『師匠ー!』
黒髪の少女が、元気な笑顔を浮かべながら走る。走る先には同じく黒髪の男がいる。
少女はその男に飛び付き、男は少女を抱き止める。宛らその姿は兄と妹の様だ。
『師匠! 次の修行は何時ですか?』
『霧依……お前は休むことも覚えろ。お前は俺と違って、半分は人間だ』
『ですが師匠! 一刻も早く強くなって、民達を守れる神になりたいです!』
『……あまり執着はするな』
師匠と呼ばれた男は、霧依と呼んだ少女を背負い、そのまま歩き続ける。男は少女を心配する素振りを見せるが、少女の無垢な笑顔に毒気を抜かれる。
そのまま二人は穏やかな様子のまま、大地の向こうへと消えていく。
やがてその大地は赤い炎に飲み込まれ、全てが焼かれていく。
燃え上がる炎の音の中、その声ははっきりと聞こえた――。
『師匠――貴様が憎い』
「――っ!?」
焔硝は目を覚ました。見慣れた天井が目に入り、己が鳴神大社の自室で布団に寝かされているのだと自覚する。何時寝たのか覚えておらず、眠る前の記憶が飛んでいる。ズキズキと痛む頭を押さえて身体を起こす。
――身体が怠い……内にあるはずの元素力もだいぶ弱まってる。もう時間が無いのか……。
「――師匠?」
「っ……!?」
焔硝にとって、ひどく懐かしい声が聞こえた。秋の夜に聞こえる鈴虫の様に心地良く、愛する者とはまた違う、心を落ち着かせる声だ。
焔硝が声の方に振り向くと、そこには黒髪を一つ結びにした赤い着物を来た少女――霧依が正座していた。
「……霧依」
「っ――師匠!」
霧依は目に涙を浮かべ、布団の上にいる焔硝の腹に飛び付いた。顔を腹に埋め、泣いているのか身体を震わせている。
焔硝は抱き着いてくる霧依の頭を撫でようと手を伸ばした。
だがその時――脳裏に過去の光景が過った。
――貴様を殺してやる!
――ベリアル!
――よくも民達を! 私の民達を!
「……!」
焔硝は霧依の頭を撫でてやれなかった。
あの時の、二千年前にあった焔ノ島での戦いの折、焔硝はアウナスとしてベリアルと死闘を繰り広げた。そして焔硝はその手でベリアルの胸を貫き、島の奥深くへと封じた。目を覚ました直後は何も覚えていなかったが、それから暫くしたら全てを鮮明に思い出した。
あの時に見たベリアルの顔を、焔硝は今もはっきりと覚えている。
あの時のベリアルは――涙を流し、恨みの籠もった表情を顔に貼り付けていた。
「師匠! 師匠!」
「……霧依、離してくれ。少し苦しい」
焔硝は霧依の肩に手を置いて自分から押し離す。霧依の涙と鼻水が着物にベッタリと引っ付いており、焔硝は「うっ……」と顔を顰める。仕方なしに着物の袖で涙と鼻水を拭ってやり、可愛らしい顔がその下から現れた。
「グスッ……師匠、よくぞご無事で……!」
「……お前、『話せる』ようになったのか?」
焔硝は焔ノ島で再会した時と様子が違う霧依に目を細める。再会した時は一言も喋られない状態だった上に、何処か生命力が欠けていた印象を受けた。
しかし今は血色も良く、風呂に入って身を清めたのか綺麗になっている。着ている赤い着物も、よく見れば別の物だった。
「……? 霧依は最初から話せましたよ?」
霧依は焔硝が何を言っているのか分からず、コテンと首を傾げる。それは文字通り最初から話せていたが、ただ喋らなかっただけなのか、それともそう思い込んで気付いていないだけなのか。焔硝は霧依を見つめ、よく観察した。
今の霧依にはベリアルとしての力は持っていない。完全に人間としての側面でしかなく、元素力を操る事すらできないだろう。しかし、それでも霧依はベリアルである。その魂は今も焔ノ島で封印されている神の側面と繋がっている。
――俺の力が更に弱まった事で封印が緩んでベリアルの力が漏れ出し、霧依を回復させたか。
チラリ、と焔硝は部屋の隅に掛けられている刀に目を向ける。
身体は怠く、本来の力は出せないが、それでも『子供の命』を狩り取るぐらいはできる。
焔硝の手がゆっくりと動き出し、刀へと手を伸ば――。
「師匠」
「――っ」
霧依が焔硝の袖を掴み、何かに隠れるようにして身体を縮こめた。
その時、焔硝の耳に足音が届く。誰かが部屋に近付いているらしく、その足音は襖の前で止まった。襖が開かれると、見慣れた桜色の髪が焔硝の目に入る。
「起きたか、焔硝」
八重神子であった。その後ろには空とパイモンもおり、三人は部屋に入り焔硝の隣に正座する。
「まったく……汝には困ったものじゃ。また倒れるなぞ、いつから汝は病弱キャラになったのじゃ?」
「……迷惑を掛けた」
「謝るのなら、その詫びに全部説明せい。流石の妾も、雅な妖狐として振る舞ってはおれぬ」
八重の視線は霧依に注がれる。
きっとベリアルの事を説明しろと言っているのだろう。空とパイモンも焔硝を問い詰めるようにして睨み付けており、焔硝は頭痛がする頭を押さえる。
「その前に……影は?」
「……汝が倒れてから四日じゃ。影は一心浄土に引き籠もって出て来ぬ。妾とも会ってくれんのじゃ。汝に嘘を吐かれたのが余程ショックなんじゃろうな」
「……着替えてから話す」
いつもの普段着に着替えた焔硝は改めて八重たちの前に座る。
この場には霧依はいない。パイモンに頼んで庭先で一緒に遊んでもらっている。
焔硝はこれから話す内容を霧依に聞かれたくないと思っており、パイモンに頼み込んだのだ。
一室にいるのは焔硝と八重と空のみ。
暫くして焔硝は口を開く。
「……知っての通り、あの子は霧依。武火の魔神ベリアルの人間部分だ。焔ノ島の封印が弱まり、あの子だけが封印から出て来た」
「ベリアルは汝が殺したと聞いておったが?」
「……封印も殺したようなもの――と言っても納得しないか」
八重は沈黙で肯定する。焔硝は顔を手で拭い、息を吐く。
「ベリアルの力は俺を超えていた。だが戦いの経験は俺が圧倒していた。その経験を活かし、命を燃やしてベリアルを封じた。殺すまでには至れなかった」
「じゃが汝は影と雷電眞に殺したと嘘を吐いた。何故じゃ?」
「それは……」
焔硝の言葉が止まる。後ろめたい何かがあるのだろう、歯を食いしばって罪悪感を押し殺しているような顔をしている。
「それは……本当は殺せたのに、殺せなかったからだ」
「どういう事じゃ?」
焔硝は庭先から聞こえる霧依とパイモンの遊び声を聞く。
そして焔硝の口から、二千年前の――焔硝の罪と焔ノ島の罪が語られる。
「ベリアルは……霧依は人間の手によって産まれた人造神だ。それも、子供を生贄にして誕生した憐れな神だ」
焔硝は記憶の彼方に捨て去った過去を思い出し、一つ一つ語る。
二千年以上前、焔ノ島を生み出した焔硝は、そこに人間を住まわせることにした。
その人間達は、魔神戦争によって住処を失った者達であり、稲妻周辺だけではなく、他の国から流れ着いた者達もいた。焔硝は戦いにしか興味が無かったが、神としての心得は持っていた。己が一息吹けば死んでしまう程に弱い人間達の上に君臨し、彼らを統治するという心得を。
だからこそ焔硝は眞に許可を貰い、鳴神島の側に焔ノ島を生み出し、そこに行き場を失った人間達を住まわし、彼らの神となった。
焔硝は武神として彼らにこの戦乱の世の中を生きる術を教え、生きる為の糧を与え、その結果、焔ノ島は眞と影が治める稲妻と同列になる程の力を手に入れた。
焔硝はそれで満足していた。だが、彼らは違った。
彼らにとって神は焔硝――アウナスただ一柱。生きる希望を与えてくれたアウナスに傾倒し、アウナスこそが世界を治める神に相応しいと考え始めていた。
焔硝は最初こそ戯れ言だと聞き流していたが、彼らが本気であると考えを改めることになる事件が起きた。
焔ノ島に住む人間の長が焔硝に、焔の魔神の力を象徴とした神殿を築きたいと申し出た。その際、その神殿に祀る為に焔硝の焔が欲しいと望んだ。焔硝はその時、軽い気持ちで長に焔を与えてしまう。
しかし、それが大きな間違いだった。
彼らの本当の目的は神殿を建てることではなく、焔硝の力を利用して新たな神を造る事だった。正確には神であっても、武器に近い存在で、焔硝に更なる力を授ける為だった。
彼らは焔硝が世界を治めないのは、隣にいる同格の神、即ち雷神バアルが障害になっているからだと考えてしまった。同じ力故に手出しができないのなら、更なる力を与えることができれば、雷神バアルを打倒することができると、そんな見当違いな考えを持ってしまったのだ。
それにより、村で一番若く生命力に溢れている少女を器にし、焔硝の焔を植え付けて神へと昇華させたのだ。
当然、人間が神の力を御しきれる訳もなく、焔が暴走して多くの犠牲者を出した。
事態を悟った焔硝が駆け付けた時には、島の一角が焔の海に飲み込まれていた。何とか焔を抑え込み、事態を収めた焔硝の前には一人の少女だけが残っていた。
その少女こそが霧依であり、武火の魔神に昇華したベリアルだった。
愚かな人間達の手によって産まれた神に、眞と出会った事で慈愛という心を持った焔硝はひどく憐れみ、武器としてではなく新しい神として育てる事を決めた。
「霧依は何も知らない幼い魔神だった。あの子には何の罪も無い。俺の民の責任は俺の責任だ。弟子として……妹として育てたよ。人間としての名前と、魔神としての名前を与えて」
「妹……。では何故、ベリアルは稲妻に攻め入ったのじゃ?」
「……それも、俺の民が原因だ」
霧依は焔硝の下で育ち、少女の姿から女性の姿までになった。武火の魔神としての力も覚醒間近までに迫っており、もうすぐ一人前の魔神として焔硝と一緒に稲妻の為に力を振るうことになっていた。
霧依の力は焔硝の力を受け継いでいるが故に強力であり、更に驚くことに単純な元素力だけならば霧依の方がより強力で、焔硝の目から見てもいずれは超えられると確信していた。
霧依は焔ノ島が大好きだった。島の民達も霧依を大切に想っており、皆から愛されていた。霧依はいずれ立派な魔神になり、焔ノ島の民、延いては稲妻の民達の為に戦うことを夢見ていた。焔硝もいつか霧依を隣に立たせて戦場を練り歩くのを楽しみにしていた。
しかし、それが叶うことは無かった。
魔神オロバシが稲妻を攻めてきた。焔硝は霧依に焔ノ島を任せ、影達と一緒にオロバシとの戦いに赴いた。
その隙を狙い、彼らは動いた。彼らはずっと堪えて機を窺っていた。彼らが造りだした神が、その役目を全うできる日を。
彼らは霧依――ベリアルを以前から言葉巧みに操っていた。
「気が付くべきだった……。いくら俺を超える力を持つ霧依であっても、魔神として生まれ変わったばかりのあの子が、そんな短期間で成熟するはずがなかった。俺の知らない所で、民達は霧依に儀式を行い続けていた」
焔硝がそれに気が付いたのは、魔神オロバシが稲妻に攻め入った時だった。
焔硝は霧依に焔ノ島を任せ、オロバシとの戦いに出向いた。
その隙を狙い、霧依――ベリアルを完全体にすべく、彼らは儀式の完了を急いだ。
その儀式とは自らの命を贄とし、ベリアルに更なる力を与えるもの。その際使われていたのは、何時ぞやに焔硝が渡した焔だった。
霧依の異変を感じ取った焔硝は戦闘の最中、影達に戦場を任せて焔ノ島に戻った。
そこで目にした光景は異様だった。民達は祈りを捧げる体勢のまま発火していき、ベリアルに命を注いでいく。祭壇に横たわるベリアルは動かず、民達の命を吸い込んで己の火へと変えていく。
「霧依が変わっていくのを感じた……。このままでは霧依は霧依でなくなり、民達が望む武器としての神になってしまうと。だから俺は……霧依を選んだ」
儀式に参加しており、まだ命を捧げていない民達を、焔硝は全て殺した。殺すことでそれ以上の儀式の進行を妨げ、儀式を成立させなかった。
不幸な事に――儀式に参加していたのは焔ノ民達、その全てだった。老若男女関係無く、まだ年端もいかない子供達もいた。
「きっと子供達は大人達によって何も分からず贄にされたんだろう……。燃える炎の中に、子供の骨が大量にあった」
儀式は取り潰した。霧依が武器になる事は避けられた。
避けられた――はずだった。
儀式が中断されると、霧依はすぐに目を覚ました。祭壇から起き上がり、燃えて灰になる民達と、燃えずに首を刎ねられた民達と、その返り血に染まっている焔硝を目にする。
――師匠……? 何故……?
「儀式は中断させた。だが霧依の状態は光と闇が混じり合ったように不安定な状態だった。その状態で俺の足下に転がる民達を見て、霧依は俺が全ての民を殺したのだと思い込んでしまった」
――何で……どうして!? どうして私達の民を殺したのです!?
――お前を神殺しの武器に変えるつもりだった! お前こそ、何をしているんだ!?
――神殺し……? 違う! 民達は私を師匠と共に戦える神にしようとしただけです!
「霧依は自分が何に利用されていたのか知らず、俺をたった一つの神にしようと企んだ民達に騙されていた。だが霧依はそれでも民達を信じていた……。己を愛してくれていた民達を。だから霧依は……武火の魔神として完全に覚醒し、民達を殺した俺に刃を向けた」
――師匠! いや、アウナス! 貴様は最早、神ではない! 民達を殺した報いを受けろ!
――止せ、霧依! お前は今混乱しているんだ! 落ち着け!
――私は……我は霧依ではない! 我は武火の魔神ベリアルだ!
「霧依は……ベリアルは怒りと憎しみに支配されてしまった。俺はベリアルを鎮める為に全力で戦ったが、覚醒したベリアルの力の前に一度敗走し、撤退を余儀なくされた。その後、ベリアルは怒りのまま暴走し、オロバシとの戦いで混乱している稲妻に牙を剥いた。俺は死を覚悟でもう一度ベリアルと戦い、そしてベリアルの命に刃を突き立てた」
だがその時、焔硝の脳裏に霧依と過ごした情景が過った。愛を知る前の焔硝――アウナスなら気にも留めなかっただろう。決してその刃が揺れ動くことはなかっただろう。迷いが生まれることなど、有り得なかっただろう。
「俺は最後の最後で情に負けた。ベリアルを殺せなかった、殺したくなかった。気付けば殺すのではなく、封印を選んでいた。そして次に目を覚ました時には眞に助けられていて、全ての戦いは終わっていた」
暫くして焔ノ島での結末を思い出し、あの島ではベリアルが眠り続けているのだと、焔硝は安堵した。
しかしその安堵もすぐに罪悪感へと変わる。
――焔硝、ベリアルの事ですが……。
――ッ、何だ、影?
――……彼女の事は聞きました。とても残念に思います。
――あ……あぁ……。
――ですが稲妻の、永遠の敵となってしまったのなら仕方がありません。あなたに罪はありません。
「影からその言葉を聞いた時、俺は確信した。もしベリアルがまだ生きていると影が知れば、今度こそ間違いなく影と友たちはベリアルを殺すと」
「影が? そうとは思えないけど……」
空がそう口を零した。空が知る以前の影は、確かに永遠に関して徹底的な冷酷さを持っていたが、それは多くの友や眞を失ったからであり、まだ失っていなかった頃ならば、今のように優しさを表に出していたのではないだろうかと、空は思ったのだ。
「魔神戦争中だ。眞と稲妻に仇為す者なら、あの頃の影は躊躇無く斬っていた。それは俺も同じだった……はずなんだがな」
「……影らにベリアルを殺させぬよう、汝が殺したと嘘を吐いたのじゃな?」
「そうだ」
「……雷電眞にも嘘を吐いたのか?」
焔硝は口を閉じた。だがゆっくりと首を横に振った。
「眞には……嘘を吐けなかった。軽蔑されるのを覚悟の上で真実を伝えた。するとアイツは涙を流して俺に『辛かったわね』と言って、俺を慰めてくれた。その上アイツは、俺の嘘に付き合ってくれて、大事な妹である影に嘘を吐き続けてくれた」
「……それを影が聞いたら、更に怒りそうじゃのう」
八重は腕を組んで困ったように溜息を吐く。
「……汝が影に嘘を吐いた事情は理解した。次はベリアルについてじゃ。何故、人間の童の姿で封印から出て来ておる?」
「……」
焔硝は口籠もる。八重と空は、この期に及んで口を閉ざそうとする焔硝に苛立ちを覚え、八重は威圧を、空は軽蔑の眼差しを向けた。
嘘や隠し事はもう許さない、二人の決意は固かった。
観念したのか、焔硝はその固く閉ざされた口を、漸く開いた。
「……封印が弱まってる。ベリアルの力が封印を中から破ろうとして、それが原因で炎元素が活性化して被害が出てる」
「……それで?」
「……霧依は――たぶん、ベリアルが封印を外から破る為に分離させたんだと思う」
『……』
八重と空は庭先でパイモンと遊んでいる霧依を見た。
あの無邪気に笑っている少女が、ベリアルが封印を破る為に仕込んだ存在。
つまり、霧依が外にいる限り、ベリアル復活の可能性を高めてしまうということ。
「……あの童を、汝はどうするつもりなのじゃ?」
「……」
焔硝は顔を伏せた。胡座をかいている膝の上でギチギチと音が鳴る程、拳が握られる。
空は此処で、焔硝がどんな状態に立たされているのか理解する。
焔硝は今、決断を迫られている。
このまま封印が解かれる危険性を孕んだまま霧依を匿い続けるのか、稲妻を守る為に霧依を『処分』するのか――その二択を迫られているのだ。
空はテイワットの魔神も人間と同じ心を持っていると知っている。だが考えや精神力は人間とは一線を画している。人間と似たような考えを持っていても、根底では明らかに違う。
空はまさか焔硝が霧依を『処分』しようだなんて思ってもいないが、焔硝も元魔神である。その在り方も魔神と変わりなく、万が一ということもある。
空は焔硝の答えを待つ。
「……俺は稲妻を守らなければならない。それが去っていた友達に手向ける贖罪であり、眞に捧げる誓いだ。ベリアルが稲妻に牙を向けるのなら、それを絶たなければならない」
「焔硝……!?」
「だが殺せない!」
焔硝の悲痛な叫びが響いた。焔硝の目から、一筋の光が流れる。
「殺せないっ……! 俺には……あの子を殺せない! 殺せないんだ……!」
「焔硝……」
「……」
八重は焔硝の名を呟き、憂いを帯びた表情で見つめ、空はホッと胸を撫で下ろす。
空は事情が事情でも、霧依が人間の少女である以上、彼女は守らなければならない存在だと認識している。でなければ霧依があまりにも可哀想だ。他者の歪んだ想いにより生み出され、良いように利用され、それに気付くことなく師と刃を交わしてしまったこの憐れな神を、いったい誰が断罪できようか。
空は焔硝に同情した。そして何とか霧依と焔硝を救ってやれないだろうかと考え始める。
「……焔硝、汝の気持ちは痛いほど分かった。妾も、あの童に酷な事はしとうない。じゃがどうするつもりじゃ? 他に手立てはあるのか?」
「……ベリアルの力だけを滅する事ができれば、或いは」
「可能か?」
「……分からない。仮に可能だったしても、人間部分と繋がっている以上、目の前の霧依に何の影響も無いとは断言できない」
「じゃが、それしか無いとなれば、それを突き詰めるしかなかろう。妾も手を貸そう」
「……すまない」
「……童よ。ちと、頼まれてくれんか?」
八重は紙と硯を手早く用意すると、サラサラと何かを書き、状箱に入れて空に渡す。
「これを雷電将軍に届けておくれ」
「え? いいけど……」
空はパイモンに声を掛けようとするが、八重がそれを止めた。
「パイモンには今暫くあの童の相手をしてほしいのでな。汝、一人で行っておくれ」
「でも……」
「――頼む」
空は違和感を抱いた。八重が面と向かって素直に頼んできたからだ。いつもなら小難しい言葉や言い回しで言いくるめるものだが、その様子が全然見られない。パイモンには悪いが、空は八重の意向を汲んで静かに社を後にした。
空が出て行き、廊下に誰も居ないことを確認し、パイモンと霧依が庭先で遊んでいるのを確認した八重は、ギロリと焔硝を睨み付けた。
「焔硝――まだ隠しておる事があるのじゃろう?」
「……何の事だ?」
焔硝は目を合わさない。
八重は更に訊ねる。
「封印の事じゃ。何故、弱まった?」
「ベリアルの力が強いからだろう」
「嘘じゃ」
「嘘じゃない」
「嘘じゃ。お主のその身体に関係しておるのじゃろう?」
「……」
やっと、焔硝の目が八重に向けられた。
八重は確信した。
焔硝の弱っている身体は、封印と関係しているのだと。
「妾の目はこれ以上誤魔化せぬぞ。汝の身体から元素力が著しく低下しておる。生命力が低下しておるのじゃ。早く何とかせねば危険じゃ」
「……良く分かったな。影は誤魔化せたのに」
「彼奴は鈍感な所があるからのう――言え、何故そのような事になっておる?」
八重から雷が僅かに漏れ出す。怒りで元素力が活性化しているのだ。空を出て行かせたのも、この話を誰にも聞かれずにする為だった。
焔硝は庭先に声に耳を傾けながら、静かに告げる。
「八重――――俺はもう長くない。俺の中の眞の命が尽きるんだ」
これ、ホヨバの二次創作。苦しみや絶望が無い訳がない。