最低系チート禪院扇 作:田所1919810級術師
ス、スピンオフ……(三人称)
書いてる途中でイキスギになりそうだったので、分割するゾ。
前後編ぐらいで終わらせたいぜ。至急、執筆しろや。
この辺のぉ、話が終わったら、0に入りたいらしいっすよ?
でも、戦う描写と三人称で書くの難しいよねパパ。
しゃあっ!!励むっス。
袖が肩口からばっさりと破けてしまっている着物なんて、みっともなくて着ていられない。そうでなくとも、土に泥に、自分の血と返り血で汚れて重くなっている衣と、擦り切れそうな草履などはすぐにでも脱いでしまいたい。ぼろぼろの書生服を袋へ入れてランドクルーザーのトランクへ放り込む。補助監督が持ってきたジョガーパンツとフーディーに着替えて、そのままトランクの縁に腰を下ろした。激しく動いた身体はあらゆるものが枯渇している。着替えと共に渡された水を一気に流し込むと、嚥下の後、喉を伝い胃へと落ちていく冷たさが腹の奥底から皮膚の裏側へ滲みていくように感じる。大きく吐いた息にはその冷たさが乗る。そうして、漸く、禪院直哉は命のやり取りから引き戻される。
深夜の山中とは思えない喧噪が直哉の耳に入ってくる。貌を上げてみれば山狩りでも始めそうな勢いと数の人間が忙しなく動いていた。スーツ、高専の紋章がプリントされたレイドジャケットにジーンズ、白衣と袴、様々な装いの者たちが入り乱れた大騒ぎ。何台もの黒塗りの四駆やバンが雁首を突き合わせて、一帯が昼になったかと思うほどの数の投光器が並べられている。こらお天道様が昇るまでに撤収出来るかも分からへんな、大変そうやなぁ、と水が半分も残されていないペットボトルを弄びながら直哉は独り言ちて、瞼を閉じる。
反転術式で再生された右腕。掌、指先で触れているペットボトルの感触。揺れる水の音。
一度失われて戻った腕は何の異常もなく機能している。まるで、初めから失われたことがなかったかのように。しかし、瞼の裏、暗闇の中で水の音に耳を傾け、落ちていけば、肩口から凍てつく感覚が呼び起こされる。春の夜の冷えでもなく、飲み込んだ水の冷やかさでもなく、息の根を止めようと命の側元へ迫りくる、黄泉路を吹く風のような不吉な冷たさが。
直哉と裏梅、向かい合った二人は静寂の中で睨み合う。正対する不敵な笑みと激情で歪む美貌。互いの肢体に絡み付く殺意に山中の風も息を潜めるようにぴたりと止む。その静けさは、些細な地を踏みしめるつま先の音でも嚆矢となるでろう苛烈な殺し合いの兆しだった。
穿たれた胸の再生を終えた裏梅は想う。先刻の奇襲の不可解さ。突然現れ、黒閃と共に心臓を潰した眼前の男は正しく裏梅を一度殺した。凄まじい速度に乗せられた重厚な呪力を伴う打撃は例え接近を察知した裏梅が身体を呪力で固めたとしても防ぎきれるものではなかっただろう。しかし、その接近に気付くことが出来なかった。あの威力を乗せるほどの速度を出しながら接近する術師が纏う呪力を感知出来ないことなどあり得ない。音もなく加速する技術、或いは術式。高い呪力操作技術によって極限まで削ぎ落された呪力出力による隠形、或いはこちらが術式効果か。初撃だけでは全てを判断できる訳ではないが、どうにせよ、この男は高い機動力と格闘能力を持つことは分かった。
裏梅の術式――氷凝呪法は呪力で氷や冷気を発生させ、操作する。その術式効果が最も高く発揮されるのは中近距離、そして広範囲へ作用する。相手の間合いが想定通りならば、あまり近寄らせたくはない。だが、術式の相性は悪くないはず。容易く懐へ入らせることはない。
そう、考えていた。
「とろいなぁ、キミ。腹、ガラ空きやで」
裏梅の身体は折れるようにして曲がり、吹き飛ばされる。木々をへし折りながら減速しつつ、受け身を取ろうと試みる。しかし、何故か直哉が既に地を転がる裏梅の隣へ現れ、触れる。その瞬間、裏梅は時間が飛んだような感覚を味わった。一秒、たった一秒のことだったが、裏梅はあらゆる身動きが取れずに無防備を晒してしまった。不安定な、片膝を立てた状態で固まった裏梅の顔面に直哉の膝蹴りが直撃する。今度こそ素早く体勢を立て直し直哉を捉えようとした次には、その僅かな間隙を縫うようにして捻じ込まれる拳、そしてそれを皮切りにして始まる怒涛の拳打。
呪力の起こりもなく、予備動作もなく、反応出来なかった。瞬間移動の類かと錯覚するほどに恐ろしく速い。それに加え、あの奇妙な硬直。打撃の嵐の中、裏梅は焦りを覚える。千年前、呪術全盛の平安の世にて呪いの王たる両面宿儺の傍に侍ることを許された裏梅にとって、受肉した先の現代を生きる術師たちに脅威を感じることはなかった。先刻、襲撃した術師隊の中には上澄みに位置する術師がいたというが、どれがそうだったのかも分からないうちに一人を残して殺してしまった。故に、こんなものかと嘲っていた。
だが、この男は違う。裏梅に千年ぶりの緊張が走る。
一方、直哉も想う。面倒な手合いだ、と。
この場に到着するまでに山中で見た扇状に広がる氷壁、乱立する氷柱や砕かれた氷の中に封じられた人体の破片、異様な凍死体たち。下手人の貌を見ずとも、この時点で直哉は敵が投射呪法が不得手とする類の術式を持つことを確信していた。
投射呪法――術者の視界を画角とし、一秒間の動作を二十四分割したうえで、予め脳内で作成したその動作を肉体へ反映する禪院家の相伝術式。この術式の弱点の一つに作成した動作を肉体へ反映している最中は予め作成した動作以外の運動が出来ない、つまり、軌道を変更することが出来ないというものがある。
故に直哉は早期決着を目論み、一撃必殺を仕掛けることにした。限りなく音を消す走法で以て加速しつつ接近し、心臓を穿つ。思いがけずに炸裂した黒閃も相俟って絶命を確信したが、相手が反転術式を会得していることは想定外のことであった。しかし、未だ直哉の手の内は解明されていない。初撃をいなされた、程度のこと。裏梅に主導権を渡さずにこのまま押し切る。狙いは変わらず早期決着のまま。手は緩めない。
直哉の打撃は裏梅を捉えて離さなかった。打撃の間隙によろめけば直哉に触れられ、硬直が発生する。そして再び攻撃が再開される。この攻勢が続けば勝負は直哉の勝ちだった。
しかし、相手は平安を生きた千年前の術師。そう容易く斃れる相手ではなく、僅かな隙に活路を見出す。
直哉が一連の攻撃の動作を反映し、最後の打撃を放たれた瞬間。裏梅がふらついて後ろへと傾いた瞬間。これらが重なり合う一瞬に、裏梅の右足が後ずさるように地を踏んだ。そして瞬く間に氷が地を這い進み、覆う。次の動作を反映していなかったこと――過度に速度を重ねていなかったことが幸いして直哉は硬直することなく距離をとることが出来たが、氷は体積を増やし波濤となって直哉を追い立てる。
攻守が反転した。
波濤を搔い潜りきった直哉の視界に裏梅が滑り込む。跳躍の後、滞空している状態、距離はおよそ五メートル弱。直哉の脳裏に警鐘が鳴り響く。
「霜凪」
過冷却状態の呪力が放たれる。直哉の右腕は瞬く間に凍てつく。術式が到達する直前に身を捩れなければ身体ごと氷塊になっていただろう。
地から迫り上がる氷柱を足場に蹴り飛び、落ちる直哉を再び捉える。凍結された右腕へ拳を叩き込むと肩口から右腕が砕かれた。
「痛いわぁ。腕、無くなってもぉた。こらアカンわ」
きらきらと舞い飛ぶ礫の中に見える己の腕の残骸を直哉は他人事のように冷めた目で見やる。
「まぁ、もういっぺん生えるさかいええけど」
裏梅が砕いたはずの右腕は次の瞬間には再生されていた。驚愕する間もなく再生された直哉の右腕が裏梅に触れた。訪れる硬直と、急速に流れる視界で裏梅は自分が蹴り飛ばされたことを悟る。
叩きつけられた裏梅はすぐさま掌中に呪力を集める、身体を起こして掌を口元へ近づける。その先には着地した直哉。右腕を凍結させた時よりも出力を上げた霜凪が放たれる。
対する直哉も自分の腕を砕いた技が更なる規模で再び放たれようとしていることに気が付いていた。敵の呪力出力が腕を凍らせる程度で天井を迎える筈もない、これから放たれるのはより広範囲に作用し、強烈に対象を凍結させるだろう。ならば、正面から受けて立つ。手札の一枚を切る。
右腕を引き、左腕を突き出す。左手の指先で触れるのは『空気』。
投射呪法の術式効果は相手に触れることで同じ効果を適用することが出来る。しかし、術式の情報や事前の訓練もなく一秒間の動作を二十四分割し、その動作を即座に反映させることは不可能に近い。故にこの効果は、事実上触れた相手を強制的に一秒間硬直させる技として機能する。そして、その術式対象は必ずしも生物に限られるわけではない。
呪力を伴い、固定された空気が層を成し直哉の前へ線上に並ぶ。放たれ、迫る霜凪を前に直哉が拳を突き出すと固定されていた空気が呪力と共に炸裂し、連鎖的に爆ぜた。轟音、その衝撃波は霜凪を霧消させ、地を深く抉り穿った。
煙る視界が晴れると直哉と裏梅は爆心地を挟み、再び向かい合っていた。
「どうやった?速いだけやと思っとったやろ?実はな、こう見えて案外派手な技もいけるんやでボク。そこいらの術師にありがちな嘘、小技、ハッタリだけじゃあ限界あんねん。まぁ、かく言うボクもそういうタイプなんやけど、こういうのもやっぱ持っとかなあかんやろ?」
再生した右腕の具合を確かめながら直哉は小さく跳ねる。両の足で始めて、段々と片足のみで拍を刻んでいく。
「そこんとこどう思う?」
「これは、こちらの認識の甘さとしか言えないな。想定よりもずっとやれる。ならば、座興は終いだ」
裏梅の美貌が凄惨に歪み、喜悦が走る。滲みだす呪力はたちまち周囲の木々を氷の彫像へと変えてしまった。
「すぐに死ぬ、遺言があるならば聴こう。その間があればな」
「せっかちなんは嫌われるで。こっからやろ?もうちょい、ゆっくりしていってや」
互いの呪力が高まり、凪ぐ。これまで以上の出力、速度、規模で術式が振るわれる、その兆し。凍てついた山中に再びの静寂が訪れる。
殺意が限界に達した。
パン――!!
夜闇に包まれる山中に真白い光が降る。上空でゆらりゆらりと揺れ、落ちるのは白色の照明弾。救援信号に対応する本隊、京都高専術師隊の到着を知らせる合図だった。
裏梅の指先に一匹の蝶が止まる。季節外れの鮮やかな翅を光らせる蝶は寒々しい山にいる筈もなく、裏梅によって氷漬けになったこの場を平然と飛べまい。どこからともなく顕れたこの蝶は伝令のための式神で、これもまた合図であった。
「ここは退く。命を拾ったな」
舌打ちと共に背を向ける裏梅に直哉が駆ける。
「待てや」
「次は殺す。首を洗っておけ、術師」
迫る直哉を氷壁が阻み、囲い込んで閉じる。すぐさま直哉が氷を砕き飛び出すも、裏梅の姿は何処にもなかった。
まぁ、逃げの算段は端から付けとったちゅうことやろな、と直哉は空になったペットボトルを握り潰す。せっかくいいトコやったのに変な終わり方したせいでホンマに気ィ悪い、寸止めとかホンマにシャバいわ、なんでそんな早う来たんや、最後までやらせろや、等々、行き場のないフラストレーションが残った水を一気に飲み干したペットボトルへと向けられた。呪力を纏わせた右手で潰されたペットボトルはピンポン玉ほどの球体に形を変えてしまった。
その球体を掌でまた弄びながら直哉は敵の退き際の良さを不審に思っていた。
術師隊によって封鎖された山を痕跡を残さずに離脱出来る手段と、こちら側の状況を見て式神を飛ばした何者か。あの氷使いには上、もしくは協力者がいる。封鎖の網を掻い潜る呪具、術式、或いは転移の類、それらを持つ者が式神を操っていた者と別人ならば、少なくとも氷使いを含めて三人。それに加え、襲撃に参加した木っ端連中。組織化された呪詛師たち、護送するほどの呪物の強奪。夏油傑の線。いいや、と直哉は頭を振る。馬鹿目隠しには悪いが夏油にアレを御せる器はないだろう。そもそも、あの氷使いは――、
「直哉……、無事?」
思考を中断したのは聴き慣れた女の声だった。巫女服の女が小走りで向かってくる。あまり、顔を合わせたくない手合いが来てしまった、と表情が硬くなる。
フードを深く被る。
「あれ、来てたん?久しぶりやなぁ、歌姫」
「来てたん、ってそりゃあ来るでしょ。あなたが無茶したって聴いて……、これでも急いで来たのよ。それより大丈夫?腕をやられたって……」
「腕?あぁ……、」
大丈夫や、と言って直哉は右腕を上げて振る。
「また、どうせ補助監督――大岩が大袈裟に騒いどるだけやろ。たかだか腕一本捥げただけで喚くな言うとんねんけどなぁ。反転術式使えるんやから頭一撃で吹っ飛ばされんかったら、このぐらいどないにでもなるわ」
どないにでもなる訳やない、よぉそないなことをぬけぬけと言えるなあ。そもそも、本来なら腕を獲られることが未熟の顕れなんや、と直哉は威勢の裏で省みる。扇の叔父さん、馬鹿目隠し、甚爾君、九十九の姐さん、彼らならば腕を砕かれることもなく、何なら初撃で殺し切っていただろう。どないにでもなる、なんて慙愧に堪えない言葉なのだろうか。目指す場所と己の乖離を自覚しつつも、それを言葉で覆い隠す惨めさときたら!!このこころは何度飲み干しても胎の底で鎮まってはくれない。募るばかりだ。
「片腕失ったら大騒ぎでしょう?あのね、普通人間は片腕を失っても元に戻らないの。反転術式覚えた時に常識忘れちゃったのかしら?もう、いい加減無茶な戦い方しないで頂戴。腕が捥げただの、足が消えただの、片目落しただの聴かされる身にもなってよ……」
「ええやろ、別に。結局はこうして五体満足で生きてるんやから。それに、好きで身銭切ってるワケやないで。格上の相手、術式の相性が悪い相手を殺すためにリスクを取らなあかん場面が来た時に、最小の損害で勝ち筋を呼び込む。肉を斬らせて骨を断つ、それで上手く行ってんねんから問題ないやろ?別に毎度のこととちゃうし、誰かを巻き込んどるワケでも、毎度刺し違えるつもりでやってるワケでもあらへん。こんなん、よくある話や」
「それでも、みんな心配なのよ。特級ばっかり相手にして、何時も無茶ばっかり。あなたはそれで良いのかもしれないけど、周りの人たちは何時かあなたが死んでしまうんじゃないかって不安になるのよ。特に大岩さんは一度あなたに助けられてるでしょう?恩のある人に死んでほしいだんて想う人はいないわ」
「ボクはそこにおった呪霊祓っただけや、大岩を助けたわけちゃうで。言うなら勝手に助かっただけ。そんな、勝手に恩感じられても困るわ。いい迷惑や」
それなら、と歌姫は直哉を見据える。
「
「せやで、キミが勝手に助かっただけや」
助けられていない。
「そう、そうなの。あんなになってまで、足も腕も千切れたわたしを護って戦ってくれたあなたは何も関係なくて、わたしは――誰も助けに来てくれないって、罠だったんだって気付いて、もう息も出来なくて絶望してた、本当ならあの時死んでいた筈のわたしは勝手に助かったんだ。自分も死に掛けてるって言うのに、最後に残ったすっからかんの呪力を全部使ってわたしの傷を治してくれたあなたは、わたしを助けたわけじゃないのね」
治せてない。
傷の全てを治せた訳ではなかった。致命傷も身体の欠損も、特級叛霊『母禮蜘蛛』が孕む呪毒さえも、死に際で飛躍を遂げた直哉の反転術式はその全てを治癒させた。現代に於いて、反転術式による毒物の特定と除去を会得した者は禪院扇、五条悟の二名のみであったが、その日、禪院直哉がそれに続いた。しかし、ただ一箇所だけ。貌の傷を治すだけの呪力が足りなかった。
「特級叛霊なんて滅多に戦える相手やない。本命は蜘蛛で、キミやない」
「今際の際でも、帰ろうって言ってくれたのに?」
♦
三年前
激しく体調を崩す日の朝に限って寝起きがやけに良いだとか、行きはよいよい帰りは怖いだとか。凶事の前には何かしらあるもので、それは物事が上手く行きすぎているという形ばかりでなく、寧ろ、虫の報せのように細やかに先触れを啓示してくることの方が多い。その兆候を見逃し続けた先、末路が何処へ辿り着くものかは語る迄もなく碌なものではない。
目が覚めた時、窓から差し込む光の白さが寒々しいほどに白く、光で眩んだ先に所以の分からない、あり得ざる昏さを感じた。
季節外れの高鳴りに振り向くと乱れ咲いたような早贄の中でこちらを見据える百舌鳥と目が合った。
通り掛かった中庭に咲く胡蝶侘助の花がぽてりと落ちた。
直哉は朝から言い知れぬ胸騒ぎを覚えていた。なんてことのない偶然のひとつひとつのようなものたちに、その日ばかりは不安が付き纏った。そのせいか普段なら起こることのない些細なミスが続く。経費を申請する際の記入漏れによる差し戻し、通りすがりに袖が触れて物が落ちる、予定されていた任務の打ち合わせを失念する。何か歯車が噛み合わない、空回りしている感覚があった。
その昼下がりに廊下で歌姫と擦れ違った。
「直哉、大丈夫?なんか今日調子悪いみたいじゃない。みんな噂してるわよ、珍しいこともあるって」
気遣わし気に尋ねる歌姫に直哉は首筋に手を当てて苦笑した。
「なんか今日アカンわ。噛み合わへんっちゅうか、調子が狂うっちゅうか、こんなん滅多にないんやけどなぁ。任務入ってなくてよかったで、ホンマ。こんな調子で任務なんか行ったら死んでまうわ。そっちはこれから任務やろ?」
「えぇ、近場なんだけどね。最近呪詛師たちの溜まり場みたいになってる所があるみたいで、その摘発に向かう術師隊の支援。内偵の情報だと規模も大きくないみたいだし、遅くても明日には戻ってこれると思うわ。それまであの子たちのことお願いね?」
首を傾げて笑む歌姫に光が射した。傷一つない、端正で透き通るような貌に浮かぶ笑みが背を向けて去り行く。陽を覆っていた雲が切れてその狭間から白けきった陽射しが降って、起き掛けの時のように目が眩む。その光の膜へ歌姫が消えていく。何処からか遠く、百舌鳥がまた啼いた。高鳴りが鼓膜を叩き、頭の裏側、さらに奥の深く、大脳の皺にまで響いているかの如く反響する。眼球の奥で神経が凝固し、意識が気味悪く掩蔽されていくように感じる。高鳴りは響き続ける。
「なぁ、歌姫」
「どうしたの?」
「気ィ付けてな」
「ねぇ、本当にどうしちゃったの?なんだか調子狂うわね」
でも、ありがとう。そう言うと、歌姫は任務へと向かっていった。
その後、歌姫に頼まれた通りに生徒たちの組み手を見ていた直哉に三年生の女子生徒が声を掛けた。直哉の視線の先には組み合って寝技へ持ち込もうとする生徒とそれを捌き剥がそうとする生徒の膠着があった。どちらも三年生の男子生徒。片や、体格ではやや劣るものの柔術や合気の技に秀でる狗巻家の呪言師。片や、潤沢な呪力総量と呪力出力、優れた筋力と恵体で向かい合っての殴り合いでは無類の強さを誇る、加茂一門分家の最大派閥――伏見加茂家出身の準一級術師。
「ねぇ、禪院先生」
「先生ちゃうわ。で、どないしたん?」
「今回の歌姫先生の任務って長引きそう?」
「いや、すぐに戻ってくるって言うとったで。用向きでも?」
「うぅん、そんな深刻なことじゃないんだけど、明日先生の誕生日だから帰ってきたらお祝いしてあげたいなって。禪院先生も一緒にお祝いしようよ」
そうか、と直哉は独り言ちる。明日は二月十八日、歌姫の誕生日だった。任務に追われる中ですっかり忘れていたのだ。去年は鰤食べたい言うてたから、歌姫の部屋で鰤しゃぶと刺身つまみながら朝まで飲んだんやったな、と思い返す。今年は生徒たちも一緒やし、もっと食い出のあるモンぎょうさん用意せなあかん。それと贈り物も選ばんとあかんから明日の午前中は忙しくなるなぁ、明日オフで助かったわ。
「せやな、みんなでお祝いしよか。きっと歌姫も喜ぶで」
寝技が極まる。パスガードを狙うも、組み付きを剥がし切れなかった生徒の頸動脈を三角締めが絞める。技を掛けられた側は足を胴体の上で組んで逃げようとするが、組もうとする足を手で抑え、次の試みも弾かれる。相手の身体を上体ごと持ち上げて地面に叩き付けるバスターは予め直哉が禁止している。逃れることが出来ずに、首筋を足が圧迫し続けるのを見て直哉が止めの合図で手を叩いた。
「そこまでや。加茂、やっぱ寝技があかんなぁ。全然切れてへんし、そもそも隙がデカすぎるから組み付かれて不利を背負い込むことになる。もっとコンパクトに打ちこめ。動きに連続性が無い。そこらの木端にはええかもしれんけどな、ちょっとでも自分より格上の相手と会ぉてみい。一発打ち込んだ後、三回は殺されてるで。図体と膂力に頼り切らんと、しっかり自分の身体操縦せぇ。振り回されたらあかん」
「へーい」
「返事はハイやろ、ボケナス。後でボクと組み手やるで。剛は良く、柔は悪しなんて、何時かの何処かで命取りになる。ここで弱みは潰す。これ克服せんと一級推薦なんて夢のまた夢やで」
「マジかよ、俺死んだかも……」
「人間はそんな簡単には死なんから大丈夫や、安心せぇ。まぁ、狗巻は上手くやってたな。加茂の重たい蹴りも突きも上手いこと往なして、見えた隙を逃さへんかった。組み付いたらもうキミの土俵や。しっかり勝ち筋に乗っかって獲れたけど、狙いすぎやな。所詮は組み手言うたらそれまでやけど、術師同士の正面切った殺し合いで寝技に持ち込める状況なんて早々ない。実戦を考えたら、体格差、筋力差、彼我の差だけやなくて環境の違いなんかもあるけどな、もっと早う獲らな逆に獲られんで。くんずほぐれず、の前に決めきれる手段と形を作らなあかんかもしれんな」
「アーリオオーリオ」
「加茂、これなんて言ってるんや?パスタ語全然分からへんねん」
「おけまるって言ってます」
「なぁ、何で狗巻家ってみんなこんな感じなん?軽いっちゅうか、ふわっとしとるっちゅうか。ていうか、おけまるって何やねん。親指立てんなや。褒めてへんし、照れくさそうな顔すな。まぁ、えぇわ。十分休憩したら次はキミたち三人とボクとで組み手や。水分補給して息整えてとき」
生徒たちのはぁい、と間延びした返事と憂欝そうに融けていく貌に苦笑を浮かべて直哉は空を見上げる。空が澄んでいて、高い。息を大きく吸い込むと気持ちがよく、春を静かに待つ冬の空気が身体中にひんやりと染み渡る。それが朝から憶えていた多くのざわめきを鎮める。乾いてはいるが何処か柔らかな微風が悪いものを攫っていってくれる。そう思えた。
「あれ?ねぇ、あれって大岩さんじゃない?すごい勢いで走ってるよ」
「あぁ、本当だ、大岩さんだ。珍しいなあんなに焦ってるなんて。誰か探してるみたいだけど」
「アラビアータ」
「そうだね、もしかしたら禪院先生のこと探してるのかも。ねぇ、先生!!」
「先生やない。どうした?もう準備出来たんか?」
「なんか大岩さんが先生のこと探してるみたいだよ!!ほら、あっち!!」
校舎のある方角からグラウンドへと近づいてくる人影があった。直哉さん、と大声で呼び掛けながらスーツをはためかせて駆けてくる。
「大岩……?どないしたん?そんな息切らして」
直哉の専属補助監督――大岩が血の気が失せた貌で走り込んできた。今にも倒れそうな身体を前かがみで踏み止まりながら、息も絶え絶えに、緊急です、とだけ言う大岩に身体を向けようとした時足元に違和感を覚えた。
「先生、鼻緒が……」
女子生徒が言う。足元を見やると、草履の鼻緒が切れていた。生涯で二度目の異様な怖気を覚える。総毛立つどころの話ではない、あまりにも悍ましい不吉の予感。戦いの場でなく、自らの生命の危機を訴えるものでない、誰かの命の灯火が吹き消されようとしている時の報せが直哉の足首を掴んだ。一度目は禪院甚爾が五条悟に殺害される日の朝、同様に草履の鼻緒が切れた時に覚えた。そして、今、二度目。
ぎちぎち。高鳴りが聴こえる。遠い場所から啼いている。内耳の中を音が暴れているように、耳小骨が磨り卸されているように、不快に。嗤われている。
暗い部屋。抉れた半身。死化粧。骸。嘘。
『甚爾くん、また稽古つけてな?今はいろいろ大変やと思うけど、落ち着いたらさ……、約束やで』
『あぁ……、そうだな。約束、か』
鮮やかに、明けるように、そして褪せるように。
『気ィ付けてな』
『ねぇ、本当にどうしちゃったの?なんだか調子狂うわねぇ。でも、ありがとう』
歌姫の貌が浮かんだ。
『じゃあな、直哉』
『いってくるわ、直哉』
果てに、堕ちて消えゆくのならば。堕ちる先が一寸先も見えぬ暗闇であろうと、遍くものが眩く塗りつぶされた白夜の先であろうと。喪われるという結果には何ら変わりはないのだろう。
「罠です。あの任務は、罠です」
禪院直哉:特別一級術師。ワケあって庵歌姫と疎遠になっている人。合わせる貌がない、というかなんというか、複雑らしい。反転術式で毒物の除去が出来る。家入硝子に横目で睨まれている。先生ではないが、以前歌姫が得意ではない格闘や実戦に近い項目の授業を代理で受け持っていたことがあった。自分のために呪霊を祓っているだけで、人助けのためにやっているわけではない。死ぬことは別に怖くない。ただ、最後まで行く。離れていった男。
庵歌姫:準一級術師。ワケあって禪院直哉と疎遠になっている人。初対面の時は御三家の御曹司と聴いてかなり警戒していたが、蓋を開けてみれば案外まともな人間だった。以前はよく直哉と飲みに行ったり、共にいることが多かった。飲み潰れた歌姫を部屋へ送るのはいつも直哉の役目だった。自分では十分に教えてあげられない格闘や実戦形式の授業を自分の代わりとして生徒たちに教えてあげてくれないか頼んでいた。頼みごとを嫌だとか、面倒だとか言いながらも何だかんだ引き受けてくれる直哉に感謝している。無茶ばかりする直哉のことが心配。離れていかれた女。どうして?
大岩:禪院直哉の専属補助監督。東の伊地知、西の大岩。元は二級術師、怪我をして前線を退いたが、命の恩人の直哉の専属補助監督として現場に復帰する。妻と息子がいる。家族の誕生日と結婚記念日には何故か任務も仕事も入らない。年に二回、家族の誕生日には何故か禪院直哉からボーナスが出る。何故だろう?
家入硝子: <●><●>
女子生徒:名家出の褐色生足ギャル。
京都校のみんな:京都校のみんなは歌姫先生と禪院先生が大好き!!