いよいよクライマックスの前哨戦。頑張ります。
稲妻・鳴神島――天守閣にて。
雷神バアルゼブル――雷電将軍は稲妻全土に緊急事態の宣言を出した。
二千年の時を経て現世に蘇った武火の魔神ベリアルが稲妻に宣戦布告をした。
焔の魔神アウナスを討ち取った後に『雷神バアル』を討ち取る。そして現存する全ての神を殺すと宣言した。ベリアルはその身に宿る権能で怨霊と魔獣の軍勢を生み出した後、海底火山を起こして強引に焔ノ島と鳴神島を繋ぐ大地を生み出した。
雷電将軍は鳴神島の住民を全て退去させ、幕府軍を各地に配置させた。幾つもの陣を敷き、海岸付近を最前線として防備を固めた。また、稲妻各地に直接出没している魔獣や怨霊に対しては海神島の珊瑚宮が率いる軍隊と協力して常に討伐に当たっている。
ベリアルは軍勢を召喚してからは焔ノ島から動き出してはいない。焔ノ島全域に結界を張って外からの侵入を防ぎ、まるで何かを待っているかのように沈黙を貫いている。
雷電将軍は幕府軍を指揮して戦闘の準備を進め、住民達の避難が完了するのを待っている。
将軍――影は内心、嘗ての戦争を思い出していた。
魔神オロバシとの戦いでは多くの戦死者を出し、その中は盟友もいた。土地も大きく変貌して悪影響を残してしまった。ベリアルはオロバシと同じく魔神だ。この戦で稲妻に齎される被害はいったいどれ程の物になるのだろうかと、影は顔を顰めてしまう。
ベリアル……武火の魔神、焔硝の焔から産まれた人造神。
影は幼いベリアルと顔を合わせた事がある。一度や二度、その程度だが、焔硝から紹介されて挨拶を交わした。その時の印象は文字通り『子供』だった。自身が何者なのか、どんな力を持っているのか自覚しておらず、人造神とは言えこれが本当に同じ神なのかと疑った。
焔ノ島の民がどういう思いでベリアルを生み出したのかは知らないが、彼が望むならとベリアルの誕生を祝した。
それが正しかったのか間違っていたのかは分からない。だが結果として彼女は稲妻に牙を向けた。そして今再び、稲妻に――神々に牙を向けた。稲妻を治める神として、将軍として、その脅威を排除しなければならない。焔硝には気が引けるが、ベリアルは討たなければならないと、影は決めていた。
その焔硝だが――未だ己の前に姿を現せていない。体調が芳しくないのは知ってはいるが、この戦には彼の力が必要になる。負けるつもりは毛頭無いが、相手は過去に焔硝を一度死に追いやった魔神だ。焔硝と力を合わせて挑めば勝利は確実となるだろう。それに、ベリアルも焔硝との果たし合いを望んでいる。なら同時に二人で相手をしてやるまで。
「それにしても、遅いですね。すぐに来るようにと使いを出したはずですが……」
思えば、最後に直接言葉を交わしたのはあの時――霧依を焔ノ島から連れ帰った時だ。
あの時は喧嘩別れのようになってしまったが、己の中では既に消化できており、顔を合わせればすぐに解決できると思っている。
問題は、復活したベリアルを焔硝がどうするつもりなのか、という事だけだ。それによっては再び対立する事になるかもしれないが、どっちにしろ戦からは逃れられないはずだ。
これから行われるであろう焔硝との討論を想像して、影は溜息を吐く。
その時、影がいる部屋の襖が開かれた。
焔硝が来たのだと思い振り返ると、そこにいたのは焔硝ではなく顔に暗い影を落としている八重神子だった。
「神子……?」
「影……焔硝が……」
「焔硝が……何です?」
八重はヨタヨタと力無い足取りで影に近付き、影の肩に縋り付くような形になる。
八重がこんな状態になるのを影は見たことがない。初めてのことに動揺を隠せず、影は八重を抱える。
そして八重から受け入れがたい内容が語られる。
「焔硝が――焔硝が行ってしもうた……」
「え……?」
「焔硝は死ぬ気じゃ……! ベリアルと心中するつもりじゃ!」
影の呼吸が止まった――。
ベリアルの復活を目の当たりにした焔硝は、たった一つの希望を失った喪失感に襲われ、その場に膝から崩れ落ちてしまう。
ベリアルが復活したということは、それはつまり島に向かった霧依が取り込まれてしまったということだ。人間部分とは言え、霧依は魔神ベリアルの半身。完全に復活するにはその半身が必要不可欠である。
焔硝は一抹の希望を霧依に抱いていた。もしかしたらまた昔のように過ごせるのではないだろうかと、失ったモノを取り戻せるのではないかと期待していた。
だがそれは甘く、愚かで、何とも浅はかな考えだった。
失ったモノは取り戻せない。それが自らの手で斬り捨ててしまったのなら尚更だ。
復活の可能性はあった。寧ろ時間の問題だと理解していたはずだ。
なのに甘い希望を抱いてしまった。それがより最悪な結末を迎えることになると言うのに。
魔神ベリアルは復活した。復活した彼女は、今や神々の脅威だ。神を葬る過程でその地の生命は焼き尽くされるだろう。
止めなければならない――阻止しなければならない。
今度は封印なんて手段は取れないだろう。
もう彼女を止めるには――完全に殺しきるしかない。
「……」
ベリアルが復活して稲妻に宣戦布告をしてから暫く、焔硝は鳴神大社の自室で瞑想していた。
先程、雷電将軍からの使いがやって来て、参戦の要請を受けた。使いの者は帰し、羽織と刀を手に瞑想を続けている。
将軍――影はベリアルを討つ。稲妻を守る為であり、何より生かして逃がせば他の神の禍になる。再び世界を混沌の中に戻す訳にはいかず、この戦いで確実に殺すつもりだ。
ベリアル――焔硝にとっては妹同然の存在。己の焔から産まれた同胞。眞や影とはまた違う、大切な存在。あの子と共に過ごした日々はとても素晴らしく、掛け替えのない尊き過去。
もうその過去は取り戻せない。新しく紡ぐこともできない。
もう――妹は存在しない。
「……ならば、此処で終わりにしよう」
焔硝は立ち上がり、羽織を広げて羽織る。赤鞘の刀を腰に差し、草履を履いて庭に出る。
庭に咲き誇る神櫻を前に、焔硝は手を合わせる。
覚悟は決まった。もう迷いは無い。残された僅かな時間を全て用いて、世界に禍を落とす化身――魔神ベリアルをこの手で葬り去る。
「眞……もうすぐそっちに行く。それまで、もう少しだけ勇気を……力を貸してくれ」
神櫻が揺れた気がした。
焔硝は踵を返し、鳴神大社を出ようとする。
その時、焔硝の前に一人の女性が立ちはだかる。桜色の髪を靡かせ、手に御幣を握り締めた絶世の美女である八重神子が、いつもの妖艶な色香を隠し、重く暗い雰囲気を纏いながらそこにいた。
「焔硝……何処へ行くつもりじゃ?」
「……全てを終わらせに行く」
「全て? 全てとは何じゃ?」
「俺の過去、因縁、罪、それら全てだ」
「……」
焔硝は八重の隣を通り過ぎ去ろうとした。
しかし焔硝の目の前に雷が落とされ、焔硝は脚を止めた。
雷を落としたのは、神の目を光らせる八重だった。
「……何の真似だ?」
「そんな身体で何をするつもりじゃ?」
「……言っただろ。ベリアルを――」
「そんなことを訊いておる訳ではない!」
八重が怒鳴る。そこでやっと、焔硝は八重の顔を見た。
「……っ!」
八重は――涙を流していた。
あの八重が、いつも優美な笑みで腹の内を隠し、決して弱さを見せない彼女が、大粒の涙を目から零していた。
「八重……」
「分からぬのか!? 今の汝の身体は弱っておる! これ以上身体を酷使すれば確実に死ぬ! 戦えば死ぬのだぞ!? 何故それが分からぬ!?」
「……分かってる。だから行くんだ」
「ならぬ!」
八重は雷を召喚した。殺生櫻と呼ばれる八重の力を具現化させたものを焔硝と自身の周りに配置し、雷を帯電させる。
「行かせぬ……! 絶対に行かせぬ! 汝が死ぬのは許さぬ!」
「……すまない」
「っ!」
焔硝が動き出す。八重は即座に雷を落とすが、焔硝に直撃する前に焔硝の羽織で防がれる。羽織は雷を雨水のように弾き、その隙に焔硝が八重に肉薄する。そして八重の腹に掌底を叩き込み、八重の身体はくの字に折れ曲がる。
「かはっ――!?」
「八重……今までありがとう。お前が居なければ、俺は生きた屍のまま消えていた。お前と居れて幸せだった」
倒れ込む八重を抱え、社の縁側に運んで寝かせる。まだ僅かに意識がある八重は、離れようとする焔硝の袖を掴む。
「えん……しょ……ゆく、な……」
「……さようなら、我が友よ」
八重の手を袖から外し、焔硝は八重の前から、鳴神大社から姿を消した。
鳴神大社から出て影向山を下りた焔硝は、『とある場所』に立ち寄ってから焔ノ島に一番近い海岸へとやって来た。
そこには幕府軍の陣が敷かれており、武士達が集っていた。海岸から焔ノ島へと繋がる陸地の先には、ベリアルが召喚した魔獣と怨霊が軍を成して待機しているのが、遠目で分かる。
その向こうに、ベリアルが待っている。己が背負うべき業、祓うべき罪、死地がそこにある。
だがその前に――焔硝はやらなければならないことがある。
どうしても避けられない存在があるのだ。
それは少し遅れて現れた。紫雷と共に現れた彼女は、決意を固めた目で焔硝を静かに見つめる。
「……来たか」
「……焔硝、二度は言いません。今すぐ刀を置きなさい」
「これは可笑しなことを。戦に参じろと命じたのはお前だろ?」
直後――紫雷の斬撃が焔硝を通り過ぎた。激しい雷鳴と衝撃が焔硝の頬を撫で、薄らと血を流させる。
影は夢想の一心を抜き放っていた。一切の容赦が無い鋭い眼光を放ちながら、影は続ける。
「戯れ言は充分です。焔硝、聞かせてください。どうして――黙っていたのですか?」
「……」
焔硝は息を吐きながら燃えている空を見上げる。ベリアルが燃やしている天を眺め、影に視線を戻す。
「答えてください」
「……言ったらお前、眞と同じことをするだろ?」
「とうぜ――」
「当然です、とか言うなよ。だから言わなかった。俺はお前の命を奪ってまで生きるつもりはない」
雷電眞は己の命の半分を焔硝に与えた。それは権能があっても奇跡に近い業だ。下手をすれば死んでいたかもしれない。雷電影にも同じことができるとは限らない上に死ぬ可能性だってある。それは焔硝にとって到底受け入れられないものであり、何よりこれ以上、愛する者の命を犠牲にして生きるのは我慢ならなかった。
だから影には黙っていた。本来なら何も告げず、密かにベリアルのことに方を付けてそのまま消えていくつもりだった。
だがそれは叶わず、最悪な形で事実を告げることになってしまった。
「影、もう俺は死ぬ。それは変えられない未来で、覆せない現実だ」
「いいえ、あなたは死なせません」
「死ぬんだ、影。俺は、死ぬんだ。お前に助けてもらおうとも思わないし、これ以上生きるつもりもない。最後に残ったこの命は、ベリアルを葬り去るのに使う」
「ベリアルは私が討ちます。あなたの出る幕はありません」
「いいや、影。お前にベリアルは殺せない。それどころか、お前がベリアルと戦えばお前が死ぬ」
「いいえ、負けません。彼女は、私が殺します」
影の力が、燃えている空に影響を与える。赤い空は次第に黒くなっていき、雷鳴を轟かせる。それはまるで己の力がベリアルよりも勝っていると示しているかのようだ。
だがそれでも、焔硝は影の負けを確信していた。
「影、お前は強い。それは認めよう。だがお前ではベリアルに勝てない理由がある。お前だからこそ……俺以外の神だからこそベリアルには勝てない」
焔硝は腰の刀に手を添える。内に残っている元素力を活性化させ、いつでも発揮できるように準備を整える。
「ベリアルは神を殺す為に産まれた。その力は神殺しに特化している。分かるか? ベリアルはお前を殺す為に造られた存在だ。お前は殺される」
「神を殺したことが無い神殺しなどに、私は負けません。それに神を殺すと言うのなら、それはあなたも例外ではありませんが?」
「ベリアルが産まれた理由は、元は俺を唯一神にする為だ。お前と俺ではその効力は雲泥の差だ。だから、アイツを殺せるのは俺だけだ」
影は諸願百目の輪を背後に展開させ、元素力を高めていく。
互いに退く気は無い。言葉を交わしてはいるが、最初から説得する気は無かった。
それは二人とも理解していた。焔硝も影も、決して譲らない。
譲れる訳がないのだ――どちらかが譲れば、それはどちらかが死ぬのだから。
焔硝は影を、影は焔硝を死なせない為、刃を以て己を押し通す腹積もりなのだ。
焔硝は赤刃の刀を抜き放った。赤雷が巻き起こり、雷鳴を轟かせる。
「――――そこを退け、影」
「――――退きません。あなたを止めます。四肢を斬り落としてでも」
今この時、赤と紫――稲妻の双雷がぶつかり合う。
赤は紫を、紫は赤を守る為に――。