最低系チート禪院扇 作:田所1919810級術師
「扇さんはそこら辺の特級呪霊に囲まれても死なないんだよな」
「ウッス!」 と答える拓也。
「未登録の特級呪霊に襲われても大丈夫だよな。」
「ウっす!扇さんは未登録の特級呪霊に出くわしても合切焼き尽くしてきたっす!」
「神代の頃の、記録にも残されていないにも呪詛にも耐えられるよな!」
「ウッス!扇さんはいつも清浄たる穢れを滅ぼす焔を筋肉に流されて筋肉のバルクアップしてまっす!」
「寝る時も常在戦場だよな?」
「神州無双、護国鎮守の化身たる扇さんは如何なる時も民草のために戦うっす!それがたとえ現でない、何処でもない場所であろうと扇さんは戦うっす!」
春の来訪を感じると、幾つになってもこころの内が僅かに浮足立ってしまうものだ。
京都の冬は身体を心から凍えさせる。京の底冷え、などと言われるように、特に洛中は三方を山に囲まれ冷気が抜けずに、留まる。寒ければ寒いほど熱くした酒が美味いから、その厳冬も嫌いではないが、どうせなら暖かい方がいいのだ。皆、そう言うのだ。冬はなんだか滅入っちゃいそうで、と妻も庭の灯篭に積もる雪を見ながらため息を吐いている。屋敷の者たちが早く暖かくなってほしい、と語り合うところもよく見掛ける。梅がきれいに咲き始めるとそろそろかとそわそわし始める。桜の話をし始める。梅だっていいものだろうに。本廷の庭の梅はまた立派なもので毎年兄とこの梅を見ながら酒を飲むのだが、この時期になると直哉が桜の話ばかりする、あいつは分かっちゃいない、と兄が毎年同じ愚痴を吐く。皆、もう少しだけ梅に優しくするべきではないのか。
しかし、梅の季節が去れば途端に甘い薫りの風が吹いてくる。春が来るのだ。色々と言いはしたが、これには笑みがこぼれてしまい、待ち望んでしまうものだ。暖かな陽ざしとそよ風を浴びながら外へ出るのは、なんとも心地良い。無上の歓びがあるだろう。そのせいか、心なしか真希も真依も普段より表情が柔らかく見える。しばらく曇天が続いた後の春の陽射しはやはり気持ちがいいはずだ。
「で、これ何処に向かってんだよ」
エスカレーターの手すりに寄り掛かりながら真希が訊いてきた。年頃特有のぶっきらぼうな言葉遣いだが、やはりもう父親と外出することに抵抗があってもおかしくはない。
「なぁに?いい歳して行き先が分からないと不安になっちゃうのかしら?思ったより繊細なのね」
「そうじゃねぇだろ、いきなり買い物に行くぞ、ついてこい、だけじゃあ何を買いに行くのか、どうしてわたしたちを連れていくか分からないだろう」
真希の言葉で思い返す。娘たちに声を掛けた後、二人の――というよりは主に真依の服選びを待ち、行きの車内では二人とも口喧嘩が絶えず、宥めていると何時の間にか仔細を言う機会を見失ってしまっていたのだ。
「嗚呼、そうだったな。真希の言う通りだ。すまない、言いそびれていたな」
中央改札口から右手に進み、何度かエスカレーターを下っていくと京都駅から直結する地下街の最下階である地下二階へ出る。公的にはこれより下の階層はなく、施設関係者や駅関係者のみが立ち入れるようなバックヤードもこの地下二階で完結している。
春の陽気に当てられて外へ繰り出してきたのは我々だけではなかったようで、地下街は往来する人々で溢れていた。しかし、その雑多な空気の中で何故か。些か悪目立ちしているような、こそばゆいような感覚があったが、どうやら、わたしたちが歩く通りは女性向けの店舗が多いようで枯れた男が歩いていれば浮いてしまうものだろう。真希と真依は立ち並ぶ店を横目に付いてくるが、時折足を止めてショーケースを眺めていることや雑貨店や化粧品店の前で立ち止まることがあった。気に入ったものがあれば帰りに買っていくか、と訊くと別にいい、と二人ともそっぽを向いてツンとした貌をする。そんな娘たちの様子を見ていると何時の間にか入り口が見えてくる。ここ、だと言えば二人とも怪訝な貌と戸惑うような声を出して、わたしの背を訝し気に見ていることが分かる。地下街の端、先の無い通路の終わり、その壁に設置された扉と関係者以外立ち入り禁止の文字。
「ここって従業員とか駅の人間しか立ち入れないバックヤードへの入り口じゃないの?」
「いや、ここでいい。行くぞ」
扉を開けて先へ進む。真希と真依が慌てて後を追って入ると扉もすぐに閉まる。
扉の先には十メートルほどの通路があり、その先には下り専用のエレベーターがある。ある筈のない地下二階より下へ降りる手段と、薄暗くて寒々しい剥き出しのコンクリートで覆われた通路の異様さ。真希がいい加減に何処に行くか説明しろ、と言う。この先はしばらく余人と出くわすこともなく、気兼ねすることもない。エレベーターに乗り込み、ボタンを押す。
「これから旧宮へ降りる」
「旧宮?」
「おまえたちも行ったことはあるんだが、憶えてはいないだろうな。なにせ、おまえたちが随分と小さかった頃の話だ」
エレベーターが震えて足元を押し上げるように揺れると扉が開いた。その先もコンクリートで覆われた一本道が続いている。灯りは所々消えかけていたり、明滅しているものもある。変わらず不気味な通路を前に進む。
嘗て、この国の中心は京都だった。京の都、或いは、都、とだけ呼ばれていたように、現代的に言うならば京都はこの国の首都であった。有史以来、幾度かの遷都を経てこの地に開かれた平安京は平清盛の福原遷都を除外すれば東京奠都までの約千百年もの間、帝が住まう皇居が置かれていた。その間、何度か武士によって幕府が開かれたり、政治の実権が天下を統一した武士へ流れることがあっても、鎌倉、大阪、江戸といった拠点が都になることはなかった。この普遍的な歴史としての認識と同じく、呪術的な認識としても京都は長きに渡り中心地、また、飾りすぎではあるが聖地とも言えた特別な地だった。故に天元も明治天皇が東京へ移られるまで京都に座して国内の結界の維持を続けた。
現代に於いて、天元が日本全域に展開する結界群は現代呪術界の基盤とされ、東西二校の呪術高専や関連施設の呪的防護、補助監督が使用する汎用的な結界術の精度の底上げ、呪霊の発生抑止等の日本の国土上で術師が活動する上での必要不可欠なインフラの一つとなっている。その中でも特に重要な浄界が四つある。皇居――旧江戸城を中心とした浄界、京都の山国御陵浄界、東京奠都の際に候補地に選ばれた筵山麓――東京高専地下にある薨星宮浄界、日本を東西に分断する飛騨霊山浄界。これらの浄界が損なわれると我らは結界術に於ける千年間に渡り得てきた技術や知見を失いやり直すことになる。ただし、これらが残れば安泰という訳ではない。九州北部から中部を広域に渡りカバーしつつ九州地方で活動する術師たちの拠点として五条家が守護の任を負う太宰府浄界や東北地方を覆う仙台浄界と恐山浄界。そして、天元が東京奠都と共に住まいを東京へ移すまで薨星宮が置かれ、呪術的基盤の保障に対応する山国御陵浄界に代わり京都府内での高専関連施設の防護、結界術の向上、呪霊の発生抑止を担う、京都市街地地下にある旧薨星宮浄界――旧宮浄界。
帝や天元が東京へ移ろうと、京都の呪術的な重要性は変わらないが、明治政府が緩やかに政府機能を東京へと移転させていく中で呪術師たちも東へ拠点を移し始めた。長きに渡り西の地で続いた家たちが本家ごと東京へ移るというのは珍しい話ではなかったらしい。その流れの中で御三家は京都から微動だにせず本家を置き続けた。それを見た他家の者たちは長く続く家ほど御三家に倣って京都から動くことはなかったという。
これもまた、面子だとか政治だとか、そういう類の話なのだ。東京には既に、江戸と呼ばれていた頃から関東で勢力を持つ術師たちが根差していた。家康公の頃から徳川家に仕えてきた家もあり、辿れば頼朝公と共に平氏と戦った坂東武者を祖に持つ者もいて、果ては嘘か誠か分からないが清和源氏の末までいたという。彼らが築き上げた東日本に於けるコミュニティやネットワーク、その牙城は御三家と言えど易々と崩せるものではない。しかし、御三家を筆頭とした西国の術師たち――つまるところ、当時の上層部は結束した大規模な新興派閥、下卑な輩ど呼ぶ関東の術師たちが磨り減るのを待った。江戸の頃と同じく、拠点は構えても無理に東京へ進出せずに活動範囲を西日本にのみ絞り、関東への干渉を控えた。御三家は禁門の変より急増の傾向を見せた呪霊への対処と旧宮浄界と山国御陵浄界の守護で手が空かない、東は東の一門にお任せする、と。世は戊辰戦争が終戦を迎えて間も無い時分であったが、近代日本最大の内戦の傷は大きく、深いものだった。戦況が進むにつれ、戦線は上へと押し上げられていった。東へ、そして北へと。苛烈で残酷なものになっていった。同じ日本人が幕府軍と新政府軍とで分たれ殺し合い、数えきれないほどの人々が無念と共に死んだ。深い淀みは激しい戦いが数多く行われた東北地方付近へと集中する。総監部の記録では会津を始めとする東北地方の激しい戦いが発生した地にて特級呪霊の連続顕現があったと記録されている。それらへの対処は狙い通りに関東の術師たちの疲弊を招いた。
その策謀の裏で築かれたのがこれから向かう旧宮浄界も中核外縁部を囲うように広がる地下街――旧宮街だ。薨天元が東京へと移り、旧薨星宮は浄界の起点としての機能を持つのみとなった。残された広大、無垢な空性結界。関東の疲弊を待つ間、御三家と幾つかの家たちが旧宮を西日本で活動する術師たちの一大拠点に転用する計画を立てた。今でこそ国内で活動する術師たちは東京と京都にある高専を拠点に様々な支援を受けて任務へ赴くが、当時は在野の術師たちが決まった拠点を持つことは少なく、政治体制や情勢の変化の影響を受けやすかった。その現状を憂いた当時の楽巌寺家当主が発起人として御三家へ呼び掛けてこの術師たちの街が出来たという。洛内に二つある浄界の防衛、遠方から赴いた術師たちが滞在する施設や医療機関、呪具を整備、購入出来る商店、万が一東京の薨星宮を放棄しなければならなくなった時に天元が退避出来る施設としての機能を併せ持つ呪術的要塞。在野の術師たちは旧宮へ集まるようになり、京都高専がその機能の一部を譲り受けるまで計画通りに西日本最大の拠点として在り続けた。そして、洛内、京都付近の防衛戦力を確保出来た御三家たちは、度重なる東北地方での術師隊を投じた平定作戦で間隙が生じた関東の勢力図を喰い荒らしていった。その筆頭は我ら禪院家であった。
「なんだ、あれ?」
「扉……?なんで道の真ん中に扉があるの?」
通路を歩いていくと一枚の扉が現れる。年季を感じさせる木製の扉の先には同じように通路が続くだけで、この扉を開いて、抜けたところで何も意味がないように見える。
「ようやく入り口だ。さぁ、行くぞ」
またも胡乱な視線を背に感じつつ、扉を開き、先へ抜ける。娘たちもわたしに続いて抜けると息を呑む声がした。
「今の感覚は……」
「結界を抜けて、旧宮がある位相へ入った。侵入者へ備えて結界の位相をずらしているのだよ。旧宮街は広大な空性結界内に広がる異界に等しい。故に、旧宮へ入るためには幾つか特別な結界を渡り歩かなければならない。帳を抜ける時の感覚と違うように感じるのは今の結界が登録された呪力であるかを検知して、位相を変動させる特別な結界だからだ」
「わたしたち登録なんてしたか?それにわたしの雀の涙ほどもない呪力も感知出来るもんなのか?」
「通常は高専の入学手続きををした折に登録される。おまえたちはずっと昔に登録済みだ。完全に呪力を喪失しない限り旧宮の防護結界はどんなに微弱なものであろうとも呪力を識別する。元は天元の住まう宮だったのだから、それぐらいの機能は持っている」
「これも彼岸に渡る、ってことなの?」
「そうだ。彼岸、言葉の意味そのままというほど物々しいわけでもないが。古来より河や結界等の此方と彼方へと分つ境界を渡る、或いは渡すという行為や概念には呪術的に強い意味が内包される。これは多くの儀式や術式に組み込まれてきた馴染みのあるものでもある。例えば、人の領域から魔に近い領域へ近づくための儀式の中にはこの様式を組み込んだものも多い。この場合ではズレた位相へ入る、といったところか。ちなみに、入り口はここだけではない。京都市内のいくつかの場所に扉は点在していて、京都高専内には旧宮内部へ直通出来る扉がある」
よく勉強してるな、と振り返って真依に言うと今度は俯いて、蘭太兄に教えてもらったから知ってるだけ、と呟いた。真希が照れてんだよコイツ、とにやにや笑いながら言うと真依に強く肩を叩かれていた。
そうしていると通路の先に光が見えてくる。真白に輝く出口。
「あの光の先が旧宮街だ」
刹那、眩い光で視界が塗りつぶされて、眩む。ここが最後の結界だ。その先に広がるのは地下にありながら地上と見分けが付かないほどに精巧な天球の下に広がる街並み。中心には一際大きな社が聳える。そこが旧宮浄界の中核であり、この旧宮街を築き上げた楽巌寺久嗣の墓所でもある。
往来を歩くと中々に賑わっている。術師のための店が多いがそれでも多種多様な装いで雑多に立ち並ぶ様は何と無しに歩いていても飽きはしないだろう。幼い頃に来たことがある娘たちも物珍しそうに通りの店々を見ている。
洋装の者、和装の者、闘争への飢えを隠すように退屈な貌で無骨な野太刀を抱えて座り込む者や、頻りに懐中時計を見やりながら銃を入れているであろうハードケースを運ぶ者。立ち食い蕎麦を一心不乱にすする高専関係者らしき黒服の男たちに、儀式に使うであろう触媒選びに悩みぬいた果てに店の者にいいように鴨にされる駆け出し術師も。一目見ると何もかも嚙み合わない風景に散らされた彼らは喧噪の中で混ざり合い、混沌へ溶けていく。在野の術師たちがこれほどの規模で集まる場所は何処にもない。まさにここは術師の街なのだ。
悟が言うには、傑はこの街が好きだったらしい。悟に着いて京都へ訪れた際には昔から旧宮街にある団子屋へ二人で茶を飲みに行ったという。一度、用向きの最中に二人に出会したこともあった。からから、と笑いながら仲良く団子や大福を食べる二人の姿は今でも鮮明に思い出せる。そして、使命と責務を果たさんと光る傑の瞳の危うさも。
賑わう往来から道を一本入るだけで喧噪はどんどん離れていく。さらに進めば、あの賑わいが嘘だったかのような静けさが訪れる。
「一気に静かになったわね」
「我らの区画に入ったのだ」
「我ら?禪院家の、ってことか?」
「そうだ。旧宮街全体の管理運営は楽巌寺家が執り行うが、一部の区画は楽巌寺家の管理下に置かれずに特定の家が独自に管理している。ここは我ら禪院の区画だ。禪院家が支援する外部の術師たちが使う施設や禪院家が保有している工房がある。今から向かうのはその工房だ」
静けさの中に鉄を叩く音と喧騒が戻ってくる。人通りもちらほらと数を戻してくる。江戸時代の町屋が並ぶような通りの中で一際大きな間口と土間を開いた店がある。そこが禪院家が呪具の買い付け、整備、製造を専任させる工房だ。家内では廠、と呼ばれる。分家の呪具制作に秀でた者たちを中心に、地方の後継者不足で技術や血筋が途絶えてしまう優秀な呪具師たちを呼び寄せて、この廠で技術の継承と保護、後身の育成を行う。
通りに出て佇む老人がいた。藍色の着物と灰色の羽織を合わせ、背筋が伸びた、美しい立ち姿で、わたしを見つけると恭しく頭を下げた。
「お久しぶりでございますな、弟様」
「あなたも変わらずお元気そうだ、白澤の翁」
「いえいえ、わたしはもう何時黄泉路へ旅立ってもおかしくはない。弟様もお分かりでしょう?本来ならば二十年前に落としていた命、あなた様と直毘人様に拾って頂きましたこと、この老い耄れ片時も忘れたことはございません。あの呪詛を浴びて、二十年、もうすぐ骨の髄を蝕むでしょう。我ながらよくぞここまで永らえたと言えるでしょう」
「そう簡単に死なれては困るな。わたしも兄も、長きに渡り禪院に尽くしてくれた御仁を諦めるような真似はしたくはない。その呪詛を取り除くことは我ら兄弟の悲願の一つだ」
「まこと、ありがたい話ですな。分家の傍流である我らを取り立てて頂いたばかりでなく、このように想っていただけるとは。弟様、もしや、そちらのお二人が……」
「あぁ、娘たちだ。最後に会ったのはもう十年前か。今日は娘たちの呪具を見繕ってもらいたい。この春から二人とも高専へ行く。その入学祝だ」
「それは、それは!!おめでとうございます、真希様、真依様。わたくし、この廠の取り纏めを勤めさせていただいております、白澤常朝と申します。それにしても大きくなられましたな。初めてお会いした際はまだ御父上の腰にも届かなかった背丈がこんなにも。若者の成長には驚かされますな」
朗らかに笑う翁に挨拶を返した真希が、買い物ってそういうことかよ、と笑った。真依も得心がいったような貌になった。
「入学祝いで呪具かぁ。ちょうど得物をどうしようか考えていたんだよな」
「わたしは世俗の流行には疎く、気が利かないからな。母さんのようにおまえたちが気に入るようなものは用意出来ないだろう。直毘人のように言えば、些か雅さに欠けるだろうが、おまえたちがこの先必ず使うであろう仕事道具を贈ろうと思ったのだよ。細やかながら、父からの祝いだ」
呪具とは一人の術師の命を左右する得物なのだ。父親としては娘たちの命が左右されるとなれば、妥協せずに良い物を使ってほしい。高専から貸与されるものも悪くはないだろうが、これは贈り物でもあるのだ。恥ずかしい話ではあるが、こういう時でなければ父親らしいことも出来ないのだから、せめてとびきりの物を。それが一人の術師の、娘の命を救うのならば、それ以上の歓びはない。
翁と娘たちは既に打ち解けていた。翁に呪具のことを色々と訊いているようだった。
「それじゃあ、父さんの刀もここで打たれたものなんですか?」
「左様でございます。あの刀は二十三年前、『佐渡島千人斬り・鬼退治』の後、御父上の焔に耐え得る三本目の刀として鍛造されました。彼の征夷大将軍、坂上田村麻呂が奥羽にてとある魔性を斬り祓ったとされる名も無き折れた霊剣と、出雲大社近郊にて回収された特殊な性質を持つ隕鉄を用いて鍛えられた刀に御座います。その刀で御父上は二体の特級禁忌呪霊を祓っております」
「そんな話聴いたことなかったわ。その、禁忌?呪霊っていうのは?どんなやつだったの」
「三上山の大百足と八岐大蛇でございますよ、真依様」
真希と真依がわたしの方を振り向いて点のような眼で見てくる。昔の話を当人がいるというのに、こうも自慢気に話されるとどうにもこそばゆくて敵わない。百足を殺した時には弓も使ったのだから、刀一本というわけでもなかった。伝承とはこのように捻じれていくのだろうか。おや、お話になっていないのですか、と翁が惚けているが、わたしの仕事の話など娘たちには大して面白くも感じないだろう。血生臭い話を妻と娘たちに聴かせたくなかったのだ。
「そういえば、おまえ直哉から何か入学祝い貰ってたよな?あれ、何貰ったんだよ」
真希が訊くと真依は吹き損ねた縦笛のような声をあげて跳ねた。
「いや、その、えっとぉ……、あれは偶々出先で会って、直哉も休みだって言うから、本当に偶然わたしも暇で、そのぉ……」
「いや、だから何貰ったんだって」
「何でもいいでしょぉべぇつにぃ!?ていうか、なんで直哉に入学祝い貰ったって知ってるの!?なに!?そんなに気になっちゃうのかしら、でも教えませぇん!!教えないから!!」
「そのネックレスか?」
「へぇあ!?」
「図星かよ」
「その首飾りも呪具ですな。呪具は何も刀剣の類、得物ばかりではありません。このような装飾品の形を取った呪具もあるのですよ。見たところ術式が込められていますな。装飾品の呪具は往々にして身を護る効果を持つ物が多いですから、それもきっと真依様を護ってくださいますでしょう。直哉様も御目が高い」
「えっと、直哉もここに来るんですか……?」
「はい、つい先日も短刀の整備にいらしました。お二人のことも話されていましたよ。春から従妹たちが高専へ行く、片割れは京都校に来ることになっていてその内訪ねてくることもあるだろうから、その時はよろしく、と」
「そう、なんですか」
「さて、ではお二人の呪具を見ていきましょうか。ここには刀剣から火器まで数多くの得物が揃えていますから、きっとお二人に合う呪具と巡り会えるでしょう。おぅい、組屋!!一番の蔵の鍵を開けてくれ……」
翁と店へ入る娘たちを見ながら、わたしは直哉のことを考えていた。あの雨の日のことを思い出す。
甚爾の死後、家の中で誰よりも強く五条への報復を唱えていたのは直哉だった。何度取り下げられても、直哉は兄に訴え続けた。星奨体を殺した罪人であり、型式の上では禪院から出た一門外の術師である甚爾のことを正式に護衛の任に就いていた悟が殺したというのは話の筋としては何も間違っていない。そして、その罪人である一門外の術師を五条の術師が殺したという点で我々が報復をするというのは、余りにも筋が通らない。そんなことは直哉もとうに理解していた。分別のない、馬鹿な子ではない。それでも、直哉の哀しみは、怒りと慟哭は、割り切りの付けられるものではなかったのだろう。
それが、あの日決壊した。
土砂降りの雨の中、庭で蹲る直哉に駆け寄る蘭太と肩を貸そうとする甚壱。吹き飛ばされた障子や襖が砂利の砂紋を掻き消す。縁側から直哉を見下ろす兄。聞き分けろ、と重く諭す声に返されたのは雨と涙の最奥で揺らぐ修羅の眼と血を吐くような咽び声だった。
それから、直哉はあまり笑わないようになった。兄やわたしに冗談を言って笑わせてくる、いつも甚爾の後を着いて周っていた直哉はあの土砂降りの日にいなくなってしまった。兄との会話も少なくなったという。家を出た今では兄が不在にしている時でなければ本廷へ帰ってくることはない。本廷よりもわたしの屋敷に顔を出すことの方が多いぐらいだ。
おとなしすぎても良くない、倅には恨まれるぐらいがちょうどいい、男が旅立つ時が来たのだ、と兄は笑っているが、総監部に直哉が眼を付けられないように常に気を掛けていることをわたしは知っている。特級ばかりを相手にして任務を選ぶ無茶に実のところは気が気ではないのだ。
わたしも何時の日か、娘たちに恨まれる日が来るのだろうか。顔も見たくない、と遠ざけられる日が来てしまうのだろうか。しかし、それで娘たちが無事に日々を暮らしていけるのならばそれでも良いと思えてしまうのは不思議なものだ。親はなけれと子はそだつ、と言うが、気が付けばこんなにも立派になったのだ。わたしの助けが無くても、この子たちは強くなれる。
巣立ちの時が来たのだ。
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夜の闇の胎の中を男が駆けていた。血で重くなったライダースジャケットを脱ぎ捨てて、シャツ一枚、息も絶え絶え、がむしゃらに走る。足が縺れて何度も転び、土で貌も服も酷く汚れていくが気にも留めない。何度目か分からない転倒の先は突如現れた斜面、転げ落ちていく。背中を強く打ち付けてその場で蹲ろうとするが、そんなことをしていれば死神に追い付かれてしまう。悲鳴を上げる身体を叩き起こす。立ち上がる最中で斜面の上から微かに落ち葉を踏む音がする。
再び駆けだした男は声にならない悲鳴を叫び続ける。どうしてこうなった、と。
男は大津に本家を置くとある術師の家系に生まれたどこにでもいる凡庸な術師だった。高専には通わずに家で術師としての教育を受け、独り立ちしてからは京都高専で任務を受ける二級術師で、準一級への昇級査定が来週から始まる。欲を出さずに身の丈に合った任務を受け続けて、漸くここまで来た。無茶をせずに生き延びられてきた。こんな身の丈の合わない絶体絶命の状況になんてならないためだったのに!!
元は突然掛かってきた実家からの電話だった。何やら京都高専から回された任務らしく、とある呪物を洛内にある秘匿忌庫へ移送することになったからその護衛のために術師隊を編成することになった、そのための人員を募っているため貴家からも何人か派遣を願う、とのことらしく男と他数人が派遣されることになった。こういう任務は御三家辺りが出しゃばってくるものと思っていたが、同行する親戚たちのこういうこともあるという言葉でその疑問を仕舞い込んで集結地点に赴き、そこまで呪物を輸送してきた術師隊から封印が施された櫃を受け取り車列は進み始めた。
待ち伏せだった。山中に掘られたトンネルを抜けた先で車道の中央に立つ白髪の人影が見えたと同時に氷の壁が車列を飲み込んだ。その後何処かに潜んでいたであろう数十人の呪詛師に囲まれた男たち術師隊は交戦状態に入ったが、術師隊は男を除いて全滅した。輸送していた櫃は奪われ、車も潰された男は山中へ逃げ込んだ。通常任務の際、緊急時に京都高専へ救難信号を発信する呪具を起動させて、只管に走る。もう一時間は走り続けている。
呪詛師共は大した脅威ではなかった。数で勝ってはいても烏合の衆、男たち術師隊は等級は然程高くなくとも実戦経験豊富な術師たちが集い、一級術師も帯同していた。十五名でも十分な戦力だった。しかし、その優位を崩したのは白髪の氷使いだった。男性とも女性とも見える中性的な貌から繰り出された馬鹿げた出力の氷の濁流に呑まれ、一級術師は砕かれた。そこから術師隊は総崩れとなり、皆氷漬けにされた。
背後に怖気が走った。呪力の感知等ではない、生物が本能的に察知する生命の危機。回避する間もなく男の背に何かが突き刺さる。極大の杭がトラックも斯くやの衝撃で打ち込まれたような激痛に意識が明滅する。右の肩甲骨に一発、間を置かずに左の肩甲骨にもう一発。血を吐き、前へと倒れ込む。何とか身体を起こそうと身を捩るも、身体は震えるばかりで動いてはくれず、芯から冷えていく。そこで漸く男は背に打ち込まれた杭が氷柱であることに気が付く。そして、それは死神に追い付かれたことを意味する。
足音が近付いてくる。さくり、さくり、と葉を踏む音。木々の闇からぬるりとそれは出てくる。白髪に袈裟、中性的な面持ち、手には冷気が纏われ揺らめく。襲撃者たちの首魁と見られる謎の術師。とうとう男を捉えた。
今この瞬間にも飛んでしまいそうな意識を縛り付けて、恐怖と痛覚を嚙み潰して男は身を捩る。立ち上がることは出来ない。腰と足の感覚がない。それでも虚勢を張る。恐らく、という言葉が介在する余地はなく、自分はここで死ぬ。男は確信していた。
死に様の話だ。背を向け諦念の中で死ぬのか、それとも最後の最期、その瞬間まで一矢報いんと足掻くのか。理由のない願いが男をこの今わの際に突き動かす。まだ、生きたい。それは願いですらない本能よりも野性的な何かしら、遺伝子に刻み込まれた何某であり、叶わない願いだ。男には分かっている。しかし、叶うことのない理由なき願いは今男の足を動かし、二本の足で立ち上がり白髪の術師――裏梅を睨む。
その様を裏梅は冷たく見る。無駄な足掻きだ。しかし、同時にこうも思う。成程、確かにこの男は術師だ、と。
裏梅の指先に呪力を帯びた冷気が集う。男の最期の時が来た。放たれた技がどんな物であれ、男にはもう耐える力は残されていない。対して男は尽きかけの呪力を纏う。弱々しく、微弱な呪力の鎧に阻めるものはない。こんなにも貧弱、こんなにもみすぼらしい、襤褸切れのような呪力の膜。それでもこれは男の精一杯の不屈だった。
指先に氷柱が凝集される。裏梅の口が開かれる。もうすぐ氷柱は男を貫くだろう。そして絶命。その最期の一時が余りにも長く、引き伸ばされたように感じる。その刹那、男の耳に入る声。
「ええやん、そういうん嫌いやないで」
瞬間、風景がブレる。物体同士が強く衝突したようだった。そして夜闇の中弾け飛ぶ黒い火花。
反射的に目を覆った先には裏梅はいなかった。裏梅の立っていた場所には書生服の男が一人。
「おぉ、今日は調子がええな。幸先もええ。それで、キミが救援信号打った人で合ぉてる?」
「あなたは……」
「救援やで。京都高専からの救援。君が呼んだんやろ?それにしても随分ボロボロやな。よぉ生きてるねぇキミ」
書生服の男が手を翳すと男の傷が瞬く間に回復していく。容易く行われる途方もなく高等な呪術に男は書生服の男の正体に気が付く。
「まさか、あなたは禪院の……!!『特級……」
「そんなんどうでもええから早よ逃げや。この先で高専が非常線張ってるからそこまで走り。アレ、まだ死んでへんで……」
殺すつもりで打ち込んだんやけどな、と拳を開閉させる書生服の男の言葉に従って男は再び走り出した。
闇の中より反転術式の正のエネルギーを立ち昇らせながら裏梅が姿を現す。一度心臓を穿たれた、その貌に怒りが滲みだす。
「貴様ァ……」
「キミ、ほんまに人間?まぁ、久しぶりに食い出のある奴が出てきてくれて嬉しいから、人でも呪霊でも、どっちでもええわ。とりあえず、ここで死に」
呪霊蔓延る、夜闇の山中、その胎の中。二人の術師が相対する。
二十本在る特級呪物『宿儺の指』を強奪せしめた呪詛師たちを率いる、千年前、呪術全盛の平安の世を生きた術師の受肉体――『凍星』、裏梅。
対するは、呪術界御三家、埒外の感性と狂気的な才覚で呪術の高みを駆け上がり続ける禪院家の御曹司。高専登録後、受諾する任務は全て特級案件。その全てを完遂し、生還する。破滅的、自殺願望、生き急いでいるとも取られかねない、飽くなき力への渇望。そんな彼を人は畏怖を込めてこう呼ぶ――『特級殺し』、禪院直哉。
禪院扇:最低系お父さん。仕事の話を家でしないタイプ。仕事の話とか面白いのか?大百足を祓う時に使った弓は禪院家が密かに回収していた源為朝の強弓を基に大百足の体躯と扇さんの体格を計算し造られた大百足殺しの特級呪具。みんなもっと梅を愛でろ。二月良いだろ。
禪院真希:二月寒い、やだ。呪具買ってもらえるからうっきうき。分家筋や本家の一部の者たちから扇様が当主になれなかったのは娘たちのせい、と言われ続けてきた。だから強くなりにいく。胸を張って禪院扇の娘だと言えるように、偉大な父に恥じない娘になれるように。
禪院直毘人:お兄ちゃん。お父さん。苦労してます。心配してます。でも、期待してます。自分が届かなかった場所へと辿り着いてくれると信じてます。でも、元気でいてくれればそれでいいのです。
禪院直哉:『特級殺し』。寂しく笑う人。受ける任務は全て特級呪霊絡みのみ。二度、死に掛けたが生還して、呪霊も祓っている。本廷にいた時、分家筋の者たちに囲まれ嬲られそうになっていた真依を助け、自分が住む棟に匿ったことがある。以来、懐かれる。真依には何かあれば本廷の自室に逃げ込むように言っている。庭に咲く紫陽花と菖蒲を気に入っている。五条悟は何時かあのバリア引っぺがして半殺しにすると決めているらしい。
五条悟:一級最強は直哉でしょ。
禪院真依:二月、寒い。でも、雨が降ると髪が纏まらなくなりがちだから雨の方が嫌い。直哉に何度も助けてもらっている。弱いやつが嫌いだと言う直哉が何故自分のことを助けてくれて、優しくしてくれるのか分からない。禪院扇の娘だから?不安です。でも、あの背が忘れられない。菖蒲が好きで、直哉から株を貰って育てている。雨は嫌いだけど梅雨時期に咲く菖蒲の花は綺麗で好き。
菖蒲の花:菖蒲の花は雨の中で一番匂い立つ。たとえそれが、血の雨の中でも。