士が伝えていた。湿気も少しづつ肌に袖を絡ませてくるようになるだろう。
好かない候はこれといってなく、春には春の、夏は夏の、と趣があるところがあり、当時も我が家の庭に蛙が訪れることを待ち侘びていた。蛙が来ると真希が大層喜んだ。前の年に蛙を捕まえようとする真希と真依が雨に降られながら庭で喧嘩をして、妻に大目玉を喰らったことは今となっても思い出す。小言を言いながら泥だらけになった服を女中たちに宥められながら洗っている妻のところへ謝りに行く娘たちへ付き添った。今では娘たちも年頃で、話すことも随分と減ってしまったが、特に真依は妻が怒るとよくわたしのところへ隠れに来たものだった。妻や女中、かくれんぼや鬼ごっこで鬼になった真希から逃げるために転がり込んで来るとわたしの背に張り付くように身を寄せてはぴくりとも動かなくなるのだ。
その日は妻も娘たちも家を空けていた。育ち盛りの娘たちに新しく着物を繕うために懇意にしている呉服屋へ足を運ぶらしく、護衛と女中を連れ朝から出ていると訊いていた。その後は娘たちの行きたい場所へ行くそうで、夕刻までは戻らないと空港で迎えに来た蘭太から言伝を預かった。
わたしの留守にしていた間に起きたことを蘭太が助手席で話していた。何処で呪胎が観測されただとか、何処の家に不穏な動きがあるだとか。それらを訊くうちにふと、関係ないことが頭をよぎった。真希と真依が産まれて以来、家に妻か娘がいない時はなかった。寧ろわたしの方から家を空けることが多いのだが、短い間ではあったがミャンマーでの国外任務から戻ったわたしは久しく一人で過ごすこととなった。
しかし、いきなりそうなったからと言っても、身を固めてからもうそれなりに経つと、独り身であった頃自分がどのように余暇を過ごしていたのかすぐには思い出すことが出来なかった。よくよく思い出してみると、若かりし頃の自分は任務へ赴き、飯と眠ることの他には鍛錬に勤しむしか能のないつまらない人間であった。そんなわたしを娯楽へと引っ張り出していたのはやはり兄で、よく酒に付き合わせたり、賭け事や花街へ連れまわされた。それでも暇が出来たときは庭の景色を一人眺めていたものだった。
空港から帰り着き、昼餉を作って貰い、蘭太と食した。鰹の刺身と行者にんにくの醤油漬けと白飯。これらを前日の任務を終えてからそのまま空港へ来てくれた蘭太は喜んで食した。疲れを抱えた蘭太のために精のつくものを、そして、しばらく日本を離れていた私の帰国に合わせて良い鰹を手配してくれた料理番の頭にはいつの日も感謝が絶えない。
それからは私が不在にしていた間の家のことを蘭太から訊き、庭先へと出た。
瞼を閉じれば風が葉を撫で摩る音がよく聴こえる。日差しの熱さは肌を暖め、僅かに冷えを隠す涼やかな風は汗ばむ前に熱を攫ってゆく。若い夏の薫りが胸をいっぱいに満たしてくれる。しかし、その薫りにはもう僅かにではあるが雨の香がさざめき立っている。少しの間、私は身を任せる。時折国外へと赴き、帰り着いた時、故郷へ戻ったという実感を与えてくれるものたち。この瞬間はこの過ぎていく季節の置き土産が私のこころを異国の地の戦の中から引き戻す。
やがて、風は止む。
「甚爾か」
庭の石灯籠に背を凭れる男は私を捉えると刀傷が刻まれた口を吊り上げた。
「よぉ、叔父上」
「その気もないのだから、そう呼ぶな。いつも通りに呼べ。甚爾」
小馬鹿にしたような表情で男――甚爾は腕を組んだまま私から視線を逸らすことはない。敬う気などさらさらないというのに、会うたびに叔父上、と慇懃に呼んでにたにたと笑みを浮かべてくる。
風が吹いてくる。
「久しいな。顔を合わせるのは細君の葬儀以来か」
あぁ、と甚爾は顔を背けると、「もうそんなに経つか。何年経ったんだっけ」と虚ろに言葉を零す。そのまま庭をぐるりと見渡す。
「いい庭だな、おっさん」
お前もこの庭の良さが分かるようになったか、と問うと甚爾はいや、と頭を振る。まだそこまで枯れちゃいねぇよ、と皮肉気な面持ちを崩さない。
「今度こそは気付かれないように忍び込めたと思ったんだけどな。なんで気付くんだよ」
「家主が来客に気が付く、それだけのことだ」
へぇ、そうかい、と縁側に腰を下ろした甚爾に渋柿を齧ってしまったような面持ちの蘭太が冷えた茶の注がれたコップを持ちに来る。
「わりぃな、蘭太」
「お久しぶりです、甚爾さん。あのね、毎度のことでもう言い飽きてますけど、後生ですから正門から入ってきてくださいよ。守備隊としては肝が冷えて仕方がないんだから……」
甚爾は話す蘭太を横目に茶を喉を二、三度鳴らしながら飲み干すと、へぇへぇ悪かったよ、なんせ行儀のなってない猿なもんでなぁ、と笑う。蘭太は大きく溜息をついて、肩を落とした。全くもう、あなたのような人が猿で収まるわけないでしょう。甚爾はそんな呆れた様子の蘭太を見て面白そうに笑う。
「蘭太、すまないがわたしにも茶を頼む。甚爾、おまえはどうする」
「おれはいい。長居はしねぇよ。偶々近くを通ったもんだからあんたの景気の悪そうな顔を見に来ただけだ」
蘭太が盆を脇に廊下の先に消えていく。姿が見えなくなるまで甚爾の視線は遠くへと向けられていた。視界の先に広がる庭の景色――現世ではない、この世界とは剥離してしまった虚空を眺めようとしているように、虚ろに、瞳孔が開いていた。
「最近はどうだ。うまくやれているのか?」
「まぁ、それなりにな。食うには困ってねぇよ」
「恵は元気か?」
「あぁ、変わりねぇ」
そうか、と返すと会話が途切れた。その時、またぴたりと風が止んだ。雨の薫りがやや広がる。陽を流れる雲が隠して影が落とされる。
「連れ子の方はどうだ」
舌打ちの音。
「津美紀、といったか。後妻の連れ子らしいが随分と出来た娘だと聞いている。恵の一つ上、まだ幼いというのに家事全般請負って、気立てもいい。いきなり弟が出来て戸惑うどころか、産まれた時から共に過ごしてきた本当の姉弟のように上手くやれているようだ」
甚爾は何も言わない。僅かに瞼を伏せたのみだった。
「先日、恵が風邪を拗らせたらしいな。熱が中々下がらずに意識も朦朧としていたそうだ。狼狽しながら姉が薬局から帰ってくる姿を不審に思った近隣住民が恵を病院へと連れて行った時には肺炎になりかけていたと聞いた。病院側がどれだけ連絡しても母親――おまえの後妻は電話に出なかったらしい。おまえに至っては連絡先すら分からなかった始末だ、甚爾」
「いつから監視してたんだ」
「さてな。おまえを監視していたのはわたしではなく本家だ。わたしも空港から戻る時に直毘人からの言伝として聞いたばかりだよ。しかし、おまえ、葬儀の後報せもせずに住まいを移しただろう。その後音沙汰もなく、今日ここに来るまで禪院家に関わりのある者たちの前に姿を見せることはなかった。おまえと恵が探されて、探られるのも当然、直毘人が探して、探るのも当然だ。随分と家を空けているようだな」
生まれながら強大な力を得る代わりに何かを強制的に犠牲にする縛りを持って生まれてくる宿命――天与呪縛を背負う者たちの中でも、極稀に存在する呪力を持たずに産まれる代償に超常的な身体能力を与えられたフィジカルギフテッド、さらにその中でもこれまで確認されたことのない完全に呪力を喪失、脱却した特異な存在。動機と行動が伴えば独力で禪院家を半壊させることも出来うる超人とその息子。そして、彼らは我らが父――禪院家第二十三代当主と先立った我らの長兄であった男――二十五代当主の血筋を引く者たちであるわけで、姓が伏黒に変わり、家を出ていたとしても兄は当主としてその動向を把握しておきたかっただろう。
細君の葬儀の時、甚爾の様子は酷いものだった。葬儀の一切はわたしと兄で手配をした。細君の方は随分と前に親族たちとは縁が切れていたらしく、葬儀に顔を出したのはわたしの屋敷の者たちと本家から数人。皆が焼香を上げていくなか、甚爾は座り込んだまま、俯いた顔を上げることもなく、微動だにすることはなかった。甚壱が肩を叩いて呼び掛けても反応することがなかったため、兄が顔を覗き込むとまるで死人のような面が張り付いていたという。まだ幼かった恵は事を理解することが出来ずに項垂れる父を気遣わし気に見るだけだった。
愚かな男だった、と兄は長兄を嗤う。我らと同じ父母を持ちながらも長兄は兄曰く、我らほど恵まれることはなかった。しかし非才というほどでもなかった。生まれつき身体は丈夫ではなく床に伏せることも多く、術式も戦うことに長けたものではなかったが特別一級に認定されるだけの力はあった。
しかし長兄は我ら兄弟を何かと目の敵にしていた。彼とて同じ兄弟であったというのに。特にその矛先は兄に対して強く向けられた。それはもはや憎悪に等しく、兄は妬み、僻み、嫉みだと常、相手にしなかった。
あらゆる面で長兄は兄と対立した。我らが若かりし頃父の跡を継いだ伯父――二十四代当主が殉死したために二十五代当主の選出が行われた際、対抗しあったのもその二人だった。今の禪院の栄華を求めるために血を濃くしようとする長兄と、禪院家を次の千年先へと残していくために構造改革と、他家との縁組、接収、外向きへ勢力を拡大しようとする兄。結果は後年になって兄が家中の膿として処断する勢力の工作により長兄――甚壱と甚爾の父が二十四代当主となった。
長兄は己の子に兄やわたしを越えるような戦いに長けた術式と頑健な肉体を望んだ。甚壱は彼の眼鏡にかなったようだったが、甚爾はそうではなかった。術式も呪力も持たない猿と甚爾を疎み、虐げ、ある日、二人の母も猿を孕んだ獣として殺してしまった。甚爾にまで手に掛けようとしたところで警鐘を聞きつけて駆け付けたわたしと兄が取り押さえて、本邸の端に建てた離れに療養として隔離した。甚爾は死に際に矛先を向けられた自分に覆いかぶさるようにして絶命した母親の下で母の名を叫んでいた。甚壱はその一部始終を部屋中に飛び散った母の血を頭から被りながら呆然と見ていた。この件の後、暫しの間禪院家は分断の時期を経ることとなった。兄とわたしを仰ぐ者たちと、長兄と総監部に侍る者たちの分断は長兄の死とそれに伴う今代の当主選出の際に行われた兄の家中の声を纏め上げる行脚――粛清によって幕を降ろした。長兄の弔いには僅かな者だけが参加したが、甚壱の姿も甚爾の姿もなかった。
それでも、その死後でさえも長兄の亡霊は甚爾を苦しめた。生前も事あるごとに長兄の手から庇うことも匿うこともあったが、長兄に与するほどではないにしろ、似たような考えの者たちは未だに蔓延り、甚爾に悪意を投げ掛けた。朝、擦れ違う甚爾の貌には己の内に刻み込まれた恐怖に夜の裏側で抗い続けた跡が見えていた。調子を聴けば夢見が悪かっただけだ、と素っ気無く返すが、霜の一欠片ほどの脆さで立てている虚勢で繕う。そこには禪院の澱が在る。千年の時の中で名を残した者たち、その陰に消えていった名も無き者たち、数多の旧き禪院の屍が時を経て腐敗した淀みを、術師たる我らは己で祓えずにいた。
だからこそ、善い相手が出来たと聴いたときは安堵した。刑を執行される前の罪人のような表情で訪ねてきて、わたしと兄へ家を出たいと申し出た時には何事かあったのかと、更には家を出たその先の苦労を思い浮かべて年にそぐわない狼狽え方をしてしまったが、訊いてみれば縁に恵まれ、身を固めたい、と言うものだから予想外のめでたい話に些か大仰に喜んでしまい兄に笑われてしまった。よく見てみればいつの間にか随分と目元が柔らかくなり、以前と比べれば小さくではあるが他愛もないことで笑うようにもなっていた。兄も長兄の乱心については言葉に出すことはないが、今でも思うことがあったのだろう。甚爾の変わりようを微笑みながら酒の肴にして、揶揄っていた。その後、姓は伏黒としつつも躯倶留隊に籍を置き、禪院家が支援する外部の術師として仕事を斡旋することに兄が許可を出して、甚爾は家を出ることになった。母の骸の下で泣き叫んでいた童が、人間として存在を認められず絶望と悪意の坩で戦い続けてきた男が、ようやく人の幸せを得ることが出来たのだ。そのはずだったのだ。
「ずいぶん、昔、何回目だったんだろうなぁ。甚壱と殺し合いになってよ、言われたんだ。おれたちは人の親だの旦那にはなれねぇ、みたいなさ」
「昔の話だろう。おまえも甚壱も若かった。互いに反目しあっていた頃に死合いになった折の言葉だ。腹の底がどうであれ、殺意に塗りつぶされた仮初の言葉でないとは言えまい。それに、おまえが良き夫でなければ細君は何故あんなにも笑みに溢れた人だったのだ。あれは不幸せな者が見せる貌だったか。おまえの記憶に残る貌はどう映っている」
甚爾は緩やかな動きで頭を振った。思い出せねぇんだ、と呟いた。どう笑っていたか、どう話していたか、どんな歩幅で歩いていたか、罰が悪い時にしていた癖、嘘が下手ですぐにばれてしまう原因の馬鹿みたいな癖、驚いた時の今まで聞いたこともないような間抜けな叫び声、温もり、薫り、鼓動の間隔、頬に触れてきた時の瞬きのような冷ややかな指先とその細さ。その全てが、鮮明に覚えていたはずの愛の証たちが砂嵐の先へ隠されてしまったみたいに、どこかへ行ってしまった。返してくれ、と絶えた心電図のように咽ぶ。たった一つだったんだ、ようやくだったんだ、夢を見なくなったんだ、何でもない何時ものこと全てが堪らなく幸せだったんだ。なのに、どうして。
呪霊に喰われたわけでもない。呪詛師や禪院家を害する意図を持つ勢力、或いは禪院甚爾という個人へ恨みを持つ者からの襲撃でもない。雪の降る日に、消えゆくように、灯火が絶えた。心不全だった。任務の報酬を懐にしまい込んだ甚爾が夕暮れのスーパーで少し上等な肉と春菊や葱、恵が好きな菓子と細君が好きな甘味と酒を買い込んで家へ帰り着いた時、ソファで穏やかな貌で眠る細君と、何度揺すっても起きない母に呼びかけ続ける恵が見えた時、絶命をすぐに悟ったという。
「もう、どうでもいいんだ」
「恵はどうする。まだ、あんなにも幼い倅を放ってどうするつもりだ!!あの子にはおまえが、父親が必要だ。母親を失くして、血の繋がる親はおまえしか、もういないというのに!!」
「どうにでもなるだろ」
「貴様、甚爾!!」
影、と甚爾は言った。ただ一言だというのに不思議な程に庭へ響いた。
「恵が自分の影の中に手を突っ込んでいるところを見た」
「影、まさか、正当相伝……。十種影法術か……」
「それならどうにでもなるだろ。おれにはなかった才能だけで身を立てられる。母親を護ることが出来なかった、奪った、猿の父親なんざ必要ないだろ」
「そうではないだろう!!術師であろうと急な病には勝てぬこともある。おまえに、任務から帰り着く道すがらのおまえがどうして家にいる細君のことを知り得る?おまえが恵から母を奪ったなどと……、そんな馬鹿なことを言うな」
内心、ひどく虚しい想いを噛み締めていた。わたしの言葉は甚爾のこころへ届かないのではないか、とさえ思っていた。
わたしは愛する者をこうも残酷に亡くしたことはない。妻も、娘たちも、兄も、甚壱や直哉、倅同然に想う蘭太も、みな健在で、甚爾と同じ経験をしたことはない。これまでの境遇も全く違う。善き叔父であろうとしてきたが、きっと甚爾からしてみればそれ止まりだろう。そんなわたしの言葉の軽さたるや、己で言っていて、己が喉元を掻き切りたくなる。呪霊や呪詛師なぞよりも、人のこころを相手にする方が手強く、質が悪い。こんな言葉たちでは甚爾の抱えた洞に響いてはくれない。
「もういいんだ、もう」
甚爾はゆっくりと立ち上がって、軒先を出て歩き出す。
「最後に訊かせてくれよ。おれに何かあったら、ガキどものこと頼めるか?」
「滅多なことを言うな、おまえ自身が面倒を見ろ」
「いいから、教えてくれよ叔父上。あんたはガキどもをどうするんだ?」
その眼には光があった。強い意志と言ってもいい。虚言やまやかしを許さない、という。
見る者によっては、威圧し脅すような剣呑な眼差しに見えるかもしれない。しかし、わたしには何処か懇願するような、希うような光を見た。長兄から庇った後にわたしの部屋で落ち着かないように最中を頬張り、泣きそうになりながらおかわりを求めた頃と何ら変わらぬ、可愛い甥っ子のまま。
「無論、禪院扇の名にかけて不自由をさせないと誓おう。恵も津美紀という連れ子も纏めて面倒を見よう」
そうか、と言うと甚爾は再び歩みだす。その背に語り掛けた。去る前に聴いてほしかった。
「甚爾、久しく会ったというのに口煩くしてすまなかった。やはり、わたしでは、おまえのこころの内を理解し得ることは出来ないのだろう。こころないことも言ってしまったやもしれん。だが、これだけは言わせてくれ。辛いようなら、何か少しでも困っているようなら、帰ってこい。本家でなく、この屋敷に身一つでこどもたちと転がり込んできていい。よく親子三人でこの屋敷に来ただろう?ここはおまえの帰る場所だよ」
風が一際強く吹いた。突風と共に甚爾の姿は掻き消えた。まるで、先程までそこには誰もいなかったように。空虚だけが残された。
その後も甚爾はその足取りを掴ませることはなかった。本家の調査であまり柄が良いとは言えない連中と付き合いがあるとされ、その中には暗殺や誘拐等の汚れ仕事を斡旋するブローカーもいたため兄は甚爾の捜索と並行して、甚爾と繋がる可能性がある者たちへ刺客を送り続けた。甚爾を連れ帰るために。
数年後、甚爾は帰ってきた。悟に半身を吹き飛ばされて、抉れた身体で帰ってきた。星奨体の暗殺を請け負い、一度は悟を殺したが反転術式を今わの際で会得した悟に殺された。
星奨体を殺した罪人を禪院家として弔うことは出来ない。故に、葬儀は極秘裏に行われた。甚爾の亡骸に縋り付いて泣き腫らしている直哉とその肩に手を置きながら涙を流す蘭太。昏い表情のまま額を抱える甚壱。その光景をわたしは兄と少し離れたところから見ていた。
「五条との折衝も渡りがついた。こんなことをしでかしてくれたというのに、後始末がこんなにも容易いとはな」
「あの時、わたしが繋ぎ止められていれば、こんな結末ではなかったのだろうか」
「気に病むな、扇。おまえの糸を自ら振り切ったのも、星奨体の暗殺を請け負ったのも全ては甚爾の選択だ。おまえが責任を感じることではない……。秘してでも弔えるだけ、上等だろうよ、この大馬鹿者が……」
「五条家との折衝にはわたしが出る、構わんだろう?」
「良いのか?」
兄に頷いて返すと、肩を叩かれた。任せたぞ弟よ、と言うと兄は直哉の下へと歩んでいった。
万の呪霊の群れを一薙ぎで焼滅させた。人智の埒外、神話より出でたかのような呪霊たちも、墜ちたる嘗ての神々たち、まつろわぬ神をも退けてきた。
それでも、わたしはただ無力だった。わたしの腕には絶望の渦の中にいる甥を救う力はなかった。人間一人救えずに、よく衆生を救うなどと宣ったな、と脳裏で何者かが嗤う声がする。
深く、昏い、淵に立つような怖気があった。
慟哭と悲怨が脳髄へ沁み込んでいくようだった。
禪院扇:甚爾くんの奥さんが生きていた頃は甚爾くんと恵くんの三人でよく扇さんの所へ顔を出しに来ていたらしい。甚爾くんのことは甥というよりはもう息子みたいに気にかけていた。これから甚爾くんの遺体のことと恵くんと津美紀ちゃんのこととか色んなことを五条家とガチンコ交渉ファイトしに行く。せめて、その黄泉路だけは護らなければならない。
禪院直毘人:お兄ちゃん。病で先が長くない長兄と家中の膿を纏めて消し去るために二十五代当主の座を敢えて譲った。その気になればどんな手段であろうと当主の座を奪えたが、結果として乱心の末凄惨な事件が起きてしまった。義姉のことは丁重に弔った。未だに直毘人の心にはこの事件のことが残っている。長兄を嗤った理由の一つには甚爾の扱いも含まれていて、通常、天与呪縛と言えど呪力を完全に喪失した前例はなく歴史のなかでこれまで観測されなかった異常をただの猿呼ばわりして虐げた浅慮さと無知を愚かとした。
禪院甚壱:鬼の子である我らは人の伴侶を持つことも子を成すことも出来ない、甚爾よ、我らが父、あれは人か?女と寝ることはあっても妻を迎えようとはしない顔がアカン奴。甚爾とは犬猿の仲どころではなかった。母は何故おまえを庇っただとかなんだとか色々あった。その末に自分が囚われている場所よりも先へ踏み出した甚爾を言外に認めていた。だからこそ、その結末に納得が出来ない。本廷に農園を持っていて野菜を作っている。真希や真依が本廷に来ると野菜をお裾分けしてくれる。特に真希が本廷に立ち寄ると個別で稽古を付けてくれる。強い。
禪院直哉:反転術式をアウトプット出来るらしい。最後に甚爾と会ったときにまた稽古付けてや、と約束して指切りをした。次に会ったとき甚爾は半身が抉れて物言わぬ骸となっていた。嫌いなものは弱い奴、諦める奴、嘘吐き。
禪院恵、禪院津美紀:禪院扇と五条悟、両名の連名に依り禪院恵は禪院に籍を置きつつも五条悟が指南をすることが協約されている。禪院津美紀の身柄も同様に両名の協約で保障される。禪院、五条の両家の関係修復の兆しと見られている。