八重は鳴神大社で茶を飲んでいた。正面には普段天守閣に座している雷電影が座っており、同じく茶を飲んでいる。珍しく城から飛び出し、八重に会うために鳴神大社へ訪れていた。八重が淹れたお茶で喉と心を潤し、ホッと息を吐く。
「だいぶ疲れているようですね、神子?」
影は久々に見た八重の顔がひどく疲れているように見え、心配しているような素振りを見せる。八重は影が持参した甘い茶菓子を一口食べては溜息を吐く。
「はぁ……焔硝の奴が妾を休ませてくれぬのでな。今日は童らが代わってくれたがの」
「……随分、彼と長く一緒に過ごしているようですね?」
影の目が細まった。心なしか、彼女の周りで雷元素が弾けているように見える。
八重は肩をすくめ、呆れたように影を見つめ返す。
「妬くな。そう良いものでもない。毎日毎日、何かに取り憑かれたように焔ノ島に向かっては、湧き出る魔獣らを退治していく。休み無しでじゃ。妾が癒しの術を施さなければ、今頃寝たきりにじゃ」
「……あの島は、彼にとって特別な島ですから――――ちょっと待って下さい。彼に何をしたと言いましたか?」
影のお茶を飲む手が止まる。信じられないことを聞いたような、目を見開いて八重を見る。八重はまた嫉妬かと呆れ、茶菓子を摘まむ。
「じゃから、妾が癒しの術を掛けてやらねば――」
「彼が……焔硝がそれ程までに疲弊しているのですか?」
影は今度こそ驚きの声を上げる。
「うむ……む? 言われてみれば、彼奴がそれ程までに戦いで疲弊するのは見たことないのう。五百年前の戦ですら無かった事じゃ」
八重は過去一度も焔硝が他者に癒しの力を施される程に消耗したところを知らないのを思い出す。戦で怪我をした事も無く、一度だって元素力を切らした事は無い。どれだけ大きな力を使おうとも、ケロリとしては次の戦いに赴いていた。
それが、今回の戦いでは疲弊している。それも他者から治癒を施される程に、元素力も回復が必要な程失っている。
八重は何か大きな、決して見落としてはならない何かを見落としている気がした。
「何か焔硝に変わった事は?」
「う、うむ……そう言えば最近、咳き込んだり頭痛を起こすのが多いような気がするのう……」
「……前回の高熱と言い、今一度彼の身体を調べたほうが良いかもしれません」
「そのような事、汝にできるのか?」
「感覚的になら分かるかもしれません。それに、彼の中に眞の力が流れているのなら、それこそ私にしか分からないでしょう」
焔硝が帰ってきたら、神櫻に縛り付けてでも身体を調べなければと、影は心の内で決心する。
影にとって焔硝は唯一残された親しき魔神。八重よりも付き合いが長く、ある意味で八重よりも本心を曝け出せる相手。姉である眞の忘れ形見でもあり、将軍としてではなくただ一柱の女魔神として接することができる大切な存在。
もし焔硝に何かあれば、それこそ眞を失った時のような取り返しの付かない事が起こってしまえば、今度こそ自身が摩耗に耐えられなくなるかもしれない。
影は冷めた湯飲みを握り締めながら、そんな不安を胸に抱く。
その時、鳴神大社の庭先から焔硝の元素力を感じ取った。他にも旅人とパイモンの気配も感じ取り、焔ノ島から帰ってきたのだと察する。
影と八重は焔硝達を出迎えるため、庭先へと出る。
案の定、庭先には焔硝達がいた。
「焔硝、お帰りな――」
影は固まった。焔硝の傍らにいる『少女』を見て、言葉を失う。
瞬間、古い記憶が頭を過る――。
大凡、二千年前――まだオロバシとの戦いが始まるより少し前のこと。
影はその少女を知っている――。
何故ならその少女は、その少女こそが――焔の魔神を一度殺した魔神なのだから。
影は胸元から夢想の一心を素早く取り出し、紫雷を纏って少女を睨み付けた。
「焔硝! 離れて下さい!」
「影!? 何をしておる!?」
事情を知らない八重が大声を上げるが、影は臨戦状態を解かない。
何故なら目の前にいる少女は武神である焔硝と同格の力を有する魔神なのだから。ほんの一瞬でも隙を見せてしまえば、それが致命傷になってしまう。
「お、おい!? 何やってんだよ!?」
「影、どうしたの!?」
空とパイモンが少女を守るように前に出る。
影は二人に少女の危険性を教えようとしたが、それよりも焔硝の様子がおかしいことに気が付く。
――どうして焔硝は少女から離れないのか?
「……焔硝? 何をしているのですか?」
焔硝は少女を離さず、ただ悲しみに暮れた目をして佇んでいた。
そして少女も、刃を向ける影にただの人間の少女のように怯えていた。
何かおかしい――そう感じた影は、警戒は緩めずに刀を下ろす。
「……説明して下さい、焔硝。何故……何故、『ベリアル』が生きているのですか?」
「……」
ベリアル――その名を聞いた八重と、まだ教えられていなかったのか空とパイモンが驚いて少女を見る。
この少女が――あの武火の魔神ベリアルだと言うのか? 焔の魔神アウナスと死闘を繰り広げ、アウナスが命を懸けて島に封印した、あのベリアルなのか?
一堂に緊張が走った。少女が本当にベリアルなら、今ここで二千年前の戦いが再現されてもおかしくはない。
だがしかし、少女はただ怯えて焔硝にしがみ付くだけで、焔硝も少女を悲しみの目で見つめるだけだった。
やがて焔硝は口を開き、力無き声を発する。
「この子は……ベリアルの人間部分だ。何の力も持たない、ただの霧依だ」
霧依――ベリアルが人と交わる際に名乗っていた人名。
アウナスが焔硝と名乗るように、バアルゼブルが雷電影と名乗るように、モラクスが鍾離と名乗るように、ベリアルにも霧依という名があった。
だが影の訊きたいことはそうでない。その少女が何者なのか知りたいのではなく、どうして生きているのかと訊いているのだ。
ベリアルは二千年前に焔硝が倒した――影は焔硝からも眞からもそう聞かされている。
なのに、そのベリアルがこうして目の前に現れている。その理由が知りたいのだ。
「もう一度問います。何故、ベリアルが生きているのですか?」
「……」
「答えて下さい。これは、稲妻にとっても重大な問題です」
「……初めから死んじゃいない。俺はベリアルを殺さず、島に封印したんだ」
「っ……嘘を吐いたのですか? 私に……眞にも?」
焔硝は――頷いた。
影は愕然とし、刀が手から消えていった。焔硝に嘘を吐かれていた事にショックを受けたのか、顔を青ざめて一歩二歩と後ろに下がる。
「っ、影! 待つのじゃ!」
そして影はその場から駆け出して去って行った。八重は影を追いかけようとしたが、影は紫雷を纏って既に姿を消してしまう。
流石の八重も、影を傷付けた焔硝に怒りを抱き、責め立てようと振り返った。
しかし、その気はすぐに失せてしまう。
何故なら、焔硝が突然胸を押さえて倒れ込んでしまったからだ。
「焔硝!?」
「おい!? しっかりしろ!」
「焔硝! しっかり!」
「……!?」
焔硝はそのまま意識を失ってしまうのだった。
それは――目を疑う光景だった。
人が神を造っていた。
幼き人の子に神の火を与え、神降ろしの儀を行っていた。
人は望む――我らが神が世界を統べることを。
これはその神への生贄、神へと捧ぐ兵力だった。
果たして神降ろしは実を結び、一柱の神が造られた。
人造の神は焔の神に捧げられ、焔の神は人造の神を憐れんだ。
人でも神でもない、ただ力としてしか望まれなかった存在。
捧げられた命に未練を抱く者はおらず、故に焔の神はその子を愛した。
同じ神の火を有する神として、師として育てることを決めたのだ。
こうして焔の魔神アウナスと、武火の魔神ベリアルの運命が交差したのだ。
その運命の先で待っているのは、悲しき結末であると知らずに……。